“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

いやなものはいやと「意思表示」をしっかりしよう!

2012年06月27日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
いやなものはいやと「意思表示」をしっかりしよう!

原発再稼動に反対の人は、はっきり「反対」の意思を表明しましょう。原発に反対する市民が多数、7割を超える地区があるのに、野田、藤村、枝野、細野、仙石は、安全だから稼動をさせます。責任は私(野田)がとりますと明言しました。言葉の軽さと、どう責任を取るのか、取れるのかには本当に、怒り心頭です。東京電力の経営者、会長を見れば分かります。彼らの反社会的な行動と意識は事故後1年半を過ぎてもまったく変わっていません。

東京電力の勝俣恒久会長(72)が福島第1原発事故後、一度も福島県に入らないまま27日の株主総会で退任する。社長時代は原発再稼働の地元同意を取り付けるため、何度も福島県庁や原発立地地域を訪れた。「地域との共生」を強調しながら、事故後は一転して現地入りしない態度は、避難生活や風評被害で苦労する福島県民にどう映るのだろうか。

 勝俣氏が事故後、記者会見に応じたのは昨年の3、4月の2回だけ。東電は、勝俣氏が表に出ない理由を「多忙」と説明してきた。数少ない公の場の発言で「逃げの姿勢」が追及されたことがあった。
 福島第1原発事故を検証する国会の事故調査委員会で「津波は想定外だった」と強調。「業務執行の責任は社長、現場対応の権限は発電所長にある」と述べた。
 委員の一人で福島県大熊町商工会会長の蜂須賀礼子さんが「勝俣さんは『僕には関係ない、責任がない』と言うばかりだ。どうして僕が責任者ですと言えないのか。どこの会社の会長なのか」と詰め寄った。勝俣氏は「権限的な問題を申し上げた」と受け流した。

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大飯原発のオフサイトセンターは海の家

2012年06月27日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
大飯原発の周辺写真を見て「びっくり」したことがあります。事故のときに、事故対応を集中的に行う「オフサイトセンター」が日本海水面とすれすれの位置で、護岸から70mしか離れていません。海抜は2メートル???です。南三陸町の防災会館を見た方は分かると思いますが、地面と海水面(防災会館の前まで海水が川を通じてきています)がほぼ同じです。防災会館は3階建てですが、屋上まで津波は来ました。海からは数百メートルある距離ですが。常識的、東日本大震災の津波被害を体験した人であれば、このオフサイトセンターがこの場所で機能すると考えることは100%ないことがわかります。この写真を見て「大飯町長、福井県知事は頭がおかしい」か無知、関西電力は本当に無責任、野田、経済産業省の無責任さと、でたらめさにはびっくりです。

以下の文書は、内橋克人さんが書いた本の内容を要約した文書です。

「過去のおいて開かれた、2日間開かれた島根原発2号炉を増設するときの公開ヒアリングを全て取材した。忘れられないのは、予定地のすぐ近くに住み2人の子どもを抱えた主婦の悲痛な質問だった。「もし原発に事故があったら、私たちはどうやって逃げれろと言うのですか? 宍道湖を泳いで逃げろと言うのですか? なぜそんな大切なことが安全審査の対象にならないのですか?」。しかしこの悲鳴といえるような質問に対し、当時の原子力安全委員会は何の答えもせずに、こういってはねつけた。「本日は安全委員会としては、皆様のご意見を伺うために参っておりますので、安全委員会としての意見を表明することはご容赦願います」。
住民の不満の声で会場が騒然とする中、そうした声を一切無視して、どんどん議事を進めてしまうといった具合だ。住民と意見を戦わせて議論する場ではなく、住民の意見を聞くだけが目的だということを会場に徹底させる、これが原子力委員会の役割であることがはじめからはっきりしていた。こういうことに一役買ったのが研究者・学者と呼ばれる人たちで、反対する住民や原発に警鐘を鳴らす者は「科学の国のドン・キホーテだ」と、時代遅れの素人、という扱い。原発安全神話が崩れた今、このような形で進められた原発大国だから、その故に、これからのエネルギー選択のあり方をめぐって、そしてこれからの前途をめぐって、これまでのやり方は一層厳しくなってくるということを考えて欲しい。」
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ベン・シャーン

2012年06月27日 06時00分12秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。「社会保障と税の一体改革関連法案」が衆院で可決されました。ひとことだけ言っておきます。社会保障のため消費税率をアップするなどという姑息なインチキは言わないでください。正々堂々と、「自民党と公明党と民主党が作った悪政による大赤字を消費税率アップで穴埋めさせて欲しい」と素直に訴えた方が国民に支持されたのではないですか?

政治の話はこれくらいにして、今日は、アメリカの芸術家の話です。

「明日、ベン・シャーンを見に行くんだ」と言ったら、そこに居た人は誰も知りませんでした。ベン・シャーンの本格的な展示は日本では20年ぶりです。7月16日まで、福島県立美術館で開催されています。なんと600円と格安で、高校生以下は無料です。


とても可愛い駅です。



この展覧会のコンセプトは次の通りです。
人間愛に満ち、深く静かに、心に届く作品を残した、ベン・シャーン(1898-1969)の国内においては約20年ぶりの大規模な回顧展となります。社会の不正義に対して声を挙げる作品で世に出たベン・シャーンでしたが、日々を生きる一人ひとりの、ごく普通の生活に対しても愛情あふれる眼差しを向け、その慈しみの眼差しは終生変わることがありませんでした。怒りや哀しみへの共感、喜びや痛みを、時にユーモアも含めて表現し続けたシャーンの作品は、声高な叫びとは異なる力強さをもって、見る人の心にそっと手を差し伸べる温かさを持っています。


ベン・シャーンは、20世紀という揺れ動いた時代をアメリカという場所から見つめ続けた画家です。特に、20世紀は人間が人間を殺し、奪い続けた世紀だとの認識をしています。

ベン・シャーンは、ヨーロッパの現在のリトアニアの生まれです。リトアニアはドイツとロシアの真ん中くらいの位置にあります。ユダヤ人の大工の息子として生まれたため、ナチスドイツによる迫害を逃れてアメリカに移住しました。

ベン・シャーンの「ラッキードラゴン」は1960年に書かれましたが、福島県立美術館の所有です。ラッキーは「福」、ドラゴンは「竜」もうわかった方も居るでしょう。「福竜」、第五福竜丸です。ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験による「死の灰」を浴びて亡くなった久保山愛吉さんを描いています。そして、「ラッキードラゴン シリーズ」として多くの作品を残していますが、科学技術が躍進する一方で人間の尊厳が危機に瀕していると警告し続けている作品です。


パンフレットを写しました。


たいへん興味深い特別展ですので、是非とも行ってみてください。

福島県立美術館には、世界中からの励ましの手紙やタペストリーも展示されています。

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