今日読売新聞の読者センターと朝日新聞のお客さまセンター(元読者広報)に電話した。
電話の目的は民主党政府の仕分け作業について疑問が生じたからである。私はこれまで民主党政権の無駄な公共事業を仕分けして廃止する政策を基本的に支持してきた。
もともと現在行われてきた公共事業は、日本が高度経済成長を始めた1960年代から、あり余った税収をどう使うかを基準に始まったのが経緯である。経済不況に陥った現在、その公共事業の仕分けをして無駄な公共事業を廃止することを目的にしたのが鳩山内閣の仕分け事業だった。
が、いま鳩山内閣が行っている仕分け事業のうち疑問に思わざる事業があることが今日初めて分かった。それは「圏央道」の建設中止である。私は今ほとんど車を使わないので圏央道が開通しようがしまいが私の利害には全く関係がない。しかし圏央道が首都圏の物流に大きな貢献をするだろうことは間違いないことは理解している。
そのため読売新聞の読者センターと朝日新聞のお客さまセンターに電話をして、鳩山内閣の仕分け作業について各省庁別に調査委員会を作り、仕分け作業の内容について検証すべきだと意見を申し上げた。読売の読者センターは私がかなり厳しい批判を述べた時でも「必ず担当者に伝えます」と言ってくださる。しかし朝日のお客さまセンターはある時期から副部長の小堺が一切私の主張には応じるなと指令を下し、私が意見を申し上げるときには必ず責任を明らかにするため、私の氏名を明らかににするようにしているため今日も私の名前を名乗ったが、たまたま小堺氏の指令をご存じなかった方が電話を受けられ、かなり建設的な意見を申し上げることができた。がちょっと言い漏らしたことがあったので再びその方にお話したいと思いお客さまセンターに電話したが、別の方が電話に出られ、私が氏名を名乗った瞬間「小林さんの意見は聞かないことになっています」と言うなり電話を切られた。やむを得ず朝日新聞の代表番号に電話して「ちゃんと私の話を聞いてくださる方につないでほしい」と申し上げたが、電話をまわされた方はやはり「小林さんの意見はお聞きできません」というなり電話を切られた。
朝日の傲慢さはマスコミ界でも有名だが。とくに船橋洋一が主筆になって以来その傾向に拍車がかかっている。すでに私は船橋が主筆になった時新聞の1面で「ジャーナリズム再興論」なる手前がってな論文に対する批判を朝日に送付しているが、近いうちに私の船橋批判をブログで公開することをお約束する。
なお小堺は、一時「私への電話は代表番号に電話をして私を指名してください」と言ってくれた(読者広報に電話をしても小堺への取り次ぎを小堺が拒否するよう指令していたため)。何度か私は代表電話を通じて小堺と話をしてきたが、ある時期から代表に電話をして小堺に取り次いでほしいと申したが「小堺は移動になりなした」と言われ、しばらく朝日読者広報まだお客さまセンターに改称していなかった時期)への電話は控えてきた。
が、その後どういう件だか忘れたが、読者広報に電話をしたとき小堺が出て、私はびっくりして「小堺さんは移動になったのではないんですか」と聞いたところ、小堺はしゃあしゃあとして「私はっずっと今の職場にいますよ」と言った。私はあきれ果てて「あなたとは話したくない」と電話を切った。
が、どうしても朝日に申し上げたいことがあって今日お客さまセンターに電話をした。最初に出られた方は私の主張をきちんと聞いてくださったが、言い忘れたことをその方に伝えようとしたとき以降のことはすでに書いた。このブログ記事を朝日の首脳陣に読んでいただくべく明日朝日お客さまセンターに申し上げる。ただ読売と違って朝日はあくまでお客さまセンターを通せと言われる可能性が高いので、当然お客さまセンターにこのブログ記事は握りつぶすに決まっているので、その場合の私が取りうる手段を教えてくださる方がいたら応援をお願いしたい。
それはともかく、朝日は政治家や官僚からの批判を受けた時は「言論弾圧」と金切り声をあげて反発し、読者の批判すら封じて、自分たちは一切間違った主張はしていないと勝手に思い込んでいるようだ。朝日は戦時中以上に傲慢になった。
言っておくが、朝日の船橋主筆は「権力の弾圧に屈して誤った報道をした」と反省しているようだが、当時の世論の状況を冷静に分析すると、朝日が権力に抵抗して真実の報道をしていたら、間違いなく読者が朝日を見放し、朝日は倒産していた。そういう状況(そういう世論を形成してきたのが朝日であり、権力に屈してそういう世論を育てたわけではない。そのことをこそ朝日は反省すべきだった)の中でやむなく権力に屈したのが当時の朝日(朝日だけでなく読売や毎日、NHKなどすべてのマスコミも同様だが)だった。それを権力に屈したことだけを反省してしまうと、いかなる主張も正論だと思い込んでしまう。それが今の朝日のスタンスだ。私が「朝日はジャーナリズムとして死滅した」というタイトルでこのブログ記事を投稿した最大の理由である。
電話の目的は民主党政府の仕分け作業について疑問が生じたからである。私はこれまで民主党政権の無駄な公共事業を仕分けして廃止する政策を基本的に支持してきた。
もともと現在行われてきた公共事業は、日本が高度経済成長を始めた1960年代から、あり余った税収をどう使うかを基準に始まったのが経緯である。経済不況に陥った現在、その公共事業の仕分けをして無駄な公共事業を廃止することを目的にしたのが鳩山内閣の仕分け事業だった。
が、いま鳩山内閣が行っている仕分け事業のうち疑問に思わざる事業があることが今日初めて分かった。それは「圏央道」の建設中止である。私は今ほとんど車を使わないので圏央道が開通しようがしまいが私の利害には全く関係がない。しかし圏央道が首都圏の物流に大きな貢献をするだろうことは間違いないことは理解している。
そのため読売新聞の読者センターと朝日新聞のお客さまセンターに電話をして、鳩山内閣の仕分け作業について各省庁別に調査委員会を作り、仕分け作業の内容について検証すべきだと意見を申し上げた。読売の読者センターは私がかなり厳しい批判を述べた時でも「必ず担当者に伝えます」と言ってくださる。しかし朝日のお客さまセンターはある時期から副部長の小堺が一切私の主張には応じるなと指令を下し、私が意見を申し上げるときには必ず責任を明らかにするため、私の氏名を明らかににするようにしているため今日も私の名前を名乗ったが、たまたま小堺氏の指令をご存じなかった方が電話を受けられ、かなり建設的な意見を申し上げることができた。がちょっと言い漏らしたことがあったので再びその方にお話したいと思いお客さまセンターに電話したが、別の方が電話に出られ、私が氏名を名乗った瞬間「小林さんの意見は聞かないことになっています」と言うなり電話を切られた。やむを得ず朝日新聞の代表番号に電話して「ちゃんと私の話を聞いてくださる方につないでほしい」と申し上げたが、電話をまわされた方はやはり「小林さんの意見はお聞きできません」というなり電話を切られた。
朝日の傲慢さはマスコミ界でも有名だが。とくに船橋洋一が主筆になって以来その傾向に拍車がかかっている。すでに私は船橋が主筆になった時新聞の1面で「ジャーナリズム再興論」なる手前がってな論文に対する批判を朝日に送付しているが、近いうちに私の船橋批判をブログで公開することをお約束する。
なお小堺は、一時「私への電話は代表番号に電話をして私を指名してください」と言ってくれた(読者広報に電話をしても小堺への取り次ぎを小堺が拒否するよう指令していたため)。何度か私は代表電話を通じて小堺と話をしてきたが、ある時期から代表に電話をして小堺に取り次いでほしいと申したが「小堺は移動になりなした」と言われ、しばらく朝日読者広報まだお客さまセンターに改称していなかった時期)への電話は控えてきた。
が、その後どういう件だか忘れたが、読者広報に電話をしたとき小堺が出て、私はびっくりして「小堺さんは移動になったのではないんですか」と聞いたところ、小堺はしゃあしゃあとして「私はっずっと今の職場にいますよ」と言った。私はあきれ果てて「あなたとは話したくない」と電話を切った。
が、どうしても朝日に申し上げたいことがあって今日お客さまセンターに電話をした。最初に出られた方は私の主張をきちんと聞いてくださったが、言い忘れたことをその方に伝えようとしたとき以降のことはすでに書いた。このブログ記事を朝日の首脳陣に読んでいただくべく明日朝日お客さまセンターに申し上げる。ただ読売と違って朝日はあくまでお客さまセンターを通せと言われる可能性が高いので、当然お客さまセンターにこのブログ記事は握りつぶすに決まっているので、その場合の私が取りうる手段を教えてくださる方がいたら応援をお願いしたい。
それはともかく、朝日は政治家や官僚からの批判を受けた時は「言論弾圧」と金切り声をあげて反発し、読者の批判すら封じて、自分たちは一切間違った主張はしていないと勝手に思い込んでいるようだ。朝日は戦時中以上に傲慢になった。
言っておくが、朝日の船橋主筆は「権力の弾圧に屈して誤った報道をした」と反省しているようだが、当時の世論の状況を冷静に分析すると、朝日が権力に抵抗して真実の報道をしていたら、間違いなく読者が朝日を見放し、朝日は倒産していた。そういう状況(そういう世論を形成してきたのが朝日であり、権力に屈してそういう世論を育てたわけではない。そのことをこそ朝日は反省すべきだった)の中でやむなく権力に屈したのが当時の朝日(朝日だけでなく読売や毎日、NHKなどすべてのマスコミも同様だが)だった。それを権力に屈したことだけを反省してしまうと、いかなる主張も正論だと思い込んでしまう。それが今の朝日のスタンスだ。私が「朝日はジャーナリズムとして死滅した」というタイトルでこのブログ記事を投稿した最大の理由である。