やっと言論界に私の「集団的自衛権」論に同調する人が現れた。首都大学東京教授(社会学)の宮台真司氏である。
氏は朝日新聞記者のインタビューに応じて、こう述べている(26日付朝刊)。
「法原則的には、解釈改憲は認められないとする歴代内閣の立場が正論だ。現在の国際法は軍事力を自衛権の行使に限定し、自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権の二つしかない。個別的自衛権を合憲とした上で憲法9条が何かを制約するというなら、集団的自衛権しかない。改憲抜きに9条を無力化する解釈改憲は憲法の威信を損なう」
「米政権が安倍政権に期待した浅薄さを反省する一方、米国では韓国系や中国系住民の日本への反発が広がり、議会にも影響し始めている。いざというとき米国に助けてもらうための集団的自衛権なのに、いざというときに日本を助けにくくなった」
「むろん、東アジアの信頼醸成を踏まえた9条改正で、重武装化を前提とした、日米同盟に偏らない集団的安全保障体制を構築する道がある。そこで問題になるのは政治家の言葉だ。一連の前提を国民に説明して納得させられる言葉を持つ政治家の存在が、不可欠だ。思い込みで安全保障を語る政治家が首相になる国では、無理だ」
ほぼ私が主張してきたことに近いが、完全なイコールではない。ま、別に完全なイコールになってもらう必要もないが…。
宮台氏の主張の中で、非常に重要な意味を持つのは「いざというとき米国に助けてもらうための集団的自衛権なのに、いざというというときに日本を助けにくくなった」という部分である。
集団的自衛権問題がにわかに浮上したのは第2次安倍内閣が誕生し、安倍総理が私的諮問機関の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(第2次安保法制懇)を再開して以降である。
私が、ふと疑問に思って国連憲章をななめ読みして、日本はすでに日米安全保障条約によって、いざというときにはアメリカが日本を助けてくれることになっているから、日本はすでに集団的自衛権をいつでも行使できる状態にあるという論理的結論に達し、『安倍総理は勘違いしている。日本はすでに集団的自衛権を保持している』と題したブログを投稿したのが昨年8月25日である。
それ以降、第2次安保法制懇の様子がおかしくなりだした。私がブログを投稿する前は、法制懇の柳井俊二座長は「年内に憲法解釈の変更によって集団的自衛権を行使できるという報告書を出せる見込みだ」と強気の姿勢を打ち出していたのが、それ以降マスコミの前に一切姿を現さず、年内に出るはずだった報告書も出せずじまいで、今年に入って「報告書は4月に出す」と先送りしたことを明らかにした。
さらに私は国連憲章を隅から隅まで熟読して、国連が国際紛争の解決手段と
してなぜ加盟国のすべてに「固有の権利」として「個別的又は集団的」自衛権
を認めることにしたのかを完全に理解したうえで、今年1月6日に『安倍総理の集団的自衛権行使への憲法解釈変更の意欲はどこに…。積極的平和主義への転換か?』と題するブログを投稿した。
何度も書いてきたので、多くの読者は目にタコができていると思うが、最近、私のブログの訪問者・閲覧者が急増しているため簡単に要点だけもう一度まとめておこう。
国連憲章は、すべての加盟国に国際間の紛争を軍事力によって解決することを禁じている。これが国連憲章の大原則である。
では実際に国際間の紛争が生じた場合、紛争当事者の加盟国はどうすべきか。国連憲章は当事者間の話し合いや、第三国を交えての話し合い、さらに国連での話し合いなど、平和的手段によって紛争を解決すべきことを加盟国に義務付けている。
すべての国連加盟国が、国連憲章に忠実であれば、すでに地球上から兵器は姿を消していなければおかしいのだが、国連憲章に忠実な国だけとは限らないことは、国連憲章を作成した先の大戦の戦勝国(その中心的役割を果たしたのがアメリカ)が百も承知だった。たとえば第1次世界大戦時に「永世中立」を宣言し、国際会議でも認められた国は多数あったが、国民皆武装で他国の侵略に備えたスイス以外の「永世中立宣言国」はすべて占領されたり、占領されないまでも事実上半占領状態に置かれたりするケースを防ぐことができなかった。
そこで国連憲章は、話し合い解決が不調に終わったり、そもそも話し合い解決に応じない国が出てきた場合に、紛争解決のためのあらゆる手段をとれる権能を国連安保理に認めることにしたのである。
その場合でも安保理が行使できる権能は二つに限定された。
一つは『非軍事的措置』(国連憲章第41条)で、経済制裁や外交関係の遮断、当事国政府要人のビザの発行停止や制限、海外の資産凍結など、軍事力を伴わないあらゆる手段によって当事国を国際的孤立に追い込み屈服させる方法である。現在、クリミア自治共和国のロシア編入に対して米欧諸国が行おうとしているロシアに対する様々な制裁が、この規定に近い。
もう一つが『軍事的措置』(国連憲章第42条)で、いかなる非軍事的措置によっても紛争を解決することができなかった場合、やむを得ず安保理に軍事的手段によって解決するあらゆる権能を与えたのである。この条文は明らかに「国連軍」を想定して設けられている。が、国連軍が登場するのは小説や漫画の世界だけで、先の大戦以降一度も国連軍が結成されたことはない。
クリミア自治共和国のウクライナからの分離独立を決める住民投票(国民投票)に対して、国連安保理は「無効」とする決議案を採択しようと試みたが、ロシアが拒否権を発動したため、ロシアを除く13の理事国が賛成票を投じたにもかかわらず決議案は採択されなかった。
このケースにみられるように、国連安保理は国際紛争解決のためのあらゆる権能を加盟国から与えられていながら、米英仏露中の5か国が拒否権を持っているため、国際紛争を国連安保理が解決することが極めて困難であることは最初から分かっていた。そこで、国連安保理も紛争を解決できなかった場合の手段として、本来紛争解決のための軍事力の行使を禁止していながら、他国から攻撃された場合にのみ、国連憲章は加盟国に固有の権利として『自衛権』(第51条)があることを認めたのである。
そして、この自衛権には、宮台氏が朝日新聞記者のインタビューに答えたように「現在の国際法(国連憲章)は軍事力を自衛権の行使に限定し、自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権の二つしかない」のであり、日本の場合は個別的自衛権としては自衛隊が合憲とされており、集団的自衛権は「いざというとき米国に助けてもらうため」に日米安全保障条約を締結しているのである。
ただ、現行安保条約によれば、アメリカは日本が攻撃された場合軍事支援する義務があるが、アメリカが攻撃されたときには日本はアメリカを軍事支援する義務を負っていない。そのため安保条約は「片務的」だという指摘が米国内にはあり、また日本が攻撃された場合自動的に米軍が日本支援のために駆けつけてくれることにもなっていない。米議会(上院および下院)の支持がなければ米軍は日本防衛の「条約上の義務」を果たすことができないのである。
現実問題として考えてみよう。もし北朝鮮や中国が日本を攻撃した場合、おそらくアメリカは日米安全保障条約に基づいて軍事的支援に乗り出してくれるだろうが、韓国が日本を攻撃した場合はアメリカは絶対日本防衛のための軍事行動に出ない。
韓国が突如日本に攻撃を仕掛けてくるといった想定そのものが非現実的と行ってしまえばそれまでだが、アメリカ国内には、日本を守るためにアメリカ人は血を流さなければならないのに、日本人はアメリカのために一滴の血も流さないという条約上の関係に大きな不満を抱いているのは確かである。そうした安保条約の「片務性」を解決して、いざというときには日本人もアメリカのために血を流せるようにしようというのが「憲法解釈変更によって集団的自衛権を行使するようにする」という安倍総理の真の目的なのだ。
が、集団的自衛権は、これまで見てきたように、日本が他国から攻撃を受けた場合に発動できる「自衛」のための「固有の権利」の一つであり、他国(安倍総理が想定しているのはアメリカ)を防衛するための権利ではないのである。安保条約を「双務」的な条約に改正するには(それは日本の安全をより強固なものにするためには必要なことだが)、現行憲法が日本が独立を回復した時点ですでに「無効」になっており、現在の日本が占めている国際的地位にふさわしい尊厳と責任を反映した新憲法を制定する必要があることを、広く議論を起こして国民の理解を得ることが何よりも大切なことではないだろうか。(続く)
氏は朝日新聞記者のインタビューに応じて、こう述べている(26日付朝刊)。
「法原則的には、解釈改憲は認められないとする歴代内閣の立場が正論だ。現在の国際法は軍事力を自衛権の行使に限定し、自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権の二つしかない。個別的自衛権を合憲とした上で憲法9条が何かを制約するというなら、集団的自衛権しかない。改憲抜きに9条を無力化する解釈改憲は憲法の威信を損なう」
「米政権が安倍政権に期待した浅薄さを反省する一方、米国では韓国系や中国系住民の日本への反発が広がり、議会にも影響し始めている。いざというとき米国に助けてもらうための集団的自衛権なのに、いざというときに日本を助けにくくなった」
「むろん、東アジアの信頼醸成を踏まえた9条改正で、重武装化を前提とした、日米同盟に偏らない集団的安全保障体制を構築する道がある。そこで問題になるのは政治家の言葉だ。一連の前提を国民に説明して納得させられる言葉を持つ政治家の存在が、不可欠だ。思い込みで安全保障を語る政治家が首相になる国では、無理だ」
ほぼ私が主張してきたことに近いが、完全なイコールではない。ま、別に完全なイコールになってもらう必要もないが…。
宮台氏の主張の中で、非常に重要な意味を持つのは「いざというとき米国に助けてもらうための集団的自衛権なのに、いざというというときに日本を助けにくくなった」という部分である。
集団的自衛権問題がにわかに浮上したのは第2次安倍内閣が誕生し、安倍総理が私的諮問機関の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(第2次安保法制懇)を再開して以降である。
私が、ふと疑問に思って国連憲章をななめ読みして、日本はすでに日米安全保障条約によって、いざというときにはアメリカが日本を助けてくれることになっているから、日本はすでに集団的自衛権をいつでも行使できる状態にあるという論理的結論に達し、『安倍総理は勘違いしている。日本はすでに集団的自衛権を保持している』と題したブログを投稿したのが昨年8月25日である。
それ以降、第2次安保法制懇の様子がおかしくなりだした。私がブログを投稿する前は、法制懇の柳井俊二座長は「年内に憲法解釈の変更によって集団的自衛権を行使できるという報告書を出せる見込みだ」と強気の姿勢を打ち出していたのが、それ以降マスコミの前に一切姿を現さず、年内に出るはずだった報告書も出せずじまいで、今年に入って「報告書は4月に出す」と先送りしたことを明らかにした。
さらに私は国連憲章を隅から隅まで熟読して、国連が国際紛争の解決手段と
してなぜ加盟国のすべてに「固有の権利」として「個別的又は集団的」自衛権
を認めることにしたのかを完全に理解したうえで、今年1月6日に『安倍総理の集団的自衛権行使への憲法解釈変更の意欲はどこに…。積極的平和主義への転換か?』と題するブログを投稿した。
何度も書いてきたので、多くの読者は目にタコができていると思うが、最近、私のブログの訪問者・閲覧者が急増しているため簡単に要点だけもう一度まとめておこう。
国連憲章は、すべての加盟国に国際間の紛争を軍事力によって解決することを禁じている。これが国連憲章の大原則である。
では実際に国際間の紛争が生じた場合、紛争当事者の加盟国はどうすべきか。国連憲章は当事者間の話し合いや、第三国を交えての話し合い、さらに国連での話し合いなど、平和的手段によって紛争を解決すべきことを加盟国に義務付けている。
すべての国連加盟国が、国連憲章に忠実であれば、すでに地球上から兵器は姿を消していなければおかしいのだが、国連憲章に忠実な国だけとは限らないことは、国連憲章を作成した先の大戦の戦勝国(その中心的役割を果たしたのがアメリカ)が百も承知だった。たとえば第1次世界大戦時に「永世中立」を宣言し、国際会議でも認められた国は多数あったが、国民皆武装で他国の侵略に備えたスイス以外の「永世中立宣言国」はすべて占領されたり、占領されないまでも事実上半占領状態に置かれたりするケースを防ぐことができなかった。
そこで国連憲章は、話し合い解決が不調に終わったり、そもそも話し合い解決に応じない国が出てきた場合に、紛争解決のためのあらゆる手段をとれる権能を国連安保理に認めることにしたのである。
その場合でも安保理が行使できる権能は二つに限定された。
一つは『非軍事的措置』(国連憲章第41条)で、経済制裁や外交関係の遮断、当事国政府要人のビザの発行停止や制限、海外の資産凍結など、軍事力を伴わないあらゆる手段によって当事国を国際的孤立に追い込み屈服させる方法である。現在、クリミア自治共和国のロシア編入に対して米欧諸国が行おうとしているロシアに対する様々な制裁が、この規定に近い。
もう一つが『軍事的措置』(国連憲章第42条)で、いかなる非軍事的措置によっても紛争を解決することができなかった場合、やむを得ず安保理に軍事的手段によって解決するあらゆる権能を与えたのである。この条文は明らかに「国連軍」を想定して設けられている。が、国連軍が登場するのは小説や漫画の世界だけで、先の大戦以降一度も国連軍が結成されたことはない。
クリミア自治共和国のウクライナからの分離独立を決める住民投票(国民投票)に対して、国連安保理は「無効」とする決議案を採択しようと試みたが、ロシアが拒否権を発動したため、ロシアを除く13の理事国が賛成票を投じたにもかかわらず決議案は採択されなかった。
このケースにみられるように、国連安保理は国際紛争解決のためのあらゆる権能を加盟国から与えられていながら、米英仏露中の5か国が拒否権を持っているため、国際紛争を国連安保理が解決することが極めて困難であることは最初から分かっていた。そこで、国連安保理も紛争を解決できなかった場合の手段として、本来紛争解決のための軍事力の行使を禁止していながら、他国から攻撃された場合にのみ、国連憲章は加盟国に固有の権利として『自衛権』(第51条)があることを認めたのである。
そして、この自衛権には、宮台氏が朝日新聞記者のインタビューに答えたように「現在の国際法(国連憲章)は軍事力を自衛権の行使に限定し、自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権の二つしかない」のであり、日本の場合は個別的自衛権としては自衛隊が合憲とされており、集団的自衛権は「いざというとき米国に助けてもらうため」に日米安全保障条約を締結しているのである。
ただ、現行安保条約によれば、アメリカは日本が攻撃された場合軍事支援する義務があるが、アメリカが攻撃されたときには日本はアメリカを軍事支援する義務を負っていない。そのため安保条約は「片務的」だという指摘が米国内にはあり、また日本が攻撃された場合自動的に米軍が日本支援のために駆けつけてくれることにもなっていない。米議会(上院および下院)の支持がなければ米軍は日本防衛の「条約上の義務」を果たすことができないのである。
現実問題として考えてみよう。もし北朝鮮や中国が日本を攻撃した場合、おそらくアメリカは日米安全保障条約に基づいて軍事的支援に乗り出してくれるだろうが、韓国が日本を攻撃した場合はアメリカは絶対日本防衛のための軍事行動に出ない。
韓国が突如日本に攻撃を仕掛けてくるといった想定そのものが非現実的と行ってしまえばそれまでだが、アメリカ国内には、日本を守るためにアメリカ人は血を流さなければならないのに、日本人はアメリカのために一滴の血も流さないという条約上の関係に大きな不満を抱いているのは確かである。そうした安保条約の「片務性」を解決して、いざというときには日本人もアメリカのために血を流せるようにしようというのが「憲法解釈変更によって集団的自衛権を行使するようにする」という安倍総理の真の目的なのだ。
が、集団的自衛権は、これまで見てきたように、日本が他国から攻撃を受けた場合に発動できる「自衛」のための「固有の権利」の一つであり、他国(安倍総理が想定しているのはアメリカ)を防衛するための権利ではないのである。安保条約を「双務」的な条約に改正するには(それは日本の安全をより強固なものにするためには必要なことだが)、現行憲法が日本が独立を回復した時点ですでに「無効」になっており、現在の日本が占めている国際的地位にふさわしい尊厳と責任を反映した新憲法を制定する必要があることを、広く議論を起こして国民の理解を得ることが何よりも大切なことではないだろうか。(続く)
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