小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

「こんな人たち」を落選させた東京都民の良識とは…。

2017-07-07 11:53:51 | Weblog
 日本中に激震が走った7月2日の東京都議選。いまだに政界には余震が頻発しており、民放のニュースショー(「ワイドショー」という方もいるが、昔の芸能スキャンダル中心だった番組とは明らかに異なるので、私はニュースショーと定義している)も都知事選余波の話題にかなりの時間を割いている。
 いったい、都知事選での「想定外」ともいえる自民大敗(これまでの最低議席数38を大幅に下回る23議席に終わった)、都民ファーストの会への圧倒的な支持(都民フの公認候補50人中49人が当選するという奇跡的大勝利)の要因はなんだったのか。自民内部でも大敗の要因について見解が様々に分かれている。
 とりあえず安倍政権中枢は「トカゲのしっぽ切り」に必死だ。トカゲとは秘書に対する暴言・暴行スキャンダルを起こした豊田議員のこと。が、これほど都民を愚弄した「総括」はない。ま、風前の灯と化しつつある「安倍一強」体制の維持を図るためのなりふり構わぬ言い訳として豊田議員に責任をなすりつけることにしたのだろうが、都議選とは全然関係がない一地方選出の無名国会議員のスキャンダルで都民が自民離れをしたなどということはあり得ない。
 自民内部の「反安倍派」は、「なぜ負けたのか、真剣に総括しなければいけない」とは言うものの、具体的に自民大敗の要因については何も語っていない。安倍総裁自身は「緩みを指摘されており、反省しなければならない」とは言うが、「おごり」には反省の目が向いていないようだ。自分自身が選挙活動最終日の秋葉原での選挙演説で、「安倍やめろ」と叫ぶ都民に向かって「こんな人たちに負けるわけにはいかない」とマイクに向かった叫ぶ感覚そのものが、自らの「おごり」の表れであることに気付いていないようだから、もはやアベさんに向かって何を言っても「馬の耳に念仏」だろう。
 私は3日に投稿したブログ『都議選で小池旋風が吹きまくった本当の理由』で、「風」と「動線」の関係について書いた。故・哲学的評論家の山本七平氏は『「空気」の研究』で日本人の精神構造について卓見を書いたが、私の私見は山本氏の分析とは多少違う。
 別にあえて違いを強調する必要もないのだが、山本氏が「発見」した「空気」は、言うなら「安倍一強体制」を作り出した自民党内に生じた議員心理の解析であり、「物言えば、唇寒し」のような「空気」が作用する「限定された閉鎖的空間」内で作用する心理的要素である。「その場の空気を読む」とか「読めない人」などという言い方があるが、それは「限定された空間」の中でのみ作用する心理的圧力を意味しているからである。
この「空気」は具体的には、安倍一強体制の中枢を形成していた人たちが、自民の党則を改定して総裁任期を3期9年まで認めようと動いた時に自民党議員の心理に作用した要因だった(肝心の安倍総裁自身は自分の任期延長について何も語っていなかった)。が、党大会で党則改定が承認されるや、安倍総裁は自分の任期が21年9月まで伸びるということを前提に「自分の任期中である20年に憲法を改正する」と言い出した。「アベに逆らう者はいない」というおごりを生み出したのが、この時期に自民党内に働いていた「空気」である。
 私は選挙のような「限定」されない「空間」の大衆心理に作用する要因として「風」と「動線」という概念を考えた。この「限定されない空間」は「物言っても、唇寒からず」の空間であり、選挙で想定外の結果を生むことがなぜ生じるのかを考えた末にたどり着いた結論である。
 
 では都議選で自民大敗、都民フ圧勝の結果を生んだ「風」はなんだったのか。
 そもそも風が吹き始める予兆は安倍政権が誕生した1年半後にはあった。憲法解釈の変更により集団的自衛権行使を可能にする「安保法制」の強行採決が、最初に吹いた「風」だった。その時、内閣支持率は一時的に低落し、不支持率が支持率を上回ったことがあるが、それは一瞬のつむじ風のようなものに終わった。1,2か月で内閣支持率は回復し、「安倍一強体制」岩盤の基礎が作られた。
 続いて「テロ等準備罪」(共謀法)の強行採決でも、多少かなりの「風」が吹いたが、内閣支持率と不支持率が逆転することはなかった。そうした中で政権中枢におごりが増幅していく。
 その最たるものは、安倍総理が「将来の総理候補」と公言していた稲田防衛相の選挙演説だった。「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてお願いしたい」と、自民党員としての立場を逸脱した発言が物議をかもした。稲田氏は弁護士資格を有する法曹家でもあり、そうした発言が公職選挙法に抵触することを知らなかったなどという言い訳はできない。
 この発言をメディアの記者たちから追求されたが、何度追及されても「誤解を与えかねない発言だったが、真意は自民党員としてのお願いだった」とテープレコーダーを何回も再生するような弁解に終始した。「誤解」という言葉を35回も「オウム返し」した日もあった。政権が直ちに稲田氏を更迭していれば、「そよ風」程度の逆風が(投票1週間前のメディアの世論調査によれば自民と都民フの支持率はかなり拮抗していた)、一気に「ハリケーン」並みの大逆風になることはなかったと思う。その結果、「路地」程度だった動線も一気に「日本最大級の大通り」に広がってしまった。
 実は選挙期間中の風の強弱は毎日少しずつ強まりつつあった。都議選直前に国会を強引に閉会しておいて、閉会翌日に安倍総理自身が異例の記者会見を行い、かつ異例の「反省の弁」を述べた。市場問題を巡って「決められない都知事」と自民都議団から批判を浴びてきた小池氏が、記者会見で「明日、築地に行って謝罪する。そのとき市場問題についてとの方針を明らかにする」と発言したことで、都民が小池氏に抱いていたかもしれない多少の不信感を一気に吹き飛ばし、かえって都民フに対する好感度を増幅させたことも「風」に大きな影響を与えたことは間違いない。安倍総理も自民に対する逆風は感じていたようで、だから「小池戦法」にあやかって記者会見で「印象操作に対する対応に終始し、きちんとした審議が出来なかったことは反省する。いつでも説明責任は果たす」と述べたが、野党側が「では加計学園問題について臨時国会を」との要求を一蹴し、約束を1日もたたずにひっくり返してしまった。
 そうしたことが積み重なって国民の「安倍一強」に対する不信感が増幅しつつあったときに生じたのが、稲田発言問題だった。投票1週間前の世論調査では「投票には行くつもりだが、だれに投票するかはまだ決めていない」という無党派層の動線が一気に形成された瞬間だった。
 民法ニュースショーでは、6日ごろから「それまでは反自民層の受け皿がなかったが、今回は都民フという受け皿があったことが選挙を左右した」と分析する政治評論家矢本政治家が出てきたが、結果的に都民フが受け皿にはなったが、受け皿としての機能を都民フが発揮できるか否かはまだ不明である。
 ただ国政選挙と違って、都議選での都民フは有名人の知名度だよりの候補者選びをしたわけではない。知名度や実績という点では地元に浸透していた現職の自民候補のほうがはるかに有利だったはずだ。都議会議長の要職にあった現職の自民候補すら無名で、政治経験がない都民フ候補が破った。このことは都内全域に都民フへの動線が投票日にはできていたことの証明でもある。

 ようやく国民の「安倍一強」体制に対する不信感の大きさに気付いた政権中枢は、安倍総理がG20サミットへの出席などのために日本を離れている今月10日に閉会中審査に応じることにした。当初、総理が出席しない審査には応じない姿勢を示していた民進党は、自民・竹下国対委員長の「10日の状況を見て(総理の出席について)総合的に判断する」という「から約束」をのんで10日の審査に応じることにした。いちおう前川・前文科省事務次官の参考人招致を自民にのませたということで一本取ったつもりかもしれないが、前川氏だけを招致しても疑惑がもたれている政権中枢の人物がいない席での証言にどんな意味があるのだろうか。結局「聞き置いた」ということで幕引きを図ろうという政権側の思惑通りに事が進むような気がする。野党がそういう姿勢では、国政選挙では無党派層の受け皿には、おそらくなりえない。