小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

いま日本が直面している諸問題(改憲・沖縄・アベノミクス破綻)について、私はこう考えた。

2019-01-21 00:04:47 | Weblog
 あの悪夢のような「国益至上主義」の嵐が再び世界を覆いつつある。
 どの国も、政治の根幹が国益重視にあることは、私も全否定はしない。が、自国の国益のみを考え、他国の国益を無視するような政治は憎悪と対立しか生まない。そのことを私たち人類は、二度にわたる世界大戦から学んだはずではなかったのか。だからこそ人類の英知ともいえる国連憲章を作り、その憲章をベースに国際連合を作り、国連の下で国際間の紛争を回避してきたはずだ。
 もちろん国連の安全保障理事会(安保理)は大きな欠陥を持っている。常任理事国5か国が拒否権を持っているため、核兵器の根絶はほとんど困難という問題だ。現に世界の大多数の国が「核兵器禁止条約」に賛成しているのに、核大国である常任理事国5か国が核不拡散条約で核の独占を図り、世界で唯一の被爆国である日本も、アメリカに同調して核兵器禁止条約に反対している。「日本はアメリカの核の傘で守られているから大丈夫」という幻想を信じ、「自国さえ安心なら他国のことなど知ったこっちゃない」と言わんばかりの姿勢だ。
 が、現実的にはありえないだろうが、もしロシアや中国と日本が抜き差しならない紛争を生じ、日本が核攻撃を受けたらアメリカはロシアあるいは中国を核攻撃するだろうか。絶対に、しない。そこまで日本と道連れになるつもりなど、アメリカ政府は毛頭考えていない。
 だから自民党の一部から非核三原則(もたず・つくらず・もちこませず)のうち「もちこませず」は廃止すべきだなどという議論も出てくる。「もちこませず」を廃止しようというのは、もちろん日本の自衛隊が保有するという意味ではなく、米軍基地に核配備することで日本の抑止力にしようという考えだが、確かに抑止力にはなりうるが、有事の際に米軍が実際に核を使用するかどうかはわからない。おそらく「張り子のトラ」程度の抑止力にしかならないだろう。
 かつては日本も核武装すべきだと真面目に主張した国会議員もいたが、さすがに相手にされなかった。
 もし、日本が核武装したり、米軍基地に核を持ち込ませたりしたら、近隣諸国にとっては重大な脅威になり、日本に対して敵視政策をとるだろうことは、子供でも分かる理屈だ。日本の核武装を唱えたり、核の持ち込みを主張したりする国会議員たちは、近隣諸国が保有する核に対する抑止力として必要だと考えているからだ。
日本だけがそういう発想をしてもいい、と他国は考えてくれるだろうか。日本が核武装したり、核を持ち込ませたりしたら、日本の核が近隣諸国にとって重大な脅威になり、日本の核に対する抑止力として「我が国も核武装しなければ」と考えるにきまっているとは、思わないのか。
だから私は前回のブログで軍事的抑止力には限界があり、最大の抑止力は近隣諸国との平和友好的な関係を構築することだ、と書いたのだ。

ところで日本にとって最大の抑止力とされている「日米同盟」だが、その根幹をなす協定が安倍総理の祖父・岸信介総理が1960年に強行成立させた日米安全保障条約である。が、この条約は日本に有利すぎるという批判がアメリカでは今日でも根強くあり、その批判の根幹をなすのが「アメリカだけが日本防衛の義務を負い、日本はアメリカ防衛の義務を負っていない」という片務性に対する指摘だ。
実は日本政府もそうした批判をかわすため「地位協定」という、米軍には日本の警察権が及ばないという屈辱的な協定も付帯されており、その最大の犠牲になってきたのが沖縄県民であった。しかも日本は米政府から「半従属国」とみられても仕方がない協定によって、米軍兵士の犯罪にも日本の警察権が及ばないというアメリカにとって極めて都合のいい状況を米国民に周知していない。
また沖縄県に集中している米軍基地は、実は日本防衛のためではなく極東地域でのアメリカの覇権を守るための存在である。政府は沖縄に集中している米軍基地について「日本にとって重要な抑止力だ」と主張しているが、沖縄の地政学的状況を考えた場合、沖縄を攻撃する国があるとは到底考えられないし、また沖縄方面を経由して日本本土を攻撃することもあり得ない。実際、過去、沖縄が戦場になったのは南シナ海方面の東南アジア諸国を支配下に置いていた日本軍を撃破して北上を続けた連合軍(実態は米軍)が、日本本土攻撃の最前線基地として沖縄を攻略する必要があったときだけである。
沖縄(旧琉球王国)は、徳川時代に島津藩に侵略されるまで、一度も他国と戦火を交えたことがない。いまさら沖縄県民も日本から独立して琉球国を再建しようとは考えていないだろうが、そうした過去の経緯からとくに沖縄県と県民に対しては、日本政府は格別の配慮を払うべきではないだろうか。具体的には沖縄県を「特別自治県」と指定して観光と自由貿易圏として経済的自立をバックアップするのが、過去から現在に至るまで国策として大きな犠牲を強いてきた沖縄県と県民に対する最大の責務だと思う。
私は過去にもブログで書いたが、安倍総理が従来の内閣法制局による解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にする安保法制を成立させたのは、日米安保条約を双務的な関係に近づけるためだと、私は思っている。それならいっそのこと、自衛隊基地をアメリカの要所に展開して、日本もアメリカを守るという姿勢を鮮明にしたほうがいい。もちろんアメリカには日本と同様の「地位協定」を結ばせる必要がある。「思いやり予算」もちゃんとつけてもらう。
「アメリカの戦争に巻き込まれるではないか」というばかげた批判が出るかもしれないが、アメリカを攻撃する国など世界のどこにもない。北朝鮮だけが依然として挑発的姿勢を崩していないが、本気でアメリカと戦争をするほど馬鹿ではない。そう考えれば、アメリカに展開する自衛隊は世界一安全な部隊ということになる。しかもそうすることによって、日米同盟は完全に双務的な関係になり、日米関係は米英関係より強固な同盟関係になる。日本の自衛隊がアメリカを守るために血を流す用意があることを、米本土やハワイなどへの自衛隊基地展開によって示せば、いまだに根強い「アメリカのために血を流してくれない日本のためにアメリカ人がなぜ血を流さなければならないのか」という批判も米国内から消滅する。こんないいこと尽くめの話は他にないと思うが…。日本の安全保障環境は揺るぎないものになり、ひいては世界平和にも貢献できる。安倍総理はいちやくノーベル平和賞候補の筆頭に躍り出るだろう。
 以上私の提案は、安倍政権の安全保障政策に対する批判でも冗談でも、ましてや嫌味でもない。世界で唯一、世界最強国のアメリカに、アメリカとアメリカ人を守るためにわが日本の自衛隊が血を流す覚悟で駐留することは、日本の国際的地位を格段に高め、韓国からバカにされるようなこともありえなくなる。いま、日本が世界中からなめられていることくらい、さすがに安倍さんもわかっているだろうから…。
 もちろん私の提案が非現実的であることは百も承知だ。アメリカ政府がアメリカ国内に自衛隊基地を作ることを容認するわけがないし、日本も現憲法の下では不可能なことは他人に言われなくてもわかっている。ただ安倍総理が「憲法改正の目的は、我が国もアメリカを守るために血を流す覚悟があることを国際社会に表明するためだ」と言えば、アメリカの世論も激変する。アメリカがなぜ沖縄に米軍基地を集中してきたことの意味について、「日本を守るため」という虚構を論理的に説明する義務も生じる。さあ、安部さん、どうする?

 私のブログはいつも長いので、今回はここまでにするつもりだった。上記までの原稿自体は12日には完成していたが、前回のブログ読者数が私の決めている基準をなかなか下回らないので投稿が延び延びになっていた。そうこうしているうちに厚労省が15日、重要な情報を公表した。16日付朝日新聞朝刊によれば厚労省が「初めて公表した2040年の労働人口の推計」ということだが、同紙によれば推計は「経済が停滞して仕事をする高齢者と女性の割合も今のままだと、17年より18.8%減って5460人になる」という。なお17年の労働人口は6720万人。したがって労働人口の減少数は23年間で1260万人、単純平均で毎年5万4800人ずつ減る計算だ。
 厚労省は今後の見通しについて、アベノミクスが成功して経済成長が進み、女性や高齢者の労働参加が進めば労働人口の減少に歯止めがかかり、2040年の労働人口は6195万人と、525万人減で済むという。が、朝日はこの見通しは甘すぎるという。
「その前提は安倍政権が成長戦略で掲げた政策がうまくいき、実質2%という高い経済成長が続くことだ。過去10年間で、実質2%超の成長を達成したのは10年度と13年度だけだ」(松浦裕子)
 ただ松浦氏が指摘した10年度は安倍政権時代ではない。
 私は朝日の記事にいちゃもんをつけるつもりはないが、高齢者の労働市場参加はいいとして、女性の労働市場参加の割合が厚労省の「甘い見通し」のように増えた場合(※朝日の記事ではどういう割合で女性の労働市場参加が増大するかの根拠は不明)、女性の合計特殊出生率(一人の女性が出産可能な15~49歳までに産む子供の数の平均)がどう変動するかが極めて重要な指数になる。
 合計特殊出生率は戦後のベビーブームが続いた1944年までは4%台をキープし、この前後に生まれた子供たちが高度経済成長を支える中核的役割を果たしてきた。が、1950年ころから出生率は減少に入り、52年には一気に2%台に突入、75年以降は1%台になる。特に95年以降は出生率の大幅減時代に突入、以降出生率が1.5%を超えた年はない。
 こうした少子化の原因は、私がブログで何度も書いてきたように、急速な核家族化の進行と、女性の高学歴化により、女性の「生き方」についての考え方や価値観が大きく変化したこと、また社会も高度な能力を有する女性労働力を必要とし、女性も仕事や社会での活躍に生きがいを求めるようになってきたことにある。だから政治家は選挙の時の女性票の獲得のために保育園づくりに一生懸命になっているが、それは「子育て支援」にはならず「女性の活躍支援」という結果しか生まない、と書いてきた。
 つまり、女性が労働市場に参加する機会を増やすには、さらなる「女性の活躍支援」を続ける必要があり、そうすれば必然的に合計特殊出生率は低下せざるを得ず、1%台を切るのも時間の問題ということになる。女性の労働市場参加が増えるということは、さらに少子化が進み、かえって労働市場に参加する女性の数は長期的には減少傾向に入ることを意味する。
 誤解を避けるためにあえて書くが、私は女性の労働市場参加に反対しているわけではない。女性の労働市場参加の機会が増大すればするほど少子化が進み、労働人口はかえって減少するという事実を指摘しているだけだ。

 しかし、朝日新聞が(朝日だけではないと思うが)、労働省の、頭のめちゃくちゃ悪い官僚たちが行った机の上での「労働人口の推計」を記事にしてくれたおかげで、私のこれまでのアベノミクス批判が論理的だけではなく、現実の数字によって裏付けられたことに感謝している。
 日本では個人消費(=個人需要の総量)のGDP(国内総生産)に占める割合が約6割とされている。政府支出や民間投資が約3割だ。借金してでも消費傾向が強いアメリカでも個人消費がGDPに占める割合は7割で、だから個人消費は「経済成長のエンジン」と呼ばれている。安倍総理がバブル崩壊以降の経済停滞を「個人消費の冷え込みによるデフレ不況」と位置付けてインフレ政策(金融緩和によって消費を刺激し、物価指数を上昇させることで購買意欲をさらに刺激するというケインズ経済政策)を続けているのも、実は労働人口が減少しなければ、という前提がなければ成り立たない理論なのだ。
 が、すでに述べたように、女性の合計特殊出生率は1975年以降2%を切っており、労働人口が減少する時代が早晩来ることは、ほんのちょっと頭を働かせれば誰にでもわかる話だ。杉田水脈なる国会議員が雑誌で「LGBTは生産性がない」と書いて「差別表現だ」と批判を浴びたが、杉田は子供を一人しか産んでいない。夫婦二人で子供を一人しか作らなかったら、「逆ねずみ算」式で人口は減り続ける。LGBTの方たちの生産性を問題にする前に、てめえの生産性について少しは考えろ、と私は言いたい。
 ま、杉田みたいなアホはほっとくとして、GDPの大きな割合を占める個人消費の大半は労働人口が占めている。年端のいかない子供たちが小遣いで消費する金額などたかが知れているし、私も含めて高齢者は買いたいものがあまりない。日本のエンゲル係数(総支出に占める食費の割合)の上昇が日本だけでなく先進国に共通の現象として見られているのはそのためだ。
 そういう状況の中で経済成長至上主義を経済政策の中心に据えてきたのが、金融緩和によるインフレ政策で「デフレ脱却」を目指そうとしたアベノミクスの正体なのだ。

 なお世界中で「日本人は貯蓄好き」という「神話」が罷り通っている。言っておくが、日本人は国民性として貯蓄好きなのではない。明治維新で政権交代を実現した明治政府は、欧米列強に追い付け追い越せと、「富国強兵・殖産興業」を国家建設の最大の柱にした。が、近代産業を起こして軍事力を強化するためには、当然のことながら「かね」が必要だ。国民からそのための資金を吸い上げるために、「二宮金次郎」神話をでっちあげて、あらゆる小学校に金次郎像を設置し。貯蓄を奨励したのが、「日本人は貯蓄好き」という日本人像が世界に広まった遠因である。
 そもそも徳川幕府時代、日本人は消費大好きだった。「無尽」という特異な金融システムが大流行したし、「江戸っ子は宵越しの金は持たぬ」というキップの良さを誇りにしていたくらいだ。あまりの急激な消費拡大は当然ながら悪性インフレを呼ぶ。デフレ・インフレは別に資本主義経済の時代に入ってからの経済現象ではない。「豊作貧乏」つまりデフレ岩礁は人間が経済活動を始めたときから生じていた。消費の過熱を抑え込むため、8代将軍・吉宗は「享保の改革」で質素倹約を庶民に命じたくらいだ。
 戦後も近代産業復興のために必要な資金を国民から吸い上げるために政府は「護送船団方式」と呼ばれる「弱者救済横並び」の金融機関保護行政を続け、おそらく大小金融機関支店網(対人口比)は世界に類を見ないほどの超過密状況になっている。ようやく日銀のマイナス金利政策で支店網の維持が過大な負担になってきた金融機関が支店網の整理縮小を始めようとしているが、そこで問題が生じたのは日本特有の「年功序列・終身雇用」の雇用形態だ。経団連が日本型の雇用形態の見直しを言い出したのは、金融機関のリストラ支援のためだ。そのくらいのことは、わかってよね。(以上16日記す)

【追記】 とうとう日銀黒田総裁が金融緩和政策の失敗を認めたようだ。18日付朝日新聞朝刊の記事を引用する。(18日記す)

「日本銀行の黒田東彦(はるひこ)総裁は17日、都内で開かれた主要20カ国・地域財務相・中央銀行総裁会議の関連シンポジウムで講演し、人口減や高齢化で潜在成長率(日本経済の基礎体力を示す数値)が低下すると、超低金利でも景気拡大が難しくなる「ゼロ金利制約」に直面するリスクが増すと指摘した。それでも金融緩和などで景気を刺激する方法は「伝統的金融政策とは異なる効果、副作用を伴う可能性がある」と語った」

 だが、いかなる政策も、私がブログでたびたび書いてきたように、メリットを受ける側とデメリットを受ける側が生じる。例えばTPPにしても前回のブログで書いたように、日本では工業製品のメーカーにとっては競争条件が有利になるケースが多いだろうが、農畜産業者にとっては極めて厳しい競争が強いられる。消費者vs生産者の関係でみれば、消費者は輸入農畜産物が安くで買えるようになるからメリットが大きいが、生産者は自分が属する産業分野によって利害が対立する。
 黒田総裁は金融緩和政策の「副作用」に、いまさらながら初めて気が付いたのか。もし、マジに今気づいたのだとしたら、彼の頭脳は中学生レベル以下としか言いようがない。薬にしても、非常に効果がある「劇薬」ほど副作用も大きい。アベノミクスを成功させるためのマイナス金利政策は、まさにそうした類の「劇薬」だったはずで、いまさら責任逃れのようなことは言ってほしくなかった。私はそうした「副作用」をとっくの昔から指摘してきたはずだ。日銀総裁の地位を俺に譲れ。

【さらに追記】 今朝(19日)のテレビ報道によれば、2月末に2度目の米朝首脳会談が行われることがホワイトハウスから発表された。この会談で太平洋の緊張が春を迎えるのか、あるいは極寒の冬に戻るのかはまだわからない。ただ気になるのは2度目の米朝首脳会談を発表したサンダース報道官は、北朝鮮の完全な非核化が確認されるまで圧力と制裁を緩めるつもりはないとくぎを刺したことだ。
 私は、昔だったら国交断絶の寸前と言ってもいいほど最悪な関係にある日韓関係について、韓国政府の対日姿勢に対して大半の国民と同様、怒りを覚えている。が、そうした感情を置いておいて、韓国・文大統領が米側に提案している「朝鮮半島の非核化と制裁緩和は相互的に行われるべきだ」という主張は支持する。もしサンダース報道官が北朝鮮に譲歩を迫るためのブラフなのか本気なのかは不明だが、「まず非核化ありき」では何回首脳会談を重ねても時間と経費の無駄になるだけだ。もし、文大統領の提案が非現実的だというなら、私が最も現実的な北朝鮮の非核化方法を提案してみよう。
 それは一定の条件付きで、北朝鮮が保有する核とミサイルを中国に預けることだ。そのうえでアメリカと日本を含め国連加盟国が北朝鮮に対する一切の圧力と制裁を解除した時点で、北朝鮮の核とミサイルを中国政府が買い上げ、国際社会が二度と北朝鮮に対して敵視政策をとらなければ、中国が北朝鮮から買い上げた核とミサイルは永遠に返さないことを国際社会に向かって約束することだ。
 また朝鮮半島の統一については、他国は一切干渉しないこと、朝鮮民族が自分たちの英知を絞って統一への道を歩んでいくことを、国際社会は温かく見守っていきたいと思う。