かなり長期にわたって体調を崩し、ブログを休んでいましたが、まだ完全ではありませんがかなり健康を回復してきたのでブログを再開することにしました。ただ、まだ長文のブログは無理なので、コラムに毛が生えた程度の文字数に抑えようと思っています。
再開第1回のブログは、やはり今国会やメディアで大問題になっている加計学園問題を取り上げることにする。
「権力は必ず腐敗する」とは言い古された格言だが、今まさに日本でそういう事態が現在進行形の真っ最中と言っても過言ではないだろう。
なぜ権力は腐敗するのか。
今年の流行語大賞の有力候補と目されている、「忖度」が機能するからではないだろうか。安倍総理が直接「腹心の友」である加計孝太郎氏のために「一強」と言われる権力を行使したのかどうかはわからない。私自身は、安倍総理がそんなリスクを冒すほどのバカではないと思っている。
だが、安倍総理と加計氏の関係は官邸では早くから知れ渡っていたようだ。総理夫人の昭恵氏が二人の親しさをうかがわせる写真をSNSで明らかにし「男たちの悪巧み!」などという冗談交じりのコメントを付けたくらいだから、官邸が「安倍総理の加計氏に対する心情」を忖度しただろうことは想像に難くない。
文科省の前川前事務次官が暴露した加計学園の獣医学部新設認可の経緯は、もう疑う余地もないほど明らかになっている。にもかかわらず、官邸も文科省も「臭いものにふたをする」ことに躍起になっている。「一強」である安倍総理に対して忖度することに官邸も文科省の官僚も必死なのだ。
メディアまでもが、官邸に媚びている。言うまでもなく読売新聞のことだ。たとえば前川氏が収賄などの犯罪を犯したのであれば、紙面のかなりのスペースを割いて報道するのは当然だ。が、確かにほめられたことではないが、前川氏が出会い系パブなる場所にたびたび足を運んでいたことが、1面ででかでかと報道するような出来事なのだろうか。
ただ読売の場合は安倍総理に対して忖度したのではないだろう。まして加計氏に対して忖度を働かせる必要などまったくない。
そもそも日本最大の発行部数を誇る読売にとって、永遠に恥部として語られることになるだろうようなスキャンダル記事(前川氏にとってではなく、読売新聞にとっての)を掲載したのは、別の人に対する忖度が働いたのだと思う。
メディアとしての良心も誇りも捨てて読売が忖度した相手は、言うまでもなく「主筆」の椅子にしがみついている通称「ナベツネ」、その人ではないか。逆に言えば、官邸はだれに頼めば前川氏の出会い系パブ通いをスキャンダル記事(この場合は前川氏にとっての)をスクープ扱いで紙面を飾らせることができるかをよく知っていたからに他ならない。
読売新聞は5月3日の憲法記念日に安倍総理の改憲構想インタビューを大スクープ扱いで掲載した。国会で安倍総理が「私の考えは読売新聞を読んでもらえばいい」と大見得を切り、野党から「新聞を読めというのか」とひんしゅくを買った。実は憲法記念日当日、安倍総理は日本会議が主催した集会にビデオメッセージを寄せている。内容は読売が掲載したインタビュー記事と同じだったようだ。
なぜ肉声によるビデオメッセージではなく読売新聞のインタビュー記事のほうを安倍総理は持ち出したのか。新聞の活字になる前に、インタビュー記事を念入りにチェックしていたからに他ならない。つまり読売はインタビュー記事を原稿の段階で安倍総理にチェックさせていたことになる。新聞社にとっては自殺行為ともいえることだ。
新聞や雑誌、週刊誌には「記事広告」がある。原稿は広告主が用意する場合もあれば、記者が取材して原稿を書いて広告主にチェックしてもらうケースもある。その場合、必ず紙面の欄外に「広告」であることを表示しなければならない。
読売新聞の総理インタビューは、官邸から金はもらっていなかったかもしれないが、事実上「記事広告」と同じ扱いをしたことを意味する。
そこまで安倍総理や官邸にべったりになったのは、読売新聞自体が政界と同じく「一強」体制になっているからに他ならない。
憲法記念日に掲載したインタビュー記事も、何とか安倍政権が続いているうちに憲法を改正し、自衛隊の合憲化を実現したいというナベツネの執念が実現したからと考えてよいだろう。
森友学園問題に続いて紛糾した加計学園問題によって生じかねない安倍「一強」体制の崩壊を何が何でも防ごうという官邸の忖度、さらに官僚の人事権を持つ官邸の意向に逆らえない文科省官僚の忖度と、安倍「一強」体制が続いている間に自衛隊の合憲化を後押ししようというナベツネに対する読売新聞社首脳部の忖度が働いた結果が加計学園問題の混乱を招いたといってよかろう。
権力は必ず腐敗するーー言い古された格言はこうして実証されようとしている。
再開第1回のブログは、やはり今国会やメディアで大問題になっている加計学園問題を取り上げることにする。
「権力は必ず腐敗する」とは言い古された格言だが、今まさに日本でそういう事態が現在進行形の真っ最中と言っても過言ではないだろう。
なぜ権力は腐敗するのか。
今年の流行語大賞の有力候補と目されている、「忖度」が機能するからではないだろうか。安倍総理が直接「腹心の友」である加計孝太郎氏のために「一強」と言われる権力を行使したのかどうかはわからない。私自身は、安倍総理がそんなリスクを冒すほどのバカではないと思っている。
だが、安倍総理と加計氏の関係は官邸では早くから知れ渡っていたようだ。総理夫人の昭恵氏が二人の親しさをうかがわせる写真をSNSで明らかにし「男たちの悪巧み!」などという冗談交じりのコメントを付けたくらいだから、官邸が「安倍総理の加計氏に対する心情」を忖度しただろうことは想像に難くない。
文科省の前川前事務次官が暴露した加計学園の獣医学部新設認可の経緯は、もう疑う余地もないほど明らかになっている。にもかかわらず、官邸も文科省も「臭いものにふたをする」ことに躍起になっている。「一強」である安倍総理に対して忖度することに官邸も文科省の官僚も必死なのだ。
メディアまでもが、官邸に媚びている。言うまでもなく読売新聞のことだ。たとえば前川氏が収賄などの犯罪を犯したのであれば、紙面のかなりのスペースを割いて報道するのは当然だ。が、確かにほめられたことではないが、前川氏が出会い系パブなる場所にたびたび足を運んでいたことが、1面ででかでかと報道するような出来事なのだろうか。
ただ読売の場合は安倍総理に対して忖度したのではないだろう。まして加計氏に対して忖度を働かせる必要などまったくない。
そもそも日本最大の発行部数を誇る読売にとって、永遠に恥部として語られることになるだろうようなスキャンダル記事(前川氏にとってではなく、読売新聞にとっての)を掲載したのは、別の人に対する忖度が働いたのだと思う。
メディアとしての良心も誇りも捨てて読売が忖度した相手は、言うまでもなく「主筆」の椅子にしがみついている通称「ナベツネ」、その人ではないか。逆に言えば、官邸はだれに頼めば前川氏の出会い系パブ通いをスキャンダル記事(この場合は前川氏にとっての)をスクープ扱いで紙面を飾らせることができるかをよく知っていたからに他ならない。
読売新聞は5月3日の憲法記念日に安倍総理の改憲構想インタビューを大スクープ扱いで掲載した。国会で安倍総理が「私の考えは読売新聞を読んでもらえばいい」と大見得を切り、野党から「新聞を読めというのか」とひんしゅくを買った。実は憲法記念日当日、安倍総理は日本会議が主催した集会にビデオメッセージを寄せている。内容は読売が掲載したインタビュー記事と同じだったようだ。
なぜ肉声によるビデオメッセージではなく読売新聞のインタビュー記事のほうを安倍総理は持ち出したのか。新聞の活字になる前に、インタビュー記事を念入りにチェックしていたからに他ならない。つまり読売はインタビュー記事を原稿の段階で安倍総理にチェックさせていたことになる。新聞社にとっては自殺行為ともいえることだ。
新聞や雑誌、週刊誌には「記事広告」がある。原稿は広告主が用意する場合もあれば、記者が取材して原稿を書いて広告主にチェックしてもらうケースもある。その場合、必ず紙面の欄外に「広告」であることを表示しなければならない。
読売新聞の総理インタビューは、官邸から金はもらっていなかったかもしれないが、事実上「記事広告」と同じ扱いをしたことを意味する。
そこまで安倍総理や官邸にべったりになったのは、読売新聞自体が政界と同じく「一強」体制になっているからに他ならない。
憲法記念日に掲載したインタビュー記事も、何とか安倍政権が続いているうちに憲法を改正し、自衛隊の合憲化を実現したいというナベツネの執念が実現したからと考えてよいだろう。
森友学園問題に続いて紛糾した加計学園問題によって生じかねない安倍「一強」体制の崩壊を何が何でも防ごうという官邸の忖度、さらに官僚の人事権を持つ官邸の意向に逆らえない文科省官僚の忖度と、安倍「一強」体制が続いている間に自衛隊の合憲化を後押ししようというナベツネに対する読売新聞社首脳部の忖度が働いた結果が加計学園問題の混乱を招いたといってよかろう。
権力は必ず腐敗するーー言い古された格言はこうして実証されようとしている。