“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

原発再稼動に突き進む安倍、自民党政権と規制委員会

2014年03月17日 12時59分43秒 | 臼蔵の呟き

ドイツ政府が2011年福島第一原発を受けて、ドイツ国内の原発を2022年までに稼動停止、廃炉にする決断をしました。そのときに、メルケル政権が立ち上げた検討委員会が2つありました。一つは、「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」なるドイツ国内の有識者会議を立ち上げました。倫理委員会の構成員は、各分野、業界を代表するような人物・業界ごとに均等に選ばれるのではなく、ドイツ国内で「この人なら」と一目置かれた人物で構成されました。環境大臣経験者、国連環境計画事務局長経験者、大学教授、哲学者、教会大司教、産業別労働組合幹部、など17名で構成されました。

その委員会は「福島で起きた事故は、原子力エネルギーの利用に責任を負いうるのかという問いを、政治的・社会的な議論の中心に改めて提起した。ドイツではそのような事故は起こりえないという確信は消失した。原子力の利用やその終結、代わりとなるエネルギーへの切り替えに関わるどのような決定も、社会による価値決定に基づく。そうした価値付けは、技術的な観点や経済的な観点に先立つものである。」として倫理委員会で議論することの必要性を論じています。

経済的な安さ、エネルギーの必要性なども議論の対象となりましたが、将来にわたる社会的リスクを検討し、核廃棄物処理、再生可能エネルギーの可能性、地球温暖化と化石燃料の問題、自然への急激な負荷をかけない問題、簡単に電力の強制的合理化による節電をしないこと、電力料金の値上げを安直に行わないこと、などなどが検討にあたり課題として議論が進められました。事故を発生させた日本の原発再稼動、民主党政権の政治姿勢、その後の安倍、自民党政権のいい加減さと倫理観のなさは歴然としています。倫理委員会はドイツ社会が原発ゼロを実現できるし、しなければならないと結論付けました。この委員会の提言をメルケル政権は受け入れて脱原発エネルギー政策を決定しました。ドイツ政界、国民の多くが納得して受け入れたとのことです。

一国の政治経済を大きく左右する課題の決定に当たり、経済効率ではなく、あらゆる角度から検討を行い、結論を導き出す姿勢に政治、国民の理解、納得性が得られたのだと思います。安倍、自民党政権の規制委員会への恫喝、圧力がいかに不合理で、非科学的かを物語っています。再稼動ありきの審査姿勢との差は、比較すべきもありません。こんなことをやる国の政治、技術、科学への信認が得られるのでしょうか?

<北海道新聞社説>川内原発審査 独立性を疑わせる判断

 原子力規制委員会は、原発再稼働の前提となる新規制基準への適合審査で、九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)を優先することを決めた。審査を通過すれば、地元の同意手続きを経て、川内が新基準に基づいて再稼働する最初の原発となる可能性が高い。

 田中俊一委員長は優先する理由として、地震、津波対策などを「一応クリアできた」と述べた。川内の準備が進んでいるとしても、この判断には、再稼働への突破口を開きたい政府の意向に配慮したとの疑念が拭えない。北電が泊原発停止による経営悪化を理由に電気料金再値上げの方針を表明したことを受け、茂木敏充経済産業相は先月、規制委に審査の見通しを示すよう求めた。

 当初、審査の優先順位は付けないとしていた規制委が方針転換したのは、その直後だ。

 規制委の使命は独立性を貫き、科学、技術の見地から厳格な審査に徹することである。政府や電力業界にわずかでもすり寄ったと疑われれば、再出発した原子力規制行政への国民の信頼は得られない。審査の長期化に業を煮やし、規制委への圧力を強める政府・与党の姿勢も目に余る。福島第1原発の教訓を踏まえれば、規制委が慎重に事を進めるのは当然だ。

 事故後も意識を変えず、地震や津波の想定規模の引き上げに応じようとしなかった電力各社の対応こそ、予想以上に審査を長引かせた要因ではないか。

 政府は、新基準に適合した原発の再稼働を進め、地元の説得にも努めるという。だが、規制委の審査に合格しても、安全が保証されるわけではない。何より問題なのは、住民の安全対策が軽視されている点だ。 災害対策重点区域の半径30キロ圏内の自治体で、避難計画を策定したのは半数に満たない。計画はあっても、高齢者、病人、子供といった災害弱者の保護、渋滞対策など課題が山積している。

 重大事故は起こり得る。机上のプランにすぎぬ避難計画しかないのに、再稼働を認めるとすれば、「安全神話」そのものだ。規制委は積極的に防災対策に関与し、政府も専門的な第三者機関を設けて避難計画の実効性を検証しなければならない。

 再稼働の条件はまだまだ整っていない。規制委に筋違いの注文を付ける前に、政府にはやるべきことがある。


安倍政権と河野談話

2014年03月17日 10時53分53秒 | 臼蔵の呟き

歴史認識、侵略かどうかなど国家としての戦争責任、戦後世界の基本的前提を否定する安倍、自民党右翼議員、維新の会、それに連なる主張者が国内外でまともに相手にされることはありえません。個人的な思想信条の自由といっても、歴史的な事実を意図的に否定、無視して、自説が正しいなどと主張する人物をまともに相手にするくらい世界も甘くはありません。そんなことを政治指導部、政権が行ったら、侵略された国家が外交関係の見直しをすることはあきらかです。ドイツメルケル首相がナチスドイツによるユダヤ人虐殺がなかった。ユダヤ人強制収容所への隔離、大量殺戮はなかったなどと主張すれば、イスラエル、アメリカ、当時の連合国といわれる国家、国家指導者からは徹底的に批判され、ドイツは国際社会から抹殺されかねません。

日本の安倍、自民党極右政権がそれと同じことを繰り返し、主張し、韓国政府、中国政府、両国国民を侮辱するようなことが通用するはずがありません。日本政府の勝手な見解ということを両国政府、国民が容認することも絶対にありえません。安倍、自民党政権、維新の会議員などの主張がいかに正当性のないものか自明のことです。戦後の時間的ない経過、もう良いだろうとの主張がありますが、何千万人、社会基盤を破壊しつくすような行為は消したくても消えるようなことでありません。そのことを自覚して、日本、日本人として謙虚に反省し、二度と再び、侵略戦争をしないと決意し、その具体的な行動を取り続けること意外に道がないことはあきらかです。

そのことと、尖閣列島のような領有権問題で、歴史的な経過を話し合い、主張することはまったく別の政治問題です。まして、領土問題があるから集団的自衛権が必要である。自衛隊が海外で戦闘できるようにすべきだ。などは、論理の逆転であり、常軌を逸した主張です。

<信濃毎日新聞社説>河野談話継承 言葉だけでなく行動を

 安倍晋三首相が、従軍慰安婦に関する1993年の河野洋平官房長官談話を見直さない考えを明言した。河野談話は、慰安婦の募集などで旧日本軍の関与や強制性があったことを認めたものだ。

 安倍政権が談話の根拠となった元慰安婦の証言内容を検証する意向を示したことで、談話の見直し作業を本格化させるのでは、との見方が広がった。首相が昨年12月に靖国神社を参拝して以来、中国や韓国との関係は冷え込む一方だ。オバマ大統領の訪日を決めた米国もいら立ちを募らせている。首相が談話を継承する意向を表明したのは、対外関係への配慮からだろう

急場をしのぐための方便にすることは許されない。対韓、対中外交が目詰まりを起こしたのは、保守的な信条にこだわり続ける首相自身の政治姿勢によるところが大きい。言葉だけで済ませず、実際の行動で関係改善への道筋を付けなくてはならない。

 首相が河野談話に否定的なことは国内外で知られている。第1次政権のときには「強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書を閣議決定した。第2次政権発足前の自民党総裁選では「新たな談話を出すべきだ」と主張している。先月、菅義偉官房長官が談話作成の経緯を調べるチームを政府内に設ける方針を示したことで、あらためて安倍政権の歴史認識が問われることになった。

 敗戦時、日本では多くの公文書が焼かれた。戦争に関わる問題の検証を難しくさせている要因である。しかし、オランダ人女性の強制連行が裏付けられる資料の存在が市民団体によって昨年明らかにされるなど、談話を補強する作業が今も続いている。

 学界や民間の取り組みに対し、政府の姿勢は後ろ向きと言わざるを得ない。本気で検証する考えがあるなら、新たな資料や証言も幅広く考慮するべきだ。

 安倍首相は、河野談話継承と同時に、植民地支配と侵略を認めた95年の村山富市首相談話に関しても、「歴史認識については、歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」と述べた。

 日本の戦後は、日本人だけでなく、アジアの人々に多大な損害と苦痛を与えた反省の上に立つ。何年たとうが風化させてはならない事実だ。謙虚な姿勢で歴史と向き合うことこそが日本外交の立て直しにつながることを、安倍首相は肝に銘じるべきだ。


弱者切捨て社会を是正すること

2014年03月17日 06時59分56秒 | 臼蔵の呟き

安倍、自民党極右政権の本質をうまく表現しているように感じます。社会的弱者、老人、子ども、貧困にあえぐような人々を受け入れ、生きることができる社会をどうしたら作れるのか。社会保障費が財政支出の大半を占め、高齢化に伴い、コストが増加しているとの理屈、宣伝を安倍、自民党、民主党、維新の会が行いますが、長生きできる国家はすばらしい国であり、社会基盤、医療制度、平和の維持、安心安全な治安確保、食料確保などが出来ない限り、実現不可能なことです。その意味では長寿社会、日本人の長寿は誇るべきことです。

安倍、自民党、民主党、維新の会に共通する主張、理屈には法人税率の削減(消費税額に相当する額)、その削減を補填する消費税率の引き上げ(天井知らず)、公共事業の拡大(赤字国債の大半)、防衛費の維持と拡大(10年単位で見れば50兆円)、大手企業、大手金融機関(兆円単位)、東京電力(兆円単位)への財政支援です。これらを考えれば、社会保障費の伸び、額などは突出しているわけではありません。しかも、医療費、年金、介護保険料と1人1人の国民から直接的な徴収、負担を考えれば、彼らの攻撃は余計なお世話だということです。

<毎日新聞メデイア時評>恵泉女学園大教授 武田徹

他者を切る社会は美しい国ではない

 3月11日が近づくと各紙とも東日本大震災の関連記事が増える。毎日新聞も3日より「東日本大震災3年」の特集体制に入った。

 目立っていたのは4日朝刊から始まった大胆な見開き構成のシリーズ記事で、災前・災後の変化を示すために、データを分かりやすく視覚化する「インフォグラフィックス」の手法を用いた。図解技術は海外紙誌にまだ及ばない印象もあったが周辺記事との連動がそれを補った。

 「特集ワイド」では「『災後民主主義』の今」として5日夕刊に翻訳家の池田香代子さんへのインタビューを掲載。避難するかしないか、いずれの選択も尊重したいとエッセーに書いたら「福島に人を帰そうとするのは東電や国を利することだ、お前は『隠れ原発推進派』だ」と非難された。そんな経験を経て池田さんは、災後の不安感、閉塞(へいそく)感の中で、「相手を知る」余裕がなくなり、「相手を切る」社会が作られてしまったと述べる。

 8日朝刊の見開きシリーズは「千葉・茨城・長野県の現状」。記事文中で長野県栄村が取り上げられた。栄村は大震災翌日に震度6強の地震に襲われて壊滅的被害を受ける。人口は戻らず、31ある集落の約半数が限界集落だという。だが、栄村を含め、より長い時間スケールで見てゆけば過疎化が日本の近代化、特に高度成長期を通じて進んできた経緯が見て取れよう。

 4日夕刊「特集ワイド」に登場した政治学者の御厨貴氏は、安倍晋三首相が「災後の不安感に乗じて戦後を終わらせようとしている」と指摘した。確かに安倍政権は憲法解釈の改変などには熱心だが、過疎などの「戦後問題」は解決するより切り捨てて終わりにしそうな構えだ。政権にそれを許す背景には、おそらくは他者の声を聞かずに切りつける社会がある。

 3・11は春闘と重なる。震災記事の一方で紙面に「ベア」の文字が躍るのを久しぶりに見た感があった。かつて池田さんが再話して刊行した「世界がもし100人の村だったら」にならって今の日本を100人の村と見立てたら、アベノミクスの恩恵を果たして何人が受けるのか。

 ベアがアベの裏返しなのは単なる偶然だが、さまざまなことがアベコベになっている。斬り捨てご免の果てに分断された日本が「美しい国」であるはずがない。災後の今を検証するには、3.11前後の東北3県に限らずに広く時間と空間を横断し、識者と協力しつつ報道技術の粋を尽くす必要がある。