“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

アンネ本の破損、思想問題

2014年03月01日 12時48分07秒 | 臼蔵の呟き

EU、アメリカなどでは靖国神社、南京大虐殺事件、従軍慰安婦問題などは日本、中国、韓国などの遠いアジアの問題という意識があるようです。しかし、ナチスドイツの侵略戦争、ユダヤ人大虐殺などはEU自体がその展開された地域に当たり、非常に敏感な反応、第二次大戦の歴史を思い起こす忌まわしい事件として受け止められています。また、ユダヤ人大虐殺事件は、その殺害の残忍さ、非人道性、規模の大きさゆえに、戦争が終了してもなおかつ、そのときのナチス幹部、強制収容所関係者、親衛隊、秘密警察など虐殺に関わった幹部の犯罪行為を厳しく問い続けています。当然のことです。

安倍、自民党極右政権、自民党右翼議員の動きなどに呼応して、右翼勢力が活発に活動を行うようになっています。歴史認識の改ざんをどんなに安倍、自民党、維新の会などが行ってもそれは、一部の日本支配層、右翼勢力の範囲を出ることはないと思います。もしそうならないとしたら、アメリカ、EU,中国、韓国などとの外交摩擦は最大化し、日本のあらゆる分野の関係が孤立化し、立ち行かなくなることは確実です。北朝鮮を見て分かります。食糧確保すら出来ない国=日本が孤立したら生きて行けないことは確実です。一部右翼勢力の浅はかで、ばかげた主張、行為は確実に歴史の審判を受けます。

<東京新聞社説>  アンネ本の受難「人間の善」を信じたい

 心底悲しく、憂うべき事件である。多くの図書館でアンネ・フランクにまつわる蔵書が相次いで破られた。ナチスの焚書(ふんしょ)さえ想起させる。世界の平和を願い、十五歳で逝った少女の魂を守らねば。

 破損していたのは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害下で二年余りにわたり書かれた「アンネの日記」やその関連本である。東京では四十近い公立図書館や書店で三百冊を超す被害が確認されている。横浜にも及んでいた。手でびりびりと引きちぎったり、ナイフで切り取ったりしたらしい。図書館は監視を強めたり、開架を取りやめたりした。自由であるべき言論空間が息苦しくなるのは残念だ。

 衝撃は国内外に広がり、懸念や非難の声が上がっている。もはや単なる器物損壊事件にとどまらず、国際問題にまで発展した

 警視庁は凶悪犯罪を担う刑事を動員し、異例の捜査態勢を敷いた。知る権利はもちろん、平和や人権を希求してきた戦後の努力を踏みにじる蛮行というほかない。

 アンネは一九二九年にドイツで生まれた。反ユダヤ主義を掲げるナチスが政権を握ると、一家は祖国を捨ててオランダに逃れた。しかし、第二次世界大戦中は占領され、隠れ家生活を強いられた。日記は十三歳から十五歳にかけてしたためられた。恐怖と飢えと不自由にさいなまれながらも勇気や希望、愛情を諦めず、けなげに暮らした様子が伝わってくる。思春期の少女の成長と苦悩が描かれた文学作品として、戦争や差別、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を考える史料として、世代を超えて読み継がれてきた。世界記憶遺産にも登録されている。

 ユダヤ人の抹殺には加担しなかったとはいえ、かつて日本はナチスドイツの同盟国だった。日本が主権を回復した五二年に初めて日記の邦訳が出版されたが、オランダ国内には反発もあったという。日本は今日までアンネと共に歩んできた。なのに、最近ではホロコーストの歴史を否定したり、日記の創作説を唱えたりする動きもネット上で目立っている。

 在日コリアンを攻撃するヘイトスピーチも同根だ。差別を助長し、日本の国際的信用を損ねる愚行である。互いの違いを認め、尊重し合う寛容さ、謙虚さの欠如は民主主義を危うくする。

 絶望的な境遇下でも、アンネはつづった。「人間の本性はやっぱり善なのだ」と。その言葉の重みをあらためてかみしめたい。

 


NHK会長 職責果たすのは困難だ

2014年03月01日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き

NHK籾井会長、百田、長谷川経営委員は罷免すべきです。こんな社会的常識が理解できず、最高意思決定機関だと証して居座り続けるおろかな人物に支配を許すことはありえない。その擁護をする安部、菅などのおろかな政治家の政治責任を追求すべです。侵略戦争、靖国参拝をめぐって中国、韓国政府を攻撃する安倍、菅、自民党議員の頭脳こそが異常であり、おかしいのだと自覚すべきです。

NHKを政治的に利用させてはならない。一政党の権力亡者に牛耳らせたらならない。

<北海道新聞社説>NHK会長 職責果たすのは困難だ

 次々と明らかになる非常識な言動に、公共放送のトップとしての適格性をあらためて問いたい。このままでは職責を全うすることは困難と言わざるを得ない

 NHKの籾井勝人(もみいかつと)会長の国会や経営委員会での発言をめぐる混乱が日ごとに深刻度を増している。国民の受信料で支えられた報道・言論機関として、政治的中立性を貫けるのか。巨大組織の運営をこの会長に任せられるのか。

 就任後、わずか1カ月にして、早くも信頼が根底から揺らぐ。

 言うまでもなく、会長を選任した経営委員会の責任は重い。最高意思決定機関である委員会は、会長の罷免権を併せ持つ。新会長の適格性をあらためて検証すべきだ。

 籾井氏には、自らの進退の判断を求めたい。

 迷走は、就任記者会見での従軍慰安婦など政治・外交分野の懸案事項に関する、公私をわきまえない発言に端を発した。当然ながら、衆参両院の予算委員会、総務委員会などに連日、参考人として招致されているが、その答弁は異様さが際立っている。

 就任時の問題発言は取り消し、すべては決着済みと言わんばかりの態度で臨んでいるからだ。答弁は「放送法を順守し、職務を全うする」との内容に終始している。論議が深まらないどころか、真剣さを欠いた国会軽視の姿勢をさらけ出しているといっていい。

 驚くのは、釈明の弁は国会だけのことで、今月12日の経営委員会では、歴史認識など持論の正当さをあらためて主張したことである。

 NHKが公開した議事録によると、美馬のゆり委員(公立はこだて未来大教授)の質問に対し、「私の発言の真意とはほど遠い報道がなされている」「私は大変な失言をしたのでしょうか」と答えていた。

 国会と経営委員会でなぜ発言が異なるのか。不信を抱くのは当然だ。

 就任直後には10人の理事全員に対し、日付欄を空白にした辞表を提出させていたことも明らかになった。人事権をかさに権力を強化する上意下達の典型と言えよう。

 こうした会長の言動などを理由に、米国大使館がケネディ大使への取材を拒否したとの報道がある。真相はともあれ、NHKは視聴者に対し、経緯を明確にする責務がある。

 籾井氏に対しては国内外の市民団体から辞任要求が突きつけられ、苦情も殺到している。このままでは到底、視聴者の信頼は得られまい。安倍晋三首相と交友関係にある人物が多数を占める経営委員の言動も混乱を増幅している。首相の任命責任も厳しく問われねばならない。

<日刊現代>

NHKの籾井勝人会長(70)の辞任が秒読みになってきた。辞表を出させ、預かることで忠誠を誓わせた理事にも裏切られた上、自民党議員の間からも「辞めさせるしかない」という声が噴出してきたからだ。NHK内部でも「辞任を想定した動き」が始まっている。

 就任記者会見の妄言を全部取り消し、沈静化を図ってきた籾井会長だがもうダメだ。経営委員会で「どこが失言だったのでしょうか」と素朴すぎる疑問を投げかけていたことが発覚したばかりか、NHKもサジを投げたのか、その議事録を前倒しで公開した。さらに部下の理事に辞表を出させていたことも発覚、それも籾井はごまかそうとしたのに、理事10人が「嘘はつけない」と反旗、国会の質疑で、辞表を提出させられたことを認めるという“劇場型の離反”になった。

 もう「持たない」のは誰の目にも明らかだが、NHKの会長は国会が同意した経営委員によって選ばれる。籾井をクビにするのは難しいし、強引なやり方をすれば、そんな経営委員の人選に同意した国会議員の責任にもなる。もっといえば、今回の経営委員は安倍肝いり人事だから、安倍の責任に直結していく。

■「取材がしにくい」と現場からも悲鳴

 そこで、浮上してきたのが、「NHK予算を人質にとって辞任を迫る」シナリオだ。それも自民党筋から、こうしたプランが出てきている。

「籾井辞任シナリオは3つです。NHK予算は現在、衆院審議中。辞めなければ衆院を通さないぞ、と迫るのがひとつ。2つ目は衆院は通すが野党が元気な参院段階で、紛糾を理由に辞任を迫るシナリオ。それでも辞めなければ、予算を通さない。立ち往生させて辞任に追い込むシナリオです。こうしたプランが先週あたりから永田町を駆け巡っている。当然、会長へのプレッシャーになっていくと思います」(政治解説者・篠原文也氏)

 実は、NHK内部でも辞任を想定した準備が始まっている。

「NHKは見切った。こうなったのは取材現場から『取材に悪影響を与えている。特に中国関連の取材がやりにくくなった』との悲鳴が上がっている上に、受信料不払いが広まりつつあるからです。海老沢会長時代の不払い運動もそうでしたが、報道で批判記事が出た後に若干のタイムラグがあって不払いがピークに達する。今のうちに会長辞任で“火消し”をしておかないと、NHKの経営基盤を揺るがす事態になりかねない。幹部クラスも慌てています」(NHK関係者)

もうひとつ、籾井は三井物産時代、上島重二元会長に取り入って出世した。上には徹底的に尽くすが、下には絶対服従を強いる。そうした姿勢にNHK内部はウンザリしている。

 四面楚歌の籾井の運命は決まったも同然だが、自民党やNHKが甘いのは、籾井が辞任さえすれば、安倍の責任問題にはならず、不払いも沈静化すると思っていることだ。そうは問屋がおろさない。籾井辞任は間違いなく、安倍政権転落の端緒になる。


第五福竜丸被爆事件

2014年03月01日 07時00分36秒 | 臼蔵の呟き

アメリカによる核兵器開発、核実験で多くの周辺住民、周辺で操業されていた漁業者が被爆し、死に至ったことに強く抗議したいと思います。この地球から核兵器、無差別殺戮兵器を廃絶するために各国政府、国民が努力することを求めたいと思います。

広島、長崎への原爆投下、死者、アメリカによる水爆実験で被爆し、死亡された方々に対して心より哀悼の意を表します。おろかな戦争遂行者である天皇制政府、日本軍、大政翼賛会で戦争を支持し、遂行した軍国主義者の犯罪と責任はどのような時間が過ぎようとも消し去ることは出来ないことを自覚すべきです。また、日本軍による侵略で略奪、殺害された中国、朝鮮、アジア各国の人々にもお詫びをしたいと思います。

<第五福竜丸被爆事件>

1954年3月1日の朝、アメリカは太平洋沖のビキニ岩礁で水爆実験を行いました。この水爆は広島に落とされた原爆の千倍以上もの爆発力を持っており、死の灰(放射線降下物)は指定された「危険区域」をはるかに超えて広がりました。

その頃、遠洋まぐろ漁船だった第五福竜丸は、ビキニ岩礁の東160kmの海域へ漁にでかけていました。船の乗務員は巨大な火の玉を目撃し、大きな音を聞きました。そしてその3~4時間後「死の灰」が降ってきて、死の灰を浴びた乗務員全員がその直後から急性放射線症状になり、1954年9月23日には、無線長だった久保山愛吉さんが亡くなりました。

また、港へ帰りつく漁船のマグロから放射能が検出され、「原爆マグロ」と呼ばれて、四百五十七トンもの魚が捨てられました。国内には放射能の雨がふり、実験の被害は広がっていき、平和なくらしがおびやかされました。

第五福竜丸のエンジンの歴史

その後、第五福竜丸は名前を変えて大学の練習船となり、1967年に廃船、そして船体は、ゴミ埋め立て地である「夢の島」に捨てられていた。埋められんとしている船を見てある青年が1968稔3月の朝日新聞に投書した。「沈めてよいか、第五福竜丸」投書は人々の心を動かし、保存運動が広がって、ついに1979年に東京都立第五福竜丸展示館が開館され船体は保存される事になりました。

一方、エンジンは練習船が廃船になった後も貨物船に取り付けられて使われていましたが、1968年7月に、横浜から神戸への航行中、第五福竜丸の故郷、和歌山県古座町に近い三重県御浜沖で座礁し海に沈んでしまいました。

しかし、このエンジンを第五福竜丸とともに保存したいという市民の熱意により、1996年12月に海底から引き揚げられました。

<関連資料>

事件当時、魚のはらわたを食べた人が健康被害に苦しんだと伝えられており、これは放射性物質が内臓に蓄積されやすいことからおこったものと考えられます。「プランクトンを小魚が食べて、その小魚を大型の魚が食べてという食物連鎖で放射能が魚体内で濃縮される。体内に入って蓄積がすすむと内臓から魚肉のほうへと汚染が移っていくので、3・4月に取れた魚よりも、8月、9月、10月、11月に取れた魚のほうが危なかった。だんだん食べるところに放射能がまわってくる」これは漁民の被害の実態を長年にわたって調査してきた市民団体「高知県太平洋核実験被災支援センター」事務局長の山下正寿氏の談話です。

<東京新聞社説>ビキニ60年「死の灰」は今も、の怖さ

 米国が太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で日本の漁船が「死の灰」を浴びた惨禍から六十年。被ばくした元乗組員や周辺の島民らの苦悩は今も続く。核は許されない、その思いを新たにしたい。

 東京・井の頭線渋谷駅の連絡通路に巨大壁画がある。岡本太郎さんの「明日の神話」。水爆さく裂の瞬間がマグロ漁船「第五福竜丸」とともに描かれた代表作だ。

 「福竜丸」は一九五四年三月一日、中部太平洋のマーシャル諸島で行われた米国の水爆実験で、放射能を含む「死の灰」を浴びた。威力は広島に投下された原爆の約千倍。二十三人の乗組員は全員急性放射線障害を発症し、四十歳だった無線長の久保山愛吉さんが半年後、入院先の東大病院で亡くなった。生き残った多くの人もその後肝臓がんなどで亡くなり、生存する七人も病魔と闘っている。

 水爆実験で被災した日本漁船は福竜丸だけではない。米ソ冷戦下、四八年から五八年まで行われた実験は六十七回に及び、日本政府の調査では少なくとも八百五十六隻の被ばくが判明している。福竜丸の被ばく後も実験を知らない漁船が海域で操業していた。

 しかし、福竜丸が強調される一方で、他の被災漁船の乗組員の被ばくは軽視され、事件は矮小(わいしょう)化された。五五年に米政府が日本政府に支払った慰謝料は、汚染魚の買いとりや廃船費などに充てられたが、乗組員の健康について追跡調査などは行われなかった。

 ビキニ事件は広島、長崎の原爆投下に続く核被害として、核廃絶運動の原点となりながら実態は明らかにされず、九五年に施行された被爆者援護法の対象にもならなかった。一部の被災漁船の乗組員の調査ではがんによる死亡が多発し、内部被ばくによる晩発性の障害に苦しんでいた。

 何の補償も、救済もない。差別や偏見を恐れ、被ばくの事実を語れずに生きてきた。仲間を失い、高齢になって健康調査に協力を申し出た人も出ている。時間との闘いだ。ビキニの被害は今も続く。忘却してはならない。

 死の灰で苦しむのは実験地にされた太平洋の島民も同じだ。米国の進める帰還政策に従う間に甲状腺異常や白血病などが広がった。福島原発事故の被害も過小評価し、同じ轍(てつ)を踏んではならない。

 大切なふるさとを奪い、健康や生活を壊す。生きる権利を蝕(むしば)む核-。この問題とどう向き合うのか。静かに考えてみたい