将棋 この絶妙手がすごい! 佐藤康光「現代の升田幸三」への大変貌 その2

2019年01月31日 | 将棋・好手 妙手
 前回(→こちら)の続き。
 
 2002年王将戦で、「スズメ刺し三段ロケット」をくり出し、羽生善治を粉砕。
 
 その勢いで見事、棋聖との二冠に輝いた佐藤康光。
 
 このあたりから、「康光流」と称される、オリジナリティーあふれる新戦法を次々と投入し、将棋の内容的にもキャラクター的にも大ブレイクすることになる。
 
 なんといっても印象的だったのが、2005年度の王位戦。
 
 羽生善治王位との第2局で飛び出した、「一手損向かい飛車」から見せた珍型だろう。
 
 
 
 
 
 △12飛車△22銀の形が異様すぎる。
 
 ネット将棋なら、間違いなくクリックミスを疑うところだ。
 
 ちなみに、当の佐藤も「ほんとに指していいのかな」と手が震えたそう。
 
 ところがここから、後手は金銀を盛り上げ、さらには飛車を2筋に戻して逆襲し、なんと74手という短手数で快勝してしまう。
 
 はじめて見る形に(そらそうだろう)羽生が対応しきれなかったこともあったかもしれないが、薄い玉をものともせず、厚みで押しつぶした佐藤の指しまわしは見事。
 
 見事は見事なんだけど、なにかもう、「正統派」「エリート」からのふり幅がすごすぎて、見ているこっちは困惑することしきり。
 
 もう胸ぐらをつかみながら、
 
 
 「おい貴様、いつ入れ替わった! 本物の康光をどこへやったんだ!」
 
 
 なんて刑事ドラマか、ジャック・フィニィ『盗まれた街』みたいなことを聞いてみたくなるではないか。
 
 さらには、佐藤康光が変わったのは、戦法だけではなかった。
 
 指し手の方もだ。これまた、ずいぶんと激しくなった。
 
 もともと攻め将棋で
 
 「緻密流と見せかけて、実は野蛮な将棋」
 
 とはよく言われていたが、「ニュー佐藤康光」になってからはそれ以上というか、むしろさらに荒々しくなった印象。
 
 よく居飛車穴熊が、その固さにまかせてムチャクチャな攻めでも成立させてしまうことを「穴熊の暴力」と呼ぶが、佐藤の場合は
 
 
 「穴熊じゃなくても暴力」
 
 
 被害を受けた者は多いが、たとえば2006年王座戦の挑戦者決定戦における深浦康市八段
 
 
 
 
 
 
 
 △55歩と止め、角交換を拒否した後手だが、そんな軟弱なことはゆるさんと、すごい強襲をかける。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲44銀とここにぶちこむのが「ニュー康光」の真骨頂。
 
 ゴング前の凶器攻撃
 
 穏便にといっているのに、肩が当たったからと因縁をつけるヤンキーのようだ。
 
 これぞ「康光カツアゲ流」(勝手にそう呼んでいた)。
 
 なんという暴力とあきれるが、実社会での暴力は大問題だが、盤上のそれは見ている方は大歓迎だ。
 
 このまま4筋を突破し、強敵深浦に圧勝してしまう。
 
 どうであろう、この破壊力。まだ中盤の一発で相手をKOに追いこむ。
 
 同じ攻撃型でも、谷川浩司のそれがハチャトリアンの「剣の舞」だとしたら、佐藤の場合「顔面グーパンチ
 
 とんだワンパンマンだ。優等生なんぞ、どこの国のグロンサン内服液やと。
 
 佐藤によると、プレースタイルを変えたのは、やはり羽生善治の存在が大きかったそうな。
 
 最強の男相手に、ストレート真っ向勝負だけでは足りないとみての試行錯誤だが、それにしてもえらいことになった。
 
 昔のイメージでは、まさか升田幸三賞の常連になるとは思いもしなかったが、将棋の方でも棋聖6連覇など、しっかり結果も残したのはすごいの一言。
 
 昔の本格派時代も良かったが、今の「天衣無縫」も楽しい。
 
 とにかく、観ていてワクワクさせられるし、序盤戦術をはじめ、一局のうち何度も
 
 「やってくれるぜ!」
 
 快哉をあげさせる将棋は、ファンへのアピールとしてもすばらしいものがある。
 
 その意味では、佐藤将棋はその独創性において「現代の升田幸三」と呼ばれるが、棋風自体が似てるのは、どちらかといえば米長邦雄永世棋聖かもしれない。
 
 あと人気の面でも、あんな正統派エリートから今の「イジられキャラ」になるとも、まったく予想できなかった。
 
 そちらのほうの「棋風チェンジ」もまた、なかなかに味わい深いというか、そこはその本質を見抜いてネタにしていた、先崎学九段のお手柄と言えよう。
 
 
 
 
 (郷田真隆編に続く→こちら
 
 
 
 
 
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将棋 この絶妙手がすごい! 佐藤康光「現代の升田幸三」への大変貌

2019年01月30日 | 将棋・好手 妙手
 
 前回の森内俊之九段に続いて(→こちら)今回は、佐藤康光九段の妙手について。
 
 佐藤康光ほど、将棋が変わった人はいない。
 
 プロ棋士には、それぞれ得意戦法棋風というのがあるが、ときにそれが変化することもある。
 
広瀬章人竜王中村太地七段は、今では居飛車本格派で鳴らしているが、デビュー当時は振り飛車党だった。
 
 逆に振り飛車の代名詞だった藤井猛九段が、突然「藤井矢倉」なる新戦法をひっさげて、タイトル戦に登場したこともある。
 
 
2010年、第58期王座戦五番勝負の第2局。羽生善治王座と藤井猛九段の将棋。
片矢倉(天野矢倉)と脇システムを組み合わせた「藤井矢倉」が大舞台に登場。
普通の金矢倉とくらべて角の打ちこみに強く、自陣の憂いが少ないのが主張点のひとつ。
戦法の優秀性もさることながら、振り飛車党のカリスマであった藤井が居飛車を指したことにもビックリ。
 
 
 
 
 これは時代の流れだったり、対戦相手との相性などもあるのだろうが、中でも佐藤康光九段ほど棋風チェンジの「使用前」「使用後」感が激しい人は、他に思いつかないほどだ。
 
 若手時代の佐藤康光といえば、いかにも優等生といったキャラクターだった。
 
 見た目や言動も秀才っぽく、将棋も「緻密流」と称される本格派に、趣味がバイオリンときては、これはもうまごうことなき「エリート」ではないか。
 
 こないだイベントで、佐藤九段が『天衣無縫 佐藤康光勝局集』という実戦集を出すことにふれたとき、
 
 
 「本格派だった若いころの将棋が多くて、最近のファンの期待を裏切ってしまうかもしれません」
 
 
 と発言し、ニコ生のコメントで
 
 
 「またまたあ」
 
 「前フリにしか見えません」
 
 
 みたいにイジられたけど、実はこれがネタでもなんでもなく本当の話。
 
 矢倉を主とした超本格派で、今なら斎藤慎太郎王座とか、中村太地七段のような、棋風もキャラクターも将棋界の王道を行く感じだった。
 
 
 
 
まだ双方20代のころの佐藤−羽生戦。王道中の王道といえる相矢倉で、平成では山ほど見た形。
若手時代の佐藤康光といえば、こういうイメージで、今とはまったくの別人。 
 
 
 
 
 そんな佐藤康光が、突然の変貌を遂げたのは、2000年代に入ってから。
 
 最初に「ん?」と思わされたのが、2002年に開催された、第51期王将戦第1局
 
 まず、おどろかされたのが戦型の選択。
 
 4手目に△44歩と角道を止め、なんと三間に飛車を振ったのだ。
 
 居飛車本格派だった佐藤が、まさかの振り飛車。
 
 それも、四間飛車やゴキゲン中飛車でもなく、ノーマル三間飛車
 
 今の佐藤なら、別におどろきはしないが、当時は相当話題になった。
 
 いわば「さばきのアーティスト」久保利明王将が、突然に横歩取りや相掛かりを連続採用するような変身ぶりだったのだ。
 
 しかも、ここからの佐藤の指し方も型破りだった。
 
勝率9割(!)を誇る羽生の先手番居飛車穴熊に、△65歩と位を取って△64銀とくり出す「真部流」で対抗。
 
 
 
 
 
 を好位置に配して非常に美しい形。
 
 だがなんと、そこから佐藤はこの理想の陣形を自ら解体し、飛車9筋に回って穴熊にねらいを定めたのだ。
 
 
 
 
 純正振り飛車党なら、悲鳴をあげそうな形。
 
 穴熊に対して金銀バラバラすぎて、とても勝てそうにない。
 
 なんかオレの知ってる真部流とちゃう……。思わずつぶやいてしまう陣形ではないか。
 
 こんなあやうい形をまとめられるのは、今なら山崎隆之八段糸谷哲郎八段くらいだろう。
 
 そもそも、振り飛車党は「美濃囲い命」な人が多いのに、それを自分で破壊するとは……。
 
 だが「天衣無縫」の佐藤康光は、ますます絶好調。
 
 攻めながら着々と自陣もリフォームし(このあたりは大山康晴十五世名人っぽい)、いつの間にか「堅陣」+「スズメ刺し」の攻守とも理想形に。
 
 
 
 
 
 そしてむかえたこの場面。あの有名な形が実現するのである。
 
 そう、私たちも大好きな、あの手をやってくれるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
△94香打と端にもう一本並べるのが、「ニュー佐藤康光」完成の図。
 
 このころネット中継があったら、きっとコメント欄が爆発したことだろう。
 
 持駒にもあるから、この端攻めは受からない。
 
 あとは△97の地点で引き金を引けば、次々と桂香が誘爆してドカンだ。
 
 これだけ火力を足されると、さしもの穴熊も、ただの鉄の棺桶である。
 
 シェルターに次々投下される焼夷弾にたまらず、羽生は穴から這い出ようとするが、佐藤の猛爆は止まらない。
 
 
 
 
 あの固い穴熊が、あっという間に崩壊してしまった。
 
 ここで決め手がある。
 
 
 
 
 
 
 
 バサッと飛車切るのが、気持ちよすぎる一手。
 
 以下、先手玉を▲93の地点まで引きずりあげて、トドメを刺した。
 
 古い西部劇ではないが「奴らを高く吊るせ」といったところか。
 
 この快勝で勢いに乗った佐藤は、4勝2敗のスコアで羽生から王将奪取。
 
 続いて棋聖戦郷田真隆も破って、棋聖王将二冠になった。
 
 のちのインタビューなどを読むと、どうもこのころから佐藤将棋に変貌の兆しが見られるようになったよう。
 
 ここからだんだんと、今の我々が知る「自由人・佐藤康光」に近づいていくのだ。
 
 
 (続く→こちら
 
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将棋 この絶妙手がすごい! 森内俊之四段vs谷川浩司名人 第7回全日本プロトーナメント決勝 その2

2019年01月27日 | 将棋・好手 妙手
 前回(→こちら)の続き。
 
 1988年度の全日本プロトーナメント決勝で相対する、谷川浩司名人森内俊之四段
 
 森内リードで終盤戦をむかえるが、谷川も次々と勝負手をくり出し、ただではやられない。 
 
 
 
 
 
 上図は谷川が△87飛成を作ったのを、森内が▲78金と打って、しかりつけたところ。 
 
 竜を逃げるのは勝ち目がないが、ここで後手はまたしても、ギリギリですごいワザをひねり出してくるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 竜当たりにもかわまず、△67銀と再度ここに打ちこむのが、逆転の念をこめた渾身の一撃。
 
 ▲同金左△59竜と金をさらって、△78頭金で詰み。
 
 ▲同金右△59竜と取られ、▲69合駒△88金
 
 
 
 
 ▲同金に△69竜から△67竜の「一間竜」で詰み。
 
 ▲87金と要の竜を取るのも、△59竜から手順は長いが、比較的やさしい詰み。
 
 そう、秒読みの中放たれた、このアクロバティックな銀打ちは、処理を誤ると一撃でおしまいの、すごい時限爆弾だった。
 
 ただ、この絶体絶命に見えるこの局面、実を言うとすでにはっきりと、先手勝ちなのだ。
 
 ただしそれは、ここに埋まった3手1組の好手順を掘り当てることができてのこと。
 
 それ以外だと、「光速の寄せ」の刃が体にくいこむこととなるのだが、このとき森内はすでに1分将棋
 
 60秒未満の爆弾処理で、果たして正解を発見できるのか。
 
 みなさまも考えてみてください。ヒントはななめ駒じゃないと……。
 
 
 
 
 
 
 
 答えは▲77金打と受けること。
 
 と言っても、これだけではピンとこないところもあって、後手は△78銀不成と取って、再度△67金と打ちこむと、同じような形でまだ受かっていないように見える。
 
 
 
 
 
 
 だが、おどろいたことに、これですでに後手に勝ちがない状態になっているのだ。
 
 最初の図と比較してみよう。
 
 ちがうところは、要するに△67の駒が銀から金に代わったこと。
 
 いわゆる「金銀の両替」をしただけだ。
 
 ポイントは、それによって△76の地点から、後手の勢力が消えたこと。
 
 以下の手順を追えば、答は明白だ。
 
 今度は勇躍▲87金を取り、当然の△59竜に取れば頭金だから、▲88玉と逃げる。
 
 さらに△58竜と、2枚もボロっと取られて大ピンチのようだが、ひょいと▲97玉と、かわした図を見ていただきたい。
 
 
 
 
 
 この場面、もし後手の△67の駒がなら、△85桂と跳ぶ。
 
 ▲86玉に、△75金と強引に王手し、▲同歩△76金と打って先手玉は詰みなのだ。
 
 以下、バラして△78竜としてピッタリ。
 
 
 
 △67にある金を銀のまま進めると、△75金、▲同歩に△76金と打てる。
 ▲同金、△同銀成、▲同玉に△78竜の一間竜で詰み。
 
 
 
 どっこい、△67の駒がだと、△76へのななめ利きがないから、どうやっても詰みがない。
 
 △85桂▲86玉△75金に今度は▲同歩で、なんでもない。
 
 かが天地の差。まるでパズルのような手順ではないか。
 
 この将棋を観て、かつて三冠王にもなった、元名人の升田幸三九段は、
 
 

 「名人が四段に負けちゃいかん」

 

 
 と言い残したそうだが、それはちがうと思った。
 
 将棋界の大レジェンドに、私ごときがこんなことを言うのもはばかられるが、それでもやはり思うのだ。
 
 ちがうよ、升田先生、そうじゃない
 
 たしかに森内俊之はまだ四段だ。でもそれはただの四段ではない。段位なんて関係ない
 
 森内は、いやさ羽生は、佐藤康光は、郷田は、四段にして、いやそれどころか奨励会時代からすでに、タイトルホルダーと互角以上に戦う力を持っていたのだ。
 
 それを、段位などという「名誉職」みたいなもので計っても、意味がないのだ。
 
 それくらい、若いときから彼らの強さは際立っていた。それは、将棋の内容を見れば、明白ではないか。
 
 名人が四段に、負けてはいけないかもしれない。
 
 でも、私は谷川名人のことを、責める気にはなれない。
 
 谷川はその地位にふさわしい将棋を披露したが、このときは森内がそれを紙一重で上回った。
 
 名人とか四段とか関係なく、ただそれだけのことなのだから。
 
 
 
 (佐藤康光編に続く→こちら
 
 
 
 
 
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将棋 この絶妙手がすごい! 森内俊之四段vs谷川浩司名人 第7回全日本プロトーナメント決勝

2019年01月26日 | 将棋・好手 妙手
 前回(→こちら)に続いて、将棋の絶妙手の話。
 
 谷川浩司九段の歴史的名手の数々に続いて、今回は森内俊之九段に登場していただこう。
 
 舞台は1989年、第7回全日本プロトーナメント(現在の朝日杯)決勝3番勝負。
 
 谷川浩司名人と、森内俊之四段の対決である。
 
 当時の森内は、まだデビュー2年目の18歳で、四段での全棋士参加棋戦の決勝進出はそれだけでも大快挙。
 
 今でいえば、藤井聡太七段クラスの大アピールといえるだろう。
 
 だが、今思うとおそろしいことに、この森内の快進撃も、当時はさほどすごいこととは思わなかった。
 
 というのも、羽生善治のデビューからこの方、
 
 
 「なんか、若手ですごいのがどんどん出て来るらしいぞ」
 
 
 という噂はすでにファンの間にもとどろいており、もうプロになっていた羽生や佐藤康光村山聖先崎学
 
 といった面々の勝ちっぷりを見ていると、そのライバルである森内が少々勝ち星を重ねたところで、
 
 「やろうな」
 
 と受け入れるのは、自然なことだったのだ。ふつうやん、と。
 
 実際、森内はすでに新人王戦早指し新鋭戦優勝しており、羽生はこの年NHK杯優勝竜王獲得。
 
 村山はC級2組を1期抜けし、佐藤康光は2年後には王位挑戦
 
 先崎もNHK杯を獲得し、その間に郷田真隆が四段になってすぐ、棋聖戦などで挑戦者になりまくり王位を獲得。
 
 さらにはまだ奨励会に、屋敷伸之丸山忠久藤井猛深浦康市三浦弘行久保利明
 
 といった面々がスタンバって力をためていたのだから、その噂は事実、いやそれ以上のものだったのだ。
 
 そんなすごい人たちが出ていた時代なのだから、
 
 
 「そら森内やったら、それくらいは」
 
 
 と感じてしまうのもむべなるかな。
 
 いや、その感想おかしいよ! すごいじゃん! もっと騒げよ! 森内フィーバーは?
 
 今ならそう思うけど、振り返っても、なにやら感覚がおかしくなるような、あのころの新人の規格外感だった。
 
 そんな不感症を、ますます後押しするように、森内は決勝でも名人相手にすばらしい戦いを見せる。
 
 1勝1敗でむかえた最終局は、森内先手で角換わり腰掛銀に。
 
 角換わりの定型通り先攻した森内は、着実な攻めと、中盤は得意とする腰の重い受けで谷川を押さえこみ、リードを保ったまま最終盤をむかえた。
 
 
 
 
 
 後手玉は薄く、先手からは▲53とという、成駒を寄せていくだけの確実な手があるから、後手は死に物狂いの特攻を見せることになる。
 
 先手としては、それを受け切れれば勝ちだが、もちろん、そんな簡単にやられてしまう谷川名人ではない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 △67銀と、中空にたたきこんだのが、いかにも谷川らしい強烈な勝負手。
 
 ▲同金右△59竜
 
 ▲同金左△87の地点が空くから、△69角と強引に打つ筋で先手玉は危ない。
 
 ピンチのようだが、森内はいきなり投げこまれた手榴弾に動じることなく、冷静に事を進めていく。
 
 じっと▲53と、と取って、△86飛▲87歩と受ける。
 
 足が止まったらおしまいの後手は、△78銀成と取って、▲同玉に△45角と必死の猛攻。
 
 ▲56香の合駒に、△79金と捨てて、▲同玉に、ついに△87飛成と先手陣を突破することに成功したのだ。
 
 
 
 
 
 
 そうして、クライマックスをむかえたのが、この場面。
 
 谷川が懸命の食いつきで、なんとかを敵玉付近まで突入させたが、△87飛成に先手も▲78金としかりつけて、これでギリギリ受かっているように見える。
 
 竜を引き上げるようでは話にならないが、△45△29は森内の駒の壁に阻まれ、働きを封じられている。
 
 まさにこれぞ、森内流「鋼鉄の受け」だ。
 
 デビュー2年目の新人が、名人の、それも「光速の寄せ」谷川浩司の猛攻撃を、完全に受け切ってしまった!
 
 ところがここで、名人もまたすごい手を用意していたのだから、将棋を最後まで勝ち切るというのは大変である。
 
 終わったと思ったところに、もうひとつ山があった。
 
 そう、谷川浩司必殺の「光速の剣」は二枚刃だったのだ。
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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将棋 この絶妙手がすごい! マエストロ谷川浩司の華麗なる大円舞曲 その2

2019年01月23日 | 将棋・好手 妙手
 前回(→こちら)の続き。
 
 「絶妙手のマエストロ」ともいえる谷川浩司の「光速の寄せ」メドレー第2弾。
 
 今回も、また谷川-羽生戦から。
 
 1993年、第62期棋聖戦5番勝負の第1局
 
 
 
 
 打ち歩詰めもからんだ、超難解な終盤戦となったこの勝負。
 
 ▲48飛の攻防手で、後手玉は相当に危ないうえ、詰みはなくとも次に▲78飛と銀をはずせば、もう一勝負できそうだ。
 
 だが、そんな手を谷川はゆるすはずがなく、ここで「創作次の一手」のような手を用意していた。
 
 
 
 
 
 
 
 △47角が、絶妙の中合で後手勝ち。
 
 ▲78飛は、△同飛成▲同玉に、△47角の利きで△69銀と打てば簡単に詰み
 
 ▲同飛と取るしかないが、△51玉、▲53香、△62玉と逃げて、なんとを渡しても後手玉に詰みはない
 
 
 
 
 一方、飛車の横利きが消えた、先手玉に受けはない。
 
 以下、羽生は▲42飛成△71玉まで指して投げた。
 
 
 
 トリを飾るのは、やはりこの一手であろう。
 
 1996年、第9期竜王戦第2局
 
 羽生善治が七冠王から、ひとつ失ってまだ六冠だったころの将棋。
 
 
 
 の力が強く、いい攻めがないと押さえこまれそうだが、ここで谷川浩司の代表作ともいえる、あの手が飛び出す。
 
 のちに「光って見えた」と語られる、その地点とは……。
 
 
 
 
 
 
 △77桂と打ちこむのが、「谷川ダイナミック」ともいえる必殺の一撃。
 
 ▲同桂△76歩と取るのが、桂当たりのスピードアップとなる仕組み。
 
 単に△76歩と取りこむ形とくらべると、勢いも速度も段違いだ。
 
 ▲77同桂では、つぶされることを察知した羽生は、▲59飛と逆モーションでの方を取る。
 
 後手も△63飛と馬を取り返して、先手も▲54角と反撃。
 
 そこで飛車取りを放置して、△68角とさらに打ちこむのが、先手の厚みを突破する右ストレート。
 
 
 
 
 これだけのパンチを続けざまにもらっては、羽生もたまらず、その後は谷川が圧勝する。
 
 無敵時代の羽生の足を止めた、まさに伝説絶妙手だ。
 
 
 
 (森内俊之編続く→こちら
 
 
 
 
 
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将棋 この絶妙手がすごい! マエストロ谷川浩司の華麗なる大円舞曲

2019年01月22日 | 将棋・好手 妙手
 将棋の妙手というのは美しい。
 
 そこで前回(→こちら)は谷川浩司九段の「光速の寄せ」を紹介したが「谷川の妙手」を思い出してたら、あれもこれも語りたくなって、キリがなくなってしまった。
 
 本来は次、森内俊之九段の将棋を取り上げる予定だったが、ちょっと予定を変更して、もう何回か谷川浩司の「光速の寄せ」を行ってみたい。
 
 詰将棋作家としても有名な浦野真彦八段は、切れ味鋭く、さわやかな勝ち方を披露する阿久津主税八段の将棋を、
 
 
 「阿久津カンタービレ」
 
 
 と称賛したが、そのノリでいけばさしずめ谷川浩司は
 
 
 「絶妙手のマエストロ」
 
 
 といったところか。
 
 谷川がそのタクトを一振りすれば、あれや不思議な、盤上には次々と妙手の雨が降る。
 
 まさに「魔法のバトン」の使い手である十七世名人の、ステキな世界を一気に放出。
 
 ふたつ、続けてどうぞ。
 
 
 
 図は1992年、第5期竜王戦第1局
 
 谷川三冠(竜王・棋聖・王将)と対するのは羽生善治二冠(王座・棋王)。
 
 
 
 
 難解な中盤戦だが、ここで谷川にすごい手が出る。
 
 局面を見ると、当然「あの地点」に目が行くが……。
 
 
 
 
 
 
 
 △57桂と打つのが、だれも思いつかないすごい手。
 
 が成れるところに桂を打つなど、私がやったら大爆笑だが、この「王手は追う手」の筋悪が、実は深い読みの入った妙手なのだ。
 
 以下、▲79玉△76歩と突いて、▲同銀△同飛
 
 先手も▲54銀と取って、△同玉に一回▲55歩とたたく。
 
 △同銀に、▲24飛と切って、△同歩、▲65角の王手飛車。
 
 
 
 
 
 △64玉に、▲76角飛車を取って、効果がわかるのはこの場面。
 
 先手玉に詰みがあるが、これが羽生をはじめ、検討している棋士も、だれひとり気づかなかった一着だ。
 
 
 
 
 
 
 
 △68銀が詰将棋のような、あざやかな決め手。
 
 ▲同玉には△69飛で簡単。
 
 ▲同金だと△59飛と打って、で合駒できないから(▲63の歩を取らない指し方が見事!)▲69銀高い合駒を使うしかなく、△同桂成と取られて捕まる。
 
 ここで△57桂が利いてくることを、すでに読んでいたのが、おそろしい。
 
 本譜の▲89玉にも、△88歩からきれいに詰んでいる。
 
 
 続けて、同じく第5期竜王戦の第6局
 
 
 
 
 先手の羽生が▲45歩と打った局面。
 
 こんなもん、だれが見ても取る逃げるしかなく、実際、羽生二冠もその後のことを考えていたらしい。
 
 だが、「前進流」谷川浩司に、そんな常識など通じないのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 △69馬と飛びこむのが、信じられない踏みこみ。
 
 当然の▲44歩に、△58銀(!)、▲同飛△同馬▲43歩成に、△67馬(!)。
 
 
 
 
 
 なんだか、やけくそで暴れまわっているだけに見えるが、もちろん、そんなことはない。
 
 なんとこの後手玉、もう一枚を渡したうえで、金銀三枚取られながら▲32と、とされても詰みがないのだ!
 
 この将棋を振り返って羽生さんは、
 
 
 「あの玉が、詰まないなんて思わないでしょう?」
 
 
 苦笑しておられたが、たしかに笑うしかないだろう。ありえへんですわな。
 
 羽生は▲79金打と必死のがんばりを見せるが、△77飛成が、またカッコイイ手。
 
 ▲同桂△88飛と打ちこみ、▲同金上△同歩成▲同玉に、△87金と打って詰み。
 
 
 
 
 
 
 羽生もまさか、▲45歩の局面から、秒殺されるとは思わなかったろう。
 
 こういう
 
 
 「気づいたら、持って行かれていた」
 
 
 というのが、谷川「光速の寄せ」のおそろしいところなのだ。
 
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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将棋 この絶妙手がすごい! 第31期王位戦 谷川浩司王位vs佐藤康光五段

2019年01月17日 | 将棋・好手 妙手
 将棋の妙手というのは美しい。
 
 前回(→こちら)は羽生善治九段が若手時代に見せた、すばらしい受けを紹介したが、妙手の芸術性を語るなら、この人のことははずせまい。
 
 そう、谷川浩司九段だ。
 
 谷川といえば、「光速の寄せ」が売り物であり、その伝説的妙手の数々は、多すぎて紹介するほうが困るほどである。
 
 その中から今回選んだのが、1990年の第31期王位戦七番勝負。
 
 時の王位であった谷川浩司は、佐藤康光五段の挑戦を受けることとなる。
 
 前回の羽生と同じく、佐藤康光も「五段」とはいえ、こんなものはなんの足しにもならない情報であり(はっきりいって将棋も囲碁も、段位と実力はあんまり関係ないのです)、すでに周囲からAクラス級の実力を認められている大強敵だ。
 
 実際、「緻密流」と呼ばれる佐藤は健闘を見せ、フルセットにもつれこみ、勝負は最終局に。
 
 先手番になった佐藤は、矢倉模様から果敢に仕掛けていく。
 
 そのまま優勢を築くが、そこから谷川にうまくいなされて反撃を食らってしまう。
  
 むかえた最終盤。
 
 
 
 
  ここではすでに、後手優勢になっている。
 
 と言っても、それを見切っていたのは対局者である谷川だけで、控室の検討では、攻めをどうつなげるか、むずかしいといわれていた。
 
 △76桂と取る手が見えるが、手順に▲61飛成と入られるのもイヤらしい。
 
 合駒で△41香と、貴重な攻め駒を使わされるのも、いかにもシャクではないか。
 
 天下の谷川浩司が、そんな平凡な手で満足できるわけがない。
 
 ここで見せたのが、本人も自賛し佐藤も
 
 
 「神がかり的」
 
 
 と認めた、カッコよすぎる一着だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ドーンと△95飛と突っこむのが、まさに谷川「前進流」の面目躍如。
 
 飛車と香の配置が逆なら、だれでも指すが、大駒から行くダイビングヘッドこそが、谷川浩司の終盤だ。
 
 しかもこれが、ただ攻めるだけでなく、攻防兼備の一手。
 
 先手の切り札である▲61飛成には、補充した一歩があって、△41に打つ底歩がピッタリなのだ。
 
 これで後手玉は鉄壁になり、あとは攻めだけに専念できる。
 
 一見派手なようで、実は「緻密流」のお株をうばう、精密な計算がそこにはあったのだ。
 
 ここからも谷川は
 
 「これで本当に攻めきれるのか?」
 
 という懸念の声もなんのそので、あざやかな連続攻撃を次々とくり出していく。
 
 手順だけ書けば(飛ばしていただいて全然かまいません)、△95飛に以下、▲61飛成、△41歩、▲95銀、△同香、▲89玉、△76桂、▲95馬、△97銀、▲77銀、△57角、▲98歩、△88香、▲同銀、△同銀成、▲同金。
 
 
 
 
 収束も見事だった。
 
 次の一手で佐藤が投了
 
 
 
 
 
 
 
 △97銀がきれいな捨駒。
 
 退路封鎖の手筋で、▲同歩の一手に、△79金、▲98玉、△88桂成、▲同玉、△78金打
 
 
 
 
 ここで▲97逃げられないのが、銀捨ての効果。
 
 ▲98玉△89金寄まで、持ち駒ひとつ余らないきれいな必至
 
 ▲96歩と突いても、△79角成までピッタリの受けなしだ。 
 
 並べてみると、ずいぶんと簡単に攻略しているようだが、そうではない。
 
 将棋の強い人の終盤は、
 
 「むずかしく見える局面を、あっさりと勝ってしまう」
 
 という特徴がある。
 
 よく、動画サイトにある「TAS」動画などで、
 
 
 「本当は激ムズのゲームなのに、TASさんだと簡単に見えて困るな(苦笑)」
 
 
 なんてコメントが流れることがあるが、そう、谷川浩司の「光速の寄せ」とは、将棋における「TAS動画」なのだ。
 
 すごすぎて感激、てゆうか、もはや笑える。まさにこの終盤戦も、あの佐藤康光が「止まって見える」ほどの破壊力なのだ。
 
 多くの棋士が、
 
 
 「頭を割って、中を直接のぞいてみたい」
 
 
 とまで感嘆した、谷川浩司のクリエイティブな終盤。
 
 いやホント、こうして並べるだけでもカッコよすぎて、ため息が出ますよ。
 
 
 
 (谷川編はまだまだ続く→こちら
 
 
 
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将棋 この絶妙手がすごい! 羽生善治 若手時代の神業的しのぎ vs泉正樹 その2

2019年01月14日 | 将棋・好手 妙手
 前回(→こちら)の続き。
 
 1988年C級1組順位戦
 
 羽生善治五段は、泉正樹五段のするどい攻めを食らって、ピンチに立たされる。
 
 泉が▲24角と飛び出したところで、次に▲33角成とされると、頭金の詰みに受けがない。
 
 
 
 
 
 
 なにか逆転につながる妙手をひねり出したいところだが、羽生がここで指したのが、控室で検討する棋士たちの期待を裏切る、なんとも平凡なものであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 △28飛と打ったのがが、満場一致で、
 
 
 「これだけはやってはいけない」
 
 
 と結論づけられていた手。
 
 今なら藤森哲也五段あたりが、
 
 
 「これは、なに《ろ》ですか?」
 
 
 目をクリクリさせそうではないか。
 
 先手は当然、▲33角成
 
 これで後手に、どう見たって受けがない。
 
 羽生は△79銀と捨てて、▲同玉△67桂とせまる。
 
 ▲88玉▲67同金△78銀)、△79銀▲97玉と逃げ、これがよくある「王手なし」の形で、ほぼ「」とか「ゼット」といわれる形に近い。
 
 
 
 
 
 終了かと思われたが手はあるもので、△64角とのぞいて、これまでまったく活躍できなかった角で、王手する筋があった。
 
 これには▲86歩▲86銀打とすると、かなり危ないという油断ならぬ手だが、▲75金が正確な応手で、トン死筋はない。
 
 
 
 
 
 奨励会時代から、「西の谷川 東の泉」と呼ばれたほど期待の高かった泉正樹が、このような手を逃すはずがなく、後手の攻めは頓挫した。
 
 あとはもう、投げるしかない。
 
 ……と思われたところ、河口俊彦八段の『対局日誌』によると、控室の棋士の中から、こんな声が出たそうだ。
 
 
 「△32歩で、受かるのかな」
 
 
 言ったのは、土佐浩司中村修かだったらしいが(いかにもこういう手を思いつきそうな2人だ)、なんと受けがないと思われた後手玉が、この一手でまったく寄りがなくなっている
 
 皆が呆然としていると、羽生は駒台からを取り上げ、△32の地点に置いた。
 
 この局面を見てほしい。
 
 
 
 
 
 そう、羽生の△28飛は、勝ち目のない凡手なんかではなかった。
 
 先手玉を攻めながら飛車タテに利かし、さらには手順に△64角と出ることによって、そのラインも守りに生かして受けるという絶妙手だったのだ。
 
 この歩打ちで、必至と思われた後手玉に、まったく攻め手がない。
 
 たとえば、▲42銀△同飛で取るのが好手で、以下▲同と△同角で攻めは切れている。
 
 
 
 
 がいなくなると、後手には2筋3筋に大回廊が開けていて、上が抜けている。
 
 後手の王様は単騎だが、△82△28飛車、そして△64が、あたかも迎撃ミサイルを積んだ衛星兵器のように、はるか上空から絶妙の利きで後手玉を防衛しているのだ。
 
 大駒3枚の配置が、すばらしすぎる。
 
 なんというあざやかで、かつ芸術的な駒さばきなのか!
 
 もちろん、これはその場で思いついた、いわゆる「いい手が落ちていた」という幸運ではない。
 
 おそらくは、中盤に猛攻を受けているときからイメージして、この形に誘導しているのだ。
 
 そして仕上げの歩でQ.E.D 証明終了。
 
 その読みの力と、ギリギリでしのげると判断した、構想力がおそろしいではないか。
 
 以下、▲64金と取るが、△33歩をはずされて先手に勝ちはない。
 
 その後数手指して、泉は投げた。
 
 負けたこともさることながら、必勝の手順のはずが、すべて「シナリオ通り」だったこともショックだったろう。
 
 それにしても、△32歩の局面は、何度見てもほれぼれする。
 
 大駒3枚の機能美、そこに若かりしころの羽生の精密な読みの深さがくわえられ、すべての攻めが完璧に受かっている。
 
 まさにピタゴラスの定理のごとき、シンプルかつ、パーフェクトな美しさを感じられるではないか。
 
 
 
 (谷川浩司編に続く→こちら
 
 
 
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将棋 この絶妙手がすごい! 羽生善治 若手時代の神業的しのぎ vs泉正樹

2019年01月13日 | 将棋・好手 妙手
 前回(→こちら)の続き。
 
 
 「将棋のポカを語ったら、今度はいい手もやらなアカンで」
 
 
 という友人のアドバイスと、コメントで好評をいただいたことにより、今回から私がおぼえている絶妙手について語ってみたい。
 
 まず登場いただくのは、やはりこの人、羽生善治九段
 
 それも、まだデビューして間もないころの、とびきりのすごい手を紹介しよう。
 
 
 1988年C級1組順位戦の4戦目で、羽生善治五段泉正樹五段と当たることとなる。
 
 泉は3連勝、羽生は3回戦でベテラン佐藤義則七段に敗れて1敗。
 
 昇級を争うには、どちらも負けられない、直接対決の大一番である。
 
 終盤の妙技もすごいのだが、全体としてなかなかおもしろい将棋であり、参考になる手筋も多い。
 
 手順もシンプルで追いやすいので、中盤戦からじっくりと見ていくことにしよう。
 
 
 
 
 泉の先手で、戦型は相矢倉
 
 矢倉らしく先手が先行し、後手番の羽生は受けに回る形に。
 
 駒損ながら3筋に拠点を作った泉が、ここでいかにも矢倉という過激な手を披露する。
 
 ヒントは、今一番先手がほしい駒は何?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲55銀と突進するのが、「野獣流」泉正樹の強烈な攻め。
 
 先手はすでに、桂香の二枚替えで駒損だが、そのもいらないと捨ててしまう。
 
 後手は△同金と取るが、そこでわれわれも大好きな▲33銀の打ちこみ。
 
 △同銀▲同歩成△同金▲34歩とたたくのが、まさに「一歩千金」の格言通り。
 
 
 
 
 この歩を打ちたいがための、銀の特攻なのだ。
 
 矢倉や角換わりの将棋は、多少のは気にせず、バリバリ攻めるのがいいらしい。 
 
 後手は△43金とよろけるが、すかさず▲33銀とおかわりで追撃。
 
 こめかみへの一撃が強烈極まりなく、羽生は△31玉と落ちるが、これぞ「玉は下段に落とせ」の格言通り。
 
 さらに「をよこせ」と▲56金とぶつけ、これ以上先手に戦力をあたえられない後手は△54金と引く。
 
 攻められっぱなしだが、相居飛車の後手番というのは、戦型によっては、こういう展開になりやすいのだ。
 
 
 
 
 ただ、こうしてじっと辛抱されると、攻め続けるのも大変である。
 
 この局面、先手に手駒がなく、3筋の駒もダブって重く感じられる。
 
 ここで足が止まると、後手には反撃の筋がいくらでもあるが、
 
 
 「▲33の銀がいなければ、歩が成れるのになあ」
 
 
 そう感じたアナタは、なかなかスルドイ。
 
 「パンがなければケーキを食べればいいのよ」と言い放ったアントワネットのごとく、が邪魔なら捨ててしまえばいいのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲24銀成が、邪魔駒除去の華麗な手筋。
 
 △同歩の一手に▲33歩成となって、大砲の前にトンネルが開通し、先手絶好調の図。
 
 頭上に大穴が空いて、これ以上正面から受けられない羽生は、△37成桂と攻め駒の裏側からプレッシャーをかける。
 
 泉はかまわず▲43と、と取る。
 
 △36成桂飛車を取られても、今度は▲24角と眠っていたを飛び出して、気持ちよすぎるさばき。
 
 「野獣流」の攻め、一丁あがりの巻である。
 
 
 
 
 
 
 さて、問題となるのが、この局面。
 
 「先手がその利を生かして攻めまくり、後手がそれを耐えに耐え、最後に一瞬だけ攻めのターンが回ってくる」
 
 という、相居飛車でよくあるパターンだ。
 
 ここで、いいカウンターがないと、矢倉や角換わりの後手番は、なんの楽しみもないことになってしまう。
 
 具体的には、次に先手が▲33角成とすれば、頭金の詰みが受けにくく、ほぼ必至
 
 だから、ここで詰めろ級の手が必要となる。
 
 豊富な持駒はあるから、形は△86桂の「歩頭の桂」とか、△69銀とかける手だが(どちらも憶えておくと、とっても使える手筋です)、控室での棋士たちの検討でも、やや足りないという結論に。
 
 なら後手負けかといえば、これがそうでもない。
 
 なんといっても、指しているのが、あの「天才」羽生善治である。
 
 当時まだ18歳の五段とはいえ、すでに実力はトップクラスと認められていた。
 
 この少年なら、きっとすごい手で、皆をおどろかせてくれるに違いない。
 
 その期待感は、今の藤井聡太に対するそれと同じようなものだ。
 
 その視線を受け、はたして羽生は控室の面々が驚愕する一手を放つ。
 
 だがそれは、並みいるプロたちの予想を超えた、すごい手だったからではない。
 
 控室の検討で
 
 
 「この手だけは指してはいけない」
 
 
 といわれた、だれが見てもわかる、ただの凡手だったからだ。
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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将棋 この絶妙手がすごい! 升田幸三 大山康晴 中原誠 米長邦雄 編

2019年01月10日 | 将棋・好手 妙手
 「ポカを特集するんやったら、今度は絶妙手も語らなあかんやろ」。
 
 新年会の席で、みそ田楽をほおばりながら、そんなことを言いだしたのは将棋ファンの友人エビエ君であった。
 
 彼はこないだここで書いた
 
 
 「プロの指した大ポカ」
 
 
 の数々(→こちらから)を読んでくれたそうだが、悪手を取り上げるなら、次は好手も紹介しないとファンとして、プロ棋士に悪いのではないかというわけだ。
 
 コメントでも、
 
 
 「将棋の名手シリーズ楽しみにしてたんですけれど、やめたんですか」
 
 
 なんて訊かれてしまった。
 
 うーむ、もちろんそれはやりたいんだけど、いざとなるとけっこう問題がありまして、なかなかに難しいところがあるのだ。
 
 論より証拠と、ここにいくつか将棋史上に残る絶妙手を紹介し、私が逡巡する理由をわかっていただこう。
 
 以下、コアな将棋ファンには、おなじみのものばかりですが、最近興味を持たれたという方は、ひとつ次の一手問題形式で、考えてみてください。
 
 
 ★1971年に開催された、第30期名人戦第3局
 
 将棋界のスーパーレジェンド升田幸三大山康晴の対決といえば
 
 
「サッカクイケナイヨクミルヨロシ」
 
 
 の高野山の決戦をはじめ、とにかく逸話が尽きない。
 
 このシリーズは両者の最後の名人戦となったが、なんとここで升田は7局中、5局を「升田式石田流」で戦いファンをわかせた。
 
 
 
 
 
 
 局面は後手の升田が、△26歩とたたいて、先手の大山が▲同飛と応じたところ。
 
 少し前に放たれた、▲79角妙防で、一見後手に手がないように見える。
 
銀取りなうえに、後手の飛車がまだ封じられて、大山得意の押さえこみが炸裂しているように見えるのだ。
 
 ところがここで、升田にものすごい切り返しがあった。
 
 将棋史上最高と、だれもが認めるその1手とは……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
△35銀と引くのが「天来の妙手」と呼ばれる一手。
 
 ただ銀を捨てただけのようだが、これが先手の包囲網を突破する、見事なカウンターショットなのだ。
 
▲同角と引きつけておいて、△34金と出るのが会心のさばき。
 
 
 
 
 角取りだからと▲同金と取ると、△35角と取って、▲同金△59角と打つのが、王手飛車で「オワ」。 
 
 
 
 
 
 
 大山は▲57角と辛抱するが(これもなかなか指せない手だ)、△24金と取って飛車先が開通
 
 
 
 
 見事、完封されそうだった2枚大駒を躍動させることに、成功したのだった。
 
 
 ☆続いては、大山康晴十五世名人
 
1972年に開催された、第31期名人戦の2局目。
 
 挑戦者の「若き太陽」こと中原誠が開幕局を制し、この第2局も攻勢を取り終盤をむかえる。
 
 
 
 
 
▲73飛と打ったこの局面、先手の中原は勝利を確信していた。
 
 2枚のが、すばらしい連携で後手の上部を押さえており、の質駒に▲33と金の威力もすさまじく、玉をどこに逃げても、簡単に寄りそうだからだ。
 
 ところがここで大山は、将棋の常識に反するすごい手で、この大ピンチをしのいでしまう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
△81玉とあぶない方に落ちるのが、「受けの大山」が見せた、盤上この一手の最強手。
 
 「玉は下段に落とせ」の格言のを行く、まさかの自ら下段玉。
 
△62玉▲74桂△82玉▲94桂で負けとはいえ、まさか▲83飛成をゆるして勝てるとは、だれも思うまい。
 
▲83飛成には、△82歩と合駒。
 
 以下、▲73桂不成△71玉▲61桂成△同銀▲53竜△61銀打で、なんと、どうやっても先手の攻めは届かない。
 
 
 

 

 中原はこれが寄らないことが、どうしても受け入れられず、その精神的ダメージにより、シリーズの主導権を大山に奪われてしまう。

 
 
 ★続いては、大山に次ぐ、将棋界の王者中原誠の、有名すぎる1手を。
 
1979年の第37期名人戦
 
 中原誠名人米長邦雄八段という、大山升田時代の次をになう、ライバル対決。
 米長の2勝1敗リードでむかえた第4局
 
 相矢倉から、中盤に先手が駒損してしまい、後手の米長がうまく指しているように見えた。
 
 
 
 
 
 後手玉にまだ詰みはなく、先手は△48飛成と、銀を取る筋で寄せられる。
 
 ▲67金と取っても、やはり△48飛成で先手負け。
 
 絶体絶命の中原だが、ここで信じられない1手を放ち、形勢を逆転させる。
 
 
 
 
 
 
 
 
▲57銀とあがるのが、「升田の△35銀」と並ぶ、オールタイムベスト巻頭候補のスーパー絶妙手
 
 こうかわすことによって、銀取り△48飛成同時に防いでいる。
 
 後手は△同馬と取ると、先手玉への詰めろ消えてしまい負け。
 
 しかし、それ以外の筋(たとえば△78金など)で攻めると、今度は駒を渡すから、自分の玉が詰まされてしまう。
 
 まさに、一撃必殺のしのぎなのだ。
 
 ねばるつもりなら、まだ手はあったようだが、米長はこの歴史的絶妙手に敬意を払ったかのよう、素直に△57同馬と取る。
 
 以下、▲54角と王手して、△31玉▲33桂成△同銀▲62金と必至をかけ、△48飛成▲58桂と受けて先手勝勢
 
 
 
 
 
 
 ここで▲57銀の、絶大な効果がわかる。
 
 同じように進めて、の位置が△67のままなら、△77馬から詰みなのだ。
 
 これに敗れた米長は、2勝4敗のスコアで名人の夢を絶たれる。
 
 米長が悲願の名人位に就くのは、1993年のこと。
 
 このたった1手が、なんと14年という長き歳月と、振り替わってしまったのだ。
 
 
 ☆トリを飾るのが、米長邦雄の実に「人間らしい」1手。
 
 米長と中原は、少年時代から未来の名人候補と呼ばれ、自他ともに認めるライバル関係だった。
 
 だが、米長は当初、なかなか中原に勝てず、タイトル戦では初顔合わせからシリーズ7連敗を喫していた。
 
 これ以上負けられない米長は、1979年第20期王位戦でも、中原王位への挑戦者として名乗りを上げる。
 
 だが、3勝3敗でむかえた最終局、中原の機敏な動きに翻弄され、形勢は必敗に。
 
 懸命にねばる米長だが、中原は確実なと金攻めでにじりより、最後はスパッと決めに出る。
 
 
 
 
 
△48竜を取ったのが、カッコイイ手。
 
 ▲同角△58と、と引けば△79銀からの詰めろなうえに、角取りでもあって、後手が勝ち。
 
 進退窮まったに見えた米長だが、ここで渾身の勝負手をくり出し逆転の望みをかける。
 
 その根性の一手とは?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
▲67金寄が「泥沼流」米長邦雄の、本領発揮の一手。
 
 取れるを無視して、玉の逃げ道を開ける。
 
 絶望的な手のようだが、これが意外にしぶといのだ。
 
投了もあり得る局面での、まさかのねばりに、中原は1時間を超える大長考に沈む。
 
 そうして指された△99銀敗着で、△79銀なら、後手勝ちだった。
 
 △99銀以下、▲77玉、△78竜、▲同玉、△76歩▲61飛△41桂▲68金で先手玉は逃れている。
 
 
 
 
 △58銀▲76馬と払って、ついに受け切り。
 
 こうして勝ちはしたが、▲67金寄という手の意味はむずかしい。厳密には好手かどうかも、わからない
 
 だが、問題はそこではない。この手を見た中原は、
 
 

 「わけがわからなくなかった」

 

 
 述懐したが、そう、この手は正しい手というよりも、
 
 
 「相手を間違えさせる」
 
 
 という、魔力を持った一着だったのだ。
 
 将棋は最後に悪手を指した方が、負けるゲーム。
 
 米長のこの▲67金寄は、そのことを知りつくした、理屈を超えた、まさに


 「人間が人間に指す」

 
 という、異形の絶妙手といえるのだ。
 
 

 
 ……以上、どうであろうか。どれも将棋界に燦然と輝く、すばらしい手ばかりだ。
 
 え? なんか難しくてよくわかんない?
 
 その通り。そこに、将棋の妙手を紹介する、問題点があるのだ。
 
 なんといっても、難解で解説するのが大変。
 
 だって、書いている私すら、正直よくわかってないところも多々なのだから(苦笑)。
 
 一応、私も長年将棋を見てるし、指せばアマ二段くらいになったこともあるし、解説書も参照してるから、手順くらいは語ることもできる。
 
 けど、やはりその程度の棋力だと、ピンとこないところもあるのだ。
 
 なにかこう、高度な数学の問題の解答を見たときのような、
 
 
 「理屈として、もしくは知識としてはわかる」
 
 
 けど、心の底から理解できているのか、と言われると、ちょっとあやしいような……。
 
 その点、ポカトン死や駒のタダ取られなど、それこそ素人が見ても一発で「あちゃー」と共感してもらえるものが多く、ネタとしてあつかいやすいのだ。
 
 とはいえ、エビエ君の言うことももっともで、人の失敗だけをあげつらうのは、私としても、気が引けるところもなくはない。
 
 そこで次回からは、棋士リスペクトということで、できるだけわかりやすく、かつ見た目にもインパクトのある絶妙手を選んで、いくつか紹介してみたいと思う。
 
 最初に登場するのは、ポカ編と同じく、あのスーパースターからにしよう。
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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『将棋バカ一代 激闘! 大山ヤスハル伝』 大山康晴十五世名人の真実がここに(?) その2

2019年01月04日 | 将棋・雑談
 前回(→こちら)に続いて、『将棋バカ一代 激闘! 大山ヤスハル伝』を読む。
 
 自らの腕を磨くため渡米し、
 
 「将棋あばれ牛
 
 という異種格闘技マッチを戦う若きころの大山の脳裏に浮かぶのは、苦しかった戦後の記憶だ。
 
 
 
 
 
 難解な局面で、盤におおいかぶさって長考に沈む大山
 
 
 
 
 「ことわっておくが、あくまでも事実を忠実につたえるたてまえから誇張はない」
 
 
 そう言い切る梶原によると、特攻隊で死ねなかった大山はその後ヤクザ用心棒としてすさんだ生活を送っていた。
 
 ナイフで武装し、おそいかかってくるチンピラを相手にたったひとり立ち向かい、矢倉相掛かりを駆使し蹴散らしていたというのだ(そのころの大山はまだ居飛車党だった)。
 
 
 「1体10までの多面指しなら、絶対の自信があった……」
 
 
 当時を回想し、大山はこう述べているが、その無謀な戦い方は、まるで自らの死に場所を求めているようでもあった。
 
 そんな大山に転機が訪れたのが、ある書物との出会いだった。
 
 ふとしたきっかけで、吉川英治の書いた名著『SLAM DUNK』を手に取り開眼。そのまま、寝食を忘れ没頭する。
 
 中でも登場人物の一人である住友選手に自らを重ね合わせることから、自分本来の生きざまを取り戻していく。
 
 
 「あきらめるな、大山。形作りをはじめたら、そこで投了だぞ」
 
 
 死星が見えるほどの極限の戦いの中、大山はそう自分を奮い立たせる。
 
 
 
 
 
 
 山ごもり中の大山の姿。名人になるにはここまでの努力をしなければならないのだ。
 
 
 
 だがさしもの大山も、『SLAM DUNK』のみで、簡単に迷いがほどけたわけではない。
 
 その後、武者修行として山ごもりをし、自給自足の生活をしながら将棋に打ちこむも、人恋しさに苦しめられる。
 
 なべても、健康的な男子の御多分にもれず、若い女の色香に惑わされることに煩悶したが、ここで大山は重大な決意をする。
 
 そう、それが有名なあの丸眼鏡につながる。
 
 このふたつは、今では大山のトレードマークとしてあつかわれているが、元は山ごもりを続けるための苦肉の策だった。
 
 大山青年はをそり上げ禿頭を披露すると、あの牛乳瓶の底のような分厚いレンズの黒眼鏡をかける。
 
 それもこれも、人への未練を断ち、修行に没頭するためだ。
 
 
 「なんと丸眼鏡をかけた姿のキャラの立ち方よ。まるで、バトルロイヤル風間氏による4コマ漫画ではないか!」
 
 
 今の「大山名人」を思わせる、つるりとした頭と眼鏡の姿を鏡がわりのに映し、
 
 
 「これでは人里におりても、林葉直子さんにエッセイで《カワイイ!》と書かれてしまう。バカの顔だ。おこがましくも籠聖に対抗しようとする、将棋バカの顔だ」
 
 
 そう高笑う大山の姿は、物語前半のハイライトシーンだ。
 
 
 
 
 
 
 あえて「かわいい眼鏡」をかけることによって、下界とのつながりを断った大山。おそるべきストイックさだ。
 
 
 
 「あのときのことを思えば、牛の攻めなど児戯も同然。希望を捨てずに戦えば、かならずやそこに勝機あり!」
 
 闘志を振り絞る大山は、とうとう牛の角をがっちりとつかみ、押さえこみに成功。
 
 最後は得意の丁寧な受けで牛の攻撃を完封することに成功し、指し切りにみちびいたのだ。
 
 ついに牛は倒れた。将棋が猛獣に勝ったのだ!
 
 そのあざやかなしのぎに、シカゴの観客は感嘆。
 
 
 「ミラクルだ!」
 
 「ゴッド・ハンド!」
 
 
 これまでの罵声を忘れたかのように、賞賛の言葉を惜しまないのであった。それほどまでに、劇的な戦いであった。
 
 地獄から一転よみがえった男は、ライバルだった牛の屍をじっと見下ろす。
 
 そして今度は天をあおぎながら「紙一重の勝負だった……」と振り返り、
 
 
 「もうダメかとも思ったが、助からないと思っても助かっていることもあるのだな」
 
 
 そうつぶやいた。
 
 のちに大山が色紙や扇子などに揮毫するこの言葉は、この「コミスキー・パークの決戦」での体験が元になっている。
 
 これこそが、「神の手」ヤス・オーヤマ伝説のはじまりなのである。
 
 
 (続く……わけないな)
 
 
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『将棋バカ一代 激闘! 大山ヤスハル伝』 大山康晴十五世名人の真実がここに(?)

2019年01月03日 | 将棋・雑談
 『将棋バカ一代 激闘! 大山ヤスハル伝』を読む。
 
 大山ヤスハル十五世名人
 
 昨今の将棋ブームの中、ご存じの方も多かろう。名人18期をふくむ、通算タイトル数80期。棋戦優勝は数えること44回
 
 69歳で他界するまで、名人在籍時をふくむ44期にもわたってA級を維持し、今でもあの永世七冠の羽生ヨシハルとともに、
 
 「どちらが史上最強か」
 
 でファンの議論を呼ぶ、昭和の大巨人である。
 
 そんな偉大な棋士大山の生涯を、『虎仮面』『ジャイアント嵐』の梶原イツキと『恐怖人糞』の津田ジローの黄金コンビが伝えるというのだから、これがおもしろくないわけがない。
 
 これまで大山の伝記といえば、将棋ライターで『対局日記』シリーズでおなじみの川口アツシによる『大山ヤスハルの晩節』が定番であったが、『将バカ』原作担当の梶原は序文でこの本のことにふれている。
 
 その内容はやや批判的であり、ファクトよりも伝聞情報や自らの主観を重視した『晩節』では、大山の本当のすごさを伝えたことにはならないと。
 
 梶原はそこでアーネスト・ヘミングウェイ
 
 
 「事実を事実のまま完全に再現することは、いかにおもしろおかしい架空の物語を生み出すよりも、はるかに困難である」
 
 
 という名言を引き合いに出し、
 
 
 「その《困難》にあえて挑戦するしかない……」
 
 
 そう悲壮な決意を見せる。
 
 これは「事実よりも伝説」を重視する「川口史観」に対する挑戦状とも取れるではないか。
 
 
 
 
    
 作者の決意のほどがうかがえる熱い序文。
 
 
 
 
 こうして、徹底して「事実談」のみにこだわった『将棋バカ一代』は衝撃の幕開けを披露することになる。
 
 冒頭、まず和装で扇子を片手に、将棋盤の前にすわる大山の姿が描写される。
 
 おどろかされるのは、その舞台だ。
 
 大山が正座している場所は、将棋連盟の特別対局室でもなければ、多くの棋士が名勝負を演じてきた陣屋や龍言でもない。
 
 なんと、シカゴにある屋天競技場のコミスキー・パークなのである。
 
 しかも、大山がこれから相対しようとするのは、終生のライバルである升田コウゾウでも、乗り越えるべき名人の木村ヨシオでもない。
 
 その前に立つのは、獰猛な
 
 なんと若き日の大山は、自らの腕を磨くためアメリカにわたり、
 
 「将棋あばれ牛
 
 という異種格闘技マッチに挑戦していたのである。
 
 
 
 
 
 猛獣を将棋で倒す。はたして本当にそんなことが可能なのだろうか。
 
 
 
 いかな「巨人」大山といえども、あまりに無謀な戦いだ。
 
 実際、血に飢えたシカゴの観客たちも、
 
 
 「キル・ザ・ジャップ!」

  「ヤス・オーヤマ、クレイジー!」
 
 
 との声が抑えられない。まさに気ちがい沙汰だ。
 
 あの百戦錬磨の梶原ですら、この場面を、
 
 
 「私が現地の記者なら、芹沢ヒロフミ九段のごとく《狂ったか、大山!》と見出しを打つだろう」
 
 
 と述べている。
 
 だが、この異様な状況の中、大山だけが一人冷静だった。
 
 兄弟子である大野ゲンイチ九段
 
 
 「大山、お前は今日から振り飛車をやれ」
 
 
 というアドバイスに従って中飛車を選択した大山は、得意の手厚い将棋で牛を迎えうつ。
 
 だが、相手はいかんせん重量級の暴れ牛だ。「受けの大山」といえども、そう簡単に、その攻撃をしのぎ切れるものではない。
 
 実際、砂塵を巻き上げ、何度も襲いくる牛の突撃に陣形を乱され、
 
 
 「む、このままでは、死、あるのみ!」
 
 
 そう何度も覚悟するが、そこで脳裏をよぎるのが、戦後の闇市の風景だった。
 
 川口氏の『晩節』の中で、大東亜戦争中の大山は徴兵されるも戦場には出ず、内地にとどまり比較的平穏にすごせたということになっているが、これは
 
 
 「よくある都市伝説にすぎない」
 
 
 梶原は喝破する。
 
 本当の大山の姿は
 
 「特攻隊の死にぞこね
 
 絶望的な戦局で仲間たちが次々花と散る中、自分だけが生き残ってしまった無念に苦しむ日々を送っていたのだ。
 
 
 (続く→こちら
 
 
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