小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

やめて作家に戻る ? 真実を闇に葬ったままでそんなことができると思っているのか !?

2013-12-20 06:12:54 | Weblog
 ついに19日午前、猪瀬都知事は辞職することを発表した。その前々日、石原前都知事と会談し、「ここまで来たら辞めざるを得ないだろう」と引導を渡されたことが最後の引き金になったようだ。辞意を表明した記者会見の席で猪瀬氏は「これからは作家として、都民の一人として、都政を見守っていく」としおらしい言葉を発したが、政治家生命だけでなく作家生命も危ういことを、彼はまだ分かっていないようだ。
 それはそれとして、この間、猪瀬問題を報道してきたマスコミは都議会本会議や総務委員会での猪瀬氏のしどろもどろの答弁や都議会の対応を面白おかしく報道するだけで、なぜ猪瀬問題が生じたのかという根本的な追及を怠ってきたと言わざるを得ない。むしろ、マスコミは都議会に対して、唯々諾々と辞表を受理するのではなく、真実をすべて明らかにしてから辞表を出せと、辞表を突き返すべきだと主張すべきではなかったか。
 都議会議員が猪瀬氏の政治的責任を追及するのは当然だが、マスコミはマスコミとしての目線を持ってこの問題を掘り下げるべきだった。そのヒントは前回のブログで書いており、私のブログはマスコミ関係者からかなり広く読まれている。なのに、せっかく与えたヒントを理解できなかったようだ。
 徳洲会の東京都進出に猪瀬氏が何らかの便宜を図ったのではないかという点は大きな疑惑として追及すべきである。しかし、徳洲会が東京進出の足掛かりとして開設した昭島市の東京西徳洲会病院と武蔵野市の武蔵野徳洲苑(老人ホーム)、さらに武蔵野徳洲苑と目と鼻の先に建設中の武蔵野徳洲会病院はすべて猪瀬氏が副都知事になってから開設許可が下りた施設である。そのことをマスコミは報じてこなかった。私はインターネットでそうした事実を簡単に調べることが出来たのに。
 だが、インターネットでは分からなかったことがあった。マスコミ各社は昨年6月の東電の株主総会で猪瀬副知事が東電病院の売却を東電経営陣に激しく迫っていたことを取材しており、東電が売却を決めたあと徳洲会が入札に名乗りを上げていたことを知っていながら。猪瀬氏が鎌倉の病院に入院中の徳田虎雄氏を訪ねた際に、東電病院の売却問題についての話が出たのではないかという疑問すら呈さなかった。猪瀬・徳田会談の席に同席した関係者から情報提供されるまで、マスコミは関心を寄せなかったとしか考えられない。結局、徳洲会は徳田毅議員の公職選挙法違反の疑惑が明るみに出て入札を取りやめたが、こうした事実もマスコミではなく都議会議員が猪瀬氏を追及するまでキャッチしていなかった。マスコミはその後追い報道をしたに過ぎない。
 かつて「新聞記者は足で書け」という「名言」を残した大先達がいた。その当時は、それでよかった。ほかに情報を入手する手段がなかったからだ。しかし、今はインターネットという最大の情報入手手段がある。インターネットで情報を入手しようとする場合、最も活用されているのはウィキペディアである。記者は言う。「ウィキペディアには間違いも少なくない」と。そのことはウィキペディア自身も認め、記事の掲載について注釈をつけている。また間違った記述についてはだれでも訂正できるのが最大の特徴である。
 たとえば徳洲会は首都圏の1都3県で東京都を除く神奈川・埼玉・千葉の各県にはかなり前から進出を果たしており、相当数の病院・施設が開設されているのに、東京都だけは猪瀬氏が副都知事になる前には東京都医師会の厚い壁に阻まれて進出が出来なかったという事実もインターネットで簡単に調べることが出来る。もしその事実をマスコミが早期につかんでいれば、そこから「足を使って」なにを調べるべきかが分かったはずである。
 はっきり言えばインターネットを活用することが、記者諸君には怖いのだろう。足を使わなくても調べられることが多すぎて、自分の仕事がなくなってしまうからだ。実際インターネットを活用すれば、マスコミ各社は記者の数を半減できるだろう。東京電力には大幅なリストラを要求して(そのこと自体は間違ってはいないが)、その一方で「新聞には軽減税率を」とお願いするなら、その前に新聞社自身が大リストラを実行すべきだろう。第一、各新聞社はデジタル版を発行しているが、コストが紙に比べて格段に安いデジタル版のほうが紙より高いというのはどういうわけだ。理由は聞かなくてもわかっている。読者より販売店の経営のほうを重視しているからだ。だからアメリカのニューズ・ウィークが紙媒体を廃止してデジタル版だけにしたことは報道しても、紙媒体に対しデジタル版がいくら安くなったかは絶対に報道しないのだ。新聞社に対する八つ当たりはこの辺でやめておく。
 まずインターネットで分かっていることは、石原慎太郎氏が都知事選に立候補したとき、当時はまだ元気だった徳田虎雄氏が応援したという事実である。徳田氏と石原氏の関係はいつからどのようにして始まったのか、それをマスコミはまず調査すべきだ。
 本来、衆院選で(中選挙区時代)石原氏は徳洲会とはいい関係にはなかったはずだ(古参の政治部記者なら知っているはず)。同じ選挙区で石原氏は大蔵省出身の新井将敬氏(のち日興証券から利益供与を受けたという疑惑がもたれ自殺を遂げた)と争っており、新井氏を徳洲会は応援していたからだ。新井氏は大蔵省銀行局課長補佐の時、大蔵大臣に就任した渡辺美智雄氏の大臣秘書官を務め、徳洲会の関東進出の際、利便を図ったことは当時のジャーナリストなら誰でも知っている。
 だが、徳洲会が東京都進出を果たすために頼りにしていた新井氏が自殺してしまい。政治的足がかりを石原氏に求めたというのが、新井氏の政敵だった石原氏を支援した最大の理由ではなかったかと私は思う。
 実際、私が処女作の『徳洲会の挑戦』を上梓したのち(このいきさつは『私がなぜブログを始めることにしたのか』に詳しい)、徳田虎雄氏は「若獅子の会」をつくり政治活動をはじめようとしていた。徳田氏は、あまり裕福ではない家庭に生まれ、自分の病院をつくるための資金を調達するため生命保険に入り、保険金を担保に銀行から融資を受けて(今ではありえないことだが事実である)最初の病院を大阪府松原市に開設した。以来近畿地区を拠点に全国に徳洲会病院や医療関連施設をつくっていくのだが、進出しようとするすべての地区で地元医師会の猛烈な抵抗を受けてきた。
 医師会は農業団体と並ぶ、自民党を支援する巨大な政治勢力である。徳田氏が地元医師会の抵抗を打ち破って病院をつくるためには医師会に抵抗できる政治力を養成するしかないと考えたのは自然の成り行きと言えよう。で、「若獅子の会」を作り、徳洲会のために働いてくれる政治家をつくろうとしたのだが、彼の掌の上で踊ろうという人物は出なかった(厳密にいうと名乗りを上げた人はいたのだが選挙に勝てなかっただけ)。そのため、やむを得ず徳田氏自身が地元で衆院選に立候補したのである。
 地元の奄美群島区には保岡興治氏というお殿様の家柄の強力なライバルがいて、最初の挑戦では負けたが、2度目の挑戦で初当選(無所属)し、「自由連合」を結成する。その後小選挙区制が導入されて保岡氏と選挙区が分かれたため自民党への入党を果たすが、日本医師会が猛烈に反発し、次の選挙では自民党の公認を得られず、自由連合に戻ったという経緯がある。こうした歴史的経緯を伏線として見ておかないと、徳田虎雄氏が自分の息子の毅氏の選挙に注ぎ込んだ6000万円とほぼ同額に近い5000万円という巨額の金を猪瀬氏の応援のために出すわけがないのである。
 日本医師会はTPP交渉の参加にも猛反対した。理由は国民皆保険制度が崩壊するということだが、要するに混合医療が導入されたら、日本で生き残れるのは本当に優秀な医療技術を持った医師だけになってしまうという、まことに手前勝手な屁理屈からである(そのことは今年4月8日に投稿した『アメリカは勝手すぎないか。日本はTPP交渉参加を新しい国造りのチャンスにせよ』と題するブログで詳述した)。
 ところが徳洲会にとって東京都は、かつて天皇と呼ばれた故・武見太郎氏・元日本医師会会長(元世界医師会会長でもあった)が君臨した医師会の牙城であり、まさに難攻不落の「要塞」だった。そこに風穴を開けるのが徳洲会にとっての悲願であり、そのための政治的武器として猪瀬氏はうってつけの存在だったのだろう。
 いちおうこれで徳洲会が5000万円という巨額の金を猪瀬氏に無期限無担保無保証人で渡した(猪瀬氏によれば「借りた」ということだが、猪瀬氏が都議会総務委員会で高々と掲げて見せた「借用書」なるものは借用書としての体をまったくなしていない)目的ははっきりしたと言えよう。だが、5000万円の意味をいくらこれから追及したところで、猪瀬氏が徳洲会側に「東電病院の売却について協力する」と約束したことを示す確たる証拠が出てこなければ贈収賄で検察が起訴することは難しい。
 おそらく、猪瀬問題は19日の辞職表明で幕を閉じるだろうが、都議会としてはそれで幕を下ろしても構わないが、猪瀬氏がノンフィクション作家活動に戻るためには絶対に明らかにしなければならない問題がまだ残っている。それは前回も述べたが、木村三浩氏との関係である。
 木村氏は新右翼を名乗っており、猪瀬氏によれば「20~30年に及ぶ付き合いだ」という。一体何がきっかけで、どちらのほうから接触を求めたのか。そして、なぜ20~30年もの付き合いに発展し、また木村氏がなぜ都知事選に立候補直前に超多忙なはずの猪瀬氏を徳田虎雄氏に面会させるために鎌倉の病院までわざわざ連れて行ったのか、また猪瀬氏はなぜ超多忙の時期に木村氏の「要請?」に応じたのか、この日の面談で猪瀬氏は「東電病院売却問題の話はしていない」と言っていたが、実際には東電病院売却問題の話が出たことが関係者の話で明らかになっている(18日)。また、木村氏はなぜ猪瀬氏と徳田毅議員との会談の場を設け、5000万円もの大金を猪瀬氏に融通するよう毅議員に頼み、毅議員はなぜ二つ返事で応じたのか、そのような木村氏との関係は猪瀬氏の作家活動にどういう影響を与えてきたのか、今後もそうした関係が木村氏との間に継続するのか。猪瀬氏が作家活動に戻るというのなら、徳洲会との関係以上に明確にしなければならないのが木村氏との真実の関係である。それを明確にできないようなら猪瀬氏の作家活動復帰は不可能である。
 前回のブログでも書いたが、ノンフィクションの作家活動は本質的にジャーナリズムと変わらない。自らが受けている疑惑について真実を語れない人間がノンフィクションの作家として世の中から受け入れられることはありえない。
 小説はフィクションだから、小説の中で描くストーリーに論理的整合性さえ保てば、どんなに奇想天外なことを書いても許されるが、ノンフィクションは事実を発掘するのが作品の目的だから、どうやってその事実を知り得たのかが疑惑の的になるようだと、作品自体のモラルが問われる。
 ノンフィクションかフィクションか、きわどい分野がある。たとえば司馬遼太郎氏の作品だ。小説には分野ごとにいろいろな区分がある。恋愛小説とか推理小説といった具合だが、ややこしいのは時代小説と歴史小説の違いである。池波正太郎氏などの時代小説は明らかにフィクションだということがだれにでもわかるが、司馬氏の場合は初期のころの作品はいわゆる時代小説でフィクションだが、歴史上存在した人物を題材にして書くと、いちおう歴史小説という
ことになる。そこで問題になるのは歴史小説の場合、どこまでフィクション的要素を入れても許されるかということだ。実際に彼の代表作の一つに『竜馬がゆく』という大作がある。主人公は言うまでもなく坂本龍馬だが、司馬氏はわざわざ実名を採用せずに竜馬と変えた。そうすることで、司馬氏は「坂本龍馬をモデルにはしたけど、作品の中身はフィクションだよ」というメッセージを読者に伝えたかったのだろうと解釈する人もいる。実は私自身もそう考えている。だから私の著書『西和彦の閃き 孫正義のバネ』(光文社刊)の中でこう書いたことがある。
「孫正義が、坂本龍馬と織田信長の生き様に強く影響を受けていることはすでに書いた。ただし、孫がイメージしている龍馬像、信長像はあくまでも司馬遼太郎が創り上げた人物像であって、司馬がどこまで真実の龍馬や信長に迫れたかは別である」
 実際、歴史上の有名な人物の評価は歴史小説家が創り上げた人物像によって左右されてきた。たとえば吉川英治氏の『新書太閤記』が大ヒットした時代の歴史上の尊敬される人物のトップは豊臣秀吉だったし、山岡荘八氏が大作『徳川家康』を書くと、それまで悪人視されていた家康に対する見方が一変したこともある。それと同様、信長や龍馬の評価も、現在は司馬遼太郎氏が創り上げた人物像がまかり通っている。だれが言い出したか知らないが、「司馬遼史観」なる言葉さえ定着しているくらいだ。しかし、司馬氏に限ったことではないが、自分が創り上げたいと思う人物像を読者に正しい人物像と思わせるために、歴史小説家は都合のいい事実しか取り上げないし、かつ些細なことをことさらに誇張さえする。また自分が創り上げたいと思う人物像にふさわしくない事実は意図的にネグってしまう。
 その典型的な例が、日本最初の疑似株式会社と言われる亀山社中は、龍馬が薩摩藩の援助を受けて設立したが、その社是のトップで「利益至上主義」を高々と掲げているが、司馬氏はその重要な事実をネグっている。その事実をネグらないと、龍馬が仕組んだと言われている薩長連合の目的も、倒幕勢力の合体ではなく、薩長間の商取引を円滑にすることが目的であったことが明らかになってしまうからだ。
 私は別に司馬氏の小説にクレームを付けるつもりではなく、歴史小説というのは、あたかも事実を描いているように見せかけるテクニックが巧みな作家が一流だということを明らかにしたいだけのこと。
 しかし、ノンフィクション作家は歴史小説家とは違う。歴史小説家のように自分の主張を裏付けるための事実だけを意図的に誇張し、都合の悪い事実はネグる――そういった手法は許されないということである。そういう意味で、猪瀬氏が政治の世界から身を引いてノンフィクション作家として出直すというな
ら、木村氏とのかかわり、木村氏を通してなぜ徳洲会とつながるようになった
のかを、まずノンフィクション作品として自ら発表することが再スタートの出発点にならなければおかしい。
 このブログが、ノンフィクション作家・猪瀬直樹氏へのレクイエムにならないことを祈って、今回のブログを終える。

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