ドイツ政府が2011年福島第一原発を受けて、ドイツ国内の原発を2022年までに稼動停止、廃炉にする決断をしました。そのときに、メルケル政権が立ち上げた検討委員会が2つありました。一つは、「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」なるドイツ国内の有識者会議を立ち上げました。倫理委員会の構成員は、各分野、業界を代表するような人物・業界ごとに均等に選ばれるのではなく、ドイツ国内で「この人なら」と一目置かれた人物で構成されました。環境大臣経験者、国連環境計画事務局長経験者、大学教授、哲学者、教会大司教、産業別労働組合幹部、など17名で構成されました。
その委員会は「福島で起きた事故は、原子力エネルギーの利用に責任を負いうるのかという問いを、政治的・社会的な議論の中心に改めて提起した。ドイツではそのような事故は起こりえないという確信は消失した。原子力の利用やその終結、代わりとなるエネルギーへの切り替えに関わるどのような決定も、社会による価値決定に基づく。そうした価値付けは、技術的な観点や経済的な観点に先立つものである。」として倫理委員会で議論することの必要性を論じています。
経済的な安さ、エネルギーの必要性なども議論の対象となりましたが、将来にわたる社会的リスクを検討し、核廃棄物処理、再生可能エネルギーの可能性、地球温暖化と化石燃料の問題、自然への急激な負荷をかけない問題、簡単に電力の強制的合理化による節電をしないこと、電力料金の値上げを安直に行わないこと、などなどが検討にあたり課題として議論が進められました。事故を発生させた日本の原発再稼動、民主党政権の政治姿勢、その後の安倍、自民党政権のいい加減さと倫理観のなさは歴然としています。倫理委員会はドイツ社会が原発ゼロを実現できるし、しなければならないと結論付けました。この委員会の提言をメルケル政権は受け入れて脱原発エネルギー政策を決定しました。ドイツ政界、国民の多くが納得して受け入れたとのことです。
一国の政治経済を大きく左右する課題の決定に当たり、経済効率ではなく、あらゆる角度から検討を行い、結論を導き出す姿勢に政治、国民の理解、納得性が得られたのだと思います。安倍、自民党政権の規制委員会への恫喝、圧力がいかに不合理で、非科学的かを物語っています。再稼動ありきの審査姿勢との差は、比較すべきもありません。こんなことをやる国の政治、技術、科学への信認が得られるのでしょうか?
<北海道新聞社説>川内原発審査 独立性を疑わせる判断
原子力規制委員会は、原発再稼働の前提となる新規制基準への適合審査で、九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)を優先することを決めた。審査を通過すれば、地元の同意手続きを経て、川内が新基準に基づいて再稼働する最初の原発となる可能性が高い。
田中俊一委員長は優先する理由として、地震、津波対策などを「一応クリアできた」と述べた。川内の準備が進んでいるとしても、この判断には、再稼働への突破口を開きたい政府の意向に配慮したとの疑念が拭えない。北電が泊原発停止による経営悪化を理由に電気料金再値上げの方針を表明したことを受け、茂木敏充経済産業相は先月、規制委に審査の見通しを示すよう求めた。
当初、審査の優先順位は付けないとしていた規制委が方針転換したのは、その直後だ。
規制委の使命は独立性を貫き、科学、技術の見地から厳格な審査に徹することである。政府や電力業界にわずかでもすり寄ったと疑われれば、再出発した原子力規制行政への国民の信頼は得られない。審査の長期化に業を煮やし、規制委への圧力を強める政府・与党の姿勢も目に余る。福島第1原発の教訓を踏まえれば、規制委が慎重に事を進めるのは当然だ。
事故後も意識を変えず、地震や津波の想定規模の引き上げに応じようとしなかった電力各社の対応こそ、予想以上に審査を長引かせた要因ではないか。
政府は、新基準に適合した原発の再稼働を進め、地元の説得にも努めるという。だが、規制委の審査に合格しても、安全が保証されるわけではない。何より問題なのは、住民の安全対策が軽視されている点だ。 災害対策重点区域の半径30キロ圏内の自治体で、避難計画を策定したのは半数に満たない。計画はあっても、高齢者、病人、子供といった災害弱者の保護、渋滞対策など課題が山積している。
重大事故は起こり得る。机上のプランにすぎぬ避難計画しかないのに、再稼働を認めるとすれば、「安全神話」そのものだ。規制委は積極的に防災対策に関与し、政府も専門的な第三者機関を設けて避難計画の実効性を検証しなければならない。
再稼働の条件はまだまだ整っていない。規制委に筋違いの注文を付ける前に、政府にはやるべきことがある。