今日も朝から風の強い春とは思えない寒い一日となりました。
朝からお稽古の準備で大忙しで始まり、やっと一心地ついたところです。
お茶室の床の間は、春そのもの、春爛漫です。

一花天下春 天竜寺主 平田精耕老大師筆
この軸は、一目で春を連想させてくれる墨蹟です。
「芳賀幸四郎著 一行物 」によると、元は「一花開天下の春」(いっかひらいててんかのはるなり)で、「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ」という句を思い出すのと同じで、長かった冬から開放された春到来の歓喜を良く表現した圭句である。
しかし、この句の背後にはもっと深い禅意が込められている。ここでいう「一花開」とは、単に梅や桜の花が咲くことではなく、心の花が開くこと、悟りの開けることの意味合いである。
長い忍苦精進の果てに到来した転迷開悟の喜びをうたったものである。と著者芳賀幸四郎さんは記述しております。そう云われても、尚、春の風景以外の深い意味など考えられないな~・・・。(ああ未熟)

唐銅の鶴首に「鶯神楽 窪田」
こうした軸が飾られた茶室は、道具を始めお菓子など総てが春の喜びに満ち満ちているといった、そんなお稽古でありました。

床飾り
軸ひとつや、小さな一本の花から、人それぞれの気持ちの中に違った春を思い描かせることの素晴らしさを、充分に味わえる一日でもありました。
朝からお稽古の準備で大忙しで始まり、やっと一心地ついたところです。
お茶室の床の間は、春そのもの、春爛漫です。

一花天下春 天竜寺主 平田精耕老大師筆
この軸は、一目で春を連想させてくれる墨蹟です。
「芳賀幸四郎著 一行物 」によると、元は「一花開天下の春」(いっかひらいててんかのはるなり)で、「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ」という句を思い出すのと同じで、長かった冬から開放された春到来の歓喜を良く表現した圭句である。
しかし、この句の背後にはもっと深い禅意が込められている。ここでいう「一花開」とは、単に梅や桜の花が咲くことではなく、心の花が開くこと、悟りの開けることの意味合いである。
長い忍苦精進の果てに到来した転迷開悟の喜びをうたったものである。と著者芳賀幸四郎さんは記述しております。そう云われても、尚、春の風景以外の深い意味など考えられないな~・・・。(ああ未熟)

唐銅の鶴首に「鶯神楽 窪田」
こうした軸が飾られた茶室は、道具を始めお菓子など総てが春の喜びに満ち満ちているといった、そんなお稽古でありました。

床飾り
軸ひとつや、小さな一本の花から、人それぞれの気持ちの中に違った春を思い描かせることの素晴らしさを、充分に味わえる一日でもありました。