定年だ!!世界一周

サラリーマン36年、
いよいよ念願だった世界一周に出発2015年4月1日
2016年1月22日219日間27か国達成

拾う神あり?!

2016-02-18 12:17:38 | 旅行記前半、アジア、アフリカ、中東

☆拾う神あり?!

 

 

コロンボからヒッカドゥワまでまた列車で移動。あいにくこの日は仏教の祝日、二等の切符を買って乗りましたが車内は定員の10倍以上、溢れ出てデッキにいました。それでも次から次に車内に入っていきます。こんなに二等の切符売っているわけないと思いますが・・、もちろん日本のような車内検札などありません。

 

そんなすし詰めを乗り越えて着いたヒッカドゥワは、美しい海と浜辺を持つ、さすがスリランカで一番と言われるリゾート地でした。25年前に日本で勉強しながら働いて、日本好きになったオーナーが経営する「Nippon Villa」でのんびり二泊してこれから行くアフリカの旅への英気を養いました。さあ休養も終わりコロンボに戻っていよいよアフリカへ飛びます。オーナーに相談するとコンボより空港に近いニコンボまで行って一泊してツクツクで空港に行きなさいと教えてくれました。さらにコロンボのバス停への行き方や高速バスへの乗り方など私が迷ってもすぐに使えるように現地語のメモを書いてくれました。「拾う神あり」とはこのことですね。

 

☆民宿のおばさんの方が英語が上手い

 

 無事ニコンボに到着。日本人経営の宿で最後の日本食食べてと思いバスを乗り継いで行きました。ところがなんと宿の主の日本人はゴールデンウイークで日本に里帰り中です。困り果てて立っていると、目の前のおばさんがうちに泊まれと勧める。漁民民宿、海岸でおじさんとあさりを取って夕ご飯のおかずにしたり、魚料理が出たりして、これまたのんびり。私を誘ってくれた60過ぎのおばさんの英語がすごく上手なので理由を聞くと。「誰にも習ってないよ。外国人のお客さんが泊るから自然に覚えた」と。私の英語、何年も学校で習っておばさんの十分の一程度、ああ恥ずかしい。

 

 

第四話

 

「いよいよアフリカ、バスだ!トラックだ!キャンプだ!」の巻

 

ドーハを経由して30時間、アフリカの玄関口南アフリカのケープタウンにに到着。

早速喜望峰(Cape of Good Hope)へ。「希望峰」と勘違い。ケープポイントで荒い波と渦巻く潮流を見ながら、この難所でどれほど多くの冒険家の夢が断たれたことか、感傷に浸っていました。1497年初めてヨーロッパからここを経由してインドへ航海に成功したバスコダガマはどんな思いでここに立ったのでしょうか。

 

☆遂にはじまった アフリカ14,000キロの旅

 

 

そして5月6日より外国人17名とオーバーランドツアーと言う56日間のツアーに参加しました。日本を出発する一か月前、さてアフリカの2か月間どうしようとネットで調べていた時に出てきました。アフリカと外国人のW体験と飛びつきました。乗り物は悪路に堪えられるように下がトラックで、その上にバスを積んでいる形式です。そしてお泊りはなんとテントでキャンプ生活です。ドライバーが一人と料理をするコックが一人が同乗しています。テントは自衛隊が使うような分厚くて重い防水布で出来たもの。自分たちで組み立てて、ここに二人で寝ます。毎日の事ですが結構重労働です。

 

 

一日目の夕方自己紹介をしました。定年退職したアメリカ人の夫婦、恋人同士のオーストラリア人。オランダから来た老姉妹。特殊な関係のイタリアとスイスの女性。21歳のスイスガイ2名。ドイツ人とオーストラリア人の旅行好きの女の子、22歳の女医の卵、単独で来た南アフリカ、カナダ、ドイツそして私。世界中から来ています。もちろん共通語は英語。最初の二日間は自己紹介や旅の話などで盛り上がりましたが、あとは大変でしたがみんな親切にしてくれました。

 

そんなみんなの思いを載せてトラックはケープタウンを出発。2日目にはナミビア国境のオレンジ川まで来ました。赤く燃える夕日、そして川。外国人たちは到着するとすぐに泳ぎだします。私も無理やり誘われて川にダイブ。ああアフリカに来たなと感じた夕方でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆真っ赤な夕日、ナミビア砂漠に感動!

 

次回に