サンタクロースが死んだ朝に、イナズマを呼んできて欲しいと言え 追悼チバユウスケ

2023年12月07日 | 音楽

 チバユウスケが死んだ。
 
 ミッシェルガンエレファントROSSOThe Birthdayなどで活躍したミュージシャン。
 
 その独特にしゃがれた声と、意味不明なように見えながらも不思議な魅力を醸し出す歌詞で、ファンを魅了してきたボーカリスト(兼ギター)。享年55歳。
 
 このニュースに茫然としたのは、私が日本のバンドでもっとも熱狂し、繰り返し聴いたのはミッシェル・ガン・エレファントであるから。
 
 CD全買いはもちろんのこと、ライブにも出かけ、カラオケでは『リリィ』『バードメン』『ハイチャイナ!』『ドッグウェイ』などを熱唱。
 
 解散ライブにも飛び、もちろんROSSO、The Birthdayも追いかける。
 
 なんといっても、私の名前こそがROSSOの名曲「シャロン」から取っているのだから、その耽溺ぶりはおわかりいただけるのではあるまいか。
 
 ミッシェルと初めて出会ったのはアルバム『ギヤブルーズ』が出たころだから1998年末から1999年くらいだろうか。
 
 それまで私は中学高校とクラシック、その後は映画音楽とかドイツ語やってた影響でテクノとか、そこから進んでプログレ
 
 古いフレンチポップスとか世界の民族音楽とか、メジャーなミュージックシーンからは無縁な音楽ライフを送っていた。
 
 そこへの出会いは本当にひょんなことで、たしか立ち読みした雑誌のコラムかなんかで、
 
 
 「ミッシェルの新譜がヤバイ」
 
 
 みたいな記事があって、たまたま行きつけのレコード屋のポイントがたまってたかなんかで、じゃあ買ってみるかとなったとか、そんなんだった。
 
 で、聴いてみたら、これが衝撃だった。
 
 開口一番の長いベース音から始まって、『ドッグ・ウェイ』『キラービーチ』『ブライアンダウン』『ソウルワープ』などが次々と刺さり、耳と胸をゆさぶられた。
 
 それまで名前しか知らなかったミッシェルだったが、ここでその魅力に目覚めた。目覚めざるを得なかった。
 
 とりあえず、次の日から地元の店から日本橋の中古屋をめぐり、『チキンゾンビーズ』など過去のアルバムもあさりまくる。
 
 別冊宝島ムック『将棋これも一局読本』で行方尚史九段が長尺のエッセイでミッシェルについて語りまくり、読みながら深くうなずいていたのもこのころ。
 
 ミッシェルにもらったものは、曲以外にもある。
 
 ひとつは30代前半心身バランスを崩したとき。
 
 このとき私を救ってくれたのは、東海林さだおさんの『丸かじり』シリーズに『ジャンボーグA』など昭和のB級特撮、それに「スイミングラジオ」や「シャンデリア」だった。
 
 またミッシェルのおかげで、それまでほとんど縁のなかった音楽の数々に知り合えたことも大きかった。
 
 お約束のようにブランキージェットシティに進み、ナンバーガール椎名林檎GO!GO!7188ストレイテナーくるりレディオキャロライン
 
 そこからもラジオや雑誌のインタビューやコラムなどで「ミッシェルいいよね」という人がいれば、その人が他に聴いているアーティストを捜し歩く。
 
 そこでも上々颱風チャットモンチーフランツフェルディナンドボストンなんかも聴いたり、たぶんミッシェルに出会わなかったら、このあたりとも、もしかしたら交差しなかった可能性もある。
 
 このようにチバユウスケは、私のピンチを救ってくれたヒーローであり、多くの実り多き世界へと導いてくれた使者であり、人生を豊かにしてくれた恩人でもある。
 
 これからは、ロックンローラーとして「カッコイイの取り方」を指南してもらえるはずだったが、それがかなわず残念だ。

 だれかが死んだときの対応は様々だろうが、私はなるたけ悲しまず、明るく送りたいと考える。

 それが正しいかどうかはわからないけど、自分だったらそうしてほしいなと思うから。
 
 そのためにはやはり、チバの残してくれた名曲の数々を聴いて、昔みたいに踊り狂いたい。
 
 幸い週末には実家に帰る用事があるから、押し入れの奥にしまってあるライブDVDを久方ぶりに見直そう。
 
 そして今度はこちらから「I love you baby」の声を送り、軽くなるだけであとはトぶだけ。 
 
 
 

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「硬式野球部」とか「ロック」とかが醸し出す謎の「格上」感について

2023年08月24日 | 音楽

 変わった趣味の人を見ると話を聞きたくなるのは、自分が将棋ファンだからだろう。

 ということで、前回ここで

 

 「数値などに出る《タテの評価》ならわかるけど、《ヨコの価値観》に優劣をつけようとする発想が、あまり意味がない

 

 という話をした。

 要するに「100メートルを何秒で走るか」「テストで何点取れたか」は一応(これもあくまで「一応」だけどね)優劣はつけられるが、

 

 「軟式テニスと硬式テニス」

 「アニメ映画と実写映画」

 「カポエイラと殺人空手」

 

 といったような「横並び」のものに、どっちが上とか下とか言っても、たいした意味もないし、そこで生まれる「マウントの取り合い」にも興味ないわけだ。

 なんてことを考えた、きっかけのひとつに、高校時代の思い出がある。

 今はどうか知らないけど、私が10代のころはスポーツと言えば圧倒的に野球がメジャーであった。

 たとえばサッカーが今のように普及するのは1998年ワールドカップからで、それ以前は国民的スポーツと言えばもうこれがプロ野球高校野球が圧倒的だったのである。

 そのせいか、わが母校である大阪府立S高校でも、野球部が妙にイバッていた。

 なんであんな、他の運動部より「格上」感出してたんだろうか今でも謎だが、なーんとなく「ウチらは花形クラブ」って空気感で校内を闊歩していた。

 そもそも野球に興味ない生徒にとっては、そんなもん「ゴージャス松野の今」くらい興味ない。

 加えてウチの世代のチームはなんと、公式戦で1勝もできないまま引退してたのに、それでも自信満々で本当に不思議だったのだ。

 まあ、S校は校風的に超ゆるかったから暴力的だったとか、そんな嫌な思いをしたわけでもないけど、

 

 「根拠がよくわからない」

 

 というところが、個人的な引っ掛かりではあったのだ。 

 私の感覚では野球部もテニス部も、茶道部も文芸部も同じクラブ活動にすぎないからだ。

 翻訳家で、ポールオースタースティーブンミルハウザーの名訳でも知られる柴田元幸先生は、あるエッセイでこんなことを書いている。

 


 一九六〇年代なかばのベトナムが舞台のアメリカ映画『グッドモーニング・ベトナム』では、ポルカとロックンロールが対照的に描かれている。

 ポルカは、上官が「正しい娯楽」として押しつける、圧倒的に退屈な音楽。

 ロックンロールは、上官がマユをひそめる、兵士たちに圧倒的に人気のある音楽。

 ロビン・ウィリアムズ演じる人気DJが米国放送でロックンロールをかけまくり、兵士たちは大いに盛り上がる。

 そりゃ確かに、歴史的に見ても、当時ポルカという音楽が、新しいエネルギーや創造性をみなぎらせていたとは思わない。

 明らかにロックンロールの方が、時代の息づかいを敏感に捉えた音楽であっただろう。

 でも、自分の正しさを大声で言うのはみっともないことである。ロックをそういう独善のなかに持ち込んでほしくない。

 

   ―――柴田元幸「がんばれポルカ」


 


 古いロックを愛する柴田先生だからこそ、あえて言いたくなったのだろう。

 私もあの映画におけるロビンの「独善」にはウンザリしたクチ。

 彼はきっと将来、若者にロックを「正しい娯楽」として押しつけるに違いない。あー、イヤだ、イヤだ。
 
 別に音楽に優劣なんてない。でもなんか、時にまるでロック(人によってはクラシックだったりジャズだったりそれぞれ)が「すぐれた音楽」であるかのようなアピールをする人がいる。

 音楽にはくわしくないけど、それこそロックがそういう態度を取るのは「ロックじゃねーな」という気分にはさせられる。

 実際『20世紀少年』をはじめ「ロック世代」の描く

 

 「ロックは世界を救う」

 

 みたいな作品には一様にロビンと同じ、そういう欺瞞がかくされている気がするぞ。

 ポルカもロックも、クラシックジャズアニソンも、アイドルソング演歌歌謡曲もすべてヨコに等価である。

 そこあるのは、ただ「好き」という感情だけだ。

 でもそれを、そのときたまたま「権力」があるからといって振り回すような者がいれば、そういう人とはあまり友達になりたくないものである。

 


 ★おまけ

 (ゆかいな「不発弾マニア」についてはこちら

 (「スイッチマニア」の友人についてはこちらからどうぞ)

 

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イントロクイズが苦手な私は、昭和・平成ブームに乗れない昭和・平成人

2022年09月09日 | 音楽

 イントロクイズの時間になると地獄である。

 人づきあいの中では、ちょいちょい「ゲーム」をする機会というのが出てくる。

 仕事関係の忘年会ならビンゴとか、合コンなら王様ゲームとか、そういった類だが、これが困りものである。

 もとより、あまりノリのよくないタイプから、こういう「イェーイ!」な場がダメなのだが、中でもマックス苦手なのが、音楽のイントロクイズ

 というと、同年代くらいのオジサ……もとい人生の古強者たちは、

 

 「わかるなあ。オレらもう、今の若い子の曲とか知らないもんね。クイズやるなら、ZARDとかWANDSとか持って来いよ」

 

 などという、われわれ世代が上司などから「宮史郎とぴんからトリオ」の話を聞かされたがごとき、ヤングにピンとこない、いにしえのボヤキを発するのだが、私の場合、症状はもっとひどい

 もちろん音楽くらいは聴くが、イントロクイズの題材にされるようなヒットソングにはあまり縁がないため、世代とか関係なしに、どんな曲を出されても、そもそもついていけないのだ。

 なので、わが同胞たちがヒップホップ米津玄師の新曲に苦戦する中、彼らの言う「ZARDとかWANDS」の他にも、ミスチルスピッツ長渕剛のような、時代を超えて聴かれているアーティストすらわからない始末なのだ。

 いや、そりゃ私だって邦楽だったらミッシェル・ガン・エレファントは大好きだし、ストレイテナーとかサンタラとかナンバーガールとか、GO!GO!7188とか筋肉少女帯とかも聴きますよ。

 でもこういうラインアップって、比較的メジャーだけど、絶妙にイントロクイズとかには出ないラインというか、少なくとも私はあまりテレビのクイズ番組などで、聴いたことがない。

 カラオケでも、あんまし盛り上がらない。やはりこういうのは、CMソングとかアニメの主題歌とか国民的アイドルとか「全員が知ってる」というのが大事なんだけど、なかなかそうはならないのだ。

 答えを聞いた瞬間、みなが「あー」「なるほどー」と共感を生み、「聴いたことはあったんやけどなー」と悔しがるリアクションが取れるような。

 どうも私の好みは、そこをはずしているらしい。

 こないだもサウナに行ったらテレビで、

 

 「今の若者に昭和・平成時代のアイドルやアーティストが大ブーム!」

 

 みたいな特集をやってたんだけど、そこで取り上げられるのは広瀬香美『ロマンスの神様』とかブラックビスケッツ『タイミング』とか、竹内まりやとか、小田和正とか、杏里とか、やはりサッパリである。

 おいおい谷山浩子とか、上々颱風とか、ブランキー・ジェット・シティとか、フェアチャイルドとか、オレが聴いてたような歌はブームにならへんのかい!

 うーん、別にマイナーってわけじゃないと思うんだけど、メディアの露出度とかの問題なのかなあ。タイアップとか。

 いや、これは音楽のみならず、人生のすべての面においてそうかもしれないが。オヨヨ悲しい。

 こうなるともう、ボヤくとしても同世代仲間のように「ZARDとかWANDS」ではなく、

 

 「今の若い子の曲とか知らないもんね。クイズやるなら、ブラームスとかコール・ポーターとかウード・リンデンベルクとかシルビィ・バルタンとか持って来いよ」

 

 などと、時代性もへったくれもない内容になってしまい、クイズには答えられないわ、同世代トークでも置いてけぼりだわ、まさに踏んだり蹴ったりなのであった。

 こないだ観た映画『ジュディ 虹の彼方に』(傑作です!)でクイズやってくれたら、全問正解できる自信あるんだけどなあ。

 劇中歌の『ゲット・ハッピー』だけじゃなく、『スワニー』とか『サンフランシスコ』とか『アレキサンダーズ・ラグタイムバンド』とか。

 だれか、対戦しませんか?

 

 

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ジュディ・ガーランドの名曲とレネー・ゼルウィガー主演『ジュディ 虹の彼方に』

2020年02月23日 | 音楽

 ジュディ・ガーランドの伝記映画『ジュディ 虹の彼方に』を楽しみにしている。

 『オズの魔法使』で歌われた「Over The Rainbow」(→こちら)を代表曲とする、ハリウッドで一時代を築いた女優であり歌手。ライザ・ミネリのお母さんとしても有名。

 それを、『シカゴ』ですばらしく困った女であるロキシー・ハートを演じたレネー・ゼルウィガーで映画化となれば、これが期待するなという方が無理である。

 ジュディ・ガーランドを知ったのは、まだ浪人生だったころ。

 そのころから本格的に映画へとのめりこんでいた私は、ヒマがあればというか、予備校に行ってなかったのでヒマだらけだったのだが、せっせと近所のレンタルビデオ屋に通って様々な作品を浴びるように鑑賞していた。

 当時から私も好みがかたよっていたというか、どちらかといえば最新ヒット作よりも古い作品の方が好みであって、周囲が『スピード』や『ダイ・ハード』シリーズを楽しむ中、ヒッチコックやビリー・ワイルダーを堪能し、

 「おお! 梅田のACTシネマヴェリテではエルンスト・ルビッチ特集がやってるやん!」

 「よっしゃ! プレストン・スタージェスの『レディ・イヴ』と『パームビーチ・ストーリー』のVHS(!)見つけた!」

 なんて一喜一憂していたのだから、なんとも独自がすぎる映画ライフであった。

 そういった渋好みのラインアップにもうひとつ、「古いミュージカル映画」というのもあった。

 ミュージカルというと日本では宝塚か劇団四季の『ライオンキング』『オペラ座の怪人』あたりが思い浮かぶかもしれないが、私が好んだのはコニー・ウィリスの『リメイク』に出てくるような、もっと能天気な方。

 「アステア&ロジャース」のシリーズとか『雨に唄えば』に代表されるMGMのとか、いかにもアメリカ的楽天性があらわれている作品だ。

 そのひとつである『イースター・パレード』が、ジュディとのファーストコンタクト。

 映画の内容としては、まあたわいないっちゃあたわいないんだが(MGMのミュージカルにそれを求めてはいけません)、そこで初めて見たジュディ・ガーランドの歌声に、すっかり魅了されてしまったのである。

 彼女の声は一言でいえば伸びる、張りがある、一本芯の通った太さがあり、それでいて耳に心地よい。

 私はいわゆる「歌のうまい」歌手には興味がないのだが、この人だけは別格だったなあ。ハマっちゃったよ。

 「Over The Rainbow」のような静かな曲もいいんだけど、やはり彼女の伸びやかな声は明るい曲調やコメディーソングこそある気がする。「スワニー」(→こちら)とか「サンフランシスコ」(→こちら)とか。

 『イースター・パレード』でも、フレッド・アステアとボードビルの劇場に出ているシーンがいい(→これとか→これとか)。喜劇もできる女優って、ただの美人より何倍も魅力的に見えるものなのだ。

 これですっかりジュディにまいってしまった私は、彼女の他の作品を次々と観た……かったのだが、これがなかなか見つからずに苦労した。

 もともと、日本で有名になってる作品にあまり出ていないため、そもそもソフトが少ないのだ。『オズの魔法使』『若草の頃』くらい。

 晩年の傑作『スタア誕生』はちょっと重いし、『ニュルンベルク裁判』に関しては歌もダンスもないし。

 そんな渇望感を満たしてくれたのが、『ザッツ・エンタテインメント』シリーズだった。

 伝説ともいえるディアナ・ダービンに競り勝ったオーディション映画の模様や(→こちら)、「雨に唄えば」(→こちら)「アイ・ガット・リズム」(→こちら)など当時の名曲に「バックヤード(裏庭)・ミュージカル」シリーズの名シーンなど、お腹いっぱい堪能できます。

 そんな才能あふれまくりの彼女だが、私生活の方は残念ながら幸福とは言えず、体形維持のために飲まされていた覚醒剤(!)をはじめ、仕事のストレスなどもあって薬とアルコールにおぼれていく。

 精神的にも不安定になり、遅刻や無断欠勤が重なりスタッフにもうとまれ始める。

 ついには『アニーよ銃をとれ』の主役を降ろされ解雇の憂き目にあい、夫だったヴィンセント・ミネリともうまくいかず離婚と、すべてを失うハメに。

 このあたりのことは、ラジオ「たまむすび」での町山智浩さんの解説にくわしいけど(→こちら)、とにもかくにも彼女はその実力はだれしも認めるところだったが、「ハリウッド・バビロン」の犠牲者でもあり、ついに幸せにはなれなかった。

 ただそれでも、私は彼女の歌声を、演技とダンスも愛している。

 輸入盤に入っていた「ザッツ・エンタテインメント」(→こちら)「アレキサンダーズ・ラグタイムバンド」(→こちら)はもう英語版で歌えるほど聴いたもの。

 虎は死して皮を残すが、エンターテイナーはたとえ不幸でボロボロになっても、すばらしい歌や感動や笑いを残す。

 その壮絶な人生を知ったあと、「Over The Rainbow」を聴き直すと、また別の味わいがあって胸にくる。「There's No Place Like Home」と唱えながら、最後まで「Home」に恵まれなかった。

 そんな彼女を、レネー・ゼルウィガーは渾身の力で演じたという。歌も吹替えなしというのだから、すごいもの。

 『ジュディ 虹の彼方に』。久しぶりに、映画館に行こうかと思わせてくれる作品であり、今回はまあ私のヨタ話なんかよりも、ジュディ・ガーランドの曲をたくさん紹介したいがために書いてみました。

 にしても、音楽といえば周囲がGLAYだミスチルだスピッツだと言ってるときに、ひとりこういうのばっかり聴いてたんだから、われながら変な若者だったなあ。

 

 

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大槻ケンヂ、清水伯鳳と「闇部隊・ブラック」について大いに語る

2017年05月08日 | 音楽
 清水伯鳳という人物をご存じだろうか。
 
 以前、大槻ケンヂさんがエッセイで何度か紹介されており知ったのだが、この人の人生というか生き様というのが、実にハッタリがきいていてよい。
 
 オーケンによると、清水氏は
 
 
 「世界各国の要人を守るプロボディーガード一家の17代目」
 
 
 いきなり、ハッタリがきいている。池上遼一先生とか、一昔前の劇画に出てきそう。
 
 「プロボディーガード」だけでなく、「一家」とつくところが、またいい。
 
 そんな彼の所属する極秘部隊は、その名も「闇部隊・ブラック」。
 
 闇部隊ブラック。
 
 これまた、レインボーマンとかコンドールマンとか、昔のヒーロー特撮に出てきそう。死ね死ね団とか。
 
 なんでも、この組織は
 
 
 「国家レベルの極秘事項」
 
 
 だそうだが、清水氏の著作に堂々と紹介されており、そのあたりがまた落合信彦というか角川春樹風味で、ナイス極秘である。
 
 そんな清水氏は当然、幼少のころから英才教育を受けることに。
 
 要人警護のための、日夜猛特訓を課されていたのだが、その内容というのが、
 
 
 「食事は片足立ち」

 「その際、テーブルはなく上げている方の足の膝に皿を置く」

 「もし落としたら一食抜き」

  「夜は丸太の上で寝る」
 
 
 映画『少林寺三十六房』を思わせる修行、というか苦行。内容的に、
 
 
 「すごいのはわかるけど、それって意味あるの?」
 
 
 そう疑いたくなるあたりも、味わい深い。
 
 しかも、にいてもスキあらば、父親や祖父が襲いかかって来るという。
 
 もちろん寝ているときでも。24時間、気が抜けないのだ。
 
 よく思春期の女の子などが、
 
 
 「ウチの両親、すごく干渉してくるの。マジウザイ」
 
 
 なんて愚痴を言ったりしているが、清水家とくらべれば、たいしたことはなかろう。
 
 というか、これってほとんど児童虐待なのでは?
 
 そんな清水一家も、時には家族で旅行することもある。
 
 だが、もちろん「闇部隊・ブラック」の人間に、のどかな旅行などあるはずもない。
 
 ハイキングでを登り大自然にふれ、「パパ、空気がきれいだね」なんて深呼吸でもしたところで、清水パパはこう宣言するのだ。
 
 
 「ここで生きてみろ!」
 
 
 どんな宣言だ
 
 凡百の育児書には決して載っていないであろう、オンリーワンすぎる親父の子育てメソッド。
 
 さらにはコブラマングースを戦わせて
 
 
 「ここから一瞬の攻撃を学び取れ!」
 
 
 なんてイメージトレーニング(たぶん)をさせられたり、いきなり飛行機に乗せられて、パラシュート初体験なのに決死のダイビングを敢行とか、もうやりたい放題。
 
 まるで虎の穴竜牙会。私が子供なら、「気ィ狂うとんのか!」とのつっこみが抑えられないところだ。
 
 そんな過酷な試練をクリアすると待っているのが、卒業試験
 
 でまた、その内容というのが、
 
 
 「麻薬中毒からの更正」

 「電気ショック」

  「足の指の間にキリを刺す」
 
 
 三つの中からひとつ選んで、
 
 「これに耐えてみろ!」。
 
 いや、どれも普通に拷問なんスが……。
 
 ここまでで充分にお腹一杯な気持ちだが、修行にはさらに続きがある。
 
 無事卒業試験を終え(ちなみに「キリを刺す」を選ばれたそうです)ボディーガードとして一人前になったのかといえば、そこにはまたもやパパが立ちはだかり、こんな指令が。
 
 
 「お前は笑うということを知らない。それではいかん。今すぐお笑い芸人に弟子入りしろ」
 
 
 国家機密レベルのボディーガードが、なぜお笑い
 
 やはりこれからの時代には、警護にもユーモアのセンスが大事なのだろうか。
 
 これを受け、清水氏は実際に萩本欽一さんの付き人をやっていたそうある。
 
 欽ちゃんファミリーだったのか。これは、さすがの私も、
 
 「オーケン、それは話作ってるやろ!」
 
 つっこみたくなったが、後日『欽ちゃんの仮装大賞』にゲストで出たオーケンが、欽ちゃんご本人にたずねると、
 
 
 「あ、清水君、いたね。無口な人だったよ」
 
 
 ホンマの話やったんかい!
 
 そんなハードなんだかスットコなんだか、よくわからない清水伯鳳さんには娘さんがおられるそう。
 
 「筋肉番付」や「ウルトラマンメビウス」他にも、なんと「水戸黄門」にまで出演しているアクション女優さんなのであった。
 
 写真を拝見したが、清水あすかさんといって、とってもおきれいな方。
 
 雑誌『映画秘宝』ではお父さんに続いてオーケンと対談し、「正拳突き」についてマニアックな知識(テレビと違ってバックスイングを取らない、とかなんとか)を披露されておられた。
 
 やはり彼女もお父さんから、「ここで生きてみろ!」と密林の中に放り出されたのであろうか。
 
 想像するだに、実にハッタリがきいていて、いい話である。
 
 18代目の活躍が、今から楽しみだ。
 
 
 
 
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おそるべき替え歌すりこみ体験記 「朝まで働けダウンタウン」『ロッキー』のテーマ編

2017年04月04日 | 音楽

 前回(→こちら)に続いて、替え歌の話。

 替え歌というのは楽しいが、同時に呪縛力もすごい。

 一度でもな歌詞がインプットされてしまうと、もうの歌詞では歌えなくなってしまうこともあり、注意が必要だ。

 フランツシューベルトの「軍隊行進曲」が、ファミコンゲーム『チャレンジャー』の一面のBGMにしか聞こえなくなったり。

 日本中で愛される「たぬきのきんたま」が、実のところ元ネタは荘厳な宗教音楽だったりと、一度すりこまれてしまったら、もう

 

 「あのころの自分には戻れない」



 そこで前回、ベートーヴェン第九と、カップうどん「どん兵衛」のコラボ(?)について語ったが、もうひとつ強烈な印象を残した替え歌というのがコレ。

 

 「ロッキーのテーマ」



 『ロッキー』といえば、今さら説明するまでもなく、シルベスタースタローン主演の映画。

 無名のボクサーくずれであるロッキーが、再起をかけて戦うストーリーもさることながら、この作品を後世に残す要素に、あのテーマソングがある(→こちら)。



 パパーパー、パパーパー。



 名曲であり、ボクサーのみならず、気合いを入れるために聴く映画の曲としては、『地獄の黙示録』のヴァーグナーと双璧を為すであろう。

 ちなみに私はヴァーグナー派ボンクラはなぜかヴァーグナーが好き。パンパパパーパーパンパパパー。

 そんな名曲ロッキーだが、はじめてこの曲と出会ったのは、映画ではなく、おもしろコントであったところが不幸のはじまり。

 大阪で年末に放映していた『朝まで働けダウンタウン』という番組で、今田耕司さんと東野幸治さんが組んでコントをするというコーナーがあったんだけど、その「Wコージ」が披露したネタというのが、「ロッキーのテーマ」。

 そこで二人は、合唱隊の皆さんとともに、あの名曲を替え歌にするのだが、その歌詞というのが、


 エイドリアンはブサイク

 いつも毛糸の帽子

 だけど彼女はフランシス・コッポラの妹

 それでもヒロイン

 ロッキーの恋人

 そんな彼女はフランシス・コッポラの妹



 Youtubeなどでも、残念ながら見つからなかったんだけど、これがもう、はじめて聴いたとき、腹をかかえて笑ってしまった。

 これは、実際に耳にしてみないと、なかなか、わからないかもしれない。

 だまされたと思ってみなさまも、ロッキーのテーマにのせて、何回か歌ってみてください。そのメロディーとのハマりっぷりがわかります。

 エイドリアンはブサイク、いつも毛糸の帽子、「ほっといたれよ」という話である。

 まあたしかに、あのタリアシャイアの貧乏くさ……もとい生活感あふれる雰囲気があるからこそ、あの「エイドリアーン!」というギャグも生きるわけだが(あれはギャグじゃないって)。

 さらに悪かったのが、これに大ウケした私だけでなかったこと。

 クラスの悪友たちも、やはりこの替え歌に爆笑し、



 「おい、年末のダウンタウン見たか」

 「今田東野のコント、めっちゃ笑ったなあ」



 などと報告しあい、冬休み中、遊びに行くといえば皆で

 

 「えいどりあんは~」

 

 と歌いまくったのである。インプリンティング完了

 こうなると、もうオチはおわかりであろう。

 私が映画にハマって、洋の東西を問わず見まくることになるのは20歳くらいのことであったが、その中にもちろんのこと、『ロッキー』も存在した。

 本来なら、『ロッキー』はそのハングリーさからいって、島本和彦アオイホノオ』のモユル君のごとく、男の燃える魂を、ガンガンと打つはずであった。

 嗚呼、だがあにはからんや。私の脳には、すでにあの替え歌がインプットされている。

 おかげで、ロッキーのロードワークのシーンも、リング上で見せる不屈闘志も、

 

 「そこや、ロッキー、がんばらんかい!」

 

 感情がグッと高ぶった瞬間、頭の中に流れるのは



 「えいどりあんは~ぶさいく~」



 これでは、どんな感動的なシーンも腰砕けである。

 ロッキーとエイドリアンの、素朴で不器用な愛のシーンでも、

 

 「いつも~けいとのぼ~し~」



 だめだあ! 全然感動できない。もうトホホのホである。

 かくのごとく、私は替え歌の影響力により、一本の映画から感動を奪われた。まさに「映画が盗まれている」。

 もしかしたら、ここをお読みの方の中には『ロッキー』を未見で、かつ素直にも私の言う通りにあの歌詞を5、6回歌ってしまった、という人がおられるかもしれない。

 だとしたら、もうあなたは爆笑することなく、あの映画を観ることはできません。

 それほど、この替え歌は強烈。ご愁傷様としかいいようがない。



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おそるべき替え歌すりこみ体験記 『藁の中の七面鳥』&ベートーベン交響曲第9番『歓喜の歌』編

2017年04月03日 | 音楽

 替え歌のすりこみというのはおそろしい。

 人を洗脳し、思うままにあやつろうという試みは、オウムやFBIのMKウルトラ計画などなど様々あったものだが、



 「一度とりつかれると、もうその通りにしか行動できず、元の人生に戻れなくなる」



 という意味では、ゆかいで、よくできた替え歌というのは、その最たるかもしれない。

 最近では『森のくまさん』がどうとか騒動があったけど、『隣組』と『ドリフのビバノン音頭』とか、『太陽戦隊サンバルカン』と『愛國戦隊大日本』など、私の中ではすでに「本家越え」されていると言っていい。

 映画『戦場に架ける橋』で有名な『ボギー大佐』を、



 「サル、ゴリラ、チンパンジー」



 この歌詞で歌うなど、だれが最初に考えたのかわからないが、もはや「天才の仕事だ」と感嘆するしかなく、今さら

 「の歌詞はこんなんやで」

 と持ってこられても困るくらいだ。

 かように、強烈な「すりこみ力」を持つ替え歌が、「洗脳」を主目的とするCMで使われるのは必然というもの。

 私も数々の名作替え歌で、「元歌詞クラッシュ」の憂き目にあった。

 古い話で恐縮だが、私の世代だと『藁の中の七面鳥』はすべて、



 「あっらこんなーとっころに牛肉が、たまねーぎーたまねぎあったわね」



 としか歌えなくなる(そんなCMがあったんです→こちら)。

 この曲を聞くと、運動会のフォークダンスではなく、ハッシュドビーフが食べたくなるのだ。

 そのインパクトたるや、なぜか桜玉吉さんがマンガの中で頻出させたくらいのもので、今考えると、なにかこう絶妙に「イラッとさせる」要素があったらしい。

 学校などで訊くと、

 

 「あのCМ、なんかムカつくよな」

 

 という声もよく聞いたし、当時のボキャブラリーからしても、



 「そもそも、ハッシュドビーフってなんやねん!」



 というつっこみも入るところだ。

 下町育ちのガキに、横文字のメシといえばカレーラーメンくらいなのである。

 まあ、悪名は無名に勝るという意味では、これだけ視聴者の心をザワザワさせた、ハウス食品のヒット作といえるかもしれない。
 
 食べ物関係でいえば、ベートーヴェン交響曲第9番ニ短調もアウトだ。

 俗に「歓喜の歌」といわれるアレだが、この曲にはじめて接したのが、1万人の第九とかではなく、これがどん兵衛のCM。

 今だと、このCMといえば思い浮かぶのは上戸彩さんか、あるいはスマップ中居君といったところだが、私が子供のころといえば、山城新伍さんと川谷拓三さんでおなじみだった。

 年末になると、年越しそば販売を見越して、けっこうどん兵衛のCMを見ることとなるのだが、そこで流れるのが歓喜の歌。

 新伍&拓三が、合唱団を引き連れて歌う、その歌詞というのが、



 「仕事納めだ正月近い みんなで楽しく天ぷらそば食べよう」



 これが、歓喜の歌のメロディーに合わせて流れてくる(→こちら)。

 これを毎年聞かされた私は、この曲といえば

 

 「フロイデ、シェーネー、ゲッテルフンケン」

 

 ではなく、

 

 「しーごとおさめーだ」。

 

 だれがなんといおうと、そうなってしまう。

 学生時代、私はドイツ文学が専攻だったので、ベートーヴェンというよりシラーとしてこれを暗記したが、そんな自分でも、暗唱しながら脳内に流れるのはやはり、すべての人が兄弟にどうたらとかではなく、どん兵衛なのだ。

 さあ、みんなも歌ってみよう。しーごとおさめーはー。

 もう、あなたは、あの時代には戻れない。

 のちに、この曲を再ブレイク(?)させる『新世紀エヴァンゲリオン』の第弐拾四話において碇シンジ君が、



 「カヲル君、キミが何をいってるのかわからないよ!」


 悲鳴を上げていたけど、私にははっきりと、あのメロディーとともにカヲル君が、



 「楽しく天ぷらそばを食べよう」



 と言っていることは、わかるのである。


 (「ロッキーのテーマ」の替え歌編に続く→こちら



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ひとりカラオケで、心ゆくまでアニメソング特撮ソングを歌いたい! その2

2017年02月12日 | 音楽
 前回(→こちら)の続き。

 「先輩、今度オレとひとりカラオケにつきあってくだいよ」。

 などという、論理学の試験なら一発不合格を食らうであろう、不可思議なお誘いをしてきたのは後輩ナミマツ君であった。

 それには深いわけがあり、歌いたいのが古いアニソン特ソンの彼にとって「ひとり」なのはいろいろと都合がいいものの、ギャラリーがいないのもそれはそれでさみしい。

 そこで、「飲み食いさすから、だまってオレの歌を聞いておいてくれ」とのお願いなのであった。

 なるほど、たしかに「ひとりカラオケ」だが、これだと「誘う」必要もあろう。それに、そんなもん会社の忘年会や女子との飲み会でやった日には、どっちらけになることが目に見えてます。

 みながモテようとスキマスイッチの「奏」を歌い上げる(東京03情報)中、ひとり『行け!行け!メガロマン』とか『宇宙鉄人キョーダイン』を熱唱してたら、そらいけません。まわりにも迷惑です。

 あー、そういわれると、その「ひとりディナーショー」につきあえるのは、オレだけかもなあ。

 不肖この私も、今はそうでもないが、子供のころはテレビっ子で、アニメや特撮は大好きだった。

 ヒーローものは『バイオマン』、アニメは『牧場の少女カトリ』で止まってるけど、それ以前なら全然大丈夫。

 古いのなら、生まれる前に放映してた『ファイヤーマン』とか、『科学忍者隊ガッチャマン』でもいける。昔はアニメの再放送とかよくやってたし、それよりなにより「教養」として知ってるものだ。

 これは、若者や女子には無理だろう。まあ、そこまで「オレでなきゃ」という条件がそろってたら、これはもう先輩としては行ってあげるしかあるまい。私も妙なところで人がいい。

 善は急げと、駅前のカラオケボックスに行きライブ開始。部屋に入るなり、ドリンクの注文もそこそこに、もう1秒でも惜しいとナミマツ君歌う歌う。その生き生きとしていること。

 そうだよなあ。女の子がいる場で『ハカイダーのテーマ』とか歌えないよなあ。『戦闘メカ ザブングル』とか。カッコイイんだけどね。

 それにしても、フライドポテト食いながら、後輩のヒーローソングを聴いてる私ってなに? 先輩の威厳は?

 って気がしないでもないが、そこはもう「酔狂エンジン」全開で声援を送る。少なくとも、聞いたこともないJポップよりは、こっちも反応しやすい。
 
 それにしても、あらためて古いアニメソングや特撮ソングを聴いていると、「わかりやすいなあ」と思う。

 歌詞は五七調。メロディーはド軍歌でド演歌。「飛ばせ鉄拳、ロケットパンチ!」「友よ見てくれ、うなる鞭」とか、プロパガンダと浪花節。

 なるほど、歌って楽しいというのはよくわかるの。


 「見たか電磁の必殺技を、怒りをこめて嵐を呼ぶぜ」

 「涙で渡る血の大河、夢見て走る死の荒野」

 「すっくと立った星雲仮面 心に星を持つ男」

 「逆巻くたてがみ怒りに燃えて、きっと地球を守るのだメガロンファイヤー!」



 なんて熱い。暑苦しい。こんな歌、今の日本の曲には存在しないよなあ。少なくとも、スキマスイッチは歌わないだろう(聴いたことないけど、たぶん)。「今日もどこかでデビルマン」ってのは、見事な日本語だよなあ。

 もちろん、合の手を入れることも大事な仕事だ。なんたって、払ってもらってるものね。

 『バトルフィーバーJ』では、「バトル・フランス」「ウイ!」。『鋼鉄ジーグ』では「おーれがやめたら」に「バンババン!」。『忍者キャプター』ではデュエットも披露。完全に「いい客」かバックバンド。

 若さってなにか? 振り向かないことらしい。愛ってなんだ? ためらわないことなんだってさ。君の青春は輝いているか? よけいなお世話や。ダガディダディ・ダガディダディ・ダダダー・ヤ・ダダ・ ギャバン! 間違いなく、天才の仕事です。ありがとうございました。

 なんて感心してる中、ナミマツ君は3時間フルで歌いまくり、ここまで歌が好きなら、いっそ「流しのヒーロソング歌手」を目指すのはどうかと真剣にアドバイスしそうになった。

 駅前で弾き語りするなら、サクラのお客ぐらいにはなってあげてもいいぞ、ナミマツ君。



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ひとりカラオケで、心ゆくまでアニメソング特撮ソングを歌いたい!

2017年02月11日 | 音楽
 「先輩、今度ボクとひとりカラオケにつきあってくだいよ」。

 などという面妖なお誘いをしてきたのは、後輩ナミマツ君であった。

 昨今「おひとりさま」という言葉がメジャーになる世の中。「ひとりカラオケ」が、かつてほどの抵抗がなくなったというのは聞く話である。

 たしかに、これなら時間いっぱい歌えるし、興味もない他人の歌を聴かなくてもいいし、「みんなが知ってる曲」とか「全員で踊れる流行りのもの」みたいな選曲に気をつかわなくてもいい。

 自意識と店員の冷笑するような目(ではないかという妄想)が気にならなければ、純粋なカラオケ好きには、むしろこちらのほうが楽しいかもしれないと思うほどだ。

 なので、「ひとり」自体は別にどうということはないが、問題はそのあとのセリフである。

 「ひとりカラオケにつきあってくれ」

 とは、どういうことか。私のようなフワフワ頭でもひっかかる、見事な論理矛盾である。ひとりカラオケやねんから、一人で行けよ。

 そもそも、私はカラオケ苦手だしなと、二重三重にツッコミを入れてみるなら、ナミマツ君は。

 「いやいや、それはわかってますねん。だから、先輩は別に歌わんでよろしんです」。

 そしてなぜか得意げに、こう宣言したのだ。

 「ただついてきて、オレの歌ってるところをこころゆくまで見といてほしんです」。

 ナミマツ君によると、自分はカラオケが好きだ。だが、だれかと一緒に行って気をつかいながら歌うのは本意ではない。

 なので、ひとりカラオケに行くわけだが、ここで問題なのは一人だと気楽だが、聞いてくれる相手がいないというのは、それはそれでさみしい。

 そこで私の出番である。カラオケが特に好みでない私なら、独り舞台でも「おい、そろそろこっちにマイクを渡せ!」という展開にならず、誰はばかることなくマイクを独占し、同時に拍手や合いの手ももらえると。

 なんじゃそりゃ、わしゃカラオケスナックのホステスかと笑いそうになったが、

 「そら、タダとはいいません。なにが楽しくて、素人の歌をだまって聞いとらないかんねんと思ってはるんでしょ。だから、ボクがおごりますよ。食べ物もドリンク代も全部出します。食い放題飲み放題の逆ディナーショーですわ!」。

 おごり。この言葉にはグラっとくるものはあった。なんと言っても私は吝嗇でならす男。「全部向こうもち」は岩をも動かす魔法の言葉なのだ。

 うーん、ロハかあ。先輩として、後輩におごってもらうのはいかがなものか、というプライドに関してはまったくそんなものはないので問題ないが(←ちょっとは問題にしろよ)、カラオケねえ。

 まだ煮え切らないところであったが、そこにかぶせてナミマツ君は、

 「それに、オレが歌いたい歌を理解して、ちゃんとした合いの手打てるの、ボクのまわりでは先輩しかおれへんし……。なんとか、来ていただけんでしょうか」。

 あー、そっちの問題もあったかあ。それはたしかにそうかもなあ。

 というと、そのそっちの問題ってどっちの問題やねんとつっこまれそうなのでここに説明すると、ナミマツ君が「ひとり」にこだわるのは、気がねなく歌いたいことともうひとつ理由があって、それが選曲。

 そう、彼はアニメや特撮が大好きないわゆる「オタク」であって、カラオケで歌いたいのはサザンでも長渕でもなく、水木一郎や子門真人といった「昭和のアニソン特ソン」なのであった。


 (続く→こちら




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「人生とは何か」との問いに大槻ケンヂさんが答えます。

2016年08月05日 | 音楽

 「人生とはなんだ!」




 筋肉少女帯大槻ケンヂさんは『これでいいのだ』という曲の中で、こうシャウトした。

 人生とはなんぞや。

 

 「人生とは愛です」

 「人生とは戦いだ」

 「さよならだけが人生さ」

 

 などなど答えは様々だが、不肖この私は、この問いに対して明確な解答を持っている。

 それを伝授してくれたのは、曲の中でそれを問うたオーケンに他ならないのだが、それは一体なんなのかと問うならば、答えは彼のライブにかくされていた。

 オーケンは筋肉少女帯を脱退後、特撮というバンドで活動していた。

 何度かライブに足を運んだが、さすが銀杏BOYZ峯田君や、作家の辻村深月さんから、エヴァンゲリオンの綾波レイなどなど。

 あなどれない数のクリエイターに大きな影響を与えているオーケンのこと、ファンの熱狂度はそこいらのバンドの比ではない。

 その日も『文豪ボースカ』や『テレパシー』などの名曲を堪能したところ、曲間にオーケンがマイクパフォーマンスをはじめた。

 議題に上がったのは、マネージャーのことであった。

 なんでも、新しくついてくれたマネージャーさんは怪獣番組の、中でも『ウルトラセブン』の大ファンなのだそうである。

 その熱中ぶりは、酔っぱらうと仕事のことそっちのけで、ひたすら「エレキングが」「クール星人が」「おもちゃじいさんが」とセブンの話をするという入れこみよう。

 その日も楽屋で語っていたそうだ。




 「ボクはね、ワイアール星人が一番好きなんですよ、知ってますかワイアール星人!」




 ワイアール星人とは、第2話緑の恐怖』に登場する宇宙人である。

 ちなみに、こういうの。




 
 



 その熱いオタクっぷりに、若干もてあまし気味だったオーケンだが、そこで客席に叫んだ。



 「でもな、それでいいんじゃねえか。人がなんていおうと、ここまで熱くなれるくらい好きになれることがあるって、幸せなことじゃねえのか?」





 客席から「いいぞ!」「その通りだオーケン!」の声。



 人生ってそういうもんだよ、好きなこと見つけて、それまっとうできたら幸せなんだよ。マネージャーはそれがウルトラセブンで、オマエらはロックだ!」





 客席大拍手。これに興奮したオーケンは、締めの言葉を言おうと、


 「人生はな、人生ってのはなあ……」





 グングンとボルテージを上げていく。

 ステージ上で飲んだビールの酔いと、会場の雰囲気がないまぜになったオーケン。

 急にわけがわからなくなったのだろう、で息をしながら、人生とは、人生とはな、と数度繰り返し、こう叫んだのだ。

 


 「人生とは、ワイアール星人なんだよ!!!」


 


 人生はワイアール星人

 なにをいっとるのか、オーケンは。意味不明だ。

 だが、言葉の意味はよくわからんなりに、なんだか妙なインパクトはあった。

 たぶんオーケン的には、「人生とは」とぶち上げてみたものの、そこで頭がわちゃくちゃになってしまったよう。

 そこで、とにかく思いついた単語をシャウトしたら、「ワイアール星人」になってしまったのだろう。

 なんで、こんなことになってしまったのかだが、それも勢いであろう。

 胸を打たれた。よくはわからんけど

 この言葉に感銘を受けた私は、これ以降


 「人生とは何か」

 「生きる意味とはなんなのか」


 などと、悩める友人や後輩たちに問われるたびに、それを答えにしてきた。



 「人生とは、ワイアール星人である」と。



 みなさまも、人生が迷子になりそうなときは、この言葉を思い出して、明日への一歩を踏み出していただきたいものである。





 ☆おまけ 『ウルトラセブン』第2話「緑の恐怖」は→こちら

 ★おまけ2 筋肉少女帯と絶望先生のコラボは→こちら



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大森庸雄『ロック豪快伝説』がスゴすぎる! キッス(KISS) ジーン・シモンズ編 その3

2016年07月06日 | 音楽

 前回(→こちら)に続いて、大森庸雄ロック豪快伝説』を読む。

 ここまではエアロスミスの、



 「ツアー先のホテルで、チェーンソー持って大暴れ」

 「レコーディングそっちのけで、本物のマシンガンでサバイバルゲーム」



 などなど、豪快というか、迷惑極まりないというエピソードを紹介した。

 続いてはキッス

 そのベーシストであるジーンシモンズは、ドラッグもたしなまない、ロケンローな世界では天然記念物級に珍しい人である。

 では、彼はどこが「豪快」なのかといえば、ジーンは「大の女好き」。

 まあそれだけならロックスターにはよくある話だが、ジーンが違うのは、彼は自分が関係を持った女性記録をすべて残していたこと。

 ポラロイド写真に撮り、その枚数は4000枚を越えるという。「春の歩み」ロックバージョンだ。

 西のジーン・シモンズ、ジェームズ三木といったところか。世界一うらやま……ゲスくて、ヒドいコレクションといえよう。

 ついでにいえば、ジーンはその行為をビデオで撮影もしていて、そのテープには女の人の写真が貼られていたそうだ。

 たしかに、そうしておけば、だれが録画されているか一発でわかる。

 クリエイターだけど、事務仕事も得意だね、ジーン! ……て、もはやスターというより、ただのエロオヤジの発想である。

 このジーン・シモンズ、女好きと同時にものすごい吝嗇家、「出すものは舌でもイヤ」というドケチであることで有名だそうだ。

 が、ものには例外というのはあるもので、歌手でありオスカー女優でもある、シェールとつきあったころ。

 このときだけは彼女の魅力にまいってしまったのか、湯水のように貢いだそう。

 奮発して、コンコルドのチケットなんてもんもプレゼントしたらしいから、すごいもんだ。

 あー、それはちょっと乗ってみたいかも。でも、チケットぴあで売ってるの見たことないけど。

 また、デートの演出も凝りに凝りまくっており、誕生日にはなんと戦車にのって迎えに行ったそうである。

 どういう根拠でもって、彼はシェールがそれをよろこぶだろうと判断したのだろうか。ふつう、女子は戦車に興味ないやろ!

 そもそも戦車で、公道を走ってもいいのだろうか?

 車種はなんだったのであろう。レオパルト? 61式? は深まるばかりである。

 ミュージシャンである大槻ケンヂさんによると、ジーンの自伝


 「いかにオレ様がを稼いだか、いかにオレ様がモテたか、いかにオレ様以外の人類が愚かであるか」


 という三点だけで構成された、大林監督『尾道三部作』も顔負けの『オレ様三部作』であるそうだ。

 カッコよすぎる内容だ。あこがれまくりである。

 私も彼のように生きるべく、来週のデートにそなえてハナテン中古車センターに、戦車を買いに行きたいと考えている。



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大森庸雄『ロック豪快伝説』がスゴすぎる! エアロスミス スティーブン・タイラー編 その2

2016年07月05日 | 音楽

 前回(→こちら)に続いて、大森庸雄ロック豪快伝説』を読む。

 世界のロックスターたちの破天荒すぎるエピソードを紹介した本書によれば、エアロスミスは、



 「テレビを窓から投げ捨てる」

 「音がうるさいからアンプを銃でぶっこわす」



 といった滅茶苦茶なことを、ふだんからやっていたらしい。

 そんな彼らはどんなレコーディングをしているのかというと、これもまたとんでもない話が満載なのであった。

 『ドローライン』というアルバムの、レコーディングしたときのこと。メンバーはアーモンクという町にある、大邸宅に集まって仕事をしていた。

 プロデューサーはその時のことを、こうコメントしたそうだ。



 「あのレコード一枚に半年の時間と50万ドルが費やされた」



 さすがは伝説のロックバンドである。豪快だ。

 さぞや充実したレコーディングだったのだろうと思いきや、彼らがアーモンクでやっていたのはなんと「水鉄砲遊び」。

 館の明かりをすべて消して、暗闇の中サバイバルゲームでキャッキャいってたのだとか。夏休みの子供か。

 いやいや、彼らはただの子供ではない。大人財力を持った子供、それもハンパじゃない額のマネーを持ったコドモオトナである。

 水鉄砲に飽きたメンバーに、ギタリストジョーペリーが新しい鉄砲を持ってきた。

 今度のは水ではない。本物トンプソンサブマシンガンである。

 さらに20丁以上のを持ちこんで、連日連夜レコーディングをよそに撃ちまくっていたそうだ。

 シンバルをショットガンで、バラバラにするのが楽しかったそうである。そうでっか。

 これで目覚めたのか、ジョーはレコーディング終了後も、家で銃をバンバン撃って楽しんでいたとか。

 彼の家はスタッフから武器庫と呼ばれていたそうな。ミリタリーマニア垂涎の物件だ、ってそういう問題ではないか。

 音楽の世界ではマイケルジャクソンがその奇行や「ネバーランド」についてイジられがちだが、この本を読むとその程度のことは、



 「ちょっとした、あるあるネタ」



 くらいに思えるからオソロシイ。

 『アマデウス』のモーツァルトなんて、コイツらとくらべたら全然普通じゃん!

 

 (続く→こちら



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大森庸雄『ロック豪快伝説』がスゴすぎる! エアロスミス スティーブン・タイラー編

2016年07月04日 | 音楽

 『ロック豪快伝説』という本がおもしろい。

 音楽ライター大森庸雄さんの書いた本であるが、これを読むとビートルズローリングストーンズといった有名ロックバンドのメンバーたちが、いかにハチャメチャでクレイジーなヤツらであったかよくわかる。

 ミックジャガーキースムーンジミヘンドリックス

 音楽に興味のない人でも名前くらいは知っているであろう彼らスーパースター

 これがステージ上でも私生活でも、頭がぶっ飛んでるというか、どいつもこいつも犯罪者ばかり。

 たとえばエアロスミス

 スティーブンタイラーをボーカルに据えた、デビューしてもう40年近くになる伝説のロックバンド。

 ちなみにスティーブンのさんは女優のリブタイラーだ。

 1970年代、当時のロックバンドの間では、



 「ツアー先のホテルの窓からテレビを投げ捨てる」



 という行為が流行っていた。

 「なんで、そんなもん流行ってるねん」という気もするが、まあとにかく流行っていた。

 エアロスミスもその例にもれず、テレビをぼっかんぼっかん派手に投げ捨てていたそうである。危ないがな。これぞまさしくプラズマ・ダイブ。

 当時エアロスミスの裏方をやっていた、ディックハンセンはこう語った。


 「でっかいテレビに長い延長コードをつないで画面をつけたままバルコニーから落とすのが好きだった。そうするとホテルのプールに飛びこんだとき、きれいに爆発するんだ」


 「好きだった」じゃないだろ、止めろよ!

 それにしても

 

 「きれいに爆発するんだ」

 

 というフレーズは秀逸だ。

 自分たちの奇行にまるで自覚がなく、実にすがすがしい。なんだか文学的高貴ささえ、ただよっている気がするではないか。

 ちなみに、延長コードをつけて投げるというのはエアロスミスのオリジナルだったよう。

 ツアーには特注の超ロングコードを機材と一緒に持ち歩いていたというのだから、粋というかアホというか、とにかく愉快な人たちである。

 また彼らの破壊はテレビだけにとどまらない。77年全米ツアーではチェーンソーを持ち歩いてまわったらしい。

 なぜチェーンソー

 楽器と間違えて持ってきて「こりゃまたうっかりさん」というわけではないだろう、である。

 そのチェーンソーでエアロスミスのメンバーは大暴れ

 ギタリストジョーペリーがモーテルのアームチェアまっぷたつにすると、ワインひとケース(!)飲み尽くしたスティーブンは部屋にあった家具を、野犬よろしくうおんうおんとうなる「獲物」で次々に切り裂いていったという。

 なんでそんなことするんだ? スティーブンは滝本竜彦さんのファンなのだろうか。ジョーはそのままセーラー服姿美少女とともに、風車を回しながら戦うように。

 さらにイカれているのがこれ。

 ある日、スティーブンの奥さんがリビングでレッドツェッペリンを聴いていた。

 電話をしていたスティーブンが「音を下げてくれ」と頼んだが、無視したのか聞こえなかったのか、音は下がらない。

 するとスティーブンはつかつかとアンプに歩みより、ワルサーPPKをかまえて、いきなり5連射

 アンプが粉々になったことを確認すると、平然と電話を続けたという。

 まるで『モンティパイソン』の1シーンだ。てか、奥さんに当たったらどうすんのよ。

 こんな「豪快」すぎる面々が、目白押しの本書。音楽を志し、ロックに生きたい若者は必読であろう。

 でも、マネしたら炎上どころか絶対に捕まるから、よい子は読むだけにしておくようにネ。



 (続く→こちら



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甲子園(?)おもしろ校歌決戦! 南波高校 vs 池田模範堂高校

2016年04月29日 | 音楽

 前回(→こちら)の続き。

 高校野球を見ていると、試合後の校歌斉唱で時折おもしろい歌詞やメロディーに出会うことがある。

 我々世代としては「池田模範堂高校 校歌」(→こちら)もはずせないが、大阪人としては、やはり地元からもひとつ取り上げたいところだ。

 そう、南波高校の校歌。

 南波高校は、水島新司先生の名作『男どアホウ甲子園』の主人公である藤村甲子園が通う学校。

 ここに、藤村甲子園を知らないヤングたちに説明すると、『男どアホウ甲子園』とは水島先生お得意の野球漫画で、内容としては、


 極道ハーケンクロイツを旗印とする極右学生が戦ったり、ヒロインのあだ名が「美少女」だったり、「剛球仮面」なるマスクマンが甲子園のマウンドにあがったり、主人公がカンニングで東大に合格したり色々あったりしながら、藤村投手が「かたわ」「めくら」「びっこ」のナインを率いて甲子園を目指す。


 というもの。

 どんな話やねんという勢いだが、昭和のマンガは、まあだいたいが、こんな感じなんです(ホンマかいな)。

 で、その南波高校校歌の歌詞。

 私が最初に知ったのは『どアホウ』本編ではなく、スピンオフ作品『一球さん』。

 藤村甲子園の双子である球二球三のバッテリーを擁する南波高校は、優勝候補の大本命に数えられながらも、真田一球率いる巨人学園に、なんと九回二死までノーヒットノーランに抑えられるという大苦戦。

 そこから藤村兄弟の活躍で、執念の大逆転勝ちを見せるのだが、その熱い展開よりもなによりも、釘付けになるのが試合後の校歌斉唱

 ごちゃごちゃ言うより、聴いてみましょう。


 沖のカモメと どアホウものはよ
 
 どこで死ぬやら 果てるやら ダンチョネ

 俺が死んだら 三途の川で

 鬼を集めて 野球する ダンチョネ

 鬼の野球はよ、地獄のサインよ

 えん魔さまでも見とおせぬ ダンチョネ



 なんというのか、高校野球史上これほど

 「どこからどう、ツッコミを入れていいかわからない」

 という歌も、めずらしいであろう。

 高校の校歌に、まさかのダンチョネ節。ソリッドすぎるセンスである。

 しかも歌詞がすばらしい。三途の川で、を集めて野球

 鬼も、まさか亡者に「来たれ、野球部」とか言われても困るであろう。

 もし鬼が、見かけによらず、趣味が読書とかの文化系だったらどうするのか。

 そもそも「校歌」なのに、野球に特化しすぎである。サッカー部バスケ部が、インターハイとかで勝ったときは、気まずいのではないか。

 甲子園にこれが流れたら、椎名高志さんのマンガに出てきた「悪徳商業高校 校歌」に匹敵する事件であろう。

 これはもう、やはりナンバつながりで、ぜひNMB48にカバーしてもらうしかあるまい。

 秋元先生、ぜひよろしくお願いします。



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甲子園(?)最強のおもしろ校歌はこれだ! かゆみにムヒ 池田模範堂高校

2016年04月28日 | 音楽

 高校野球を見ていると、試合終了後の校歌斉唱で、時折おもしろい歌詞が流れてくることがある。

 昨今では、


 「やればできるは魔法の合い言葉」

 「Be together!」



 といったポップなものが話題となったらしいが、私の世代だと、これにつきて「池田模範堂高校 校歌」。

 

 ムッヒ~がおかにィ~、かゆみをとめてェ~池田、池田、模範堂ォ~♪



 昭和後期生まれは、たぶん、みんな歌えるはず。

 テレビで見たときのインパクトは、なかなかにすごかった。小学生ながら、思わずテレビに「天才あらわるか?」とか身を乗り出してしまったものです。

 まあ、今のヤングはこれだけ聴いてもなんのこっちゃろうが、要はパロディで、ムヒを作っている株式会社池田模範堂と、当時高校野球界でブイブイ言わしまくっていた、徳島の池田高校とをかけているわけです。

 後に巨人で活躍する水野雄仁投手を中心に、1982年夏の甲子園と、翌年春のセンバツを連覇

 「やまびこ打線」「阿波の金太郎

 なんて、今なら間違いなく、流行語大賞にノミネートされていたであろう。

 私も野球好きの友人に連れられて、池田高校の試合を甲子園で見た記憶があるけど、超満員で、試合終了後に外に出るのが大変だったのをおぼえている。なんせ、暑かったし。

 そんな池田高校とのコラボ(?)と楽曲のセンス、さらには「池田模範堂」という語感のおもしろさなども手伝って、このCМは一気にメジャーに。

 草野球のあとは、みんなでこれを熱唱したものだ。あとファミスタで勝ったときとか。いやあ、アガるっスわ(実際のCМは→こちらとか、こちらとか)。

 このころの少年が大人になって、昔の高校野球シーンを振り返るとき思い浮かぶ言葉は、

 

 「大ちゃんフィーバー」

 「KKコンビ」

 

 など様々であろうが、私のようなボンクラはもう断然、

 「かゆみにムヒ

 ということになるのである。

 マジでもういっそ、池田高校の校歌は、これにしてもよかったんじゃない?

 

  
 (南波高校編に続く→こちら

 

 

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