ありがとうサタディ・バチョンで思い出は全部語る映画とともにロシアの『フライト・クルー』 その2

2025年01月06日 | 映画

 前回の続き。

 深夜ラジオで、年始に見たロシア映画の『フライト・クルーについて、アシスタントのアコちゃんに熱く語るシャロ村ジュン先生。

 人命救助に飛び立ったエリートパイロットのアレクセイだったのですが、洪水のように流れる灼熱の溶岩に道をふさがれ立往生。

 このまま、なにもできずに終わるのか。

 しかしそこに、かすかな希望の光が……。

 

 

 

絶望にくずれ落ちそうになるところ、どこからか声が聞こえてきた、
 

 


 「アホ、ここであきらめてどないすんねん、天才パイロット!」



 

 「え?」と振り向くと、そこにはCAのアンドレイの姿が。


 


 「アンドレイ、おまえここで、なにしてるんや!」

 「なにって、救助活動に決まってるやないか」

 「でも、おまえの仕事は……」



 

 そこでアンドレイはニヤッと白い歯を見せて、

 

 


 「オレもおまえも、仕事は同じ。乗客の命を守ることやないか」



 

 そう言うと、なんとアンドレイはシャツを脱ぎすて、やおら溶岩の海に飛びこむ

 なんてことをするんや! 死ぬ気か! 

 思わずさけぶアレクセイやが、しばらくするとアンドレイは向こう岸から疲れ切った人々を、大量に乗せた輸送車を運転して帰ってくる。

 

 

すごい、カッコイイやん。


 

 

そこにおる全員が「よっしゃ!」とガッツポーズを決める。

 

 


 「大丈夫、全員無事や!」

 「それはええけど、アンドレイ、おまえは平気なんか?」



 

 そこでアンドレイは鼻をこすると、


 


 「ああ、実はオレ、昔は素潜りのオリンピック選手やったんや」

 「ポセイドン号みたいな奇蹟やな。でも、熱くないんか?」

 「なーに、コーヒーを煎れるんで、なれてるんや」



 

 それを聞いて、思わず笑いあう二人。男の友情が生まれた瞬間です。

 だがしかし、その熱い場面は轟音によってかき消される。
 
 がけ崩れが起こって、巨大なが2人の上に転がってくる。

 危ない! 間一髪でよけたが、一難去ってまた一難。そこに、狂ったライオンのような吠え声が響き渡るんや。

 

 

えー。もうやめたげてー。

 

 

なんや、なんなんや! パニックになりそうな中、くずれた山肌を見上げると、なんとそこには巨大怪獣が!

 体長1キロメートルはあろうかという、でっかいでっかいアザラシの怪獣マグマラーがはい出てくる。


 


 「こいつや、こいつが噴火の原因やったんや!」

 「なんてことや、この科学島は旧ソ連極秘施設やったが、まさかこんなもんを開発してたとは……」



 

 さすがの勇気ある2人も、これにはどうしようもない。絶体絶命かと思われたとき、なんと空から1機の航空機が飛んでくる。

 あれはなんや! アレクセイが空を見上げる。ジェンチェンコさんの飛行機や! アンドレイが応える。

 そこに無線が入る。声の主は、もちろんジェンチェンコや。
 

 「ワシや。これから当機は怪獣に特攻をかける!」
 

 なんやて! そんな無茶な。そんなことをしたら、アンタも死んでまうんやで!

 

いやー、そんなんイヤやわー。

 

 

 

しばらく間があったあと、
 

 


 「ええんや。こんな事故を起こしていしまったのも、元はと言えばワシらの責任や」



 

 ジェンチェンコによると、冷戦時代、彼もまたこの科学島で働いていたスタッフだった。

 そして、西側諸国への軍事的対抗策として、この悪魔のような怪獣を開発していたと。

 

 


 「まさか、コイツがまだ生きとったとは……。この責任は、ワシらの世代が清算せなアカンのや。若いおまえらは生きろ。そして、新しい平和なロシアを作っていくんや」

 「機長!」

 「あとはまかせた。死ね、怪獣!」



 

 ドカーン! ボーンドーン

 機長の体当たりで、怪獣は大きなダメージを受けた。やったで!

 ジェンチェンコの最後の言葉に、泣き崩れるアレクセイ。
 
 


 「ドアホ、機長の死をムダにするつもりか、このぼけなす!」



 
 
 彼を強引に立たせるアンドレイ。

 大きな犠牲は払ったが、なんとか住民を助けることには成功した。あとは飛行機を発進させて、安全な場所へ帰るのみ。

 アレクサンドラと分けて、2機の飛行機で飛ぶことになったが、不運なことに燃料が少ない。

 飛ぶにはギリギリや、もし失敗してもやり直しはきかん。まさに気合発進気合着陸

 

 

 

へー、どうなんの?

 

 

なんとかもってくれ。飛べ、飛んでくれ、フェニックス! なんとかワシらと乗客の命を救ってくれ!

 祈るようにハンドルを握るアレクセイ。それが通じたか、機体は見事に浮かび上がった

 

 

やったー、すごーい。

 

 

飛んだ! こうなったら冷静になるアレクセイは、ゆっくりとクラッチを切ってアクセルを踏みこむ。あとは自動操縦にまかせたらええ。
 
 これでついに、すべてのミッションをクリア。飛行機は救助者を乗せて、とうとうモスクワの空港に到着。

 大きな犠牲は払ってしまったが、それでも救われた命も多かった。ようやってくれた。

 プーチン大統領の言葉に、敬礼で答えるアレクセイらクルーたち。

 

 

 

 わー、空手八段の人やー。

 

 

 

 その後、災害の後処理をするため、またも飛ばなければならない国際救助隊やが、その前に束の間の休息があたえられる。

 そこでアレクセイは言うんや、


 


 「オレはこの事件から、自分が本当に大事に思っているものを見つけたんや……」



 

 その先にいるのは、恋人やったアレクサンドラ……やなくて、CAのアンドレイ

 彼もまた、無言でうなずく。

 2人はを取り合うと、
 

 


 「今夜は俺たちが大噴火だな」

 「へへ、救助を呼ぶほど激しいのは勘弁してくれよ」



 

 アッハッハとこだまする、男たちの笑い声。ふんどし姿でビーチを走る2人。
 
 『戦国自衛隊』と『ヒーローインタビュー』リスペクトの美しいラストシーン。聞こえてくるエンディングテーマ、流れるスタッフロール

 

 

感動やわー。 

 

 

 

 さて、ここから話はどうなるのか。

 

 

 

どうなるの?

 

 

 

 続きは映画館でお楽しみください。


 

 


 注1・シャロ村さんは「レビューのために、もう1回見直す」のがめんどくさいので、記憶をもとにだいたいで再現する「黒岩涙香スタイル」を採用しています。

 

 注2・読んだ方の中には「ネタバレだ!」と怒る人もいるかもしれませんが、たぶん3割くらいしか正確な情報がないので、安心してご鑑賞ください。
 


 注3・『ありがとう浜村淳』が、いつの間にか週1放送に。
 
 中学生時代、通学路に停まっている軽トラのラジオから流れてくる、浜村さんの極右トークを聴くのが朝の楽しみでした。 


 
 注4・『サタディバチョン』は北村安湖さんのファンでした。

 この世代の関西人にとって映画レビューは「全部語るがデフォですよね。
 

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ありがとうサタディ・バチョンで思い出は全部語る映画とともにロシアの『フライト・クルー』

2025年01月05日 | 映画

はい、今夜もはじまりました、ラジオ大坂で土曜の夜は「バントでバント 馬超といこう!」。こんばんは、パーソナリティのシャロ村ジュンです。

 

こんばんは、アシスタントの吉竹アコでーす

 

 

年も明けて2025年。

 

 

開けましたねー。

 

 

実にめでたいけど、アコちゃんは年末年始はなにしっとたんかな?

 

 

わたしはねー、家で映画を観てたんですよ。

 

 

 

えーやないですか。寝正月とは贅沢なもんや。で、どんな映画を観てたんかな?

 

 

えーと、ベルイマン第七の封印』と『スターリングラード』のドイツ制作版と『ブルージャスミン』。

 

 

なんか、景気悪い映画ばっかりやがな。てかそれ、ここの著者がホンマに年始に見たやつやん。

 

 

新年早々、めっちゃ微妙な気分になりましたねー。

 

 

 

なにをやっとんやかキミは。じゃあ、さっそくコーナーに行こうか《カムイ伝は映画とともに》のコーナー。

 

 

シャロ村さんが、おもしろかった映画を語るお時間。このコーナーは星川航空の提供でお送りします。

 

 

今日はロシアからやってきた、血沸き肉躍るアクション大作『フライトクルー』という映画を紹介いたします。

 

 

ロシア映画。ちょっと、あんまりなじみがないかも。シベリアで働かされそう。

 


この映画、タイトルからわかる通り、いわゆる「航空サスペンス」というやつなんですが、まず、主人公がアレクセイという男。

 この青年はロシア軍のスゴ腕パイロット。ところが上官とのトラブルで軍をクビになってしまう。

 傷心のアレクセイは、友人のアドバイスで民間の航空会社に再就職するんですが、なんせそこは若くて血気盛んな若者のこと。

 コンビを組む、真面目な上司ジェンチェンコとソリが合わんかったり、恋人である、これもパイロットののアレクサンドラとケンカしたり、なにかとトラブルが絶えない。

 

 

 

はー、問題児さんなんやねー。

 

 

 

中でも、CAアンドレイとの確執が問題やった。

 マッチョな軍隊の世界を生きてきたアレクセイにとって、CAなんぞのやる仕事と決めつけて、ジェンチェンコに、
 


 「もっと仲間に敬意を持て」



 

 なんて、しかられる始末。

 でも、このアレクセイ、パイロットとしては一級品なんですな。

 何度目かのフライトでは、着陸時に曇天で管制塔との連携がうまくいかず、あわや他の飛行機とニアミスというピンチを、見事な判断で回避している。

 

 

へー、メッチャすごいやん。

 

 

 

 その差はわずか数ミリ! あと、小指の爪ほどにもインド人……やなかったハンドルを右に切ってたら、それで正面衝突のオジャンや。

 これにはジェンチェンコも、
 
 


 「やるやないか、問題児」



 
 
 おどろきを隠せへん。

 で、話が動き出すのが、ある事件からで、なんと旧ソ連時代から使われてるロシアの科学島で、火山の噴火が起こった。

 鳴り響く警告音
 
 


 「大変や!」
 
 「どないなってるんや!」
 
 「救助を送らな!」



  
  
 大パニックになるロシア政府。

 そこで白羽の矢が立ったのが、アレクセイの勤めるアエロフロート・ロシア航空のスタッフ。

 政府は彼らを派遣して、空路で島の住民を逃がそうと計画する。

 ところがこれが、そんな簡単な作業やない。

 

 

 

そうやんねー。

 

 

 

 

 なんと言うても、噴火の規模がハンパやない。到着したアレクセイたちが茫然と立ち尽くすほどに、火山は大暴れ

 ドカン! ボカン! ガシン

 うなる轟く噴火音、怒り狂ったように鳴り響く雷鳴豪雨強風ドーン! ドーン! ガガーン

 ここは地獄か、まさに黙示録高さ1000メートル大津波も襲いかかってくる!

 

 

 

えー、メッチャこわいー。

 

 

 

助けを求める住人たちやが、まだ飛行機は飛び立つわけにはいかん。

 そらそうや、まだ科学島の奥には研究所で働くスタッフと、その家族が閉じ込められてる。

 なんとか助けんと! アレクセイが腕まくりするのにはワケがある。

 というのも、彼はその前のフライトで某国に着陸したんやが、なんとそこでクーデターに巻きこまれてしまったんや。

 幸いというか、外国人であるアレクセイとジェンチェンコらは出国をゆるされたが、コックピットの窓から見える阿鼻叫喚が彼らにショックをあたえる。

 改造バイクに乗ってで武装したモヒカン愚連隊が、「ヒャッハー!」とばかりに、罪のない者たちを襲いまくる。

 拉致され、子供皆殺し

 も全員、でつながれて、新たなになった男のため、巨大観音像建造の奴隷労働を強いられる。

 

コワイわぁ。それからどうなるの?

 

 

 

それを見ても、なにもできないアレクセイたち。
 
 なんやこれは。オレはなんて無力なんや。こんなヒドイことがあってもええんか!

 このときのトラウマが、アレクセイを縛っている。それを解放するためにも、オレはやらなあかん!

 立ち上がったアレクセイやが、その道は苦難に満ちている。

 ジープを駆って山の上にむかうけど、その行く手をはばむ溶岩の洪水。なんとその温度は1兆度

 ふれるどころか、近寄っただけでもケシズミになるという、まさに灼熱地獄の中、アレクセイのジープは立ち往生。

 アカン、このままでは救助どころか、オレまでやられてまう!

 

 

 

うわー、大ピンチ。

 

 

絶望に打ちひしがれるアレクセイ。でもそこに、思いもかけないことが起こる!

 


えー? なにが起こったん?

 

 

それは次回に続きますのんや。

 

 

(続く)

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ドイツ製ドラマ『バビロン・ベルリン』と「黄金の20年代」

2024年09月04日 | 映画

 前回に続いて、ドイツのドラマ『バビロンベルリン』が、めたくそにおもしろいという話。 

 この物語は、刑事マフィア革命家ナチス共産党ゲイアーティスト映画女優に、娼婦大金持ちから貧民地区の住人と、あらゆる種類の人間が登場するが、真の主役はそれを統括するベルリンという都市だ。

 時は「ワイマール共和国」(ドイツ語読みだと「ヴァイマル」)が、あったころのドイツ

 「世界一民主的」といわれたワイマール憲法を引っ提げて、その「自由さ」を売りにした新制ドイツだったが、その基盤は非常に危ういものがあった。

 多額の賠償金や、それにまつわるインフレによって生活は安定せず、敗戦に納得の行ってない皇帝派に、社会民主主義者、それにまだ泡沫候補に過ぎなかったNSDAP(ナチスの正式名称)と共産党が暗躍する。

 その不穏な一方で、1920年代後半ベルリンといえば、ドイツ文化史的にはメチャクチャにホットな時代であった。

 第一次世界大戦敗北混乱から、やや立ち直り、民主主義政権の中、つかの間の平和を甘受するそのころ。

 魔都ベルリンは世界一の文化レベルを誇り、各地から才能が集結し、芸術の分野で花開いた。

 「黄金の20年代」と呼ばれるそれは、われわれの知ってる名前だけでも、演劇ならマックスラインハルトベルトルトブレヒト

 映画なら『カリガリ博士』に、フリッツラングの『メトロポリス』。

 マレーネディートリヒが、映画デビュー前、舞台で活躍していたのもこのころ。

 文学なら、トーマスハインリヒマン兄弟、ジャーナリストでは池内紀先生が、よく取り上げるカールクラウス

 のち、ナチスへの抵抗作家になるエーリヒケストナー

 他にも、ジャンルと順不同でヴァルターベンヤミンハンナアーレントエーリヒフロムなどなど、名前をあげるだけでもすごすぎるメンツが、それぞれの力を思う存分に発揮。

 同性愛への寛容をはじめ、性的にもフリーダムで、ともかくも「なんでもあり」。

 もっとも、あまりにも「なんでもあり」過ぎたため、のちにナチスには「退廃芸術」とのレッテルを貼られ弾圧されるが、

 

 「狭量な独裁政権の目の敵にされる」

 

 というレベルのものが、大手を振って歩けた時代と言うのだから、いかに楽しく、また「異様」だったかわかろうというものだ。

 なんたって、原作の1巻にあたる『濡れた魚』のオープニングで風紀課に勤務する刑事ゲレオンが、まず取り締まるのが、

 

 皇帝ヴィルヘルム2世をネタにしたポルノ写真

 

 これの押収だというのだから、なんともゆかいである。

 しかも、ケルンからわざわざベルリンに転勤を申し出たゲレオンの真の任務とは、

 

 コンラートアデナウアーが、ウッカリ残してしまったSMエロ写真を回収すること」

 

 うーん、「退廃」してますなあ。

 万事がこの調子と言うか、そこがすこぶるおもしろい。

 ストーリーを追っても、この時代イケイケだった共産党NSDAPだけでなく、革命で追い出された白系ロシア人たちや、同じ「アカ」でもスターリン打倒を目指す「トロツキスト」とか。

 アヤシイ「アルメニア人」に、スパイに、ワケありな「男装の令嬢」。

 ゲレオンは戦争PTSDヤク中なうえ、兄貴不倫まっただ中。

 ヒロインのシャルロッテは副業で売春婦(原作ではふつうの警察勤務のはずだったけど……)。

 クーデターをたくらむ皇帝派極右に、劣等感こじらせまくったボンクラ大富豪と、まあとにかくどいつもこいつも、一筋縄ではいかない連中ばかり。

 それをまとめるのが、さまに「ベルリン」というイカれた街であって、ドラマ版だとその光景が見られるだけでも、まずうれしい。

 アレクサンダー広場に、ベルリン警察のあった「赤の砦」。

 クラウスコルドンベルリン3部作』でおなじみの、ヴェディング地区(その貧しさが絶望的)に、果てはウーファの撮影所まで見られて、もうお腹いっぱい。

 着ているものや食事、女性の髪形に、吸っている煙草の銘柄まで、そういうディテールをチェックするだけでも、いくらでも語ってしまえるわけなのだ。

 この時代にあこがれがあった私は、昔にいろいろと調べてみたけど、なんか、とにかくな時代なんスよ。

 それはエンディングテーマにもなっている、キャバレーの曲「灰へ塵へ (Zu Asche, zu Staub)」を聴くと、一発でわかる。

 といっても、日本で想像するキャバレーと違って、飲んで踊ってショーを観る、バークラブ劇場を足したようなところ(ドイツ語だと「Kabarette」で「カバレッテ」)で流れるもの。

 要するに、この時代を舞台にした、ライザミネリの映画『キャバレー』の世界ですね。

 これが、リズムもテンポもぬめぬめしていて、メチャクチャにアヤシゲなのだ。

 絶対売れセンじゃないし、カラオケでも歌いにくいし、昔輸入CD屋めぐって、このころのドイツの音楽の輸入盤見つけたんだけど、とにかく妙ちきりんな歌ばっか。

 すんげえ、おかしな気分になったのをおぼえていて、ぜひみなさまにも、それを味わっていただきたいのです。

 

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ドイツのドラマ『バビロン・ベルリン』(フォルカー・クッチャー「刑事ラート」シリーズ)激推し

2024年09月01日 | 映画

 ドラマ『バビロンベルリン』がメチャおもしろい。

 私は学生時代、ドイツ語ドイツ文学を専攻していたため、今でもドイツの小説映画が日本で紹介されると、とりあえずチェックする習慣がある。

 正直なところ、ドイツものはこちらではマイナーなので、ほとんど話題にあがることはないが、一時期の「ドイツ・ミステリ」ブームなど、なかなかの実力を発揮することもある。

 『バビロン・ベルリン』は、まさにその「アタリ」な作品であり、ドイツ本国でも大ヒットしたそうだが、それも納得な仕上がりとなっているのだ。

 原作は、ドイツ・ミステリブームの中、ドイツ語翻訳ではおなじみの酒寄洋一さんによって紹介された、フォルカークッチャー刑事ラート」シリーズ。

 こちらでは創元推理文庫から『濡れた魚』『死者の声なき声』『ゴールドステイン』の3つが紹介されている。

 といっても、このシリーズの評価は微妙で、駄作と言うわけではないが、人気売り上げほどよくできているかと言われると、ちょっと首をかしげるところも、なくはない。

 それは主人公であるゲレオンラートがいまひとつ魅力に欠けるというか、あまり感情移入できるようなキャラでないから。

 出世にこだわるところなど妙に俗物的で、人を殺しても良心の呵責もないとか、「ん?」「それ、どうなの?」みたいな。

 いや、もちろんそういった「欠点」が魅力になるケースも多々ある。

 北欧ミステリブームのエースだったヘニングマンケルの「刑事ヴァランダー」シリーズなんかは、むしろそのショボさが「萌え」につながっているほどだ。

 実際、ネットのレビューなどでも、同様の指摘をする人が多く、作者のインタビューではそこをあえて、「ねらってやってる」とおっしゃってたが、伝わってないこともあるようなのだ。

 『ゴールドステイン』はNSDAP(「ナチス」の正式名称)が台頭してきた時期だから、その「悪役」ぶりとの対照で、多少なりともゲレオンに「ヒーロー」的要素が浮き出るけど(テコ入れが入ったのかもしれない)、その前2作に関しては、

 

 「おもしろいんだけど、なんだかしっくりこない」

 

 というモヤモヤ感が残ってしまうのは、いなめないところで、やはりそれは主人公の魅力に起因すると思われるわけだ。

 なんて、ちょっとイヤごとめいたことを書いてしまったが、ではなぜにて、そんな微妙とか言っちゃう作品を推すのかと問うならば、それはもう時代設定が秀逸だから。

 歴史もの好きには、

 

 「この時代をあつかったものはマスト」

 

 という時代背景と言うのがあって、ミステリ好きなら「ヴィクトリア朝ロンドン」。

 ドラマチックさなら革命時代のフランスに、ローマ帝国から、コンスタンティノポリス陥落、ゲームファンなら三国志とか戦国時代

 美術ならルネサンス期のイタリア哲学なら古代ギリシャ愛国ムードが高まれば『坂の上の雲』のころなどなどあるが、私の場合は、

 

 第一次大戦終結から、ナチ台頭を経ての敗戦

 

 このころのドイツと言うことになる。

 まさにこの「刑事ラート」をベースにした『バビロンベルリン』は、そこにドンピシャ当てはまるというわけなのだ。

 なにを隠そう、当ページの看板である

 

 カフェ・グレーセンヴァーン(誇大妄想狂)」

 

 こそが、20世紀初頭のベルリン、目抜き通りのクアフュルステンダムにあった、芸術家カフェの名前から取っているのだから。

 つまるところ、このシリーズの主役は「ゲレオンラートもの」と謳っているけど、実のところ「ベルリン」の街そのものということなのだ。

 もちろん、ストーリーも良い。

 ロシア皇帝金塊をめぐるかけひきや、映画女優をねらった殺人鬼に、マフィアとの対決。

 共産党の止まらぬ勢い、極右勢力の暴走、ナチの卑劣な計略、爆発寸前市場経済……。

 などなど、とにかくネタには困らないのが、このころのドイツ。

 そこに、

 

 「ソ連で極秘に行われていた再軍備計画」

 

 といった歴史的事実をからめて提示されたら、私のようなドイツ史ファンは、コロッといかれます。

 もちろん、その辺のことはあいまいでも、ミステリ的要素だけでも楽しいし、当時のベルリンで見られた、独特すぎる文化を堪能するもよし。

 そんな多角的な楽しみ方のできるこのドラマは、とってもオススメなのです。

 

 (続く

 

 

 

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パリ オリンピックで、4年に1度のレニ・リーフェンシュタール『オリンピア』(『民族の祭典』『美の祭典』)鑑賞会

2024年08月08日 | 映画

 レニリーフェンシュタールオリンピア』を観る。
  
 パリ オリンピックで世界は連日、盛り上がりを見せているが、4年1度のこの季節、個人的にひとつイベントというか、景気づけのようなものとして、この映画を観るのが習慣になっているのだ。
 
 それがドイツ映画の『オリンピア』。

 古い映画やドイツ史にくわしい方は、ご存じであろう。
 
 1936年に開催された、手塚治虫アドルフに告ぐ』でもおなじみ、NSDAP(ナチスの正式名称)政権下のベルリンオリンピックの記録映画。

 かの『キネマ旬報』で1940年度外国映画部門1位を取り、小林秀雄も絶賛する映像技術や、編集センスのすばらしさのみならず、

 

 「ナチのプロパガンダ作品ではないのか」

 「いや、そういう色眼鏡を通さず見るべし、ドキュメンタリー映画としては傑作なのだから」

 

 などなど、なにかと論議を呼ぶ文字通りの問題作だ。

 ちなみに『オリンピア』は通称で、正式名称は『民族の祭典』『美の祭典』の2部作。
 
 監督したレニ・リーフェンシュタールに「」「責任」があるかどうかはむずかしい問題で、私ごときがどうこう言えるものではないが、こと「映画史」的にだけしぼって見れば、レニの言う通り、
 
 


 「あの時代に生まれたのが失敗」



 
 
 なのは間違いなく、時代に生まれていたら、アルフレッドヒッチコックフランソワトリュフォーなんかにも負けない大監督として、確実に名を残していたはずなのだから。
 
 その観点から言えば、ただただ「もったいない」としか言いようがない。
 
 そんな『オリンピア』だが、そのへんのバイアスはとりあえず置いて、純粋に映画として見ると、これはもうただの大傑作です。
 
 1部、2部合わせると約3時間半の大作だけど、観ていても長さを感じない。

 馬術のシーンはちょっと冗長に感じるけど、それ以外はこんな古い映画なのに、全然退屈しない
 
 やはり「映える」のは、トリをつとめる高飛びこみ

 様々なアングルから、きたえあげられた体が宙を舞い、華麗空中回転を決めながらプールに吸いこまれていく。

 こいつが、これでもかと何度も繰り返され、なんとも美しすぎて陶然となる。

 ほとんどドラッグムービー。いつまででも見ていられる。まさに「美の祭典」。

 スポーツは好きだけど、「肉体美」のようなものに興味の薄い私がこうなるのだから、ホントにすごいもんだ。

 そら、いろいろ言われても、レニの評価自体は高いはずや。おみそれしました。

 実際、これをカラーにしてデジタルリマスターとかでキレイな画面に整理しなおして観てみたいんだよなー。

 そんなことすら感じさせるほど、レニの才能センスがほとばしっている。

 それにしても、これに影響を受けたと言われる市川崑の『東京オリンピック』は、なぜにて、あんなにつまんないんだろう。

 同じような内容のはずなのにねえ。

 


(『民族の祭典』と『美の祭典』)

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フランシス・フォード・コッポラ『カンバセーション…盗聴…』でフシアナ東京 その2

2024年07月18日 | 映画

 前回に続いて映画『カンバセーション盗聴…』の話。

 以下、映画のネタバレありまくりなので、未見の方はぶっ飛ばしてください。

 

 

 

 


 おもしろい映画だったが、最後にジーンハックマンの部屋にしかけられた盗聴器どこにあるのか謎が残った。

 2回目見たときも、結局これといたものは見つけられず、自分の洞察力のなさに少しガッカリ。

 まあ、論理的な解決なんてないんやろうなあ、

 

 「すべてがジーン・ハックマンの妄想である」

 

 という目くばせもないこともないし……。

 なんておさまっていたのだが、映画好きの友人イチジョウ君とその話をしていたとき、友が一言こう言ったのだった。

 


 「え? なに言うてるの? 盗聴器ってサキソフォンの中にあるんやろ、たぶん」


 

 これには思わず、叫びそうになったではないか。

 


 「フシアナトーキョー! フーゥ!!」


 

 「FUSHIANA TOKYO」というのは、TBSラジオの人気番組『アフター6ジャンクション』の視聴者参加型のコーナー。

 その趣旨とは番組ホームページによると、

 


▼SNSが発達した今の時代。隙のない発言や隙の無い作品が良しとされる、息苦しい風潮があります。しかし、そんな息苦しい時代の中で、本当に新しいものが生まれるでしょうか?

▼いい意味でFUSHIANAの目こそが、新しい時代を作るパワーを生み出すのではないでしょうか?(キャッチコピーは「時代に節穴をあけろ!)

▼例えば、あるスタッフは、「おかしの まちおか」というお店を、

 「おかしのまち・おか」

と読み、「おか」という店なんだと思いこんでいたそうです。また、とあるスタッフは

 「猿の惑星の最後に自由の女神が出てくる意味が分からない」

という見解も。しかし、こうしたFUSHIANAこそ、かえって創造的な発想を生むのではないでしょうか?

▼そんな、あなたのFUSHIANAエピソードを募集します。


 

 
 まさに「FUSHIANA」であった。

 あーそっかー、サキソフォンかー。

 言われてみれば、当たり前である。

 理屈でいえば、家じゅうのすべて破壊して見つからないなら、最後に残ったモノの中が答えというのは必然

 で、それがサックス。

 なぜサックスを壊して調べなかったのかといえば、それが盗聴怖れ、人を遠ざける孤独な人生を送っていたジーン・ハックマンにとって、唯一拠りどころだったから。

 たとえ、そこに解答があっても、「友人」を破壊するなんて、できるわけがないではないか!

 なるほど、腑に落ちた。そういうことか。

 私の愛するシャーロックホームズにいさんですやん。
 
 

 「不可能なことを全部排除して、最後に残ったもんが、どんなにおかしなものでも、それが事実なんや」

 
 
 有名な、このセリフですな。

 あー、ようできてるうえに論理的で、しかも余韻を残す。

 すげーな。コッポラちゃん天才やん。

 なんて感心しまくっていると、イチジョウ君はあきれたように、

 


 「いや、わりと簡単な答えや思うけど……。ちゅうか、キミって推理小説大好きやのに、逆にようわからんままスルーできたな」


 

 たしかに私は、子供のころから重度のミスヲタである。

 だが、自慢ではないが推理はまったく育ってないタイプで、

 

 「犯人当てができないから、解決篇まで、あまさずドキドキできる」

 

 という(?)なタイプなのだ。

 いやあ、とはいえこれは恥ずかしい。

 たしかに、言われてみれば一目瞭然やなあ。

 ただひとつワケを説明させてもらえば、1回目観賞時にあのラストを見て、

 

 「ボロボロになった家で、一人サックスを吹くっていうのはになるなあ」

 

 そう感心したものだから、

 

 「ジーン・ハックマンがサキソフォンを壊さなかったのは、論理的にはおかしいんだけど、あのラストの絵を撮るために、スタッフがあえて矛盾を残しつつも決行した」

 

 と読み取ったわけで、「ストーリーの都合上」そうしたと思いこんでいたのだ(しかし、ムダにたくさん「解釈」だけはしてるな、オレ)。

 さすがコッポラは映像屋や。話の整合性を犠牲にしても、「絵的美しい」を選択する、と。

 現実はそんな、ひねったものではなく、もっと素直に

 

 「サックスの中に盗聴器」

 

 でOKやと。邪推癖が、ここではアダになったようである。

 なんて、完全無欠にただの言い訳だが、われながらなかなか鮮やかな節穴である。

 昔、友人が『時をかける少女』を見て、


 
 「え? あの映画ってタイムトラベルをあつかってたん?」

 

 ビックリしているのを見たときは(なんの映画や思てたんやろ)、もう腹をかかえて笑ったものだが、人を呪わば節穴二つ

 なんでも、自分に返ってくるもんですねえ。

 トホホと情けない声をあげていると、イチジョウ君もその姿があまりに情けなかったのか、

 

 「気にすんな。オレも『シックスセンス』で、なんで最後にあの人があんなことしてるんやろって、わからんかったもんや」

 

 そうフォローしてくれて、それもまた、なかなかな節穴である。

 おたがいの思い出に浸りながら、われわれは「キミの節穴に乾杯」と『カサブランカ』のボギーのごとく杯を重ね合ったのだった。

 

 

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フランシス・フォード・コッポラ『カンバセーション…盗聴…』でフシアナ東京

2024年07月17日 | 映画

 フシアナトーキョー! フーゥ!!」

 

 奇声をあげて、思わず踊りだしたくなったのは、

 

 カンバセーション盗聴…』

 

 という映画の、2度目を見終えたときのことであった。

 『カンバセーション…盗聴…』(以下『盗聴』)はフランシスフォードコッポラ監督、ジーンハックマン主演のサスペンス映画。

 コッポラといえば言うまでもなく

 

 『ゴッドファーザー』

 『地獄の黙示録』

 

 で歴史に名を残す大監督だが、両作の合間に撮影されたこの『盗聴』も、地味ながらなかなかの佳作に仕上がっている。

 今回は話の都合上、オチにふれないといけないので、ストーリーを全部語っちゃいますが、主人公ジーン・ハックマン演ずるのは盗聴プロという設定。

 

 


 浮気調査から産業スパイまで、なんでもござれのスゴ腕で業界内での評価も高いが、本人は自分が盗聴屋のくせに(だから?)他人から盗聴されることを異様に警戒し、プライバシーにふれられることを嫌う

 その様は偏執的ともいえるほど気むずかしく、

 

 「あなたのことを知りたい」

 

 と求める恋人切り捨て、唯一の趣味は部屋で大音量のジャズを流し、あたかも、そのバンドに参加しているかのようにサックスを吹くこと。

 いわば、友達のいない人が、家で「一人カラオケ」をするようなもので、コミュ障というか、仕事以外は精神的なひきこもりともいえる、複雑な人間なのだった。

 そんなジーンがある日、大企業の重役から依頼を受ける。

 なんてことないカップルのデートを盗み聴きするのだが、そこに不穏な言葉が飛びこんでくる。

 どうも、2人がだれかにをねらわれているとか、そういう内容のようなのだ。

 確証こそないが、どうしても気になるジーンは録音テープの提出を拒否する。

 彼は過去に自分の盗聴がきっかけとなって、殺人事件を引き起こしてしまったことが、あったから。

 ジーン自体に罪はないが、良心の呵責からは逃れられず、大きなトラウマになっているのだ。

 ここからジーンは、明らかにトラブルに巻きこまれたようで、

 


 「黙ってテープを渡して、これ以上首をつっこむな」


 

 そう脅されたり、またテープにこだわるあまり、相棒ケンカしてしまったり。

 ジーンの仕事ぶりに嫉妬する同業者から、いたずらの盗聴を仕掛けられ激怒したりと、だんだんと精神の安定を失っていく。

 ついにはにかけられ依頼主にテープを奪われてしまうが、真相をどうしてもたしかめたくなったジーンは、盗聴内容をヒントに「現場」となりそうなホテルに潜入することを決意。

 そこからはさらに謎がを呼び、すべてがジーンの妄想なのかといったサイコサスペンス的解釈も残しながら、ヒッチコックをイメージしたようなシーンもあってと、盛りだくさんな内容。

 いやー、どうなるねんやろー、とハラハラドキドキしながら、ラストではすべての謎が明かされるわけだが、そのことにショックを受けたジーンに追い打ちをかけるよう、自宅の電話が鳴る。

 その声は静かに、

 


 「事件のことはなにもしゃべるな。盗聴してるからな」


 

 の危険のみならず、自らがもっとも怖れていたプライバシーにまで踏みこまれ、ジーンは半狂乱に。

 盗聴器を探し出すべく、家じゅうのものをひっくり返し、テレビも電話もすべて解体

 装飾品を破壊し、壁紙をすべてはがし、床板も全部めくりあげる。

 それでも見つけられなかった彼は、ひとり呆然サキソフォンを吹き続けるのだった……。

 

 ……てのが大まかなストーリー。

 1回目に見たときは、何にも考えずに

 

 「はー、おもしろかったなー」

 

 と満足してたんだけど、先日2回目の鑑賞をしたとき、ひとつだけ気をつけてみようと、思っていたことがあったのだ。

 で、結局ラストで盗聴器どこに仕掛けられてたの?

 最初はどっちでもいいというか、ジーン・ハックマンが自宅の盗聴器を発見できなかったことは、相手側のウソというかハッタリではないにしても(電話の相手に録音された盗聴の内容を流されていた)

 

 「彼ほどのプロが見つけられないほど巧妙にしかけられており、その底知れぬ絶望感を表現している」

 

 くらいに思っていたのだが、今回もう一回見直してみると、割とこの映画は論理的に作ってるような気もするので、もしかしたら、

 

 「盗聴器、ココだよ」

 

 というヒントを作中でさりげなく、示唆しているのではないか、と読んだわけだ。

 さすがは私。こういうところにアンテナが反応するとは、まさに映画玄人である。

 で、再見の際ラストを目を皿のようにして見ていたのだが、やはりこれといった答えも見いだせず

 まあ、そこは謎というか、あえて結末を明示しない「開いた物語」みたいなもんかもなあ。

 と、おさまっていたのだが、これがとんだ! であったのだから、映画というのは奥深いものである。


 (続く

 

 

 

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ジョー・ダンテ『MANT!』と『マチネー/土曜の午後はキッスで始まる』はB級映画大好き青春映画

2022年12月22日 | 映画

 『マチネー/土曜の午後はキッスで始まる』を観る。

 ジョーダンテ監督。1960年代のアメリカ、フロリダ州の田舎町を舞台にした青春ラブコメディーだ。

 子供たちのういういしい恋愛感情に、世界を震撼させた「キューバ危機」をめぐる混乱と、監督自身の映画へのをまぶした、なかなかいい感じの佳作に仕上がっているが、やはりこの映画の最大のポイントは、オープニングで紹介されるアレ

 主人公たちがのドタバタを披露するのは、街にある映画館(と、その地下にある核シェルター)なんだけど、そこでかかる映画というのがイカしている。

 忍び寄る突然変異体、逃げまどう群衆、絹を切り裂くような美女の悲鳴……。

 そう、それこそが蟻と人間の合体した「アリ人間」が人を襲う恐怖映画、『MANT!』なのだ!

 『MANT!』。

 

 

 

 

 これを見せられた時点で、みんな思いますよね。

 あ、これ絶対オモロイ映画やん、と。

 オープニング・クレジットのバックに予告編が流れるんだけど、これがやたらと演出がおどろおどろしいとか、悲鳴がやかましいとか、役者の演技が微妙とか。

 でも、アリ人間の着ぐるみだけやけに出来がいいとか(笑)、いやもう、

 

 「ジョー、わかってるやん!」

 

 という内容。タイトルもすばらしい!

 

 

 

 

 

 開始数分で「勝ったも同然」と思わせる出だしだが、さらにピュウと口笛でも吹きたくなるのが、『MANT!』の監督であるローレンスウールジー

 

 

 

 

 アルフレッドヒッチコックのバッタもんのようだが(劇中間違えられて不機嫌になるシーンもある)、モデルはオーソンウェルズとか、ウィリアムキャッスルとか、エドウッドとか、ロジャーコーマンとか、そのへんの「ハッタリ」系の天才映画人が持つケレン味を詰めこんだ感じ。

 口八丁の手八丁、サービス精神旺盛で、映画が当たりさえすればどんなウソでも平気でつけるという、クリエイターというよりは興行師という呼び名の方が似合うタイプ。

 この人が実に味があって、「アトモビジョン」(もしかして「アトミック・ビジョン」?)なる、あからさまにうさんくさい「発明」を看板にあげながら、堂々と会場に乗りこんでくる。

 その正体は映画のアクションに合わせてが出たり、が立ち込めたり、スクリーンの向こうから本物(?)のアリ人間が飛び出してくるなど、今でいう「4DX」の走りのようなもので、これがなかなかのアイデア。

 実際、劇中の上映シーンでも観客は大喜びで、ストーリとともにそのドタバタもゴキゲンで楽しいのだ。

 そのB級感が、なんともいえない。「4DX」のような「流行の最新設備」ではなく、どちらかといえば移動遊園地の「見世物小屋」テイスト。

 マリトッツォやカヌレでなく、カルメラ焼きベビーカステラのお店。チープだけど、それがいい。楽しい

 本編の恋模様と、このやたらと大仰なスラップスティックのバランスがよく、実にうまくできている。

 いやあ、オレも、この映画館行きたいよ!

 ストーリー自体は正統派なラブコメで、中学のクラスメートであるジーンサンドラが、ひょんなことから地下の核シェルターに2人きりで閉じこめられて、もうドキドキ。

 そのうち『MANT!』が上映されると、その音や振動で2人は「第三次大戦」がはじまったとカン違いして、

 

 「どうせ死ぬんやったら……」

 

 顔が徐々に近づいて行って、いやもうこれキスするんちゃうか……。

 ……て、ワシらがアリ人間の映画観てるウラで、お前ら、そんなイチャイチャすな!(笑)

 そんな、とってもカワイイお話です。 

 バカっぽく見せかけてるけど、当時の風俗とか、「核戦争」「第三次大戦」の緊張感など、意外と幅広い見どころのある作品。

 上映時間も90分ちょっとと、コンパクトでサクッと見られるし、それこそ土曜日のデートにもいいかも。

 あと、この映画とかローレンス・ウールジーに魅せられた人は、ぜひセオドアローザックフリッカー、あるいは映画の魔』という小説もどうぞ。

 ちょっと長くてマニアックだけど、メチャクチャにおもしろいです。『このミス1位は伊達じゃない!
 

 

 ★おまけ ウールジーの傑作『MANT!』(ジョーはちゃんと全編撮っているのだ。エライ!)は→こちら

 

 

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アミール・カーン主演『チェイス!』は浪花節な特撮『プレステージ』

2022年07月23日 | 映画

 映画『チェイス!』を観る。

 名作『きっと、うまくいく』で有名な大スター、アミール・カーンを主演に据えたインド製アクション大作。

 シカゴのアコギな銀行に、家業のサーカス団をつぶされたどころか、そのせいで目の前で父親が自殺するという悲劇に直面するサーヒル少年。

 時は流れ、大人になったサーヒルはインド大サーカスを率いるスターに成長するが、その裏では復讐のため、自分たちをどん底に追いやった銀行に忍びこみ、金庫破りに血道をあげる。
 
 犯人に翻弄されるシカゴ警察は、現場に残された恣意行為的な証拠から、インド系の犯行と推測。

 ムンバイからジャイ刑事とアリー刑事に応援を頼むが、大胆不敵なサーヒルは自ら彼らの前にあらわれて……。

 開幕からここまでテンポよく進み、インド映画らしいノリの良い娯楽作な雰囲気が芬々。

 その間、アミール・カーンの大アクションや、ヒロインの華麗で激しいダンスあり、ジャイとアリーのゆかいな掛け合い(この映画の原題は『DHOOM3』で、この実はこの2人が主役のシリーズ第3作だそう)ありで、大いに期待が高まる。

 ストーリーとしては、プロのマジシャンで、アクロバットの達人であるサーヒルと、いかにもデコボココンビな刑事とのかけ引きや、サーヒルたちの「家族の」などが主な流れになるわけだが、やはり楽しいのはダンスアクション

 特にバイクを使ったカーチェイスは迫力満点なうえに、そのギミックが少年マンガ的なバカ発想(超ほめ言葉です)で大爆笑しながらもアツい!

 ピンチになると「ガチャ、ギー、ガチャ!」って変形しますねんで! これで燃えなきゃ、男の子やない!

 いやー、マジでどこの国の宇宙刑事やねん、と。

 スローモーション多用の演出も、そのあか抜けなさが、かえってともいえる。特撮魂やねえ。

 インド映画といえばのダンスも、もちろんのこと健在。

 オープニングタイトルのナンバーはタップ好きな私には応えられないし、オーディションシーンのカトリーナ・カイフによる大ダンスも妖艶ですばらしい。

 インド美人はいいなあ。

 あと、「人間消失」のトリックをテーマにした作品としては、ネタ的にモロ、クリストファー・ノーランの『プレステージ』と被るんだけど、そのトリックに対する接し方の違いを、くらべるのもおもしろい。

 「ノックスの十戒」を持ち出すまでもなく、もう、

 

 「このトリックにこの仕掛けを、なんのてらいもなく出してOK」

 

 という時代なんですね。

 むしろそれに対して演者が「どう対峙するか」がテーマになってくる。「アンフェア」とか、もう野暮なんだな、きっと。

 『プレステージ』は『空手バカ一代』。『チェイス!』はたぶん、われわれにも共感できる、もうちょっと浪花節なテイスト。

 全体的に見て面白い作品で、おススメなんですが、ひとつ気になったのが、最初に出てくる女刑事が全然活躍しないこと。

 わりと大事な役どころのように見えて、途中いないも同然だし、アリー刑事のツッコミ役にもなってなくて、どういうことだったんでしょう。

 うーん、最初は目立つ役だったけど、アミール・カーンともめて、途中から干されたのかな(笑)。

 

 

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妄想力と「少年の心」で、自分だけの『レディ・プレイヤー1』を脳内上映

2022年04月18日 | 映画

 「観たあと『オレ・プレイヤー1』考えるのが、ホンマの楽しみ方やろ!」。

 という友人ホンドウ君の提言で、


 「映画『レディ・プレイヤー1』のキャラクターを、すべて自分の好みで脳内変換する」


 という、遊びで先日盛り上がった(詳細は→こちら)、私とそのゆかいなボンクラ仲間たち(40代)。

 こんなもん、ただのオタクの妄想なんだから、そこだけの話で終わらすはずだったが、そこにいたベットウ君という男が、

 


 「せっかく盛り上がったんやから、ブログのネタにしてくださいよ!」


 

 そんなもん、だれが読むねんとは思ったが、まあこんなもん、別にだれが読んでるわけでもないので、そんなんでもええかと納得。

 ということで、今回は私とゆかいな仲間たちの『妄想プレイヤー1』をご紹介。

 全員、1970年代の生まれ。

 多分に、そのへんの記憶が放り込まれているということで、同年代くらいの「元少年」だけ笑ってください。

 


 

 ■登場人物

 1.ベットウ君。

 先輩を立ててくれる、いい後輩。戦隊ヒーローアニメマンガプロレスが得意ジャンルだが、プロレスの話をしてくれる人が少なくてさみしい。

 


 2.ホンドウ君。

 ゲームバカ映画が得意ジャンル。その独特の発想で「鬼才」と呼ばれることも。不思議なカリスマ性で、コミュ力爆高のモテ男

 


3.ワカバヤシ君。

 元関東人。オタクではなく、映画文学哲学などにくわしいインテリ。比較的常識人のようだが、深く付き合うと奇人だとわかってくる。

 


4.ドイガキ君。

 洋楽猟奇系武道など、オタクというよりサブカルの人。美少年も好き。

 


5.カネダ先輩。

 われわれを『D&D』『ソードワールド』など、TRPG沼(ここにいるのは、皆そのメンバーなのです)に引きずりこんだ戦犯。SFミステリ映画ゲームなどが専門。

 


6.私。

 特撮SFミステリ映画あたりが専門。アニメ、マンガ、ゲーム、プロレス、アイドルなど、王道オタク趣味には意外とウトいけど、そういう人の話を聞くのは大好き。

 


 

 1 あなたのアバターと、カーレースに参加する乗り物はなんですか?

 

剛球超人イッキマンサイドマシン


 

サンソン大門軍団のスーパーマシン」


 

怪盗ジゴマローラースケート


 

サファイア王女ポケバイ


 

岸部シロー沙悟浄ジェットモグラ


 

快獣ブースカ犬ホームズベンツ


 

 2 あなたが恋に落ちるヒロイン「アルテミス」のアバターは?


 

雪子姫


 

真野妖子


 

日高のり子


 

バーバレラ


 

さびしんぼう


 

森永奈緒美


 

 3 心ゆるせる相棒「エイチ」のアバターは?

 

 

レンタヒーロー


 

ジェイガン


 

ノッポさん


 

野村義男


 

Aチームコング


 

岸田森


 


 4 レースの邪魔をする2匹モンスターはなんですか?

 

次藤洋早田誠


 

REX巨大松坂慶子


 

いじわるばあさん海原雄山


 

エド・ゲインアンソニー・パーキンス


 

トリフィドと『クレイジー・クライマー』のゴリラ」


 

グエムルハングラー

 


 


 5 あなたが戦うノーラン・ソレントの正体は?

 

 

坂本金八


 

桔梗屋利兵衛


 

宮脇健


 

ゲーリー・オールドマン


 

金子信雄


 

ウルトラ・スーパー・デラックスマン

 


 

 6 ノーランを助ける凄腕女秘書フレーナは?


 

志穂美悦子


 

24周目のシルビア


 

茂森あゆみ


 

デミ・ムーア


 

ドリュー・バリモア


 

クロエ・モレッツ


 

 7 失恋相手にダンスを申し込む場面で舞台となる、映画と流れている音楽は?


「『ロケッティア』とSSTバンド


「『シベリア超特急』と【閣下音頭】」


「『小さな恋のメロディ』と【シンドバッドのぼうけん】」


「『天井桟敷の人々』とセックス・ピストルズ


「『時計じかけのオレンジ』とワンダバ


「『イントレランス』の古代バビロンミッシェル・ガン・エレファント


 

 8 水晶の鍵ゲットのためにクリアしなければならないゲームは?


マイケル・ジャクソンズ・ムーンウォーカー


イーガー皇帝の逆襲


ヘルメット


バルーンファイト


クルードバスター


アイドル八犬伝


 

 9 劇中で使われる、あなたにとっての「手榴弾」は?

 

コルトパイソン.357マグナム


 

ストームブリンガー


 

ボタンパンチ


 

オルゴン・エネルギー


 

ライトンR30爆弾


 

バリツ


 

 10 大ボス怪獣、あなたならなにを選ぶ?

 

 

ミンスク仮面


 

ドルアーガ


 

ツチノコ


 

アンゴルモアの大王


 

クトゥルフ


 

ジャンボキング


 

 11 それに対抗するあなたメカヒーローは?


 

ジェットアローン宇宙刑事ギャバン


 

プロジェクトグリズリーのスーツとPL時代清原和博


 

ゴルゴングオシシ仮面


 

ロボコンジャンボマックス


 

ロビー・ザ・ロボットユン・ピョウ


 

ジェノバジャンボーグA


 

 12 あなたにミッションを課す「ハリデー」の正体は?

 

 

宮内洋


 

松岡修造


 

マルクス・アウレリウス・アントニウス


 

中島らも


 

千石イエス


 

安田均



 以上、12項目。

 あなたの答えと一致するところがあれは、友達になりましょう。

 

 

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オレ様専用『レディ・プレイヤー1』を妄想するのは国民の義務です

2022年04月12日 | 映画

 「観たあと『オレ・プレイヤー1』考えるのが、ホンマの楽しみ方やろ!」。

 オンラインの飲み会で、そんなことをほたえたのは、友人ホンドウ君であった。

 先日、ここで古いマンガ『プラモ狂四郎』を取り上げたところ(→こちら)、それを読んでくれたホンドウ君が、「なつかしいねー」と、すぐさま連絡をくれた。

 そこから、懐古趣味的オタク話で盛り上がっていると、

 「楽しそうなことやってるやん、オレもまぜてくれよ!」

 続いて、他のボンクラ仲間たちが集まってきたのだ。

 話はプラモやマンガを経て映画のことに飛び、『レディ・プレイヤー1』がおもしろいよな、という流れに。

 そこでワカバヤシ君という友(関東出身)が、

 

 「あそこでガンダムは熱いけど、ちょっとベタだよね」

 

 というと、別の友人カネダ先輩が、

 

 「あー、原作(アーネスト・クライン『ゲームウォーズ』)ではレオパルドンやねんから、もっと、自由なチョイスでよかったな」

 

 そう提言すると、ドイガキ君という男子が、

 

 「でも、レオパルドンに対抗できるメカも、なかなかないでしょ、いろんな意味で」

 

 そこに後輩であるベットウ君がすかさず、

 

 「まあ、レオパルドンはレオパルドンで、逆にワーキャーッスけどね。どっちにしても、あそこはガンダムより、もうちょっと、ありそうですもんねえ」

 

 そこから話は盛り上がり、

 

 「わかる、ガンダムって、実はそんなかっこよくないねん」

 「カッコ悪くはないけど、いかにも主人公メカって感じでなー。それやったら、ガンキャノンの方が魅力あるよ」

 「SFファンは、そう言いますよね。『宇宙の戦士』つながりで」

 「ちゅうか、あそこ別に、モビルスーツやなくてもええんスよね」

 「時代的には、ダグラムとかザブングルとか」

 「それも王道だなあ……」

 「いや、別にマイナーメカに、せなあかんてゆうルールはないから(笑)」

 「でも、あれって大喜利の要素もあるやん」

 「あー、あるねえ。ジェットジャガーとか、まさにそうや」

 「レオパルドンやったら、ウルトラマンのところも、80ザ・ウルトラマン

 「アンドロメロスとかね」

 「今の子、知らんやろなー。アーネストとスティーブンは知ってるやろけど」

 

 なんて盛り上がっていたところ、冒頭のようにホンドウ君が、

 

 「せやねん、結局そこにいきつくねん。【オレやったら、こうする!】てなるやん。だから今日はもう、みんなで『オレだけのレディ・プレイヤー1』決定版を作ろうぜ!」

 

 うーむ、なにやら、おもしろげなことに、なってきたではないか。

 あの映画は、見たらとにかく男子の中にある「少年の心」を、むやみにくすぐるところがある。

 ヤクザ映画を観たあと、やたらと風を切って歩き、音楽ライブの帰りは電車の中でエア楽器を奏でるように、オタク映画は観終わって、

 「オレなら、あそこはあのキャラを出す!」

 と妄想を働かせるものなのだ。

 じゃあやってみようとなったが、なんせみんな喋りたいもんだから、マイクの奪い合いで収集がつかない。

 もう、みんな40代で、家庭を持ってる奴も多いのに阿呆……もとい気持ちは若いが、そこで、手まめなワカバヤシ君が、

 「設問形式でまとめるから、それに答える形で行こう」

 ということで、以下、ワカバヤシ君がまとめてくれた質問箱。

 これに答えると、あなたも自分だけの『レディ・プレイヤー1』が脳内上映できます。

 

 


 1 あなたのアバターと、カーレースに参加する乗り物はなんですか?

 2 あなたが恋に落ちるヒロイン「アルテミス」のアバターは?

 3 心ゆるせる相棒「エイチ」のアバターは?

 4 レースの邪魔をする2匹のモンスターはなんですか?

 5 あなたが戦うノーラン・ソレントの正体は?

 6 ノーランを助ける凄腕女秘書フレーナは?

 7 ダンスを申し込む場面で舞台となる、映画と流れている音楽は?

 8 水晶の鍵ゲットのために、クリアしなければならないゲームは?

 9 劇中で使われる、あなたにとっての「手榴弾」は?

 10 大ボスの怪獣、なにを選ぶ?

 11 それに対抗するあなたメカヒーローは? どちらも答えてください

 12 あなたにミッションを課す「ハリデー」の正体は?


 

 

 他にも色々あるけど、キリないからこれくらいで。

 この遊び、いや、すんげぇ楽しかった。通話が終わったあとも、

 「さっきの3番やけど、やっぱ最初に言うてたやつに変えてもええ?」

 とかラインでやりとりしてるの。中学生昼休みか!

 それくらいアツくなる『オレ・プレイヤー1』(それぞれが何を選んだかは→こちら)。

 自分の中の「正解」が次の日には変わってるから、何度でもやり直せて、時間つぶしには最適。

 いや、メチャメチャ楽しいな、コレ!

 

 

 

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ルイ・マル監督『ビバ!マリア』はエレガントな美女西部劇

2021年12月13日 | 映画

 映画『ビバ!マリア』を観る。

 『死刑台のエレベーター』

 『地下鉄のザジ』

 『さよなら子供たち』

 などなど、お気に入りのルイ・マル監督といえば、これは手を出さないではいられません。

 主演が名女優ジャンヌ・モローに「BB(べべ)」ことブリジット・バルドーと豪華版だが、まさにそれにふさわしい、盛りだくさんな内容に仕上がっている。

 私は映画紹介に関しては「浜村淳スタイル」を採用しているので、ネタバレがイヤな方は、今回、全部飛ばしてください。

 

 

 

 オープニングは1889年のアイルランド

 イングランド軍が衛兵交代をしている隣の芝生で、小さな女の子が毬遊びをしている。

 かわいらしい光景で、なんとも牧歌的なはじまりかと思いきや、女の子のむかう先にいたパパが毬にをつけると、なんと衛兵たちのいる砦が大爆発

 続けて1884年のロンドン

 やはりかわいらしい少女が、雪の中でりんご売り。
 
 健気な彼女が、お届け物を警察署に。

 おまわりさんから、頭をなでられたりしながら、しばらくすると署がドッカン

 パパと少女が、逃げ込む先の建物には貼り紙があり、そこには「賞金首」の文字。

 もちろん、そこにあるのは2人の写真

 そう、なんとこの仲睦まじい父娘は、支配者であるイングランドに対抗する、アイルランドの爆弾テロリストだったのだ!

 そこからさらに時が過ぎ、すっかり大人になったブリジット・バルドーは相も変わらぬテロ生活

 ジブラルタルで、中央アメリカで、憎きイングランド軍をバッコンバッコン爆発させます。まさに爆弾娘。

 残念なことに、中央アメリカの仕事でパパは捕まり、最後の命令で泣く泣く橋とイングランド人もろともパパを吹っ飛ばしたべべは、ボードビル一団にまぎれむことに。

 そこで、なんとジャンヌ・モローと「マリアとマリア」というユニットを結成し旅芸人になる。

 そこから、急にミュージカルがはじまり、ジャンヌとべべが歌うわ踊るは、足や肩までチラリと見せるサービスぶりで、そこにロマンスもはさまって、楽しい歌劇と恋愛ものに。

 『地下鉄のザジ』を撮ったルイ・マルのことだから、スラップスティックな恋愛コメディーに走るのかと思いきや、ジャンヌが革命青年に恋して、物語はまさかの急展開

 死んだ恋人の意志を継ぎ、さすがは女芸人ということでシェイクスピア『ジュリアス・シーザー』のセリフで民衆をアジってアジって、なんと気がつけば革命軍のリーダーに(!)。

 さっきまで機嫌よく、歌って踊ってしてたのに、

 「なんでそーなるの?」

 という話だが、最初は嫌がっでたべべも、女の友情と昔取った杵柄ということで、いつも間にやら爆弾片手に手助けするハメに。

 そこからは美女2人が、ライフル撃つはマシンガンぶっ放すは、当然のことながら爆弾もバンバンで、もう大変なことに。

 いつの間にか物語は南米風西部劇になり、アクションあり美女の危機ありのハラハラドキドキで、でもそこはルイ・マル監督だから、やたらとエレガント

 なにかもう、娯楽要素てんこ盛りで、まー観ていて楽しく、ただただゴキゲンだ。

 あと、この映画はエンタメの裏に、ひそかな風刺性もある。

 中南米といえば、とにかく「独裁」のイメージがあった時代背景もあり、しかも権力といえば資本家軍隊宗教がワンセットということで、時代や地域を問わず普遍性があることもわかる。

 今なら「メディア」も入ることだろうけど、

 「電気がある」

 ことが権力者の自慢なんだから、まだそういう時代ですらないのだろう。

 

 「ここは中世」

 

 ってセリフもあるしね。

 こういうのは、できたら「他人事」として楽しみたいけど、今の日本だとどうなんでしょう。

 そんなことも感じさせてくれる、ハチャメチャでゆかいな娯楽作『ビバ!マリア』は、女優の魅力もすばらしく、とってもオススメです。

 

 

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映画『ギャラクシー・クエスト』はオタク的にも、コメディとしても一級品

2021年02月26日 | 映画

 映画『ギャラクシー・クエスト』が、おもしろい。

 昨今ではオタク文化といえば「日本のお家芸」といったイメージがあるが、もちろんマニアックな趣味人の世界は、時代東西を問わず存在する。

 そんな「OTAKU」をあつかった物語といえば、日本だと

 

 『げんしけん』

 『トクサツガガガ』

 

 など枚挙に暇がないが、海外でも

 

 『宇宙人ポール』

 『暗黒太陽の浮気娘』

 

 などたくさんあり、この『ギャラクシー・クエスト』もまた、そのひとつなのである。

 主人公は人気SFテレビドラマ『ギャラクシー・クエスト』に出ていた俳優たち。

 すでに放送終了から20年も経っているのに、そのカルト的人気はおとろえず、今でも様々なイベントが開催されるほど。

 俳優たちは往年の衣装を着て、劇中の名セリフを朗読したりして喝采を浴びているのだ。

 ところが、彼ら(ひとりは女優)の現状はといえば正直、役者としてはサッパリ

 いわば『ギャラクシー・クエスト』での仕事は「一発屋の営業」というか、皆食うためにイヤイヤだったり、倦怠だったりして、完全に「お仕事」としてやっているわけなのだ。

 宇宙人のアレクサンダーは劇中の決めセリフを言うことを、かたくなに拒否し、ヒロインのグエンは演技より「オッパイのでかさ」しか語られないことに、ウンザリしている。

 かわいかった子役の黒人トニーも、今では「ふつうの大人」でしかないし、『プロテクター号』艦長のジェイソンは、ドラマの中と違いヘラヘラしてるが、ファンが自分のことを陰で、

 

 「過去の栄光にすがるイタイ奴」

 

 嘲笑しているのを知り、ショックを受ける。

 そんなパッとしない二流の役者たちが、ある日突然サーミアンという宇宙人の船に連れていかれることから、話が大きく動き出す。

 嘘をつくという概念がなく、すべての物事を「本当のこと」と受けとめるサーミアンたちは、なんと『ギャラクシー・クエスト』を「本物のドキュメンタリー映像」と解釈。

 クルーたちの、勇気あふれる戦いに感動し、

 「あの人たちの手を借りよう!」

 なんと悪の宇宙人サリスを、やっつけてくれと頼んでくるのだ!

 ムチャクチャな展開で、こんなアホ気な設定をどうやって進行させていくのかとあきれる思いだったが、この映画、それを見事な脚本でさばいていくのだ。

 まず、クルーたちが

 「オレたちは宇宙船の操縦なんて、できない!」

 とうったえると、

 「大丈夫、あなたたちが使いやすいように、映像のままの仕様に作ってある」

 つまり、役者たちがセットで演じたように、ボタンを押せばテレビでやってたままビームが出るし、「全速前進!」とレバーを上げれば宇宙船は操縦できる。

 その他、廊下の長さからトイレの位置まで、すべてドラマ通り。

 これなら、『ギャラクシー・クエスト』を見てたら、だれでも操縦できるやんけ!

 これには腹をかかえて爆笑するとともに、えらいこと感心してしまった。

 なーるほど、こりゃだいぶ、脚本練ってるやないかいな。

 とにかくこの映画、設定的な乱暴さを、すべてこういう手順で納得させていくのがお見事。

 SF的な「文明間の齟齬」が、巧みに設定リンクさせてるの。いやー、うまいですわ。

 さらには、そういう噛み合わなさと、オタク的発想がギャグとしても次々飛び出す。

 たとえば、ジェイソンとグエンが船内を冒険するときも、やたらと危険な障害物があれこれ出てきて、

 

 「なんでこんなものが船内にあるの?」

 「ストーリーを盛り上げるためだよ。意味なんてない」

 「その回の脚本を書いたヤツ、絶対殺してやる!」

 

 みたいな、やり取りがあったり。

 反炉心を停止させるボタンを押すが、何度やっても反応せず、すわ、お終いか!

 覚悟を決めたところ、「1秒」の表示でピッタリ止まったり、といった「お約束」とか。

 なんで自分が乗ってる船に、乗組員を殺そうとする罠があるのか、なぜあらゆる危険なボタンは、押してすぐ反応しないのか。

 もちろん、これらはストーリーを盛り上げるため、ドラマ本編で脚本家がいい加減に書いたものを、サーミアンが忠実再現してるのだ!

 なんという余計なお世話で、グエンがブチ切れるのも納得だが、もしそうでなかったらメンバーは宇宙船を操縦できなかったんだから、しょうがないよねえ。

 トドメに笑っちゃうのが、船内をリモートで案内するのが『ギャラクシー・クエスト』の大ファンである、イケてない青年ブランドンなこと。

 なぜ彼がナビをするのかと問うならば、オタクの彼はクルーたちのだれよりも『プロテクター号』のことにくわしいから。

 一方の出演者たちは、ファンほど自分たちのドラマに思い入れもないから、オンエアをまともに見ていないわけで、船内の構造なんて、なんの知識も興味もない!

 これまた洋の東西や時代を問わない

 「伝説の作品あるある

 であって、元ネタの『スター・トレック』にかぎらないわけだが、「わっかるわー」と、もう爆笑に次ぐ爆笑。

 それこそ、『ルパン三世』次元大介を演じておられた小林清志さんも、

 

 「ファンの方から、よく次元の思い出を聞かれるんですが、昔の仕事なんで、よく覚えてないんです」

 

 インタビューで困ったように答えられてましたが、たしかにわれわれは好きな作品を何回、ときには何十回と鑑賞したりするけど、むこうは

 「仕事で1回

 なんだから、そこに温度差が出るのは、やむを得ないのであるなあ。

 『ギャラクシー・クエスト』は、このようなファン心理やオタク心をくすぐるネタがてんこもりで、もう楽しい、楽しい。

 以前、『蟲師』などで知られるアニメ監督の長濱博史さんが、

 

 「『機動戦士ガンダム』を見たときの感動はね、あー、あのガンダムの胸のギザギザは排気口なんだ。あー、あの額の穴はバルカン砲で、横の出っ張りに弾が入ってるんだって。

 そうやって見た目の違和感を、次々と説明してくれることなんだ。冨野さんに言いくるめられる快感なんだよ!」

 

 なんて『熱量と文字数』で熱く語ってましたけど、まさに言えて妙。

 私も『ギャラクシー・クエスト』のおもしろさは、この「つじつまを合わせる」楽しさ、「いいくるめられる」快感にあった。

 そんな風呂敷広げて、そうたたみますか、と。ピタゴラスイッチ的ニコニコ感、とでもいいますか。

 それはもうですね、やはり制作人による愛憎入り混じった「オタク愛」と、しっかり練られた脚本の力が大きい。

 しかも、クライマックス付近では、役者たちのトホホな人間性や、劣等感、ドラマのマヌケ設定が、すべて伏線回収で「感動」に転化されるのだからスバラシイ。

 観て思ったことは、日本のエンタメ映画の弱さは、まさにこの「構成力」の不足にあるのではないか。

 とりあえず演技のヘタな役者と、「説明セリフ」と「浪花節」に頼ったフニャフニャのストーリーはもうウンザリ。

 めんどうかもしれないけど、地道に脚本を練る作業を、もっと重視してほしいなあ。

 『カメラを止めるな!』が当たったのとか、まさにそこだと思うんですよ。

 


 

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柘植文『野田ともうします』に見る「おもしろく間違う」の好例 アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』のマグロのお刺身編

2021年02月12日 | 映画
 「おもしろく間違っている人」と話すのが楽しい。
 
 という話を先日したわけだが(→こちら)、小説や映画の感想をあれこれしゃべっていて、「正しい解釈」を語るよりも、
 
 「ズレていても、その人にしか思いつかない視点」
 
 これを見せてくれる人の方が、圧倒的に興味を惹かれるのだ。
 
 私も若いころはそうだったが、どうしても人間は自分のさかしらな知識を披露し、そのプライド自己顕示欲を満たすために、せっせと物語の「テーマ」「メッセージ性」などを探し、アピールすることに血道をあげてしまう。
 
 だが実際のところは、そんなもん聞かされても、退屈でめんどくさいことが多いし、中身もうすく、的外れなことがほとんどだ。
 
 そういうものは、玄人の映画評論家や書評家にまかせておいて、われわれはもっとフリーダムにやってもいいのでは。
 
 経験的に見ても
 
 「それ絶対に鑑賞ポイント間違ってるけど、オレには絶対に思いつかん発想やわ」
 
 という「間違った」意見の方がよっぽどか参考になるし、その人となりが伝わるものなのだ。
 
 その好例を、今回ここに紹介してみたい。
 
 ドラマ化もされた、柘植文先生『野田ともうします』の1シーンで、
 
 
 
 
 
 
 
 
 これですよ! これ、これ!
 
 この野田さんによる、読みどころのはずし方がすばらしい!
 
 あのヘミングウェイの名作といわれる『老人と海』を捕まえて、
 
 
 「マグロの刺身がうまそうじゃない」
 
 
 とは、独自が過ぎるではないか。
 
 しかも「主人公に共感できません……」とうなだれるとか。
 
 そんなに大事か、マグロの刺身
 
 さらに彼女が偉いところは、
 
 「巨大魚との戦いの過酷さ」
 
 という本質をしっかりと読み取ったうえで、「だとしても」と間違っていること。
 
 この「一回、知性が乗っかった」うえで、わざわざ「そっちかよ!」と意表をつきまくる。
 
 つまりは「頭のいい誤読」なのだ。
 
 もっと言えば、すべてが本気なのがいい。こういうところで、
 
 
 「オレはちょっと、ナナメの視点からモノを見れるセンス系の人間」
 
 
 というアピールをされると、冷めることはなはだしい。
 
 ウケねらいではダメなのだ。そこに「熱き魂」があってこその、おもしろい間違いである。
 
 その点、野田さんの解釈、エド・ウッド風に言えば「パーフェクト!」
 
 私もこれから海外文学に接するときは、
 
 
 「文学における和食的美味の視点」
 
 
 これを忘れずに、その妙味を味わってみたいと思う。
 
 
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映画や小説の「正しい解釈」と、「おもしろく間違う」ことについて その2

2021年02月03日 | 映画

 前回(→こちら)の続き。
 
 小説映画の感想を「間違っている」「的外れ」と言われても、昔と違って全然気にならなくなったのは、
 
 
 「独自的で、おもしろく間違っている人」
 
 
 の話を聞く方が、圧倒的に楽しいからだ。
 
 岡田斗司夫さん言うところの「トシオの妄想」というやつだ。 
 
 映画や小説には「正しい解釈」というか、それに近いものというのはたしかに存在する。
 
 
 「ゲーリー・クーパーとグレース・ケリーの『真昼の決闘』は、監督のフレッドジンネマンがハリウッドに蔓延する《赤狩り》を批判したもの」
 
 
 といったことは、評論家による解説や、監督のインタビューなどで語られてて、こういう
 
 
 「製作者の意図」
 
 「映画史における作品のポジション」
 
 「無意識に出てしまった監督の思想や欲望」
 
 
 などなどが、きっと定義的には「正解」となるのであろう。
 
 しかしまあ、こういうのはプロにまかせておけばいいのではないか。
 
 たとえば、中島らもさんはチャーリーチャップリンの名作『モダンタイムズ』を見て、怒りを覚えたという。
 
 激おこのシーンは、かの有名な、チャップリンが歯車の中で弁当を使うシーン。
 
 そこでチャーリーは機械によって、スープをにぶっかけられたり、トウモロコシで歯みがきをさせられたりするわけで、この場面の「正解」はもちろんのこと、
 
 
 「機械に支配されるかもしれない、ディストピア的未来を喜劇的手法で表現している」
 
 
 ということだろうが、らもさんは子供のころ、ここを観ながら、
 
 
 「チャーリー! おまえ、オレよりええもん食うてるやんけ!」
 
 
 機械に支配されてもいいから、あんな豪華ランチを食べたいんやと。
 
 これには文明批判のつもりのチャーリーも、スココーン! とズッコケることであろう。
 
 似たようなところで、『アパートの鍵貸します』でも、ジャックレモン冷凍食品の弁当で夕食をすますシーンがあって、もちろんこれも、
 
 
 「独身男のわびしい晩餐」
 
 
 を表しているのだが、和田誠さんと三谷幸喜さんは対談でこの映画を取り上げ、
 
 
 「みじめさを表現してるんでしょうけど、チキンとかあって、おいしそうなんですよね」
 
 
 これらの感想など、思いっきり制作サイドの思惑とを行っている「間違った」ものだけど、私としては「たしかに」と納得いくものであったし、
 
 
 「『貧しかった昭和日本』の経済や食事情」
 
 
 を理解させてくれるところもある。
 
 東野圭吾容疑者Xの献身』は本格推理というより、
 
 
 「モテない男の純愛小説」
 
 
 と読み解く作家の本田透さんや、ラジオで映画『プリティ・ウーマン』を、
 
 
 「主人公が男前じゃなかったら、とんでもなくゲスいストーリーや! その証拠にリチャード・ギアサモ・ハン・キンポーに入れ替えたら女性陣だれも観ませんよ!」
 
 
 そう喝破した、竹内義和アニキ。
 
 映画評論家の町山智浩さんなど、『ポセイドンアドベンチャー』のことを、「WOWOW映画塾」ではダンテの『神曲』をベースにメチャクチャ格調高く語ってたのに、『ファビュラスバーカーボーイズの映画欠席裁判』では、
 
 
 太ももだよ! この映画は若いオネーチャンがホットパンツから健康的な太ももを見せるのところがポイントなんだよ! リメイク版でそれを入れなかったのは万死に値する!」
 
 
 いやもう、これには「ダンテはどこ行ってん!」と爆笑しながらも、大いに共感してしまったもの。
 
 私も友人ナニワ君と映画『アベンジャーズ』を一緒に見たとき、
 
 
 「スカーレット・ヨハンソンのがサイコーや!」
 
 
 しか言わなくて、昼下がりのファミレスで、周囲の家族連れや女子高生にイヤな顔をされたもの。 
 
 いや、『アベンジャーズ』の魅力はそこ(だけ)ちゃう!
 
 でも、いいんである。
 
 そう考えると、私がこうした「そことちゃう!」な話が好きなのも、だれかと映画の話をするときは、その映画がどうとかよりも、
 
 
 「その映画を見て、目の前の人がどう思ったか。自分とは違う、どんな独自の世界観を見せてくれるのか」
 
 
 これを期待しているのだ。 
 
 いわば人を見ているのであって、作品はその「触媒」のようなものかもしれない。
 
 その化学反応こそが興味深く、きっとそれは作品自体の生の魅力とは別個のもの。
 
 その両方があってこそ、「映画談義」は豊かなものになり、「正解」よりも主観にかたよっていればいるほど、おもしろい。
 
 だからそう、われわれは「正しい」に臆することなかれ。
 
 間違うために、映画館に行こう!
 
 
 (続く
 
 
 
 
コメント (2)
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