本因坊の山下敬吾九段に井山裕太天元が挑戦する、第67期本因坊決定戦七番勝負が15日開幕しました。2012年は、初代本因坊算砂が徳川家康から囲碁のプロ棋士として俸禄を受けて400年の節目にあたります。囲碁は幕府公認の遊芸・文化となり、以降、本因坊の名称は、将棋の名人同様引き継がれてきました。これを記念して、第1局が算砂の住んでいた京都・寂光寺で行われています。
超一流プロ棋士の対局は、私のようなヘボ碁にも大いに参考になります。
碁の「本因坊」の起源となる碁所「京都・寂光寺」<o:p></o:p>
機会があれば訪れて見たいと思います。<o:p></o:p>
当寺二世の日海(にっかい)上人は、碁を堺の仙也(せんや)老人に学んだ碁の名手で、碁所の開祖。当時、日海には敵手なく、織田信長から「名人」の名を贈られた。日海は塔頭の本因坊に住み、本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)と号していた。織田信長のほか、豊臣秀吉、徳川家康などへも碁を教え、以後、本因坊の名称は碁界の家元とされ、技量に優れた者が襲名継承することになった。碁の「本因坊」の起源である。なお、日海は、本能寺の変が起きる前夜、信長に呼ばれ碁を打っている。