小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

安保法制懇の報告書は矛盾だらけだ。そもそも「集団的自衛権」の意味が分かっていない。(番外編)

2014-05-20 09:30:03 | Weblog
 まず読者にお詫びしなければならないことがある。昨日(19日)投稿したブログは、このシリーズの4回目である。勘違いして5回目としてしまったので戸惑われた方も少なくなかったと思う。お許しを願う。なお予定を変えて急きょ、今日のブログはこのシリーズの「番外編」を書く。

 昨夜、いろいろ考えていてふと気づいたことがある。一つはメディアが盛んに報道しているアメリカの反応。二つ目は、もしいわゆる「集団的自衛権行使の限定容認」が国会で可決されたとして、その影響を最も受けると思われる沖縄県民の負担は軽減されるのかという視点。三番目に公明党と、公明党の支持母体である創価学会との間に亀裂が生じつつあるのではないかと思わせる創価学会の政治的主張についてである。
 まずアメリカの反応だ。オバマ大統領もケネディ駐日大使も安倍総理の「集団的自衛権行使」政策に積極的な支持を表明している。そのことはメディアもしばしば報道しているが、なぜ米政府が日本に対する内政干渉とも受け取られかねない発言を繰り返すのか。安倍総理の靖国参拝に対しても公然と「失望している」と非難した。安倍総理の靖国参拝は政府の公式行事として行われたわけではなく、総理の個人的信条による行為であり玉串料も総理の懐から出している。
 私自身は、靖国神社がA級戦犯を合祀して理由として「昭和受難者」(先の大戦の犠牲者)と説明しているのに、では沖縄の集団自決者を合祀しないのはなぜかという論理的非整合性を指摘してきたが、これまで中曽根総理や小泉総理の靖国参拝に一切口出しをしなかった米政府が突如「最大級の親米派」とみられる安倍総理の靖国参拝に対しては、一国の総理に対しては非礼とも言える表現で非難した。その理由ははっきりしている。中韓の反日感情を刺激して極東に緊張が高まることは、アメリカの国益に反するからだ。 
 だとしたら、ウクライナの内紛にEUが内政干渉し、EU諸国の大半と同盟関係にあるアメリカがロシアへの経済制裁など圧力を加えている行為に対し、日本政府は「失望した」と公然と表明すべきではなかったか。いま日本はロシアとかつてないような友好関係を築きつつある途上にあり、重要な国益がかかっている最中である。この機会を逃せば、いつ同様な機会が訪れるかわかったものではない。日本にとっては迷惑至極な話であり、そうした立場から同盟国日本の国益を阻害しかねない米国の対ロ政策に対して、明確に「失望した」と表明すべきではなかったか。
 同様に安倍総理の「集団的自衛権行使」政策に対しては、なぜ日本国民の世論を無視してまで、あえて安倍総理の政策に対して支持を表明しているのか。はっきり言えば米政府の「政益」に合致した政策だからだ。
 米国内には、いまだに「リメンバー・パールハーバー」の対日感情を抱いている人たちが少なくない。日米安保条約についても米政府が米国民に正確な実
態を説明していないから、日本はアメリカのために血を流そうとしないのに、
なぜアメリカが日本のために血を流さなければならないのかといった感情を持っている人たちが少なくない。
 そもそも国家間の条約は双方にとって利害関係が一致した部分についてのみ結ばれるというのが通常である。かつて日露戦争で日本が勝利できた大きな要因の一つに日英同盟によってイギリスがバルチック艦隊のスエズ運河の通過を認めず、世界最強と言われていたロシア海軍を疲弊させたことが、日本海海戦での歴史的大勝利に結びついたように(私はそれだけが日本勝利の要因とは言っていない)、当時においては西と東に勢力の拡大を図りつつあったロシアを封じ込めるという点で日英の利害が一致したからである。が、イギリスが考えていた以上に日本が大勝利し、アメリカの仲介によって日露戦争が終結したのち、日本がロシアから莫大な権益を獲得したとたんイギリスにとっては、中国やインドに獲得してきた権益の維持にとって日本が驚異の対象に変わり、日本が獲得した権益の一部をロシアに返還させようとするヨーロッパ列強と足並みをそろえて日本に圧力を加える側に寝返ったという歴史的事実もある。
「国益」というものは、そういうものであり、アメリカの「国益」と日本の「国益」が合致していた時代に結ばれたのが現在の日米安保条約であり、そのため日本の国力(おもに経済力)がまだ十分に回復していなかった時代、アメリカにとっては対ソ防波堤として日本を軍事的に防衛することが日米双方にとって共通した国益だった。
 言っておくが、現在の日米安保条約は日本が独立を回復した1951年9月に締結された条約を60年に岸内閣の下で改訂したものであり、日本が「世界の奇跡」と言われた高度経済成長時代に入るのはその後である。まだ日本の国力は十分に回復しておらず、日本側の負担は米軍基地のための土地を提供するだけで、基地の維持費用の負担義務はないことになっていた。が、その規定もなし崩し的に変更され。1978年から日本政府は「思いやり予算」というおかしな名目で米軍基地の運営維持費用の一部を負担することにした。2011年度の「思いやり予算」は一応1,858億円とされているが、それとは別に「基地周辺対策費」などの名目で5,053億円が米軍基地運営維持のために支払われている。
 アメリカ政府は日本とくに沖縄に偏在する米軍基地が日本防衛のためというより、東南アジアの軍事的支配権を維持するために重要な基地であり、日本から多大な貢献を得ていることを米国民に説明していない。そのため、多くのアメリカ国民は日米安保条約の下で、アメリカが一方的に日本防衛の義務を負っていることに少なからず不満を抱いており、日本がいわゆる「集団的自衛権」を行使できるように憲法解釈を変更して、アメリカが攻撃された際は日本もイギリスと同様アメリカのために血を流してくれることになったと米国民に説明
したいのだ。それが、オバマ大統領やケネディ大使が安倍総理の政策に対する支持を公然と表明している理由、と考えるのが最も合理的である。それ以外に説明できる合理的理由はない。メディアの思考力が低下しているだけのことだ。
 次に、もし「集団的自衛権の限定行使」を憲法解釈で容認できるとしたら、沖縄の米軍基地はどうなるかという問題である。この問題にも政府は一切口をつぐんでいるし、メディアもまったく問題視していない。
 はっきり言えば、日本が「集団的自衛権」を行使できるようになったとしたら、アメリカが沖縄に基地を偏在させる理由が消滅する。東南アジア方面における米軍の最大の軍事拠点は沖縄とグアムに置かれており、グアムの米軍基地が攻撃され、米政府から支援の要請があったら自衛隊が出動することになるわけだから、沖縄の米軍基地は、ゼロとまでは言わないにしても少なくとも半減はできることになるはずだ。沖縄県民の負担は大きく軽減できなければおかしい。安倍総理も米政府も、日本が「集団的自衛権」を行使できるようになったら、沖縄に偏在している米軍基地がどうなるか、沖縄県民の苦痛は解消されるのか、そのことになぜ口をつぐんでいるのか、メディアはなぜこの重大な視点を持たないのか。私には理解できない。
 最後に創価学会の態度表明である。創価学会の広報室が集団的自衛権行使問題について異例の発表をした。メディアの質問に対して答えたのではなく、自ら態度表明したようだ。その内容とはこうだ。
「私どもの集団的自衛権に関する基本的な考え方は、これまで積み上げられてきた憲法9条についての政府見解を支持しております。従って集団的自衛権を行使する場合には本来憲法改正手続きを経るべきであると思っています」
 公明党が創価学会を支持母体としていることはすでによく知られている。というより、創価学会の政治部門が学会から分離して公明党という政党になったというのが正確な表現である。そのため選挙の際には創価学会の信者が鉦や太鼓で立候補者を応援し、その選挙応援があまりにも社会常識を逸脱したものであったためメディアから袋叩きにあった。以来、公明党は一応創価学会とは一線を画すとしてきたが、実際には創価学会の意向にそった政治スタンスをとってきた。創価学会も「政教分離」の原則に従って創価学会自身が政治的主張をしたことはなかった(と思う)。
 そういう意味では、創価学会の主張自体には私は否定しないが、なぜこの時期敢えて禁じ手を使ったのかに大きな疑問を持たざるを得ない。なぜかメディアはそうした疑問を持たない。持てないのか(つまり思考力不足)、持たないことにしているのか。
 私はこのブログで公明党の山口代表がNHKの取材に対して与党協議に前向きに応じるかのような発言をしたことの意味について推測記事を書いたが、ひ
ょっとしたらその山口発言が創価学会の逆鱗に触れたのかもしれない。その後、公明党は「個別的自衛権で対応できるケースだ」と憲法解釈の変更には応じない姿勢を表明しながら、与党からの離脱は否定し与党協議にも応じることにしている。ただし、安保法制懇の報告書が「集団的自衛権の行使」は「わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき」と限定したことについて、山口代表は講演会で「きわめて抽象的であいまいだ。こういう基準ではどこをどう限定しているのかが疑問だ」と発言した。公明党が創価学会のコントロールが聞かなくなりつつあるのか、そうだとしたら公明党が党勢の伸び悩みについて「その理由は創価学会のコントロール下にある」というイメージが国民の間に定着していて、そうしたイメージを払しょくしない限り党勢の拡大は期待できないと考え、敢えて創価学会との距離を置こうとして学会に逆鱗を買ったのか、そういう視点で今後の公明党の動向を見ていく必要があるだろう。

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