小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

札幌市立中学校1年男子生徒の飛び降り自殺の真相は……

2012-09-09 10:50:55 | Weblog
 皇子山中学校の悲劇以来、しばらく鳴りを潜めていた「いじめ」の犠牲者がまた出たようだ。札幌市立中学校の1年生男子が「いじめられていて死にたい」との「遺書」を残し、5日午前7時ごろ同市白石区の自宅マンションから飛び降り自殺した。ここまではマスコミでも報道されているが、まだネット上にも学校名などの情報は流れていないようだ。ただ男子生徒が通学していた市立中学は白石区内ではなく中央区の学校であること、同級生の中で「いじめがあったと認識していた」生徒が今のところ皆無であることなどから、本当にいじめ自殺だったのかどうかの疑問が残っているため、この事件をネットに流した記者も学校名を記載しなかったのではないか。なぜ「記者」と断定できるかというと、この事件をネットに流した記事に、5日夜の市教育委員会と学校関係者の記者会見の現場写真や、6日朝同校に登校中の生徒たちの写真が掲載されているからだ。いずれにしても、いじめがあったことが事実であると判明した場合は学校名や自殺男子氏名、加害者氏名などもネットに流れるであろう。
 私が「いじめ」問題に取り組むのは、「仙台育英高校」「大津市立皇地山中学校」の「いじめ」事件について3回目である。
 ここでちょっと余談を書く。
 カギカッコの使い方である。別にすべての学生が小説家や活字世界のジャーナリスト、随筆家(エッセイスト)を目指しているのではないから、国語の授業で教える必要はないのだが、これらの職を目指す人にとっては、カギカッコの使い方を知っておく必要がある。実は新聞社や雑誌(月刊誌・週刊誌など)でも新人ジャーナリストにちゃんとした教育をしていない。そもそも新米記者の教育の任に当たるべき上司自身がカギカッコの正しい使い方をご存じないからだ(上司自身もかつての上司からそういう教育を受けていないのだから仕方がないといえば仕方がない)。かく言う私自身もそういう教育を受けたことがない。だからこれから述べるカギカッコの使用法は、私がひょっとしたきっかけで物書きの世界に飛び込んでから試行錯誤しながら自分自身で考えだした「カギカッコ」の使い方である。
 まず小説家が使うカギカッコは基本的に会話文だけである。とくに二人のやり取りの会話をカギカッコを付けずに書いたら、読者が、いったいこれはどっちの発言か混乱してしまう。
 随筆家もあまりカギカッコを使わない。エッセイストがカギカッコを使う場合の多くは、だれか著名人(とは限らないが)が書いた文章を引用する場合か、とくに強調したい言葉(よほどのケースである)に付けるくらいである。エッセイストと言ってもそれぞれ自分の世界を持っており、日常的にだれにでも起こりうる些細なことを独特な感性で読者の感銘や感動を呼び起こすような文章に仕立て上げる人はほとんどカギカッコは使わない。エッセイストではないが、歌人・田原万智の短歌  「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日  の中で使われたカギカッコ(短歌としてはいわば禁じ手なのだが)、そのカギカッコの使い方の妙が読者の大きな感動を呼んだ。この話し言葉にあえて彼女はカギカッコをつけて強調することで、「サラダ記念日」という言葉に無限の重みを持たせることができたと言える。
 最後に活字ジャーナリストだが、この職種についている人たちが最もカギカッコを使う機会が多いのだが、その正しい使い方を学んでいないため(というよりカギカッコに限らず言葉の使い方ひとつとっても、一つ一つの言葉や句読点の使い方すらまったくわきまえていない人(現場で取材して記事を書く記者に限らず論説委員や編集委員の人たちも)が多いのはどういうことか ?
 私が田原万智の短歌の前後に二文字分のスペースを空けたのはなぜか。彼女の短歌を引用してカギカッコの使い方を説明する場合、ほかにもいろいろ方法がある。ひとつは短歌全体をカギカッコでくくってしまう場合。そういうケースはこういう引用の仕方になる。「『この味がいいね』と君が言ったから……」と。こういう引用の仕方をすると、「サラダ記念日」に無限の重みを与えた何気ない恋人のひとことを短歌の冒頭に持ってきた意味が消えてしまう。つまり凡作になってしまう。
 次に行変え(段落)をするケース。実は私はこのケースを採用すべきかどうかでかなり迷った。彼女の短歌を評価・解釈することが目的だったら、間違いなくそうしていた。しかしあえてそうしなかったのはこの短歌に重みを与えた彼女のカギカッコの使い方を評価することに重点を置くため、一連の文章の中であえて短歌の前後に二文字分のスペースを空ける手法をとったのである。
 ほかにも短歌全体を太文字(ゴシック)にするとか、短歌全体にアンダーラインを引くなどの方法もあるが、今私はワードでブログを書いているからそうした作業も不可能ではないのだが、ブログページに貼り付け投稿した途端、すべてブログ文字に変換されてしまうのでゴシック体やアンダーラインは消えてしまう(文章自体は残る)。
 活字ジャーナリストが使うカギカッコにはどういうケースがあるか。一番多いのは取材相手の発言(あるいは談話)を記事にする場合、必ずカギカッコを付ける。その取材相手が発言(談話)の中で第三者の発言(談話)を取り上げて何らかの主張(意見)を述べた場合、第三者の発言(談話)内容を二重カギカッコ(『……』)でくくるか、第三者の発言(談話)の前後に句読点を入れるかのどちらかにする。どちらを選択するかはジャーナリストの習慣か、その都度どの方法を採用すべきか考えるケースがある。私自身は後者のほうで、しばしば迷うことがある。
 さらに事実かどうかの確認ができないため事実上疑問符をつける意味でカギカッコを付けるケースだ。私がこの記事の冒頭で、いじめ、という言葉にカギカッコを付けたのはそういうケースである。
 また、たとえば日中間で領有権を巡って争いが生じている尖閣諸島の場合、日本は尖閣諸島の最大の島を魚釣島と称し、中国は尖閣諸島全体を魚釣島と称している。私はこの一文では魚釣島に両方ともカギカッコを付けなかったが、ジャーナリストがこの問題について記事を書く場合、日本側の行動(例えば尖閣諸島を政府が買い上げることにしたこと)について魚釣島と書く場合は絶対カギカッコを付けない。一般に日本政府の決定に中国が抗議した場合に中国側の抗議に使用された「魚釣島」にはカギカッコを付けるべきである。
 私が今回の「いじめ自殺」事件に関してカギカッコの使用法を解説したのは活字ジャーナリストへのアドバイスという形をとったが、読者側にとっても、そういう意識を持って新聞や雑誌類を読めば、読解力が格段に上達すると思うからだ」。余談はこの辺で終える。
 いまワードでブログ記事を書いているのは8日の早朝である。この記事を書き始めたのは6日のやはり早朝。その間、疲労感が激しく、とてもパソコンに向かう気になれなかった。いまも疲労感は残っているが、尿意を催して目が覚めてしまったのでブログの続きを書くことにしたというわけだ。
 さて新聞やテレビニュースでは、その後、この事件についての報道がまったくなかったので、ネットで調べてみた。その結果、ネットで3件だけ関連情報が流されていた。そのうち1件は、札幌市教育委員会の発表で、自殺した生徒が通っていた中学校の生徒にアンケートをとったが「いじめ」は確認できなかったということと、外部有識者を加えた調査検討委員会の設置を決めたということだった。この件をマスコミが報道しなかったということ自体、マスコミは「事件性がない」と判断したのだろう。すでに私はこの記事の冒頭でカギカッコをつけて「いじめ」と書いており、カギカッコの意味まで説明した。
 もう一つ自殺した生徒の手帳には「いじめ」が原因ではないことをほのめかす重要な手記があったことが明らかになった。その手記には家族に対して「ありがとう」という感謝の言葉と、「死んだらどうなるか知りたい」という、明らかにいじめとは無関係な内容の記述もあった。そうなるとこの自殺は「愉快犯」に類似した行為ということになる。愉快犯とは、人や社会を恐怖や大混乱に陥れ、世間を騒がして喜ぶ類の行為で、その行為が法に触れれば犯罪となる。自殺した中学1年生の場合、死んでしまうわけだから関係者(団体)を大混乱に陥れ喜ぶことはできないのだが、自殺の原因を「いじめ」と書き、学校や教育委員会、マスコミまで巻き込んで、彼らが事実上存在しない加害者探しに奔走する様を想像したのではないか、と思わせるに足る極めて重要な記述である。この記述は「いじめられていて死にたい」という「遺書」が書かれた同じ生徒手帳に書かれており、道警や市教委はなぜ生徒手帳を精査せずに一部だけを発表したのか理解に苦しむ。
 最後に、絶対許せないのは『美少女完全マニュアル』なるブログの筆者である。氏名・年齢不詳。顔写真のみ掲載されているが、氏名不詳のため本人かどうかも分からないM.Keiなる人物である。彼はこの事件を扱ったブログ記事でこう書いている。
「男子生徒のマンション転落事故の原因はわかっていません」「今回のブログでは、自殺と関係する病気『うつ病』について紹介します」(小林注・この文章自体が読者を錯覚させるための極めて悪質な誘導的記述である。その証明は後でする)「自殺をしたい人は、うつ病にかかっています」と自殺とうつ病の「関連性」について専門医なら絶対に否定する「新学説」を発表している。そのうえで「抗うつ薬」「抗不安剤」「睡眠薬」をいくつか紹介し、そのあと自分がネット販売しているLトリプトファンなる「心をサポートするサプリメント」(3980円。1日2錠で67円未満。税込・送料別)の営業活動を行っている。ブログやツイッターは検索エンジンが無料で提供しているサービスの一つで、当然ながら営業活動をブログで行うことは禁止されている。なおこの卑劣な行為を行っているM.Keiなる人物のブログは楽天ブログに載っている。
 彼の卑劣さはこの程度ではない。まず、学歴・職歴・専門分野が、詐称すれすれの自己紹介を行っていることだ。彼がブログに記載している略歴はこうだ。
  藤田保健衛生大学卒。
  元三重大学医学部付属病院勤務。
  皮膚科学専門
 まず藤田保健衛生大学とはどういう大学なのか。愛知県豊明市に現存する大学で医学部・医療科学部の2学部を擁する。医学部は医者を育てる学部で、国家試験に合格させるための教育を行う。そこは他の学部と大きく異なる点で、例えば法学部は法律家(裁判官・検察官・弁護士など)を育てることを必ずしも目的にしていない。
 彼は皮膚科医と称さず「皮膚科学専門」と称しているから医学部ではなく医療科学科で学んだことになる。つまり医師資格を得るための医学部ではなく医師の管理下で医療補助を行う人を養成するのが医療科学部なのである。
 では医療科学部にはどんな学科があるか、興味がそそられるではないか。
 実は医療科学部には彼が学んだ当時、臨床検査学科・看護学科・放射線学科・リハビリテーション学科の四つしかなかった。つまり彼が専門と称している皮膚学科なる学科はなかったのである。同学部は2,008年に2つの学科を新設したが、その中にも皮膚学科はない。では彼は皮膚科学という専門的医学知識をどこで学んだのかという疑問が生じる。
 さらに彼の職歴として記載されている元「三重大学医学部付属病院勤務」というという表現のまやかしである。「勤務」したこと自体は事実だろう。が、病院勤務にもいろいろな職種がある。医師だけでなく、薬剤師、看護師、受付、掃除婦、さらにアルバイトなども履歴上は「勤務」の範疇に入る。問題は、彼が三重大学医学部付属病院で、どのような職種に就いていたかだ。そしてその職種と自称「皮膚科学専門家」がどう結びつくかだ。少なくとも彼が卒業した大学には皮膚科学を学ぶ学科はないので、大学で学ぶことは不可能なはずだ。        
 しかし三重大学医学部付属病院には診療科目の中には間違いなく「皮膚科」は存在する。以下は私の想像だが、その皮膚科で専門医のもとで何らかの補助的業務に携わったことがあるのではないだろうか。その場合、医療知識について一番勉強できる状況にあるのは看護師である。もちろん看護師になるには国家試験に合格する必要があるが、例えば大学の法学部を卒業しなくても独学で法律の知識を勉強して司法試験に通れば、裁判官や検察官、弁護士などの職に就ける資格が得られる。またほとんどの大学が教育学科は設けていなくても、教師志望の学生のために必須のカリキュラムは設けている。おそらく彼の場合、看護師資格を取るため大学で看護師学科を専攻したか、他の学科で看護師資格を取るために必要なカリキュラムを受講したかで看護師になり、三重大学付属病院の皮膚科に、たまたま配属されたと考えるのが自然である。つまり自称「皮膚科学専門」は限りなく詐称に近い自己紹介と言うしかない。
 この辺でM。Kei氏に対する告発はやめておこう。私は彼がネットで販売しているサプリメントやクリームなどに対する評価をする立場でもないし、またその分野での知識もないので、買うか買わないかはそれぞれの方の自己責任だということだけ指摘しておく。
 本題に戻るが、昨日(8日)現在、札幌市立中学1年生男子の自殺についての新しい情報はマスコミでもネットでも流されていない。ということは、やはり私が予想した通り「愉快犯」の類似形だったようだ。自らの命をかけて学校関係者や世間を大騒ぎさせるという彼の目論見(あくまで私の論理的推測による結論、ということをお断りしておく)は見事に外れてしまったようだ。それはそれで、このままそっと無視してしまうのが最善の方法だと思う。どっちに転んだにせよ、マスコミやネットが後追い情報を流すような事態になると、「愉快犯」的自殺が社会現象化しかねないからだ。むしろ問題は、こういう形でしか自己のアイデンティティを証明する手段を持てなかったような、彼の社会環境(学校、家庭、友人関係など)をきちんと解明して。再発を未然に防ぐ方策を考えることだと思う。
 

3 コメント

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MKeiとは (yuki)
2012-10-19 09:02:15
MKeiは名古屋駅前にある医療系某専門学校の先生です。

うちの学校の先生です。

丸山先生は、藤田保健衛生大学卒の医師です。

年齢は50代です。

もともとは、内科医で、生活習慣病の研究をしてました。

2つの専門学校で教えていて、美容学校で、「美容保健学」も教えています。

うちの学校では、健康管理室にいます。





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札幌中央中学校の生徒の自殺について以下の内容が書かれておりました。 (検索すると、このような投稿がありましたので、こちらに載せておきました。愉快犯ではないと思います。)
2017-06-13 06:01:44
この14歳の生徒の方は、私の知り合いです。
帰り道が同じだったので、学級委員や生徒会についてのアドバイスを頂いたり、短い間でしたがお世話になりました。
生徒が自殺したというのに、遺書も残されていたというのに、学校では全校生徒に何一つ事件について教えてくれませんでした。
少しは考えてもいいはずなのに。原因を追究してもいいはずなのに。
その14歳の生徒の父とも知り合いでした。父は優しい人でした。優しすぎました。
その14歳の生徒の父は、学校側に対して「誰も悪くない。誰も責めないでくれ。」と言い残しました。
生徒が死んだというのはまぎれもない事実です。
また、それが学校側に責任があるのも事実です。
生徒会がいじめ根絶プロジェクトを始めた年に、14歳の生徒は死にました。生徒会も無力です。
無責任です。プロジェクトといっても、実際は結成集会をして、後は各自行動、それで終了です。
何の意味があるのかと思いました。私はこの学校の一生徒として、せめて私がこの学校に在籍している間だけでも、自殺者を出さないように、学校のトップ「生徒会長」になります。
そして、いじめ根絶プロジェクトよりももっと、効果のある案を出し、実行します。案はもう考えてあります。
もう二度とこんなことが起こらないように、私は中学校生活の最後まで、努力します。
この14歳の生徒は、教員からも、生徒からも、いじめのようなことを受けていたと聞きます。これは、学校のあるべき姿ではありません。
生徒が笑顔で学べる場所が、学校のあるべき姿だと、私は思います。長文失礼いたしました。
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先ほどのコメントについて。 (通りすがり)
2017-06-13 15:00:19
あなたが、この自殺した男子の事を愉快犯だと投稿していますが、この記事の投稿者は、自殺した男子生徒の近い存在の生徒だと思います。勇気を持って書き込んだものでしょう。予想するに、これ以上書き込めない状況だったと思います。保護者もこれ以上誰も傷付けたくないという意思を伝えているようです。
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