小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

コロナ感染拡大に際し、メディアが果たすべき役割は?

2020-11-20 07:42:11 | Weblog
 卑劣極まりない朝日新聞※が「コロナ急拡大 危機感を持って手を打て」と題する社説を掲載したのは今月13日である。その社説で朝日はこう主張した。

 新型コロナの感染者が全国で増加傾向にあり、流行の「第3波」を迎えているとの指摘が相次ぐ。新たな病床や療養施設の確保に追われる自治体もある。
 幅広くPCR検査が行われ、無症状や軽症の人も把握されて数字が積み上がっているのであれば、日々の動向に一喜一憂する必要はない。だが現実には、入院者、とりわけ重症者が増え始めており、最大級の警戒感をもって臨む必要がある。
 6月以降の「第2波」の際、政府は当初「感染者の多くは軽症者で、医療態勢は逼迫(ひっぱく)していない」と説明していた。だが、感染者数から遅れて重症者数が増加に転じ、8月下旬には一時250人を上回った。
 今回重症者は既に200人を超え、ペースが速い。同じ北半球の欧米で深刻な感染爆発が起きていることを踏まえれば、冬本番を前に日本も大流行の入り口に立っている恐れがある。

 事態は、朝日が1週間前に警告を発した以上のスピードで進んでいるかに見える。朝日がこう警告を発したのは、11月に入って感染者が急増し、とくに11日は1544人、12日は1561人と連続して感染者数が1500人台になったからだ(13日は1679人、14日は1678人)。
 そして18日にはついに2000人の大台を突破して2179人を数えた。中でも感染者の急増が目立つのは北海道と東京都だ。小池都知事はその前日には「PCR検査数が8000を超えたから無症状の感染者が検査で引っかかっただけ」とうそぶいていたが、ローラー作戦で片っ端から検査したというならいざ知らず、無症状の人が無償でPCR検査を受けられるわけではない。最近小さなクリニックでも簡易検査を実施するようになったが、検査料は2~3万円かかる。海外旅行のための証明として受ける人はいるかもしれないが、そういう人は「陰性証明」を取るためだから、陽性率はほぼゼロに近い。
 そういえば、5月頃、私がブログで「問題なのは感染者数ではなく感染者率(陽性率と同義)だ」と主張し、一時メディアも陽性率を重視するようになったが、また最近、陽性率をまったく無視するようになった。で、私が厚労省が発表している「確定患者数」(感染者、陽性者と同義)とPCR検査実施数から陽性率を計算してみた(厚労省は陽性率は計算していない)。陽性率は「自助」で計算しろということかと思いきや、菅政権になったからではなくずっと以前から陽性率の計算はしていない。
 で、私が陽性率の推移を計算してみた。
 今月に入って11日4.6%、12日5.2%、13日7.0%、14日10.0%と、猛烈な勢いで陽性率も急増しているのだ。実は、この間の陽性率の急増にはそれなりの理由があって、感染者が急増したためかPCR検査体制が追い付かず、PCR検査実施数は11日33681件、12日29912件から、13日24038件、14日16651件と急減しているのだ。13,14日の陽性率が急増したのはそのためかも…。
ちなみに感染者数が2179人と大台を突破した18日のPCR検査実施数は34630件で、陽性率は6.3%である。11日、12日のPCR検査実施数とそう大差はないにもかかわらず、陽性率は 4.6%→5.2%→6.3%と急増している。
 新型コロナの感染状況を科学的に考察するには感染者数の推移だけみていてもだめだし、陽性率の推移だけみてもだめということになる。PCR検査実施数が毎日同じならば、感染者数の推移と陽性率の推移はまったくパラレルな関係を示すはずだが、たとえばある地域で大規模なクラスターが発生するとその地域の検査が急増し、その付けが翌日や翌々日に回って検査数が急減するのは致し方ないことだ。
 だから、いたずらに感染者数や陽性率だけで一喜一憂するのではなく、PCR検査数が増えたり減ったりした原因も含めて総合的に判断しなければ、新型コロナ感染の正確な実態はつかめない。たまたま朝日の13日付社説はその後のコロナ感染の拡大状況を見事に予測しえたが、それはあくまで結果論。決して科学的な分析に基づいての警告ではなく、競馬の予想屋レベル(失礼!)の予想が、たまたまドンピシャだったということ。
 ただ朝日社説氏(論説委員)の名誉のために付け加えておくが、この日の社説の末尾でこう主張している。この指摘と主張は私も支持せざるを得ない。

 感染者が多数発生している地域では、特定の店や施設に限らずに関係者を幅広く検査し、なかでも病院や高齢者施設では一斉・定期的な検査を行うことになっている。こうした政府方針を確実に実行できるか、自治体の取り組みを点検し、人・モノ両面で必要な支援をすることも忘れてはならない。(以下略)

 実際政府がやってきたコロナ対策は、検査能力の拡大(ただし、モノだけ)だけである。検査能力とは、1日あたり使用できる検査キットを増やすことだけではない。緊急事態宣言中のPCR検査数(3000~5000件)に比べれば、経済対策として実施するようになったGoToキャンペーン事業スタート時には検査数もかなり増えたが、はっきり言ってばらつきが大きすぎる。検査能力の、実は半分も活用できていないのだ。「宝の持ち腐れ」という言葉があるが、「持ち腐れ」必至の「宝」を増やすことが政治の責任ではない。せっかく増やした「宝」も活用できなければ意味がないのだ。
 私の友人(82歳)が言っていた。「唾液検査だったら、感染リスクはほぼゼロだから、俺もボランティアで手伝うよ」と。
 確かに、資格がなければできない仕事と、資格を必要としない仕事があるはずで、「何でも有資格者でなければ」などといっている状況ではないはずだ。だいいち災害時のボランティア活動に資格なんか必要か。唾液検査のボランティアのリスクは、災害ボランティアのリスクより小さい。「悪しき前例にとらわれず」とは、こういう時の「宝の持ち腐れ」を防ぐために使え。

※朝日新聞の卑劣さについて――読者からの意見や問い合わせに対応する「お客様オフィス」(慰安婦誤報事件を生じる前は「読者広報」)の電話番号をナビダイヤル(0570‐05‐7616)だけにした。ナビダイヤルは受信側が通話料金を自由に設定できるNTTコミュニケーションズの商品で、電話をかける側には悪評サクサクの電話システムであることは、ネットで調べれば一目瞭然。朝日が採用しているナビダイヤルは一般の市外料金とほぼ同じ料金だが、単純な固定電話しか持っていないという人はいま少ない。かけ放題の携帯や全国市内通話料金のIP電話が大半である。が、ナビダイヤルは携帯からは20秒ごとに1通話料金、IP電話からも市外料金がかかる。ばかばかしいので、私は代表番号(03‐3545‐0131)経由でかけることがたまにあるが、たまに対応してくれる人もいるが、「ナビダイヤルでかけ直せ」とガチャンと切られることが多い。
「そこまでして読者から金を搾り取りたいのか」と怒ったら、「金儲けのためではない」と反論する。「では、なぜ?」と聞いても「NTTがゴニャゴニャ…」と訳の分からないことを言って逃げる。NTTがそんなことを要請するわけがないし、だいいちナビダイヤルはNTTの商品ではなくNTTコミュニケーションズの商品だ。つまらんことでウソまでつくな。
 読者から金を搾り取るためではないとしたら、最大限善意に解釈できるのは、「お客様オフィス」の人減らしのため、読者に極力電話をかけにくくするためか。確かに最近ナビダイヤルを採用する企業が増えているが、良心的な企業はナビダイヤルだけでなく一般の固定電話番号かIP電話番号を併用している。つまりナビダイヤルしかない企業は「良心的ではない」ことの証明でもある。
 かつて朝日は「読者広報」という、上から目線の部著名を使っていた。慰安婦誤報事件をきっかけに「読者目線」で記事を書こうという姿勢に転換したはずだが、のど元過ぎて熱さ忘れたか…。

【追記】 菅総理の「自助・共助・公助」の意味が分かった
 19,20日と東京都では感染者が500人を超えた。北海道でも20日、300人を超えた。間違いなく日本はパンデミック状態に入っている。少なくとも今年春の状態より厳しい。なのに政府は「緊急事態とまでは言えない」として強制力を伴う感染対策を打とうとしない。なぜか。「のど元過ぎて熱さを忘れた」のは朝日だけではなかった。政府も同じだ。朝日の場合は、熱さを忘れるのに数年はかかったが、菅政権はほんの数か月で熱さを忘れたようだ。
 安倍政権が首都圏と近畿圏を対象に緊急事態宣言を発令したのは4月7日である。その翌日、初めて全国の感染者数が500人を超えた。発令日の7日にはまだ500人に達していない。
 それでも、緊急事態宣言が遅すぎたと批判を浴びた。安倍総理自身も、遅れたことを認めた。発令が遅れたため、4月末には解除する予定だったのが、ゴールデンウィーク直前まで解除できなかった。そのため、日本の経済はどれだけ大きな打撃を受けたか。
 私は「Go TOトラベル」を基本的には支持した。先進国すべてで人口減少に歯止めがかからなくなった中で、日本経済の軸足を輸出産業に置き続けるのは無理だからだ。自動車や電機などの工業製品の先進国市場は縮小の一途をたどっている。だから安倍政権が金融緩和と円安誘導で日本の工業製品の輸出競争力を強めても、メーカーは設備投資にソッポを向いて為替差益をため込むことに夢中になった。いま市場が伸びているのは中国だけだが、中国の市場は先進工業国の激戦区になっている。日本だけが一人勝ちできる保証はない。
 が、幸い「日本ブーム」がじわじわ世界に広がりつつあった。日本の場合、GDPの6割を個人消費が占めるとされているが、個人消費に占めるインバウンド効果が次第に大きくなってきた。一時は中国人や韓国人の「爆買い」がインバウンドの中心だったが、次第に「日本らしさ」を求める観光インバウンドの占める割合が大きくなりつつあった。
 いまはコロナ禍で観光インバウンドも消滅しているが、人類がコロナ禍を克服したとき、観光インバウンドの受け皿が消滅していたら、日本経済はお先真っ暗になりかねない。そういう意味で私は「Go Toトラベル」には条件付きで賛成した。だから、不公平・不平等と非難を浴びようと、観光インバウンドの受け皿に絞ってキャンペーンを行うべきだと主張した。
 が、政府の考えは違っていた。単純な経済活性化対策として「Go Toキャンペーン」を次々と繰り出した。その結果、一時的に経済が回りだしたかに見えた。が、私が何度も繰り返しブログで書いてきたように、感染対策と経済対策は絶対に両立しえない。感染対策を強めれば経済活動の足を引っ張るし、経済活動を活性化しようとすると感染が拡大する。アメリカのトランプ大統領(任期は来年1月20日まである)が経済を優先して、その結果、世界がコロナ禍で不況に陥っている中で、アメリカだけが一人勝ち状態になった。いまでもトランプに対する熱狂的支持が減らないのは、たまたまコロナに感染せず、バイデン次期大統領の政策で経済活動に陰りが生じることを恐れているバカな連中のせいだ。その代わり、アメリカはコロナ禍でも世界に冠たる大国になった。
 私はしばしば「哲学なき政治」という言い方をするが、あえて誤解を恐れずに書くが、「民主主義は衆愚政治だ。哲学者の独裁政治が望ましい」と主張して汚点を残したプラトンの気持ちが分かるような気がする。いかなる政策も、経済政策や安全保障政策も、また社会福祉政策も国民を幸せにすることが目的のはずだ。つまり、政策は目的を実現するための手段に過ぎない。が、「哲学なき政治」は、目的を実現するための手段に過ぎないのに、政治家はいつの間にか手段を目的と錯覚してしまう。手段が目的に転化すれば、その「目的」を実現するための「手段」が新たに生み出される。こうして醜悪ならせん構造を描いて政治は国民から乖離していく。ヘーゲル弁証法の逆構造だ。「逆もまた真なり」。

 政府は、緊急事態宣言で疲弊した経済の復活を急いだ。「Go Toトラベル」を前倒しで実施し、個人消費を上向かせようとした。その結果、8月には個人消費が多少回復したが、人間の動きの活発化によってコロナが勢いを取り戻しだした。ただ今年は夏が長く、感染拡大は中途半端だった。そのため政府は「Go TOトラベル」だけでなく、「Go Toイート」や「Go Toイベント」と、景気回復を一気に進めようとした。
 そのころ、日本より一足早く冬を迎えていたヨーロッパ諸国では、コロナ感染が吹き荒れだしていた。それを「対岸の火事」視したのが菅政権だった。そして11月に入り、日本にも突如、冬の寒気が押し寄せた。コロナが一気に勢いを取り戻してしまった。が、4~5月の緊急事態宣言中の景気後退の二の舞を恐れた政府はまったく手を打たなかった。ノー天気なのは、来年1月末で終了予定だった「Go Toトラベル」を2月以降も延期するなどと記者会見で快気炎を上げた赤羽国交相だった。こういうノー天気な大臣は、即更迭すべきだった。景気回復に力を尽くした大臣として名を残したかったのかもしれないが、コロナ感染拡大に手を貸した大臣として名を残すだろう。
 それよりもっとひどいのは、マスクをつけての会食マナーを発明したバカ者だった。菅総理自身が「今日から私もそうする」と記者会見で述べた。
 そうか。コロナが勢いを取り戻したのも、政府の政策の無能さのせいではなく、国民が「自助」の精神でコロナ感染を防ぐ努力をしなかったためと言いたかったのか。
 民放テレビのバカな記者が、マスクをかけて食事をする実験をやって見せた。「食べにくい」…当たり前だ。そんなこと、実験するまでもない。マスクをつけて会食するテクニックを学ぶより、緊急事態宣言中のように「不要不急の外出は控えること」「できるだけ会食は控えること」「やむを得ず会食するときは、食事タイムと会話タイムを分け、食事中の会話は控えること」などを国民に要請したほうがよほど効果がある。
 緊急事態宣言機関、サイゼリアは客に飲酒制限までした。ワインはボトル注文は禁止で、デカンタを1回だけという徹底ぶりだった。
「そんな店では飲みたくない」という客も少なくなかったと思う。
「それでいいのだ」と、サイゼリアは押し通した。そういう店を、メディアは大々的に取り上げるべきだった。「客のため」の意味をサイゼリアは理解していた。少なくとも「国民のため」の政府の理解度よりはるかに上を行っていた。(21日)
 




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