きょうは二つの問題について書く。一つは今週15日に予定されている安保法制の衆院強行採決の結果が意味すること。もう一つはギリシャのユーロ圏離脱問題だ。
安倍独裁政権の足元が揺らぎだした。
7月11,12日の二日間にわたって行われたNHKの世論調査で内閣支持率は大幅に下落する見通しがほぼ明らかになった。実際の数字は今日の『ニュース7』で発表されるが、内閣支持率は前月に比して大幅に低下することが確実のようだ。
大手メディアによる今月の内閣支持率調査はすでに読売新聞と毎日新聞が行い、ともに下落が明らかになっている。ただし、メディアの立ち位置によって支持率は大きく異なり、読売新聞は49%、毎日新聞は24%と差は25ポイントにも上る。朝日新聞は今週末に世論調査を行う予定だが、6月の世論調査ですでに39%への下落が明らかになっており、今月の世論調査ではおそらく30%を割る可能性が予測されている。
NHKの世論調査は通常毎月最初の土日に行われるが、なぜか今月は第2週の週末に行うことにした。NHKによれば、前回の世論調査との間隔が短いということだが、6月の最初の土日は6,7日であり、今月の4,5日との間隔が極端に短いとは言えない。私の推測だが、先週の安保法制を巡る与野党の衆院での攻防が山場を迎えることがすでに明らかになっており、その攻防が世論に与える影響を見越したうえで調査を行うことにしたのではないかと考えられる。このブログはNHKの調査結果が発表される前に投稿したので、私は結果をまだ知らないが、先週の安保法制に対する国民の反対運動の盛り上がり、憲法学者や弁護士の相次ぐ集会での「違憲」発言が世論に与えた影響は無視できず、NHKの世論調査の数字に大きく反映されるだろう。
NHKの報道姿勢は、最近きわめてフェアになってきた。私はメディアの報道姿勢や報道内容について批判することはあっても、支持することはまずない。が、籾井会長の様々な発言や、出家詐欺問題を報道した『クローズアップ現代』でのいわゆる「やらせ」事件に対する視聴者の反発が、NHKの報道姿勢に大きく影響したことは間違いない。視聴者に正面から向き合う姿勢がNHKの報道に反映されだしたのではないかと考えると、そのことは大いに歓迎すべきことだから、あえて書くことにした。
ついでに「やらせ」事件でNHKが行った記者への「3か月停職」という処分は、「自分から辞表を出せば、自己都合による退職金も出せるし、企業年金(NHKの場合、年金の上乗せ部分をどう表現しているかは知らない。公務員の共済年金のようなものだと思う)も権利を失わずに済む」という、公務員の不祥事に対する「肩たたき」と同様の処分であり、実際その記者は「自己都合による退職」をしていることだけ明らかにしておく。この記者への事実上の「解雇」処分は、第3者機関による調査を信じる限り、私は重すぎると思っている。NHKの記者たちがこの処分で取材活動を萎縮してしまうことを私は恐れている。視聴者におもねることで信頼を回復しようとしたことは、メディアが「言論・報道の自由」を自ら放棄することを意味しかねないからだ。
安倍独裁権力は、何によって支えられてきたか。言うまでもなくこれまでの内閣支持率の高さによる。
自民党には総務会という国会議員25人からなる機関がある。党大会、両院議員装荷に次ぐ党の意思決定機関と位置付けられているが、常設の機関としては党内最高意思決定機関である。安倍総理が私的諮問機関「安保法制懇」を設置し、憲法解釈の変更によって「集団的自衛権の行使」を可能にするとした時、当時の総務会長の野田聖子氏が「総務会でまだ議論していない」と安倍総理の独走に待ったをかけようとしたことがあるが、安倍総理が無視、党内での独裁体制を一気に築き上げた。以降総務会は有名無実の「党内最高意思決定機関」と化し、安倍独裁権力が確立した。そんなことが可能になったのは小泉政権以来の内閣支持率の高さが安倍政権を強固にしたためで、党内の反安倍勢力は地下に潜らざるを得なくなった。
が、安倍独裁権力の足元から水が漏れ出した。「安倍チルドレン」と言ってもいい党内若手議員たちが作家の百田尚樹氏を招いて党本部で開催した『文化芸術懇談会』なる「勉強会」での様々な発言が大問題になってしまった。朝日新聞が6月26日付朝刊で小さくこの「勉強会」について報道したが、当日の朝日新聞お客様オフィスには抗議の電話が殺到した。朝日新聞の報道姿勢に対する抗議だった。
朝日新聞は読者からの抗議に直ちに反応した。当日の夕刊で大きく報道し、翌27日にも朝刊1面トップ、『時々刻々』、社説を総動員して「言論・報道の自由」に対する弾圧のための「勉強会」を批判した。野党も国会で安倍総理の責任を追及し始めた。詳しくは6月29日に投稿したブログ『自民「勉強会」と朝日新聞第一報が意味することを考えてみた』で書いたが、この「勉強会」に出席した議員たちへの処分があまりにも甘かったため、党内で総裁責任論が火を噴いた。安倍独裁権力の足元が崩れ出したのはその瞬間からである。私はそのブログでこう書いた。
「議員は国政選挙によって有権者から選ばれた人たちだ。彼らを政治の世界から葬ることができるのは、彼らの選挙区の有権者だけである。が、そういう議員を党から除名しようとしなかった安倍総裁の政治責任は当然問われなければ
ならない」
今年1月2日に投稿したブログ『メディアに「戦後70年」を語る資格があるのか?』ではこう書いた。
「40年2月、民政党・斉藤隆夫議員が衆議院で戦争政策を批判(同議員は3月、議員を除名されたが、メディア自身による検証はない)。
3月、聖戦貫徹議員連盟結成。
9月、日独伊3国同盟成立。
10月、大政翼賛会結成。
12月、情報局官制公布。以降、メディアに対する言論統制が始まる。
本来、日本を占領したGHQは、日本の軍国主義への道を掃き清めた『露払い』役のメディアを解体すべきだった。が。そうしなかった。なぜか。
日本に健全なメディアが残っていたら、おそらく軍部に協力したメディアは一掃されていた。が、メディア自身が自分で自分の首を絞めた結果、メディア自身が自主性を完全に失っていた。メディアは自分自身が生き残るため、操をGHQに売ることにした。GHQにとっても、メディアの『売春行為』は歓迎すべきことだった。占領政策を成功させるためには、メディアの協力が欠かせないからだ」
この日のブログでは書かなかったが、斉藤氏は42年の総選挙で、軍部などによる妨害をはねのけて兵庫県5区から最高点で再当選し、衆院議員に返り咲いている。私がもう少し若かったら斉藤隆夫氏の評伝と、堕落したメディアに比し健全な民主主義を守った兵庫県5区の有権者たちの物語を書きたいのだが、それだけの力と時間が今はない。私はこの個所を涙しながら書いている。
当時の大日本帝国憲法が、国民から選ばれた国会議員を除名する権利を議会に認めていたかどうかは知らないが、おそらく一応民主主義制度を政治システムとして導入していた大日本帝国憲法も、そのような権利を議会に認めてはいなかったと思う。
今日のブログでは「安倍チルドレン」の議員たちの発言内容については繰り返さないが、こうした言論・報道に対して弾圧したいと考える議員をかばった安倍総裁に対して、地下に潜っていた「反安倍派」の議員たちが公然と反旗を翻し始めたことは、様々なメディアが報じだした。
さらに安保法制についても、国民に十分な説明をしていないという世論が圧倒的になり始めた。安倍総理は「審議は十分に尽くした。決めるべき時には決める」と、今週15日に衆院特別委員会採決、16日には本会議での採決を強行する構えを崩していない。大多数の憲法学者や弁護士が「違憲法制」と批判している法制について、国民に信を問わずに採決を強行したらどうなるか。
先の総選挙について、安倍総理は民主党が昨年10月に行うことを当初主張し
ていた消費税再引き上げの延期を争点にしたかったのだが、民主党が消費税の
再引き上げを主張しなかったため、やむを得ず「アベノミクスの継続」を国民に審判してもらうと、苦し紛れの「争点」をでっち上げ、私は当時のブログで「憲政史上最低の投票率になる」と書いた。実際にはしらけきっていた有権者が、選挙直前の世論調査の結果としてメディアが「自民300議席を超える勢い」と報道したため、予想以上の投票率になった(それでも戦後最低の投票率だったが)。しらけきっていた有権者が、結局選択肢がない中で共産党の公認立候補者に投票、共産党が予想外の大躍進を遂げるという結果になったが、自民党は議席をかえって減らす結果になった。
本来、安倍総理はその総選挙で安保法制について国民に信を問うべきだった。が、祖父の岸信介総理(故人)と同様、日米安保条約改定を隠したまま総選挙で勝利し、国民の審判を仰がずに沖縄県民をいけにえとしてアメリカに差し出す安保改定を強行し、国民の猛反発によって退陣を余儀なくされた。
たとえ安倍総理が安保法制を強行採決しても、日米安保改定のときは問われなかった「憲法違反」の訴訟が全国8高裁で一斉に行われ、高裁、最高裁ともに「違憲判決」を下すであろうことは目に見えている。結果、安倍内閣は総辞職か衆院解散に追い込まれ、安倍独裁権力は崩壊する。つまり祖父と同じ道をたどることになり、しかも成立させた安保法制は最高裁によって破棄されることになる。
安倍総理は自分の手で憲法改正への道筋も付けたかったはずだ。私はこれまで何度もブログで書いてきたように、現行憲法は日本が占領下に置かれていた時代に制定されたもので、日本の防衛と日本国民の安全は占領国(連合国、実際にはアメリカ)が責任を持つのが国際法上の常識である。だから憲法制定の可否を採決した国会(帝国議会)で、当時の吉田茂首相は「自衛のための戦力をも持たないというのが憲法9条の趣旨である」と答弁している。
しかしサンフランシスコ講和条約に調印して日本が独立を回復した時点で、日本の防衛と国民の安全に対する責任は日本政府に移った。当然政府は新憲法制定の義務を負い、国会で発議して国民に賛否を問わなければならなかった。が、独立国家としての尊厳を吉田首相は放棄した。当時の日本の国力が、自国と国民の防衛・安全に責任を持てる状態になかったからだ。吉田首相はまず先の大戦で崩壊した経済、特に国内総生産力の回復に全力を挙げざるを得なかった。経済再建優先のために、事実上日本の防衛と日本国民の安全は、アメリカに「おんぶにだっこ」を続けざるを得ないと吉田首相は考えた。サンフランシスコ講和条約調印と同時に吉田首相が日米安全保障条約を独断で結んだのは、そういう事情が背景にあったからだ。
本来他国との安全保障条約は双務的であり、片務的な安全保障条約は相手国
の事実上「属国」になることの承認を意味する。吉田首相が独立国家としての尊厳を回復しなかったのは、当時の日本を取り巻く国際情勢にも原因があった。日本海を隔てた朝鮮では共産勢力と反共産勢力が激しい戦争を行っていた。北朝鮮にはソ連と中国が軍事支援を行っており、南朝鮮(現韓国)にはアメリカが軍事支援を行っていた。その戦果が日本に飛び火する危険性はきわめて高かった。が、日本はその飛び火を自ら防げる国力が当時はなかった。吉田首相が、独立を回復しながら軍事的には事実上アメリカの「属国」状態を続けざるを得ないと考えたのはやむを得なかったと、私も思う。
ただ、吉田首相はそうした事情と日本の現実を国民に誠実に説明し、日本が国力を回復した時点で憲法を改正し、アメリカへの事実上の「属国」状態も解消しなければならない…そのことは日本が国力を回復した時点の政府の責任だと国民に訴えるべきであった。その最低限の政権トップの義務を吉田首相は果たさなかった。そのため「憲法9条の平和神話」が日本国民の間に広く定着してしまった。日本経済復興に果たした吉田首相の功績は確かに大きかったが、独立国としての尊厳の回復を招来の政府に委ねることを国民に約束しなかった「罪」は、これまた計り知れないほど大きかった。
ここ数年、国民の間にも憲法改正すべきとの気運がようやく高まってきた。各メディアの世論調査でも、ごくわずかだが憲法改正賛成派が反対派を上回るようになってきた。だが、大多数の憲法学者や弁護士が「違憲法制」と決めつけている安保法制を安倍総理が強行採決すれば、国民の間にようやく生じてきた憲法改正気運が一気にしぼんでしまう可能性が高くなった。「違憲法制」と決めつけた憲法学者や弁護士たちも、すべてが憲法改正反対派ではない。むしろ憲法改正が先だろう、という思いで安保法制に対して「違憲法制」と決めつけていると考えてもおかしくない。
安倍総理は、憲法改正を優先していたら時間がかかると考えたのかもしれない。が、日本がそれほど存亡の危機という緊急事態を迎えているわけではない。むしろ「世界の警察官」として覇権を確立してきたアメリカが、国力の疲弊によって生じた軍事力の弱体化を、後方から軍事支援することが安保法制を急いだ安倍総理の本当の狙いだ。そうした考え方自体を私は全面的に否定するわけではない。現在の日本の国力と国際社会に占める地位から考えれば、日本は世界、とりわけアジア太平洋地域における安全と平和にそれなりの責任を負うべきだと、私は考えている。が、国際の安全と平和に貢献するためには、現行憲法を改正することが大前提になる。その大前提を無視して「憲法解釈の変更」によってアメリカの軍事支援をするというのは、かえって日本の歴史を逆戻りさせる結果になることは必至である。そのことを政治家もメディアも理解してほしい。
もう一つの重要な問題、ギリシャ問題は日本時間昨夜からきょう未明にかけて行われたユーロ圏首脳会議では決着がつかなかった。ドイツが強硬な姿勢を崩さなかったからだ。
結局、首脳会議で出した結論は、15日までにギリシャが改革案を法制化することを要求するにとどまった。ギリシャのチプラス首相はほぼユーロ圏首脳が突き付けた緊縮政策を受け入れることを表明したが、ユーロ圏首脳会議は「口約束だけでは信用できない」と突っぱねてしまった。
が、緊縮政策の法制化は、チプラス首相にとっては容易ではない。そもそも緊縮政策に反対して首相になり、ユーロ圏首脳が要求する緊縮政策を受け入れるか否かの国民投票(直接民主主義)まで行って放漫政策を続けることをいったん決めたはずだ。チプラス首相としては、ギリシャ国民が民意を示した以上、ユーロ圏各国もギリシャ国民の選択を尊重してくれるだろうと考えたのだろうが、そんな甘い話をユーロ圏が認めるわけがない。
第一、ギリシャ国内では60%を超える国民が緊縮政策に反対した。その民意を否定する提案をユーロ圏に示したチプラス首相への厳しい批判が国内に渦巻いている。ユーロ圏首脳から突き付けられた「15日までに緊縮政策の法制化」という待ったなしの条件を達成するのは容易ではない。
そんなことは不可能だと考えたのだろう、対ギリシャ強硬派のドイツ・メルケル首相は「5年間の一時的ユーロ圏からの離脱」さえ勧告した。ユーロ圏からいったん離脱した場合の復活は認められていないが、言うなら緊急避難措置として例外的に認めようとユーロ圏首脳を説得したようだ。
もはやチプラス首相もギリシャ国民も「ノー天気」を続けられる状況ではなくなった。ギリシャの最大の産業は観光。が、いまのギリシャへの観光旅行をしようという外国人はすでに激減する傾向が表れている。さあ、どうする。ギリシャの国会は15日までに緊縮政策の法制化を認めるのか。それともデフォルトの道を選択するのか。少なくともギリシャは建国以来最大の危機的状況を迎えている。
安倍独裁政権の足元が揺らぎだした。
7月11,12日の二日間にわたって行われたNHKの世論調査で内閣支持率は大幅に下落する見通しがほぼ明らかになった。実際の数字は今日の『ニュース7』で発表されるが、内閣支持率は前月に比して大幅に低下することが確実のようだ。
大手メディアによる今月の内閣支持率調査はすでに読売新聞と毎日新聞が行い、ともに下落が明らかになっている。ただし、メディアの立ち位置によって支持率は大きく異なり、読売新聞は49%、毎日新聞は24%と差は25ポイントにも上る。朝日新聞は今週末に世論調査を行う予定だが、6月の世論調査ですでに39%への下落が明らかになっており、今月の世論調査ではおそらく30%を割る可能性が予測されている。
NHKの世論調査は通常毎月最初の土日に行われるが、なぜか今月は第2週の週末に行うことにした。NHKによれば、前回の世論調査との間隔が短いということだが、6月の最初の土日は6,7日であり、今月の4,5日との間隔が極端に短いとは言えない。私の推測だが、先週の安保法制を巡る与野党の衆院での攻防が山場を迎えることがすでに明らかになっており、その攻防が世論に与える影響を見越したうえで調査を行うことにしたのではないかと考えられる。このブログはNHKの調査結果が発表される前に投稿したので、私は結果をまだ知らないが、先週の安保法制に対する国民の反対運動の盛り上がり、憲法学者や弁護士の相次ぐ集会での「違憲」発言が世論に与えた影響は無視できず、NHKの世論調査の数字に大きく反映されるだろう。
NHKの報道姿勢は、最近きわめてフェアになってきた。私はメディアの報道姿勢や報道内容について批判することはあっても、支持することはまずない。が、籾井会長の様々な発言や、出家詐欺問題を報道した『クローズアップ現代』でのいわゆる「やらせ」事件に対する視聴者の反発が、NHKの報道姿勢に大きく影響したことは間違いない。視聴者に正面から向き合う姿勢がNHKの報道に反映されだしたのではないかと考えると、そのことは大いに歓迎すべきことだから、あえて書くことにした。
ついでに「やらせ」事件でNHKが行った記者への「3か月停職」という処分は、「自分から辞表を出せば、自己都合による退職金も出せるし、企業年金(NHKの場合、年金の上乗せ部分をどう表現しているかは知らない。公務員の共済年金のようなものだと思う)も権利を失わずに済む」という、公務員の不祥事に対する「肩たたき」と同様の処分であり、実際その記者は「自己都合による退職」をしていることだけ明らかにしておく。この記者への事実上の「解雇」処分は、第3者機関による調査を信じる限り、私は重すぎると思っている。NHKの記者たちがこの処分で取材活動を萎縮してしまうことを私は恐れている。視聴者におもねることで信頼を回復しようとしたことは、メディアが「言論・報道の自由」を自ら放棄することを意味しかねないからだ。
安倍独裁権力は、何によって支えられてきたか。言うまでもなくこれまでの内閣支持率の高さによる。
自民党には総務会という国会議員25人からなる機関がある。党大会、両院議員装荷に次ぐ党の意思決定機関と位置付けられているが、常設の機関としては党内最高意思決定機関である。安倍総理が私的諮問機関「安保法制懇」を設置し、憲法解釈の変更によって「集団的自衛権の行使」を可能にするとした時、当時の総務会長の野田聖子氏が「総務会でまだ議論していない」と安倍総理の独走に待ったをかけようとしたことがあるが、安倍総理が無視、党内での独裁体制を一気に築き上げた。以降総務会は有名無実の「党内最高意思決定機関」と化し、安倍独裁権力が確立した。そんなことが可能になったのは小泉政権以来の内閣支持率の高さが安倍政権を強固にしたためで、党内の反安倍勢力は地下に潜らざるを得なくなった。
が、安倍独裁権力の足元から水が漏れ出した。「安倍チルドレン」と言ってもいい党内若手議員たちが作家の百田尚樹氏を招いて党本部で開催した『文化芸術懇談会』なる「勉強会」での様々な発言が大問題になってしまった。朝日新聞が6月26日付朝刊で小さくこの「勉強会」について報道したが、当日の朝日新聞お客様オフィスには抗議の電話が殺到した。朝日新聞の報道姿勢に対する抗議だった。
朝日新聞は読者からの抗議に直ちに反応した。当日の夕刊で大きく報道し、翌27日にも朝刊1面トップ、『時々刻々』、社説を総動員して「言論・報道の自由」に対する弾圧のための「勉強会」を批判した。野党も国会で安倍総理の責任を追及し始めた。詳しくは6月29日に投稿したブログ『自民「勉強会」と朝日新聞第一報が意味することを考えてみた』で書いたが、この「勉強会」に出席した議員たちへの処分があまりにも甘かったため、党内で総裁責任論が火を噴いた。安倍独裁権力の足元が崩れ出したのはその瞬間からである。私はそのブログでこう書いた。
「議員は国政選挙によって有権者から選ばれた人たちだ。彼らを政治の世界から葬ることができるのは、彼らの選挙区の有権者だけである。が、そういう議員を党から除名しようとしなかった安倍総裁の政治責任は当然問われなければ
ならない」
今年1月2日に投稿したブログ『メディアに「戦後70年」を語る資格があるのか?』ではこう書いた。
「40年2月、民政党・斉藤隆夫議員が衆議院で戦争政策を批判(同議員は3月、議員を除名されたが、メディア自身による検証はない)。
3月、聖戦貫徹議員連盟結成。
9月、日独伊3国同盟成立。
10月、大政翼賛会結成。
12月、情報局官制公布。以降、メディアに対する言論統制が始まる。
本来、日本を占領したGHQは、日本の軍国主義への道を掃き清めた『露払い』役のメディアを解体すべきだった。が。そうしなかった。なぜか。
日本に健全なメディアが残っていたら、おそらく軍部に協力したメディアは一掃されていた。が、メディア自身が自分で自分の首を絞めた結果、メディア自身が自主性を完全に失っていた。メディアは自分自身が生き残るため、操をGHQに売ることにした。GHQにとっても、メディアの『売春行為』は歓迎すべきことだった。占領政策を成功させるためには、メディアの協力が欠かせないからだ」
この日のブログでは書かなかったが、斉藤氏は42年の総選挙で、軍部などによる妨害をはねのけて兵庫県5区から最高点で再当選し、衆院議員に返り咲いている。私がもう少し若かったら斉藤隆夫氏の評伝と、堕落したメディアに比し健全な民主主義を守った兵庫県5区の有権者たちの物語を書きたいのだが、それだけの力と時間が今はない。私はこの個所を涙しながら書いている。
当時の大日本帝国憲法が、国民から選ばれた国会議員を除名する権利を議会に認めていたかどうかは知らないが、おそらく一応民主主義制度を政治システムとして導入していた大日本帝国憲法も、そのような権利を議会に認めてはいなかったと思う。
今日のブログでは「安倍チルドレン」の議員たちの発言内容については繰り返さないが、こうした言論・報道に対して弾圧したいと考える議員をかばった安倍総裁に対して、地下に潜っていた「反安倍派」の議員たちが公然と反旗を翻し始めたことは、様々なメディアが報じだした。
さらに安保法制についても、国民に十分な説明をしていないという世論が圧倒的になり始めた。安倍総理は「審議は十分に尽くした。決めるべき時には決める」と、今週15日に衆院特別委員会採決、16日には本会議での採決を強行する構えを崩していない。大多数の憲法学者や弁護士が「違憲法制」と批判している法制について、国民に信を問わずに採決を強行したらどうなるか。
先の総選挙について、安倍総理は民主党が昨年10月に行うことを当初主張し
ていた消費税再引き上げの延期を争点にしたかったのだが、民主党が消費税の
再引き上げを主張しなかったため、やむを得ず「アベノミクスの継続」を国民に審判してもらうと、苦し紛れの「争点」をでっち上げ、私は当時のブログで「憲政史上最低の投票率になる」と書いた。実際にはしらけきっていた有権者が、選挙直前の世論調査の結果としてメディアが「自民300議席を超える勢い」と報道したため、予想以上の投票率になった(それでも戦後最低の投票率だったが)。しらけきっていた有権者が、結局選択肢がない中で共産党の公認立候補者に投票、共産党が予想外の大躍進を遂げるという結果になったが、自民党は議席をかえって減らす結果になった。
本来、安倍総理はその総選挙で安保法制について国民に信を問うべきだった。が、祖父の岸信介総理(故人)と同様、日米安保条約改定を隠したまま総選挙で勝利し、国民の審判を仰がずに沖縄県民をいけにえとしてアメリカに差し出す安保改定を強行し、国民の猛反発によって退陣を余儀なくされた。
たとえ安倍総理が安保法制を強行採決しても、日米安保改定のときは問われなかった「憲法違反」の訴訟が全国8高裁で一斉に行われ、高裁、最高裁ともに「違憲判決」を下すであろうことは目に見えている。結果、安倍内閣は総辞職か衆院解散に追い込まれ、安倍独裁権力は崩壊する。つまり祖父と同じ道をたどることになり、しかも成立させた安保法制は最高裁によって破棄されることになる。
安倍総理は自分の手で憲法改正への道筋も付けたかったはずだ。私はこれまで何度もブログで書いてきたように、現行憲法は日本が占領下に置かれていた時代に制定されたもので、日本の防衛と日本国民の安全は占領国(連合国、実際にはアメリカ)が責任を持つのが国際法上の常識である。だから憲法制定の可否を採決した国会(帝国議会)で、当時の吉田茂首相は「自衛のための戦力をも持たないというのが憲法9条の趣旨である」と答弁している。
しかしサンフランシスコ講和条約に調印して日本が独立を回復した時点で、日本の防衛と国民の安全に対する責任は日本政府に移った。当然政府は新憲法制定の義務を負い、国会で発議して国民に賛否を問わなければならなかった。が、独立国家としての尊厳を吉田首相は放棄した。当時の日本の国力が、自国と国民の防衛・安全に責任を持てる状態になかったからだ。吉田首相はまず先の大戦で崩壊した経済、特に国内総生産力の回復に全力を挙げざるを得なかった。経済再建優先のために、事実上日本の防衛と日本国民の安全は、アメリカに「おんぶにだっこ」を続けざるを得ないと吉田首相は考えた。サンフランシスコ講和条約調印と同時に吉田首相が日米安全保障条約を独断で結んだのは、そういう事情が背景にあったからだ。
本来他国との安全保障条約は双務的であり、片務的な安全保障条約は相手国
の事実上「属国」になることの承認を意味する。吉田首相が独立国家としての尊厳を回復しなかったのは、当時の日本を取り巻く国際情勢にも原因があった。日本海を隔てた朝鮮では共産勢力と反共産勢力が激しい戦争を行っていた。北朝鮮にはソ連と中国が軍事支援を行っており、南朝鮮(現韓国)にはアメリカが軍事支援を行っていた。その戦果が日本に飛び火する危険性はきわめて高かった。が、日本はその飛び火を自ら防げる国力が当時はなかった。吉田首相が、独立を回復しながら軍事的には事実上アメリカの「属国」状態を続けざるを得ないと考えたのはやむを得なかったと、私も思う。
ただ、吉田首相はそうした事情と日本の現実を国民に誠実に説明し、日本が国力を回復した時点で憲法を改正し、アメリカへの事実上の「属国」状態も解消しなければならない…そのことは日本が国力を回復した時点の政府の責任だと国民に訴えるべきであった。その最低限の政権トップの義務を吉田首相は果たさなかった。そのため「憲法9条の平和神話」が日本国民の間に広く定着してしまった。日本経済復興に果たした吉田首相の功績は確かに大きかったが、独立国としての尊厳の回復を招来の政府に委ねることを国民に約束しなかった「罪」は、これまた計り知れないほど大きかった。
ここ数年、国民の間にも憲法改正すべきとの気運がようやく高まってきた。各メディアの世論調査でも、ごくわずかだが憲法改正賛成派が反対派を上回るようになってきた。だが、大多数の憲法学者や弁護士が「違憲法制」と決めつけている安保法制を安倍総理が強行採決すれば、国民の間にようやく生じてきた憲法改正気運が一気にしぼんでしまう可能性が高くなった。「違憲法制」と決めつけた憲法学者や弁護士たちも、すべてが憲法改正反対派ではない。むしろ憲法改正が先だろう、という思いで安保法制に対して「違憲法制」と決めつけていると考えてもおかしくない。
安倍総理は、憲法改正を優先していたら時間がかかると考えたのかもしれない。が、日本がそれほど存亡の危機という緊急事態を迎えているわけではない。むしろ「世界の警察官」として覇権を確立してきたアメリカが、国力の疲弊によって生じた軍事力の弱体化を、後方から軍事支援することが安保法制を急いだ安倍総理の本当の狙いだ。そうした考え方自体を私は全面的に否定するわけではない。現在の日本の国力と国際社会に占める地位から考えれば、日本は世界、とりわけアジア太平洋地域における安全と平和にそれなりの責任を負うべきだと、私は考えている。が、国際の安全と平和に貢献するためには、現行憲法を改正することが大前提になる。その大前提を無視して「憲法解釈の変更」によってアメリカの軍事支援をするというのは、かえって日本の歴史を逆戻りさせる結果になることは必至である。そのことを政治家もメディアも理解してほしい。
もう一つの重要な問題、ギリシャ問題は日本時間昨夜からきょう未明にかけて行われたユーロ圏首脳会議では決着がつかなかった。ドイツが強硬な姿勢を崩さなかったからだ。
結局、首脳会議で出した結論は、15日までにギリシャが改革案を法制化することを要求するにとどまった。ギリシャのチプラス首相はほぼユーロ圏首脳が突き付けた緊縮政策を受け入れることを表明したが、ユーロ圏首脳会議は「口約束だけでは信用できない」と突っぱねてしまった。
が、緊縮政策の法制化は、チプラス首相にとっては容易ではない。そもそも緊縮政策に反対して首相になり、ユーロ圏首脳が要求する緊縮政策を受け入れるか否かの国民投票(直接民主主義)まで行って放漫政策を続けることをいったん決めたはずだ。チプラス首相としては、ギリシャ国民が民意を示した以上、ユーロ圏各国もギリシャ国民の選択を尊重してくれるだろうと考えたのだろうが、そんな甘い話をユーロ圏が認めるわけがない。
第一、ギリシャ国内では60%を超える国民が緊縮政策に反対した。その民意を否定する提案をユーロ圏に示したチプラス首相への厳しい批判が国内に渦巻いている。ユーロ圏首脳から突き付けられた「15日までに緊縮政策の法制化」という待ったなしの条件を達成するのは容易ではない。
そんなことは不可能だと考えたのだろう、対ギリシャ強硬派のドイツ・メルケル首相は「5年間の一時的ユーロ圏からの離脱」さえ勧告した。ユーロ圏からいったん離脱した場合の復活は認められていないが、言うなら緊急避難措置として例外的に認めようとユーロ圏首脳を説得したようだ。
もはやチプラス首相もギリシャ国民も「ノー天気」を続けられる状況ではなくなった。ギリシャの最大の産業は観光。が、いまのギリシャへの観光旅行をしようという外国人はすでに激減する傾向が表れている。さあ、どうする。ギリシャの国会は15日までに緊縮政策の法制化を認めるのか。それともデフォルトの道を選択するのか。少なくともギリシャは建国以来最大の危機的状況を迎えている。