小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

安保法案成立の意味を改めて検証する。② 「砂川判決」は無効だ。

2015-10-05 07:42:56 | Weblog
 9月21日に投稿したブログの続きを書く。先のブログでは「次は集団的自衛権解釈のデタラメさを再度検証する」ことをお約束したが、今回のブログで書き切れるかどうか、いまのところ私にもわからない。
 とりあえず通説では、「集団的自衛権」は1945年6月に作成された国連憲章の第51条(「自衛権」)において初めて明文化された国際法上の権利である、とされている。憲章51条には、こう書かれている(抜粋)。
「国連加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間(※安保理が紛争を解決するまでの間)、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない(※攻撃を受けた国が、自衛のために個別的又は集団的な武力を行使する権利がある)」
 では、国連憲章で初めて国際法上の権利として集団的自衛権が認められたとするならば、集団的自衛権とともに国連憲章で明文化された「個別的自衛権」は、いつ国際法上の権利として認められたのであろうか。こういう、だれもが常識と思い込んでいる些細なことに疑問を持つことが、物事を論理的に解明するきっかけになるのだ。たとえばリンゴの実が木から落ちるのを見て、ニュートンが「万有引力の法則」を発見したという話は、あまりにも出来すぎた寓話だが、私がブログでつねづね「幼児のような素朴な疑問を持つことが物事を論理的に解明するきっかけになる」と書いてきたのはそのためだ。
 かく言う私が、これまで何十回も集団的自衛権問題に取り組みながら、実は「では個別的自衛権はいつ国際法上認められたのか?」という素朴な疑問を持ったのは、つい最近であることを正直に告白する。「素朴な疑問を持つ」ということは、はっきり言ってそれほど容易ではないということの証左でもある。
 なお「集団的自衛権」について、現在のウィキペディア(この2年間、この項目については何回も書き換えられている)ではこう解説している。
「個別的自衛権(自国を防衛する権利)は同憲章成立以前から国際法上承認された国家の権利であったのに対し、集団的自衛権については同憲章成立以前にこれが国際法上承認されていたとする事例・学説は存在しない」
 ホントかね…?
 私はさっそく「個別的自衛権」をキーワードにしてネット検索した。が、肝心のウィキペディアにはこの項目がなかった。私的な勝手解釈は外して、いちおう権威が認められている辞書・辞典(4冊)の個別的自衛権についての解説を引用する。先に引用したウィキペディアの「個別的自衛権は同憲章(※国連憲章)成立以前から国際法上承認された国家の権利であった」という解説が「真っ赤なウソ」であることが明らかになった。ウィキペディアはだれでも書き込むことが出来るが、内容のチェックはきわめて厳しく、「独自研究のおそれがある」とか「出典が全く示されていないか不十分」などの注釈が加えられるケー
スがしばしばある。メディア関係者はそのことを百も承知で、だからあまりウィキペディアを信用していないようだが、それは単にウィキペディアの解説に含まれている、ウィキペディアの編集部ですら見落とすような「ウソ解説」を見抜く力がないだけのことだ。余計な話は置いておくとして、4つの辞典・辞書の「個別的自衛権」の解説を列記する。
●ブリタニカ国際大百科事典…国連憲章上の用語で、武力攻撃を受けた国が、必要かつ相当な程度で防衛のために武力に訴える権利。
●デジタル大辞泉…国連憲章51条で加盟国に認められている自衛権の一つ。自国に対する他国からの武力攻撃に対して、自国を防衛するために必要な武力を行使する国際法上の権利。
●大辞林(第3版)…自国に加えられた侵害に対して国家が行使する防衛の権利。国際法上、国家の基本的権利とされる。
●世界大百科事典…第2次世界大戦後の国際連合憲章(1945年6月締結、同年10月発効)は、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を……慎まなければならない」(2条6項)として、事実上の戦争をも禁止することで戦争の違法化を大きく前進させた。しかし憲章は、加盟国の「個別的自衛権」を承認するとともに新しく「集団的自衛権」を認めたために、自衛権を名目とする武力行使の可能性が広がった面のあることは否定できない。
 上記4辞典・辞書のうち大辞林のみが個別的自衛権を国家の基本的権利とした国際法を具体的に特定していないが、他の3辞典はすべて個別的自衛権を初めて承認した国際法は国連憲章であると断定している。つまり「集団的自衛権」についてのウィキペディアの説明「個別的自衛権(自国を防衛する権利)は同憲章成立以前から国際法上承認された国家の権利(※この説明が嘘っぱち)であった」は、根拠がまったくないデタラメな解説だったのである。
 また同じ筆者が書いたとは思えないが(と言うのは集団的自衛権についての解釈が違うので)、ウィキペディアでは項目によって微妙に違う説明がされている。その項目は「集団的自衛権」と「自衛権」である。
●『集団的自衛権』…ある国家が武力攻撃を受けた場合に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である。(※実はこの解説は2年前とはまったく違う。2年前には1972年政府見解として示された「自国が攻撃を受けていないにもかかわらず、密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、自国が攻撃を受けたと見なして武力行使を行う権利」と解説していた)
●『自衛権』…自国を含む他国に対する侵害(※自国も侵害されることが権利を行使できる要件にしている)を排除するための行為を行う権利を集団的自衛
権といい、自国に対する侵害を排除するための行為を行う権利である個別的自
衛権と区別する。
 では安倍内閣が、安保法制の前提としている「集団的自衛権」とはいかなるものか。まず従来の集団的自衛権の定義と憲法の関係についての政府見解(1972年)を改めて明らかにしておこう。
「集団的自衛権とは自国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある他国が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力をもって阻止する権利で、国際法上わが国も固有の権利として有しているが、我が国の場合憲法の制約によって行使できない」
 というものだった。実は現行憲法を厳密に読めば、集団的自衛権のみならず個別的自衛権すら日本は持てないことになっている。現行憲法は1946年11月3日に公布され、半年後の47年5月3日から施行され、今日に至るまでいっさい改正・修正は行われていない。
 吉田内閣が現行憲法の承認を国会に上程したのは46年6月25日である。この時点ではまだ国会の承認を得ていないので、上程されたのは「憲法改正草案」である。そしていわゆる「平和憲法の象徴」とされている9条も草案に盛り込まれていた。当然日本が他国から攻撃された場合、どうするのかという指摘・疑問が野党から投げかけられた。
 たとえば日本進歩党の原夫次郎議員の「自衛権まで放棄するのか」との質問に対して吉田首相は「(9条)第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります」と答弁している(6月26日)。
 さらに共産党の野坂参三議員が「戦争は侵略戦争と正しい戦争たる防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなしに、侵略戦争放棄とするのが妥当だ」と主張したのに対して、吉田首相は「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくのごときことを認めることは有害であろうと思うのであります。近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実であります」と応じた(6月28日)。
 また社会党の森三樹二議員の「戦争放棄の条文は、将来、国家の存立を危うくしないという保証の見通しがついて初めて設定されるべきものだ」との主張に対して吉田首相は「世界の平和を脅かす国があれば、それは世界の平和に対する冒犯者として、相当の制裁が加えられることになっております」と答弁している(7月9日)。
 但し、吉田内閣が国会に上程した憲法草案が、一言一句修正されずに承認されたわけではない。民主党の芦田均議員が「草案のままだと、いかなる戦力も無条件に保持しないことになってしまう」と異議を唱え、第2項に「前項の目的を達するため」という「但し書き」を付けさせた(いわゆる「芦田修正」)。
 これが憲法9条制定を巡っての与野党の主要な対立点であった。こうしたや
り取りの中で現行憲法が制定されたことを、いまの政治家はすっかり忘れてい
るようだ。大宅壮一氏は「1億総懺悔」なる名言を残したが、現在の日本人は政
治家だけでなくメディアも含め、「1億総健忘症症候群」にかかっているようだ。
 ことのついでに、与党が安保法制の合憲性の根拠としてしばしば強調している「砂川判決」だが、いいとこ取りどころか、こんな呆れた解釈はどうやったら出来るのかと、私はつくづく感心している。もちろん、最大の皮肉を込めてだが…。多少横道にそれるが、「砂川判決」について検証しておこう。

 1957年7月、米軍立川基地の拡張計画に反対した全学連の学生たち数名が基地内に立ち入り、逮捕された。この事件が裁判で争われ、第1審の東京地裁は「安保条約及びそれに基づく米軍の駐留は憲法9条に違反している」として基地に立ち入った学生たちを無罪とした(伊達判決)。この判決に顔色を変えたのがアメリカ政府だった。
 日本は1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約に調印して独立を回復すると同時に、日米安全保障条約(旧安保)を締結した。その翌年2月に「日米行政協定」(1960年6月に改訂された新安保で「日米地位協定」と改称)を結んだ。この協定は世界各国の在留米軍に適用されたため、9月24日に投稿したブログで明らかにしたように、日本政府を除き、主権国家としての矜持を持つ韓国やフィリピンから米軍は撤退を求められ、南シナ海が軍事的空白状態になったため中国が「これ幸い」とばかりに勝手に「自国の領土」と主張し、南沙諸島に軍事基地建設のための埋め立て作業を行ったのである。「地位協定」問題については、この連載ブログではこれ以上立ち入らない。とにかく米軍基地に配属された米兵が犯した犯罪に対する第1次裁判権が、日本にはないことだけ指摘しておく。
 さて「伊達判決」に顔色を変えた米政府は直ちに日本政府に圧力をかけ(具体的には駐日大使のダグラス・マッカーサー2世が藤山愛一郎外相に対して、高裁を経ないで最高裁に跳躍上告を迫ったこと)、また信じがたいことだが田中耕太郎・最高裁長官を大使館に呼びつけ、ウィリアム・レンハート駐日主席公使が米軍基地の合憲性判決を要求したようだ。これら一連の「会談内容」が公文書に残されており、たとえば憲法学者の水島朝穂早大教授は、「司法権の独立を揺るがすもの。ここまで対米追従がされていたかと唖然とする」と呆れかえっている。
 いずれにせよアメリカの監視下で開かれた最高裁は1959年12月16日、伊達判決を取り消した。最高裁が下した判決文の重要な個所を引用しておく。
「憲法9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が
禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍
隊は(日本の)戦力には当たらない。他方で、日米安全保障条約のように高度
な政治性を持つ条約については、一見して極めて明白に違憲無効と認められな
い限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことが出来ない」
 一方、同判決は「自衛権」についてこう述べている。
「わが国が主権国家として持つ固有の自衛権は何ら否定されるものではなく、
わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない」「わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然である」ともした。
 この判決は、明らかに憲法制定時における吉田内閣の「自衛のための戦力保持も9条2項で否定されている」という位置付けを真っ向から否定した判決である。ならば、なぜ最高裁は「現行憲法自体が占領下において制定されたものであり、独立後も存続されたこと自体、政治の怠慢と言わざるを得ない」と憲法改正を要求しなかったのか。要するに、砂川判決はアメリカの言いなりになって苦し紛れの矛盾だらけのものになったとしか言いようがない。だから、そうした矛盾を補完するためか、日本独自の自衛力の保持について憲法上許容されているか否かは明らかにできなかった。そして「(憲法が)その保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使うる戦力をいう」とした。つまり自衛隊は「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使うる戦力」ではないという、世界史上類例を見ない位置付けをしたのだ。
 この砂川判決の結果、自衛隊はどういう位置付けの存在になったか。
 自衛隊は、自衛のための必要最小限の「実力」であり、憲法9条が禁じた「戦力」には該当しないという、これまた世界史上類例のない定義が定着することになった。自衛隊が「戦力」でないなら、自衛隊が保有する自衛手段である武器・弾薬類は、いざというときに日本を防衛できない「竹光」でしかないことを意味する。つまり自衛隊が保有する武器・弾薬は、見かけ上敵を撃退するためのもののように見えるが、実態は「紙鉄砲」や「紙玉」でしかないことを意味する。幕末、徳川幕府が米艦隊の来襲に備え、鐘を逆さに並べて大砲に見せかけたようなものだ。論理的には、そうとしか解釈のしようがない。
 なぜ「砂川判決」は、「自衛のための最低限の戦力を保持できるように、現行憲法を改正すべきだ」という9条の根幹にかかわる判断を示せなかったのか。日本が再独立を果たした時に、経済力回復を最優先して、主権国家としての最低の義務である「自衛力の保持」を認める新憲法を制定しなかった吉田内閣の国家的犯罪に匹敵するほどの、「砂川判決」は国家犯罪的判決だった。

 このように「砂川判決」の経緯を検証すれば、安倍内閣の「憲法解釈の変更
によって集団的自衛権行使を可能にする」という目論見が、論理的には完全に破たんしていることが誰の目にも明らかになるだろう。にもかかわらず、なぜ安倍総理は無理を承知で「集団的自衛権の行使」にこだわるのか。憲法学者や弁護士の大半が「違憲」と判断しており、違憲訴訟が全国で一斉に起きることは間違いないが、安倍総理が目指している集団的自衛権行使は現行憲法下では「違憲」ということであって、憲法学者や弁護士たちが必ずしも「護憲勢力」とは言えない。かく言う私も「護憲派」ではないし、国際社会に占めている日本の地位に伴う責任(国際、とりわけアジア太平洋地域の平和と安全の維持のために行うべき貢献)まで否定しているわけではない。(続く)

※実は週刊誌の4ページ特集記事の本文文字数(実数)は約5000字である。これが、読者に耐えられる文字数の限界のようだ。このブログはすでに文字数(実数)が6200字を超えた。中途半端になったが、これ以上長文のブログの閲覧を読者に強いるのは、私としては心苦しい。続きは来週の月曜日(12日)に投稿する。