チバユウスケが死んだ。
ミッシェル・ガン・エレファント、ROSSO、The Birthdayなどで活躍したミュージシャン。
その独特にしゃがれた声と、意味不明なように見えながらも不思議な魅力を醸し出す歌詞で、ファンを魅了してきたボーカリスト(兼ギター)。享年55歳。
このニュースに茫然としたのは、私が日本のバンドでもっとも熱狂し、繰り返し聴いたのはミッシェル・ガン・エレファントであるから。
CD全買いはもちろんのこと、ライブにも出かけ、カラオケでは『リリィ』『バードメン』『ハイ!チャイナ!』『ドッグ・ウェイ』などを熱唱。
解散ライブにも飛び、もちろんROSSO、The Birthdayも追いかける。
なんといっても、私の名前こそがROSSOの名曲「シャロン」から取っているのだから、その耽溺ぶりはおわかりいただけるのではあるまいか。
ミッシェルと初めて出会ったのはアルバム『ギヤ・ブルーズ』が出たころだから1998年末から1999年の春くらいだろうか。
それまで私は中学高校とクラシック、その後は映画音楽とかドイツ語やってた影響でテクノとか、そこから進んでプログレ。
古いフレンチポップスとか世界の民族音楽とか、メジャーなミュージックシーンからは無縁な音楽ライフを送っていた。
そこへの出会いは本当にひょんなことで、たしか立ち読みした雑誌のコラムかなんかで、
「ミッシェルの新譜がヤバイ」
みたいな記事があって、たまたま行きつけのレコード屋のポイントがたまってたかなんかで、じゃあ買ってみるかとなったとか、そんなんだった。
で、聴いてみたら、これが衝撃だった。
開口一番の長いベース音から始まって、『ドッグ・ウェイ』『キラー・ビーチ』『ブライアン・ダウン』『ソウル・ワープ』などが次々と刺さり、耳と胸をゆさぶられた。
それまで名前しか知らなかったミッシェルだったが、ここでその魅力に目覚めた。目覚めざるを得なかった。
とりあえず、次の日から地元の店から日本橋の中古屋をめぐり、『チキン・ゾンビーズ』など過去のアルバムもあさりまくる。
別冊宝島ムック『将棋これも一局読本』で行方尚史九段が長尺のエッセイでミッシェルについて語りまくり、読みながら深くうなずいていたのもこのころ。
ミッシェルにもらったものは、曲以外にもある。
ひとつは30代前半に心身のバランスを崩したとき。
このとき私を救ってくれたのは、東海林さだおさんの『丸かじり』シリーズに『ジャンボーグA』など昭和のB級特撮、それに「スイミング・ラジオ」や「シャンデリア」だった。
またミッシェルのおかげで、それまでほとんど縁のなかった音楽の数々に知り合えたことも大きかった。
お約束のようにブランキー・ジェット・シティに進み、ナンバーガール、椎名林檎、GO!GO!7188、ストレイテナー、くるり、レディオ・キャロライン。
そこからもラジオや雑誌のインタビューやコラムなどで「ミッシェルいいよね」という人がいれば、その人が他に聴いているアーティストを捜し歩く。
そこでも上々颱風、チャットモンチー、フランツ・フェルディナンド、ボストンなんかも聴いたり、たぶんミッシェルに出会わなかったら、このあたりとも、もしかしたら交差しなかった可能性もある。
このようにチバユウスケは、私のピンチを救ってくれたヒーローであり、多くの実り多き世界へと導いてくれた使者であり、人生を豊かにしてくれた恩人でもある。
これからは、ロックンローラーとして「カッコイイ歳の取り方」を指南してもらえるはずだったが、それがかなわず残念だ。
だれかが死んだときの対応は様々だろうが、私はなるたけ悲しまず、明るく送りたいと考える。
それが正しいかどうかはわからないけど、自分だったらそうしてほしいなと思うから。
そのためにはやはり、チバの残してくれた名曲の数々を聴いて、昔みたいに踊り狂いたい。
幸い週末には実家に帰る用事があるから、押し入れの奥にしまってあるライブDVDを久方ぶりに見直そう。
そして今度はこちらから「I love you baby」の声を送り、軽くなるだけであとはトぶだけ。