施川ユウキ『バーナード嬢曰く』の神林しおりは、ジョー・ウォルトン『図書室の魔法』を読むか

2022年06月25日 | 

 施川ユウキ『バーナード嬢曰く』がおもしろい。

 私は本好きだが、本を題材にした小説やマンガが、さほど好みではない。
 
 特に有川浩『図書館戦争』とか三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』とか小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』みたいな、

 

 「本が大好き! みんな、読書って本当に、すばらしいことなんだよ!」

 

 なんて、目をキラキラさせながら、訴えかけてくるような作品は、少々苦手なところがある。

 なかなかおもしろいと評判の『本好きの下克上』に手を伸ばすのをためらうのも、ちょっとそこを警戒してのことなのだ。

 それはたぶん同族嫌悪というと、ちょっと言葉がきついけど、なんかこう、その読書に対する「肯定感」が妙に恥ずかしいというか。

 なにかこう、西原理恵子さんが『ハーイ!生徒諸君!』になじめなかったノリのような、どちらかとえいば、ジョー・ウォルトン『図書室の魔法』のような孤独感の方が共感できるのだ。

 それともうひとつ、これはオタクのめんどくさいところで、なまじ自分がホームのジャンルだと、いろいろとつっこみたくなるというか、出てくる本のタイトルを見るたびに、

 

 「その作者やったら、その作品やないやろ!」

 「わかってないなあ。それはその本の表層部分のテーマで、奥にあるのはそうやないやん!」

 「もおええ! ちょっと、オレにしゃべらせろ!」

 

 なんて議論になってしまうからだ。同じ理由で、将棋テニスをあつかったマンガや映画にも、アラートが鳴りまくり。

 心の中の神林しおりが大暴れで、それがストレスになるのだ。嗚呼、われながら、ややこしい。

 ところがどっこい、この『ド嬢』は少々シニカルというか、「本が大好き!」といったキラキラさがなく(主人公が本を読まへんものな)、またそれこそ私のような「うるさ型オタク」のめんどくささも、いい塩梅にネタになったりして、そこに好感が持てる。

 読書家の持つ変なプライドや、愛憎を相対化してくれて、「あるあるー」とときに能天気に、ときに「うわあ、言わんとって……」と苦笑しながら大いに楽しめるのだ。

 最近は、ド嬢も本を読みだして、話の吸引力も彼女と神林の百合まで行かない「超友情」路線にシフトしており、それはそれでいいんだけど、個人的にはやはり、「読まない」人のゆかいさが本書の魅力である。

 そんな「いい意味で陰性」の魅力を持った『ド嬢』だが、こないだふと気になったのが、

 「そういやオレ、この中の本の、どれくらい読んでるんやろ」

 そこで巻末にある索引を見てみると、取り上げられてる本の数におどろいた。

 ネタにしようと、とりあえず書き写してみただけでも結構な量で、数えてみると、そこそこ読んでるような、全然読んでないような……。

 本の評価も神林や遠藤君違ってたりして、そこもおもしろい。

 で、実際はどれくらいだろう。ちょっとマジで、数えてみよう。

 3割は超えてると、うれしいなあ。

 

 


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