2010年4月23日 金曜日の夕方、ガラリと引き戸を開けて暖簾を潜る。 店内を見渡すと、まだ早いので数人のお客さん。
目の前に、いつもの常連さんが居られたので、ニコリと挨拶を交わし、『横、いいですか?』 『おお、ええよ』
椅子に座り、『キリン、大瓶で。 あと、皮ください』 『はいよ』
***
20年位前、結婚した当初は家でも瓶ビールだったが、十数年前から酒の安売り店が増え、そして発泡酒が主流になった今では、瓶ビールを家で飲む事が無くなった。 『瓶ビール』を持ち、コップに注ぐ。 久し振りの重みが心地良い。 『トクトクトクトク。 シュワワワワー』
いただきます! 『ゴクリ、ゴクゴク。 プハーッ』 うーん、美味い!
皿に、緩く溶かれたカラシを取る。 『あ、あと一味もらえますか』 『ほい』
『あわもり』名物、おでんの皮にはパラリと塩を振り、カラシをつけて口にいれる。 コラーゲンたっぷりで、独特の歯応えがたまらない。
皮は冷めるとまずくなるので、最初の注文は皮だけと決めている。 これを食べ終わるまでは、次の品は注文しないのが私の流儀。
***
『それにしても今年は変な天気ですね。 暖かくなったり、急に寒くなったり』 『ほんまよ。 この前テレビで言いよったで。 こんな寒いんは、六十数年ぶりじゃと』 『それによう雨が降りますね。 まるで梅雨みたいですよ』
横の常連さんと話しながら、ふとその方の皿を見ると、『たけのこ』が。
『おー、たけのこ、出たんですか!』 『ほうよ、入っとるで』
あわもりでは、春のごく限られた期間だけ、たけのこのおでんが供されるのである。 これが、ここ数年の楽しみの一つ。
そして、いつからいつまでと決まっているわけではないので、月に1~3回程度しか通わない私は、頃合いを見計らうのが難しいのだが、幸運な事にここ数年は、たけのこに会うことができている。 ラッキー!
***
そうこうしているうちに、おばちゃんも店に出て来られた。 いつものように笑顔で『あ、いらっしゃーい』
『今日はタケノコがあるんですね』 『ほうなんよ』 『一つもらえますか』 『先の方と根元の方、どっちがええ?』 『じゃあ、先の方を』
美味そうなタケノコのおでん。 溶きガラシに少し醤油を垂らして一口。 サクリとした歯応えと、独特の香ばしい味。
『いやあ、おいしいなあ。 これを食べると、春が来たって感じですよ』
『スジもらえますか。 脂スジを』 『こんにゃく下さい』 『お、ロールキャベツ、復活したんですか。 一つ下さい』
おばちゃんは、私の横の常連さんを見て、『あ、大瓶飲んどるね。 珍しい。 風呂にでも入ってきたん?』 『そうよ。 風呂上がりのビールは美味いわ』 『実はわしも銭湯に入ってきたんですよ。 地元の銭湯でサッパリしてからきました』と私。
『みんなええねえ。 風呂に入ってビールを飲んで。 仕事しよるのは私らだけじゃが』と、おばちゃんは笑う。
おっちゃんと俺は、顔を見合わせてニヤリ。 そしてビールをゴクリ。
***
ガラリと戸が開く。 見ると、これまた常連さんだ。
『こんにちは』 『おお、久し振りじゃのう。 どうしよったんか』 『いやあ、毎週海に行ったり、旅に出たりで忙しかったんですよ』
すると笑いながら、『他の店に浮気しよったんじゃないんか』 『いやいや。 わしゃあ、酒を飲むいうたら、家か浜か、この”あわもり”だけじゃけん』
『おっちゃんこそ、いろいろええ店に行きよってんじゃないんですか』とニヤリと笑うと、『呉の店か? わしゃあもう当分前に卒業したよ。 いっぱい授業料払うたけどのう』と笑う。
***
『あわもり、大で』 『氷水ももらえますか』 『平天ください』
『たまご一つ』 『あ、もう一回たけのこお願いします』
他愛のない四方山話をつまみに、泡盛を飲み、おいしいおでんを食べて、また泡盛。
店に入ってからちょうど1時間。 そろそろ引き揚げるとするか。 『すみませーん。 いくらですか』 『はーい、串何本?』 カチャカチャと算盤で計算された勘定を払い、『ごちそうさまでした』 『また来てね』
今年も幸運な事に、季節限定の”たけのこ”のおでんを楽しむことができた。 良い週末が始まる予感。
目の前に、いつもの常連さんが居られたので、ニコリと挨拶を交わし、『横、いいですか?』 『おお、ええよ』
椅子に座り、『キリン、大瓶で。 あと、皮ください』 『はいよ』
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20年位前、結婚した当初は家でも瓶ビールだったが、十数年前から酒の安売り店が増え、そして発泡酒が主流になった今では、瓶ビールを家で飲む事が無くなった。 『瓶ビール』を持ち、コップに注ぐ。 久し振りの重みが心地良い。 『トクトクトクトク。 シュワワワワー』
いただきます! 『ゴクリ、ゴクゴク。 プハーッ』 うーん、美味い!
皿に、緩く溶かれたカラシを取る。 『あ、あと一味もらえますか』 『ほい』
『あわもり』名物、おでんの皮にはパラリと塩を振り、カラシをつけて口にいれる。 コラーゲンたっぷりで、独特の歯応えがたまらない。
皮は冷めるとまずくなるので、最初の注文は皮だけと決めている。 これを食べ終わるまでは、次の品は注文しないのが私の流儀。
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『それにしても今年は変な天気ですね。 暖かくなったり、急に寒くなったり』 『ほんまよ。 この前テレビで言いよったで。 こんな寒いんは、六十数年ぶりじゃと』 『それによう雨が降りますね。 まるで梅雨みたいですよ』
横の常連さんと話しながら、ふとその方の皿を見ると、『たけのこ』が。
『おー、たけのこ、出たんですか!』 『ほうよ、入っとるで』
あわもりでは、春のごく限られた期間だけ、たけのこのおでんが供されるのである。 これが、ここ数年の楽しみの一つ。
そして、いつからいつまでと決まっているわけではないので、月に1~3回程度しか通わない私は、頃合いを見計らうのが難しいのだが、幸運な事にここ数年は、たけのこに会うことができている。 ラッキー!
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そうこうしているうちに、おばちゃんも店に出て来られた。 いつものように笑顔で『あ、いらっしゃーい』
『今日はタケノコがあるんですね』 『ほうなんよ』 『一つもらえますか』 『先の方と根元の方、どっちがええ?』 『じゃあ、先の方を』
美味そうなタケノコのおでん。 溶きガラシに少し醤油を垂らして一口。 サクリとした歯応えと、独特の香ばしい味。
『いやあ、おいしいなあ。 これを食べると、春が来たって感じですよ』
『スジもらえますか。 脂スジを』 『こんにゃく下さい』 『お、ロールキャベツ、復活したんですか。 一つ下さい』
おばちゃんは、私の横の常連さんを見て、『あ、大瓶飲んどるね。 珍しい。 風呂にでも入ってきたん?』 『そうよ。 風呂上がりのビールは美味いわ』 『実はわしも銭湯に入ってきたんですよ。 地元の銭湯でサッパリしてからきました』と私。
『みんなええねえ。 風呂に入ってビールを飲んで。 仕事しよるのは私らだけじゃが』と、おばちゃんは笑う。
おっちゃんと俺は、顔を見合わせてニヤリ。 そしてビールをゴクリ。
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ガラリと戸が開く。 見ると、これまた常連さんだ。
『こんにちは』 『おお、久し振りじゃのう。 どうしよったんか』 『いやあ、毎週海に行ったり、旅に出たりで忙しかったんですよ』
すると笑いながら、『他の店に浮気しよったんじゃないんか』 『いやいや。 わしゃあ、酒を飲むいうたら、家か浜か、この”あわもり”だけじゃけん』
『おっちゃんこそ、いろいろええ店に行きよってんじゃないんですか』とニヤリと笑うと、『呉の店か? わしゃあもう当分前に卒業したよ。 いっぱい授業料払うたけどのう』と笑う。
***
『あわもり、大で』 『氷水ももらえますか』 『平天ください』
『たまご一つ』 『あ、もう一回たけのこお願いします』
他愛のない四方山話をつまみに、泡盛を飲み、おいしいおでんを食べて、また泡盛。
店に入ってからちょうど1時間。 そろそろ引き揚げるとするか。 『すみませーん。 いくらですか』 『はーい、串何本?』 カチャカチャと算盤で計算された勘定を払い、『ごちそうさまでした』 『また来てね』
今年も幸運な事に、季節限定の”たけのこ”のおでんを楽しむことができた。 良い週末が始まる予感。
2010年3月30日(火) 今日は、待ちに待った『阿部真央らいぶNo.1』in ナミキジャンクション。
夕方、急に予定が変わった会議が6時前に終わり、急いで会場に駆けつけた。 『あー、なんとか間に合った!』
今朝、会議予定が変更になったとのメールを見て、今日のライブは半分諦めていたのだが、幸運の女神は、なんとか見放さずにいてくれたようだ。
***
6時半。 定刻にライブが始まった。 立ち見だけの狭い会場には、お客さんがぎっしり。
佐野元春のコンサートに比べると、お客さんの平均年齢は約1/2。 佐野元春のコンサートがザッと平均50才前後なら、阿部真央は20台前半だ。 若いなあ!
ソッと会場を見回してみたが、どうやら私が最年長ではなさそうである。 見た目だけの判断ではあるが、ほっと一安心。
***
こういうライブハウスではガンガンと大音響で鳴らすため、正直あまり良い音とは思わないが、阿部真央の声は割れるほどのバックバンドの音にも負けず、しっかりと存在感を示していた。 さすが、阿部真央。
これまでの2枚のアルバムから、乗りの良い曲や、じっくり聞かせる曲などを織り交ぜながらプログラムは進行していく。
テンポの良い曲では、あの長い髪をまるで獅子舞のように振り乱しながら歌う阿部真央。 あの長い髪は、一つの演出なんだなあ。
表情も豊かで、喋りも短くはあるが会場からの声にもしっかり応えるなど乗りが良く、また昔の自分を語る場面では独特の味と迫力が感じられる。
***
『歌を作って歌うようになる前、16歳くらいまでは、自分を認めることができず、自分を好きになることができなかった』
『でも、歌を歌うようになって、CDを買ってくれ、コンサートに来てくれる人から、元気になったという反応をもらえるようになって、ようやく最近では自分を好きになれるようになってきた。 今は、逆にみんなから元気をもらっている』
『難しい事だけど、自分が目指しているのは、いつまでも純粋で、そして素直でいられる事』
『つきあっている人も、そうでない人も、結婚している人も、そうでない人も、相手の心を自分の思うようにすることはできない。 でも、人を好きになる事は素敵な事だから、私はいつまでもラブソングを歌い続ける』
***
圧巻だったのは、ラスト近く。 一人でギターを弾き語りした曲、『母の歌』
力強く深みと迫力のある阿部真央の声が最高に活きるのは、間違いなく静かな弾き語りだ! 個人的には、バックバンドなし/ギター一本での阿部真央ライブをじっくりと聴いてみたいと、心底思った。
まだ二十歳という若い歌い手、阿部真央。 ほんとうに将来が楽しみだ。
夕方、急に予定が変わった会議が6時前に終わり、急いで会場に駆けつけた。 『あー、なんとか間に合った!』
今朝、会議予定が変更になったとのメールを見て、今日のライブは半分諦めていたのだが、幸運の女神は、なんとか見放さずにいてくれたようだ。
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6時半。 定刻にライブが始まった。 立ち見だけの狭い会場には、お客さんがぎっしり。
佐野元春のコンサートに比べると、お客さんの平均年齢は約1/2。 佐野元春のコンサートがザッと平均50才前後なら、阿部真央は20台前半だ。 若いなあ!
ソッと会場を見回してみたが、どうやら私が最年長ではなさそうである。 見た目だけの判断ではあるが、ほっと一安心。
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こういうライブハウスではガンガンと大音響で鳴らすため、正直あまり良い音とは思わないが、阿部真央の声は割れるほどのバックバンドの音にも負けず、しっかりと存在感を示していた。 さすが、阿部真央。
これまでの2枚のアルバムから、乗りの良い曲や、じっくり聞かせる曲などを織り交ぜながらプログラムは進行していく。
テンポの良い曲では、あの長い髪をまるで獅子舞のように振り乱しながら歌う阿部真央。 あの長い髪は、一つの演出なんだなあ。
表情も豊かで、喋りも短くはあるが会場からの声にもしっかり応えるなど乗りが良く、また昔の自分を語る場面では独特の味と迫力が感じられる。
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『歌を作って歌うようになる前、16歳くらいまでは、自分を認めることができず、自分を好きになることができなかった』
『でも、歌を歌うようになって、CDを買ってくれ、コンサートに来てくれる人から、元気になったという反応をもらえるようになって、ようやく最近では自分を好きになれるようになってきた。 今は、逆にみんなから元気をもらっている』
『難しい事だけど、自分が目指しているのは、いつまでも純粋で、そして素直でいられる事』
『つきあっている人も、そうでない人も、結婚している人も、そうでない人も、相手の心を自分の思うようにすることはできない。 でも、人を好きになる事は素敵な事だから、私はいつまでもラブソングを歌い続ける』
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圧巻だったのは、ラスト近く。 一人でギターを弾き語りした曲、『母の歌』
力強く深みと迫力のある阿部真央の声が最高に活きるのは、間違いなく静かな弾き語りだ! 個人的には、バックバンドなし/ギター一本での阿部真央ライブをじっくりと聴いてみたいと、心底思った。
まだ二十歳という若い歌い手、阿部真央。 ほんとうに将来が楽しみだ。
先日注文した、『みずのわ出版』の『エビと魚と人間と_南スラウェシの海辺風景(編集:森本孝)』が届き、毎晩仕事から帰った後、晩酌のビールを飲みながら、少しずつ読み進めてきた。
***
この本は、特に漁民の視点/海からの視点で東南アジアを歩いて考察し、そして貴重な記録を残した『鶴見良行』さんの、フィールドノートと自筆原稿が出版されたものである。
森本孝さんから紹介を受けて購入したものの、正直な話、実際に手にしてみるまで『自筆原稿の意味!』を理解する事はできなかった。
***
だが本を開いて読み始めると、普段目にする美しくそろった活字とは違い、一字一字丁寧に綴られる文字から伝わってくるその人の”ひととなり”に加え、後で写真を張るために確保されたスペース、修正の痕跡、写真に添えられたメモなどなど、まるで著者の息遣いまで感じられる様なリアルな鶴見良行氏の世界を実感できたような気がしたのは、とても新鮮な感覚であった。
さらに鶴見良行氏の、船/舟や海洋民族に対する知識や観察眼の深さ、川沿いの農業と淡水魚を対象とした漁業、そして海の漁業と製塩業との関連など、柔軟な発想と洞察の鋭さは、海からの視点を大切にする『旅系/文化系シーカヤッカー』には、とても興味深いものだと思う。
*** 以下、引用 ***
つまり目下のところ、トビウオの卵を食べるのは、日本人だけで、それもごく最近始まったのだ。 (中略) その2は、やはり加工されて、”カビアまがい”となる。 ガードしたのキャバレーで出されるカビアの前菜は、トビウオ卵に色つけしたものである。 (中略) 採取漁業の漁獲が、ガード下のカビアまがいに変じるまで、遠い南スラウェシの漁民と日本の消費者まで結びついている。
バジャウは、自分たちだけの墓場と旗を持っている。 その旗は男と女の顔をもつ一対の吹き流しで、儀式のときはあい対して立てるという。
支柱の長さは、日常の用で舟がどれほどの荷を積むかとかかわっている。 というのは、ダブルアウトリガーは定量を積んで、両側の浮きが海面に触れているとき、舟はもっとも素直に直進するからだ。
(*カヤッカー注: アウトリガーカヌーのアウトリガーは、”浮き”ではなく”錘”であるというのが、『海洋文化セミナー』で教えていただいたミクロネシアのアウトリガーカヌーの考え方。 この辺りを考察してみるのも面白いかもしれない。)
丸木舟を漕ぐ櫂は、それ自体が舵だった。 浅い川や気水沼地では、水中深く入る舵はむしろ邪魔である。 櫂が舵だという理屈は、今日の東南アジア海船にも残っている。
(*カヤッカー注: 先日話を伺った阿賀の御漕船では、艢の櫓が舵を兼ねているとのお話であった。 また、大崎上島の櫂伝馬でも、舵はなく艢の大櫂が舵の役目を果たしている。 この櫂伝馬の大櫂はよく考えられていて、直進でスピードを出すときは櫂をわずかに水に入れ、最小限の抵抗で直進性を確保するとともに、舟を曲げる時には少し深めに入れて抵抗を作り出すようになっている。 シーカヤックのスケグとラダーを組み合わせた様なものだと考えてよいだろう! 素晴らしい海洋民族の知恵。)
*** 引用終わり ***
東南アジアの、それも特に海洋民族に軸足を置いた民俗学者、鶴見良行さんの息遣いまで感じられそうな貴重な本。
整ってはいるが味気ない活字がならんだ本とは一線を画す貴重な記録。
恐れ多いのは承知の上で、サラリーマンカヤッカーである私との共通点をあえて探せば、『ビール党』な事くらいではあるが、下記の一文がとても気に入った。
『白い袋は、飼料のビール滓。 ビール党の私は、イスラムの国なのに、養魚の発展を祈って、毎晩ビールを飲んだ』 いいなあ、鶴見良行!
興味がある方はぜひ、みずのわ出版のHPで確認してみて下さい。
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この本は、特に漁民の視点/海からの視点で東南アジアを歩いて考察し、そして貴重な記録を残した『鶴見良行』さんの、フィールドノートと自筆原稿が出版されたものである。
森本孝さんから紹介を受けて購入したものの、正直な話、実際に手にしてみるまで『自筆原稿の意味!』を理解する事はできなかった。
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だが本を開いて読み始めると、普段目にする美しくそろった活字とは違い、一字一字丁寧に綴られる文字から伝わってくるその人の”ひととなり”に加え、後で写真を張るために確保されたスペース、修正の痕跡、写真に添えられたメモなどなど、まるで著者の息遣いまで感じられる様なリアルな鶴見良行氏の世界を実感できたような気がしたのは、とても新鮮な感覚であった。
さらに鶴見良行氏の、船/舟や海洋民族に対する知識や観察眼の深さ、川沿いの農業と淡水魚を対象とした漁業、そして海の漁業と製塩業との関連など、柔軟な発想と洞察の鋭さは、海からの視点を大切にする『旅系/文化系シーカヤッカー』には、とても興味深いものだと思う。
*** 以下、引用 ***
つまり目下のところ、トビウオの卵を食べるのは、日本人だけで、それもごく最近始まったのだ。 (中略) その2は、やはり加工されて、”カビアまがい”となる。 ガードしたのキャバレーで出されるカビアの前菜は、トビウオ卵に色つけしたものである。 (中略) 採取漁業の漁獲が、ガード下のカビアまがいに変じるまで、遠い南スラウェシの漁民と日本の消費者まで結びついている。
バジャウは、自分たちだけの墓場と旗を持っている。 その旗は男と女の顔をもつ一対の吹き流しで、儀式のときはあい対して立てるという。
支柱の長さは、日常の用で舟がどれほどの荷を積むかとかかわっている。 というのは、ダブルアウトリガーは定量を積んで、両側の浮きが海面に触れているとき、舟はもっとも素直に直進するからだ。
(*カヤッカー注: アウトリガーカヌーのアウトリガーは、”浮き”ではなく”錘”であるというのが、『海洋文化セミナー』で教えていただいたミクロネシアのアウトリガーカヌーの考え方。 この辺りを考察してみるのも面白いかもしれない。)
丸木舟を漕ぐ櫂は、それ自体が舵だった。 浅い川や気水沼地では、水中深く入る舵はむしろ邪魔である。 櫂が舵だという理屈は、今日の東南アジア海船にも残っている。
(*カヤッカー注: 先日話を伺った阿賀の御漕船では、艢の櫓が舵を兼ねているとのお話であった。 また、大崎上島の櫂伝馬でも、舵はなく艢の大櫂が舵の役目を果たしている。 この櫂伝馬の大櫂はよく考えられていて、直進でスピードを出すときは櫂をわずかに水に入れ、最小限の抵抗で直進性を確保するとともに、舟を曲げる時には少し深めに入れて抵抗を作り出すようになっている。 シーカヤックのスケグとラダーを組み合わせた様なものだと考えてよいだろう! 素晴らしい海洋民族の知恵。)
*** 引用終わり ***
東南アジアの、それも特に海洋民族に軸足を置いた民俗学者、鶴見良行さんの息遣いまで感じられそうな貴重な本。
整ってはいるが味気ない活字がならんだ本とは一線を画す貴重な記録。
恐れ多いのは承知の上で、サラリーマンカヤッカーである私との共通点をあえて探せば、『ビール党』な事くらいではあるが、下記の一文がとても気に入った。
『白い袋は、飼料のビール滓。 ビール党の私は、イスラムの国なのに、養魚の発展を祈って、毎晩ビールを飲んだ』 いいなあ、鶴見良行!
興味がある方はぜひ、みずのわ出版のHPで確認してみて下さい。
最近ハマっている、阿部真央とSAKURA。 ストライクゾーンど真ん中!
通勤のロードスターで、そして出艇地へと向かうアテンザワゴンで、超ヘビーローテーション。
以下、Youtubeへのリンク。
*** 阿部真央 ***
初めて彼女の歌を聴いた時に走った衝撃! 高校生の頃、佐野元春を初めて聞いたときの感動が蘇ってきた。 ほんと、鳥肌ものの歌も多い。
アルバムを聴くと分かるけれど、まだ二十歳だというのに、ほんとうに多くの引き出しを持った、才能溢れる歌い手。 凄いの一言である。
阿部真央_伝えたい事
阿部真央_少女A
阿部真央_貴方の恋人になりたいのです
阿部真央_ふりぃ
*** SAKURA ***
大人の雰囲気と味を持ち、声にパワーを感じる。 美しい瀬戸内の海を前に、独り静かにiPodで聴くと、なんとも言えない心地良い世界に引き込まれる。
SAKURA_コエヲキカセテ
Def Tec_いのり Feat. SAKURA In Memory of YONOSUKE SAKUMA
かつて瀬戸内カヤック横断隊に参加して数日間一緒に漕ぎ、そして一緒に語った、洋之介君に捧げられた歌。
通勤のロードスターで、そして出艇地へと向かうアテンザワゴンで、超ヘビーローテーション。
以下、Youtubeへのリンク。
*** 阿部真央 ***
初めて彼女の歌を聴いた時に走った衝撃! 高校生の頃、佐野元春を初めて聞いたときの感動が蘇ってきた。 ほんと、鳥肌ものの歌も多い。
アルバムを聴くと分かるけれど、まだ二十歳だというのに、ほんとうに多くの引き出しを持った、才能溢れる歌い手。 凄いの一言である。
阿部真央_伝えたい事
阿部真央_少女A
阿部真央_貴方の恋人になりたいのです
阿部真央_ふりぃ
*** SAKURA ***
大人の雰囲気と味を持ち、声にパワーを感じる。 美しい瀬戸内の海を前に、独り静かにiPodで聴くと、なんとも言えない心地良い世界に引き込まれる。
SAKURA_コエヲキカセテ
Def Tec_いのり Feat. SAKURA In Memory of YONOSUKE SAKUMA
かつて瀬戸内カヤック横断隊に参加して数日間一緒に漕ぎ、そして一緒に語った、洋之介君に捧げられた歌。
『あるくみるきく(日本観光文化研究所/近畿日本ツーリスト)』の編集をされ、また『舟と港のある風景―日本の漁村・あるくみるきく』の著者でもある民俗学者、森本孝さんからメールが届いた。
漁村を中心にした『あるくみるきく』を実践された先駆者である森本さんとは、昨年秋に周防大島で行われた宮本常一写真講座でご挨拶させていただいて以来、手紙やメールで何度かやりとりさせていただいている。
***
『エビと魚と人間と_南スラウェシの海辺風景 ~鶴見良行の自筆遺稿とフィールドノート~』
森本さんが編集され、みずのわ出版から3月1日発行予定。
この本には写真が多数掲載されており、鶴見良行さんの記念誌のようなものだとか。
鶴見良行の人生に共感した森本さんは、どうしてもこの本を出したかったとの事。
鶴見良行さんについては、森本さんから教えていただいた『鶴見良行著作集_フィールドノート』を購入して読んで初めて知ったのだが、まさにフィールドワークの実践者。 縦横無尽にアジアを旅し、ビール好きな鶴見さんには、私も共感した。
『エビと魚と人間と_南スラウェシの海辺風景 ~鶴見良行の自筆遺稿とフィールドノート~』も、ぜひ購入して読んでみようと思っている。
興味のある方は、ぜひ、みずのわ出版のHPで確認/注文してみて下さい。
*上記写真は、森本さんのメールから転載したものです。
漁村を中心にした『あるくみるきく』を実践された先駆者である森本さんとは、昨年秋に周防大島で行われた宮本常一写真講座でご挨拶させていただいて以来、手紙やメールで何度かやりとりさせていただいている。
***
『エビと魚と人間と_南スラウェシの海辺風景 ~鶴見良行の自筆遺稿とフィールドノート~』
森本さんが編集され、みずのわ出版から3月1日発行予定。
この本には写真が多数掲載されており、鶴見良行さんの記念誌のようなものだとか。
鶴見良行の人生に共感した森本さんは、どうしてもこの本を出したかったとの事。
鶴見良行さんについては、森本さんから教えていただいた『鶴見良行著作集_フィールドノート』を購入して読んで初めて知ったのだが、まさにフィールドワークの実践者。 縦横無尽にアジアを旅し、ビール好きな鶴見さんには、私も共感した。
『エビと魚と人間と_南スラウェシの海辺風景 ~鶴見良行の自筆遺稿とフィールドノート~』も、ぜひ購入して読んでみようと思っている。
興味のある方は、ぜひ、みずのわ出版のHPで確認/注文してみて下さい。
*上記写真は、森本さんのメールから転載したものです。
2009年12月20日(日) 天気予報通り、今日も朝から冷たい風が吹き続けている。
アテンザワゴンに乗り込み、目指すは『あなごめしの”うえの”』 ここは大人気のお店なので休日は人が多く、開店間もなく満席になる事も少なくない。
でもこの寒い日なら、宮島観光に行こうと言う人は少ないはず。 人が多い場所が苦手な私は、人気のお店やスポットに行くとき、天気が悪い日を選ぶ事が少なくない。 というか、天気が悪い日は残念ながらキャンプツーリングに出られないので、自然にそうなってしまうというだけの事かもしれないが。
***
宮島口に到着し、お店に入ると開店直後だというのに席はほぼうまっている。 やっぱ人気なのだなあ。
今日は、『穴子の白焼き』を一皿と、『あなごめし』の普通を二つ。
最初に運ばれてきたのが穴子の白焼き。 岩塩とわさびでどうぞ、ということであったので一口。
『おお、これは美味い!』 淡白だが奥深く、なんともいえない穴子の味わい。 岩塩とわさびであっさりと食べるのが最高!
これはお酒が欲しくなるなあ。 妻も気に入ったようだ。
白焼きを食べ終わる頃には、あなご飯が運ばれてきた。 ボリュームたっぷりの穴子飯。 こちらはタレが香ばしく、白焼きとは違った味わいがある。
『ごちそうさまでした』 あー、お腹一杯である。 満足、満足。
店を出る時、普段の週末なら順番待ちのお客さんの列ができているのだが、今日はまったく列がない。 やっぱり、こんな寒い日に宮島観光に来る人は少ないのだ。 読みはバッチリ。
***
フェリーで宮島に渡る。 海は強風で白波が。 風も冷たく肌を刺す。 さすがにこの天気では、シーカヤックで海に出る気にも、浜でキャンプをする気にもならない。
厳島神社に参拝し、来年のプロジェクトの成功を祈願。
帰りには、いつも立ち寄る『岩村』の焼きたて粒あんもみじを食べ、息子達へのお土産として『うえのの穴子飯弁当』と『山田屋のもみじ饅頭』を買って家路についた。
是非とも次回は電車で来て、『うえの』の穴子の白焼きで、日本酒をキュッと一杯飲りたいなあ。
アテンザワゴンに乗り込み、目指すは『あなごめしの”うえの”』 ここは大人気のお店なので休日は人が多く、開店間もなく満席になる事も少なくない。
でもこの寒い日なら、宮島観光に行こうと言う人は少ないはず。 人が多い場所が苦手な私は、人気のお店やスポットに行くとき、天気が悪い日を選ぶ事が少なくない。 というか、天気が悪い日は残念ながらキャンプツーリングに出られないので、自然にそうなってしまうというだけの事かもしれないが。
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宮島口に到着し、お店に入ると開店直後だというのに席はほぼうまっている。 やっぱ人気なのだなあ。
今日は、『穴子の白焼き』を一皿と、『あなごめし』の普通を二つ。
最初に運ばれてきたのが穴子の白焼き。 岩塩とわさびでどうぞ、ということであったので一口。
『おお、これは美味い!』 淡白だが奥深く、なんともいえない穴子の味わい。 岩塩とわさびであっさりと食べるのが最高!
これはお酒が欲しくなるなあ。 妻も気に入ったようだ。
白焼きを食べ終わる頃には、あなご飯が運ばれてきた。 ボリュームたっぷりの穴子飯。 こちらはタレが香ばしく、白焼きとは違った味わいがある。
『ごちそうさまでした』 あー、お腹一杯である。 満足、満足。
店を出る時、普段の週末なら順番待ちのお客さんの列ができているのだが、今日はまったく列がない。 やっぱり、こんな寒い日に宮島観光に来る人は少ないのだ。 読みはバッチリ。
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フェリーで宮島に渡る。 海は強風で白波が。 風も冷たく肌を刺す。 さすがにこの天気では、シーカヤックで海に出る気にも、浜でキャンプをする気にもならない。
厳島神社に参拝し、来年のプロジェクトの成功を祈願。
帰りには、いつも立ち寄る『岩村』の焼きたて粒あんもみじを食べ、息子達へのお土産として『うえのの穴子飯弁当』と『山田屋のもみじ饅頭』を買って家路についた。
是非とも次回は電車で来て、『うえの』の穴子の白焼きで、日本酒をキュッと一杯飲りたいなあ。
2009年12月19日(土) 天気の悪い年末の休日は、毎年大掃除の日。 朝、まずはバリカンで自分の頭を刈る。 坊主頭は楽なようだが、実は短い分だけ少しでも伸びると気持ち悪く、ほぼ一週間から長くても十日毎に自分で散髪する必要がある。
坊主頭は結構めんどうなのだ。
自分の頭の散髪を終えると、午前中は、私の担当である風呂場とトイレの大掃除。 昼からは、年賀状を印刷して宛名を書き、投函。 これで、年末の準備はほぼ完了!
***
夕方、『ちょっと「あわもり」に行って来るけえ。 ちょっと飲んだらすぐ戻るわ』
*以下、写真は全て、以前撮影したもの。
ここ、おでんの『あわもり』は、私が唯一通う飲み屋さん。
初めて行ったのは何年前になるだろうか。 最初の頃は、カウンターの一番端っこに座らせてもらい、静かにビールを飲み、おいしいおでんを食べていた。
月に何度か通ううちに、店のおばちゃん、おじちゃんとも話すようになり、常連さん達にも顔を覚えていただいて、カウンターで自分が座る位置も決まってきた。
この、カウンターで座る場所というのが面白いもので、お客さんが一杯で、いつもと違う場所に座るとなんだか落ち着かない。
座る場所が違うと景色が変わり、おでんの釜やおばちゃんとの位置関係も変わるので、なんだかしっくりとこないのである。
自分だけかと思い、他の常連さん達に聞いても、やはり同じだという。 実際、違う場所に座っていても、いつもの席のお客さんが先に帰ったら、席を移動する人も少なくない。
***
ガラリと引き戸を開けて店に入るとお客さんが満杯である。 盛況だ。 寒い日の夕方、おでんで一杯という人が多いのだろう。
残念ながらいつもの席は空いていないが、私が好きなおでんの釜の傍の角の席が空いている。 ここはおでんの受け渡しが難しいのだが、幸い隣とそのまた隣は常連さん。 気を使う事もない。
いつもの『キリンビール、大瓶』を頼み、今日は厚揚げから。 『厚揚げ、浅めのをください』
ビールを飲み、厚揚げを食べ、テレビでやっているボウリングの番組を見ながら、『昔はボウリング、流行りましたよねえ』 『ほうよ、呉にも何軒ボウリング場があったじゃろうか』
『昔は広だけで3軒あったで』 『私が子供の頃には阿賀にもありましたよ。 子供会でもボウリング大会とかありましたもん』 『おー、ほうじゃったのう』
『テレビでもようやりよって、いっつも見よったわ』 『中山律子さんいうてよう聞きましたよねえ』 『そうそう、”りつこさん~、りつこさん~、な か や ま りつこさん~”、いうんがあったよのう』 『他には須田開代子いうのも居ったのお』 『わしらもようボウリング場へは行きよったわい』
『あいがも、入れてもらえますか! それとネギと』 『あ、日本酒ください』 『スジください。 肉っぽいところ』
その後も、お酒を飲みながら、3人でたわいもない楽しいバカ話で盛り上がる。
隣の方が、『ここに来とる人はそれぞれ仕事も違う。 ここでおでんを食べて、酒を飲んで、バカ話をして。 これが一番楽しいのう』 『ほんまですね!』
その後、その常連さんと店のおばちゃんに、『今年は大崎上島の人らと知り合いになって、櫂伝馬を始めたんですよ。 来年は、一泊二日で旅をしよう思うちょって、今年は大崎上島一周も漕いでみたんです』と話す。
すると、おばちゃんの地元にも櫂伝馬があって二艘で競漕していたこと、最近は漕ぎ手が減って競漕が難しくなっている事などを伺った。 『それにしても、そりゃあええ企画じゃねえ。 楽しそうじゃ。 頑張って!』
***
勘定を済ませ、店の前でバスを待っていると、同じ方向に帰られる常連さんが店から出て来られた。
『帰られるんですか』 『ほうよ』 『それにしても、遠い所からよう来ちゃってですねえ』 その方は、バスを乗り継いで約1時間ほどかかる所からこの店に通って来られるのである。
バスに乗り込むと、私の隣に座られた。
『あわもりは、前から通いよってんですか?』 『ほうやね。 わしゃあ昔は「東洋パルプ」いう会社に勤めよったんよ。 今は王子製紙になっとるが、わしは会社に入った時も、定年退職した時も東洋パルプじゃった』
『東洋パルプ、ありましたねえ。 なるほど、それで仕事の帰りにあわもりに寄りよっちゃったんですか』
『東洋パルプ、昔はどがなかったんですか?』 『退職する頃はようなかったが、入った頃はえかったよ。 昔は、東洋パルプの人の所なら嫁に行かしても大丈夫いうて、人気じゃったんよ』
『やめときゃええのに、競争じゃいうて本船を2隻もつくって。 呉丸じゃ、広丸じゃいうて名前を付けよった。 進水式や初荷の時にはスゴい盛大な行事をやりよったよ』
『東洋パルプは財閥がお金を出して作った会社。 その頃は、あまり苦労を知らん会社じゃったのう』 『昔は、東洋パルプの偉いさんも、あわもりに行きよったね』
『パルプはどこから運びよったんですか? インドネシアとか?』 『その頃はの、アメリカやソ連からよ』
『中国木材いう会社があろう。 当時は、ソ連から木のまま運んで来て、中国木材でええ所を木材にして、残った所をチップにしよった』 『そうなんですか。 そりゃあ知りませんでした』
***
興味深いお話を伺っているうちに、私が降りる停留所が近付いてきた。 『お先に失礼します。 またあわもりで!』 『じゃあの』
おでんの『あわもり』 ビールを飲んで、おでんを食べて、お酒や泡盛を飲んで、常連さんやおばちゃんと楽しい会話を楽しんで、千円ちょっとで楽しめる。 最高である。
坊主頭は結構めんどうなのだ。
自分の頭の散髪を終えると、午前中は、私の担当である風呂場とトイレの大掃除。 昼からは、年賀状を印刷して宛名を書き、投函。 これで、年末の準備はほぼ完了!
***
夕方、『ちょっと「あわもり」に行って来るけえ。 ちょっと飲んだらすぐ戻るわ』
*以下、写真は全て、以前撮影したもの。
ここ、おでんの『あわもり』は、私が唯一通う飲み屋さん。
初めて行ったのは何年前になるだろうか。 最初の頃は、カウンターの一番端っこに座らせてもらい、静かにビールを飲み、おいしいおでんを食べていた。
月に何度か通ううちに、店のおばちゃん、おじちゃんとも話すようになり、常連さん達にも顔を覚えていただいて、カウンターで自分が座る位置も決まってきた。
この、カウンターで座る場所というのが面白いもので、お客さんが一杯で、いつもと違う場所に座るとなんだか落ち着かない。
座る場所が違うと景色が変わり、おでんの釜やおばちゃんとの位置関係も変わるので、なんだかしっくりとこないのである。
自分だけかと思い、他の常連さん達に聞いても、やはり同じだという。 実際、違う場所に座っていても、いつもの席のお客さんが先に帰ったら、席を移動する人も少なくない。
***
ガラリと引き戸を開けて店に入るとお客さんが満杯である。 盛況だ。 寒い日の夕方、おでんで一杯という人が多いのだろう。
残念ながらいつもの席は空いていないが、私が好きなおでんの釜の傍の角の席が空いている。 ここはおでんの受け渡しが難しいのだが、幸い隣とそのまた隣は常連さん。 気を使う事もない。
いつもの『キリンビール、大瓶』を頼み、今日は厚揚げから。 『厚揚げ、浅めのをください』
ビールを飲み、厚揚げを食べ、テレビでやっているボウリングの番組を見ながら、『昔はボウリング、流行りましたよねえ』 『ほうよ、呉にも何軒ボウリング場があったじゃろうか』
『昔は広だけで3軒あったで』 『私が子供の頃には阿賀にもありましたよ。 子供会でもボウリング大会とかありましたもん』 『おー、ほうじゃったのう』
『テレビでもようやりよって、いっつも見よったわ』 『中山律子さんいうてよう聞きましたよねえ』 『そうそう、”りつこさん~、りつこさん~、な か や ま りつこさん~”、いうんがあったよのう』 『他には須田開代子いうのも居ったのお』 『わしらもようボウリング場へは行きよったわい』
『あいがも、入れてもらえますか! それとネギと』 『あ、日本酒ください』 『スジください。 肉っぽいところ』
その後も、お酒を飲みながら、3人でたわいもない楽しいバカ話で盛り上がる。
隣の方が、『ここに来とる人はそれぞれ仕事も違う。 ここでおでんを食べて、酒を飲んで、バカ話をして。 これが一番楽しいのう』 『ほんまですね!』
その後、その常連さんと店のおばちゃんに、『今年は大崎上島の人らと知り合いになって、櫂伝馬を始めたんですよ。 来年は、一泊二日で旅をしよう思うちょって、今年は大崎上島一周も漕いでみたんです』と話す。
すると、おばちゃんの地元にも櫂伝馬があって二艘で競漕していたこと、最近は漕ぎ手が減って競漕が難しくなっている事などを伺った。 『それにしても、そりゃあええ企画じゃねえ。 楽しそうじゃ。 頑張って!』
***
勘定を済ませ、店の前でバスを待っていると、同じ方向に帰られる常連さんが店から出て来られた。
『帰られるんですか』 『ほうよ』 『それにしても、遠い所からよう来ちゃってですねえ』 その方は、バスを乗り継いで約1時間ほどかかる所からこの店に通って来られるのである。
バスに乗り込むと、私の隣に座られた。
『あわもりは、前から通いよってんですか?』 『ほうやね。 わしゃあ昔は「東洋パルプ」いう会社に勤めよったんよ。 今は王子製紙になっとるが、わしは会社に入った時も、定年退職した時も東洋パルプじゃった』
『東洋パルプ、ありましたねえ。 なるほど、それで仕事の帰りにあわもりに寄りよっちゃったんですか』
『東洋パルプ、昔はどがなかったんですか?』 『退職する頃はようなかったが、入った頃はえかったよ。 昔は、東洋パルプの人の所なら嫁に行かしても大丈夫いうて、人気じゃったんよ』
『やめときゃええのに、競争じゃいうて本船を2隻もつくって。 呉丸じゃ、広丸じゃいうて名前を付けよった。 進水式や初荷の時にはスゴい盛大な行事をやりよったよ』
『東洋パルプは財閥がお金を出して作った会社。 その頃は、あまり苦労を知らん会社じゃったのう』 『昔は、東洋パルプの偉いさんも、あわもりに行きよったね』
『パルプはどこから運びよったんですか? インドネシアとか?』 『その頃はの、アメリカやソ連からよ』
『中国木材いう会社があろう。 当時は、ソ連から木のまま運んで来て、中国木材でええ所を木材にして、残った所をチップにしよった』 『そうなんですか。 そりゃあ知りませんでした』
***
興味深いお話を伺っているうちに、私が降りる停留所が近付いてきた。 『お先に失礼します。 またあわもりで!』 『じゃあの』
おでんの『あわもり』 ビールを飲んで、おでんを食べて、お酒や泡盛を飲んで、常連さんやおばちゃんと楽しい会話を楽しんで、千円ちょっとで楽しめる。 最高である。
夕方、長男といっしょにバスで広へ。 向かうは、お気に入りの飲み屋であり、私にとっては唯一行き付けの店と言える『おでんのあわもり』
カウンターに並んで座り、いつものようにキリンビールの大瓶を注文。 おっちゃんが運んで来たグラスは二つ。 いつもなら苦笑しながら、『あ、グラスは一つでいいですよ!』と断るのだが、今日は長男と顔を見合わせてニヤリと笑うだけ。
静かに乾杯し、『おめでとう』
飲んでいると、おばちゃんが奥から出て来た。 私を見るといつものように、『あ、いらっしゃい』
歩きながらこちらの様子をしばし伺い、『もしかして、息子さん?』 私は、『そうなんですよ! 今日から解禁なんで、一緒に来ました』
『そう、良かったねえ。 今日が誕生日?』 すると、『はい』と恥ずかしそうに返事する。
『誕生日プレゼントは、あわもりだけじゃないじゃろう?』 息子は時計を指差し『これ、買ってもろうたんです』 『どれどれ。 ほー、こりゃええねえ』 『言うても、そがあに高いやつじゃないですけどね。 それに、先週末に家族で焼肉を食べに行ったんですよ』と私。
あわもり名物の『かわ(皮)』や、定番の厚揚げ、コンニャク、タマネギなどをつまみながら、ビールを酌み交わす。
彼が生まれてから20年か。 はやいものだ。
産まれたときはあんなに小さかったのに、今では私よりも二回りも大きくなった。 幼稚園の頃から『男はつらいよ』の大ファンで、寅さんに憧れていた彼。 小さい頃からカヌーに乗せ、二人で釣りに、サイクリングに、そしてキャンプに行った。
キャンプでは焚き火が好きで、火の世話をし、火を囲んでみんなで歌を歌い、焚き火の後始末をしていた。 テントで寝るより外に出したコットでシュラフに包まって寝るのが好きだった。 また水遊びが好きで、川や海に行くと、プカプカと浮かび、いつまでも楽しそうに遊んでいた。
カヌーも好きで、小学校の高学年以降は、妻や次男をタンデム艇の前に乗せて、川を下り、海を漕いでいた。 ほんと、頼もしかったなあ。 大雨の後、増水した江ノ川の激流をタンデム艇で下った時のことは、いまでも二人の語り種になっている。
中学生になり、クラブ活動で忙しくなってからは、一緒にカヤックを漕ぐ機会もほとんど無くなってしまったが、中学、高校ともに卓球部のキャプテンを務め、友人に慕われ、学生生活をエンジョイしていた。
開高健を思わせる風貌で、釣りバカ日誌の浜ちゃんのようなキャラクター。 我が家のムードメーカー。 仕事でも様々な教育を受けさせていただき、先輩方に教えていただきながら実務で経験を積んでいるようだ。
私たちは彼を育てたが、同時に私たちは彼に育てられたということも実感している。
おばちゃんや、いつもの常連さん達とも楽しい会話を交わしつつ飲む楽しいお酒。
『どう、あわもり飲んでみるか?』 『うん』
『おばちゃん、あわもり。 ラムネで割ってやって』 するとおばちゃんは、『ラムネで割るとねえ、飲みやすうなるけえ、飲み過ぎんように気をつけんさいよ』
***
『このラムネはどこのですか?』 『呉のラムネ屋さんよ』 『ほうですか。 私は、倉橋のラムネやのおっちゃんとは知り合いになって、時々買いにいきよるんですよ』 『あー、あの倉橋の。 時々テレビに出よるよねえ』 『そこです。 あそこのラムネを詰める機械はスゴいんですよー』
『このラムネはいくらですか?』 『うちはねえ、90円で出しよる。 儲けはないけど、おでんも一本90円じゃし、90円に合わせとったら計算が楽じゃろう』
『おでんもね、ネタによって値段を変えたら、いうてお客さんから言われるんじゃけど、そんなのできんよ。 面倒じゃしねえ』 ほんと、このおいしいおでんが、どれでも一本90円。 安いしウマいし、最高だ。 おばちゃん、本当にありがとう!
***
ふと息子の方を見ると、あわもりを全部、氷の入ったグラスに入れてしまったようだ。 『それ、濃いじゃろう』 一口飲むと、『うん、こりゃあキツい』
おばちゃんがグラスを取り、中身を半分ほど別のグラスに移して、減った分だけラムネを注ぎ足した。 『これで飲んでみんさい』 『あー、飲みやすいです。 ウマいです』
『じゃあ、そろそろ帰ろうか。 家でかあさんが、料理を作って待っとるけえ』 『ほうじゃね』
『おばちゃん、お勘定お願いします。 ほんま、今日は一緒に来れてよかったです』 『ほんま、よかったねえ』
***
楽しみにしていたこの日。 いきつけの『あわもり』で、おいしいお酒と楽しい時間を堪能した。 感慨無量である。
カウンターに並んで座り、いつものようにキリンビールの大瓶を注文。 おっちゃんが運んで来たグラスは二つ。 いつもなら苦笑しながら、『あ、グラスは一つでいいですよ!』と断るのだが、今日は長男と顔を見合わせてニヤリと笑うだけ。
静かに乾杯し、『おめでとう』
飲んでいると、おばちゃんが奥から出て来た。 私を見るといつものように、『あ、いらっしゃい』
歩きながらこちらの様子をしばし伺い、『もしかして、息子さん?』 私は、『そうなんですよ! 今日から解禁なんで、一緒に来ました』
『そう、良かったねえ。 今日が誕生日?』 すると、『はい』と恥ずかしそうに返事する。
『誕生日プレゼントは、あわもりだけじゃないじゃろう?』 息子は時計を指差し『これ、買ってもろうたんです』 『どれどれ。 ほー、こりゃええねえ』 『言うても、そがあに高いやつじゃないですけどね。 それに、先週末に家族で焼肉を食べに行ったんですよ』と私。
あわもり名物の『かわ(皮)』や、定番の厚揚げ、コンニャク、タマネギなどをつまみながら、ビールを酌み交わす。
彼が生まれてから20年か。 はやいものだ。
産まれたときはあんなに小さかったのに、今では私よりも二回りも大きくなった。 幼稚園の頃から『男はつらいよ』の大ファンで、寅さんに憧れていた彼。 小さい頃からカヌーに乗せ、二人で釣りに、サイクリングに、そしてキャンプに行った。
キャンプでは焚き火が好きで、火の世話をし、火を囲んでみんなで歌を歌い、焚き火の後始末をしていた。 テントで寝るより外に出したコットでシュラフに包まって寝るのが好きだった。 また水遊びが好きで、川や海に行くと、プカプカと浮かび、いつまでも楽しそうに遊んでいた。
カヌーも好きで、小学校の高学年以降は、妻や次男をタンデム艇の前に乗せて、川を下り、海を漕いでいた。 ほんと、頼もしかったなあ。 大雨の後、増水した江ノ川の激流をタンデム艇で下った時のことは、いまでも二人の語り種になっている。
中学生になり、クラブ活動で忙しくなってからは、一緒にカヤックを漕ぐ機会もほとんど無くなってしまったが、中学、高校ともに卓球部のキャプテンを務め、友人に慕われ、学生生活をエンジョイしていた。
開高健を思わせる風貌で、釣りバカ日誌の浜ちゃんのようなキャラクター。 我が家のムードメーカー。 仕事でも様々な教育を受けさせていただき、先輩方に教えていただきながら実務で経験を積んでいるようだ。
私たちは彼を育てたが、同時に私たちは彼に育てられたということも実感している。
おばちゃんや、いつもの常連さん達とも楽しい会話を交わしつつ飲む楽しいお酒。
『どう、あわもり飲んでみるか?』 『うん』
『おばちゃん、あわもり。 ラムネで割ってやって』 するとおばちゃんは、『ラムネで割るとねえ、飲みやすうなるけえ、飲み過ぎんように気をつけんさいよ』
***
『このラムネはどこのですか?』 『呉のラムネ屋さんよ』 『ほうですか。 私は、倉橋のラムネやのおっちゃんとは知り合いになって、時々買いにいきよるんですよ』 『あー、あの倉橋の。 時々テレビに出よるよねえ』 『そこです。 あそこのラムネを詰める機械はスゴいんですよー』
『このラムネはいくらですか?』 『うちはねえ、90円で出しよる。 儲けはないけど、おでんも一本90円じゃし、90円に合わせとったら計算が楽じゃろう』
『おでんもね、ネタによって値段を変えたら、いうてお客さんから言われるんじゃけど、そんなのできんよ。 面倒じゃしねえ』 ほんと、このおいしいおでんが、どれでも一本90円。 安いしウマいし、最高だ。 おばちゃん、本当にありがとう!
***
ふと息子の方を見ると、あわもりを全部、氷の入ったグラスに入れてしまったようだ。 『それ、濃いじゃろう』 一口飲むと、『うん、こりゃあキツい』
おばちゃんがグラスを取り、中身を半分ほど別のグラスに移して、減った分だけラムネを注ぎ足した。 『これで飲んでみんさい』 『あー、飲みやすいです。 ウマいです』
『じゃあ、そろそろ帰ろうか。 家でかあさんが、料理を作って待っとるけえ』 『ほうじゃね』
『おばちゃん、お勘定お願いします。 ほんま、今日は一緒に来れてよかったです』 『ほんま、よかったねえ』
***
楽しみにしていたこの日。 いきつけの『あわもり』で、おいしいお酒と楽しい時間を堪能した。 感慨無量である。
先日、妻との日本海ドライブの途中で偶然出会った『津山のホルモンうどん』 このブログを見ていただいたFさんから、呉にも『ホルモンうどん』があるとの情報をいただいた。
え! 呉にもホルモンうどん(ホルモン焼うどん)があるんだ! それはぜひ行ってみなければ。
***
ということで、今日の夕方、教えていただいた『まるわ屋さん』へと向かった。
店に入るとおばちゃんが、『何にする?』 メニューを眺め、『うーん、じゃあホルモンと、ホルモンうどんください』
『ごめんねー。 今日はうどんが終わったんよ』 『えー、やっぱりうどんが人気なんですか?』
『いやあ、そうじゃないんよ。 今日はうどんの入荷が少なかったんじゃけど、持ち帰りの人がうどんが多かったけえ、売り切れてしもうた』 『そうですか、残念。 じゃあ、ホルモン焼きそばで』
***
『初めて?』 『ええ、そうなんですよ。 前に、岡山の方へ行ったとき、ホルモンうどんを食べておいしかったんじゃが、そしたら人が、呉にもあるよ言うんで、今日は来てみたんです』
『ほうねえ。 岡山にもあるん』 『ほうですよ。 津山いうところじゃあ、町起こしじゃいうて、町中の店でホルモンうどんを出しよるらしいですよ。 観光客が来て、賑わっとるらしいです』 『ほうねえ。 そりゃあええ考えじゃねえ。 いっぺん行ってみんといけんねえ』
おばちゃんは、話をしながら鉄板でホルモンを炒め、焼きそばを焼く。 『ホルモンのええ匂いがしますねえ。 たまらん。 ビールください』
『おばちゃんは、ホルモンうどんとそばと、どっちが好きなんですか?』と聞くと、笑いながら『私はうどんやそばは食べん』と正直な答え。 ふむふむ、そうだよなあ。 おでん屋のおばちゃんも、あまりおでんは食べんいうて言いよったし。 そんなもんじゃろうなあ。
***
『いただきまーす!』 手を合わせ、ビールをグビリと飲り、ホルモンをパクリ。 うーん、ウマい。
再びビールをグビグビ。 喉を潤し、焼きそばをガブリ。 お、美味いじゃん。
ビールを飲み、ホルモンをつまみ、焼きそばを食べながら、おばちゃんとの四方山話を楽しむ。
ここで、五十数年営業している事。 昔はホルモンを出す店は少なかったが、最近ではどの焼肉屋でも出している事。
呉の焼肉屋では、ホルモンうどんを出す店も少なくない事。 そして、趣味としてやっておられる太鼓や鐘などの演奏会の事などなど。
今日初めてこの店に来たのだが、おばちゃんの人柄か、なんだか常連さんのような感じで自然に店にとけ込み、おばちゃんとの楽しい会話。 気さくで、気軽で、ほんま一杯飲りにくるにはええ店やなあ! Fさん、ありがとうございました。
***
ホルモンと、ホルモン焼きそばを食べ、生ビールと瓶ビールを飲み、満足して会計に。 お金を払おうと、いつもの『黄色いペリケース』を開くと、おばちゃんがそれを見て『へえ、変わった入れもんじゃねえ』 『ほうでしょう。 いつも海で遊んどるからこんな防水バッグを持っとるんです。 ええでしょう!』
『ごちそうさまでした。 焼きそばウマかったです。 また来ますよ』 『ほうね。 ありがとう。 また来てね』
え! 呉にもホルモンうどん(ホルモン焼うどん)があるんだ! それはぜひ行ってみなければ。
***
ということで、今日の夕方、教えていただいた『まるわ屋さん』へと向かった。
店に入るとおばちゃんが、『何にする?』 メニューを眺め、『うーん、じゃあホルモンと、ホルモンうどんください』
『ごめんねー。 今日はうどんが終わったんよ』 『えー、やっぱりうどんが人気なんですか?』
『いやあ、そうじゃないんよ。 今日はうどんの入荷が少なかったんじゃけど、持ち帰りの人がうどんが多かったけえ、売り切れてしもうた』 『そうですか、残念。 じゃあ、ホルモン焼きそばで』
***
『初めて?』 『ええ、そうなんですよ。 前に、岡山の方へ行ったとき、ホルモンうどんを食べておいしかったんじゃが、そしたら人が、呉にもあるよ言うんで、今日は来てみたんです』
『ほうねえ。 岡山にもあるん』 『ほうですよ。 津山いうところじゃあ、町起こしじゃいうて、町中の店でホルモンうどんを出しよるらしいですよ。 観光客が来て、賑わっとるらしいです』 『ほうねえ。 そりゃあええ考えじゃねえ。 いっぺん行ってみんといけんねえ』
おばちゃんは、話をしながら鉄板でホルモンを炒め、焼きそばを焼く。 『ホルモンのええ匂いがしますねえ。 たまらん。 ビールください』
『おばちゃんは、ホルモンうどんとそばと、どっちが好きなんですか?』と聞くと、笑いながら『私はうどんやそばは食べん』と正直な答え。 ふむふむ、そうだよなあ。 おでん屋のおばちゃんも、あまりおでんは食べんいうて言いよったし。 そんなもんじゃろうなあ。
***
『いただきまーす!』 手を合わせ、ビールをグビリと飲り、ホルモンをパクリ。 うーん、ウマい。
再びビールをグビグビ。 喉を潤し、焼きそばをガブリ。 お、美味いじゃん。
ビールを飲み、ホルモンをつまみ、焼きそばを食べながら、おばちゃんとの四方山話を楽しむ。
ここで、五十数年営業している事。 昔はホルモンを出す店は少なかったが、最近ではどの焼肉屋でも出している事。
呉の焼肉屋では、ホルモンうどんを出す店も少なくない事。 そして、趣味としてやっておられる太鼓や鐘などの演奏会の事などなど。
今日初めてこの店に来たのだが、おばちゃんの人柄か、なんだか常連さんのような感じで自然に店にとけ込み、おばちゃんとの楽しい会話。 気さくで、気軽で、ほんま一杯飲りにくるにはええ店やなあ! Fさん、ありがとうございました。
***
ホルモンと、ホルモン焼きそばを食べ、生ビールと瓶ビールを飲み、満足して会計に。 お金を払おうと、いつもの『黄色いペリケース』を開くと、おばちゃんがそれを見て『へえ、変わった入れもんじゃねえ』 『ほうでしょう。 いつも海で遊んどるからこんな防水バッグを持っとるんです。 ええでしょう!』
『ごちそうさまでした。 焼きそばウマかったです。 また来ますよ』 『ほうね。 ありがとう。 また来てね』
2009年7月16日(木)仕事を終えると、そのままロードスターで街に出た。 パルコの前で妻と待ち合わせ、『広島クラブクアトロ』へ。
今日は、待ちに待った『佐野元春 & THE COYOTE BAND』のライブハウスツアーの日である。
***
18、19歳の頃、アルバイトをして買ったステレオで、毎晩飽きることなく聴き続けていた佐野元春のLP。
あり余るエネルギーを持て余し、生きる事の意味を考え、ほんの少しのうれしい事でもHappyになり、なんでもない事で落ち込んでいた。
何の根拠もなくどんなことでもやれそうな気がしているのに、本当は自分の人生には意味がないんじゃないかと悩み、カフカやトルストイを読み、佐野元春を聴いていた。 あの青くて、暑苦しく、醜く、それでも純粋だった時期の私を支えてくれたのは、佐野元春であった。
『グッバイからはじめよう』、『情けない週末』、『SOMEDAY』 ”街の唄が聴こえてきて 真夜中に恋を抱きしめた あの頃 踊り続けていた 夜のフラッシュライト浴びながら 時の流れも感じないまま”
あの頃聞き続けていたおかげでDNAに組み込まれてしまったのか、今でも、偶然ラジオから『SOMEDAY』が流れて来ると、条件反射のようにあの頃を思い出し、目が潤んでしまう。
***
高専を卒業して大学に編入し、初めて東京に住んだ時、渋谷公会堂で佐野元春のコンサートがあると聞いた。 まだ20歳の時である。
当時はまだインターネットなどなく、予約開始日の受付開始時間に電話をしたが、もちろん何度電話しても通じる事なく、一瞬で完売してしまっていた。 とにかく当時は凄い人気だったのである。
***
それから二十数年の歳月が流れ、通勤の途中にいつものようにラジオを聞いていると、広島で佐野元春のライブがあるという。 ラジオでは何日も続けて宣伝しているから、まだまだチケットは残っているようだ。
家に帰り、妻に『佐野元春のライブがあるんだってよ。 行ってみる?』 『いいよ。 でも、曲を知らんと盛り上がれんよ』
『そうじゃなあ。 じゃあ、チケット申し込むで。 そしてCDも買おう』
それから毎日、通勤の時には、幌を下ろしたロードスターで海岸沿いの道を走りながら『COYOTE』を聴き、ライブに備えていた。
***
午後7時。 ライブが始まった。 あ、あのラジオから、そしてレコードから流れていた佐野元春の声だ!
『君が気高い孤独なら』 ”もしも君が蒼い孤独なら 人の話などどうでもいい その目で聞いて その胸で話してくれ”
『呼吸』 ”目覚めた後に訳もなく 涙に濡れてしまうとき 見知らぬ夜が降りてきて 痛みに溢れてしまう時 君のそば 君のそばにいて どんな時も 君の味方 僕は君の 味方だって思っていてくれ”
『コヨーテ、海へ』 ”毎日の猥雑なニュースに 神経もやられてしまいそうな日々 今夜も誰かが誰かにジェラシー 欲望は膨れてゆく あてのない夢 捨ててしまえ 人はやりたいことをやればいい”
うん、やっぱりその詩は佐野元春ワールドじゃないか!
***
アルバム『COYOTE』の曲が終わり、アンコールの後。 『みんな、ここから見ると大人になったねえ! うん、本当に大人になったよ』と元春。 そう、ライブ会場に集まっている人たちの多くは30代後半から50代。
そして、『どうだい、80年代に戻ってみたいかい?』と聞くと、会場には歓声が!
ここから会場の雰囲気が一変した。 みんなの熱気で温度は上がり、手拍子が高まり、拳を突き上げ、みんなノリノリだ。
『ヤングブラッズ』 ”ひとりだけの夜にさよなら 木枯らしの時も 月に凍える時も 偽りに沈むこの世界で 君だけを 固く 抱きしめていたい”
『ダウンタウン・ボーイ』 ”DOWN TOWN BOY DOWN TOWN BOY 気どってばかりの Runaway 恋を抱きしめて ここにもひとり あそこにもひとり But it's alright Yes he's a Down Town Boy”
***
最後の曲は、『アンジェリーナ』 おお! 会場は最高に盛り上がり、大合唱である。
”シャンデリアの街で眠れずに トランジスターラジオでブガルー 今晩ひとり 情熱だけほえて ジェームスディーン気取りの ティーンエイジ・ブルース”
”オー アンジェリーナ 君は バレリーナ ニューヨークから流れてきた 淋し気なエンジェル 今夜も愛をさがして 今夜も愛をさがして 今夜も愛をさがして”
***
帰りはロードスターの幌を下ろし、妻と二人で家まで夏の夜のドライブ気分。 CDのCOYOTEをかけ、ライブの興奮覚めやらない心地良い余韻を楽しみながら、オープンカーならではの開放感と涼しい風を味わう。
『いやあ、やっぱり来て良かったなあ。 SOMEDAYは聴けんかったけど、アンジェリーナは最高だったよ!!!』 『ほうじゃね。 もう、二十数年来の念願じゃったんじゃもんね。 SOMEDAY聴いたら泣くけん、アンジェリーナで盛り上がってよかったんじゃない』 『ほんまじゃあ』
***
”Happiness & Rest 約束してくれた君 だからもう一度あきらめないで まごころがつかめるその時まで SOMEDAY この胸に SOMEDAY ちかうよ SOMEDAY 信じる心いつまでも SOMEDAY”
元春。 歌い続けていてくれて、そして広島に来てくれて、本当にありがとう!
今日は、待ちに待った『佐野元春 & THE COYOTE BAND』のライブハウスツアーの日である。
***
18、19歳の頃、アルバイトをして買ったステレオで、毎晩飽きることなく聴き続けていた佐野元春のLP。
あり余るエネルギーを持て余し、生きる事の意味を考え、ほんの少しのうれしい事でもHappyになり、なんでもない事で落ち込んでいた。
何の根拠もなくどんなことでもやれそうな気がしているのに、本当は自分の人生には意味がないんじゃないかと悩み、カフカやトルストイを読み、佐野元春を聴いていた。 あの青くて、暑苦しく、醜く、それでも純粋だった時期の私を支えてくれたのは、佐野元春であった。
『グッバイからはじめよう』、『情けない週末』、『SOMEDAY』 ”街の唄が聴こえてきて 真夜中に恋を抱きしめた あの頃 踊り続けていた 夜のフラッシュライト浴びながら 時の流れも感じないまま”
あの頃聞き続けていたおかげでDNAに組み込まれてしまったのか、今でも、偶然ラジオから『SOMEDAY』が流れて来ると、条件反射のようにあの頃を思い出し、目が潤んでしまう。
***
高専を卒業して大学に編入し、初めて東京に住んだ時、渋谷公会堂で佐野元春のコンサートがあると聞いた。 まだ20歳の時である。
当時はまだインターネットなどなく、予約開始日の受付開始時間に電話をしたが、もちろん何度電話しても通じる事なく、一瞬で完売してしまっていた。 とにかく当時は凄い人気だったのである。
***
それから二十数年の歳月が流れ、通勤の途中にいつものようにラジオを聞いていると、広島で佐野元春のライブがあるという。 ラジオでは何日も続けて宣伝しているから、まだまだチケットは残っているようだ。
家に帰り、妻に『佐野元春のライブがあるんだってよ。 行ってみる?』 『いいよ。 でも、曲を知らんと盛り上がれんよ』
『そうじゃなあ。 じゃあ、チケット申し込むで。 そしてCDも買おう』
それから毎日、通勤の時には、幌を下ろしたロードスターで海岸沿いの道を走りながら『COYOTE』を聴き、ライブに備えていた。
***
午後7時。 ライブが始まった。 あ、あのラジオから、そしてレコードから流れていた佐野元春の声だ!
『君が気高い孤独なら』 ”もしも君が蒼い孤独なら 人の話などどうでもいい その目で聞いて その胸で話してくれ”
『呼吸』 ”目覚めた後に訳もなく 涙に濡れてしまうとき 見知らぬ夜が降りてきて 痛みに溢れてしまう時 君のそば 君のそばにいて どんな時も 君の味方 僕は君の 味方だって思っていてくれ”
『コヨーテ、海へ』 ”毎日の猥雑なニュースに 神経もやられてしまいそうな日々 今夜も誰かが誰かにジェラシー 欲望は膨れてゆく あてのない夢 捨ててしまえ 人はやりたいことをやればいい”
うん、やっぱりその詩は佐野元春ワールドじゃないか!
***
アルバム『COYOTE』の曲が終わり、アンコールの後。 『みんな、ここから見ると大人になったねえ! うん、本当に大人になったよ』と元春。 そう、ライブ会場に集まっている人たちの多くは30代後半から50代。
そして、『どうだい、80年代に戻ってみたいかい?』と聞くと、会場には歓声が!
ここから会場の雰囲気が一変した。 みんなの熱気で温度は上がり、手拍子が高まり、拳を突き上げ、みんなノリノリだ。
『ヤングブラッズ』 ”ひとりだけの夜にさよなら 木枯らしの時も 月に凍える時も 偽りに沈むこの世界で 君だけを 固く 抱きしめていたい”
『ダウンタウン・ボーイ』 ”DOWN TOWN BOY DOWN TOWN BOY 気どってばかりの Runaway 恋を抱きしめて ここにもひとり あそこにもひとり But it's alright Yes he's a Down Town Boy”
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最後の曲は、『アンジェリーナ』 おお! 会場は最高に盛り上がり、大合唱である。
”シャンデリアの街で眠れずに トランジスターラジオでブガルー 今晩ひとり 情熱だけほえて ジェームスディーン気取りの ティーンエイジ・ブルース”
”オー アンジェリーナ 君は バレリーナ ニューヨークから流れてきた 淋し気なエンジェル 今夜も愛をさがして 今夜も愛をさがして 今夜も愛をさがして”
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帰りはロードスターの幌を下ろし、妻と二人で家まで夏の夜のドライブ気分。 CDのCOYOTEをかけ、ライブの興奮覚めやらない心地良い余韻を楽しみながら、オープンカーならではの開放感と涼しい風を味わう。
『いやあ、やっぱり来て良かったなあ。 SOMEDAYは聴けんかったけど、アンジェリーナは最高だったよ!!!』 『ほうじゃね。 もう、二十数年来の念願じゃったんじゃもんね。 SOMEDAY聴いたら泣くけん、アンジェリーナで盛り上がってよかったんじゃない』 『ほんまじゃあ』
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”Happiness & Rest 約束してくれた君 だからもう一度あきらめないで まごころがつかめるその時まで SOMEDAY この胸に SOMEDAY ちかうよ SOMEDAY 信じる心いつまでも SOMEDAY”
元春。 歌い続けていてくれて、そして広島に来てくれて、本当にありがとう!