昨日でちょうど3年たった。月日が流れるのは早いな、と思うのも年をとったせいだろうか。「災害は忘れたころにやってくる」とは、『成語林』によれば物理学者で随筆家としても知られている寺田寅彦氏の言葉に基づくそうだ。『成語林』の原文には「寺田寅彦のことばに基づくという」とある。原典は明確ではないが、一般にそう流布されている場合にこういう書き方をする。佐高信氏がはやらせた言葉に「社畜」というのがある。「流行らせた」と書いたのは原作者がはっきりしていて、佐高氏の造語ではないことが明らかになっているからだ。興味がある人は「社畜」という言葉を作った人をネットで調べたらどうか。佐高氏の人並みすぐれた才能は、原作者を明らかにせず、あたかも自分の造語であるかのようにふるまえることだ。私ごとき平凡人には到底まねのできないことだ。
そんなことはどうでもいい。NHKのニュースで、東電がまたもや重要なデータを隠していたことが明らかにされた。ばれなければ、自ら公表しようとしない点は、佐高氏とそっくりではないかと言いたいだけのこと。
それにしても、政治家の白々しさを改めて思い出させられた日である。よくもぬけぬけと「安全神話に寄りすがりすぎていた」などと言えたものだと、今さらながら腹立たしくなる。
言っておくが、私はこれまでもブログで何度も書いてきたように「反原発」でもなければ「脱原発」でもない。原発容認の立場で主張してきた。が、原発の危険性については昨日のブログで「まえがき」を転記した『核融合革命』の本文でも指摘している。その個所を転記しておく。
ことわっておくが、私は原発に対し格別のイデオロギー的立場を持っているわけではない。いうなれば公平な第三者のつもりだ。自分のイデオロギー的主張を正当化するため都合のいいデータだけをかき集め、賛成論や反対論をぶつ人が多いが、それは客観性のある主張とはいえないであろう。
そういう意味で、SF作家の豊田有恒が10年ほど前に出版した『原発の挑戦――足で調べた全15か所の現状と問題点』は、自分の足で全国の原発を取材し、原発について本当のことを書こうと意図したもので、その姿勢には私も大いに共鳴できた。豊田は同書のまえがきで、こう述べている。
ぼくが発言できるジャンルは、「古代史」「韓国」「原発」「古生物学」な
ど、いくつもない。それぞれ何年も年季がかかっている。知らないことは
知らないというしかない。ただし、これらのジャンルに関して、自分が発
言したことには、すべて責任を持つ。それが、何かについて論評する場合
儀であり、アフターサービスだと思う。
まことに立派な姿勢である。私もジャーナリストの端くれだが、豊田の爪の
垢でも煎じて飲みたくなった。
その豊田が、日本の原発推進派が大いに喜びそうなことを本文で書いている。その件の小見出しは、「原発の安全性を証明したスリーマイル島事件」である。ちょっと長いが引用させてもらう。
ついでながら、日本中のマスコミが、鬼の首でも取ったように、大々的
に報道したスリーマイル島の原子炉は、PWR (※加圧水型原子炉)である。
あの事故に関心のある人には、興味のあることに違いないので、簡単に説
明しておく。
事故(1979年3月)は、何重もの人為的ミスから起こった。などという
と、さっそく、鬼の首を取ったような、反対論が聞こえてくる。しょせん、
動かすのは人間である。それ見ろ、やっぱり原発は危険じゃないかという
人が多いだろう。事故は常識では考えられないようなミスの重なりによっ
て発生した。そのため、一時は、破壊活動によるものという疑いすら持た
れた。
原子炉が空焚きの状態になり、原子炉棟の中に水素ガスが充満し、爆発
の危険すらあった。断わっておくが、この場合の水素爆発は、化学反応に
よる急激な燃焼という意味で、水爆のような爆発ではない。それだけの重
大な事故が起こっても、なおかつ、一人の生命も失われなかった。まった
くの不測の事故が起こったにもかかわらず、原発は安全だったのである。
日本では、原発が故障すると、すぐ事故と書きたてる。機械というもの
は、必ず故障するものである。絶対に故障しない機械があったら、お目に
かかりたい。ただし、原発はいくら故障しても、放射能が外部に漏れない
ように設計されている。
スリーマイル島の事故は、逆に、原子力発電の安全性を証明する形にな
った。ああいう事故が日本でも起こりうるかというと、ノーという答えし
か出ない。アメリカより、日本のほうが、危機管理(クライシス・マネー
ジメント)が数段すすんでいるからである。
豊田がこの本を書いた時点では、もちろんチェルノブイリ事故は起きていない。もしチェルノブイリ事故の後だったら、いくら豊田でも、「原発はいくら故障しても、放射能が外部へ漏れないように設計されている」とは書かなかったに違いない。
チェルノブイリ事故は、確かに信じられないような人為的なミスがいくつも重なって生じた。それは“不幸な偶然”といえるかもしれない。
だが、スリーマイル島の事故はどうだったのか。大事に至らなかったのは、むしろ“幸運な偶然”の結果ではなかったのか。
ごく最近(1989年5月末)、スリーマイル島原発の所有者であるGPUニュー
クリア―社は、事故の際、重さ133トンの炉心のうち52%、約70トンもが溶融し、溶融しなかった残りの炉心も大半が粉々に崩れていたことを明らかにし、原子力関係者の間に大きな衝撃を呼んだ。それに先立つ1988年10月の学会で、米エネルギー省の研究員が「溶けた燃料は全体の45%」と報告したが、その後の調査でさらに溶融量が多かったことが分かったのである。
しかし、この事故でチャイナ・シンドロームは生じなかった。溶けた高温の燃料が、炉心の入った圧力容器の底を突き破らなかったのだ。その理由はいまだ謎のままだ。いま米アイダホ国立研究所は、圧力容器の金属片を採集し、チャイナ・シンドロームが起きなかった理由を調べている。
1979年3月28日にスリーマイル島原発で事故を起こしたのは2号炉、PWR型である。炉心を循環する1次冷却水で2次冷却水を蒸発させ、タービンを回すタイプだ。事故の発端は午前4時ごろ、2次冷却水が大量に流出したことだった。
2次冷却水がなくなった結果、1次冷却水の温度が急上昇し、圧力が高まった。そのため1次系の圧力放出弁が開いて1次冷却水も流出してしまったのである。当然、1次冷却水の水位が大幅に下がり、炉心上部がむき出しになった。
この時点で、原子炉の緊急炉心冷却装置が自動的に作動したが、オペレーターが勘違いしてスイッチを切ってしまった。
2次冷却水が流出して3時間44分後、ついに炉心が溶融をはじめ、最悪の事態となった。ただ幸いだったのは、溶融した70トンの炉心のうち、圧力容器の下部に崩れ落ちたのが3分の1以下の20トン程度であったこと、また1次冷却水が完全に蒸発してしまわず、容器の底にかなり残っていたことである。崩れ落ちた灼熱の炉心は、その残存冷却水で冷やされ、かろうじて容器内にとどまったのかもしれない。(中略)
原発が、仮に事故をまったく起こさないとしても、実は厄介な問題がまだ残っている。ウラン燃料の燃えかす、つまり使用済み燃料の処理である。100万キロワット規模の原発には約100トンの濃縮ウラン燃料が必要で、そのうち3分の1、約30トンを毎年取り替える。この使用済み燃料には大量の放射性廃棄物が含まれている。(※この使用済み燃料を再利用する方法として考えられてきたのがプルサーマル方式の原発やもんじゅのような高速増殖炉である)
(この使用済み燃料を再利用できたとしても、使用済み核燃料から再利用するための)ウランとプルトニウムを回収した残りの溶液はどうするか。もちろん一般の化学工場廃液のように、薄めたりバイオで分解してから垂れ流せばいいというわけにはいかない。ストロンチウムやセシウムを大量に含んだ「放射性灰汁」だからだ。これが外部に漏れたら大変なことになる。1次冷却水が漏れたくらいのことでは事はおさまらない。
この放射性灰汁を最終的にどうしたらいいのか。
実は、原発推進派にとっても、これが一番頭の痛い問題なのだ。いい解決法がないからだ。(中略)
1973年、米ワシントン州(首都ワシントンがある東海岸ではなく、西海岸のカナダと国境を接した州)リッチモンドの近くにあるハンフォード原子力施設で、ものすごい高レベルの放射能をもった灰汁が、43万7000リットルもタンクの底から漏れるという事故が起きた。
のちの米原子力委員会の調査では、どうやらタンク漏れは4月10日ごろから始まったらしい。ところが、ハンフォード原子力施設の職員が漏れを発見したのは6月4日。2か月近くも誰にも気づかれず、たれ流しにされてきたのである。
幸いというべきか、この事故による放射線障害の報告はなされていない。少なくとも人命を失う結果には至っていない。
「15年間かかって巨大技術を理解した」結果、「原子炉是非論争に、志願して参加するようになった」と自負する豊田有恒は、スリーマイル島事故で人命が失われなかったことをもって、「原発の安全性が証明された」と、彼が大嫌いな短絡的結論を出した。
豊田が『原発の挑戦』を書いた時にはチェルノブイリ事故は起きていなかったが、スリーマイル島事故の6年も前に起きたこの「灰汁事故」のことを、15年間も原発の研究をしてきたはずの彼が知らないわけがない。彼は『原発の挑戦』で「ハンフォード原子力施設では43万7000リットルもの放射性灰汁が流れ出したが、一人の生命も失われなかった。このことは、放射能が人畜無害であることを証明している」と、なぜ書かなかったのか。(中略)
日本では、チャイナ・シンドロームの危機一髪、といった事故はいまだに公表されていない。隠しているわけではなく、そうした類の事故はいまだに本当になかったのであろう。(中略)
だが、それはあくまで安全率の問題であり、その限りでは「絶対にない」と断言しうるものではあるまい。どのように危機管理が行き届いていても、事故が皆無になるという保証はない。それは過去の事例が教えているとおりである。
私は危険はあるかもしれないが必要ということであれば、またそれが国民的コンセンサスが得られるものであれば、原発はつくらざるをえないだろうと考えている一人である。
よく言われるように「自動車は走る凶器」である。自動車を運転する人も、自動車に乗らない人も、それを承知で交通事故が頻発する大都市で生活している。自動車がまき散らす公害や危険性を重視して自動車反対論をぶつ人もいるが、それは今のところ国民的コンセンサスとなりえていない。大都市に住む人々の大半は、自動車の利便がなければ、生活できない状態になっているからだ。
原発についても同じことが言えるのではないだろうか。
原発は、結論的に言えば、危険なエネルギーという面を否定できない。しかし、「だったら、すぐやめろ」といった短絡的主張をとるべきではないと思う。あとでみるように、これにかわる代替エネルギーにもさまざまな問題があるからだ。われわれはいま、厳しい選択を迫られている。
以上が、1989年8月に早稲田出版から上梓した『核融合革命』で述べた、当時の(つまり25年前の)原発についての私の基本的スタンスである。「安全神話」などというものは基本的になく、当時の日本の原発が「世界一安全」と言われていたのは、単純に確率論によるものでしかないことを、すでにこの時点で私ははっきり書いている。
同書では書かなかったが(というより、まだ当時の日本人の多くに「原発アレルギー」が残っていたため)、日本の原発の安全率が米ソに比べて高かったのは、皮肉と言えば皮肉な話だが「反原発」運動が原発の技術者の危機意識を高め、危機管理体制もそれなりに整っていたためと考えられる。そういう意味では、福島の事故は、政治家が「安全神話」に寄りかかってきたというより、「反原発」運動の停滞が、原発技術者の危機意識をマヒさせた結果と言えなくもない。福島の事故を教訓にして、これから再稼働していくだろう原発の安全率を高めるには、「反原発運動」の広がりが必要かもしれない。
もう一つ指摘しておかなければならないことは、いったい日本の地質学者たちはこれまで何のために研究をしてきたのかが、いま問われていることを痛切に反省してもらいたい。地震大国で、しかも火山大国でもあり、原発の立地としてはきわめて不利な条件にある日本で、活断層の上に原発を建設するといった電力会社の姿勢を真っ先に批判しなければならなかったのは彼らではないか。それを黙認してきた地質学者たちは、全員頭を丸めてもらいたい。日本テレビの看板アナウンサーだった徳光和夫氏は巨人の優勝を確信的に予想し、「予想が外れたら坊主になる」と宣言していたが、予想が外れて徳光氏は見事に坊主頭になった。日本の地質学者たちは全員丸坊主になって出直していただきたい。
ことのついでに書いておきたいことがある。私は現時点では原発をベース電源と位置付けざるを得ないことは認めるが、原発依存度は可能な限り低めていく努力はすべきだとも考えている。ただ、現時点で考えられている再生可能な自然エネルギーにはせいぜいのところ数%の依存度しか期待できないとも考えている。
原発推進派(とくに電力会社やひも付きの政治家たち)は、「原発の電力コストが一番安い」と主張しているが、それはランニング・コストの比較にすぎず、現時点では計算不能な廃炉コストや放射性廃棄物の処理コストを考慮していな
いためである。つまり、あまりフェアな計算方法とは言えないわけで、おそらく廃炉コストや廃棄物処理コストも電力コストに入れれば火力発電が一番安いだろうと思う。
しかし、火力発電は、地球温暖化や、中国で大問題になっている大気汚染を引き起こす。だから火力発電への依存度も高めるべきではない。かといって、太陽光など再生可能な自然エネルギーは100年かけてもコスト的に有利なエネルギー源にはなりえないと思う。
いま日本がエネルギー問題の根本的解決のために総力を挙げて取り組むべき技術課題は、大容量の蓄電池の開発ではなかろうか。幸い、電池開発力は日本が世界を大きくリードしている。大容量の蓄電池を開発できれば、電力コストの安い国から電力を輸入することが可能になるし、国内での再生可能な自然エネルギーをより有利に活用できるチャンスも増える。日本が2度の石油ショックを省力・省エネの技術開発で逆風を神風に変えたように、エネルギー危機という逆風を大容量蓄電池の開発によって神風に変える絶好の機会ととらえたい。
そんなことはどうでもいい。NHKのニュースで、東電がまたもや重要なデータを隠していたことが明らかにされた。ばれなければ、自ら公表しようとしない点は、佐高氏とそっくりではないかと言いたいだけのこと。
それにしても、政治家の白々しさを改めて思い出させられた日である。よくもぬけぬけと「安全神話に寄りすがりすぎていた」などと言えたものだと、今さらながら腹立たしくなる。
言っておくが、私はこれまでもブログで何度も書いてきたように「反原発」でもなければ「脱原発」でもない。原発容認の立場で主張してきた。が、原発の危険性については昨日のブログで「まえがき」を転記した『核融合革命』の本文でも指摘している。その個所を転記しておく。
ことわっておくが、私は原発に対し格別のイデオロギー的立場を持っているわけではない。いうなれば公平な第三者のつもりだ。自分のイデオロギー的主張を正当化するため都合のいいデータだけをかき集め、賛成論や反対論をぶつ人が多いが、それは客観性のある主張とはいえないであろう。
そういう意味で、SF作家の豊田有恒が10年ほど前に出版した『原発の挑戦――足で調べた全15か所の現状と問題点』は、自分の足で全国の原発を取材し、原発について本当のことを書こうと意図したもので、その姿勢には私も大いに共鳴できた。豊田は同書のまえがきで、こう述べている。
ぼくが発言できるジャンルは、「古代史」「韓国」「原発」「古生物学」な
ど、いくつもない。それぞれ何年も年季がかかっている。知らないことは
知らないというしかない。ただし、これらのジャンルに関して、自分が発
言したことには、すべて責任を持つ。それが、何かについて論評する場合
儀であり、アフターサービスだと思う。
まことに立派な姿勢である。私もジャーナリストの端くれだが、豊田の爪の
垢でも煎じて飲みたくなった。
その豊田が、日本の原発推進派が大いに喜びそうなことを本文で書いている。その件の小見出しは、「原発の安全性を証明したスリーマイル島事件」である。ちょっと長いが引用させてもらう。
ついでながら、日本中のマスコミが、鬼の首でも取ったように、大々的
に報道したスリーマイル島の原子炉は、PWR (※加圧水型原子炉)である。
あの事故に関心のある人には、興味のあることに違いないので、簡単に説
明しておく。
事故(1979年3月)は、何重もの人為的ミスから起こった。などという
と、さっそく、鬼の首を取ったような、反対論が聞こえてくる。しょせん、
動かすのは人間である。それ見ろ、やっぱり原発は危険じゃないかという
人が多いだろう。事故は常識では考えられないようなミスの重なりによっ
て発生した。そのため、一時は、破壊活動によるものという疑いすら持た
れた。
原子炉が空焚きの状態になり、原子炉棟の中に水素ガスが充満し、爆発
の危険すらあった。断わっておくが、この場合の水素爆発は、化学反応に
よる急激な燃焼という意味で、水爆のような爆発ではない。それだけの重
大な事故が起こっても、なおかつ、一人の生命も失われなかった。まった
くの不測の事故が起こったにもかかわらず、原発は安全だったのである。
日本では、原発が故障すると、すぐ事故と書きたてる。機械というもの
は、必ず故障するものである。絶対に故障しない機械があったら、お目に
かかりたい。ただし、原発はいくら故障しても、放射能が外部に漏れない
ように設計されている。
スリーマイル島の事故は、逆に、原子力発電の安全性を証明する形にな
った。ああいう事故が日本でも起こりうるかというと、ノーという答えし
か出ない。アメリカより、日本のほうが、危機管理(クライシス・マネー
ジメント)が数段すすんでいるからである。
豊田がこの本を書いた時点では、もちろんチェルノブイリ事故は起きていない。もしチェルノブイリ事故の後だったら、いくら豊田でも、「原発はいくら故障しても、放射能が外部へ漏れないように設計されている」とは書かなかったに違いない。
チェルノブイリ事故は、確かに信じられないような人為的なミスがいくつも重なって生じた。それは“不幸な偶然”といえるかもしれない。
だが、スリーマイル島の事故はどうだったのか。大事に至らなかったのは、むしろ“幸運な偶然”の結果ではなかったのか。
ごく最近(1989年5月末)、スリーマイル島原発の所有者であるGPUニュー
クリア―社は、事故の際、重さ133トンの炉心のうち52%、約70トンもが溶融し、溶融しなかった残りの炉心も大半が粉々に崩れていたことを明らかにし、原子力関係者の間に大きな衝撃を呼んだ。それに先立つ1988年10月の学会で、米エネルギー省の研究員が「溶けた燃料は全体の45%」と報告したが、その後の調査でさらに溶融量が多かったことが分かったのである。
しかし、この事故でチャイナ・シンドロームは生じなかった。溶けた高温の燃料が、炉心の入った圧力容器の底を突き破らなかったのだ。その理由はいまだ謎のままだ。いま米アイダホ国立研究所は、圧力容器の金属片を採集し、チャイナ・シンドロームが起きなかった理由を調べている。
1979年3月28日にスリーマイル島原発で事故を起こしたのは2号炉、PWR型である。炉心を循環する1次冷却水で2次冷却水を蒸発させ、タービンを回すタイプだ。事故の発端は午前4時ごろ、2次冷却水が大量に流出したことだった。
2次冷却水がなくなった結果、1次冷却水の温度が急上昇し、圧力が高まった。そのため1次系の圧力放出弁が開いて1次冷却水も流出してしまったのである。当然、1次冷却水の水位が大幅に下がり、炉心上部がむき出しになった。
この時点で、原子炉の緊急炉心冷却装置が自動的に作動したが、オペレーターが勘違いしてスイッチを切ってしまった。
2次冷却水が流出して3時間44分後、ついに炉心が溶融をはじめ、最悪の事態となった。ただ幸いだったのは、溶融した70トンの炉心のうち、圧力容器の下部に崩れ落ちたのが3分の1以下の20トン程度であったこと、また1次冷却水が完全に蒸発してしまわず、容器の底にかなり残っていたことである。崩れ落ちた灼熱の炉心は、その残存冷却水で冷やされ、かろうじて容器内にとどまったのかもしれない。(中略)
原発が、仮に事故をまったく起こさないとしても、実は厄介な問題がまだ残っている。ウラン燃料の燃えかす、つまり使用済み燃料の処理である。100万キロワット規模の原発には約100トンの濃縮ウラン燃料が必要で、そのうち3分の1、約30トンを毎年取り替える。この使用済み燃料には大量の放射性廃棄物が含まれている。(※この使用済み燃料を再利用する方法として考えられてきたのがプルサーマル方式の原発やもんじゅのような高速増殖炉である)
(この使用済み燃料を再利用できたとしても、使用済み核燃料から再利用するための)ウランとプルトニウムを回収した残りの溶液はどうするか。もちろん一般の化学工場廃液のように、薄めたりバイオで分解してから垂れ流せばいいというわけにはいかない。ストロンチウムやセシウムを大量に含んだ「放射性灰汁」だからだ。これが外部に漏れたら大変なことになる。1次冷却水が漏れたくらいのことでは事はおさまらない。
この放射性灰汁を最終的にどうしたらいいのか。
実は、原発推進派にとっても、これが一番頭の痛い問題なのだ。いい解決法がないからだ。(中略)
1973年、米ワシントン州(首都ワシントンがある東海岸ではなく、西海岸のカナダと国境を接した州)リッチモンドの近くにあるハンフォード原子力施設で、ものすごい高レベルの放射能をもった灰汁が、43万7000リットルもタンクの底から漏れるという事故が起きた。
のちの米原子力委員会の調査では、どうやらタンク漏れは4月10日ごろから始まったらしい。ところが、ハンフォード原子力施設の職員が漏れを発見したのは6月4日。2か月近くも誰にも気づかれず、たれ流しにされてきたのである。
幸いというべきか、この事故による放射線障害の報告はなされていない。少なくとも人命を失う結果には至っていない。
「15年間かかって巨大技術を理解した」結果、「原子炉是非論争に、志願して参加するようになった」と自負する豊田有恒は、スリーマイル島事故で人命が失われなかったことをもって、「原発の安全性が証明された」と、彼が大嫌いな短絡的結論を出した。
豊田が『原発の挑戦』を書いた時にはチェルノブイリ事故は起きていなかったが、スリーマイル島事故の6年も前に起きたこの「灰汁事故」のことを、15年間も原発の研究をしてきたはずの彼が知らないわけがない。彼は『原発の挑戦』で「ハンフォード原子力施設では43万7000リットルもの放射性灰汁が流れ出したが、一人の生命も失われなかった。このことは、放射能が人畜無害であることを証明している」と、なぜ書かなかったのか。(中略)
日本では、チャイナ・シンドロームの危機一髪、といった事故はいまだに公表されていない。隠しているわけではなく、そうした類の事故はいまだに本当になかったのであろう。(中略)
だが、それはあくまで安全率の問題であり、その限りでは「絶対にない」と断言しうるものではあるまい。どのように危機管理が行き届いていても、事故が皆無になるという保証はない。それは過去の事例が教えているとおりである。
私は危険はあるかもしれないが必要ということであれば、またそれが国民的コンセンサスが得られるものであれば、原発はつくらざるをえないだろうと考えている一人である。
よく言われるように「自動車は走る凶器」である。自動車を運転する人も、自動車に乗らない人も、それを承知で交通事故が頻発する大都市で生活している。自動車がまき散らす公害や危険性を重視して自動車反対論をぶつ人もいるが、それは今のところ国民的コンセンサスとなりえていない。大都市に住む人々の大半は、自動車の利便がなければ、生活できない状態になっているからだ。
原発についても同じことが言えるのではないだろうか。
原発は、結論的に言えば、危険なエネルギーという面を否定できない。しかし、「だったら、すぐやめろ」といった短絡的主張をとるべきではないと思う。あとでみるように、これにかわる代替エネルギーにもさまざまな問題があるからだ。われわれはいま、厳しい選択を迫られている。
以上が、1989年8月に早稲田出版から上梓した『核融合革命』で述べた、当時の(つまり25年前の)原発についての私の基本的スタンスである。「安全神話」などというものは基本的になく、当時の日本の原発が「世界一安全」と言われていたのは、単純に確率論によるものでしかないことを、すでにこの時点で私ははっきり書いている。
同書では書かなかったが(というより、まだ当時の日本人の多くに「原発アレルギー」が残っていたため)、日本の原発の安全率が米ソに比べて高かったのは、皮肉と言えば皮肉な話だが「反原発」運動が原発の技術者の危機意識を高め、危機管理体制もそれなりに整っていたためと考えられる。そういう意味では、福島の事故は、政治家が「安全神話」に寄りかかってきたというより、「反原発」運動の停滞が、原発技術者の危機意識をマヒさせた結果と言えなくもない。福島の事故を教訓にして、これから再稼働していくだろう原発の安全率を高めるには、「反原発運動」の広がりが必要かもしれない。
もう一つ指摘しておかなければならないことは、いったい日本の地質学者たちはこれまで何のために研究をしてきたのかが、いま問われていることを痛切に反省してもらいたい。地震大国で、しかも火山大国でもあり、原発の立地としてはきわめて不利な条件にある日本で、活断層の上に原発を建設するといった電力会社の姿勢を真っ先に批判しなければならなかったのは彼らではないか。それを黙認してきた地質学者たちは、全員頭を丸めてもらいたい。日本テレビの看板アナウンサーだった徳光和夫氏は巨人の優勝を確信的に予想し、「予想が外れたら坊主になる」と宣言していたが、予想が外れて徳光氏は見事に坊主頭になった。日本の地質学者たちは全員丸坊主になって出直していただきたい。
ことのついでに書いておきたいことがある。私は現時点では原発をベース電源と位置付けざるを得ないことは認めるが、原発依存度は可能な限り低めていく努力はすべきだとも考えている。ただ、現時点で考えられている再生可能な自然エネルギーにはせいぜいのところ数%の依存度しか期待できないとも考えている。
原発推進派(とくに電力会社やひも付きの政治家たち)は、「原発の電力コストが一番安い」と主張しているが、それはランニング・コストの比較にすぎず、現時点では計算不能な廃炉コストや放射性廃棄物の処理コストを考慮していな
いためである。つまり、あまりフェアな計算方法とは言えないわけで、おそらく廃炉コストや廃棄物処理コストも電力コストに入れれば火力発電が一番安いだろうと思う。
しかし、火力発電は、地球温暖化や、中国で大問題になっている大気汚染を引き起こす。だから火力発電への依存度も高めるべきではない。かといって、太陽光など再生可能な自然エネルギーは100年かけてもコスト的に有利なエネルギー源にはなりえないと思う。
いま日本がエネルギー問題の根本的解決のために総力を挙げて取り組むべき技術課題は、大容量の蓄電池の開発ではなかろうか。幸い、電池開発力は日本が世界を大きくリードしている。大容量の蓄電池を開発できれば、電力コストの安い国から電力を輸入することが可能になるし、国内での再生可能な自然エネルギーをより有利に活用できるチャンスも増える。日本が2度の石油ショックを省力・省エネの技術開発で逆風を神風に変えたように、エネルギー危機という逆風を大容量蓄電池の開発によって神風に変える絶好の機会ととらえたい。
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