大山康晴十五世名人といえば盤外戦術である。
大山名人はかつて、ライバルたちに盤上以外で大いに「カマシ」を入れて、精神的なアドバンテージを握る戦いを得意としてきたと言われている。
そこで今回は犬猿の仲だったと言われる内藤國雄九段に対して行った、ちょっとエグすぎる盤外戦術を紹介……。
みたいなノリで、内藤のインタビューなどをもとに棋王戦での因縁をあれこれ書いたのだが、えーと、すいません、ここで一言。
なんかそれ、いろいろ間違ってたみたいです。
スイマセン、今から(2023年10月18日)訂正しますので、ぜひ最後まで読んでください。
内容としては、1974年に「最強者決定戦」という棋戦を発展的解消させ誕生した棋王戦のこと。
その第1回大会で優勝した内藤は、タイトル獲得と、最強者決定戦よりも大幅アップされた優勝賞金に
「自分も西の横綱になれた」
感慨にふけっていたが、大山が会長を務める連盟からものいいがつき、
1・タイトル戦への昇格は来期から。従って今期は第一回棋王で来期の優勝者を第一期棋王とする
2・今期の優勝賞金は据え置き。
つまりは「タイトル獲得」ではなく、ただの「棋戦優勝」であり、賞金アップも無いでっせ、と。
このことが大きなショックだった内藤は、各所でこの話をしており、たとえば『将棋世界』の引退特別企画「酒よ、夢よ、人生よ さらば将棋」という語り記事でも、
おまけにタイトル戦に昇格は来年から、と優勝者の顔を見てからそんなことをする。大山会長に嫌われてると思ったね。
内藤からすれば、
「なんぼワシのことがキライいや言うたかて、こんなヒドイ嫌がらせあるかあ?」
てなもんであり、「昭和将棋界」のアクの強さを示す、ひとつの例かと思って紹介したのですが、3年後の2023年10月18日にコナーさんという方からコメントをいただきました。
それがこの記事で、
新棋戦は『棋王戦』と名付けられた。
中原誠名人、大山康晴十段をはじめ現役の全棋士が参加する大型棋戦で、来年からは名人戦、王将戦、十段戦、王位戦、棋聖戦に次ぐ6番目の公式タイトル戦に昇格することが約束されている。
(将棋世界昭和49年4月号より抜粋)
来年からは名人戦、王将戦、十段戦、王位戦、棋聖戦に次ぐ6番目の公式タイトル戦に昇格。
ほえー、ちゃんと『将棋世界』に書いてあるやん!
コナーさんの指摘通り、この記事は昭和49年4月号で、第1回棋王戦の決勝が、昭和49年12月から翌1月。
「優勝者の顔を見てから」どころか、大山からすれば
「先に言うてるし、専門誌にも載ってるし。なんでオレが、そんなヤカラ入れられなアカンねん」
てなもんであろう。
つまりこれは、内藤が勝手に「第1回棋王戦をタイトル戦」と思いこんで、大山に文句をつけていたということになる。
上記の『将棋世界』の発売号数を見れば、そうとしか考えられない。
だとしたら、これはすごいカン違いですね。
なんて、それをそのまま紹介した私が言えた義理でもないですが、そんなことがあるんですねえ。ビックリしました。
ということで、この「棋王戦事件」は内藤國雄九段の誤解だということが判明しました。
お詫びして、訂正いたします。コナーさん、ご指摘ありがとうございます。
あと、文中で「大山会長」と書いてましたが、これもコナーさんによると、
大山先生が会長になったのは1976年(昭和51年)12月からです
との指摘を受けただけでなく、
間違いが多すぎて大山先生が気の毒です。
いやホント、申し訳ないです……。
キチンと調べないといけません。お気楽な感じで書いてますが、内容が内容なので本気で反省しております。
この件に関しては内藤先生の勘違いなので御存命中に誤解が解ければいいなと思います。
そうコナーさんもおっしゃってましたので、今回はここに記事内容を訂正します。
幸いにといいますか、この記事は「大山 内藤」や「内藤 棋王戦」で検索すると、わりと上の方に出てくれているみたいなので、だれも読んでいない最新記事に書くより、直接こちらを直した方がいいと判断しました。
ただ、間違ってこんなことを言うのは不謹慎ですが、好奇心を刺激されました。
じゃあなんで、だれもこのことを内藤先生に教えなかったのかとか、すごい不思議です。
こんなもん事情を知ってる棋士とか、ファンとかスタッフとか、それこそ大山先生と仲の良かった大御所(丸田祐三九段とか)が「内藤さん、それ間違ってるよ」と一言言えば、てへぺろですんだように見えるから。
なんでずーっと、思いこんだままだったんだろう。そして、それを周囲は放っておいたのか。
このあたりのことに、くわしい方がいらっしゃれば、引き続き教えていただければ幸いです。