どうにも訳が分からないことがある。戦後最悪と言われる日韓関係の原因だ。メディアなどで報じられている限り、1965年に両国の間で締結された日韓基本条約と同時に結ばれた日韓請求権協定をめぐる行き違いがあるようだ。
日韓請求権協定の解釈については日本政府(安倍内閣)は「この協定によって個人請求権も含めて終局的に解決された」と主張しているが、ではなぜ安倍内閣は2015年に韓国・朴大統領との間で韓国人従軍慰安婦に日本が10億円の基金を支払い、「最終的不可逆的に解決した」という合意を結んだのか。
従軍慰安婦に対して「解決金」(事実上の補償金)を支払っていながら、徴用工が大法院(最高裁判所)で勝訴した日本企業に対する賠償金請求に対しては「日韓請求権協定に基づき解決済み」と拒否するのは、私には二枚舌に思えるのだが…。そもそも賠償金の支払いを請求したのは元徴用工であり、しかも請求先は日本政府ではなく徴用工を雇用した在韓日本企業だ。元徴用工が起こした訴訟に対して韓国の大法院が日本企業に賠償を認めた判決理由はどうだったのか。日本語訳の判決文(ネットで調べることができる)の要旨を見てみる。
新日鉄など日本企業は日本政府が1938年に制定した国家総動員法の下で朝鮮労働者に対して「日本で技術を学ぶチャンスを与える」と勧誘し、応募した朝鮮労働者を日本で奴隷のように扱い過酷な労働を強いた。その非人道的行為に対して朝鮮人労働者を徴用した日本企業は損害賠償金を支払え。
日本側企業は時効を理由に反論したが、大法廷では時効は認められなかった。戦後70年以上もたって、なぜ徴用工問題でこれほどまでに日韓関係が悪化するようになったのか。実は朝鮮人元徴用工は当初、韓国ではなく日本で損害賠償請求訴訟を起こした。が、日本の最高裁は日韓請求権協定により、日本における韓国民の財産請求権は消滅しているとの判決を下したため、元徴用工は韓国で訴訟を起こしたという経緯がある。そこで問題になるのは個人が受けた損害は請求権協定によって消滅したのか否か法的解釈に委ねられることになった。
このことは慰安婦問題にも通用することだが、1993年8月4日、河野洋平官房長官が朝鮮人慰安婦募集に関して「軍の関与・強制があった」と認めて謝罪したことがある。この河野談話そのものの信頼性について、のちに多くのメディアによって再検証が行われ、その信頼性に疑問が持たれているが、少なくとも河野談話が発表された時点では政府は談話を容認してしまった。のちに安倍第2次内閣が「河野談話の作成過程の再検証」を行おうとしたが、アメリカから「やめとけ」と言われ、アメリカの51番目の州知事にすぎない安倍総理はあっさり再検証を止めてしまった。いまさら慰安婦問題を私もぶり返すつもりはないが、こうした日本政府の姿勢が徴用工問題の根本にもあった。
というのは、河野談話の2年前の1991年8月27日、当時外務省条約局長だった柳井俊二氏(のち外務省事務次官、安保法制懇座長)が参院予算員会で日韓請求権について「いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができないという意味だ」と答弁している。韓国の元慰安婦や元徴用工が個人請求権の行使として訴訟を起こすようになったのは、この柳井発言がきっかけとされている。
このような経緯を見ると、慰安婦に対しては補償し、徴用工については解決済みとする解釈は、果たして国際的に通用するのだろうか。私はすでにNHKや朝日に対しては国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)で決着をつけるしかないよと言っているが、あまりにもその時まかせの日本政府の姿勢が今日の混乱を招いていることだけは疑いを入れない。ただ、韓国も一応民主主義国家だ。たとえ大法院の判決が安倍さんの気に食わなかったとしても、文大統領が政治力で大法院の判決をひっくり返すことなどできようがない。それとも安倍さんは、日本では総理大臣だったら最高裁判決をひっくり返す権力があるとでも思っているのかな。だとすれば民主主義制度の根幹でもある三権分立を否定することを意味する。あまりアホなことは言わんほうがええよ。
「外交の安倍」を自負し、確かに世界中を飛び回ってはいるが、対中関係を除いて外交的成果は何を挙げた?
日韓請求権協定の解釈については日本政府(安倍内閣)は「この協定によって個人請求権も含めて終局的に解決された」と主張しているが、ではなぜ安倍内閣は2015年に韓国・朴大統領との間で韓国人従軍慰安婦に日本が10億円の基金を支払い、「最終的不可逆的に解決した」という合意を結んだのか。
従軍慰安婦に対して「解決金」(事実上の補償金)を支払っていながら、徴用工が大法院(最高裁判所)で勝訴した日本企業に対する賠償金請求に対しては「日韓請求権協定に基づき解決済み」と拒否するのは、私には二枚舌に思えるのだが…。そもそも賠償金の支払いを請求したのは元徴用工であり、しかも請求先は日本政府ではなく徴用工を雇用した在韓日本企業だ。元徴用工が起こした訴訟に対して韓国の大法院が日本企業に賠償を認めた判決理由はどうだったのか。日本語訳の判決文(ネットで調べることができる)の要旨を見てみる。
新日鉄など日本企業は日本政府が1938年に制定した国家総動員法の下で朝鮮労働者に対して「日本で技術を学ぶチャンスを与える」と勧誘し、応募した朝鮮労働者を日本で奴隷のように扱い過酷な労働を強いた。その非人道的行為に対して朝鮮人労働者を徴用した日本企業は損害賠償金を支払え。
日本側企業は時効を理由に反論したが、大法廷では時効は認められなかった。戦後70年以上もたって、なぜ徴用工問題でこれほどまでに日韓関係が悪化するようになったのか。実は朝鮮人元徴用工は当初、韓国ではなく日本で損害賠償請求訴訟を起こした。が、日本の最高裁は日韓請求権協定により、日本における韓国民の財産請求権は消滅しているとの判決を下したため、元徴用工は韓国で訴訟を起こしたという経緯がある。そこで問題になるのは個人が受けた損害は請求権協定によって消滅したのか否か法的解釈に委ねられることになった。
このことは慰安婦問題にも通用することだが、1993年8月4日、河野洋平官房長官が朝鮮人慰安婦募集に関して「軍の関与・強制があった」と認めて謝罪したことがある。この河野談話そのものの信頼性について、のちに多くのメディアによって再検証が行われ、その信頼性に疑問が持たれているが、少なくとも河野談話が発表された時点では政府は談話を容認してしまった。のちに安倍第2次内閣が「河野談話の作成過程の再検証」を行おうとしたが、アメリカから「やめとけ」と言われ、アメリカの51番目の州知事にすぎない安倍総理はあっさり再検証を止めてしまった。いまさら慰安婦問題を私もぶり返すつもりはないが、こうした日本政府の姿勢が徴用工問題の根本にもあった。
というのは、河野談話の2年前の1991年8月27日、当時外務省条約局長だった柳井俊二氏(のち外務省事務次官、安保法制懇座長)が参院予算員会で日韓請求権について「いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができないという意味だ」と答弁している。韓国の元慰安婦や元徴用工が個人請求権の行使として訴訟を起こすようになったのは、この柳井発言がきっかけとされている。
このような経緯を見ると、慰安婦に対しては補償し、徴用工については解決済みとする解釈は、果たして国際的に通用するのだろうか。私はすでにNHKや朝日に対しては国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)で決着をつけるしかないよと言っているが、あまりにもその時まかせの日本政府の姿勢が今日の混乱を招いていることだけは疑いを入れない。ただ、韓国も一応民主主義国家だ。たとえ大法院の判決が安倍さんの気に食わなかったとしても、文大統領が政治力で大法院の判決をひっくり返すことなどできようがない。それとも安倍さんは、日本では総理大臣だったら最高裁判決をひっくり返す権力があるとでも思っているのかな。だとすれば民主主義制度の根幹でもある三権分立を否定することを意味する。あまりアホなことは言わんほうがええよ。
「外交の安倍」を自負し、確かに世界中を飛び回ってはいるが、対中関係を除いて外交的成果は何を挙げた?