みしらず柿がいっぱい美しく輝いていました

このたくさんの美しい柿が今は誰も食べてくれないんです。かつては取り残された「みしらず柿」の渋が自然の寒さの中で抜けると、それを知ったムクドリの群れがやってきて賑やかに争って食べて食べ尽くしたものです。でも今はもうそのムクドリさえも見向きもしてくれないんです。なんか侘しくて悲しい気がしてなりません。
スーパーには会津若松市のみしらず柿の産地で選果され渋もぬかれた大きくて美しいみしらず柿が並んでいます。今はこんな高い木になっている柿を苦労して採果して渋をぬいて食べるよりスーパーで売っている大きくて渋もぬかれている綺麗な柿を買って食べるほうが手軽でいい時代なのかも知れません。
私たちの町でもみしらず柿を栽培なさっているところもあります。行って見ると栽培されている柿の木は剪定や採果に便利なように枝が剪定さていて小ぶりです。この集落の入り口の柿の木のように高く伸び切っている柿の木は放置されていて手入れも剪定もされていないということなんだと思います。

この写真は平成5年(1993)3月発行の写真集「あつしおかのう四季」からお借りしてコピーしたものです。

25年前の豊かな農家の蔵の軒先にはこんなにたくさんの干し柿がつるされていました。思い出すと出来あがった干し柿は濃い黒茶色で堅く皺だらけそして白い粉がふいていました。お店から買って食べると深い味わいのある甘く美味しいものでした。でもそんなに高価なものではありませんでしたので私はよく買って食べました。
今スーパーで売っている干し柿は綺麗な飴色で軟らかく上品な甘さの「あんぽがき」です。包装も綺麗ですけど高価です。私のようなものには頂きものを食べるくらいで買って食べる贅沢はちょっと出来ません。それに残念なことに黒茶色で堅くて皺だらけ干し柿は店頭ではみられないのです。
また私の生家など貧しかったからでしょうか干し柿をつくるのにむいたて皮は大根と一緒に漬けてその甘さを楽しんだ記憶があります。
この写真で見ると大根の葉がいっぱい縄で編んで干されています。大事な家畜の餌になるんでしょうね。今は大根の葉など無用なものとして捨てられているようですけど昔は大事にしていたんですね。私など大根のはを細かく刻んで塩で漬けたものを納豆に混ぜて美味しく食べた記憶があります。
写真の買い物帰りでしょうか、赤ちゃんを背負って子供と一緒のお母さんの姿がとても温かいです。懐かしいです。
私は誰にも食べてもらえず、たくさんの柿を美しく輝かせている集落入口写真と、「あつしおかのうの四季」の写真を見くらべて、[豊かさ」ってなんだろうとしみじみ考えてしまうんです。