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北村ヂン「ライトノベルの表紙をおじさん向けにしてみよう」とミステリ&SF新旧比較

2020年06月25日 | おもしろ映像

 「ライトノベルの表紙をおじさん向けにしてみよう」という企画がおもしろい。

 一時期、本屋さんに行くとよく思ったのが、

 「昔読んだ本が、ずいぶんと今風の表紙になってるなあ」。

 アニメ化や映画化で、その1シーンが抜粋されているものは昔からあったが、昨今では売れっ子のマンガ家やイラストレーターが、今の読者層や若いファン開拓のため、オリジナルの絵で腕を振るうケースも多い。

 私はミステリファンなので、そこから例を挙げてみると、たとえば本格推理の巨匠エラリー・クイーン。

 中学生のころからお世話になってるハヤカワ・ミステリ文庫(ハヤカワでは「エラリイ・クイーン」表記)だと、こういうの。

 

 

 

 

 ちょっと抽象画チックなのが味である。「ハヤカワ(&創元)」率が相当高いウチの本棚には、この絵面がおなじみである。

 これが今だと、やっぱ地味だよなーということで、角川文庫の表紙がこちら。

 

 

 

 


 クールなエラリー様で、なかなかカッコイイ。

 越前敏弥先生の新訳もすばらしく、これなら「読んでみよう(買い直そう)」という気になるではあるまいか。

 アニメ調のイラストは、やはりジュブナイル系と相性が良く、ミスヲタ子供読み物の定番といえば、江戸川乱歩先生の『少年探偵団』シリーズ。

 これも、自分が小学校の図書館でむさぼり読んだのが、こういうの。

 

 

 

 

 

 

 ずいぶん時代がかった「少年読み物」といった絵柄だが、おそらくこれは当時の(1930年代!)「アニメ絵」のようなもので、子供の食いつきもよかったのだろう。

 これが、今だとこんな感じ。

 

 

 

 

 

 今の子が手に取るのは、こっちだなあ。実際、乱歩先生の作品は「怖い」という印象が強いから、それでスルーしちゃう子供もいるというし。

 同じく乱歩先生では、『屋根裏の散歩者』がこちら。

 

 

 

 

 

 「春陽堂書店」版ということで、ミステリ読みにはおなじみ。グレゴリ青山さんをはじめ、レトロ昭和ファンにはたまらん一品。

 それが今だと、こうなります。

 

 

 

 


 アニメ『乱歩奇譚』のものだけど、もう同じ内容の本とは思えません(笑)。

 てか、「青い鳥文庫」あたりで明智小五郎や小林少年にふれて、「もっと読みたい!」と目をキラキラさせている子供に、春陽堂書店のを見せたら、間違いなく泣くなあ。怖いよ!

 こういった変遷に関しては賛否両論で、お笑いコンビ「メイプル超合金」のカズレーザーさんのように、

 「表紙がアニメっぽいのが苦手なんですよ」

 という人もいれば、SF作家の山本弘さんのように、

 「ハヤカワのSFなどは、以前は挿絵がついているのが普通だった(カズさんはグレッグ・イーガンなど海外SFの大ファン)」。

 と反論される人もいて、たしかにジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの大傑作『たったひとつの冴えたやりかた』は川原由美子先生のイラストがイメージにピッタリで、その魅力も三倍増し、いやそれ以上のものになっている。

 これに関しては、どこまでいっても好みの問題だけど、私自身は中身は同じなわけだし、それだったらあまりに違和感のあるモノ(まあ、これも結構あるにはあるんですが)以外は、まあいいんでないかと。

 で、こういった流れを受けて、イラストレーターの北村ヂンさんが考えたのが冒頭の

 「ライトノベルの表紙をおじさん向けにしてみよう」(→こちら

 『涼宮ハルヒ』と『三姉妹探偵団』のコラボとか、いやもう同世代くらいの「元若者」には爆笑必至。

 岩波文庫版『エロマンガ先生』なんて、よく思いつくなあ。フランス書院版もいいね! いやあ、おもしろい。

 あとやっぱり、SFの世界で最強の「ジャケ買い」といえば、これでしょう。

 

 

 

 

 


 ジェイムズ・H・シュミッツ『惑星カレスの魔女』。

 表紙を描いたのは、もちろんのこと宮崎駿大師匠。これが平積みになってたら、とにもかくにも買うことになってしまう。

 中身の方は、「まあ、そこそこおもしろいスペースオペラかな」くらいだから、この表紙による魅力の「かさ増し」感はなかなかのもの。

 でも、やっぱり買って損はさせない、すばらしい絵ではないか。積読にするだけでも価値がある。

 ちなみに、原書はコレ。

 

 

 

 

 

 アメリカンだなあ。これまた、同じ作品とは思えませんねえ。
 

 

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深く、静かに抵抗せよ 沼野充義最終講義「チェーホフとサハリンの美しいニヴフ人  村上春樹、大江健三郎からサンギまで」

2020年06月16日 | 

 沼野充義最終講義「チェーホフとサハリンの美しいニヴフ人  村上春樹、大江健三郎からサンギまで」を観る(→こちら)。

 沼野先生といえば東京大学の教授であり、スラブ文学の第一人者。

 専攻のロシア・ポーランド文学のみならず、スタニスワフ・レムの翻訳や同人活動など、東欧SFの分野でも活躍。

 また、綿矢りささんやリービ英雄さんという現代日本文学作家との対談なども精力的に行い、「亡命文学」や語学・文学エッセイなどにもたずさわる。

 「世界文学」と接する者は足を向けて寝られない、それはそれは偉い人なのである。

 沼野先生とのファーストコンタクトは、学生時代に読んだ白水Uブックス『屋根の上のバイリンガル』。

 多民族国家アメリカで生きるロシア語や、イディッシュ語とドイツ語の関係性など、様々な言語について軽妙洒脱に語る良質なエッセイ。

 私も学生時代ドイツ語ドイツ文学を専攻していたため、語学エッセイを読むのが好きなのだが、この『屋根の上のバイリンガル』は稲垣美晴さんの『フィンランド語は猫の言葉』や、千野栄一先生の『外国語上達法』などと並んで、もう本がボロボロになるほど読み返したものだった。

 講義の内容は、ドミトリー・コヴァレーニン氏(ロシアにおける村上春樹人気に火をつけた日本文学翻訳家)とのフェイスブックでのやり取りからはじまって、前半は主に村上春樹さんの話。

 『国文学解釈と教材の研究』という雑誌で、中上健次さんと対談した村上さんが、フォークナーを祖とする中上さんに、自身のベースであるフィッツジェラルドでは弱いと、トルストイドストエフスキーを持ち出して対抗したとか。

 そこに諏訪部浩一氏と若島正さんが、パーティで将棋のはなしをしていたとかいう、楽しい脱線(これはすぐれた講義に必須である)も交えて、興味深い話題が盛りだくさん。

 なんだか、学生時代にロシア文学もそこそこ読んだけど、チェーホフって全然ピンとこなかったなーという、ボンクラ元文学部生にはもったないボリュームで、これが東大生以外も無料で聴けるのだからゴキゲンではないか。

 2時間近い講義が、ちょっと長いなーという人は、沼野先生もおっしゃるように、ニヴフ人の作家サンギさんのインタビューだけでも聴いてほしい。

 こういうお話を聞くと、やはりいつも思うのは、「言葉」というのは多様であり、また「生き物」でもあるということ。

 日本の外国語教育は、ほとんど100英語に偏りがちだけど、たまにでいいから、


 「世界はそれだけではない。数え切れないほどの英語以外の言語や文化があり、その価値はすべて等価である」


 という、当たり前の上にも当たり前にもかかわらず、ときに信じられないほど軽視されがちな、この真理にふれてほしいと願うものだ。

 それともうひとつ、講義の最後に沼野先生が残された言葉。

 アーカイブの1時間23分くらいのところだが、このコロナによる危機に「不要不急」の文学に、なにができるかという、いわゆる

 

 「飢えた子供の前では文学は無力」


 
 という根源的な問いに、こう答えておられるのだ。



 「どんなにおそろしい同調圧力のもとにあっても、心の中ではそっと不同意の姿勢をつらぬくこと」



 
 先生は静かに続けて、

 


 「そして、大声を張り上げなくてもよい。小さな大事なものを、そっと守り続けること。それはおそらくですね、文学に携わるわれわれ全員の仕事ではないかと思うのです」




 講義を終えて、さっそく積読になっていた先生『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』とスタニスワフ・レム『ソラリス』を読もうとページを開いたのだが、これがはかどらなくて困っている。

 それは、この最後の言葉以来、があふれてきて、ぬぐってもぬぐっても止めることができないからだ。

 なにかの作品や、だれか言葉にふれて「泣いた」という話は、そもそも恥ずかしいものだ。

 それは単に泣き顔がみっともないとか、「感受性の豊かな人」アピールと取られるのではないかというものと同時に、


 「心打たれて涙する」


 というのは、自分の心の中にある、もっともやわらかい部分を無防備にさらけだしてしまうせいだ。

 私にとってそれはきっと、「同調圧力への不同意」の姿勢と、「文学」、いやもっといえば小説映画演劇マンガ

 絵画お笑いライトノベルゲーム評論エッセイなど、ありとあらゆる「表現者」の仕事が持つ、


 抵抗者にあたえる勇気の力」


 これを信じていることだろう。

 たとえどんなに無力でも、そのことによって多数派が占める「心地よいグループ」に入れないとしても。

 暴力抑圧差別搾取を笑って肯定するような場に、「そっと不同意」の姿勢だけは示し続けていきたいと願っている。

 そんな私の微力なたましいを、沼野先生の言葉は静かに肯定してくれた。

 きっと、そんな気がしたからだ。

 

 

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「21歳名人」誕生 谷川浩司vs加藤一二三 1983年 第41期名人戦 第6局

2020年06月13日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 1982年の名人戦挑戦者決定リーグ戦(今のA級順位戦)で7勝2敗の好成績をおさめ、中原誠十段とのプレーオフ制し挑戦権を獲得した、まだ20歳谷川浩司八段

 挑戦者の勢いは七番勝負でもおとろえず、また加藤一二三名人が前期の名人獲得から長く調子が上がってこないこともあって、一気の3連勝と早くも名人奪取に王手をかける。

 あとひとつ勝てば名人戦史上最年少「21歳の名人」(谷川の誕生日は4月なのでシリーズ開幕直前に21歳になった)。

 日本列島を巻きこんだ「谷川フィーバー」も、ここピークをむかえたのだった。

 ただ大記録を前に、さすがの谷川も平静ではいられなかったか、第4局第5局と加藤名人の逆襲をゆるしてしまう。

 それでもまだ3勝2敗と有利だが、気持ち的にはそうは思えまい。

 後年、やはり初の名人戦で米長邦雄名人相手に3連勝スタートを切った羽生善治四冠も、ちょっとしたゆるみから第4局を落とし、第5局では完敗を喫すると、そこから

 

 「将棋界初(当時)の3連勝から4連敗の大逆転」

 

 を喰らってしまうのかと、かなり追いつめられたそうだが、やはり谷川浩司もまた人の子であり、「まさか」の妄念にさいなまれることになる。

 先手番ということもあって「決め所」ともいえる第6局。谷川はタテ歩取りからの、ひねり飛車にすべてをたくす。

 今ではあまり見なくなったが、このころは居飛車の主力戦法であって、

 

 「先手必勝の戦型が実現するとすれば、それはひねり飛車ではないか」

 

 という意見もあったほどなのだ。

 谷川が6筋から仕掛け、飛車交換になって、むかえたこの局面。

 

 

 先手が▲55歩と突いたところ。

 自陣のをさばこうという、自然な駒運びに見えるが、ここが危険な局面だった。

 ここで後手から、△68と、という手があった。

 

 

 ▲54歩と金を取ると、△58と、▲同金に△66角と金を取って、▲同角に△26飛が王手角取り。

 

 

 

 △68と、に▲同角と取るのも、やはり△26飛と王手金取り。

 ▲27歩△66飛▲57角の切り返しに△55角と出るのが、金取り解除しながら飛車ヒモをつけてピッタリで、どちらにしても先手の銀損が必至なのだ。

 

 

 谷川にとって幸運だったのは、加藤もまた、なぜかこの順が見えておらず、素直に△55同金と取ってくれたこと。

 これなら▲84飛の十字飛車で、攻めがつながる。

 一瞬のエアポケットだが、加藤がどう応じてくるか、まさに寿命が削られるような時間だったろう。

 大ピンチを切り抜けた谷川だが、やはりここからは、プレッシャーと戦わなければならない。

 その苦悶は手順にあらわれていて、この▲32角という手がいまひとつだ。

 

 

 王手飛車がきびしそうだが、ここでは▲32桂成という軽妙手があった。

 

 

 

 △同玉と取らせて、▲21角とここから王手飛車に打てば、△22玉▲54角成から▲21飛の2枚飛車で終了だった。

 ▲32桂成▲32角をくらべると、「玉は下段に落とせ」の格言通り、前者の方が感触がいいのは一目瞭然。

 谷川自身も、なぜこれが見えなかったかと後にいぶかしんだが、こんな簡単な手(谷川レベルなら)が指せないという、苦しい時間帯だったのだ。

 ▲32角に△44玉と逃げて、「中段玉寄せにくし」で嫌な形。飛車を奪ってせまるも、△71底歩も強力だ。

 少し手こずっている感もあるが、このあたりから落ち着きを取り戻したか、徐々に「らしい」手が出てくるようになる。

 

 

 

 △43角を殺されているのにかまわず、▲64歩と突き出すのが「前進流」の踏みこみ。

 △52銀▲72竜右と金を取って、△同歩に一転▲78金を殺して、大駒ゲットのお返し。

 やや強引だが、角が入れば、▲77角▲62角のような手で中段玉が照準に入ってくる。

 加藤も△57角成と食いちぎって、▲同歩に△89飛と攻め合う。これが、なにげに▲81もにらんでいて、油断のならない形。

 谷川は▲56歩と突いて、▲77角や▲66角をねらう。

 加藤は△55歩でそれを防ぎ、横腹が開いたのを見て先手も▲84竜と活用するが、そこで△73銀が、先の△89飛と連動して「勝負!」という受け。

 

 

 

 ▲同桂成なら、△84竜で先手のカナメ駒であるが抜ける。

 かといって、▲81竜のような手では、なにをやってるのかわからない。ここで谷川も気合負けしないとばかりに、▲同桂成と特攻。

 △84竜と取られても、▲63成桂とくっついて、攻めがつながっているという読みだ。このあたり、双方力の入った大熱戦である。

 

 

 

 

 クライマックスはこの局面だった。

 二転三転の戦いは、ここへきて、まだ難解という声が多かったそう。

 検討していた中原誠十段や、谷川をライバルと噛みつく田中寅彦六段なども、先手が勝ちそうだが、決め手が見つからないと頭を悩ませている。

 だが谷川は、少ない時間と激烈なプレッシャーの中、見事に正解を見つけるのだ。

 

 

 

 

 ▲71飛と打つのが、濃い霧をつらぬいて道を示す、一筋の光だった。

 次に▲72飛成とすれば、▲73馬からの詰めろで、ほとんど受けなしだが、かといってそれを止めるピッタリした手がない。

 検討陣も発見できなかった、これが「光速の寄せ」だ。

 加藤名人は△49と、と取り、▲72飛成△78飛と攻防に打ちおろすが、冷静に▲76歩と止められて逃げられない。

 

 

 

 ここで△62金が最後の抵抗だが、同時に形作りでもある。

 後手玉に詰みがあるからだ。

 

 

 

 ▲73馬と切って、△同金。ここまではよかった。が、ここで事件が起こる。

 谷川が次の手を指さないのだ。

 すでに将棋は終わっているのに、これはどういうわけか。

 信じられないことに、なんと谷川はここでもまだ、後手玉の詰みを発見できていなかった

 手の流れから、自分が勝ちであることはわかっている。

 でも、どうすればそこにたどり着けるのか、霧はまだ完全に晴れてはいなかった。

 手順にすれば、たったの9手詰

 寄せの問題として出されれば、落ち着いて考えればアマ初段クラスでも解けるレベル。

 ましてや、詰将棋に定評のある谷川浩司なら0、01秒で仕留められるはずなのだ。

 なのに、それがわからない。「光速の寄せ」の、まさかの大迷走

 このときの谷川は▲75銀、△55玉、▲66金まではわかっていたが、その次の手が見えず▲65金を取って、△43玉でハッキリしないと読んでいたそう。

 思考が堂々めぐりになり、あせりと重圧で苦しみに苦しみぬいたところで、ようやっと、今度こそ、最後の試練をクリアできた。

 詰みを発見したのだ。▲75銀、△55玉、▲66金、△54玉に▲44金と打ったところで加藤が投了。

 

 

 

 △同銀、▲52竜、△53合、▲43銀まで。

 谷川はこの▲44金が、盲点になっていたのだ。

 この瞬間、名人位が「苦節22年」43歳の加藤一二三から、まだ21歳の青年の元に移った。

 伝説が生まれる瞬間の様子を、直木賞作家である江國香織さんのお父様、江國滋氏が書いている(改行引用者)。

 


 ああ、という押し殺したような声とともに、挑戦者が不意に喘ぎはじめた。

 息苦しそうに顔を左右にはげしく動かし、手さぐりでひろいあげた純白のハンカチを急いで口元に押し当てながら、肩で大きな呼吸をくり返した。

 どう見ても嘔吐をこらえているとしか思えない苦悶の表情だった。

 荒い息づかいのまま、ハンカチを捨て、お茶をひと口すすり、メガネをはずし、おしぼりをぎゅっと両目に押し当てた。ああ、という声がおしぼりの陰から聞こえた。

 『最後の最後まで詰みが見つからなかった』(局後の第一声)という、その7五銀を見つけた瞬間の、これが谷川浩司新名人の反応だった。


 

 (「加藤一二三名人」誕生のシリーズは→こちら

 

 

 

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コロナ日記 タイのハヌマーンと『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』

2020年06月10日 | おもしろ映像

 いろいろ大変なときは「バカ映像」にかぎる。

 昨今のコロナ危機で、不便な思いを強いられているが、こういうときはマヌケ動画を観て笑うのが一番リラックスできる。

 前回はプロレスラーが家をバンバン破壊しまくる狂った映像や、伝説のカルトゲーム『アイドル八犬伝』をおススメしたが(→こちら)、今回は『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』(→こちら)。

 タイで制作されたという、ちょっと変わり種のウルトラマン映画だが、これが昭和の特撮ファンにはおなじみの怪作

 私も子供のころ見たが、いわくいいがたいインパクトを残す、ヘンな作品であった。

 オープニング、宇宙の異変で、太陽が接近しはじめ、地球は干ばつにみまわれている、という説明からはじまる。

 このままでは、地球は滅亡してしまうかもしれない。

 続いて、場面はロケット基地に。

 ここでは水不足に悩む人類のため、降雨ロケットで、人工的に雨を降らせる実験をやっているのだ。

 白衣を着た博士が、科学の力で世界を救うのだと力説したところ、助手の女性から、こんなアドバイスを受ける。

 

 「仏様の力を忘れてしまっては、いけないと思うわ」

 

 日本の感覚だと、怪しい新興宗教のセリフみたいだが、タイは敬虔な仏教国なので、実は全然おかしなものではない。

 実際、博士も「仏ってなんやねん!」みたいなツッコミを入れず、「そうだな」と素直に納得している。

 このあたり、宗教アバウト国家である、日本の感覚ではピンとこないところだ。
 
 そう、この映画のなんかヘンなところは、映画自体の出来もさることながら、この

 

 「日本とタイのカルチャーギャップ」

 

 からくることが多いのだ。

 その最たるが、猿神ハヌマーンが、仏像泥棒を成敗するところ。

 そもそも、このハヌマーンというヒーローも、ビジュアルからしてアレなうえに、元がおさん。

 なもんだから、ピョンピョン飛び跳ねたり、クネクネとタイ舞踊を舞ったりして、ちっとも落ち着きがない。

 

 

 

 

 ハヌマーン先生の飛行シーン。もちろん笑うところではありません。

 

 

 そんな妙にポップなヤツが、いざ殺人犯の仏像泥棒を巨大化して追いかけた日には、

 

 「逃げてもムダだ」

 「生かしてはおけぬ」

 

 なにやら不穏なセリフが。

 しかも、捕まえて罰をあたえるとか、警察に突き出すとかという順も踏まず、いきなり足でプチッと踏みつぶす。

 おいおい、いきなり処刑すなよ、それも勝手な自分の判断で、とつっこみたくなるが、ハヌマーン先生はますます絶好調で、

 

 「ほーら悪党め、どうした」

 「逃げてもムダだあ」

 「観念するんだホラァ!」

 「おまえたちを殺してやるゥ!」

 

 殺してやるゥ

 なんだか、正義の味方というより、ただの快楽殺人犯のようでステキであり、一時期流行った言葉でいえば、に出して読みたい日本語というやつだ。

 アジアの灼熱プラス気候変動で、汗みずくになり必死で逃げる泥棒に、

 

 「逃げられると思っているのか?」

 「ほーら逃げろ逃げろ」

 「仏様を大切にしろ!」

 「しないヤツは死ぬべきなんだ!」

 

 

 

 

「殺してやるゥ!」

 

 たしかに歴代ウルトラマンも、愛や友情や布団を干すことの大切さを語ってきたけど、別にそれをしなかったとて「死ぬべき」とまでは言わなかったはず。

 ほーら逃げろ逃げろとか、もはや釈明の余地なく弱者をいたぶることを楽しんでます。

 まあ、根が子供やからなあ……。

 なんだか、一時期流行った、ドナルドの「ランランルー」を彷彿させるコワさである。

 このあたり、やはり日本とタイの文化の違いで、殺人もさることながらタイでは仏像を盗むというのは、とんでもない大罪

 なんで、「それくらいされても、文句は言えん」くらいのもんだそうなのだ。

 子供のころ読んだ、江戸川乱歩大先生の『怪人二十面相』シリーズで、賊はよく仏像を盗んでいるけど、タイであれをやると巨大猿に足の裏でプチッ

 まさに、ところ変われば品変わる。

 ただの泥棒でも「万死に値する」行為なんですな。アンドレマルローは反省するように。

 きわめつけが、これは特撮ファンには有名な「ゴモラ虐殺事件」。

 ハヌマーンとウルトラ6兄弟が協力して、首尾よく怪獣を撃破した後、最後に残ったゴモラをボッコボコにするシーンだ。

 7人1匹を囲んで、殴る蹴るのやりたい放題。

 みじめに転がるゴモラを、で踏む、バット(実際は剣だが鈍器に見える)を振り下ろす、尻尾を持って引きずり回す。

 しまいにゃエースタロウが肩を押さえて、背後からバットで何度も強打。どう見ても、ヒーローの所業には見えません。

 

 

 

エースとタロウに押さえさせ、楽しそうにゴモラを金属バットで殴り続けるハヌマーン先生

 

 

 今なら「イジメ行為につながる」と炎上しそうというか、当時からすでに

 

 「ウルトラマンたち、ヒドイ!」

 「またハヌマーンが楽しそうに暴力をふるうんや」

 

 などと爆笑……大いに心を痛めたものであった。

 バットをくるんと返すところが、またイジメっぽさを助長させる。

 他にも、子役のまわりで容赦なく火薬を爆発させまくるわ(子供のにも仕掛けてないか?)。

 ロケット基地のエリートパイロットが死ぬほど馬鹿面だわ(だからZATの制服が似合う)、なんで『ミラーマン』の怪獣やねんとか、とにかく全編つっこみどころだらけ。

 まさに、「歴史のほとんどの時期が黒歴史」といわれる円谷プロの、まごうことなく本物の黒歴史

 のちのタイとのもめごとなども鑑みると、まさに「ガチ中のガチ」ともいえる存在。

 みんなで観て笑って、この難局を乗り切る一助となれば幸いである。

 

 

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「史上最年少名人」への道 谷川浩司vs中原誠 1983年 第41期名人挑戦プレーオフ その2

2020年06月07日 | 将棋・名局
 前回(→こちら)の続き。
 
 藤井聡太七段が第91期棋聖戦で「史上最年少タイトル挑戦者」になった。
 
 これを受けて『りゅうおうのおしごと!』の著者である白鳥士郎さんは
 
 
 「28連勝」
 
 「史上最年少タイトル挑戦者」
 
 
 この二つを「絶対に破られない」記録として設定したのに……と呆然とされておられたが、ならついでに、この記録はどうだと挑んでもらいたいものが、谷川浩司のこれであろう。
 
 1983年、第41期名人戦の挑戦者決定プレーオフ
 
 前期の名人である中原誠十段と谷川浩司八段の決戦は、谷川先手で相矢倉に。
 
 
 
 
 
 ▲46角△64歩に、谷川の次の手が「マジか」とおどろく強手だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲75歩と打ったのが、ケンカ上等のすごい手。
 
 △同銀とされて、前進させてしまうが、続けて▲76歩
 
 後手は△86歩と突いて、▲同歩、△同銀、▲同銀、△同飛、▲87歩、△82飛
 
 
 
 
 
 この局面を見ると、先手の▲75歩はお手伝いのように見える。
 
 わざわざ一歩わたしたうえに、ゼロ手を進出させ、さらには飛車先銀交換もゆるし、その間、先手は有効な手を指していないどころか、歩切れにおちいっている。
 
 後手の棒銀を見事にさばかせてしまって、私がやれば「雑魚認定」の手順だが、もちろん谷川には、深い読みの裏づけがあってとのこと。
 
 強引に手にしたを、どう使うかだが……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲51銀と打つのが、ねらいの1手。
 
 △53角▲13桂成や、▲14歩、△同歩、▲同香一歩手に入れて、▲54歩と打つ。
 
 
 
 
 △71角▲64角王手飛車取り
 
 いきなり▲53同飛成、△同金に▲71角の強襲もありそうで、これも谷川の攻めが炸裂しそうだ。
 
 
 
 
 
 大技が決まったようだが、中原は△53銀と打ち、▲42銀成に、△同金寄として、駒損だが先手も歩切れとあって、存外むずかしい。
 
 
 
 
 
 
 このあたりの、中原のの深さもさすがである。
 
 谷川は▲65歩と突いて攻撃を継続。そこから激戦に突入。
 
 終盤、双方に勝ちの局面があったようだが、おたがいに逃す感じで、むかえたこの局面。
 
 
 
 
 
 先手は飛車が封じられ、▲24角と取るようでは、△23銀と味よく拠点を払われていけない。
 
 先手難局と思われたが、ここで谷川は中原をはじめ、だれも気がつかなかった妙手を披露し「フィーバー」を継続させるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲73銀と打つのが、すばらしい着眼点。
 
 パッと見、効いてるかどうかはかりかねるが、ねらいはすぐわかる。△92飛▲64銀成とし、△同金▲同角
 
 △35銀タダで取られるが、そこで▲66飛(!)がファンファーレの鳴りひびく活用劇。
 
 
 
 
 
 
 端に隠遁し、まったく活躍のめどが立っていなかった飛車が、一気に主役に躍り出た。
 
 ▲64が玉にねらいをつけ、▲23の存在もすさまじく、後手にまったく受ける形がない。
 
 まさに「景色が変わる」とはこのことではないか。
 
 こんな大一番で、歴史に残る名手を指せる谷川は、まさにスターだった。
 
 この若き谷川の進撃が、どれほどの衝撃だったかは、中原のその後の指し手を見れば伝わってくる。
 
 直撃弾を喰らってボロボロになりながらも、中原はひたすらに指し続ける。
 
 それはクソねばりにすらならない、ただ「投げきれない」という希望のない延命措置にすぎないが、名人9連覇(当時)や「五冠王」の実績のある大棋士が、そんなみじめな局面でも投げないところに、この将棋の重みがある。
 
 王者中原誠が、はじめて「下から追ってきた者」に抜かれる瞬間だからだ。
 
 河口俊彦八段の『対局日誌』によると、中原の宿命のライバルであり、名人位を取れず苦しんでいた米長邦雄王将棋王はこう言ったそうだ。
 
 

 「谷川くんが名人になったら、ワシャ気が狂うだろうね」
 
 
 祭は華やかだが、その舞台裏にも見えないドラマがある。
 
 棋聖戦で敗れた佐藤天彦永瀬拓矢は、ライバルと称されている佐々木勇気増田康宏は、いったいどんな気持ちだったのだろうか。
 
 そんな「神の子」谷川浩司の姿を見て、全国の少年たちが「名人」にあこがれ、奨励会に入ってくる。
 
 その中に、羽生善治をはじめ佐藤康光森内俊之村山聖郷田真隆といった面々がいて、またもうひとつのフィーバーを生み出すのだが、それはまだ少しばかり先の話である。
 
 
 (「谷川浩司名人」誕生の一局編に続く→こちら
 
 
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「史上最年少名人」への道 谷川浩司vs中原誠 1983年 第41期名人挑戦プレーオフ

2020年06月06日 | 将棋・名局
 ついに「史上最年少タイトル挑戦者」の記録がぬりかえられることとなった。
 
 前回は昭和の豪傑「マキ割り流」佐藤大五郎九段の将棋を紹介したが(→こちら)、今回は最新のホットなニュースから。
 
 先日行われた第91期棋聖戦の挑戦者決定戦で、藤井聡太七段永瀬拓矢叡王王座を熱戦の末に破って、待ち望まれたタイトル戦への登場を決める。
 
 これにより、ここまでの最年少記録だった屋敷伸之四段17歳9か月24日1989年後期の第55期棋聖戦)を「4日」上回っての記録更新。
 
 これがいかにすごいことかといえば、将棋小説『りゅうおうのおしごと!』の作者である白鳥士郎さんのツイートを借りれば、
 
 
 私が『りゅうおうのおしごと!』を書き始めた頃、将棋界には「絶対に破られない」とされる記録が2つありました。
 
 1つは神谷先生の28連勝。
 
 もう1つが屋敷先生のタイトル挑戦最年少記録。
 
 ラノベなのでそのうちの1つを破らせた設定にしたんですが、現実さんは1人の少年に2つとも破らせちゃうとか…
 
 
 まだ28連勝の方は羽生善治九段の22連勝、丸山忠久九段の24連勝、山崎隆之八段の22連勝など
 
 「これ、ワンチャンあんじゃね?」
 
 なことも、ちょいちょいあったものだが、この「おばけ屋敷」(屋敷が当時呼ばれたのニックネーム)の記録だけは30年近く破られる気配もなく、ビクともしなかったのだから、今回の藤井七段の快挙が、いかに「はなれわざ」だったか、わかろうといものではないか。
 
 もちろん、次のねらいは「史上最年少タイトルホルダー」。
 
 相手が充実著しい渡辺明三冠となれば、そんな簡単ではないが、今の勢いなら期待は充分。
 
 私など気が早いタイプだから、こうなったらどこまで記録を塗り替えられるか早速、とらたぬで皮算用をしてみたくなる。
 
 「八冠王」「タイトル100期」「通算2000勝」
 
 は究極の目標として、やはり目立つところでは、1967年中原誠十六世名人による年間最高勝率(8割5分4厘)と、羽生善治九段が「いっぱい将棋を指したな、と」と振り返る年間最多対局(2000年の89局)かな。
 
 なんて楽しくデータベースをめぐっていたのだが、ここにひとつまた「絶対に破られない」とされる記録があることに思い至った。
 
 うーん、これもその時期が来れば、相当話題を呼びそうだ。
 
 それはまだ時代が昭和だったころ、ある天才棋士が「フィーバー」を起こした話で……。
 
 
 1982年、将棋界はかつていない「フィーバー」が巻き起こっていた。
 
 今の将棋ファンにとって「フィーバー」といえば言うまでもなく「藤井フィーバー」だし、われわれ世代だと羽生善治九段「七冠フィーバー」というのがあったが、その前となると、谷川浩司が起こした大旋風のことになる。
 
 1982年から83年にかけての第41期名人戦挑戦者決定リーグ戦(今のA級順位戦)で、谷川八段は7勝2敗の好成績をおさめ、プレーオフへと進出。
 
 ここで前名人である中原誠十段に勝って挑戦権を獲得し、加藤一二三名人を破れば名人戦史上最年少の「21歳名人」という、大記録を達成することになるのだ。
 
 将棋界のシステムでは、他の棋戦では原則デビュー1年目からタイトルホルダーになれる可能性があるが、こと名人戦だけは順位戦という制度があるため、挑戦者になるには最低でも5年かかってしまう。
 
 つまり、「21歳名人」になるには、デビューからほとんどノンストップで階段を駆けあがっていかなければならない。
 
 ましてやそれを越えようと試みるものなら、まず14歳の「中学生棋士」になったとしても、順位戦でC2からA級まですべて1期抜け」でクリアしなければならないことに(谷川はC2で1度足止めを喰らっている)。
 
 名人15期中原誠十六世名人の初戴冠が24歳、十九世名人の資格を持つ羽生善治九段(獲得9期)ですら23歳なのだから、まさに「光速」を凌駕するタキオンのパワーが必要となるのだ。
 
 制度的に、勢いやまぐれだけでは絶対に不可能な、まさに神業的快挙ではないか。
 
 私はこのとき、まだ将棋に興味を持ってなかったので、リアルタイムで体感してないが、この「谷川フィーバー」も、またすごかったという話はよく聞く。
 
 たしかに当時の写真などを見ると、対局室は報道陣でごったがえしており、テレビ中継も入っていたりして、その熱気は充分伝わってくるものがある。
 
 このあたりのことは私も何度も読み返した、中平邦彦さんの『名人 谷川浩司』という本にまとめられているので、ぜひ一読していただきたい。
 
 マスコミでごった返す中行われた名人挑戦プレーオフは、谷川先手で相矢倉に。
 
 
 
 
 
 ▲46角と出た手に、中原が△64歩ととめたところ。
 
 ここで「前進流」の激しい手が飛び出す。
 
 これが、いかにも谷川らしい強気、かつ強情な手で思わず笑みがこぼれるのだ。
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
 
 
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コロナ日記 プロレスラーvs家屋 『アイドル八犬伝』と「キミはホエホエむすめ」

2020年06月03日 | おもしろ映像

 いろいろ大変なときは「バカ映像」にかぎる。

 昨今のコロナ危機で、不便な思いを強いられているが、私のストレス解消法はマヌケな動画を観ること。

 前回オススメしたのは『ウルトラマンレオ』の第1話と2話で流れた日本沈没のシーンや、意外とスゴイ戦前のハリウッド特撮などだが(→こちら)、今回もすぐれた破壊を見てみたい。

 

 特撮ドラマの破壊は、主に天災怪獣によるものだが、「人力」での破壊もときにはいい。

 昔、プロレスファンの友人に見せてもらって、めたくそに笑った動画(→こちら)。

 橋本真也獣神サンダーライガーといった、プロレス素人の私でも知ってる有名レスラーが、家屋と戦う。

 もう、なんのこっちゃという話だが、そういうことなのである。とにかくパワフルである。

 で、阿呆だ。もちろん、ほめ言葉

 リピートかけてくり返し見てたら、もうむやみにテンションが上がって、元気が出ること間違いなし。

 

 ラストはキュートなアイドルの映像で締め。

 西園寺エリカの名曲「キミはホエホエむすめ」(原曲は→こちら。カバーは→こちら)。

 ファミコン世代の私に、当時の推しゲーを3つ挙げろと言われれば、1位は『ファイアーエムブレム』だが、3位の『キャプテン翼2』を押しのけて2位に入るのが『アイドル八犬伝』。

 なによりこのゲームを伝説にしたのが、ハチャメチャなストーリーやキャラにくわえて、『地球防衛少女イコちゃん』の河崎実が作詞を手掛けた、メインテーマの「キミはホエホエむすめ」。

 この電波ソングに10代だったころ、やられてしまった。「オチャメなムスメ ベルマーク」って、完全に気ちがいの仕事だ。

 私がアイドルというものに、いまひとつハマれないのは、もしかしたら人生が「西園寺エリカ」一択になっているからかもしれない。ありがトーワチキ。MDMAはやらないでね。

 

 (『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』編は→こちら

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