“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

石巻日々新聞の報道

2012年03月12日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
石巻を中心とした新聞です。震災報道、救援活動でも大きな力を発揮したと言われています。大手の新聞、地方の大きな新聞社とは違います。地域が分断され、情報が途絶える中で、地域に根ざした新聞は被災地情報、生活情報などで重要な役割を果たしました。FMの地域放送も多くの自治体(市町村単位)ごとに立ち上がり、昨年活動していました。

<日本大震災から1年…2市1町で追悼式>
 東日本大震災で約6千人の死者、行方不明が出た石巻地方。震災から1年を迎えた11日には発災時刻の午後2時46分に合わせ、黙とうを捧げた。2市1町では追悼式や慰霊祭が営まれ、参列者は花をたむけて犠牲者をしのんだ。各会場では政府主催の追悼式が中継された。
                 
【悲しみ今も癒えず…石巻市追悼式】
 石巻市の追悼式は河北総合センターで行われた。遺族代表の田倉さんが「巨大津波は多くの命と暮らしを一瞬で奪った。1年たった今も信じることができない」と祭壇に向けて無念の思いを語った。
 遺族ら約2500人が参列し、会場は鎮魂の祈りに包まれた。田倉さんは「歴史ある石巻の復興に希望を持って立ち向かうことを霊前に誓う」と話していた。
 式辞では亀山紘市長が「震災からの復興を市民と一緒に取り組む」と強調。村井嘉浩知事は「人知を超える大災害を前にし、無念の思いで頭を垂れ、手を合わせることしかできない悲しみは今も決して忘れることはできない」と哀悼の意を捧げた。
                

【心通わせ共に…東松島市慰霊祭】
 東松島市慰霊祭は航空自衛隊松島基地格納庫で行われ、犠牲者の遺族ら2500人(市発表)が参列した。
 阿部秀保市長は式辞で国内外の支援に感謝し、「復興の道のりは長く険しいが、追悼の思いを胸に市民と共に心を通わせ歩む」と誓った。五野井敏夫市議会議長らが追悼の辞を捧げ、市を支援しているデンマークの皇太子から、大使館を通じて花輪が届けられた。
 津波で長女を亡くした相澤さんは「娘が変わり果てた姿で見つかったのは3月21日、誕生日だった。悲しむ心を励ましたのは孫の笑顔。生かされたからには使命がある。できる範囲で少しずつがんばりたい」と遺族代表の言葉を述べた。
                

【天国から見守って…女川町追悼式】
 女川町の追悼式は総合体育館で行われ、約2千人が参列。津波で実母と祖父母を亡くした会社員の鈴木さんが遺族を代表して、「復興に貢献していく。天国から見守ってほしい」と祭壇に向けて語りかけた。
 式辞で須田善明町長が「次世代に引き継いでいくべき町をつくる」と決意を述べた。
県内ゆかりの著名人で結成する「みやぎ びっきの会」は、中国人研修生を避難誘導中に亡くなった水産加工会社専務佐藤充さん(当時55)が作詞作曲した「潮の唄」を披露。参列者は目頭を押えながら「女川に生まれ、女川に育ち、これからも俺たちはここで生きていく」の一節を口ずさんでいた。

震災復旧の遅れと自己責任論

2012年03月12日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
おはようございます。仙台は、快晴です。昨年の3月12日の朝と同じです。各地で東日本大震災の追悼行事が行われ、1年前の地震、津波被害を改めて思い起こし、亡くなった方の冥福を祈る一日でした。また、今後の防災への備えを地区にあわせて考え、備える一日でもあったと思います。

震災復旧のための膨大な被災物、広域処理が出来ない。その理由は、放射性物質が含まれているから。震災に加えて福島第一原発の事故、放射能汚染が非常に復旧作業を遅らせています。被災地に据え置かれた被災物の山を見るたびに震災、津波を思い出す状況が繰り返されます。また、甚大な被害を受けた地域はこの被災物を処理しない限り、地域の復旧工事の障害ともなっています。

原子力事故は地域を分断し、家族を分断し、生産者と消費者を分断しています。風評被害というと消費地の方は「風評ではない」「汚染された商品を食べることは出来ない」その通りです。原子力発電所を国策として進めてきた電力会社、政府、経済産業省、原子力保安院はこのこと、都合が悪いことは「触れず」「語らず」です。

震災の復旧が遅れている要因は、政府が取っている基本に「自己責任論」「規制緩和で産業を再興する」(特区構想)「予算措置と許認可権」は政府、中央官庁にあるとする姿勢が障害となっています。住宅資金、移転費用、企業再生は企業が、二重ローン問題など全てがこの壁にぶつかっています。自己責任を言うのであれば「原子力事故」は国策として推進したわけでその全責任を政府、経済産業省、電力会社が自力で行うべきです。しかし、彼らは、事故を垂れ流し、自らの電力会社の債務超過は税金を投入して救済しています。このような矛盾した対応を糾弾する必要があります。そして、被災地、被災企業の再興をあらゆる手立てで推進する必要があります。

<3.11の社説の一部>

 一方で、被災地にうずたかく積み上げられたがれきの広域処理が進まない。説明を尽くしても、放射性物質への懸念を払拭(ふっしょく)できずにいる。絆は風評の前で、あまりにもろい。
 つながりを切望しているのに、分断が始まっているのだ。
 福島県では原発事故で汚染された地域が線引きされ、年50ミリシーベルト超は「帰還困難区域」とされる。町の解体だ。古里を追われた人たちには、移住者としての運命が待ち構える。
 「我慢強い」と称賛を浴びた東北人だが、「無告の民」であってはならない。私たちは当事者だ。理不尽を正し、生き延びるための知恵を出し合おう。

3月12日

2012年03月12日 06時00分08秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。昨日は、東日本大震災仙台市追悼式に参列しました。



最後に、「献歌」として学区にまで津波に襲われた3つの中学校の生徒がそれぞれ違う制服を着て合同で合唱をしてくれました。「BELIEVE」と「あすという日が」の二曲でしたが、すばらしいもので会場の至るところから涙をすする音が聞こえました。


大空を 見上げて ごらん
あの枝を 見上げて ごらん
青空に 手をのばす 細い枝
大きな 木の実を 支えてる

いま 生きて いること
いっしょうけんめい 生きること
なんて なんて すばらしい

あすと いう日が あるかぎり
しあわせを 信じて

あの道を 見つめて ごらん
あの草を 見つめて ごらん
ふまれても なおのびる 道の草
ふまれた 後から 芽吹いてる

いま 生きて いること
いっしょうけんめい 生きること
なんて なんて すばらしい

あすと いう日が 来るかぎり
自分を 信じて
あすと いう日が 来るかぎり
自分を 信じて
しあわせを 信じて

3月12日からの歌のように聞こえました。