政策はつねに結果によって検証される必要がある。それも国民や地域住民(都道府県民・市町村民)の目に見えるような形で…。
政治家はひたすら選挙に勝つために政策を訴えるのではなく、当選して政策を実行に移した結果について、政策を実行したときの目的が達成できたかどうかを有権者に明らかにする必要がある。それが無視されたら、民主主義政治の根幹をなす選挙制度が破壊する。政治家もメディアも、そのことを明確に自覚しているのだろうか。
たとえば、横浜市が壮大な実験に取り組んだ。10年以上かけて全国有数の低出生率(厳密には一人の女性が一生の間に産む子供の数である特殊合計出生率)を克服するために「待機児童ゼロを目標にした保育所つくり政策」の結果の検証をきちんとして、市民に公表しているか。
結果はどうだったか。横浜市の特殊合計出生率は、かえって下がった。市職員や林市長の支援者は「でも、女性の社会進出の機会が増えた」と抗弁する。本当にそうか。もし本当にそうなら、横浜市に住む女性の特殊合計出生率は下がり続けることになる。少子化対策どころか、中国のような「一人っ子政策」になる。女性の社会進出の機会が増えれば、そういう結果になることは中学生でもわかる理屈だ。
政策の結果を誰の目にも見えるように検証することの重要性は、そのためにある。選挙のたびに、特に女性の立候補者は「少子化対策のために保育所つくりにまい進します」という。横浜市の壮大な実験の失敗を、まったく語らずにだ。ただひたすら集票のために一見聞こえの言い「公約」を掲げ、結果については説明責任を果たさないというのが「日本型民主主義」である。
日本人の多くは、というよりほとんどは「日本は民主主義の国だ」と信じて疑わない。アメリカ人も同じだ。「アメリカは民主主義の国だ」と思っている。言っておくが、北朝鮮の国民も「北朝鮮は民主主義の国だ」と信じている。中国人もそうだ。日本人やアメリカ人がそう思っていないだけのことだ。
民主主義に「これだ」という定型的なパターンは存在しない。為政者にとって都合のいい政治システムを、世界中のだれも真っ向からは否定できない「民主主義制度」と勝手に決めつけているだけである。日本の最高裁判事も、民主主義の欠陥が分かっていない。最高裁は1票の格差の限界を2倍以内とした。つまり1.99倍なら選挙は違憲状態ではなく、1票の格差は生じないというのが最高裁の判断だ。
この最高裁判決を根拠に、衆院議長の諮問機関である「衆議院選挙制度に関する調査会」(座長=佐々木敦・元東京大学総長、以下「調査会」と記す)は、2月に小選挙区の数を「9増9減」にする案を取りまとめた。一般には「小選挙区定数」と言われているが、小選挙区から2人以上が当選することはなく、小選
挙区で当選する議員の数は小選挙区の数と同じく295である(前は小選挙区は
300だったが、民主党政権時代に小選挙区の数が0増5減されて295となった)。もしあえて「定数」という言葉を使うならば「小選挙区で選出される議員の定数は295」という言い方が正しい。些細なことにこだわるようだが、実はそうした言葉遣いのまやかしに今回の選挙制度改革案の限界が込められているからだ。
わが国が、衆議院の選挙制度を中選挙区から小選挙区比例代表並立制に変更したのは1994年。アメリカ型の「政権交代可能な2大政党政治」を目指すというのがその目的だった。であるならば、完全に人口に比例した小選挙区だけにすればよかったのだが、そうすると共産党など弱小政党が姿を消すことになる。で、弱小政党にもチャンスを与えるために比例代表選挙制を抱き合わせることにした。
しかし、何度も書いてきたように民主主義政治システムは「多数決原理による政策の決定」という致命的な欠陥を有している。で、その欠陥を完全に解決するには有権者全員が国会議員として国政に平等に参加できるようにすればいいのだが、そんなことは物理的に不可能だ。そのため私はかつて国論を二分するような政策の決定については衆参両院議員の一定数の同意(たとえば全議員の3割)によって、すべて国民が直接決定できる直接民主制を実現するための「国民投票法」を制定すべきだと考えているが、民主主義の欠陥の是正より1票の格差の縮小のほうが民主主義の前進につながるというのが最高裁の考えのようだ。
その最高裁は1票の格差が生じる原因は「一人別枠方式にある」と断じた。1票の格差が生じる原因が「一人別枠方式」にあることは疑いを容れないが、人口が少ない地方の声もできるだけ国政に反映させるための方法と「善意」に受け止めれば、「一人別枠方式」は必ずしも選挙制度の致命的欠陥とは言えない。が、事実は地方に強い選挙基盤を持つ自公の党利党略によって作られたという見方もあり、先の総選挙でも自公の選挙協力によって自公政権は盤石になった。
今回の調査会の案は、従来の選挙制度の欠陥をどう抜本的に改革するかの答えにはなっていない。実際調査会の案が示された途端、地方選出の自民党議員から「地方の声が国政に反映されなくなる」という悲鳴に近い反発の声が出た。考え方としては間違っているとは言えないが、すでに地方の声など政府は無視し続けているではないか。
たとえば普天間基地の移設問題。沖縄県民の総意は先の総選挙でも県知事選でも明確に示された。が、政府は沖縄県民の声に耳を貸そうともしない。せめて調査会の「9増9減」案に悲鳴を上げた自民党の地方選出議員だけでも、地方の声を国政に反映させるべく、政府の強硬姿勢に猛反発してくれないか。
私は沖縄県民ではないが、私が沖縄県民だったら「日本国からの分離独立」
を主張する。もともと沖縄県民は琉球王国を繁栄させてきた独自の民族である。いまは完全に日本人(大和民族)と同化しているので、私も本気で沖縄の分離独立説を唱えたいわけではないが、少なくともそのくらいの声を上げることによって沖縄県民は「特別自治県」としての地位を獲得すべきだとは思っている。
沖縄は気候や自然に恵まれ、特別自治県としての地位を獲得すれば米軍基地に伴う需要や政府からの経済援助に頼らなくても観光と自由貿易圏として経済的に十分独立してやっていける。地方自治の拡大を唱える人は多いが、沖縄の基地問題についてはほとんど口をつぐんでいる。地方自治の拡大を唱える以上、民主主義の在り方についても問われていることを自覚してもらいたい。
政治家はひたすら選挙に勝つために政策を訴えるのではなく、当選して政策を実行に移した結果について、政策を実行したときの目的が達成できたかどうかを有権者に明らかにする必要がある。それが無視されたら、民主主義政治の根幹をなす選挙制度が破壊する。政治家もメディアも、そのことを明確に自覚しているのだろうか。
たとえば、横浜市が壮大な実験に取り組んだ。10年以上かけて全国有数の低出生率(厳密には一人の女性が一生の間に産む子供の数である特殊合計出生率)を克服するために「待機児童ゼロを目標にした保育所つくり政策」の結果の検証をきちんとして、市民に公表しているか。
結果はどうだったか。横浜市の特殊合計出生率は、かえって下がった。市職員や林市長の支援者は「でも、女性の社会進出の機会が増えた」と抗弁する。本当にそうか。もし本当にそうなら、横浜市に住む女性の特殊合計出生率は下がり続けることになる。少子化対策どころか、中国のような「一人っ子政策」になる。女性の社会進出の機会が増えれば、そういう結果になることは中学生でもわかる理屈だ。
政策の結果を誰の目にも見えるように検証することの重要性は、そのためにある。選挙のたびに、特に女性の立候補者は「少子化対策のために保育所つくりにまい進します」という。横浜市の壮大な実験の失敗を、まったく語らずにだ。ただひたすら集票のために一見聞こえの言い「公約」を掲げ、結果については説明責任を果たさないというのが「日本型民主主義」である。
日本人の多くは、というよりほとんどは「日本は民主主義の国だ」と信じて疑わない。アメリカ人も同じだ。「アメリカは民主主義の国だ」と思っている。言っておくが、北朝鮮の国民も「北朝鮮は民主主義の国だ」と信じている。中国人もそうだ。日本人やアメリカ人がそう思っていないだけのことだ。
民主主義に「これだ」という定型的なパターンは存在しない。為政者にとって都合のいい政治システムを、世界中のだれも真っ向からは否定できない「民主主義制度」と勝手に決めつけているだけである。日本の最高裁判事も、民主主義の欠陥が分かっていない。最高裁は1票の格差の限界を2倍以内とした。つまり1.99倍なら選挙は違憲状態ではなく、1票の格差は生じないというのが最高裁の判断だ。
この最高裁判決を根拠に、衆院議長の諮問機関である「衆議院選挙制度に関する調査会」(座長=佐々木敦・元東京大学総長、以下「調査会」と記す)は、2月に小選挙区の数を「9増9減」にする案を取りまとめた。一般には「小選挙区定数」と言われているが、小選挙区から2人以上が当選することはなく、小選
挙区で当選する議員の数は小選挙区の数と同じく295である(前は小選挙区は
300だったが、民主党政権時代に小選挙区の数が0増5減されて295となった)。もしあえて「定数」という言葉を使うならば「小選挙区で選出される議員の定数は295」という言い方が正しい。些細なことにこだわるようだが、実はそうした言葉遣いのまやかしに今回の選挙制度改革案の限界が込められているからだ。
わが国が、衆議院の選挙制度を中選挙区から小選挙区比例代表並立制に変更したのは1994年。アメリカ型の「政権交代可能な2大政党政治」を目指すというのがその目的だった。であるならば、完全に人口に比例した小選挙区だけにすればよかったのだが、そうすると共産党など弱小政党が姿を消すことになる。で、弱小政党にもチャンスを与えるために比例代表選挙制を抱き合わせることにした。
しかし、何度も書いてきたように民主主義政治システムは「多数決原理による政策の決定」という致命的な欠陥を有している。で、その欠陥を完全に解決するには有権者全員が国会議員として国政に平等に参加できるようにすればいいのだが、そんなことは物理的に不可能だ。そのため私はかつて国論を二分するような政策の決定については衆参両院議員の一定数の同意(たとえば全議員の3割)によって、すべて国民が直接決定できる直接民主制を実現するための「国民投票法」を制定すべきだと考えているが、民主主義の欠陥の是正より1票の格差の縮小のほうが民主主義の前進につながるというのが最高裁の考えのようだ。
その最高裁は1票の格差が生じる原因は「一人別枠方式にある」と断じた。1票の格差が生じる原因が「一人別枠方式」にあることは疑いを容れないが、人口が少ない地方の声もできるだけ国政に反映させるための方法と「善意」に受け止めれば、「一人別枠方式」は必ずしも選挙制度の致命的欠陥とは言えない。が、事実は地方に強い選挙基盤を持つ自公の党利党略によって作られたという見方もあり、先の総選挙でも自公の選挙協力によって自公政権は盤石になった。
今回の調査会の案は、従来の選挙制度の欠陥をどう抜本的に改革するかの答えにはなっていない。実際調査会の案が示された途端、地方選出の自民党議員から「地方の声が国政に反映されなくなる」という悲鳴に近い反発の声が出た。考え方としては間違っているとは言えないが、すでに地方の声など政府は無視し続けているではないか。
たとえば普天間基地の移設問題。沖縄県民の総意は先の総選挙でも県知事選でも明確に示された。が、政府は沖縄県民の声に耳を貸そうともしない。せめて調査会の「9増9減」案に悲鳴を上げた自民党の地方選出議員だけでも、地方の声を国政に反映させるべく、政府の強硬姿勢に猛反発してくれないか。
私は沖縄県民ではないが、私が沖縄県民だったら「日本国からの分離独立」
を主張する。もともと沖縄県民は琉球王国を繁栄させてきた独自の民族である。いまは完全に日本人(大和民族)と同化しているので、私も本気で沖縄の分離独立説を唱えたいわけではないが、少なくともそのくらいの声を上げることによって沖縄県民は「特別自治県」としての地位を獲得すべきだとは思っている。
沖縄は気候や自然に恵まれ、特別自治県としての地位を獲得すれば米軍基地に伴う需要や政府からの経済援助に頼らなくても観光と自由貿易圏として経済的に十分独立してやっていける。地方自治の拡大を唱える人は多いが、沖縄の基地問題についてはほとんど口をつぐんでいる。地方自治の拡大を唱える以上、民主主義の在り方についても問われていることを自覚してもらいたい。
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