北海道大学 山口二郎教授
紹介です。何かが狂っています。その狂っている現象が共有化され、自治体首長、政治家を選んでいる選挙民の認識が変わらない限り、このような狂った政治的決定、指示が拡大するばかりです。政治の閉塞感とも関係しますが、政治を突き放し、虚無感ばかりが増すような状況を食い止めることは、一人ひとりに課せられた、義務でもあると思います。
<北海道大学 山口二郎教授の考察>
このところ、学校の校則を思わせる瑣末(さまつ)な形式主義がはびこって、大人の常識が追いやられている感がある。福岡市では市長が職員に自宅外での禁酒を求め、大阪市では職員の入れ墨の有無の調査が行われた。確かに飲酒運転は論外であり、職員が飲酒運転をしたら相応の処罰が必要である。また、職員が入れ墨を見せて市民を威嚇したら、行政上のみならず、刑事上の処罰が当然である。
それにしても、そんなことまで市のトップがいちいち指示しなければならないのかという疑問を持つ。勤務時間外に酒を飲むこと、あるいは衣服に隠れる部位に入れ墨をすることは市民としての自由である。私自身は入れ墨を好ましいとは思わないが、公的なルールと個人的な好き嫌いを区別しなければ、我々の自由は脅かされる。
人間の行動を拘束するルールを微に入り細をうがつものにすれば世の中、平和になると考えるのは、権力者の妄想である。為政者が人々を子供扱いし、上から決まりを押し付ければ、よい子になると誤解するところから、ルールの増殖は進んでいく。
しかし、アメリカの禁酒法もすぐにザル法になった。権力者がザル法に固執すれば、人々はルール一般に対する敬意を失い、より大きな無秩序がもたらされる。日本人は大人の常識を取り戻す時である。
紹介です。何かが狂っています。その狂っている現象が共有化され、自治体首長、政治家を選んでいる選挙民の認識が変わらない限り、このような狂った政治的決定、指示が拡大するばかりです。政治の閉塞感とも関係しますが、政治を突き放し、虚無感ばかりが増すような状況を食い止めることは、一人ひとりに課せられた、義務でもあると思います。
<北海道大学 山口二郎教授の考察>
このところ、学校の校則を思わせる瑣末(さまつ)な形式主義がはびこって、大人の常識が追いやられている感がある。福岡市では市長が職員に自宅外での禁酒を求め、大阪市では職員の入れ墨の有無の調査が行われた。確かに飲酒運転は論外であり、職員が飲酒運転をしたら相応の処罰が必要である。また、職員が入れ墨を見せて市民を威嚇したら、行政上のみならず、刑事上の処罰が当然である。
それにしても、そんなことまで市のトップがいちいち指示しなければならないのかという疑問を持つ。勤務時間外に酒を飲むこと、あるいは衣服に隠れる部位に入れ墨をすることは市民としての自由である。私自身は入れ墨を好ましいとは思わないが、公的なルールと個人的な好き嫌いを区別しなければ、我々の自由は脅かされる。
人間の行動を拘束するルールを微に入り細をうがつものにすれば世の中、平和になると考えるのは、権力者の妄想である。為政者が人々を子供扱いし、上から決まりを押し付ければ、よい子になると誤解するところから、ルールの増殖は進んでいく。
しかし、アメリカの禁酒法もすぐにザル法になった。権力者がザル法に固執すれば、人々はルール一般に対する敬意を失い、より大きな無秩序がもたらされる。日本人は大人の常識を取り戻す時である。