小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

ウクライナ紛争で、日本が対ロ制裁を強化することは国益上プラスかマイナスか。(後)

2014-08-01 10:13:54 | Weblog
 クラウゼヴィッツの『戦争論』に、「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」という有名な定義がある。この「戦争」についての定義は果たして正確と言えるだろうか、昨日外出先でふと疑問が頭をよぎった。
 ここで、クラウゼヴィッツは「他の手段をもってする政治の継続である」としているが、では政治とは何なのか、「政治」についての明確な定義は不明である。「政治」の定義を明確にしない限り、「政治」とは一線を画したことを意味する「他の手段をもってする政治」の意味もまた不明になる。それに「継続」という言葉が重なると、意味はさらに不明になる。クラウゼヴィッツは「戦争」について定義をする場合、何を目的にこういう定義をしたのかが疑問に思える。
 私たちが日常何気なく使っている言葉でも、定義を共有せずに自分の頭のなかで勝手に作りあげた「定義」を基準に考えたり主張したりしていないだろうか。たとえば朝日新聞が社説で「集団的自衛権行使」についての閣議決定について「戦後70年にわたって積み上げてきた民主主義を破壊する行為だ」と主張した。ここで問われるのは「民主主義」という概念を、朝日新聞の論説委員は正確に理解して使用しているのだろうかという問題である。
 多くの場合、「民主主義が踏みにじられた」と主張する人や団体は、自分たちの意見が受け入れられなかった場合、そういう金切声をあげる。
 民主主義というのは改めてウィキペディアで調べるまでもなく「多数決を原則とする政治の形態」であり、「独裁政治」に対峙する概念だ。マルクスが理想社会として描いた「一人は万人のために、万人は一人のために」という政治が実現すれば、確かに誰もが望む社会になるとは思う。が、その理想社会はしょせん「青い鳥」「絵に描いた餅」にすぎない。マルクスはそういう理想社会の実現のために「共産主義」という政治形態を提唱したのだが、そういう理想社会の実現のために命をかけて闘った人たちが創り上げた政治形態は、「一人は万人のために、万人は一人のために」とはほど遠い1党独裁の権力構造だった。その彼らもまた「民主主義」政治を標榜している。1党独裁で、他の政治団体を認めないのだから、共産党政権は絶対多数派ということになる。この絶対多数派である共産主義政権に抵抗する集団は、権力者にすれば、「民主主義に対する破壊勢力」ということになる。
 禅問答のような話から入って面食らった読者も多いと思うが、言葉の持つ重みを深く掘り下げて考えるという習慣が、日本人にはまだ根づいていないように思える。言葉の持つ重みを噛みしめながら、昨日のブログの続きを書きたいと思う。

 私が昨日のブログの続きを書くにあたって、クラウゼヴィッツの「戦争」についての定義から話を始めたのは、私にとってそれなりの目的があってのこと
だ。ふと疑問に思ってわずか半日で結論を出すのは熟慮の結果とは言えないことは百も承知で、あえてクラウゼヴィッツの定義に代える新しい定義を提案したいと思ったからだ。私の定義はこうである。

「戦争とは、軍事力によって解決しようとする、外交の最終的手段である」

 クラウゼヴィッツが言う「政治」とはきわめてあいまいで、政治の目的は様々だ。いまの日本で言えば、いま重要な政治的課題は山積しており、少子高齢化社会を乗り切るために必要な対策、いちおう回復しつつあるとみてもいいだろう日本経済の本格的な回復への確かな道どりを付けること、国際とりわけアジア太平洋の平和と安全に、アジアの主導的地位にある日本がどう貢献すべきか(なお私は現在の日本の安全保障が危機的な状況にあるとは考えていない。国際情勢は確かに流動的であるが、日本にとってひっ迫した状況が生まれているとは考えられない)、IT技術の飛躍的進歩によって事務系労働力が供給過多になっている一方、景気回復のけん引役として期待されている公共事業や住宅産業では肉体労働力の慢性的な供給不足が解消されていないギャップ。こうした様々な政治の課題を解決する、国際関係の手段が「外交」である。
 そういう視点で、集団的自衛権行使問題を、政治の外交手段として考えた場合、どういうことを意味するのだろうか。ウクライナ紛争に関連した日本のロシア制裁の強化が、日本の「国益」にプラスになるのかマイナスになるのか、という視点で安倍内閣の外交政策に大きな疑問を持たざるを得なくなったことは昨日のブログでも書いた。改めて私の戦争「定義」を書く。

「戦争とは、軍事力によって解決しようとする、外交の最終的手段である」

 要するに、「外交」とは「国益」を獲得するための国際間の交渉であり、「集団的自衛権行使容認の閣議決定」も、日本の抑止力を高め、安全保障をより確実なものにするための切り札的「外交カード」だ、と安倍総理が考えた結果ではないかという結論に私は達した。そういう視点で、日本がウクライナ問題でアメリカに同調して、対ロ制裁を強化したことの意味を考えてみた。
 ウクライナの内紛はEUに加盟して、ヨーロッパの仲間入りを果たそうとするポロシェンコ政権と、「われわれはロシア民族だ。ヨーロッパの仲間になるなんてもってのほかだ」と主張して、武力による抵抗を続けるドネツク州などウクライナ東部2州の反政府過激派との紛争である。
 この紛争は政治権力をめぐっての紛争ではない。ウクライナ全国での民族構成からすると、ロシア系民族は少数派だ。多数派を占めてウクライナの政権をロシア系民族が掌握するには、ロシア人を移民として大量に受け入れるしかないが、そんなことをウクライナ政府が認めるわけがない。で、手っ取り早い方法としてロシア系民族が多い東部2州がウクライナからの分離独立を求めて住民投票を実施し、分離独立を決めた。それをウクライナの暫定政権が認めず、軍事的紛争に発展した。そういう状況の中で発足したのが、国際社会も認めているポロシェンコ政権だった。
 ウクライナは、ソ連が崩壊する以前はソ連邦を構成する主要国の一つだった。ソ連崩壊によってウクライナは分離独立して、それまでの共産主義政権にとって代わる民主的に選ばれた政権が誕生した。しかし、政治的にも軍事的にもロシアとの友好関係を継続してきたのだが、徐々にヨーロッパに接近するようになる。
 2010年に誕生したヤヌコーヴィチ政権のもとで、EU加盟の前提となるEUとの経済連携協定の締結について国民投票で可否を問うたが、国民はEUを選択した。が、親ロシアのヤヌコーヴィチが協定の調印を拒否し(大統領に与えられた拒否権を行使したと思われる)、全国に反政府デモが広がり、政権が崩壊した。その後一時的に軍部が政権を掌握し(それがいわゆる「暫定政権」)、親欧米路線を明確に打ち出した。
 この政変にロシアは「クーデターだ」と非難、そうしたロシアのバックアップを得て、まずロシア系民族が多いクリミア自治共和国が国民投票を行い、ウクライナからの分離独立とロシアへの編入を可決し、ロシアも編入を認めた。欧米とロシアの対立が表面化しだしたのは、その後である。
 一方、ウクライナ国内ではクリミア自治共和国の分離独立に刺激を受けた、ロシア系住民が多い(約4割を占めると言われている)ドネツク州など東部2州があいついでウクライナからの分離独立を求める住民投票を強行、それを認めない暫定政権との間に軍事衝突が生じた。
 暫定政権下で大統領選挙が行われた結果、親欧米のポロシェンコ政権が誕生、選挙そのものに不正が行われた気配も見られなかったことから、国際社会からもポロシェンコ政権の正統性が認められた。ポロシェンコ政権はEU加盟も実現しつつ、ロシアとの友好関係の維持、ロシア系住民が多い東部2州の自治権を大幅に拡大するなどの融和方針を打ち出し、和解工作を始めたが、あくまで分離独立を主張する東部2州のロシア系民族との対立の溝は埋まらず、軍事衝突が続いていた。
 そうした状況下で生じたウクライナ過激派によるマレーシア民間航空機の「誤撃墜」である。この「誤撃墜」はロシア軍によるものではないことは明白である。ロシアに累が及ぶのを恐れた過激派自ら「誤爆撃」を認め、フライトレコーダーも過激派が国際調査団に提出している。この「誤爆撃」に関してロシアが「関与」したとすれば、当初、過激派が「マレーシア航空機を撃墜したのはウクライナ政府だ」と責任をなすりつける声明を出し、ロシアがその主張を容認したというだけだ。また撃墜に使用された「地対空ミサイル」も、過激派がウクライナ軍から奪ったものであることも明らかになっている。
 一方、ロシアが過激派に武器などを供与しているという確たる証拠は、アメリカも一切公表していない。していないのではなく、公表に値するだけの確実
な証拠は掴んでいないとみるのが妥当だろう。前にもブログで書いたが、クリミア自治共和国のロシア編入に対してEUを支援すべくロシアへの制裁を始めたが、EUにとってはアメリカの介入ははっきり言って有難迷惑であった。マレーシア航空機の「誤撃墜」は、こぶしの下ろしどころに困っていたアメリカにとって「タナボタ」的事件でもあった。EUに対してロシア制裁を強要し、やむを得ずEUは自分たちの「国益」を害さない範囲で、「制裁」に踏み切ったというのが真相だろう。
 はっきり言って、今秋中間選挙を控えているオバマ大統領にとっては、自分が所属する民主党が大敗すると、大統領の地位は維持できても、事実上政治の実権を失うことになる。「国益」となると、国内が一気にまとまるというのが、プラスの面もマイナスの面も含めてアメリカという国の大きな特徴である。ウクライナ問題を中間選挙のための最大の材料にしようとしていることくらい、アメリカという国の選挙戦の実態を知っているジャーナリストが分からないはずはない。
 その、中間選挙のための材料にするために始めた対ロ制裁に、EU以外に加わっているのは日本だけだ。日本との同盟関係より重視している韓国すら、ウクライナ問題については「われ関せず」だ。EUを除くアメリカの同盟国は世界中に散らばっているが、日本以外どの国も、自国の「国益」にとってマイナスにこそなれ、プラスにはならない対ロ制裁に踏み切った国はない。
 では、日本にとって対ロ制裁の強化がどんなプラスになるのか、菅官房長官の発言からはまったく分からない。分からないというより、菅官房長官自身、説明のしようがないのではないだろうか。
 あえて言えば、いま日本はロシアとの友好関係を確立することで得られるメリットは、計り知れない。
 まず日露交渉のトップレベルでの再開は、ロシア側から持ちかけられたという動かし難い事実がある。スタートの時点で、日本は優位に立っていた。
 さらにウクライナ問題で、ロシアは窮地に追い込まれている。日露交渉で、日本は「タナボタ」的に有利なカードを手にしたことになる。そのことが理解できないようでは、安倍内閣の外交センスはゼロということになる。
 ロシアが日露トップレベルの交渉再開を提案してきたのは、もちろん自国の
「国益」のためである。ロシアの広大な土地には眠れる資源の宝庫がたくさん残されている。とくにシベリアや樺太の眠れる資源を開発するには膨大な資金と高度な技術力が欠かせない。しかも、せっかく開発した資源をどの国に売るのが最も有利かという条件も必要になる。資金と技術力はEUに頼れないこともないが、開発した資源(天然ガスや石油)をEUに持っていくには輸送コストがかかりすぎて国際競争力を失いかねない。
 これらのすべての条件を満たす国が、実はすぐ近くにあった。言うまでもなく日本である。が、すでに述べたように国際法上は日ロはいまだに交戦状態にある。その日ロ両国ののど元に刺さったとげがある限り、これだけの大事業で日ロが協力し合うことはできない。だからプーチン大統領は、それまで棚上げにしてきた北方領土問題も解決しようという、日本にとってこれ以上はないという「外交カード」を切ってきたのだ。
 そのうえウクライナの「ドラ息子」のためにロシアは窮地に立っている。日本はさらに有利なカードを「タナボタ」的に手に入れたことになる。対ロ制裁などと言う、日本の国益にとって、マイナスにこそなれ、プラスの要素がまったく期待できない「外交手段」に出たのはなぜか。
 はっきり言って日本が、北方領土問題を解決して日ロ平和友好条約を締結すれば、日ロ両国の経済発展のみならず、日本を取り巻く安全保障環境は戦後空前の良好なものになる。エネルギー安保も、飛躍的に向上する。その絶好のチャンスを、安倍内閣は自らどぶに捨てた。いまは死語となった「国賊」という言葉が生きていれば、安倍内閣がその言葉に相当しよう。
 

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