小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

小林紀興の社会保障制度改革論

2008-07-03 14:51:09 | Weblog
税制改革について
 現在の、社会保障を支えるための財源はほぼ消費税率のアップによってまかなうという議論が中心になっています。私も消費税率のアップは避けられないとは考えています。
 ウィキペディアによれば、消費税導入は法人税を40%から30%に引き下げることによって生じる税収不足を補うため、という議論があったと書かれていますが、私の記憶では戦後のシャウプ税制によって過酷な税負担を強いられていた高額所得者の最高税率(所得税+住民税)を欧米並みに引き下げることが当時の自民党政権と財界が仕組んだ税制改革の目的だったと思います。ウィキペディアによれば所得税の最高税率(課税標準1800万円以上)は、86年まで70%だったのが、87年60%、89年50%、99年37%、07年40%と変遷をたどっています。ここで注目すべきは99年に37%に大幅減税が行われる2年前の97年には消費税率が5%に引き上げられていることです。この消費税率アップと所得税の大幅減税が同時ではなく2年間のギャップを自民党政府が置いたため、大きな社会的問題にはなりませんでした。
 問題は平成元年(88年)の消費税導入が、翌89年の所得税法改定(最高税率50%への引き下げ)と事実上パラレルに行われた税体系の抜本的改定だったということです。実際今でも私の記憶に鮮明に残っているのは自民党政府と財界がタッグを組んで、①高額所得者の税負担(所得税+住民税)が欧米先進国に比べて重過ぎる ②高額所得者に過酷な税負担を強いると彼らがやる気を失う、という主張を大々的に展開したことでした。
 政財界が一体となって主張した高額所得者への税負担軽減の二つの理由の中の①については当時私も異論はありませんでした。ただし②はまったくのウソです。ネットではいつごろ経済界でもてはやされたか調べることはできませんでしたが、ダグラス・マグレガーのXY理論が経営手法の本流になった時期があります。X理論とは「従業員はもともと働く意欲は持っていず、アメとムチで管理する必要があるという従来型経営手法」で、Y理論は「人間の欲望は5段階に分けられ①生きるための最低限の欲望②性欲③金銭欲④名誉欲、そして最高ランクの⑤が自己実現の欲望である」というものでした(Y理論の人間の欲望の5段階は⑤の「自己実現の欲望」を除き私の記憶で書きました。間違っていたらご指摘ください)。日本の経営者たちはこのマグレガーのXY理論をもてはやし、従業員に「給料や地位にこだわらず、自己実現のために働け」とハッパをかけていました。そのことをすっかり忘れた振りをして、「税金を安くしないとやる気を失う」と、いけしゃあしゃあと主張したのが当時の財界でした。
それはともかくシャウプ税制が高額所得者を狙い撃ちにした税体系を作った効果は確かにあり、税引き後の可処分所得の格差が極めて少なくなった結果、年功序列型給与体系を築いてきた日本企業(年功序列・終身雇用が従業員対策の経営手法として確立されたのは戦後です)で働く若年層従業員の可処分所得が、欧米先進国企業で働く若年層従業員の可処分所得よりかなり多くなり、50年代後半から日本の高度成長の先触れとなった3種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)ブームが生じました。このように庶民の生活が豊かになり始めた56年、『経済白書』が「もはや戦後ではない」と日本経済の復活を高らかに宣言したのも無理はありません。
さらに65~70年にかけて57ヶ月間の高度成長を続けた時期(いざなぎ景気)には、日本はアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になり、超高級品だった3C(自動車=カー、クーラーカラーテレビ)が庶民にも手が届くようになりましたね。つまり日本の高度経済成長は、高額所得者への過酷な税負担を強いたシャウプ税制がもたらしたと言っても過言ではないと思います。
その結果、日本人の約80%(だったと思います)が自分たちの生活水準を「中流階層」と認識できるほど私たちの生活が豊かになったとも言えます。そこまで日本を豊かな国にするため犠牲を払ってくれた高額所得者への税負担を国際水準並みに下げたいとする政財界の主張はもっともなものだったと私は考えました。
しかし欧米先進国の富裕層は、その有り余る金を慈善団体に寄付したり、貧しい学生のための学費や生活費を支援するための財団を作ったりしています。アフリカの貧しい人たちのために医療援助したり学校を作ったりもしています。彼らは自分が稼いだお金は社会から与えられたものという認識(たぶんキリスト教精神の影響だと思います)を持っています。だから社会奉仕の目的には躊躇せず大金をぽんと出すのです(ビル・ゲイツもその一人です)。
それに比べて税負担が軽減され、可処分所得が増えた日本の富裕層が、有り余ったお金をどう使ったでしょうか。社会還元を目的に福祉団体に寄付したり、貧しい国の人たちのために使おうとしたでしょうか。そういう人たちがゼロだったとまでは言いませんが、大半の富裕層は「金が金を生む」ことを目的に不動産やゴルフの会員権、株などに投資し、いわゆる「バブル景気」の立役者になったのです。日本人の公共的意識の低さを、彼らの行動が証明しただけでした。
私は自民党政権の所得税法改定の理由のうち①については「当時支持した」と書きました。日本の高額所得層が、増えた可処分所得を、さらに自分の財産を増やすためにしか使わないなどとは予想もしなかったからです。そのことがすでに明らかになっていたのに、自民党政府は97年、まず消費税を5%に引き上げ、その消費税アップへの世論の反発が時間の経過によって沈静化するのを待って2年後の99年には所得税法を改定し、最高税率を一気に37%にまで引き下げてしまいました。
今となっては日本の税体系をシャウプ税制に戻すというのは無理です。そこで私は現在の高額所得者への最高税率(所得税+住民税)50%を60~65%に引き上げることをまず考えましたが、再考を重ねた結果、別のアイディアを思いつきましたのでそれを提案します。その理由は高額所得者の最高税率を引き上げても、たぶん高額所得者はこれからの日本の社会保障の一端を自分たちが担う責任があるという自覚を持ってもらえないと思ったからです。
そこで私の新しい提案ですが、高額所得者に対しては所得税、住民税に次ぐ第三の課税として「社会保障税」を設け、その税率は一律ではなく、所得に応じた累進税率にしたらどうか、というものです。社会保障税の累進税率については、私は税制を専門的に研究してきたわけではないので、税制を専門的に研究されている方たち(財務省主税局・各政党の税制担当者・大学教授・マスコミ各社の論客など)に考えていただきたいと思います。
いずれにせよ、そうした目的税を設けることによって、社会福祉など自分には無縁だと思っていた高額所得者も、社会保障のための目的税を負担することによって否応なく社会の一員として所得に応じた社会福祉に貢献しているという自覚を持つことになり、そうした税負担を誇りに思ってくれるようになるのではないでしょうか。
次に消費税ですが、理論上はもっとも公平な税制と言えなくはないと思います。しかしそれはあくまで机上の論理にすぎず、現実問題としては現在の消費税制を維持したままで税率をアップすると、当然のことですが低所得者にとっては過酷な税負担を強いることになります。私がネットで検索したところ、日本のように特定品目への減免処置を講じていない国はデンマーク(税率25%)、チリ(19%)、コロンビア(16%)、エジプト(10%)、韓国(10%)、タイ(7%)、ニュージーランド(12.5%)、フィリピン(12%)、シンガポール(7%)など数カ国にすぎません(知名度の低い小国は除きました)。読売新聞が社説でヨーロッパ諸国の最低水準である15%への引き上げを提案しましたが、たとえば消費税17.5%のイギリスは食料品など生活必需品は非課税にしています。
しかしイギリスが消費税をいつ導入したかはネットでは調べられませんでしたが、おそらくその当時のIT技術では同じ生活必需品といっても、富裕層にしか買えない高額商品と、低所得者が購入する安い商品とを差別化した税率にすることは事実上不可能だったはずです。
たとえば日本人にとって、絶対的に必要不可欠な米ひとつとっても、最高級ブランドの魚沼産コシヒカリは5キロで3980円、一番安い米は北海道産きららで1980円(イトーヨーカドー、ただし通常価格)とほぼ倍の価格差があります。もちろん低所得者層にとっては魚沼産コシヒカリは高嶺の花だし、富裕層が北海道産きららを買うこともまずありえません。
が、日本が消費税を導入した20年前、5%に引き上げた11年前とはIT技術に格段の差が生じています。今では米袋にタグをつけ、そのタグにセンサーをタッチするだけで魚沼産コシヒカリには10%の消費税が加算され、北海道産きららは非課税にするといった消費税の差別化政策が容易にできるのです。だから「食料品は非課税」といった生活必需品をいっぱひとからげにした消費税制にするより、同じ米でも富裕層にしか手が出ない商品にだけ課税するといったことが、最先端のIT技術を活用すれば簡単にできるし、そういう消費税制なら高級品に対する最高税率を15%くらいに引き上げても国民は納得すると思われます。
この二つの税制改革によって、少子高齢化に歯止めがかからない日本の将来の社会保障体制を確実なものにすることが可能だと思います。このブログを読まれた方のご意見をお待ちしています

年金改革について
年金問題は基本的には国民年金問題です。民間企業に勤務する人たちの厚生年金(大企業の多くは厚生年金に上乗せした企業年金制度も設けています)や公務員が加入する共済年金は問題は生じていません。
私は現在年金受給者ですが、厚生年金と国民年金を合算した額を受給しています。サラリーマンだった時代に加入していた厚生年金と、フリーのジャーナリスト(自由業)になってから加入した国民年金の両方を貰っています。社保庁で調べてもらいましたが、ダブル受給者の総数はカウントしていないとのことですが、かなりいるようです。国民年金の加入が義務付けられている20~59歳までの人の職業は、①自営業・②自由業・③フリーターなどのアルバイトやパート・そして④無職の人(学生も含む)などです。これらの国民年金加入義務がある人の中で保険料の不払い者は基本的には③と④です。この③と④の人たちをどう救済するかが年金問題の根幹を占めています。
実はこの③の人は二つのケースに分けられます。
ひとつは低所得で保険料を払える資力がない人。④の人は所得がありません。
もうひとつは、どうせ払っても早晩国の年金制度は破綻するから掛け損になると考えている確信的不払い者。この人たちは過去の社保庁への不信感を強烈に持っている人たちで、社保庁解体後も旧社保庁職員が居残って年金制度を運用する限り、年金制度への不信感は払拭できないでしょう。旧社保庁の居残り職員に対しては5年間20%の給与カット(その間給与は物価スライドするだけで原則据え置き)くらいの厳しい処置を取らない限り、この確信的不払い者が年金制度への不信感を拭い去ることは難しいと考えます。
NHKが視聴者の信頼を取り戻すため、不祥事を起こした職員に懲戒解雇や諭旨免職といった厳しい処置を取ったことを考慮に入れると、社保庁職員の組織ぐるみの、犯罪といっても過言ではない行為を免責することは国民感情からいっても許しがたいことだと思います。もちろん不祥事とは関係がほとんどないことが確認された職員への懲戒処分は行うべきではないと思いますが、懲戒処分を受けた職員900人も再雇用する(いちおう1年間の有期雇用として、その間の働きを見て正規職員にする)などという姑息な手段は政府として認めるべきではありません。この確信的不払い者に、国民年金に国民の義務として加入してもらうには、いまの社保庁解体後の年金運用機関として設立される日本年金機構が国民の信頼を取り戻すため、今後どのような施策を講じるかが試されると思います。
ここで私の年金改革案を述べる前に、読売新聞が4月16日に提言した年金改革案について検証を行ってみたいと思います。読売提言の骨子は次の4点からなります。
① 年金を受給するには、現在は最低25年保険料を支払わなければならないが、受給資格を得るための最低払い込み期間を10年に短縮する。
② 最低保障年金を創設し、10年間保険料を払って受給資格を得た人には月5万円の年金を保障する。
③ 保険金を満額(40年間)払った人の年金を月7万円に引き上げる(現在は6万6千円)。
④ 子どもが3歳になるまでは保険料を免除し、困窮世帯には保険料を免除する。
 読売が提言した年金改革案の骨子はこの4点に絞ってもいいでしょう。
 読売は「子どもが3歳になるまでは保険料を免除すれば、少子化対策にもなる」と主張していますが、若い夫婦が二人、三人と子どもを作ろうとしないのは経済的理由によると考えたようですが、とんでもない大誤解です。少子化問題については国立社会保障・人口問題研究所が調査しており、年間の出産数は73年以降減少が続き、03年には73年の54%に減っています。その原因のうち最大の要因は結婚の仕方が変わった(晩婚化・未婚化)ことにあると分析しており、これは先進国に共通な現象で、経済的理由によるものではまったくありません。つまり3歳未満の子どもがいる世帯の保険料を免除しても少子化対策にはまったくならないのです。読売は何を根拠に少子化対策にも有効と主張したのかわかりませんが、少子化問題を専門的に研究している機関があるのに、その機関の調査結果を調べもせず「少子化対策にもなる」と、自分たち(同紙の「社会保障研究会」)の根拠のない勝手な思い込みで主張されては困ります。
 それはさておき、読売提言が実現したらどうなるかを、これ以上は不可能と言い切ってもいいほどフェアかつ論理的な検証を行ってみます。つまり、読売の社会保障研究会には絶対反論不可能な検証作業をするということです。
 この検証をする前提として、読売提言は「保険を10年掛ければ年金受給資格が生じ、月5万円の最低保障年金が貰える」としており、この受給資格を得るための条件は一切設定していません(そのことは、実は何度も読者センターに確認してきましたが、改めてこの提言を書いているたったいま読売の読者センターに再度確認しました。私の思い違いではありません)。
もうひとつフェアな検証をするための前提として、国民年金への加入義務がありながら加入していない人数を調べようとしたのですが、社保庁もまったく把握していないとのことなので、とりあえず現在の年金加入者数1595万人を読売提言による年金受給者とすることにしました。
① 年金を受給できる平均期間は
81.9歳(日本人の平均寿命)-64歳=17.9年間
② 保険料を10年間払って年金受給資格を得る人の支払い総額は
14410円(現在の国民年金保険料)×12ヶ月×10年=172万9200円
③ その人が65歳以降17.9年間に受給する年金総額は
5万円×12ヶ月×17.9年=1074万円
173万円支払って1074万円も貰えることになります。なんと6.2倍もの大盤振る舞いです。国にそんな余裕があるのでしょうか。
④ 一方経済的余力があり満期40年かけた人の保険料総額は
14410×12×40=691万6800円
⑤ その人が月額7万円の年金を17.9年間受給する年金総額は
7×12×40=1503万6000円(たったの2.2倍です)
⑥ その人が10年だけ国民年金に加入して年金受給資格を得た後、30年間保険料相当額をたんす預金(一切利子がつかない)したときの17.9年間に使える額は
1074万(③の計算結果)+14410×12×30=1592万7600円
つまり満期40年掛けて月7万円の年金を貰うより89万1600円多いことになります。しかも30年間のたんす預金には1円の利息もつかないという実際にはありえない状況を設定してもです。
すでに明らかにしたように、読売提言は国民年金加入者が「10年保険料を払って年金受給資格を得る」選択の条件を設定していません。当然現在の国民年金加入者1595万人は全員この選択をすると考えるのが合理的です。そうなると身の毛がよだつような結果が生じます。
⑦ 1595万人が全員⑥の選択をした場合、国が国民年金制度を維持するために負担しなければならない金額は
(1074-173)万円×1595万人=1713兆3059億円
この金額を17.9年間かけて捻出しなければなりません。年間負担額は
1713兆3059億÷17.9=957兆154億円
なんと08年度国家予算83兆613億円の11.4倍になるのです。これは中学1年生なら簡単に出来る計算です。
 要するに読売提言は「絵に描いた餅」にもならないことがはっきりしたということです。読売提言に対する私の検証結果は、私自身にも信じがたいものだったので、6月25日に読売の読者センターにFAXし、しかるべき部署で私の検証結果に対する再検証をお願いしました。その結果が出るまで私自身の年金改革案を書くのを待つわけには行かないので、とりあえず私の提案をこれから述べたいと思います。なお読売提言に対する私の検証を読売が再検証された結果は改めてブログで報告します。読売から何の回答がなかった場合は、私の検証が正しかったことを読売が認めたということです。これはアンフェアな判断ではありません。
 では私の年金改革提言を述べます。
 まず現在の国民年金の最高支給額(満期40年保険料を払った人が受け取る年金)は月6万6千円です。この金額で事実上生活していけるでしょうか。家賃がかからない持ち家の方でも生活は絶対に出来ません(かなりの貯金があれば別です)。したがって支給年金額は憲法第25条が定めている「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を保障する金額にすべきです。具体的金額は生活保護基準として設定されている生活費相当額(住宅費を含まない)を年金額とすべきです。ただし、被生活保護者は一切資産を持つことが出来ず年金などの収入だけでは生活できない不足分を支給されていますので、仮に東京都23区の65歳(年金受給が始まる年齢)単身者の生活費(食費等+光熱費等)約8万円を年金支給額にすべきだと考えます。そして保険料の納付期間も年金受給資格が生じる65歳になるまで延長します。
 その場合の保険料がいくらになるか、出来るだけ簡単な方法で計算します。
 まず現在の満期保険料の支払い総額は
 14410円×12ヶ月×40年=691万6800円
その掛け金に対して17.9年間に受給できる年金総額は
   6万6千円×12ヶ月×17.9年=1417万6800円
 この受給年金総額には国家負担1/3が含まれているので本人の支払い総額に対する純年金総額は計算上
   1417万6800円×2/3=945万1200円
 つまり掛け金に対する実質的受給倍率は  
1417万6800円÷945万1200円=1.5倍
 政府はこの国家負担を来年度1/2に引き上げる予定(国の実質負担増は1/2-1/3=1/6)です。一方国民年金保険料は17年まで段階的に増やし、16900円で打ち止めにすることが、いちおう決まっています。が、国の負担増が国民にはまったく見えないのです。保険料は年々上がる一方年金は増えない(厚生労働省年金局年金課の説明)からです。そこで私は国民にもっと見える形、つまり年金保険料を減らすことをまず提案します。国の負担増が一番わかりやすいからです。そうすると保険料は
   14410×(1-1/6)=14410×5/6=12008円(端数切捨てで12000円)になるはずです。この額は国の負担増1/6を保険料減額に使った場合です。
 一方私が提案する年金支給額を8万円とすると受給総額は
   8×12×17.9=1718万4000円
 そのうち国が従来どおり1/3を負担すると(つまり国が従来負担してきた1/3は受給額の増額に使い、負担増加分は保険料の減額に使うという状況を設定しました)、国民年金加入者が支払う保険料総額は
   1718万4000円×2/3÷1.5(現在の受給倍率を適用)=763万7300円
 この総額を20歳~64歳までの45年間かけて均等に支払うとすると(すでに掛け金の1.5倍の支給基準を計算に入れているので均等払いが正しい計算方式です)月額保険料は
   763万7300円÷45÷12=14143円
 端数は切り捨てて月額保険料は14140円で収まります。しかも今後9年間で保険料を16900円に引き上げる必要もありません。
 つまり現行制度をいじらず国の負担を1/3から1/2に引き上げて年金支給額6万6千円を維持するより、国民年金加入期間を年金受給が始まるまで5年間延ばすだけで、月額保険料は270円安くなり、しかも受給額は憲法が保障している「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」として被生活保護者への支給基準額(食費等+光熱費等 東京都23区の場合)相当の8万円が保障できるのです。国民に対する社会保障とは、こういう思考方法をベースに構築すべきなのではないでしょうか。
さて、ここからが私の年金改革提案の本論です。
 これだけ手厚い社会保障制度を構築しても、月14140円の保険料を払えない
人への救済策も大切です。読売提言のように免除すべきか、別の方法で保険料を払えるような仕組みを構築したほうがいいのか、それはこのブログの読者も考えて
みてください。とりあえず、私は後者の案を提案します。
 まず国民年金加入者の前年度の所得に応じて実質的保険料を決めます。支払
い保険料の上限は14140円です。所得税がゼロの人の支払い保険料を0円とし、
所得額に応じて3段階の保険料を設定します。たとえば3000円、7000円、11000
円といった具合にです。
 ここからが私の提案の画期的なところと自負していますが、不足分(たとえ
ば月額保険料7000円の人の不足分7140円)は免除するのでなく、国が代理納
付します。つまり国民年金加入者の全員が、いちおう14140円の保険料を満額
納付した扱いにします。ただし国が代理納付した金額は「融資」として扱いま
す。その金利はゼロにするのが望ましい、と私は考えています。融資の期間は
融資を受けた人が65歳になるまで、とします。もちろん途中で所得が増えた場
合は即返済(それまでの融資額全額でなくても)させます。そして年金受給資
格が生じた65歳になっても融資残高が残った人には融資残高相当額の資産を強
制的に売却処分させ、融資を完済させます。全資産を売却処分しても融資残高
が残った人には二つの選択肢を用意します。
 健康などの面で働くことが不可能と、その人が居住する地区にある福祉事務
所が判断した場合は、被生活保護者になっていただき、国は融資残高の請求権
を放棄します。その方は月8万円の年金に加え、生活保護基準で定められた限
度内の家賃を支給してもらえます。
 福祉事務所がまだ働けると判断した場合、健康的条件などで働くことが不可
能になるまでは働いてもらい、生活保護基準(年金8万円+生活保護基準限度
内の家賃)を超えた金額は強制的に返済に充ててもらいます。その後は被生活
保護者になっていただきます。この方法が年金問題を根本的に解決できる最も現実的で国家負担も少なくて済む方法だと思います。実際に国家負担がいくらになるかは専門家が計算して教えてください。


 
   
 


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