再び「原爆の日」がやってきた。今年で72年目を迎える。
広島・平和公園で今年も核廃絶を願って記念式典が開催された。今年7月7日、国連で核兵器禁止条約が10年越しの議論を経て、ようやく122か国・地域の賛成多数で採択されたが、主要な核兵器保有国は採択に不参加、唯一の被爆国であり、国民の圧倒的大多数が戦後72年間「核のない世界」を悲願としてきた日本も、アメリカに追随して核兵器禁止条約の採択を棄権した。
式典で基調報告を行った広島市・松井市長が「平和宣言」を読み上げ、核兵器禁止条約に触れて核廃絶の悲願を訴えたが、なぜかこの場にいること自体がふさわしくない安倍総理が松井市長に続いてあいさつに立ったが、最後まで核兵器禁止条約に触れることはなかった。安倍総理が誠心誠意を込めて語ったのは、核保有国の既得権擁護のための「核不拡散条約」の重要性だけだった。でも、そうならすでに北朝鮮は核保有国になっているのだから、北朝鮮の既得権も擁護したらどうか、と思うが…。
憲法解釈の変更によって、日本を「戦争のできない国」から「戦争ができる国」に転換させ、かつ核兵器禁止条約にも参加しなかった日本の安倍総理が、なぜか今日の平和記念式典には出席し、あいさつまでして平和を願うかのようなポーズだけ示したことに、私は式典の中継をテレビで見ていて違和感を覚えざるを得なかった。主催団体は安倍総理の出席を拒否すべきだったのではないか。
なぜ日本政府は核兵器禁止条約に参加しなかったのか。日本を「核の傘」で「守ってくれている」アメリカへの忖度を働かせたのか。それとも、一部の超保守的政治家が頭の片隅で願っているように、いつかは日本も核を持てる国にしたいと、総理自らも心の中では思っているからなのか。
時あたかも昨日(日本時間)国連安保理は、核とミサイルの開発に全力を挙げている北朝鮮に対する制裁の強化を全理事国一致で採択した。これまでは「話し合いによる解決」を重視してきたロシアや中国も制裁を強めることにした。
ここから私は「論理的思考」だけを基軸に核兵器廃絶について考察する。誤解を受けると困るので、私は北朝鮮の核やミサイル開発を支持しているわけではないことをあらかじめ明らかにしておく。
アメリカは日本と違って銃規制がない国である。日本にも銃を不法所持している暴力団などがあるが、例えば付近に暴力団の事務所があるからといって、一般人が自己防衛のための銃を持つことも禁止されている。が、アメリカは建国以来の伝統として「自己防衛」のために銃を所持することを憲法※で認めてきた。アメリカでも民主党はこれまでも何度か銃規制を試みようとはしてきたが、全米ライフル協会が大きな政治勢力として銃規制に立ちふさがってきたためと言われている。
※「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」(アメリカ合衆国憲法修正第2条)
アメリカは連邦国家であり50の各州は民兵組織(州兵)を擁しており、古くから憲法解釈を巡って「この権利は民兵に認められた集団的権利で、一般人が武装することを認めた個人的権利ではない」という主張がたびたびおこなわれてきたが、2008年7月に連邦最高裁判所が最終的判断を下し、個人的権利として銃所持を認めて法律上の決着はついた。
アメリカは、自国の中でも一般人の銃所持を認めてきた。この場合の銃は猟銃ではなく、人を殺傷するための銃のことである。日本でも猟銃の所持は認められている。言うまでもなく、猟銃は獰猛な動物から自己防衛することが目的ではなく、獰猛であろうとなかろうと猟が目的の武器である。
アメリカが個人的権利として銃保持を認めてきたのは、殺人の自由を認めているからではなく、自らの身を守るためという名目上の理由による。1992年には交換留学していた日本の高校2年生の少年(16歳)が、ハロウィン・パーティの訪問先を間違えて射殺されるという悲劇が生じたが、射殺したアメリカ人は過剰防衛の罪にさえ問われることなく無罪になった。
アメリカのそうした理屈を核やミサイルに関する国際関係に適用すると、北朝鮮の核やミサイル開発をアメリカが非難するのはおかしいのではないか、という疑問を私は持つのだが…。
もともと北朝鮮が核やミサイルの開発に血道を上げるようになったのは、世界一の核軍事力を誇るアメリカから「ならず者国家」「悪の枢軸」「テロ支援国家」などと名指して敵視されたことによる自己防衛のためである。北朝鮮も、アメリカと核戦争をやって勝てるなどといった妄想はこれっぽっちも持っていない。金正恩もそれほどのバカではない。アメリカが武力攻撃をしてきたら、そっちも無傷ではすまないぞ、という「窮鼠、猫を噛む」の覚悟を明白にしているだけだ。「窮鼠」とは追いつめられたネズミのことであり、ネズミのほうから猫にけんかを吹きかけることなどあり得ない。
アメリカが北朝鮮に、敵視政策をとってきた過去を謝罪し、北朝鮮に対する挑発的な米韓軍事演習は控えると国際社会に誓約すれば、北朝鮮も核・ミサイル開発を中断する(いつでも再開できる状態は維持するだろうが)。
北朝鮮のミサイル発射実験も、よく考えてみればあの方向しかない。北朝鮮にとっては自国の核とミサイルが抑止力になるためには、まずミサイルが米本国まで届くことを証明する必要がある。もし飛行高度弾道での立証が出来なければ、北朝鮮のミサイルは日本や韓国など周辺国の上空を侵犯せざるを得なくなる。だから北朝鮮はミサイルをほぼ垂直に近い角度で、しかも自国国土の上空に発射しているのだ。もし失敗したら、ミサイルは自国内に落下するリスクを冒していることを意味する。決して日本を挑発しているのではないよとのメッセージを込めた弾道だ。
確かに北朝鮮は日本に対してもしばしば挑発的言動を繰り返してはいる。「アメリカとの戦争になったら、真っ先に日本が火だるまになる」などと脅かしている。だが、それは日本がことさらに北朝鮮の脅威を国内で煽り立てて集団的自衛権行使を可能にしたりしているから、北朝鮮としては「いざというとき日本がアメリカと一緒になって軍事行動に出るのではないか」という危惧を持っているから、その抑止政策の一環と考えたほうが論理的である。
はっきり言って、北朝鮮の核やミサイル開発、さらにアメリカや日本を名指ししての挑発的言動は、北朝鮮にとっては精いっぱいの抑止政策なのだ。IS(イスラム国)のような自滅的行動には、北朝鮮は絶対に出ない。現在の体制が保証されている限り、体制と国土の破壊を招くことが必至な冒険はおかさない。本当は一番リスキーな状況にあるはずの韓国がほとんど反応していないのは、同じ民族だから北の狙いもよくわかっているからだろう。
これから書くのは純粋に論理的な結論である。その前提をご理解の上、読んでいただきたい。
核保有5大国が安全保障上、自国の核は手放せないというなら(実際、そう主張している)、5大国が保有する核を事実上無力化してしまうことしか「核戦争」の危機を完全に回避することは不可能だ。そんなことが出来るのか?
できるのだ。世界中の国が核を持てば、5大国の核は完全に無力化する。国際社会が「核不拡散」ではなく「核拡散」政策に転換すれば、すべての国が核抑止力を確保することになるから、5大国の核は事実上無力化する。そして世界中に核を拡散できるだけの能力を、日本は持っている。
5大国が核を放棄すれば、インドやパキスタン、北朝鮮、公表はしていないがイスラエルなどの核保有国も核を放棄する。5大国が核の放棄を拒否し続ける限り、5大国と国際紛争が生じた国は、自国の安全保障上、抑止力としての核を持たざるを得なくなる。5大国のうちいずれかの国の核の傘に守られていると思っている国は、核を保有する必要がないと今はとりあえず考えているが、そういう状態が未来永遠に続くという保証はない。
核兵器を廃絶するには、世界中の国がすべて時刻が核抑止力を持つこと以外に道はない。これが究極の論理的結論であろう。
広島・平和公園で今年も核廃絶を願って記念式典が開催された。今年7月7日、国連で核兵器禁止条約が10年越しの議論を経て、ようやく122か国・地域の賛成多数で採択されたが、主要な核兵器保有国は採択に不参加、唯一の被爆国であり、国民の圧倒的大多数が戦後72年間「核のない世界」を悲願としてきた日本も、アメリカに追随して核兵器禁止条約の採択を棄権した。
式典で基調報告を行った広島市・松井市長が「平和宣言」を読み上げ、核兵器禁止条約に触れて核廃絶の悲願を訴えたが、なぜかこの場にいること自体がふさわしくない安倍総理が松井市長に続いてあいさつに立ったが、最後まで核兵器禁止条約に触れることはなかった。安倍総理が誠心誠意を込めて語ったのは、核保有国の既得権擁護のための「核不拡散条約」の重要性だけだった。でも、そうならすでに北朝鮮は核保有国になっているのだから、北朝鮮の既得権も擁護したらどうか、と思うが…。
憲法解釈の変更によって、日本を「戦争のできない国」から「戦争ができる国」に転換させ、かつ核兵器禁止条約にも参加しなかった日本の安倍総理が、なぜか今日の平和記念式典には出席し、あいさつまでして平和を願うかのようなポーズだけ示したことに、私は式典の中継をテレビで見ていて違和感を覚えざるを得なかった。主催団体は安倍総理の出席を拒否すべきだったのではないか。
なぜ日本政府は核兵器禁止条約に参加しなかったのか。日本を「核の傘」で「守ってくれている」アメリカへの忖度を働かせたのか。それとも、一部の超保守的政治家が頭の片隅で願っているように、いつかは日本も核を持てる国にしたいと、総理自らも心の中では思っているからなのか。
時あたかも昨日(日本時間)国連安保理は、核とミサイルの開発に全力を挙げている北朝鮮に対する制裁の強化を全理事国一致で採択した。これまでは「話し合いによる解決」を重視してきたロシアや中国も制裁を強めることにした。
ここから私は「論理的思考」だけを基軸に核兵器廃絶について考察する。誤解を受けると困るので、私は北朝鮮の核やミサイル開発を支持しているわけではないことをあらかじめ明らかにしておく。
アメリカは日本と違って銃規制がない国である。日本にも銃を不法所持している暴力団などがあるが、例えば付近に暴力団の事務所があるからといって、一般人が自己防衛のための銃を持つことも禁止されている。が、アメリカは建国以来の伝統として「自己防衛」のために銃を所持することを憲法※で認めてきた。アメリカでも民主党はこれまでも何度か銃規制を試みようとはしてきたが、全米ライフル協会が大きな政治勢力として銃規制に立ちふさがってきたためと言われている。
※「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」(アメリカ合衆国憲法修正第2条)
アメリカは連邦国家であり50の各州は民兵組織(州兵)を擁しており、古くから憲法解釈を巡って「この権利は民兵に認められた集団的権利で、一般人が武装することを認めた個人的権利ではない」という主張がたびたびおこなわれてきたが、2008年7月に連邦最高裁判所が最終的判断を下し、個人的権利として銃所持を認めて法律上の決着はついた。
アメリカは、自国の中でも一般人の銃所持を認めてきた。この場合の銃は猟銃ではなく、人を殺傷するための銃のことである。日本でも猟銃の所持は認められている。言うまでもなく、猟銃は獰猛な動物から自己防衛することが目的ではなく、獰猛であろうとなかろうと猟が目的の武器である。
アメリカが個人的権利として銃保持を認めてきたのは、殺人の自由を認めているからではなく、自らの身を守るためという名目上の理由による。1992年には交換留学していた日本の高校2年生の少年(16歳)が、ハロウィン・パーティの訪問先を間違えて射殺されるという悲劇が生じたが、射殺したアメリカ人は過剰防衛の罪にさえ問われることなく無罪になった。
アメリカのそうした理屈を核やミサイルに関する国際関係に適用すると、北朝鮮の核やミサイル開発をアメリカが非難するのはおかしいのではないか、という疑問を私は持つのだが…。
もともと北朝鮮が核やミサイルの開発に血道を上げるようになったのは、世界一の核軍事力を誇るアメリカから「ならず者国家」「悪の枢軸」「テロ支援国家」などと名指して敵視されたことによる自己防衛のためである。北朝鮮も、アメリカと核戦争をやって勝てるなどといった妄想はこれっぽっちも持っていない。金正恩もそれほどのバカではない。アメリカが武力攻撃をしてきたら、そっちも無傷ではすまないぞ、という「窮鼠、猫を噛む」の覚悟を明白にしているだけだ。「窮鼠」とは追いつめられたネズミのことであり、ネズミのほうから猫にけんかを吹きかけることなどあり得ない。
アメリカが北朝鮮に、敵視政策をとってきた過去を謝罪し、北朝鮮に対する挑発的な米韓軍事演習は控えると国際社会に誓約すれば、北朝鮮も核・ミサイル開発を中断する(いつでも再開できる状態は維持するだろうが)。
北朝鮮のミサイル発射実験も、よく考えてみればあの方向しかない。北朝鮮にとっては自国の核とミサイルが抑止力になるためには、まずミサイルが米本国まで届くことを証明する必要がある。もし飛行高度弾道での立証が出来なければ、北朝鮮のミサイルは日本や韓国など周辺国の上空を侵犯せざるを得なくなる。だから北朝鮮はミサイルをほぼ垂直に近い角度で、しかも自国国土の上空に発射しているのだ。もし失敗したら、ミサイルは自国内に落下するリスクを冒していることを意味する。決して日本を挑発しているのではないよとのメッセージを込めた弾道だ。
確かに北朝鮮は日本に対してもしばしば挑発的言動を繰り返してはいる。「アメリカとの戦争になったら、真っ先に日本が火だるまになる」などと脅かしている。だが、それは日本がことさらに北朝鮮の脅威を国内で煽り立てて集団的自衛権行使を可能にしたりしているから、北朝鮮としては「いざというとき日本がアメリカと一緒になって軍事行動に出るのではないか」という危惧を持っているから、その抑止政策の一環と考えたほうが論理的である。
はっきり言って、北朝鮮の核やミサイル開発、さらにアメリカや日本を名指ししての挑発的言動は、北朝鮮にとっては精いっぱいの抑止政策なのだ。IS(イスラム国)のような自滅的行動には、北朝鮮は絶対に出ない。現在の体制が保証されている限り、体制と国土の破壊を招くことが必至な冒険はおかさない。本当は一番リスキーな状況にあるはずの韓国がほとんど反応していないのは、同じ民族だから北の狙いもよくわかっているからだろう。
これから書くのは純粋に論理的な結論である。その前提をご理解の上、読んでいただきたい。
核保有5大国が安全保障上、自国の核は手放せないというなら(実際、そう主張している)、5大国が保有する核を事実上無力化してしまうことしか「核戦争」の危機を完全に回避することは不可能だ。そんなことが出来るのか?
できるのだ。世界中の国が核を持てば、5大国の核は完全に無力化する。国際社会が「核不拡散」ではなく「核拡散」政策に転換すれば、すべての国が核抑止力を確保することになるから、5大国の核は事実上無力化する。そして世界中に核を拡散できるだけの能力を、日本は持っている。
5大国が核を放棄すれば、インドやパキスタン、北朝鮮、公表はしていないがイスラエルなどの核保有国も核を放棄する。5大国が核の放棄を拒否し続ける限り、5大国と国際紛争が生じた国は、自国の安全保障上、抑止力としての核を持たざるを得なくなる。5大国のうちいずれかの国の核の傘に守られていると思っている国は、核を保有する必要がないと今はとりあえず考えているが、そういう状態が未来永遠に続くという保証はない。
核兵器を廃絶するには、世界中の国がすべて時刻が核抑止力を持つこと以外に道はない。これが究極の論理的結論であろう。
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