22日のNHK『日曜討論』を見た。最近、定時のニュースを除いて政治問題には蓋をかぶせ続けてきたNHK。地デジ2波、BS3波も持ちながら、政治問題を扱う番組は週に1回、『日曜討論』だけだ。「公共放送とはエンターテイメントなり」と、だれが決めた?
なお、今回のブログは「総合的・俯瞰的」視点で書いた。
●菅総理が政治生命をかけて取り組んだのが「不妊治療」?
その『日曜討論』も、政府に迷惑が掛かりかねないテーマは極力避け続けている。菅政権が誕生したときも、だれからも文句は出ない「不妊治療の保険適用」をテーマにした。問題はあったにせよ、安倍さんはそれなりに政権として「アベノミクスの実現」「憲法改正」など、大きな政治課題に取り組んだ。
政権が掲げる政治テーマは、総理自らが政治生命をかけて取り組むべき課題だ。たとえば古くは岸総理は「安保改定」、池田総理は「所得倍増」、竹下総理は「消費税導入」、村山総理は「村山談話」…といった具合だ。「安倍政治を継承する」として誕生した菅内閣。その新政権の最重要課題としてNHKが『日曜討論』で取り上げたのは「不妊治療」問題だった。菅さんも、えらく軽く見られたものだと思ったが、それはNHKが政権に忖度するためだった。それが証拠に、NHKは政府に「テレビの設置申告の義務化」をお願いした。
さすがに臨時国会開会の前後には与野党の「おせち料理番組」を2回にわたって『日曜討論』でやった。私がNHKの「ふれあいセンター」の責任者にクレームを付けたら、「おせち料理って、どういう意味ですか?」と聞かれた。おせち料理は品数こそ盛りだくさんだが、中身は少しずつしかない料理だ、と説明したら「なるほど、うまいこと言いますね」と笑っていた。
今回の臨時国会は、途中で日本がコロナ禍に襲われたため風向きが変わったが、「学術会議国会」になると、私は思っていたし、実際そういう展開になっていった。コロナ禍の急襲がなければだが…。
コロナ禍に襲われたのは、政府が感染対策と経済対策の「両立」にこだわったためだ。
22日の『日曜討論」は、さすがにコロナ感染問題をテーマにした。記者会見以外はテレビに出たことがない西村・新型コロナ感染対策担当相兼経済再生担当相をメインに全国知事会会長や専門家をゲストに討論会を行った。「これ以上の感染拡大を防ぐ」ための対策に議論が終始し、再びコロナ禍を招いた政府の責任問題は棚上げにされた。
緊急事態宣言中、日本経済は確かに疲弊した。全世界規模で経済活動は停滞し、国民の消費活動は冷え切った。日本の場合、GDPに占める個人消費の割合が6割を占めると言われている。その個人消費が大幅に減少した。安倍政権が打ち出した「Go Toキャンペーン」は、コロナ禍で落ち込んだ個人消費を回復させることが目的だった。私は前回のブログの追記で書いたように、{Go Toトラベル}は、政府の意図とは別の意味で支持した。
●人口減少と市場縮小の流れは止まらない
エンゲル係数の意味は皆さん、ご存じだと思う。ネット解説によれば「一般に、所得の上昇につれて家計費に占める食糧費の割合(エンゲル係数)が低下する傾向にあり、このような統計的法則を、1858年の論文で発表したドイツの社会統計学者エンゲルの名にちなんでエンゲルの法則という」。一方、低所得層の場合は、生活を維持するための絶対的支出(住宅費など)があるため、食糧費を抑えざるを得ないため、高所得層と同様エンゲル係数は小さくなるという傾向も生じる。
ところが、日本をはじめ先進国では「エンゲルの法則」が当てはまらなくなりつつある。富裕層が高齢化し、金持ちの高齢者の飲食費の支出割合が高くなってきているのだ。他に支出する目的がだんだん無くなってきているからである。グルメ・ブームが生じたのもそのせいだ。将来、新たに消費を刺激するような商品が出てくるだろうか。ドローンは考えられない。可能性があるのは運転免許なしで乗れる完全AI自動車くらいだ。それ以外は、買い替え需要の耐久消費財くらいしかない。そのうえ個人消費の中心層である現役世代(生産人口)が縮小し続けるのだから、経済成長を目的にしたアベノミクスという発想そのものがアナクロニズムだったのだ。
そういう時代の流れは、もう止めることは不可能だ。不妊治療の発達があっても、女性が子育てより社会での活動に強い生きがいを求めるようになった時代だから、子供を何人も産もうとは考えない。女性が生涯に産む子供の数の平均値を合計特殊出生率というが、現在の人口を維持するためには、この数値が2.08を下回ってはならないそうだ。現在日本の合計特殊出生率は1.43まで低下しており、人口回復どころか人口維持すら不可能だ。ほしいものが無くなり、現役世代が縮小していく状態(全世界の先進国に共通した現象。中国ですら今後は輸出に頼ることができないことを自覚しており、だから経済成長の柱を内需拡大に移しつつある)に歯止めがかからない。先進国や中国のような輸出大国が、消費拡大の期待がある新興国の市場争奪戦を始めれば、冗談ではなく第3次世界大戦の可能性が生じる。経済成長競争をやめて、いかに経済活動の軟着陸を実現できるかに、人類の英知がかかっている。
そういう意味では、米トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」政策(つまり、アメリカさえ良ければいいという政策)は「一国主義」的な考えを前提にした場合、必ずしも間違った政策ではなかった。ただし、アメリカだからできた政策で、もし日本が「日本・ファースト」政策に踏み切ったら、世界中から袋叩きされていた。世界全体を一つの組織と考えたら、アメリカは独裁者的地位にあるから、トランプは勝手気ままにやれたのだ。
●西村氏が履いた「2足のわらじ」
さて、22日の『日曜討論』に話を戻す。メイン・ゲストの西村氏は二足のわらじを履いている。コロナ感染対策担当相と経済再生担当相という二足だ。
厳密にはもう一足、全世帯型社会保障担当相というわらじも履いているが、さすがに西村氏も足は2本しかないようだ。
西村氏の権限と責任の大きさは、国民やメディアが考えている以上に大きい。かつて大蔵省は省庁中の省庁として大きな顔をしていた。各省庁の予算配分の権限を握っていたからだ。いまでも財務省がその権限を引き継いで入るが、昔ほど大きな顔はできない。内閣府が財務省の上に君臨しているからだ。内閣府の力の大きさは、各省庁の人事権を握っていることによる。
本来、コロナ感染対策は厚労省の役割だ。経済再生も経産省が担当するはずだ。が、厚労省の田村大臣や経産省の梶山大臣の上に内閣府に所属する西村氏が両方の担当大臣として君臨している。もちろん厚労省はコロナ感染対策だけやっているわけではないし、経産省もコロナ禍によって疲弊した日本経済の再生対策だけを担当しているわけではない。だが、ことコロナ感染対策とコロナ禍による経済対策は事実上、西村氏が全権を握っている。
そうした状況をまったくわきまえていなかった頓珍漢な大臣がいた。国交省の赤羽大臣だ。西村氏に、お伺いも立てずに勝手に「Go Toトラベルは来年2月以降も継続する」と記者会見で大見得を切ってしまった。確かにGo Toトラベルについての事務方は国交省の外局・観光庁の担当だが、Go Toキャンペーンはそもそもコロナ禍で疲弊した観光業や飲食業、コンサートなどの各種イベントビジネスに対する救済策として打ち出した経済再生政策の一環である。その事務方作業を観光庁が担当することになって、赤羽氏は自分にGo Toトラベルについての権限が与えられたと勘違いしたようだ。赤羽氏は公明党所属の大臣だから、その辺の機微が分かっていなかったようだ。
その西村氏が履いている二足のわらじだが、本来、相容れないポジションだ。安倍総理(当時)がGo Toトラベルを前倒しで始めることを発表したとき、小池都知事は「アクセルとブレーキを同時に踏むようなもの」と、非現実性を批判した。アクセルとブレーキを同時に踏むことは物理的に不可能だから、私は西村氏の役割は「ひとりシーソー」と命名した。
そこで問題は、感染対策と経済再生を両立させることが可能か、ということだ。はっきり言って不可能だ。感染対策を強めるということは経済活動の足を引っ張らざるを得ないし、経済活動を活性化しようとすれば(人の動きが激しくなるから)コロナにチャンスを与えることになる。
両立とは、コロナを抑え込みつつ経済を活性化することを意味するから(もっとも学術会議会員の任命権問題で、新立憲の枝野代表が国会の質疑で「学術会議法に会員は『内閣総理大臣が任命する』とあるから任命権があるというなら、憲法6条には『天皇が総理大臣を任命する』とある。天皇に総理大臣の任命権があることになる」と菅総理を追及したとき、菅総理は答えられなかった。
なお、この任命問題について、学術会議法の政府解釈に基づけば、憲法6条によって天皇に総理大臣の任命権が生じかねないことを初めて問題提起したのはたぶん私だと思う(10月5日のブログ『菅新総理が早くも強権体質をむき出しにしだした』で記述)。また、いまのところ政府の憲法15条解釈の欺瞞性を明らかにしたのは私だけだ(11月14日のブログ『政府答弁の欺瞞性を暴いた――内閣法制局の憲法解釈はデタラメだ』で記述)。
日本語にしても英語にしても、ある言葉(単語)がいろいろな意味を持つことはある。だから憲法や法律で使用される言葉は、いろいろな意味に解釈できる曖昧さを持ってはならない。国会での政府答弁も同じだ。「感染対策と経済再生」が両立しえない証拠に、政府が「両立」という言葉を使う場合、軸足を経済再生に置くときにしか使っていない。いまのように、感染対策に軸足を移さざるを得ない状況になったとき、「経済活動との両立を図りつつ」とは一言も言っていない。『日曜討論』でも、西村氏は経済再生との両立を図れる感染対策は述べることができなかった。
●西村担当相の「ひとりシーソー」は…
両立が不可能だということを、多分、政府も都知事も分かったのだろう。
政府はGoTOキャンペーンの縮小を打ち出したが、「全面一時停止」ではない。地方自治体に対応を丸投げすることにした。地方自治体の「自助」つまり自己責任だよ、というのが政府のスタンスだ。
これで頭に来たのが小池都知事。Go Toトラベルは政府主導でやり、感染状況が悪化していた東京都を外した。東京都を政府が仲間に入れたのは10月1日からである。「Go Toトラベルをやるときは政府主導でやりながら、縮小するときは地方自治体が自分たちの判断で勝手にやれ。政府は一切責任を負わない」――そんな馬鹿な話があるか、と小池氏は怒った。小池氏が怒るのは当たり前だ。少なくとも政府はきめ細かな感染対策の基準をつくり、その基準に従って各自治体に対して、大くくりな都道府県単位ではなく、市区町村単位で感染対策をきめ細かくやってほしいと各自治体にお願いすべきだった。
政府が間違えたのは、緊急事態宣言期間が当初の予定より長引いたこと、その結果、経済への打撃が想定以上に大きくなったこと、そのうえ決定的に政策判断を間違えたのは景気回復を急いだこと。薬でも効果が大きいほど副作用も大きい。経済政策も効果が大きいほど副作用も大きくなる。Go ToトラベルやGo Toイートなどの景気刺激策で観光業界や飲食業界はいったん息を吹き返したが、同時にコロナも息を吹き返した。そうなることは目に見えていたのに…。
こういうではないか。「あちらを立てれば、こちらが立たず。こちらを立てれば、あちらが立たず」と。両立政策とは、そういう不可能なことをやろうという政策だ。野党がだらしなかったのは、両立政策は不可能だということをはっきり主張すべきだった。
言っておくが、私は結果論で言っているわけではない。政府が景気対策を行うに際して、西村氏が「ひとりシーソー」の軸足を景気対策に移した時からブログで書いてきた。
●「両立」という言葉に隠されたホンネとタテマエ
私は緊急事態宣言を発令したとき、厚労省のコロナ・コールセンターに申し入れた。「全国一斉にやるのは馬鹿げている。患者数や陽性率、地域の医療体制などを含めて【感染指数】なる数値基準を作り、それに応じた規制をかけるべきだ」と。結果的には「ステージ」制の導入ということになったが、都道府県単位というのはあまりにも大まかすぎる。
東京都といっても広い。実際に感染が広がったのは都心の繁華街とくに歓楽街だ。特別区の23区でも住宅街はそれほど感染が広がったわけではない。ましてや奥多摩地方など、おそらく日常生活にマスクなど不必要だろう。なのに東京都全域を村八分にしたのがGo Toトラベル。小池氏がむかついたのも無理はない。「国が決めた制度だから、今後についても国がお決めください」と。
急遽、行われた全国知事会のリモート会議でも、「自治体に丸投げされても、基準も示されずに責任だけ押し付けられては困る」といった不満の声が続出したという。
西村氏は記者会見で「地域のことは地域の方が一番ご存じだから」と逃げた。そもそも私は厚労省コロナセンターにも申し上げてきたし、ブログでも書いたが、初期の段階で全国各地100か所くらいを選び、PCR検査をローラー作戦でやって感染状況の傾向を調査し、きめ細かな感染対策を講じるべきだと主張してきた。また地域によってばらばらなPCR検査基準についても厚労省が指針を決めて行政指導すべきだともブログで書いている。当初はPCR検査は保健所しか出来なかったため、保健所は自分のところの検査能力に見合うように、勝手に検査基準を決めていた。たとえば日本最大の政令都市・横浜には保健所が1か所しかない。そのため瀕死の重症者しか検査しないという状態がかなり長期間続いた。おそらく横浜では死因がコロナとされずに、肺炎とか原因不明の突然死といった死因で処理されたケースが相当あるのではないかと思っている。
緊急事態宣言の発令にしても解除にしても、経済回復のためのGo Toキャンペーンにしても、国が始めたことは最後まで国が責任を取れ。
実は、私は心の中では西村氏に同情している。相反する立場の担当大臣の要職を任され、「ひとりシーソ―」を余儀なくされた。もっと早い時期に軸足を経済対策からコロナ感染対策に移さなければならないとわかっていても、そうはできない政治的事情があった。東京都をGo Toトラベルから外したのも政府なら、やはり東京都を入れないとキャンペーン効果が出ないと、すでにコロナが息を吹き返しつつあった10月1日に東京都を解除してしまったのも政府だ。11月に入ってコロナ禍が急激に襲ってきて、「やっぱり止めた」と政府がやったら、国会で野党から政府が責任を追及されるに決まっている。
菅さんは、安倍さんの体調不良で、思いもよらなかった天井人に突然なって舞い上がっていたら、気が付いたらとんでもないお荷物を背負わされていた。私は第2波とか、第3波といった位置づけには首をかしげているが、少なくともGo Toトラベルが軌道に乗り出した8月中旬にはメディアや専門家の一部は「第2波ではないか」と警鐘を鳴らしていた。そういう時期に、Go Toトラベルの効果をさらに高めようと東京都を加えたのだから、こういう事態を招いた全責任は政府にある。
このブログの最後の締めとして、改めて書いておく。
政府(あるいは権力を持つ側)が「両立」という言葉を使う場合、実は方針転換を意味する。それも、ホンネの方への方針転換である。ホンネをあからさまにするわけにいかない場合、タテマエとして「両立」という言葉でごまかす。ホンネとタテマエの使い分けだけは、菅さんは安倍さんをちゃんと継承しているようだ。
【追記】てんやわんやの大騒動の挙句、24日、政府は北海道・札幌市と大阪府・大阪市をGo Toトラベルから一時除外することを決定した。北海道全域と大阪府全域ではない。
それも政府主体ではなく、判断を自治体に丸投げしたうえで自治体知事からの「要請」を待って、鈴木・北海道知事と吉村・大阪府知事の判断を承認するというこすからい方法でだ。
西村・新型コロナ感染対策相(メディアはすべて西村氏の肩書を「経済再生担当相」としているが、ブログ本文で明らかにしたように、西村氏は「二足のわらじ」を履いている。西村氏の記者会見の際、なぜ記者たちは「今日はどっちの立場での会見か?」となぜ確認しないのか、私には記者たちの無神経さが分からない。
それはともかく、今頃になって「地方のことは地方が一番よくわかっている」と判断を自治体の首長に丸投げするくらいなら、なぜGo Toトラベル事業を始めるとき、事業への参加判断を都道府県に任せなかったのか。そのときは「地方のことはよくわかっていない」はずの政府が勝手に東京都全域を丸ごと除外しておいて、いまさら「自治体がお決めください」はないだろう。
小池都知事も24日、菅総理や西村「新型コロナ感染対策相」と直談判に及んだが、政府側がのらりくらりと逃げ回ったのかどうかは知らないが、結局、小池氏は判断を先送りした。
言っておくが、Go Toトラベル事業を始めたのは菅総理ではない。安倍前総理だ。「安倍前総理の判断で始めた事業だったが、地方のきめ細かな感染状況をわきまえず、また地方の声も聞かずに都道府県単位の大ぐくりで東京都全域を除外してしまったことは間違いだった。東京都民には大変ご迷惑をおかけした。心からお詫びする」と、小池氏に頭を下げれば小池氏もむきになったりはしなかったはずだ。
いまさら安倍さんをかばっても、「桜を見る会」疑惑で、安倍さんはブタ箱には入らないだろうが、公職選挙法違反で公民権をはく奪される可能性が生じている。つまり国会議員としての地位を失い、以後5年間公職に就けなくなる可能性が出てきたということだ。菅総理にとっては安倍離れの絶好のチャンスが向こうからやってきた。この際、菅さんは小池氏に「前総理の間違い」を認めて謝ってしまった方が、どれだけ得か、よーく考えたほうがいい。(25日)
なお、今回のブログは「総合的・俯瞰的」視点で書いた。
●菅総理が政治生命をかけて取り組んだのが「不妊治療」?
その『日曜討論』も、政府に迷惑が掛かりかねないテーマは極力避け続けている。菅政権が誕生したときも、だれからも文句は出ない「不妊治療の保険適用」をテーマにした。問題はあったにせよ、安倍さんはそれなりに政権として「アベノミクスの実現」「憲法改正」など、大きな政治課題に取り組んだ。
政権が掲げる政治テーマは、総理自らが政治生命をかけて取り組むべき課題だ。たとえば古くは岸総理は「安保改定」、池田総理は「所得倍増」、竹下総理は「消費税導入」、村山総理は「村山談話」…といった具合だ。「安倍政治を継承する」として誕生した菅内閣。その新政権の最重要課題としてNHKが『日曜討論』で取り上げたのは「不妊治療」問題だった。菅さんも、えらく軽く見られたものだと思ったが、それはNHKが政権に忖度するためだった。それが証拠に、NHKは政府に「テレビの設置申告の義務化」をお願いした。
さすがに臨時国会開会の前後には与野党の「おせち料理番組」を2回にわたって『日曜討論』でやった。私がNHKの「ふれあいセンター」の責任者にクレームを付けたら、「おせち料理って、どういう意味ですか?」と聞かれた。おせち料理は品数こそ盛りだくさんだが、中身は少しずつしかない料理だ、と説明したら「なるほど、うまいこと言いますね」と笑っていた。
今回の臨時国会は、途中で日本がコロナ禍に襲われたため風向きが変わったが、「学術会議国会」になると、私は思っていたし、実際そういう展開になっていった。コロナ禍の急襲がなければだが…。
コロナ禍に襲われたのは、政府が感染対策と経済対策の「両立」にこだわったためだ。
22日の『日曜討論」は、さすがにコロナ感染問題をテーマにした。記者会見以外はテレビに出たことがない西村・新型コロナ感染対策担当相兼経済再生担当相をメインに全国知事会会長や専門家をゲストに討論会を行った。「これ以上の感染拡大を防ぐ」ための対策に議論が終始し、再びコロナ禍を招いた政府の責任問題は棚上げにされた。
緊急事態宣言中、日本経済は確かに疲弊した。全世界規模で経済活動は停滞し、国民の消費活動は冷え切った。日本の場合、GDPに占める個人消費の割合が6割を占めると言われている。その個人消費が大幅に減少した。安倍政権が打ち出した「Go Toキャンペーン」は、コロナ禍で落ち込んだ個人消費を回復させることが目的だった。私は前回のブログの追記で書いたように、{Go Toトラベル}は、政府の意図とは別の意味で支持した。
●人口減少と市場縮小の流れは止まらない
エンゲル係数の意味は皆さん、ご存じだと思う。ネット解説によれば「一般に、所得の上昇につれて家計費に占める食糧費の割合(エンゲル係数)が低下する傾向にあり、このような統計的法則を、1858年の論文で発表したドイツの社会統計学者エンゲルの名にちなんでエンゲルの法則という」。一方、低所得層の場合は、生活を維持するための絶対的支出(住宅費など)があるため、食糧費を抑えざるを得ないため、高所得層と同様エンゲル係数は小さくなるという傾向も生じる。
ところが、日本をはじめ先進国では「エンゲルの法則」が当てはまらなくなりつつある。富裕層が高齢化し、金持ちの高齢者の飲食費の支出割合が高くなってきているのだ。他に支出する目的がだんだん無くなってきているからである。グルメ・ブームが生じたのもそのせいだ。将来、新たに消費を刺激するような商品が出てくるだろうか。ドローンは考えられない。可能性があるのは運転免許なしで乗れる完全AI自動車くらいだ。それ以外は、買い替え需要の耐久消費財くらいしかない。そのうえ個人消費の中心層である現役世代(生産人口)が縮小し続けるのだから、経済成長を目的にしたアベノミクスという発想そのものがアナクロニズムだったのだ。
そういう時代の流れは、もう止めることは不可能だ。不妊治療の発達があっても、女性が子育てより社会での活動に強い生きがいを求めるようになった時代だから、子供を何人も産もうとは考えない。女性が生涯に産む子供の数の平均値を合計特殊出生率というが、現在の人口を維持するためには、この数値が2.08を下回ってはならないそうだ。現在日本の合計特殊出生率は1.43まで低下しており、人口回復どころか人口維持すら不可能だ。ほしいものが無くなり、現役世代が縮小していく状態(全世界の先進国に共通した現象。中国ですら今後は輸出に頼ることができないことを自覚しており、だから経済成長の柱を内需拡大に移しつつある)に歯止めがかからない。先進国や中国のような輸出大国が、消費拡大の期待がある新興国の市場争奪戦を始めれば、冗談ではなく第3次世界大戦の可能性が生じる。経済成長競争をやめて、いかに経済活動の軟着陸を実現できるかに、人類の英知がかかっている。
そういう意味では、米トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」政策(つまり、アメリカさえ良ければいいという政策)は「一国主義」的な考えを前提にした場合、必ずしも間違った政策ではなかった。ただし、アメリカだからできた政策で、もし日本が「日本・ファースト」政策に踏み切ったら、世界中から袋叩きされていた。世界全体を一つの組織と考えたら、アメリカは独裁者的地位にあるから、トランプは勝手気ままにやれたのだ。
●西村氏が履いた「2足のわらじ」
さて、22日の『日曜討論』に話を戻す。メイン・ゲストの西村氏は二足のわらじを履いている。コロナ感染対策担当相と経済再生担当相という二足だ。
厳密にはもう一足、全世帯型社会保障担当相というわらじも履いているが、さすがに西村氏も足は2本しかないようだ。
西村氏の権限と責任の大きさは、国民やメディアが考えている以上に大きい。かつて大蔵省は省庁中の省庁として大きな顔をしていた。各省庁の予算配分の権限を握っていたからだ。いまでも財務省がその権限を引き継いで入るが、昔ほど大きな顔はできない。内閣府が財務省の上に君臨しているからだ。内閣府の力の大きさは、各省庁の人事権を握っていることによる。
本来、コロナ感染対策は厚労省の役割だ。経済再生も経産省が担当するはずだ。が、厚労省の田村大臣や経産省の梶山大臣の上に内閣府に所属する西村氏が両方の担当大臣として君臨している。もちろん厚労省はコロナ感染対策だけやっているわけではないし、経産省もコロナ禍によって疲弊した日本経済の再生対策だけを担当しているわけではない。だが、ことコロナ感染対策とコロナ禍による経済対策は事実上、西村氏が全権を握っている。
そうした状況をまったくわきまえていなかった頓珍漢な大臣がいた。国交省の赤羽大臣だ。西村氏に、お伺いも立てずに勝手に「Go Toトラベルは来年2月以降も継続する」と記者会見で大見得を切ってしまった。確かにGo Toトラベルについての事務方は国交省の外局・観光庁の担当だが、Go Toキャンペーンはそもそもコロナ禍で疲弊した観光業や飲食業、コンサートなどの各種イベントビジネスに対する救済策として打ち出した経済再生政策の一環である。その事務方作業を観光庁が担当することになって、赤羽氏は自分にGo Toトラベルについての権限が与えられたと勘違いしたようだ。赤羽氏は公明党所属の大臣だから、その辺の機微が分かっていなかったようだ。
その西村氏が履いている二足のわらじだが、本来、相容れないポジションだ。安倍総理(当時)がGo Toトラベルを前倒しで始めることを発表したとき、小池都知事は「アクセルとブレーキを同時に踏むようなもの」と、非現実性を批判した。アクセルとブレーキを同時に踏むことは物理的に不可能だから、私は西村氏の役割は「ひとりシーソー」と命名した。
そこで問題は、感染対策と経済再生を両立させることが可能か、ということだ。はっきり言って不可能だ。感染対策を強めるということは経済活動の足を引っ張らざるを得ないし、経済活動を活性化しようとすれば(人の動きが激しくなるから)コロナにチャンスを与えることになる。
両立とは、コロナを抑え込みつつ経済を活性化することを意味するから(もっとも学術会議会員の任命権問題で、新立憲の枝野代表が国会の質疑で「学術会議法に会員は『内閣総理大臣が任命する』とあるから任命権があるというなら、憲法6条には『天皇が総理大臣を任命する』とある。天皇に総理大臣の任命権があることになる」と菅総理を追及したとき、菅総理は答えられなかった。
なお、この任命問題について、学術会議法の政府解釈に基づけば、憲法6条によって天皇に総理大臣の任命権が生じかねないことを初めて問題提起したのはたぶん私だと思う(10月5日のブログ『菅新総理が早くも強権体質をむき出しにしだした』で記述)。また、いまのところ政府の憲法15条解釈の欺瞞性を明らかにしたのは私だけだ(11月14日のブログ『政府答弁の欺瞞性を暴いた――内閣法制局の憲法解釈はデタラメだ』で記述)。
日本語にしても英語にしても、ある言葉(単語)がいろいろな意味を持つことはある。だから憲法や法律で使用される言葉は、いろいろな意味に解釈できる曖昧さを持ってはならない。国会での政府答弁も同じだ。「感染対策と経済再生」が両立しえない証拠に、政府が「両立」という言葉を使う場合、軸足を経済再生に置くときにしか使っていない。いまのように、感染対策に軸足を移さざるを得ない状況になったとき、「経済活動との両立を図りつつ」とは一言も言っていない。『日曜討論』でも、西村氏は経済再生との両立を図れる感染対策は述べることができなかった。
●西村担当相の「ひとりシーソー」は…
両立が不可能だということを、多分、政府も都知事も分かったのだろう。
政府はGoTOキャンペーンの縮小を打ち出したが、「全面一時停止」ではない。地方自治体に対応を丸投げすることにした。地方自治体の「自助」つまり自己責任だよ、というのが政府のスタンスだ。
これで頭に来たのが小池都知事。Go Toトラベルは政府主導でやり、感染状況が悪化していた東京都を外した。東京都を政府が仲間に入れたのは10月1日からである。「Go Toトラベルをやるときは政府主導でやりながら、縮小するときは地方自治体が自分たちの判断で勝手にやれ。政府は一切責任を負わない」――そんな馬鹿な話があるか、と小池氏は怒った。小池氏が怒るのは当たり前だ。少なくとも政府はきめ細かな感染対策の基準をつくり、その基準に従って各自治体に対して、大くくりな都道府県単位ではなく、市区町村単位で感染対策をきめ細かくやってほしいと各自治体にお願いすべきだった。
政府が間違えたのは、緊急事態宣言期間が当初の予定より長引いたこと、その結果、経済への打撃が想定以上に大きくなったこと、そのうえ決定的に政策判断を間違えたのは景気回復を急いだこと。薬でも効果が大きいほど副作用も大きい。経済政策も効果が大きいほど副作用も大きくなる。Go ToトラベルやGo Toイートなどの景気刺激策で観光業界や飲食業界はいったん息を吹き返したが、同時にコロナも息を吹き返した。そうなることは目に見えていたのに…。
こういうではないか。「あちらを立てれば、こちらが立たず。こちらを立てれば、あちらが立たず」と。両立政策とは、そういう不可能なことをやろうという政策だ。野党がだらしなかったのは、両立政策は不可能だということをはっきり主張すべきだった。
言っておくが、私は結果論で言っているわけではない。政府が景気対策を行うに際して、西村氏が「ひとりシーソー」の軸足を景気対策に移した時からブログで書いてきた。
●「両立」という言葉に隠されたホンネとタテマエ
私は緊急事態宣言を発令したとき、厚労省のコロナ・コールセンターに申し入れた。「全国一斉にやるのは馬鹿げている。患者数や陽性率、地域の医療体制などを含めて【感染指数】なる数値基準を作り、それに応じた規制をかけるべきだ」と。結果的には「ステージ」制の導入ということになったが、都道府県単位というのはあまりにも大まかすぎる。
東京都といっても広い。実際に感染が広がったのは都心の繁華街とくに歓楽街だ。特別区の23区でも住宅街はそれほど感染が広がったわけではない。ましてや奥多摩地方など、おそらく日常生活にマスクなど不必要だろう。なのに東京都全域を村八分にしたのがGo Toトラベル。小池氏がむかついたのも無理はない。「国が決めた制度だから、今後についても国がお決めください」と。
急遽、行われた全国知事会のリモート会議でも、「自治体に丸投げされても、基準も示されずに責任だけ押し付けられては困る」といった不満の声が続出したという。
西村氏は記者会見で「地域のことは地域の方が一番ご存じだから」と逃げた。そもそも私は厚労省コロナセンターにも申し上げてきたし、ブログでも書いたが、初期の段階で全国各地100か所くらいを選び、PCR検査をローラー作戦でやって感染状況の傾向を調査し、きめ細かな感染対策を講じるべきだと主張してきた。また地域によってばらばらなPCR検査基準についても厚労省が指針を決めて行政指導すべきだともブログで書いている。当初はPCR検査は保健所しか出来なかったため、保健所は自分のところの検査能力に見合うように、勝手に検査基準を決めていた。たとえば日本最大の政令都市・横浜には保健所が1か所しかない。そのため瀕死の重症者しか検査しないという状態がかなり長期間続いた。おそらく横浜では死因がコロナとされずに、肺炎とか原因不明の突然死といった死因で処理されたケースが相当あるのではないかと思っている。
緊急事態宣言の発令にしても解除にしても、経済回復のためのGo Toキャンペーンにしても、国が始めたことは最後まで国が責任を取れ。
実は、私は心の中では西村氏に同情している。相反する立場の担当大臣の要職を任され、「ひとりシーソ―」を余儀なくされた。もっと早い時期に軸足を経済対策からコロナ感染対策に移さなければならないとわかっていても、そうはできない政治的事情があった。東京都をGo Toトラベルから外したのも政府なら、やはり東京都を入れないとキャンペーン効果が出ないと、すでにコロナが息を吹き返しつつあった10月1日に東京都を解除してしまったのも政府だ。11月に入ってコロナ禍が急激に襲ってきて、「やっぱり止めた」と政府がやったら、国会で野党から政府が責任を追及されるに決まっている。
菅さんは、安倍さんの体調不良で、思いもよらなかった天井人に突然なって舞い上がっていたら、気が付いたらとんでもないお荷物を背負わされていた。私は第2波とか、第3波といった位置づけには首をかしげているが、少なくともGo Toトラベルが軌道に乗り出した8月中旬にはメディアや専門家の一部は「第2波ではないか」と警鐘を鳴らしていた。そういう時期に、Go Toトラベルの効果をさらに高めようと東京都を加えたのだから、こういう事態を招いた全責任は政府にある。
このブログの最後の締めとして、改めて書いておく。
政府(あるいは権力を持つ側)が「両立」という言葉を使う場合、実は方針転換を意味する。それも、ホンネの方への方針転換である。ホンネをあからさまにするわけにいかない場合、タテマエとして「両立」という言葉でごまかす。ホンネとタテマエの使い分けだけは、菅さんは安倍さんをちゃんと継承しているようだ。
【追記】てんやわんやの大騒動の挙句、24日、政府は北海道・札幌市と大阪府・大阪市をGo Toトラベルから一時除外することを決定した。北海道全域と大阪府全域ではない。
それも政府主体ではなく、判断を自治体に丸投げしたうえで自治体知事からの「要請」を待って、鈴木・北海道知事と吉村・大阪府知事の判断を承認するというこすからい方法でだ。
西村・新型コロナ感染対策相(メディアはすべて西村氏の肩書を「経済再生担当相」としているが、ブログ本文で明らかにしたように、西村氏は「二足のわらじ」を履いている。西村氏の記者会見の際、なぜ記者たちは「今日はどっちの立場での会見か?」となぜ確認しないのか、私には記者たちの無神経さが分からない。
それはともかく、今頃になって「地方のことは地方が一番よくわかっている」と判断を自治体の首長に丸投げするくらいなら、なぜGo Toトラベル事業を始めるとき、事業への参加判断を都道府県に任せなかったのか。そのときは「地方のことはよくわかっていない」はずの政府が勝手に東京都全域を丸ごと除外しておいて、いまさら「自治体がお決めください」はないだろう。
小池都知事も24日、菅総理や西村「新型コロナ感染対策相」と直談判に及んだが、政府側がのらりくらりと逃げ回ったのかどうかは知らないが、結局、小池氏は判断を先送りした。
言っておくが、Go Toトラベル事業を始めたのは菅総理ではない。安倍前総理だ。「安倍前総理の判断で始めた事業だったが、地方のきめ細かな感染状況をわきまえず、また地方の声も聞かずに都道府県単位の大ぐくりで東京都全域を除外してしまったことは間違いだった。東京都民には大変ご迷惑をおかけした。心からお詫びする」と、小池氏に頭を下げれば小池氏もむきになったりはしなかったはずだ。
いまさら安倍さんをかばっても、「桜を見る会」疑惑で、安倍さんはブタ箱には入らないだろうが、公職選挙法違反で公民権をはく奪される可能性が生じている。つまり国会議員としての地位を失い、以後5年間公職に就けなくなる可能性が出てきたということだ。菅総理にとっては安倍離れの絶好のチャンスが向こうからやってきた。この際、菅さんは小池氏に「前総理の間違い」を認めて謝ってしまった方が、どれだけ得か、よーく考えたほうがいい。(25日)