小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

長嶋、松井両氏への「国民栄誉賞」――国民をバカにするな !! 

2013-04-03 05:27:50 | Weblog
 長嶋茂雄氏と松井秀樹氏に国民栄誉賞が与えられることになった。ケチをつけるわけではないが、今回の褒賞には素直に喜べないものがある。
 長嶋氏については、巨人ファンではなくても受賞資格についての異論はどこからも出ないであろう。私自身巨人ファンではないが、長嶋氏はもっと早く、あえて言えば第1号の王貞治氏と同時受賞してもよかったのではないかとさえ思っている。確かに王氏には世界新記録の本塁打を放ったという記録が大きくものを言ったことが受賞の最大の理由であり、そういうたぐいの記録を長嶋氏は残していない。
 しかし、王氏の受賞後、国民栄誉賞は必ずしも記録を基準にしておらず、内閣総理大臣顕彰と国民栄誉賞の区別もあいまいになっていった。第一、国民栄誉賞はこれまで20個人1団体に授与されているが、そのうち12名は没後の受賞であった。世界の芸術家の中には、没後に作品が高く評価されるようになった方たちも少なくないが、たとえばノーベル賞は原則生存者にしか与えられない。ノーベル賞の場合、一人だけ例外がいるが、死後に研究成果が評価されるようになったためではなく、生前中に授与が事実上決定していたという事情があったためである。
 また国民栄誉賞を授与された没後の12名は、没後に生前中の活動が見直されたというわけでもなく、他界されたことが授与の契機になったとしか思えないケースが大半である。たとえば受賞第2号の古賀政男氏は没後10日目に、3号の長谷川一夫氏は没後13日目、4号の植村直己氏も死亡が確実視された後だったし、美空ひばり氏は12日後、長谷川町子氏は62日後、服部良一氏も27日後、渥美清氏は30日後、吉田正氏は27日後、黒澤明氏も25日後、遠藤実氏は47日後、森繁久彌氏は42日後だった。芸能界における唯一の例外は森光子氏で、生前の2009年7月1日に単独主演の舞台「放浪記」2000回という前人未到の記録が受賞の理由だった。
 芸能人以外はすべてスポーツ選手(「なでしこジャパン」だけが団体)で、今回で9人1団体になるが、大鵬を除き(大鵬は没後36日後に受賞)すべて生前の受賞である。そしてこれまでの受賞理由にはそれなりの「記録」が受賞理由とされてきた。
 王氏についてはすでに書いたが、2人目の山下泰裕氏は前人未踏の203連勝(引き分けを含む)、3人目の衣笠祥雄氏は連続試合出場の世界記録達成、4人目の千代の富士も、その後記録は並ばれたり破られたりしたが、幕内通算勝ち星記録、年間3度の全勝優勝、3場所連続全勝優勝などの記録を樹立した。また近くは吉田沙保理がレスリング女子55キロ級で世界選手権とオリンピックを合わせて13大会連続世界一を達成したし、大鵬は当時史上最多32回の幕の内優勝を達成している。
 スポーツ選手の受賞で問題になったのは、シドニー五輪の女子マラソンで女子陸上史上初の金メダルを獲得した高橋尚子の時だった。もちろん問題になったのは高橋尚子が受賞に値するか否かではなかった。五輪で2度、世界選手権で7度の金メダルに輝いた田村(現・谷)亮子はなぜ国民栄誉賞に値しないのかという批判が社会問題化するほど噴出したのである。
 スポーツ選手の従来の受賞理由からすれば、日本女子初の五輪陸上競技での優勝という価値の重みを考えると、まぎれもなく高橋のほうが上回っていたと思う。特に陸上競技を100メートルの短距離からマラソンまで含めて走る競技に限定すると、男女含めて高橋尚子の優勝は日本人の悲願であった。はっきり言って田村の偉業とは世界が違うほどの差があった。
 しかし国民感情には別の要素があった。「やわら」ちゃん(田村亮子の愛称)に対する国民的人気度の高さは女子スポーツ選手の中では別格だった。この国民感情をマスコミもバックアップした結果、政府はあえて国民栄誉賞と同格という「位置づけ」をしたうえで田村氏に「内閣総理大臣顕彰」を授与した。もちろん田村氏が「内閣総理大臣顕彰」に十分値する功績を残したことについては異論の余地はない。しかし、田村氏を急きょ国民栄誉賞に加えず、内閣総理大臣顕彰を授与した森内閣には、国民栄誉賞の基準に対する厳しいモラルが維持されていた。
 さてそういう国民栄誉賞についての基本的考え方からすると、今回の選定には大きな疑問を抱かざるを得ないと思うのは私だけだろうか。
 まず長嶋茂雄氏。彼は「記録より記憶に残る選手」と言われる。記録的には日本最高も世界最高も一度も実現していない。が、彼の人間性も含めて長嶋氏ほど国民的人気を集められる選手は多分二度と現れないだろう。「破られない記録」としては60連勝の双葉山より9連覇の巨人軍を率いた川上哲治氏のほうが、記録を基準にする限り国民栄誉賞に値するだろうと思うが、川上氏の名前が挙がったことは一度もない。
 さらに内閣総理大臣顕彰と、一応同格とされている国民栄誉賞だが、国民の関心事は内閣総理大臣顕彰より国民栄誉賞のほうがはるかに高い。安倍首相は長嶋氏に対し国民栄誉賞の受賞が遅すぎたくらいだと述べたが、国民栄誉賞には先に述べたような基準がある以上「記録より記憶に残る」長嶋氏の場合は、何かの機会をとらえて、たとえ彼一人だけという結果になったとしても「特別国民栄誉賞」を創設して与えるべきだったのではないだろうか。
 野球人として別格の長嶋氏に比べ、なぜ松井秀樹氏が国民栄誉賞に値するのか、私にはまったく理解できない。安倍首相は日米両国でMVPを獲得したと、国民栄誉賞の「記録的要素」を満たしたかのような主張をしているが、松井氏が日本で受賞したのはリーグのMVPであり、1年間のリーグ戦での成績に対する評価である。短期決戦の日本シリーズでのMVPなどとは重みがはるかに違う。アメリカでの、いわば日本シリーズに相当する短期決戦のワールドシリーズでたまたま大活躍して手に入れたMVPと同格に扱う神経が私には理解できない。
 日本のプロ野球選手には松井氏よりはるかに大きな功績を残した(残しつつある)選手はまだまだいる。たとえば今もヤンキースで活躍しているイチロー選手。彼は日米両国で史上初の首位打者になったとき国民栄誉賞の授与を打診されたが「まだ現役なので、もしいただけるなら引退した時に」と辞退した。またメジャーでシーズン最多安打の記録を更新した時も授与を打診されたが、同じ理由で断っている。
 さらに福本豊氏も、当時の世界記録をつくった通算盗塁記録を評価されて国民栄誉賞の授与を打診されたが、「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」と妙な理由で固辞している。国民栄誉賞に値するほどの実績など何も残していない松井氏は、もう少し「恥」という日本文化を学ぶべきではないか。
 授与を固辞したイチロー選手や福本氏ではなくとも、松井氏よりはるかに大きな実績を残したプロ野球選手は少なくない。
 例えば昨年引退した金本知憲氏は連続イニング、連続フル出場の世界記録を打ち立てている。すでに引退しているが、野茂秀雄氏はメジャーリーグで2回もノーヒット・ノーランを記録している。アメリカのメジャーリーガーですら彼を含めて4人しか実現していない大記録だ。金田正一氏に至っては通算400勝、通算4490奪三振の世界記録(当時)を達成している。少なくとも松井氏が残した成績より彼らが残した記録のほうがはるかに国民栄誉賞にふさわしいと私は思うが……。
 プロ野球だけではない。岡本綾子は全米プロゴルフで賞金王に輝いたし(このときは岡本に国民栄誉賞を授与すべきだという声も出たが、肝心のメジャーで未勝利だったため受賞を逃した)、冬季五輪で女子初の金メダルを獲得した里谷多英氏、女子フィギアスケートで初の金メダルを獲得した荒川静香氏も国民栄誉賞を受賞していない。
 記録ではなく人気を国民栄誉賞の基準にするというなら、いっそのことAKB48に与えたらどうか。若者たちの政治離れにも歯止めがかかるかも……。

 冗談はさておいて、改めて国民栄誉賞という褒賞の在り方について考えてみたい。そもそも王貞治氏が最初に受賞したのは、メジャーリーグに比べて3流クラスと見られていた日本のプロ野球選手が、世界のホームラン王になったことを、国を挙げて喜び誇りにしようではないかという発想から生まれた賞である。
 佐藤内閣の1966年にすでに設置されていた内閣総理大臣顕彰である「学術及び文化の振興に貢献したもの」など6つの表彰対象の中にスポーツ分野で活躍した人たちが何人もいた。ただ、王氏が国民栄誉賞を受賞した以前にスポーツ分野における内閣総理大臣顕彰を受けた個人や団体はすべてアマチュア選手・団体だった。具体的には五輪で活躍した日本男子体操チーム(団体)、三宅義信氏(重量挙げで五輪連覇)、遠藤幸雄氏(五輪3連覇した男子体操の中心選手)だけであった。つまりプロのスポーツ選手・団体の受賞歴がそれまでなかった。そのためより幅広く国を挙げて喜びを分かち合おうという趣旨で、福田内閣の時代に新たに設けられたのが国民栄誉賞なのである。そういった経緯から、二つの褒賞の間で混乱が生じるようになった。
 王氏が受賞するなら、当然長嶋氏にもしかるべき褒賞を授与すべきであった。だが長嶋氏は「記録より記憶に残る選手」だった。いかに国民的人気が高かろうと、与えるべき相当な褒賞制度がなかった。が、王氏のために作った国民栄誉賞が、内閣の人気取りのための道具になってしまった。そうしたのは誰あろう、内閣総理大臣顕彰は王氏には与えられないと判断した福田首相その人だった。支持率が急落した福田首相が人気を挽回するため、こともあろうに故人の古賀政男氏に国民栄誉賞を与えてしまったのだ。
 もちろん古賀氏を私はけなすつもりは全くない。氏は日本の演歌界を代表する作曲家であり、数々のヒット曲を世に送り出しただけでなく、多くの歌手を育てた日本歌謡界の第一人者である。だが、王氏のように世界記録を作ったわけではなく、文化・芸術の分野での貢献に対する褒賞であるなら内閣総理大臣顕彰がふさわしい。現に内閣総理大臣顕彰の6つの受賞対象の項目の中にすでに述べたとおり「学術及び文化の振興に貢献したもの」という項目が入っており(スポーツ分野での貢献は文字としては対象に入っていない)、古賀氏の貢献内容は王氏の場合と違って明らかに内閣総理大臣顕彰の範疇に入っている。しかし、古賀氏に内閣総理大臣顕彰を授与したところで、マスコミが大騒ぎしてくれそうもなく、マスコミが飛びつくに違いない国民栄誉賞をあえて古賀氏に授与した時から。二つの賞の関係がめちゃくちゃになってしまったのである。
 つまり、だれが考えてもおかしな分け方が、それ以降行われるようになってしまった。スポーツ界に関して言えば、プロゴルファーの岡本綾子氏が国民栄誉賞ではなく内閣総理大臣顕彰に仕分けされ、谷亮子氏も内閣総理大臣顕彰に回されてしまった。国民栄誉賞を固辞したイチロー氏や福本豊氏は別としても、野茂秀雄氏や金田正一氏、金本知則氏などが何の褒賞も受けていないのは国民的人気がいまいちだからなのか。だったら、それほど人気があったとは思えない衣笠祥雄氏が国民栄誉賞を受賞できた理由はどこにあるのか。
 芸能界に目を転じても、長谷川一夫氏や藤山一郎氏、美空ひばり氏、渥美清氏などが国民栄誉賞を受賞して、石原裕次郎氏や黒柳徹子氏などそうそうたる人たちがどちらの賞も受賞していないのはなぜか。史上初の7大タイトルを独占した棋士の羽生善治氏が、なぜ国民栄誉賞ではなく内閣総理大臣顕彰なのか、合理的な説明がつくわけないだろう。
 はっきり言って、長嶋氏は「なぜ、今頃になって国民栄誉賞なんだ。俺は今、この賞に値することなど何もしていない」と怒りをたたきつけるべきだ。
 一方松井氏は「私より先にもらうべき人たちがたくさんいる」と受賞を固辞すべきだ。「今私がもらったら、日本の恥だ」と、そのくらいのことを言ってほしい。
 そして二人がそういう毅然たる姿勢を示せば、国民栄誉賞が内閣の人気取りの道具とみられるような状況にストップがかかり、改めて内閣総理大臣顕彰と国民栄誉賞を一本化して、国民が等しく納得できる褒賞制度に変えるべきだ。そして、その中には言うまでもなく、医療革命を起こす可能性に大きな国民的期待が寄せられているips細胞の発明者・山中伸弥氏も含まれるべきだろう。

1 コメント

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Unknown (ログ)
2013-05-17 11:35:24
テメー馬鹿じゃねえの?
松井はワールドシリーズMVPだぞ?
長嶋より全然偉大だわ
そもそもメジャーリーグで100打点を打てる打者なんて松井ぐらいだろう
落合とかでも無理
何故ならNPBはレベルが低いから
王貞治の記録も所詮は国内での記録
王貞治なんてメジャーでレギュラーすら無理だろう
金田の記録も雑魚相手の記録だし、当時のウィリー・メイズやミッキー・マントルから三振を奪えるとでも思ってんの?
野球知らない癖に語んな粕
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