小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

徳洲会から5000万円を「個人的に借りた」猪瀬都知事の言い訳の読み方を教えます。

2013-12-02 06:48:40 | Weblog
 このブログから従来の「で・ある」調に戻す。「です・ます」調の方がソフトな感じになるため、いったん「です・ます」文体でブログを書いてきたが、長年「で・ある」調になじんできたこともあり、どうしても違和感をぬぐえなかった。そういうわけで、このブログから従来の文体に戻すことにする。

 11月29日、東京都議会の本会議が開催された。猪瀬都知事は所信表明演説で、徳洲会から「借りた」(と主張している)5000万円の使途目的について依然と「選挙に落ちたときの生活が不安だったから」と説明している。「選挙資金ではなく、個人的な借金」と言い張る以上、個人的な理由も説明せざるをえず、その結果、猪瀬氏は自ら墓穴を掘ってしまった。なぜ「墓穴を掘った」ことになるのかは、このブログの最後に明らかにする。
 今週木曜日(12月5日)には各党の代表質問が始まり、猪瀬氏の「個人的借金」問題についての本格的追及が始まることは必至である。いまのところ、マスコミの予想によれば、各党の追及は猪瀬氏が4回目の記者会見で初めて公開した「借用書」なるものの真偽に集中するようだ。
 確かに猪瀬氏が記者会見の席上で高々と掲げて見せた「借用書」にはいかがわしい要素がいっぱいある。たとえば返済時期も記載されていなければ、印紙も貼られていない、無利息無担保で連帯保証人もいないという、5000万円という大金の「借用書」としてはあまりにもずさんなものであることは間違いない。
 しかし、「借用書」問題をいくら追及しても、したたかな猪瀬氏が真相を語るとは到底思えない。「この借用書は本物だ。借用書を渡した徳田毅衆院議員に確かめてくれ」と言われても本物かどうかの真実は明らかにできない。徳田毅氏とは口裏を合わせることができたため、4回目の記者会見で「貸金庫にしまっていたのを思い出した」といけしゃあしゃあと抗弁した猪瀬氏の「ウソ」を暴くことは不可能だからだ。
 誰が見ても不自然であっても、猪瀬氏が「うかつだった。その点は申し訳なく思っている」という抗弁を繰り返すに決まっているので、「借用書」に書かれた猪瀬氏のサインが最近のものか、1年前のものか、サインに使用されたインクの科学的分析ではっきりさせることが出来るか否かを、しかるべき科学分析研究機関に聞いてみるしか方法はない。だが、わずか1年の経年劣化を最新の分析機器を使用しても調べることは、おそらく不可能であろう。となれば、「借用書」問題を巡って、いくら猪瀬氏を追及しても「うかつだった。その点は申し訳なく思っている」という猪瀬氏の抗弁の不自然さをそれ以上追及することは難しい。
 となれば、「借用書」の真偽問題から離れて、別の視点から猪瀬氏の「ウソ」を暴くしかないことになる。果たして都議会の議員が私のブログを読むかどうかは分からないが、このブログの最後に書く切り口で猪瀬氏を追求すれば、間違いなく猪瀬氏をノックアウトすることが出来るはずだ。

 猪瀬直樹氏はノンフィクション作家として一時代を築いた人物である。言うまでもなくノンフィクションはジャーナリズムと限りなく近い存在である。つまり、権力(公的権力だけとは限らない。マスコミも巨大な権力であり、だから私のブログ・シリーズのタイトルは『小林紀興のマスコミに物申す』としている)によって意図的に隠ぺいされている(あるいは隠蔽されてきた)真実を明るみに出すことがその大きな使命であるはずだ。ペンの力によって権力に挑んできたノンフィクション作家やジャーナリストは、何らかのきっかけで権力の座に就いたとしても、自らのアイデンティティを捨ててはならないはずだ。念のため「アイデンティティ」とは「自己同一性」を意味し、立場が変わろうと人間としての生き様は不変であらねばならないことを意味する。猪瀬氏は、ノンフィクション作家やジャーナリストが自らの生き様として最も重要視すべきアイデンティティを失ったのかもしれない。
 いや、もともとアイデンティティなど、猪瀬氏は持ち合わせていなかったのかもしれない。ノンフィクション作家として権力構造に挑んできたことも、自らが権力を手にするための手段に過ぎなかったのかもしれない。そう考えれば、徳洲会からの5000万円の「借金」についての真実を明らかにしないのは、権力の座に就いた猪瀬氏にとっては、せっかく手にした権力の座を守るための「権力者の固有の権利」である常套手段の一つなのであろう。
 
 猪瀬氏の過去を多少明らかにしておこう。彼は信州大学生時代、革命的共産主義者同盟全国委員会(学生運動組織である中核派の上部組織――民青と日本共産党のような関係)に属し、1969年には信州大学全共闘議長にもなっている。この年は東大安田講堂立てこもり事件などでよく知られているように、「全共闘時代」とも言われている。
 機動隊の突入によって安田講堂が陥落して全共闘時代は終焉を迎えるが、猪瀬氏も学生運動から身を引き、大学卒業後、上京して出版社勤務を経て明治大学大学院に進学、思想的にはナショナリズムに転向する。ちなみに学生時代に左翼活動の指導者で、のちにナショナリストに転向した人物はかなり多い。なおウィキペディアには転向者の一人として猪瀬氏も名を連ねているくらいだから、すでに若くして彼は自らのアイデンティティを放棄したと考えられる。否、そもそも猪瀬氏にはアイデンティティなるものが最初からなかったのかもしれない。そう考えれば、その後の彼の生き様も矛盾なく理解できる。
 そのことはともかく、彼がノンフィクション作家として頭角を現したのは86年に小学館から出版した『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したことが契機だった。この作品は、西武グループの一方の総帥・堤義明氏(もう一方は先日死去した異母兄の堤清二氏)が、皇族との関係を深めながら皇族や元皇族の所有地を買収してプリンスホテルを建設していくプロセスなどを検証したもので、ジャポニズム学会特別賞も受賞している。
 ノンフィクション作家にとって、大宅壮一ノンフィクション賞は小説家が目指す芥川賞や直木賞と同様、いわばオリンピックの金メダルのような大目標である。ところが、これらの賞はかえって作家生命を短命に終わらせてしまう「もろ刃の刃」のような厄介な性質も持っているのだ。というのは、こうした賞を貰うことによって受賞者の原稿料が一気に跳ね上がってしまい、受賞するにふさわしい実力の持ち主であれば生き残れるが、実力が伴っていないのにたまたま受賞してしまったような作家は、実力以上に原稿料の相場が高騰してしまい、かえって仕事の機会を失って姿を消すことになるケースが数えきれないくらいある。
 こうしたケースは実はどの世界でもあることで、俳優でもたまたま作品に恵まれ主演賞などを貰ってしまうとギャラが一気に跳ね上がり、本物の実力が伴っていなかった場合、かえって命取りになってしまうことがある。また普通のサラリーマンの世界でもたまたま大きな仕事を成功させ、それを「実力」と勘違いされて要職に就かされ、挙句にリストラの対象にされてしまうといったこともままある。
 また実力がありすぎる場合も、仕事の機会が失われてしまう。その筆頭が俳優の高倉健氏で、彼を主演にした映画を作ろうとすると数十億のギャラを覚悟せざるをえず、そうなると日本だけのマーケットでは高倉氏に払うギャラを稼ぎ出すのは不可能だ。その結果、高倉氏が映画に出演するとしたら、「ギャラなど、いくらでもいい。この作品はどうしてもやりたい」という彼の男気というかボランティアに頼るしかない。その点、渡辺謙氏はギャラを稼ぐ場はハリウッドに求めることが出来るから、彼の俳優生命は今後もかなり続くだろう。
 人気と実力を勘違いして自分の世界を変えようとして失敗したケースも少なくない。ハリウッドの大物スターだったシルヴェスト・スタローン氏がそうだ。ロッキーやランボーのシリーズでアクションスターのトップになったが、人気の高騰を俳優としての実力と錯覚し、「もうアクション映画には出ない。これからは性格俳優の仕事しかしない」と宣言した結果、以降彼の俳優生命は事実上終わりを遂げた。
 そういう世界にあって、猪瀬氏は『ミカドの肖像』を足掛かりにノンフィクション作家として不動の地位を築いてきた稀有の作家の一人である。その彼が政治の世界で一躍脚光を浴びるようになったのは道路公団民営化に携わってからである。その契機になったのは96年に文藝春秋社から出版した『日本国の研究』で、虎の門周辺に集結している特殊法人への官僚天下りの実態や税金の無駄遣いを暴いたことが、のちに首相になる小泉純一郎氏の目にとまり、小泉内閣の誕生によって2001年、行革断行評議会(行政改革担当大臣の諮問機関)のメンバーに名を連ね、次いで翌02年には道路公団四民営化推進委員会委員に就任、すったもんだはしたものの道路公団民営化の実現に貢献した。その経緯は彼自身の著作『道路の権力 道路公団民営化の攻防1000日』や『道路の決着』に詳しい。
 その猪瀬氏が、石原慎太郎都知事の要請を受けて副知事に就任したのは07年である。「日本を変えるには東京から」と東京の改革を目指した石原氏が、道路公団民営化で辣腕をふるった猪瀬氏を高く買ったのであろう。
 偶然だが、石原氏もまた「転向」組の一人である。ただし、ウィキペディアには転向者の代表例としては記載されていない。
 石原氏は1958年に大江健三郎・江藤淳・谷川俊太郎・寺山修司・英六輔ら各氏と「若い日本の会」を結成し、60年安保改定に反対したが、派手な反対運動を展開したわけではなく、どこまで本気で安保反対を表明したのか不明である。
 ただ68年の参院選に自民党から全国区に出馬してトップ当選を果たした時には、いわゆる「進歩的文化人」から「裏切り者」「転向者」とののしられたが、石原氏は「敵の懐に入って内部から改革する」と抗弁している。が、そのわずか5年後の73年には渡辺美智雄・中川一郎・浜田幸一議員ら31国会議員を結集して派閥横断的グループの「青嵐会」を結成し(中曽根派議員が多数を占めていた)、マスコミから「極右集団」とのレッテルを貼られたこともある。
 石原氏は75年、美濃部亮吉氏に対抗して都知事選に出馬したが、「ばらまき福祉」で都民の支持が厚かった美濃部氏には勝てず、選挙で初めて敗北を味わっている。が、99年に都知事選に再挑戦し勝利した。この選挙を支援したのが徳洲会の徳田虎雄氏だった。この時期、徳洲会は全国各地で地元医師会と衝突しながら徳洲会病院を作っていたが、東京都だけは東京都医師会の厚い壁に阻まれ進出できずにいた。が、猪瀬氏が石原都知事の要請を受ける形で2007年に副知事に就任して以降、なぜか徳洲会は念願の東京進出を果たすことに成功している。現在は昭島市に東京西徳洲会病院と西東京市に武蔵野徳洲苑(有料老人ホーム)を開設しており、さらに武蔵野徳洲苑のすぐ近くに武蔵野徳洲会病院を建設中で、15年2月に開設予定である(両施設とも所在地は西東京市向台3丁目)。都は武蔵野徳洲苑に7億5千万円を補助し、東京西徳洲会病院には9億6千万円を補助したという(武蔵野徳洲会病院への補助金額は不明)。
 東京都全体の有権者と昭島市及び西東京市の有権者の数は不明だが、猪瀬氏が昭島市と西東京市での票の獲得のためにわざわざ鎌倉の病院に徳田虎雄氏を訪ねた、という説明はどう考えても合理的ではない。徳洲会にとって念願の東京都進出に猪瀬氏がどう関与したか走る由もないが、一定規模以上の病院開設の許認可権を持つ都の重職にあった猪瀬氏が、徳田氏を訪ねたのは、「あの時の貸しを返してくれないか」という目的だったと考えるのが合理的であろう。もちろん「あの時の貸し」とはそれなりの権限を持っていた人物が徳洲会の東京都進出に便宜を払い、破格かどうかは分からないが補助金まで出させるようにした経緯を意味する。
 そう考えると、猪瀬氏が言う「個人的な借金」というのは、むしろ真実に近いと考えるべきだろう。ただしその「個人的な借金」は「返す必要がない借金」だったということだ。徳洲会側からすれば、猪瀬氏が都知事になれば徳洲会の東京都制覇に弾みがつく、と徳田虎雄氏は考えたのではないか。そう考えると政治家と政治家に群がる業者の持ちつ持たれつの関係の一つということになり、「貸し」と「借り」のスパイラルの世界が都知事選を背景に実現されたと考えるのが自然だ。
 徳洲会が政治力を拡大するために政治家に金をばらまいていた事実が明らかにされつつあるが、ばらまかれた金は最大でも阿部知子衆院議員に対する「貸し金」300万円に過ぎず、阿部議員は猪瀬氏と違って政治資金収支報告書に記載しており、2%の利息を付けて徳洲会に返済している。ちなみに猪瀬氏は「5000万円は個人的な借金だから会計責任者にも話していないし政治資金収支報告書にも記載しなかった」らしい。5000万円という金額がいかに常軌を逸脱した額であるか、ノンフィクション作家として一時代を築いた猪瀬氏が無感覚であろうはずがないと思うのだが。
 重要なのは、5000万円の借金の目的として猪瀬氏が説明している点だ。「墓穴を掘った」というのはこういうことを指す(このブログの冒頭に述べた猪瀬氏の致命的ミスをここで明らかにする)。
 猪瀬氏が苦し紛れに口にした「選挙に落ちたときの生活の不安があったから」という「借金」の口実は、裏を返せば選挙に落ちたら5000万円は自分の生活費に充てるつもりだったということを意味する。つまり、選挙に落ちたら返さなくてもいい金だったと言っているのである。その金額が5000万円なのだ。
 つまり。選挙に落ちたときに自分の生活費に充てるつもりの金、ということになると5000万円は選挙資金ではなく、個人的な借金でもなく、徳洲会からの贈与ということになる(ちなみに徳洲会側は贈与税を申告納税していない)。しかもその贈与は、選挙後ではなく選挙前に行われたということになると、なぜ徳洲会が落選後の猪瀬氏の生活費を、まだ結果が出ていないうちに提供したのかという重大な疑問が生じる。これは公職選挙法違反などでは済まない問題を意味する。つまり贈収賄ではないかという合理的な疑念が生じざるを得ないのだ。公職選挙法違反なら猪瀬氏は失職するだけだが、贈収賄罪に問われるということになると、悪質なだけにブタ箱入りが確実になる。もちろん政治家生命を失うだけでなく、作家生活に戻ることも不可能になる。
 今週から本格化する都議会で、猪瀬氏が苦境に陥るのは必至であろう。特定の政党の支援を受けずに都知事選を戦った彼の強みが、今、どの政党も彼をバックアップしてくれないという弱みに転じたのは皮肉と言えば皮肉な帰結であった。
 

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