小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

安倍内閣は私が13年12月30日に提案した税制改革案の一部を採用したが、安倍内閣の政策は中途半端だ。

2014-08-04 06:01:44 | Weblog
 私が、安倍政権発足直後の13年12月30日に投稿したブログ『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』で提案した税制改革が、ようやく完全ではないが、実施されることになった。そのブログで、私がどう主張したか、すでに目を通された読者も少なくないと思うが、主な部分を転載する。
 なおこの時期、まだアベノミクスの「三本の矢」は公表されておらず、景気回復策は①金融緩和によるデフレ脱却②財政出動による景気刺激策(具体的には公共事業の推進)、の「二本の矢」だけだった。成長戦略という3本目の矢はまだ構想段階だったと思う(アベノミクスに対する私の好意的な見方)。

 そもそもリーマン・ショックで日本のメガバンクが大打撃を受けた理由を考えてほしい。国内に優良な融資先がなく、金融緩和でだぶついた金の運用方法に困り、リーマン・ブラザーズが発行した証券(日本でもバブル時代に流行った抵当証券のような有価証券)に大金をつぎ込み、リーマン・ブラザーズが経営破たんしたあおりを食って大損失を被り、金融界の再編成に進んだことは皆さんも覚えておられるだろう。金融緩和で銀行に金がだぶついたら、また危険な投機商品に手を出しかねない。自公政権の金融緩和政策に世界の為替市場が敏感に反応して急速に円安が進み、株も年初来の最高値を記録したが、そんなのは一過性の現象に過ぎない。とにかく市場にカネが回るようにしなければ、景気は回復しないのは資本主義経済の大原則だ。そのための具体的政策としては、まず税制改革を徹底的に進めることだ。まず贈与税と相続税の関係を見直し、現行のシステムを完全に逆転することを基本的方針にすべきだ。つまり相続税を大幅にアップし、逆に贈与税を大幅に軽減することだ。そうすれば金を使わない高齢の富裕層が貯めこんでいる金が子供や孫に贈与され、市場に出回ることになる。当然内需が拡大し、メーカーはさらに増産体制に入り、若者層の就職難も一気に解消する。そうすればさらに内需が拡大し、メーカーはさらに増産体制に入り、若者層だけでなく定年制を65歳まで拡大し、年金受給までの空白の5年間を解消できる。ただし、このような税制改革を実現するには二つの条件がある。一つは相続税増税・贈与税減税を消費税増税の2段階に合わせて、やはり2段階に分け消費税増税と同時に行う必要がある。その理由は当然考えられることだが、消費税増税前の需要の急拡大と、増税後の需要の急激な冷え込みを防ぐためである。
 その場合、贈与税の考え方そのものを一変させる必要がある。相続税は相続人に掛かるが、贈与税は贈与人に掛かる仕組みになっている。その基本的な考え方を変えなければならない。相続税の負担は相続人が支払うのは当然だが(相続者はすでに死亡しているから課税できない)、贈与税に関しては贈与人が贈与税を支払うだけでなく、非贈与人は収入として確定申告を義務付けることである。その場合、総合課税にすると計算がややこしくなりサラリーマンなど通常は確定申告せずに済む人たちの利便性を考えて分離課税にして、しかも通常の課税システムのように贈与額に応じて納税額を変動させるのではなく、たとえば一律10%の分離課税にすることが大切である(税率は別に10%にこだわっているわけではないが、贈与する側にも贈与される側にも出来るだけ負担が少なくして、頻繁に贈与が行えるような仕組みにすることがポイントになる。またこのシステムを導入することと同時に現在の非課税制度を廃止し、消費税のように一律課税制にすることも大きなポイントになることだけ付け加えておく)。いずれにせよ、相続税を軽く贈与税を重くしてきたのにはそれなりの時代背景があったと思うが、時代背景が変われば課税の在り方についての発想も転換する必要がある。税金に限らず専門家は従来の考え方からなかなか抜け出せないという致命的な欠陥をもっている。私たちはつねに従来の考え方(つまり常識)に疑問を持つ習性を身に付けるよう心がけたいものだ。そうでないと日本はこの困難な状況を脱することが出来ない。 
 また所得税制度も改革の必要がある。内閣府が「国民生活に関する世論調査」を始めたのは1958年(昭和33年)である。この年の調査では「中流」意識を持っていた国民は約7割だったが、60年代半ばには8割に達し、日本のGDP(国民総生産)が世界第2位になった68年を経て70年以降は約9割に達した。79年に内閣府が発表した『国民生活白書』では「国民の中流意識が定着した」と宣言している。
 が、消費税が導入され、さらにバブルが崩壊して以降国民の「中流」意識の変化はどうなったか。実は内閣府はその調査を中止してしまったのである。理由は私が言うまでもなく賢明な皆さんはお分かりであろう。「中流階層」の年収レベルは明確ではないが(内閣府が行ってきた意識調査はあくまで個々人の意識であって、「中流階層」の年収を基準に調査したものではなかった)、少なくとも97年以降は年収299万円以下の層と1500万円以上の層が増加する一方で、300~1499万円の層は減少しており、現実には格差が拡大傾向にある。もっと厳しく、結婚して子供二人がいる4人家族の標準世帯で、30年の長期ローンを組んで(ということは少なくとも30歳代)小さくとも持家(マンションを含む)を買える条件として年収500~700万円を「中流階層」と定義したら、どの程度の国民が「中流階層」の範囲に入るだろうか。政府は怖くてそういう調査ができないことは明らかである。私の間ではおそらく3割に満たないのではないか。おそらく4人家族の標準世帯で年収が500万以下の「下流階層」は5割を超えるのではないか。消費税増税はそういう世帯を直撃する。
 しかし私は消費税増税はやむを得ないと考えている。ただ食料品などの生活必需品を非課税あるいは軽減税率にするのではなく、「聖域なき」一律課税にして、低所得層には生活保護対策として所得に応じて所得税を軽減すべきであろう。少なくとも4人家族の標準世帯の場合は所得税は非課税にする必要がある。その一方年収1000万円超の層は累進的に課税を重くし、年収2000万円以上の高額所得層の所得税率は50%に引き上げる必要がある(現行の最高税率は40%)。

 以上が安倍内閣が誕生した直後の2012年12月30日に投稿した『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』からの税制改革についての提言だった。私が提言した税制改革のかなりの部分は、中途半端ではあるが、安倍内閣は実行に移した。が、中途半端なため税制改革を本格的な景気回復に結び付けるまでには、まだ至っていない。
 私は安倍内閣が行った最高の税制改革は、給与所得者の給与所得控除額を2段階に分けて引き下げ、年収1000万以上の高額給与所得者の所得税を引き上げたことだと考えている。私が「最高」と評価したのは、高額給与所得者に対する課税を強化したことではない。
 そもそも竹下内閣の消費税導入(3%)、橋下内閣による消費税増税(5%)の際に政府が理由とした「先進国の高額所得者に比して、日本の高額所得者に対する累進課税は厳しすぎる。先進国並みの課税水準にしたい」という説明が、ウソデタラメであったことを政府自ら明らかにしたことである。つまりこれまで、高額給与所得層に対する「減額処置」として設けてきた累進的な「給与所得控除額」が、先進国の「給与所得控除額」に比して優遇されすぎていた。つまり、竹下内閣や橋本内閣が高額所得者についての課税を軽減するための口実にしたのは、単純な名目課税率にすぎなかったということを、安倍内閣がばらしてしまったのである。
 所得税制は、国によって違う。たとえば年収が1000万円の人に対する実質課税と課税率の関係を分かりやすいように考えてみよう。
 所得税制が国によって違うということは、年収がまるまる課税対象の「所得額」になるわけではない、ということを意味する。国によって年収から控除される部分があって、そのため年収は同じ1000万円でも、課税対象の所得は国の所得税法によって異なるのである。
 具体的に日本の所得税法によって、年収から控除される要素を見てみる。
 まず無条件に基礎控除として38万円が控除される。さらに、配偶者控除と扶養控除、公的社会保険(年金、健康保険料)、生命保険料や火災保険料の一部が控除される。そのうえ医療費が一定額を超えた場合やゴルフ会員権などの売買損が生じた場合も控除される。そのうえに累進的な給与所得控除がある。そもそも日本の場合、課税対象となる所得そのものが、他の先進国に比して実収入から減額されすぎていたのだ。竹下内閣や橋本内閣は、そうした国によって異なる実収入と課税対象になる所得との差異をあえて無視して、所得に対する名目課税率のみを先進諸国と比較して「日本の高額所得層に対する累進課税は厳しすぎる」と断定したのだ。
 しかも日本の場合、実額支給の通勤手当は、そもそも給与から外されている。つまり、控除前の収入にすら算入されていないのである。一方住宅手当は、どこの会社でも一律支給である。
 仮に勤務先が都心にあったとして、通勤便利な都内に住めば住宅費は高いが(持家であっても減価償却や固定資産税を考慮すると、維持費だけでも相当かかる)、通勤費は安くて済む。一方通勤時間が1時間半かかる郊外に住居を構えた場合、住宅コストは安くて済むのに住宅手当は一律で都心と同じだが、通勤手当は実費支給だからかなりの高額になる。つまり住宅コストと通勤コストは反比例の関係にありながら、日本の場合はそれが所得税法に反映されていない。
 日本の所得税法が、そもそも高額所得者に有利な控除制度が設けられていたことを、竹下内閣や橋本内閣は国民に一切知らさずに累進的所得税率を緩和したことを、安倍内閣はバラしてしまったのだ。
 私は安倍内閣の給与所得控除の見直しについて、直ちに「中途半端だ」と指摘したブログを書くと同時に主要なメディアにも通知した。直接電話で強く申し入れたメディアもある。主要なメディアは先進国に総局や支局などの出先機関を置いている。当然そこでは現地人を雇用している。現地雇用者に日本の所得税法によって源泉徴収しているかというと、そんなことはありえない。
 私は、「日本の高額給与所得者が優遇されているのは給与所得控除だけではないと思う。とくにアメリカの場合、どこに住もうが、結婚しようが、子供を何人作ろうか、すべて自己責任という所得税法になっていると思う。またヨーロッパの高率消費税(付加価値税)は日本でもよく知られているが、なぜヨーロッパの給与所得者が経済的にひっ迫せずに文化的生活が可能なのか、所得税法との絡みで徹底的に調査して、報道すべきだ」とアドバイスした。電話で話を聞いてくれた相手はすべて「確かにおっしゃる通りだと思う」と同意してくれたが、先進国と日本の税制を同一基準に換算して比較する報道は、私が知る限り、いまだにない。
 同じような意味で、法人税の引き下げにも、安倍内閣は「見かけ上の法人税率」だけをヨーロッパや韓国などと比較して引き下げることにした。この件についてはつい最近のことだったので、いつブログに投稿したか分かったが、6月12日に投稿した『法人税引き下げ――またもや「見かけ上の課税率」でメディアや国民をだまそうというのか』というタイトルで安倍税制改革の欺瞞性を指摘した。

 贈与税と相続税の問題に戻るが、私が12月30日に書いたブログでの主張を
一部変える。贈与税については、贈与する側と貰う側の双方が一定の割合で税
負担すべきだと書いたが、相続税も含めてすべて贈与される人や相続する人が、収入に合算して課税対象となる所得を計算して納税するのが最もフェアで合理的だと思う。前の提案では一律課税にすべきだと書いたが、一律だと富裕層にとって非常に有利な税制になってしまう。現に、株式の売買損益は源泉徴収を選択していなければ、確定申告の際、損益額を確定申告で計上できる。配当はすべて20%源泉徴収されるが、これは確定申告すれば配当控除があるため、かなり節税できるケースもある。株式投資する人たちのすべてが高額所得者とまでは言わないが、高額所得者にとってかなり有利な税制になっていることだけは間違いない。
 贈与にせよ相続にせよ、貰う側にとっては収入である。もちろん単純に全額を所得に合算しろとまでは主張しない。一定の限度額までは控除してもいいが、その額を超えた部分はすべて一時所得として総合課税の対象にする。そして生前贈与したほうが、相続より有利な控除限度額を設定する。そうすれば「死にカネ」が「生きカネ」になって日本経済を後押しすることは間違いない。安倍総理はせっかく私のアイディアを採用しながら、やることなすことがすべて中途半端だ。贈与非課税枠の拡大と、非課税枠を超えた贈与額には分離課税方式で累進制にするだけでは、「死にカネ」が「生きカネ」として市場に出回り、景気を刺激することには不十分だ。
 もともと贈与税を高率にし、相続税の非課税枠を大きくしてきたのは、日本経済の発展を支えるための資金を国民に作らせることが目的だった。つまり、消費より貯蓄を優先させるよう、国民の意識を誘導することが目的だった時代の税制である。時代が変わり、いまは貯蓄より消費を優先しなければ、日本経済の回復が困難という時代を迎えている。
 安倍総理は今年の春闘で、経営側を説得して賃上げを要請した。経営側も安倍総理の要請にこたえたが、多少の賃上げだけでは消費者の購買力は増大しない。「死にカネ」を「生きカネ」に代えて、内需を拡大しない限り、日本経済の本格的回復は期待薄だ。「死にカネ」を「生きカネ」に転換するためには、子供や孫に相続させるより贈与したほうが有利だと資産家に思わせるような税制にすることが肝要だ。分かるかな、この考え方が、安倍総理に…。
 

 

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