“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 第5回委員会

2012年03月16日 17時00分00秒 | 臼蔵の呟き
東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 第5回委員会

黒川 清委員長 コメント
本日の第5回委員会では、米国原子力規制委員会(NRC)元委員長で、現在カーネギー研究所理事長であるリチャード A. メザーブ博士に、長年原子力にかかわってこられた専門家としての見地から、見解をお聞きした。
事故の真相究明にあたる国会事故調として大変意義のある議論だったと思う。
まず国会事故調として、本日の議論の意味合い、今後検討するにあたって考慮すべき重要なポイントを6つ申し上げたい。

本日の議論を通じて我々が考えた6つの重要なポイント

1.【原子力に関わる人々の責任】
原子力に携わる者は、安全に関して高い規範を持たなければならない。常に、さらに高い安全水準を目指して挑戦する責任を負う。
事業者やメーカーは、規制機関によって基準が定められたからこの程度でもよいといった、受け身の甘えた考えは許されない。
規制機関も、事業者には専門性でかなわないとか、事故の一義的な責任は事業者にあるから、といった言い訳は許されない。
事業者、規制機関、学者、そしてメーカーなど関係者がすべて安全を唯一絶対の目標として自律的に不断の努力を尽くす姿勢が不可欠であると認識している。

1.【事業者の責任と独立性】
発電所の事故防止と事故の被害拡大の阻止については事業者が一義的に責任を負う。緊急時において、事業者は、事故対応について自らの責任のもとに判断することが求められる。発電所の操作・運営に政治家の判断を仰がねばならない状態は避けるべきであり、責任もあいまいになる。そのために、事業者は常日頃から、安全確保のための厳しい自己責任原則を確立し、そのための能力を維持しなければならない。


1.【規制機関の責任と独立性】
規制機関は、平時だけでなく緊急時においても、常に事業者に正しい判断を行わせ、実行させることで、事故の拡大防止を実現する能力を備える責任がある。規制機関自らも、事業者から、政治からの独立性を確保し、その責任を負わなければならないという使命がある。また、規制機関の組織は、緊急時を想定し、あらかじめ事業者と政府の役割分担・指示命令系統を明確にし、訓練によって徹底的に浸透させる義務を負わなければならない。

1.【意思決定プロセスの透明性】
国家安全保障等に係る場合を除き、すべての意思決定を透明にしていくこと、さらには国民が参加の機会を持つこと、意見を言う機会があることが、独立性を担保するうえで、また国民、そして世界からの信頼を得るうえで非常に重要である。

1.【人材の重要性】
アメリカNRCでは、原子力安全に人生のキャリアをかける専門家人材が主体になっているという点も、日本が学ばなければならない重要なポイントだ。
「原子力安全を第一の使命とした組織」の中でキャリアを積み上げることを可能にすることが一つのキーポイントだと思う。
いわゆる官僚組織の中をローテーションしながら育成された人材が緊急時に役に立たなかったことはこれまでの委員会でも明らかになった。
もっと専門家にインセンティブを与えることも重要だ。

1.【事故調査における独立性・透明性】
原発事故調査においては、独立性と透明性が何よりも重要なポイントだ。
国会事故調のような独立の第3者機関を活用していかなければ、世界に対して説明がつかないと同時に、世界からも信頼を得られないのではないか。
そのことも今回のメザーブ博士の重要なメッセージだったと判断している。

国会事故調のこれまでの検討で、原子力規制の在り方について、内容的にも重要なことが明らかになりつつある。
今回も原子力安全についての重要な示唆をいただいた。また、安全文化ということの重要性も認識できた。
国会事故調としては6月の最終報告に向けて、これらについて可能な限り、明確にしていく予定である。


東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 第6回委員会

2012年03月16日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 第6回委員会

黒川清委員長 コメント

本日の第6回委員会では、事故当時の東京電力取締役副社長 原子力・立地本部長として原子力部門の責任者であった武藤栄氏(現 東京電力顧問)に、事故当時の認識や、原子力部門におけるシビア・アクシデントのリスクに対する考え方などを聞いた。事故の直接及び間接の原因を探るうえで大変貴重な議論であった。
本日の参考人聴取では、次のような点が浮き彫りになった。

政治と事業者の関係
発電所からの撤退、あるいはベントの実施等についての話を聞いていると、電力会社・事業者として官邸の介入に対して、納得していないことが分かった。官邸による技術的事項への関与もそうだが、特に吉田所長の携帯電話番号を首相が聞き出し、まわりの幹部は何を話していたのか知らないというのは意外だった。

東京電力の事業者としての能力
武藤参考人は、事業者が一義的に責任を持つといったが、果たして東京電力としてその能力はあったのか? 結果的に、ベントに時間がかかり、また水素爆発等が起きたといった事実からその点についてよく検証していく必要がある。

事故に対する備え
安全文化、耐震などをやってきたと縷々説明があったが、事故に対する備えは十分でなかったことが再度確認された。たとえば、2006年以降の耐震のバック・チェックに関する質問によって、3.11の直前で十分な耐震強度が確認されていない設備・機器・配管類があることがわかった。また、津波が今回の事故のすべての原因であるかのように言ったが、2002年には津波の予測がされ、現場ではそのリスクが認識されていた。それを武藤前副社長自身は知らないということだった。安全文化の社内での共有がなされていなかったのではないか。
大震災、大津波が引き金になって起きた原発事故に関して、未解明な部分が多いうえに、さまざまな問題が後遺症となって、この国に重い課題を残したままである。被害を受けた方々、避難をされている方々のために、私たち国会事故調は、6月の最終報告に向けて、独自の立場で、真相究明に取り組んで参りたい。
福島第一原発のある大熊町に住んでおられた蜂須賀委員の言葉というのは、我々の気持ちを打つ。避難された方々の声をよく聞いていきたいというのが、国民目線の事故調査委員会としては重要であることを再認識した。
また、事故による避難の実態について、避難を余儀なくされた方々に、各自治体のご協力の下、アンケートによる実態の把握を進めている。福島第一原子力発電所周辺の約5万5千世帯から無作為に抽出した2万世帯を対象に調査を進めており、1万4千世帯ほどには送付をしたところ、すでに回収3日目で十数パーセントのご回答を頂いている。私も拝見したが、色々な思いをアンケートの裏にも書かれており、実際に胸に迫るものがあった。



海外の関心 原子力発電所再稼動

2012年03月16日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
海外で日本政府、官僚、原子力村(利害関係者:御用学者、ゼネコン、金融機関、原子力安全委員会、電力会社)の動きに関して関心をもち報道しています。以前にも野田、野田政権、経済産業省、原子力保安院などのエネルギー政策、原発再稼動に関する思惑について触れました。いかに、野田政権、経済産業省、原子力村が異常かを報じています。単に、馬鹿にしているだけではなく、このような国家にドイツはならない、なりたくはないとの決意にもなっているのだと思います。
福島第一原発事故を引き起こし、福島県、周辺自治体に甚大な放射能汚染被害をもたらして国=日本はその総括、反省をどのようにするのかを注視しています。原子力村社会の動きは動きとしても、彼らがこのような時代の変化に抗しても策動する条件、環境があることを認識しなければならないと思います。彼らが策動できない運動、環境を作ることが必要になっているのではないかと痛切に感じます。

<ドイツ:日本の「原発ムラ」降伏せず…メディアの関心高く>

福島第1原発事故から1年になったのに合わせ、事故後に主要国でいち早く「脱原発」を決めたドイツでは、日本政府のその後の原発政策にメディアの関心が集まっている。
 シュピーゲル誌は「潤沢な補助金で住民を説得し、原発を再稼働させることはもはやできない」としながらも、「日本はまだ脱原発を公式に宣言していない。産業界とメディアで構成されるGenpatsu Mura(原発村)は降伏していない」と指摘し、「原子力ロビー」の抵抗が強いと伝えた。同誌は事故後、天下りシステムなどの説明も交え、日本で原発支持派が力を持つ理由を継続的に報じている。
 南ドイツ新聞は東京特派員電で「70%の日本人は脱原発を望んでいるが、街に出てデモに参加する人は少ない。むしろ人々はShoganai(しょうがない)と話す」と報じている。
 一方、この1年で結局はドイツの脱原発路線に追随する国が少ない現実にも触れ、ウェルト紙は「ポーランド、ロシア、リトアニアなど近隣国はむしろ原発を新設する方向にある」と指摘。先進工業国としてのドイツの脱原発政策を「現実逃避主義」と批判した。今月の世論調査ではドイツ国民の約8割が「脱原発は正しかった」と回答している。

ウラン採掘現場の苦しみ

2012年03月16日 06時00分06秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。今日は、ウラン採掘と現地の苦しみの話です。

昨年7月に封切られた中国の映画、チャン・イーモウ監督の「サンザシの樹の下で」という映画をご存知ですか。ここ十年位は、チャン・イーモウ監督はコンピューターグラフィックばかりを使ったものばかり作り彼には似合わないように感じていましたが久しぶりに彼らしい骨太の作品でたいへん感動しました。そのうちDVDになると思いますので、是非ごらんください。ただしウランはストーリーとはほとんど無関係です。良い映画ですよ。

ヒロインのジンチュウの恋人のスンが地質調査の仕事をしているのですが、白血病で死んでしまいます。亡くなった理由は明らかにされていませんが、当然ウランの調査としか思えません。多くの方がそう感じたのではないでしょうか。

ところで、3月13日の毎日新聞朝刊一面に「私たちのウランがフクシマに」との見出しでオーストラリアのアボリジニの長老の記事が載っていました。「私たちの大地が生んだウランが福島の人たちを苦しめている。本当に悲しい。」とオーストラリアの先住民族アボリジニの女性長老が語っています。オーストラリア産ウランは福島でも使われました。

オーストラリアの先住民族は野生のカンガルーを捕ったり果実を採集して、必要なものだけを取り自然と調和して暮らしていました。鉱山開発のため土地を奪われ、採掘の中止を訴えてきましたが、今は世界中に原発廃止の訴えをしています。アボリジニは家を作らず木々の下に寝るため、大地を寝床しています。

1970年代に鉱山開発が始まり、彼女達が暮らす広大な大地に鉄条網が張られ、立入り禁止にされました。世界中どこでもそうですが、多くの場合、先住民には土地所有という概念はありません。大地は人間も含めた生きとし生けるものすべてのものだと考えているからです。アイリーンさんは言います「ここは私たちが祖先から受け継いだ大地。だが泉は枯れ、動物たちは姿を消し、大地は放射能に汚染されてしまった」

周辺住民は、ガンの多発などの健康被害やウラン採掘時に発生する放射性廃棄物の危険性を訴えてきましたが、実態調査は行われていないそうです。ウランを採掘する会社は「放射能が危険を及ぼす事態は起きていない」と居直っているそうです。

ウラン輸出を強化しようとするオーストラリア政府は、事業拡大計画を承認するだけでなく、今後11年間で現在の4倍の生産に拡大するとの方針を出しています。

ここでも先住民族のアボリジニをウラン採掘労働者として雇っています。たぶん経営者の白人は自ら危ない仕事はすることはないでしょう。世界中どこでも構造は同じです。

無尽蔵に近い天然エネルギーを持っているオーストラリアは原子力発電所を作る必要はなく、石炭を燃やして火力発電を中心に電力を作っています。あくまでもウランは輸出産業なのです。

なんともやりきれない話です。


アボリジニでは「4」はたくさんと言う意味だそうです。
必要以上の物を取らないので「3」までで十分ということだそうです。(フォト蔵より)