施川ユウキ『バーナード嬢曰く』がおもしろい。
私は本好きだが、本を題材にした小説やマンガが、さほど好みではない。
特に有川浩『図書館戦争』とか三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』とか小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』みたいな、
「本が大好き! みんな、読書って本当に、すばらしいことなんだよ!」
なんて、目をキラキラさせながら、訴えかけてくるような作品は、少々苦手なところがある。
なかなかおもしろいと評判の『本好きの下克上』に手を伸ばすのをためらうのも、ちょっとそこを警戒してのことなのだ。
それはたぶん同族嫌悪というと、ちょっと言葉がきついけど、なんかこう、その読書に対する「肯定感」が妙に恥ずかしいというか。
なにかこう、西原理恵子さんが『ハーイ!生徒諸君!』になじめなかったノリのような、どちらかとえいば、ジョー・ウォルトン『図書室の魔法』のような孤独感の方が共感できるのだ。
それともうひとつ、これはオタクのめんどくさいところで、なまじ自分がホームのジャンルだと、いろいろとつっこみたくなるというか、出てくる本のタイトルを見るたびに、
「その作者やったら、その作品やないやろ!」
「わかってないなあ。それはその本の表層部分のテーマで、奥にあるのはそうやないやん!」
「もおええ! ちょっと、オレにしゃべらせろ!」
なんて議論になってしまうからだ。同じ理由で、将棋やテニスをあつかったマンガや映画にも、アラートが鳴りまくり。
心の中の神林しおりが大暴れで、それがストレスになるのだ。嗚呼、われながら、ややこしい。
ところがどっこい、この『ド嬢』は少々シニカルというか、「本が大好き!」といったキラキラさがなく(主人公が本を読まへんものな)、またそれこそ私のような「うるさ型オタク」のめんどくささも、いい塩梅にネタになったりして、そこに好感が持てる。
読書家の持つ変なプライドや、愛憎を相対化してくれて、「あるあるー」とときに能天気に、ときに「うわあ、言わんとって……」と苦笑しながら大いに楽しめるのだ。
最近は、ド嬢も本を読みだして、話の吸引力も彼女と神林の百合まで行かない「超友情」路線にシフトしており、それはそれでいいんだけど、個人的にはやはり、「読まない」人のゆかいさが本書の魅力である。
そんな「いい意味で陰性」の魅力を持った『ド嬢』だが、こないだふと気になったのが、
「そういやオレ、この中の本の、どれくらい読んでるんやろ」
そこで巻末にある索引を見てみると、取り上げられてる本の数におどろいた。
ネタにしようと、とりあえず書き写してみただけでも結構な量で、数えてみると、そこそこ読んでるような、全然読んでないような……。
本の評価も神林や遠藤君と違ってたりして、そこもおもしろい。
で、実際はどれくらいだろう。ちょっとマジで、数えてみよう。
3割は超えてると、うれしいなあ。