続・切腹ごっこ

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「切腹の歴史」3

2006-03-23 | ★レビュー(本)
前回の続き‥

 12章「明治以後の切腹」
 1、
会津白虎隊
 明治の切腹史は会津若松の少年白虎隊から始まるといっても妥当を欠くことはないだろう、とある。 総勢20人(うち1人蘇生)の切腹。しかも16、17歳の紅顔の少年ばかり。数え年で16、17なので今なら15、16歳中学3年か高校1年だ。しかし実際に割腹した者は少なく、差し違えや心臓や喉を突いたり首をかき切る者が多かったようだ。
 初陣で大人の隊長ともはぐれ、まともな食事もできないまま一晩中雨にうたれて山中で過ごした末で体力も気力も残り少なかったんだろう。本来は割腹したいところ死にきれない可能性を考えて、多くがすぐに急所を突く方法を選択したのではないだろうか。1人蘇生した飯沼貞吉氏の後年の証言や、彼を助けた女性の証言もあるので確かなことだろう。
 2、
神風連
 明治9年、西南戦争や佐賀の乱に先立って熊本で起こった戦がある。叛徒は県下に結社を結ぶ「神風連」170名余り。「熊本神風連の反乱」という。
 10月24日には熊本の官庁や軍の施設に大打撃を与えたが、巻き返しにあって敗走し、翌25日の明け方から敗残兵の切腹が始まった。
 ある18歳の少年は実家に帰り、養父たちに切腹の仕方を教えてもらい別れの盃を交わしたあと、諸肌脱ぎになり下腹を一文字に掻き切った。そして刃を喉に当て「ここで、ようございますか‥」と聞いたあと、にっこり笑って見事に突き立てた。
 17歳の少年は、親しい2人の少年を家に呼び別れを言ったあと、書斎で切腹した。しばらくして「すこし御加勢を‥」という声が聞こえ家人が書斎に入ると、喉に短刀を突き血に染まって喘いでいる。背後から体を支え「もうちょっとの辛抱だ」と耳元で言うとかすかに頷き、少年はそのまま腕の中でこと切れたという。
 他にも山へ登って見晴らしのいい場所を選び集団切腹する者、友といっしょに友の家で自刃する者、祖先の墓前で死に就く者、様々だったが、自刃した者総てが形どおり一文字に切っていたという。

 これで「切腹の歴史」という本から書き写した文章は全てだ。7年前当時自分の興味のあるところだけしか写しておらず、まだ内容の半分も伝えられていないと思うので興味のある人は本を捜して読んで下さい。

切腹の歴史 (雄山閣BOOKS)
大隈 三好
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★レビューは上記のとおり。
神風連とその時代 (MC新書)
渡辺 京二
洋泉社