やはり、韓国の朴大統領が安倍政府による、河野談話作成過程の検証作業を行うということに猛烈な反発を示した。韓国のマスコミや韓国国民がどう反応っするかはまだ明らかではないが、アメリカ在住の韓国人や二世、三世の全米各地での「慰安婦増」建立の動きや、地理教科書の「日本海」の名称問題(韓国での呼び方「東海」との併記)のためのロビー活動の状況を見るとき、米国内での世論の動向が見逃せなくなってきた。
さて河野談話とはどういうものだったのか。
河野洋平氏は宮沢改造内閣の時の官房長官。政府の慰安婦関係調査の結果として、1993年8月4日に発表したものだが、実は閣議決定はされていない。閣議決定はされていないが、宮沢総理の了解のもとに作成・発表されたため、自民党にとってはのど元に刺さったとげとして、今も尾を引きずっている。
河野談話の内容は「慰安所の設置は日本軍が要請し、直接・間接に関与したこと、慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者(日本人・朝鮮人)が主としてこれに当たったが、その場合も甘言、強圧によるなど、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲などが直接これに加担したこともあったこと、慰安婦の生活は強制的な状況の下で痛ましいものであった」(要旨)というもの。
が、この談話の根拠とされた「政府の慰安婦関係調査」なるものの実態は、今も明らかにされていない。昨日のブログで述べたように、当時の日本軍の規律は世界に例を見ないほど厳しく(軍の規律に違反した行為がまったく行われなかったとは言っていない)、日本軍兵士の性犯罪を防ぐために慰安所を設けることを許可したことは可能性としては非常に高いと思う(軍司令部による命令書などの存在は確認されていないようだが)。
私の亡父は中国・天津で終戦直前に招集されたが、鉄砲の撃ち方より「盗みや強姦など、国内でも許されていない犯罪行為をしてはいけない」ということを厳しく命令されたという。「政府の慰安所調査」は、当時の日本軍の規律の厳しさについてもちゃんと調査したのか。自称「元韓国人慰安婦」の「証言」だけ集めて、それを根拠にして強制連行を認めたのではないか、という疑問を持たざるを得ない。
私は、河野談話のうち、前段は明確な証拠としての「軍司令部による命令書」の類が見つからなかったとしても、敗戦後米兵による性犯罪を防止するため日本政府が米兵のための慰安所を設けたという事実からも容易に推測できるし、慰安所の設置は「軍の行為」と認定しても間違いではないと思う。
だが、後段に関しては、私はまったく信用できないと考えている。確かに慰安婦の募集に関して部隊(軍ではない)がそれぞれ独自な方法を考えた結果、売春婦がもともと多かった都市部においては業者に委託した可能性はある。あるいは街中に貼り紙で募集するだけで募集予定数より多くの応募があった可能性すら否定できない。が、売春婦がほとんどいない田舎では、部隊も慰安婦の募集に苦労しただろうことも十分に想像できる。そうした場合、(そんな田舎に慰安婦集めのために業者が出向いたかどうかも疑問だが)部隊の責任者が兵士(おそらく複数)に密かに「強制連行」を指示した可能性も相当程度高いと考えられる。が、そういう田舎に長期にわたり部隊が駐屯していたとも考えにく
いので、慰安所の設置はきわめて短期間だったと考えるのが合理的であろう。
おそらく「政府の調査団」は、ことがそれほど重大な結果を招くとは考えずに、自称「元慰安婦」の「証言」を鵜呑みにして報告書を作り、政府も報告書の内容をきちんと検証せずに「こういう談話を発表すれば、日本政府の誠意」が伝わると、安易に考えたのではないだろうか。少なくとも自称「元慰安婦」が本当に慰安婦であったのか、また「元慰安婦」の慰安婦になる前の生活状態などを詳しく調査していれば、「証言」の矛盾が相当程度、事情聴取の段階で明らかにできていたと思われる。「自虐史観」なるものが、こうして作られていったという一つの事例である。
こうした場合、いつも曖昧なまま「歴史的事実」化してしまうのは、そもそも「全」と「個」についての哲学的思考が儒教にも仏教にも含まれていないことにも起因する。だから「個」の責任が「全」の責任にいつの間にか置き換えられ、その逆に「全」の行為が「個」に責任転化されてしまうといったことがしばしば行われ、その検証がきちんとされないままうやむやにされてしまうのは、西欧人から見れば異様と見えるようだ。河野談話のなかにも「軍の要請」とか「官憲等」という言葉が盛り込まれているが、「軍の要請」という表現をすれば「日本陸軍総司令部」つまり「参謀本部」や「大本営」と解釈されても仕方がないのである。政治家やジャーナリストが、「言葉」に対する論理的意味付けを明確に意識せずに使うと、外交上きわめて不利になることに、政府やジャーナリストは留意してもらいたい。
些細なことと言ってしまえばそれまでだが、NHKの元アナウンサー(理事待遇)で『日本のこれから』などの討論番組の司会をしている三宅民夫氏(現在は顧問)が、ある討論番組で、彼はそれほど意識していなかったのかもしれないが、現行憲法を「平和憲法」と位置付けたことがある。だが、現行憲法を「平和憲法」と位置付けること自体が一種の政治的位置付けであるということを、NHKのふれあいセンターに申し入れたことがあったが、担当者が私のクレームを正確に理解してくれたかどうか…。
そもそも日本の憲法は日本人や日本政府が位置付ける問題ではない。外国の政府や国民がどのように理解しているかが重要で、たとえばアメリカ合衆国憲法の1か条でも日本人は知っているかと自らに問えば、おのずとわかるはずだ。三宅氏は憲法9条を念頭において「平和憲法」という表現を何気なく使ったのかもしれないが、世界のどの国が日本の憲法についてどれだけ理解しているのか、と考えればすぐに分かりそうなものだが…。
たとえば日本政府や日本人の大半が勝手に決めつけているアメリカとの「同盟」関係について日米で世論調査をしたらたちどころに明らかになる。日本では「同盟国」という回答がおそらく90%を超えるだろうが、アメリカでは10%にも満たないのではないか。アメリカ政府やアメリカ人の意識にある間違いない同盟国は、たぶんイギリスだけだと思う。
「言葉」はしばしば世論形成や世論誘導のために、意図的にあたかも事実のように使用されることくらいはジャーナリストはわきまえておくべきである。三宅氏はただの原稿棒読みのアナウンサー出身だから、「言葉」の持つ意味の重要性について無知な部分があったのかもしれないが、少なくとも原稿を書く記者は「言葉」が持つ政治的意味合いを深く理解する必要がある。
そういう点では、新聞記者の場合は活字として残るわけだから、「言葉」の使い分けを組織的に決めている。朝日新聞や毎日新聞は現行憲法をしばしば「平和憲法」と位置付けているが、読売新聞や産経新聞は口が裂けても「平和憲法」とは位置づけていない。朝日新聞と毎日新聞は護憲派新聞であり、読売新聞と産経新聞は改憲派新聞だからである。改憲を党是にしている自民党も「平和憲法」とは位置づけていないのに対し、同じ与党でありながら公明党は「平和憲法」と位置付けている。このように、何気なく使っている言葉が重要な政治的意味合いを持っているということをNHKの記者は強く認識すべきである。
話が多少横道にそれたが、河野談話は言葉の持つ重みをあまり深く認識せず、日本が反省の意を示せば韓国(政府と国民が同一歩調をとることもあれば、食い違うこともある)の反日感情を鎮めることができると思ったのかもしれないが、甘かった。かえって火に油を注ぐ結果になったからだ。
その点、対照的なのは「村山談話」である。河野談話と異なり、正式に閣議決定を経て発表されたものだ。だから、誤解の余地がなく、その後の内閣も常に「村山談話の継承」を表明している。村山談話とは終戦50年に当たる1995年8月15日に当時の村山富市総理(社会党)が発表したものである。この談話が中韓両国をはじめ諸外国から高く評価されたのは「先の大戦で日本が植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことは疑うべくもない歴史的事実であり、痛切な反省の意を表し、心からお詫びの気持ちを表明する」(要旨)とした部分である。
これはすでに歴史的に定着していた先の大戦における世界中の評価であり、村山談話はそれを日本政府として受け入れたことを明確化したという意味合いを持つ。私はこれまで何度も書いてきたが、世界史上最大の戦争犯罪は、アメ
リカ軍による広島・長崎への原爆投下であるという認識を持っている(日本の侵略戦争を肯定しているわけではない)。これはナチス・ドイツによるユダヤ人迫害よりはるかに悪質な戦争犯罪である。その後の米政府の言い訳(戦争の早期終結と米軍兵士の犠牲をこれ以上出さないためという)をもってしても許せる行為ではない。アメリカが。世界史上最大の戦争犯罪を犯したことを認める日はいつ来るのだろうか、と私はアメリカのためにそういう思いを抱いている。
実は、これはあまり知られていないのだが、この村山談話の中に河野談話を継承している部分が入っているのである。その部分については閣議決定する際、自民党閣僚から問題視する声も出たようだが、従軍慰安婦問題が今日のように日韓関係が悪化していなかったということもあって、談話に盛り込まれてしまったといういきさつがある。
そして終戦60年の2005年8月15日には小泉談話が発表されている。この談話も閣議決定を経て当時の小泉純一郎総理が発表したもので、村山談話をいちおう継承したことになってはいる。だが、小泉談話は、戦争の惨禍で命を落とした人への哀悼と不戦の決意表明に続いて、植民地支配と侵略によって諸国民に損害と苦痛を与えたことを認め、謝罪と哀悼の意を表し、二度と戦争を起こさないという決意を表明したにとどめ、河野談話については触れなかった。このとき、小泉総理が村山談話には一部、誤解を招きかねない部分があったことを明確にしていれば、その後の混乱はあるいは回避できたかもしれない。
まだメディアは問題提起していないが、来年は終戦70年の節目の年である。安倍総理が来年の8月15日にどういう談話を出すか、私は危惧している。私が危惧しているのは、安倍総理が村山談話を基本的には継承するだろうが、その中に紛れ込んでいる河野談話についての見直しが盛り込まれるのではないかということである。菅官房長官が河野談話の作成過程の検証作業をすると述べたのは、来年8月15日に多分発表されるであろう「安倍談話」のための布石の狙いが込められていると思われるからである。
そもそも河野談話の作成過程が今さら表面化したのは2月20日に、作成当時の副官房長官だった石原信雄氏が衆院予算委員会で参考人として出席し、河野談話の根拠となった自称「元慰安婦」16人の証言内容について裏付け調査を行っていないことを明らかにしたことによる。なぜ石原・元副官房長官が、この時期にわざわざ衆院予算委員会で河野談話がいい加減な根拠に基づいて発表されたという事実を公表したのか。
私が「平和憲法」という位置付けや、前回のブログでは第2次法制懇の位置付けにこだわったのは、どういう問題に対してジャーナリストは疑問を持つべきかということを言いたかったからである。つまり、なぜこの時期に河野談話の作成過程の検証を「極秘チーム」で行うことを菅官房長官が公表したのか、という疑問をなぜジャーナリストは持たないのかという疑問を私は抱くのだ。
朝日新聞の報道によれば、河野談話について「政権、見直し否定的」としているが、見直す必要がなければ河野談話の作成過程の検証作業をする必要もないわけで、メディアや韓国政府がどう受け止めるかという観測のためのアドバルーンを打ち上げてみた、というのが菅官房長官の記者会見での発言の狙いで
はないだろうか。そう考えるのが、最も自然で、合理的な見方であろう。
安倍総理は信念の強い人である。信念の強さはリーダーに欠かせない重要な要素ではあるが、状況を顧みずに信念を貫く行動をとることがリーダーシップの発揮ではあるまい、という批判は安倍総理の靖国参拝について1月8日に投こうしたブログで書いた。なぜ「同盟国」であるはずのアメリカが安倍総理の靖国参拝に「失望した」のか、理解する能力がなければ、いくら強い信念の持ち主でも日本のリーダーにはふさわしくない。
はっきり言ってアメリカも自国の国益を最重要視する。間違いなくアメリカの同盟国であるイギリスについても、アメリカの国益に反する行動に出ればアメリカは拒絶反応を示す。アメリカにとっては、いま中韓が良好な関係を保ち、韓国が中国の南下政策の防波堤になってくれれば、日本との関係より韓国との関係のほうを重視するのは当り前のことである。こういう国際社会の政治力学をパワー・ポリティックスという。
はっきり言ってしまえば、核拡散防止条約も、核保有の5大国によるパワー・ポリティックスの均衡状態を維持するのが5大国の目的で、だから核廃絶には「YES」と言わないのだ。そういう理解に立って日本が国際社会の中で果たすべき役割は何か、ということを考えないと道を誤ることになる。
そういう視点で今回の河野談話の作成過程を検証する目的は何かと考えれば、安倍総理の狙いが透けて見えてくる。そして河野談話を否定すれば、当然韓国だけでなく、アメリカも反発し、国際社会の非難を浴びる結果になることは必至だ。事実を検証するということは、パワー・ポリティックスが支配する国際社会では、場合によっては日本が孤立状態になることすらありうるということを、われわれ日本人は知っておくべきだろう。
さて河野談話とはどういうものだったのか。
河野洋平氏は宮沢改造内閣の時の官房長官。政府の慰安婦関係調査の結果として、1993年8月4日に発表したものだが、実は閣議決定はされていない。閣議決定はされていないが、宮沢総理の了解のもとに作成・発表されたため、自民党にとってはのど元に刺さったとげとして、今も尾を引きずっている。
河野談話の内容は「慰安所の設置は日本軍が要請し、直接・間接に関与したこと、慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者(日本人・朝鮮人)が主としてこれに当たったが、その場合も甘言、強圧によるなど、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲などが直接これに加担したこともあったこと、慰安婦の生活は強制的な状況の下で痛ましいものであった」(要旨)というもの。
が、この談話の根拠とされた「政府の慰安婦関係調査」なるものの実態は、今も明らかにされていない。昨日のブログで述べたように、当時の日本軍の規律は世界に例を見ないほど厳しく(軍の規律に違反した行為がまったく行われなかったとは言っていない)、日本軍兵士の性犯罪を防ぐために慰安所を設けることを許可したことは可能性としては非常に高いと思う(軍司令部による命令書などの存在は確認されていないようだが)。
私の亡父は中国・天津で終戦直前に招集されたが、鉄砲の撃ち方より「盗みや強姦など、国内でも許されていない犯罪行為をしてはいけない」ということを厳しく命令されたという。「政府の慰安所調査」は、当時の日本軍の規律の厳しさについてもちゃんと調査したのか。自称「元韓国人慰安婦」の「証言」だけ集めて、それを根拠にして強制連行を認めたのではないか、という疑問を持たざるを得ない。
私は、河野談話のうち、前段は明確な証拠としての「軍司令部による命令書」の類が見つからなかったとしても、敗戦後米兵による性犯罪を防止するため日本政府が米兵のための慰安所を設けたという事実からも容易に推測できるし、慰安所の設置は「軍の行為」と認定しても間違いではないと思う。
だが、後段に関しては、私はまったく信用できないと考えている。確かに慰安婦の募集に関して部隊(軍ではない)がそれぞれ独自な方法を考えた結果、売春婦がもともと多かった都市部においては業者に委託した可能性はある。あるいは街中に貼り紙で募集するだけで募集予定数より多くの応募があった可能性すら否定できない。が、売春婦がほとんどいない田舎では、部隊も慰安婦の募集に苦労しただろうことも十分に想像できる。そうした場合、(そんな田舎に慰安婦集めのために業者が出向いたかどうかも疑問だが)部隊の責任者が兵士(おそらく複数)に密かに「強制連行」を指示した可能性も相当程度高いと考えられる。が、そういう田舎に長期にわたり部隊が駐屯していたとも考えにく
いので、慰安所の設置はきわめて短期間だったと考えるのが合理的であろう。
おそらく「政府の調査団」は、ことがそれほど重大な結果を招くとは考えずに、自称「元慰安婦」の「証言」を鵜呑みにして報告書を作り、政府も報告書の内容をきちんと検証せずに「こういう談話を発表すれば、日本政府の誠意」が伝わると、安易に考えたのではないだろうか。少なくとも自称「元慰安婦」が本当に慰安婦であったのか、また「元慰安婦」の慰安婦になる前の生活状態などを詳しく調査していれば、「証言」の矛盾が相当程度、事情聴取の段階で明らかにできていたと思われる。「自虐史観」なるものが、こうして作られていったという一つの事例である。
こうした場合、いつも曖昧なまま「歴史的事実」化してしまうのは、そもそも「全」と「個」についての哲学的思考が儒教にも仏教にも含まれていないことにも起因する。だから「個」の責任が「全」の責任にいつの間にか置き換えられ、その逆に「全」の行為が「個」に責任転化されてしまうといったことがしばしば行われ、その検証がきちんとされないままうやむやにされてしまうのは、西欧人から見れば異様と見えるようだ。河野談話のなかにも「軍の要請」とか「官憲等」という言葉が盛り込まれているが、「軍の要請」という表現をすれば「日本陸軍総司令部」つまり「参謀本部」や「大本営」と解釈されても仕方がないのである。政治家やジャーナリストが、「言葉」に対する論理的意味付けを明確に意識せずに使うと、外交上きわめて不利になることに、政府やジャーナリストは留意してもらいたい。
些細なことと言ってしまえばそれまでだが、NHKの元アナウンサー(理事待遇)で『日本のこれから』などの討論番組の司会をしている三宅民夫氏(現在は顧問)が、ある討論番組で、彼はそれほど意識していなかったのかもしれないが、現行憲法を「平和憲法」と位置付けたことがある。だが、現行憲法を「平和憲法」と位置付けること自体が一種の政治的位置付けであるということを、NHKのふれあいセンターに申し入れたことがあったが、担当者が私のクレームを正確に理解してくれたかどうか…。
そもそも日本の憲法は日本人や日本政府が位置付ける問題ではない。外国の政府や国民がどのように理解しているかが重要で、たとえばアメリカ合衆国憲法の1か条でも日本人は知っているかと自らに問えば、おのずとわかるはずだ。三宅氏は憲法9条を念頭において「平和憲法」という表現を何気なく使ったのかもしれないが、世界のどの国が日本の憲法についてどれだけ理解しているのか、と考えればすぐに分かりそうなものだが…。
たとえば日本政府や日本人の大半が勝手に決めつけているアメリカとの「同盟」関係について日米で世論調査をしたらたちどころに明らかになる。日本では「同盟国」という回答がおそらく90%を超えるだろうが、アメリカでは10%にも満たないのではないか。アメリカ政府やアメリカ人の意識にある間違いない同盟国は、たぶんイギリスだけだと思う。
「言葉」はしばしば世論形成や世論誘導のために、意図的にあたかも事実のように使用されることくらいはジャーナリストはわきまえておくべきである。三宅氏はただの原稿棒読みのアナウンサー出身だから、「言葉」の持つ意味の重要性について無知な部分があったのかもしれないが、少なくとも原稿を書く記者は「言葉」が持つ政治的意味合いを深く理解する必要がある。
そういう点では、新聞記者の場合は活字として残るわけだから、「言葉」の使い分けを組織的に決めている。朝日新聞や毎日新聞は現行憲法をしばしば「平和憲法」と位置付けているが、読売新聞や産経新聞は口が裂けても「平和憲法」とは位置づけていない。朝日新聞と毎日新聞は護憲派新聞であり、読売新聞と産経新聞は改憲派新聞だからである。改憲を党是にしている自民党も「平和憲法」とは位置づけていないのに対し、同じ与党でありながら公明党は「平和憲法」と位置付けている。このように、何気なく使っている言葉が重要な政治的意味合いを持っているということをNHKの記者は強く認識すべきである。
話が多少横道にそれたが、河野談話は言葉の持つ重みをあまり深く認識せず、日本が反省の意を示せば韓国(政府と国民が同一歩調をとることもあれば、食い違うこともある)の反日感情を鎮めることができると思ったのかもしれないが、甘かった。かえって火に油を注ぐ結果になったからだ。
その点、対照的なのは「村山談話」である。河野談話と異なり、正式に閣議決定を経て発表されたものだ。だから、誤解の余地がなく、その後の内閣も常に「村山談話の継承」を表明している。村山談話とは終戦50年に当たる1995年8月15日に当時の村山富市総理(社会党)が発表したものである。この談話が中韓両国をはじめ諸外国から高く評価されたのは「先の大戦で日本が植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことは疑うべくもない歴史的事実であり、痛切な反省の意を表し、心からお詫びの気持ちを表明する」(要旨)とした部分である。
これはすでに歴史的に定着していた先の大戦における世界中の評価であり、村山談話はそれを日本政府として受け入れたことを明確化したという意味合いを持つ。私はこれまで何度も書いてきたが、世界史上最大の戦争犯罪は、アメ
リカ軍による広島・長崎への原爆投下であるという認識を持っている(日本の侵略戦争を肯定しているわけではない)。これはナチス・ドイツによるユダヤ人迫害よりはるかに悪質な戦争犯罪である。その後の米政府の言い訳(戦争の早期終結と米軍兵士の犠牲をこれ以上出さないためという)をもってしても許せる行為ではない。アメリカが。世界史上最大の戦争犯罪を犯したことを認める日はいつ来るのだろうか、と私はアメリカのためにそういう思いを抱いている。
実は、これはあまり知られていないのだが、この村山談話の中に河野談話を継承している部分が入っているのである。その部分については閣議決定する際、自民党閣僚から問題視する声も出たようだが、従軍慰安婦問題が今日のように日韓関係が悪化していなかったということもあって、談話に盛り込まれてしまったといういきさつがある。
そして終戦60年の2005年8月15日には小泉談話が発表されている。この談話も閣議決定を経て当時の小泉純一郎総理が発表したもので、村山談話をいちおう継承したことになってはいる。だが、小泉談話は、戦争の惨禍で命を落とした人への哀悼と不戦の決意表明に続いて、植民地支配と侵略によって諸国民に損害と苦痛を与えたことを認め、謝罪と哀悼の意を表し、二度と戦争を起こさないという決意を表明したにとどめ、河野談話については触れなかった。このとき、小泉総理が村山談話には一部、誤解を招きかねない部分があったことを明確にしていれば、その後の混乱はあるいは回避できたかもしれない。
まだメディアは問題提起していないが、来年は終戦70年の節目の年である。安倍総理が来年の8月15日にどういう談話を出すか、私は危惧している。私が危惧しているのは、安倍総理が村山談話を基本的には継承するだろうが、その中に紛れ込んでいる河野談話についての見直しが盛り込まれるのではないかということである。菅官房長官が河野談話の作成過程の検証作業をすると述べたのは、来年8月15日に多分発表されるであろう「安倍談話」のための布石の狙いが込められていると思われるからである。
そもそも河野談話の作成過程が今さら表面化したのは2月20日に、作成当時の副官房長官だった石原信雄氏が衆院予算委員会で参考人として出席し、河野談話の根拠となった自称「元慰安婦」16人の証言内容について裏付け調査を行っていないことを明らかにしたことによる。なぜ石原・元副官房長官が、この時期にわざわざ衆院予算委員会で河野談話がいい加減な根拠に基づいて発表されたという事実を公表したのか。
私が「平和憲法」という位置付けや、前回のブログでは第2次法制懇の位置付けにこだわったのは、どういう問題に対してジャーナリストは疑問を持つべきかということを言いたかったからである。つまり、なぜこの時期に河野談話の作成過程の検証を「極秘チーム」で行うことを菅官房長官が公表したのか、という疑問をなぜジャーナリストは持たないのかという疑問を私は抱くのだ。
朝日新聞の報道によれば、河野談話について「政権、見直し否定的」としているが、見直す必要がなければ河野談話の作成過程の検証作業をする必要もないわけで、メディアや韓国政府がどう受け止めるかという観測のためのアドバルーンを打ち上げてみた、というのが菅官房長官の記者会見での発言の狙いで
はないだろうか。そう考えるのが、最も自然で、合理的な見方であろう。
安倍総理は信念の強い人である。信念の強さはリーダーに欠かせない重要な要素ではあるが、状況を顧みずに信念を貫く行動をとることがリーダーシップの発揮ではあるまい、という批判は安倍総理の靖国参拝について1月8日に投こうしたブログで書いた。なぜ「同盟国」であるはずのアメリカが安倍総理の靖国参拝に「失望した」のか、理解する能力がなければ、いくら強い信念の持ち主でも日本のリーダーにはふさわしくない。
はっきり言ってアメリカも自国の国益を最重要視する。間違いなくアメリカの同盟国であるイギリスについても、アメリカの国益に反する行動に出ればアメリカは拒絶反応を示す。アメリカにとっては、いま中韓が良好な関係を保ち、韓国が中国の南下政策の防波堤になってくれれば、日本との関係より韓国との関係のほうを重視するのは当り前のことである。こういう国際社会の政治力学をパワー・ポリティックスという。
はっきり言ってしまえば、核拡散防止条約も、核保有の5大国によるパワー・ポリティックスの均衡状態を維持するのが5大国の目的で、だから核廃絶には「YES」と言わないのだ。そういう理解に立って日本が国際社会の中で果たすべき役割は何か、ということを考えないと道を誤ることになる。
そういう視点で今回の河野談話の作成過程を検証する目的は何かと考えれば、安倍総理の狙いが透けて見えてくる。そして河野談話を否定すれば、当然韓国だけでなく、アメリカも反発し、国際社会の非難を浴びる結果になることは必至だ。事実を検証するということは、パワー・ポリティックスが支配する国際社会では、場合によっては日本が孤立状態になることすらありうるということを、われわれ日本人は知っておくべきだろう。