小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

「政治の王道」とは何か。安保法制強行採決の意味を考えてみた。

2015-07-20 08:20:10 | Weblog
「平和の党」を標榜し、これまでは自民党政策の歯止め役を担ってきた公明党
が、とうとう安倍強権政治に屈服した。
 なぜか。
 小選挙区制の下で自民との選挙協力体制が崩壊したら、小選挙区での選挙に勝てなくなるからだ。党利党略が安保法制の衆院協強行採決でも優先された。
 そもそも安倍政権が「憲法解釈の変更による集団的自衛権行使の容認」という戦後の安全保障体制を大きく転換しようとした時、公明党の支持母体である創価学会が異例の反対声明を公表した。が、公明・山口代表が創価学会を押し切って閣議決定に協力した。選挙優先、という公明党の党利党略に創価学会が屈したためだ。
 閣議決定については安倍・高村ラインは公明党案をほぼ丸呑みすることで、公明党は一定の歯止め役を果たした、かに見えた。が、その結果、公明党は安倍強権体制の補完役に転じてしまった。党利党略を優先したことによる、当然と言えば当然すぎる結果でもあった。
 メディアの報道によれば、全国の学会員に大きな動揺が走っているという。「自民党の暴走を止めるために、公明党は連立政権を維持してきた」という言い訳のしらじらしさが、だれの目にも明白になってしまったからだ。次の選挙(国政あるいは地方)から、学会員は自民候補への選挙協力ができなくなった。そのことを山口代表は分かっているのだろうか。学会員が自民候補者への選挙協力を拒めば、当然公明候補に対する自民支援者の選挙協力も期待できなくなる。すでに地方選挙では、公明党候補者が公明党の公認を辞退して無所属で立候補するケースが出てきている。この流れはおそらく大河となるだろう。

 衆院特別委員会で強行採決の際し安倍総理はこう言った。
「残念ながら国民が十分に(安保法制)を理解している状況ではない」
 国民が十分に理解していないのに、なぜ採決を急いだのか。
 総理は法案の審議の目安である100時間をはるかに超える116時間を審議に費やした、と採決の妥当性を訴える。が、安保法制は10本の関連法案からなる。10本の法案の審議に116時間を費やしたということは1本当たりわずか11.6時間しか審議していないことになる。法案の1本ずつについて100時間をかけて審議していれば、合計で1,000時間を費やさなければならない計算になる。小学生にでもできる計算だ。
 自衛隊が専守防衛のためではなく、他国防衛のために実力を行使する集団的自衛権の前提となる「存立危機事態」についてもあいまいなままだ。5月26日の衆院本会議で、安倍政権のおひざ元である自民の政調会長・稲田氏が「典型例」についての説明を求めたが、総理は「典型例をあらかじめ示すことはでき
ないが、国民生活に死活的な影響を生じるか否かを総合的に評価して判断する」
としか答えなかった。
 いったい、安倍総理は今後何十年、何百年も、自分の「判断力」を維持できると思っているのか。そのときの政権が「存立危機事態にある」と判断すれば、日本は戦争への道を突っ走れることになる。そんな安保法制が「合憲」であろbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhている。多くの弁護士たちも全国各地で集会を開き「安保法制の問題」を訴えている。学生たちも全国各地で抗議活動を始めた。国会周辺では連日数万人規模のデモや集会が行われだした。「60年安保改定」時と同じ様相を呈しだした。

 内閣支持率は各メディアの世論調査で軒並み下落し始めた。そうした状況の中で、安倍総理は急きょ、新国立競技場の建設計画を白紙撤回することを発表した。菅官房長官によれば、安倍総理は1か月前から下村文科相に計画の見直しが可能かどうかの検討を指示していたという。下村文科相から「ラクビー・ワールドカップには間に合わないが、東京オリンピックには何とか間に合う」との回答を得て、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委会長であり、日本ラクビーフットボール協会名誉会長である元総理の森氏と会談、森氏の了解を得て計画の白紙撤回を決定したという。
 が、元オリンピック女子マラソン選手として銀・銅メダルに輝いた有森裕子氏がシンポジウムで「オリンピックが皆さんの負の要素のきっかけになるようなことはアスリートの一人として本望ではない」と涙で声を何度も詰まらせながら訴えたり、国民からも「なぜそんなずさんな計画にこだわるのか」といった抗議の声が高まったことを「口実」に、安倍総理は白紙撤回に応じたという。
 国民をバカにするのもいい加減にしろ、と言いたい。
「多くの国民が反対し、アスリートからも見直しの声が出たので白紙撤回することにした」というなら、国民から多くの疑問が寄せられ、憲法学者の大半も「違憲法制だ」と声を上げ、安倍総理自身が「国民が十分に理解している状況ではない」と認め、さらに内閣支持率も大幅に低下する原因となっている安保法制について、なぜ安倍総理は衆院特別委と本会議での強行採決を白紙撤回しようとしないのか。
 舛添・都知事は17日、自身の公式ツイッターで「国立競技場建設計画の白紙撤回は内閣支持率の回復が目的か?」に皮肉たっぷりに総理の「決断」をつぶやいてみせた。

 衆院での安全保障法案が通過した後、安倍総理は「議論の場は参院に移る。良識の府ならではの議論を進めたい」としおらしく語ったが、そんな言葉に騙
されてはならない。
 20日、NHKの『日曜討論』に出演した高村副総裁は衆院特別委での強行採決について、こう弁解した。
「特別委では116時間の長時間の及ぶ議論を行った。しかも野党の委員に特別に配慮して一人当たり7時間も発言時間を割り振った。一方与党委員には一人当たり30分の発言時間しか割り振らなかった。最終段階では野党委員からの質疑が同じことの繰り返しになり、十分に議論は尽くされたと判断した」
 はっきり言えば、野党の委員には言いたいだけ言わせた。が、与党は野党委員の質疑に真摯に答えなかった。与党委員に割り振った発言時間は一人30分だけだったからだ。高村副総裁の弁解は、そういうことを意味する。
 本来、野党委員は簡潔に安保法制の疑問点を追及し、野党委員の何倍もの時間をかけて与党委員は野党委員から出された疑問点に対し、丁寧かつ真摯に答えるのが民主的な討論のやり方ではないか。与党委員には時間がなかったから十分に野党委員の質疑に答えられなかった…などという言い訳が通るなら、発言時間数をもって議決数にすべきだろう。
 さらに毎日新聞は衆院通過直後の17,8日の両日にわたり緊急の全国世論調査を行った。毎日新聞は今月すでに4,5日の両日にも内閣支持率の世論調査を行っており、メディアが月内に2度も世論調査を行うのは異例中の異例だ。毎日新聞の最初の世論調査では内閣支持率は42%だったが、直近の支持率は7ポイント減の35%に低下したという。
 安倍総理が「国民の声に耳を傾けて」新国立競技場計画の白紙撤回を表明したのは17日であり、毎日新聞の世論調査にこの白紙撤回表明がどの程度影響したかは不明だが、少なくとも二日目(18日)の調査にはもろに反映しているはずだ。そのことも含めて毎日新聞の世論調査の結果の意味するところを考えると、内閣支持率低下の歯止めのために行った新国立競技場計画の白紙撤回だったとしたら、安倍さんの目論見は見事空振りに終わったと言えよう。

 参院での与党は、徹底的に低姿勢で望むだろう。できれば60日ルールを使わずに、参院では審議を十分に尽くして今国会会期中での採決に持ち込みたいところだろうが、そんなことが不可能なことは安倍総理も分かりきっているはず
だ。
 野党は衆院での与党の説明の非整合性を、国民に十分理解できるよう明確にし、「あの時、こう言ったではないか。答弁の内容が変わったのはなぜか。国民に十分理解できるよう、論理的整合性のある説明を求める」と追及の手を緩めるべきではない。
 そのうえで、政府が国民に十分理解できる言葉で説明できなかったら、どういう問題点について政府が逃げたかを国民に明らかにしたうえで、堂々と採決の場から退席し、60日ルールを使わざるを得ない状況に政府を追い込め。

 メディアも、感情的にならずに冷静に事態を報道・解説してほしい。
 そもそも現行憲法はGHQによる占領下において制定された。被占領国の防衛と国民の安全は占領国側が責任を持つのが国際法上の常識であり、現行憲法草案(大日本帝国憲法改正草案)を第1次吉田内閣が衆院本会議に提出したのは1946年6月25日である。
 その翌日には早くも憲法9条に対する質問が相次ぎ、日本進歩党の原議員が「自衛権まで放棄するのか」と吉田総理に噛み付いている。この質疑に対し吉田総理は「第二項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります」と明確に自衛権を否定する答弁をしている。
 1951年9月4日、日本がサンフランシスコ講和条約に調印して独立国家としての主権を回復したとき、本来は国の防衛と国民の安全に対する責任は日本政府に移るべきだった。つまり憲法もその時点で改正し、主権国家としての尊厳を回復したものにすべきだった。
 が、日本の独立は日本側の努力によってではなく、朝鮮動乱を契機とする共産勢力のアジア進出を防ぐためという、アメリカの都合によって行われた。日本の経済力・国力はまだ戦後の痛手から回復していず、吉田総理は当面国力の回復に全力を傾けるという方針を継続することにした。日本の国家資産を石炭と鉄鋼の二大産業に重点的に振り向けるという傾斜生産方式を経済再建の最大の柱にした。
 が、日本から米軍が撤退するとなると、日本は丸裸になってしまう。妙齢の女性が素っ裸で夜道を一人で歩いたら、どういう目にあうか。そこで吉田総理は米軍基地をアメリカに提供し、抑止力にしたいと考えた。サンフランシスコ条約調印と同時に日米安全保障条約を独断で締結した。吉田総理は次の政権の担い手として期待をかけていた池田氏(のち総理、故人)をサンフランシスコ講和条約調印の議員団の一員として同行させたが、日米安保条約調印の席からは池田氏を外している。
 この旧安保のポイントを簡単に述べる。
「日本は武装解除されているため固有の自衛権を行使できる有効な手段を持っていない。しかし無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないため、日本は自国防衛のための暫定措置として、日本に対する武力攻撃を阻止するために米軍が日本国内およびその周辺に駐留することを希望する。アメリカは平和と安全のために、自国軍隊を日本国内およびその周辺に維持する意思がある」
 一見、旧安保はアメリカが日本防衛の義務を負っているかのように見えるが、実はそうではなかった。草案の段階では「(日本駐留の米軍は)専ら日本の防衛
を目的とする」という表現で日米が合意していたのだが、米議会が認めず「日
本の安全に寄与する」という表現に変更された。つまり日本駐留の米軍は「日本防衛の義務は負わず」ただ「日本の安全に寄与する」というあいまいなものになってしまった。
 吉田総理が日本の再軍備に着手したのはその翌年52年である。10月に自衛隊の前身となる保安隊を創設し、吉田総理自らが初代長官になった。53年3月には旧ソ連・スターリン書記長が死去し、7月には朝鮮戦争も終結した。極東の危機は差し当たって遠のき、アメリカは日本に日本自身による防衛力の強化を強く求めるようになった。翌54年7月には自衛隊が発足し、防衛庁も発足した。「自衛のための戦力」さえ否定した憲法には手を付けずにだ。だから今でも自衛隊は「軍隊」や「戦力」ではなく、「実力」という国際社会からは認められていない「新定義」を作らざるを得なくなった。現行憲法が抱えている矛盾から、国民もメディアも目を背けてはならない。

 長期政権は必ず腐敗する。吉田総理の最大の功績は、なんといっても傾斜生産方式を導入して日本経済復興の足掛かりを作ったことだが(この経済政策が失敗していたら日本は朝鮮特需にもありつけなかったし、その後の「世界の奇跡」と言われた高度経済成長時代も実現できなかっただろう)、主権を回復したにもかかわらず現行憲法の改正に手を付けなかったことが、日本のその後に大きな禍根を残すことになった。
 とまれ、吉田政権末期には汚職が続発し、延べ7年2か月も政権の座に座り続けた吉田総理自身の傍若無人のふるまいも目立つようになった。政権後半の3年間は支持率が20%台に低迷、ついに独裁権力の座から滑り落ちる結果となった。吉田氏退陣の後を引き継いだ鳩山内閣の時代に、保守・革新の両勢力がそれぞれ合同、いわゆる「55年体制」が生まれた。鳩山内閣は日ソ国交回復、国連加盟を花道に引退、石橋内閣が誕生したが病気で短命内閣になり、そのあとを継いだのが安倍総理の祖父・岸内閣(57年2月25日成立)である。
 岸総理がまず着手したのが安保改定だった。すでに旧安保の対米「従属性」はだれの目にも明らかだった。社会党も「廃棄せよ」と主張したが、岸総理は「対等的な関係に改定したい」と主張した。60年安保改定は、こうした与野党対立のもとで行われたことをメディアもブログ読者も理解していただきたい。
 が、岸内閣のもとで行われた安保改定は「仏作って魂入れず」に終わった。アメリカに一定の日本防衛の責任を負わせることには成功したが、その代償は沖縄県民をいけにえに差し出すことだけで、とうてい「対等的」な関係に改定することはできなかった。現行憲法が、このときも岸総理の足を引っ張ったのである。
 その後池田内閣の時代に日本経済は高度成長を遂げ、ついにはGDP世界2位の地位を占めるに至った。その結果、1980年代に入り、アメリカとの貿易摩擦が激化し、アメリカ国内で「ジャパン・バッシング」の嵐が吹き荒れた。アメリカ国民や米メディアの日本批判の中心は「安保タダ乗り」論だったが、安倍総理はそうした時代があったことをもう忘れたのか。

 岸総理の孫の安倍政権の時代になって、ようやく現行憲法の問題性に多くの国民が気付くようになった。まだ「平和憲法神話」にしがみついている国民も少なくなく、憲法9条が「日本の平和の砦になっている」と主張する人々も少なくない。が、世界の歴史をよく考えてみてほしい。先の不幸な時代に、永世中立宣言をして国際会議で承認された国がいくつかあった。が、他国から侵略を受けなかった国は、国民皆武装で侵略を防いだスイスだけで、他の永世中立国はすべて侵略された。国際会議で、それらの国の永世中立を承認した各国は、永世中立国を防衛する義務があったが、どの国もその責任を果たさなかった。
 いちおう、現在の日米安全保障条約ではアメリカが日本を防衛する義務が盛り込まれているが、実際に日本が侵略を受けた場合、アメリカは自国の国益に反してまで日本のためにアメリカ兵士の血を流してくれるわけではない。そういう意味では安保法制を私は全否定しているわけではない。しかし、安保法制を現行憲法下で実施するのは、はっきり言って無理だ。

 今回の安保法制騒動について、「政治の王道」とはどうあるべきかを考えてみた。この手順はあくまで論理的整合性を追求した結果だ。
 ①日本が独立して主権を回復した時点で、占領下においては日本の防衛義務を負っていたGHQには、その義務がなくなったことを誠実に日本国民に伝えること。
 ②しかし当時の日本の国力では、日本政府には日本の防衛と国民の安全に全責任を負えるだけの国力がなく、沖縄県民をいけにえにして米軍に「おんぶにだっこ」せざるを得なかったことを誠実に国民に説明すること。
 ③いま日本が国際社会に占めている地位にかんがみて、日本は国際とりわけアジア太平洋地域の平和と安全に、それなりの貢献をすべき責任があることについて国民に理解を求めること。
 ④そのうえで憲法を改正して、日本が国際とりわけアジア太平洋地域の平和と安全に貢献できる集団安全保障体制の構築に努力することの理解を国民に求める。――そうした手順を踏むことが政治の王道ではないだろうか。
 が、今回の安保法制の本当の目的を、谷垣幹事長が6月20日、山口県宇部市での講演でとうとう明らかにしてしまった。私はその発言内容を6月22日に投稿したブログで明らかにしたが、もう一度書く。
「日本周辺の安全保障環境は変わってきて、テロのようなものも起きるようになってきた。アメリカは、かつてほど世界のどこにでも目を光らせているという状況ではなくなっており、それを補わなければならない」
 つまり弱体化しつつあるアメリカの「世界の警察官」としての権威を、自衛隊が補完できるようにするというのが、安保法制の真の狙いなのだ。つまりアメリカの「飼い犬」として、アメリカにさらに忠誠を示すというのが安保法制の目的であり、そんな「集団的自衛権行使のための安保法制」が現行憲法下で認められるわけがない。
 私自身は、憲法を改正して、日本が国際とりわけアジア太平洋地域の平和と安全に貢献すべく、アメリカとだけではなくアジア太平洋諸国に働きかけてNATOのような集団安全保障体制の構築に努力すべきだと考えている。でき得れば、その集団安全保障体制に中国や北朝鮮も組み込み、政治体制は異なってもアジア太平洋の諸国が、アジア太平洋の平和と安全を守るために一致して行動をとれるようにすべきだとすら考えている。そういう構想を日本政府が明らかにして韓国や中国にも働きかければ、韓国や中国の日本に対する警戒心はなくなるだろうと思う。