これだけやれば初段になれる(?) 「ただの手の運動」棋譜並べのススメ

2021年08月29日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

 ここまで私の、かなりかたよった棋歴を紹介したが(激辛道場編は→こちら 高校で詰将棋マニアとの出会い編は→こちら ネット将棋で大ブレイク編は→こちら)、

 

 「そんな、いいかげんなやり方で、よく有段者になれたな」

 

 あきれる読者諸兄も、おられるかもしれない。

 たしかに、実戦はほとんど指さなかったわ、詰将棋は全然解かないわ、定跡はテキトーだわ。

 なんともアバウトきわまりないが、アマ初段クラスまでなら、わりとそんな感じでも、ワンチャンなれるんではないだろうか。

 やったことはひとつで、これまでにも書いてきたが、とにかく「棋譜並べ」だけは、たらふくやったもの。

 『将棋マガジン』『将棋世界』『将棋年鑑』『週刊将棋』の棋譜から、おもしろそうなのを全部、かたっぱしから並べたわけだ。

 別に勉強しようとか、強くなりたいとか、殊勝な思いがあったわけではなくネット中継もない時代、プロ将棋を鑑賞するには、それしかなかったのだ。

 その際のコツは、とにかく「テンポよく、どんどん並べる」こと。

 よく「将棋上達法」のような本には、

 

 「棋譜並べも、ただ漫然とするだけでは意味がありません。一手ずつ手を止めて、自分なりにじっくり考えてから、次の手に進みましょう」

 

 なんて書いてあるが、これはオススメできません。

 いや、実際にできるなら、きっとそれがいいんだろうけど、このやり方だと、ほとんどの人が続かないと思うわけだ。

 いちいち手を止めてたら、途中でイヤになっちゃうし、どこまで並べたか見失いがちだし、次の手をかくすというのもめんどくさい。

 こういうのは、最初から最後までサーっと並べてしまう。

 いわゆる「ただの手の運動」と揶揄されるやり方で充分

 解説を軽く参照しながら、サクサク並べてOK。

 「棋譜並べ」では読みとかよりも、「手の流れ」や「」のようなものを感じ取るのが大事。

 細かいことよりも、

 「こういう局面では、なんとなく、こういうところに指が行くんやなー」

 くらいで充分。

 これを続けていると、プロが解説なんかでいう、

 

 「この局面、第一感はこうですよね」

 「筋としては、まずこう指してみたいところです」

 

 みたいな手が、自然と浮かぶようになってくる。

 具体的に言えば、観戦しながら「ちょいちょい、手が当たる」ようになってくる。

 そういう「一目、」という手は間違いが少なく、実戦でも役に立つ。

 そしてもうひとつ、それより、もっと大きいのが、

 

 「ひねり出した手」

 

 こういうのが、たくさん見られること。

 手がない局面から、「フンガー!」と気合一発くり出した手は、いささか精神論的だが、好手悪手の壁を越えて、勢いで「通る」ことも多い。

 

 

 こないだやってた、2021年、第6期叡王戦から第2局のハイライト。

 局面の印象も、評価値換算でも、藤井聡太王位・棋聖が必勝形に近い戦いが続いていたが、この▲54銀が、まさに「棋譜並べ」で、体感できる類の勝負手。

 実際にいい手かどうかは不明だが、劣勢の局面からも、なにか「ひねりだす」豊島将之叡王の底力とメンタルにシビレた。

 

 

 そういった、「火事場の馬鹿力」的な手をたくさんストックしておくと、なにかのときに役に立つもの。

 なんというのか、不利な局面をがんばるとか、終盤の泥仕合が楽しくなってくるのだ。

 さらにもうひとつ、変な言い方だが「意味不明の手」というのも味わえる。

 

 

 

2000年、第13期竜王戦7番勝負の最終局。
先手優勢ながら寄せでもたつき、かなりアヤシくなったところで藤井猛竜王から飛び出した、よくわからない角打ち。
「一歩竜王」で有名な観戦記を書いた、先崎学九段いわく「サッカーボールが急にふたつになったような異次元空間」。
「2つのボール」に羽生善治五冠は混乱し、△42同金としてしまうが、ここは△33歩と打てば、逆転しててもおかしくなかった。

 

 

 「逆転勝ち」型の私としては、常に「相手のミス」を、いかに誘うかという戦いとなる。

 そういうとき必要なのは、

 「わけのわからない局面

 たとえ相手が、アマ級位者や初段クラスでも、

 「わかりやすい形」

 になると、なかなか間違ってくれない。「教科書通り」の手が通じるように、してはいけない。

 そこで、強い人のくり出す「局面を混沌とさせる手」をたくさん見ておくと、これが役に立つ。

 たとえ好手でなくとも、本や教室で教わる、「手筋」「格言」のリズムを破壊する指し方。

 これこそが、私が棋譜並べで身に着けた、ややマニアックな勝負術なのだ。

 そんな、あいまいなもん、使えるのかと言われそうだけど、私は現にそれで二段になれた。

 それに、なんといってもこの「漫然と棋譜並べ」は単純作業だから、考えずに勉強できるのが良いのだ。

 私が実戦を指さないのは

 

 「考えるのがめんどくさい」

 

 からだから、「読まずに勝つ」スタイルを目指すには、これが一番。

 郷田真隆九段の有名な言葉に、こういうのがある。

 

 「いい手は指がおぼえている」

 

 いい棋譜をかたっぱしから並べていれば、まさに、そうなってくれるのだ。

 私は米長邦雄永世棋聖の『米長の将棋』がバイブルでした。

 

 

『米長の将棋』収録の、1979年の名人戦リーグ。米長邦雄王位と、大山康晴十五世名人の一戦。
△35銀で飛車がほとんど死んでいるが、▲同飛と切り飛ばして、△同歩に▲43歩成がカッコイイ踏みこみ。
佐藤康光九段も座右の書にしていたそうだが、それがわかる一連の手順。
棋譜並べをすると、ここで▲16飛と逃げるのは「ない手」だなと指がおぼえてくれる。

 

 

 今だとパソコンスマホでも鑑賞できて、これだと盤面を止めてじっくり見られるから、より便利になったけど、実際にを出して、で並べるのもおススメです。

 これは勉強で「手で書いておぼえる」のと同じ理屈。

 好きなプロ棋士の手つきをモノマネしながら(これは楽しいのでオススメ)、パシパシいい音を立ててやりましょう。

 YouTubeとかラジオでも聴きながら、ダラダラ並べて、あとは実戦を指しまくる。

 これで、すぐにでも初段です。

 これは囲碁の依田紀基九段や、元奨励会三段の石川泰さんも同じことをYouTubeで話していたから(石川さんの解説動画は→こちら)、きっと効果はバツグン。

 私と同じナマケモノはお試しあれ。

 

 

  (続く→こちら

 

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1手ゆるめて勝率アップ! 大山康晴vs塚田正夫 1954年 実力日本一名人対九段

2021年08月26日 | 将棋・好手 妙手

 「ここで1手、落ち着いた手を指せれば、勝てましたね」

 

 というのは、駒落ちの指導対局で負けたときなどに、よく聞く言葉である。

 将棋は相手のを詰ませれば勝ちだが、局面によってはそれを急がない方が早く勝てることが結構あるのだ。

 そこで前回は、村山慈明七段のタイトル初挑戦の野望を打ちくだいた、羽生善治九段の妙手を紹介したが(→こちら)、今回は時代がぐっと下がった、ヴィンテージマッチを。

 

 1954年の、大山康晴名人塚田正夫九段の一戦。

 

 「実力日本一名人対九段」

 

 という五番勝負で、「九段」というのは今の竜王だから、さしずめ豊島将之竜王と、渡辺明名人の「竜名決戦」といったところか。

 戦型は後手の塚田が三間飛車を選ぶが、大山からすれば塚田が飛車を振るなど見たことがないし、棋風的にも合ってないのでは、と感じたそう。

 その精神的余裕からか、優位に進め、むかえたこの局面。

 

 

 

 盤面は大山優勢だが、塚田もねばって、決め手をあたえない。

 温泉気分から「出直し」という心境だった大山だったが、ここで「自慢の一手」をくり出し差を広げる。

 

 

 

 

  ▲86歩と突くのが、習いのある手筋。

 フトコロを広げながら、次に▲85歩と突きあげれば、後手の玉頭がスカスカで、すこぶるきびしい攻めになる。

 これはもう感覚的にも、とんでもなく味の良い手で、ぜひとも指におぼえさせておきたいもの。

 こうなると、9筋も、光輝いているではないか。

 この場面で、こういう手が指せるということは、「フルエてない」という証拠だから、これは手の中身以上にガックリきます。

 間違ってくれそうもないやん、と。

 このように、

 

 「優勢な局面で、急がず落ち着いた手を指す」

 

 というのは、遅いようでも実は最短だったりするうえに、相手の心を折る効果もあって、その威力は見た目以上に絶大

 この呼吸をマスターすれば、勝率アップは間違いないのだが、実戦だとこれが、わかってても指せなかったりするんですよねえ……。

 

 もうひとつ、大山の落ち着いた指しまわしと言えば、この将棋。

 1990年、第15期棋王戦の挑戦者決定戦。田丸昇八段との一戦。

 当時、66歳(!)で挑決まで勝ち上がってきたのが話題となったが、そこでも大山は、その強さを見せつける。

 序盤の駒組で田丸に一矢あり、早くも大山がリードを奪う展開に。

 

 

 

 後手が、ほとんどなんの代償もなく桂得に成功しているうえに、先手陣は金銀がうわずって、まとめにくくなっている。

 後手が優勢なのは明らかだが、ここからの大山の指し回しは、ぜひとも参考にしたいところである。

 

 

 

 

 

 △42玉と、ここで自陣を整備にかかるのが、血を売ってでもマスターしておきたい絶妙の呼吸。

 こういうハッキリ良くなった場面だと、ついあせって△94桂とか△35角のような直接手に頼ってしまいがちだが、そこをじっと手を戻しておく。

 これで先手が困っている。

 後手玉は、指せば指すだけ安全になっていくにもかかわらず、先手陣は金銀がバラバラで、どうやっても好転する形がない。

 こういう、相手にプラスの手がないときは、冷静にふるまうのがいいわけで、それは数手進めば一目瞭然。

 

 

 

 後手はバランスの良い陣形に組めているのに、先手はほとんどパスに近いような手しか指せていない。

 ここからも、大山は田丸になにもさせず圧勝

 こういう、奪ったリードを着実に広げながら勝つというのは、地味ながら、かなりむずかしい技術である。

 それを、こんな簡単にこなしてしまう、大山の勝率が高いのは当然と言えるだろう。

 

 (藤井猛のA級陥落編に続く→こちら

 

 

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定跡の知識や詰将棋なしで、初段になりたい! ネット将棋で大ブレイク 将棋俱楽部24編 その2

2021年08月23日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

 長らく「指さない将棋ファン」だったが、ネット将棋と出会って、実戦経験を積んだら、なんとか目標だった「アマ初段」になれた20代の私。

 昇段後、またも勝ったり負けたりという、実に平和な勝率5割ペースを守っていたのに、あるところから、おかしなことが起こった。

 突然、連勝街道を驀進し始めたのだ。

 それも、たまたまではなく、明らかに「手ごたえ」がある勝ち方でだ。

 これにはノートパソコンの前で、ひとりごちたものだ。

 「ブレイクスルー」が起ったな。

 と言われても、経験したことのない人にはピンと来ないかもしれないが、なにかをコツコツ積み上げていると、ある日突然

 「一気に伸びる

 という大爆発が起こることがある。

 私の場合、大学受験テニスで理解できた。

 高校3年間、まったく勉強しなかった私は、偏差値でいえば底辺からスタート。

 とくに英語がサッパリだったので、そのころ、とにかくすすめられた「英文の音読」をやることにした。

 問題文を解いた後に、意味がわからなくても、最低5回。できれば10回

 調子のいいときは20回30回と、とにかくマシンのように口に出して読み下していったら、5か月たった夏休み明けに、いきなり「読める」ようになった。

 それまで、ただの「暗号」にしか見えなかった英文が、魔法のようにザーッと読み下せる。

 このときの感動と言ったらなかった。

 またテニスでも、サービスがまったく入らなかった最初期に、家でひたすらトスアップの練習と、タオルで「シャドーサーブ」(野球の「シャドーピッチング」と同じです)をくり返していたら、2か月後スピンサーブがバンバン入るようになった。

 私がボンクラのくせに、意外と

 

 「練習は裏切らない」

 「コツコツやることが大事」

 

 とか言いがちなのは、間違いなくこの、「ブレイクスルー」の感動を実感したからだ。

 「ブレイクスルー」は、私の場合は、遊びでやってた「棋譜並べ」が基礎になり、「実戦経験」を加味することで起こった。

 私のやる棋譜並べなんか、ただ漫然と並べてるだけ(「手の運動」とバカにされるアレです)なんだけど、そんな程度でも、「続けた」ことが、たぶん大事。

 それこそ「観る将」の人でも、たくさんプロの将棋とかYouTubeの実況とか見るだけのことでも、それを「続けて」いけば、いつか花咲くと思うわけだ。

 「ブレイクスルー」による連勝街道は止まらず、それまで初段で勝率5割だったのが、気がつけば二段に。

 また二段でもつまずくことなく、さらに勝てたのは、勢いもあったのだろう、ついには三段昇段の一番をむかえることに。

 ふだん欲のない私だが、さすがにここは気合が入り、三段の人相手に200手近い大熱戦を戦ったが、最後の最後で敗れてしまった。

 結果は残念だったが、全力は出せた将棋だったので満足感はあり、そこで落ち着いてしまったのか、それ以降はあまり、気の入った将棋を指さなくなってしまった。

 せっかく強くなれたのだから、一回くらい三段に上がるまでがんばってみようかとも思ったのだが、この3か月けっこう指して、それでこれまでの「指さないファン」だった渇きも、癒えたようなのだった。

 特に私は、棋力以上に「精神力」で戦う旧日本軍スタイルだったので、執念がなくなっては、有段者相手に戦っていけないだろう。

 ということで、いったんここで「第一部」ということにし、また呑気な「読む将」生活に戻った。

 以降ここまで、また長い長い「指さない」ファンに戻っている。

 その間も、特に「指したい」と思わないのは、やはり私に「勝負」への関心(「勝つ」ことが楽しいという感覚)が希薄だからだろう。

 やっぱ将棋は、他人のを見てアレコレとテキトーなこと言ってるのが、無責任な私には一番合っている気がするなあ、うん。

  

 (初段になる棋譜並べ編に続く→こちら

 

 

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定跡の知識や詰将棋なしで、初段になりたい! ネット将棋で大ブレイク 将棋俱楽部24編

2021年08月22日 | 将棋・雑談

 前回の続き。

 ナマケモノの私が、いかにして「初段の壁」を超えたのかについて、このところ語っているが(ここまでの激辛道場編は→こちら 高校で詰将棋マニアと出会うところは→こちら)その特徴は、実戦をあまり指さないタイプだったこと。

 将棋雑誌を欠かさず購入し、スクラップまで作っていた(今のブログネタに生かされてます)ガチの将棋ファンにもかかわらず、とにかくだれかと指すという機会が、まったくなかったのだ。

 まあ昔だと、「将棋道場」という文化に肌が合わなかったり、学校に「将棋部」がないと、わりとありがちだったと思うけど、この状況に風穴を開けたのが、ネット将棋という存在だった。

 20代半ばくらいに、友人から古いノートパソコンをゆずってもらい、なんとなく「将棋俱楽部24」をはじめてみたら、これがハマった。

 なんといっても、家で気軽に指せるのがいい。

 道場みたいに、相手がいなくて待ちぼうけとか、煙草の煙とか、マナーの悪い人とか(これはネットにもいるかな)、そもそも、そんなに社交的じゃないしとか。

 そういった対人のめんどくささが、すべて解消されている。

 時間帯もお好みのままで、気まぐれな私にはピッタリだ。

 棋力がよくわからないので(単純なブランクだけでも7年どころか、実質15年くらいだ)、最初はとりあえず3級で登録。

 指してみると、はじめはぎこちなかったが、徐々になれだして、勝てるようになってきた。

 5局指して3勝2敗くらいのペースだったが、いろんな人と指しているうちに、なんとなくではあるが、自分の将棋が通じることがわかってきた。

 前回も書いたが、私の売りは、雑誌の自戦記や観戦記を読みまくり、「棋譜並べ」を山盛りやったことによって身についた、「実戦的な手」の数々。

 定跡にくわしくなく(めんどくさくて覚える気にならない)、詰将棋もやらないから、詰みの部分も「なんとなく」でやっている、とんでもなく、いいかげんなプレースタイル。

 けどそこは、アマ級位者レベルなら、不利になった中盤のごまかし方と、相手が息切れするまで耐え抜く、勝負手とド根性を駆使すればなんとかなる。

 

 

 

1977年の十段リーグ。米長邦雄八段と、淡路仁茂五段の一戦。
図の△56歩が米長いわく「まやかしの手」。
▲同金なら△35歩だが、取らないのも気持ち悪い。
こうして「心理的に揺さぶっ」て、やや不利な局面から逆転勝ち。
こういう手をマネして、相手が悩んでくれるのを見守るスタイル。

 

 

 自分のストロングポイントがハッキリすると、必然「勝ちパターン」のようなものが確立されてくる。

 こういう「自分の土俵」を見つけることは大事。

 私の場合、リードされたところから挽回していって、明らかに相手があせったり、もてあましている感じがしてくると「勝ったな」という気分になる。

 逆に中盤でリードを奪って、「キープして勝つ」ことを求められる局面とかはキツイ。

 また、終盤で一手違いの切り合いになると、詰将棋をやらないせいで、寄せがヘボくて、やられてしまうから、なんとか避けるようにする。

 こういうのが見えてくると、指していても、おもしろくなってきて、それが自信になったのか、ボチボチとではあるが、勝ちを積み重ねた。

 1級では、さすがにちょっと時間がかかったものの、まずは目標である初段に到達することができた。

 アマチュアで、とりあえず初段になれれば、まずは一人前だ。

 「任務完了」で、あとは気楽に指して、ここをキープしておけばいいやと、上昇志向もへったくれもない(だからこれ以上、強くなれないんだな)ことを考えていたのだが、ここから話は思いもかけない展開を見せるのだ。

 

 (続く→こちら

 

 

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「羽生世代」の壁 村山慈明vs羽生善治 2011年 第52期王位戦

2021年08月19日 | 将棋・好手 妙手

 前回(→こちら)に続いて、村山慈明七段のはなし。

 デビューからバリバリ活躍して、将来を大いに期待させた「ジメイ君」だが、順位戦ではB2に定着し、タイトル挑戦もいまだ無い。

 そのポテンシャルからして、「なんでやねん」と言いたくなるが、なかなかが厚い時代が長かったので、大変だったとは思う。

 そんな村山の大きなチャンスだったのが、2011年の第52期王位戦

 予選リーグの白組で三浦弘行佐藤康光窪田義行吉田正和といった面々に4連勝とトップを快走。

 最終戦の相手は、3勝1敗で2位につける、羽生善治名人

 村山が勝てば、文句なしの1位通過で、紅組1位の藤井猛九段と、挑戦者決定戦。

 仮に負けても、もう一回、羽生との同率プレーオフがあるという、有利な立場だ。

 将棋は羽生が先手で、相矢倉に。

 中盤の競り合いで見せた、冷静な受けが好評で、村山有利の終盤戦に突入。

 むかえた、この局面。

 

 

 ここで村山は△43金と受けたが、△42歩とすれば、好機に△78馬と切る筋があって勝ちだった。

 決戦の第1ラウンドは、まず羽生が制したが、最強の男を土俵際まで追いつめた村山も、また充実していた。

 続けてプレーオフ

 今度は後手になった羽生が、ゴキゲン中飛車を選択し、双方ガッチリ固め合う相穴熊戦に突入。

 羽生の手順を尽くした細かい攻めを、村山もを使ってしのいで、チャンスを待つ。

 むかえた、この局面。

 

 

 ここでは村山に勝機があり、▲62金と食いつけば、先手が勝ちだったのだ。

 手順は難解だが、解説によると、この局面で後手の一番ほしい駒は桂馬

 ▲62金なら、その要のを渡さずに攻めを継続でき、穴熊の深さが生きる展開だった。

 だが村山は▲61銀としてしまう。

 穴熊流の食いつき、という思想は同じで、筋は金よりだが、これだと△71金に、▲63桂としなければならない。

 ここで1枚が、どちらの手にあるかが、大きな分かれ目となった。

 それは、その後の手順でわかる。

 銀打ちのが判明するのは、この局面。

 

 

 後手玉は▲72金、△同銀、▲71金からの一手スキで、先手玉は王手すらかからない「ゼット」と呼ばれる状態。

 典型的な、穴熊の勝ちパターンのようにも思えるが、ここで後手に華麗な一着がある。

 

 

 

 

 △45角と打つのが、作ったような「詰めろのがれの詰めろ」で後手勝ち。

 自陣に利かしながら、△89角成からの詰みを両狙いにした、ほれぼれすような攻防手

 ちなみに、後手に桂馬を渡していなければ、図で▲79同金でなく、▲79同銀と取った形にすれば、△45角詰めろにならず先手が勝っていた。

 そして最後の場面。

 

 

 

 先手も懸命の食いつきで、一見受けがないようだが、羽生はすべてを読み切っていた。

 

 

 

 

 △63角で受け切り。

 ▲同と、は△同銀切れ筋

 先手玉は次、△79飛成▲同銀に、△同飛成なら、飛車手番を渡してしまい逆転するが、▲79同銀に、を取らず△88金と打って詰み。

 

 

 

 ここで村山は投了。王位挑戦は夢と消えた。

 羽生善治相手に2局戦い、どちらも勝ちの局面を作った村山は充実していたが、あと一歩がおよばなかった。

 村山はその後、2014年2016年棋聖戦でも、挑戦者決定戦に進出しているが、なかなか、そこから壁を破れない(それぞれ森内俊之永瀬拓矢に敗退)。

 盟友である渡辺明名人によると、

 

 「村(村山の仲間内での呼び名)は人が良すぎるからなあ」

 

 とのことで、その愛される人間性が、かえって勝負にマイナスの要素に、なっているのかもしれない。

 まあ、この手の分析はしょせんは結果論で、一度殻を破ってみれば、全然違う評価を呼んだりするもの(豊島将之を見よ)。

 早く、そのしぶとい将棋を、大舞台で見たいと願っている。

 マジで期待してるんだよなー。

 

 (大山康晴の冷静な勝ち方編に続く→こちら

 (村山の見せた「米長哲学」は→こちら

 

 

 

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ナマケモノでも初段になりたい! 高校『詰将棋パラダイス』青春篇 その2

2021年08月16日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

  先日から、

 「ダラダラしながら初段になる」

 という、人生をナメ……効率よく上達するため、そこはクリアできた私自身の将棋歴を語っているところ。

 高校時代、よくやっと同世代で、将棋の楽しさを分かち合える友人を見つけたと思ったら、まさかの

 「詰将棋マニア

 だったりしたわけだが、今回も『詰将棋パラダイス』(略称『詰パラ』)を解くだけでなく、創作にも手を染める「アーティスト」の友人コウノイケ君のお話。

 彼とは高校3年間で、実戦を指したのは、20局行くか行かないかだった。

 結構ガチ目の将棋ファン同士が、同じクラスにいて、その局数は少なすぎるというか、ふつうなら「1日20局」くらい遊びそうなものだが、なんとも不思議な関係であった。

 たまに指しても、これがまたな将棋。

 私は序盤で、仕掛けられたあたりの対処がだから、棒銀とか右四間飛車のようなシンプルな攻めでこられると、たいがい突破される。

 今でいえば、評価値マイナス800から、1000くらいの不利におちいるのだが、実はここからが腕の見せ所

 私は定跡のこまかい知識や、実戦経験こそ少ないが、将棋雑誌の自戦記観戦記を山盛り読み、そこで、

 

 「棋譜並べ」

 

 これだけは、人並み以上にやったという自負がある。

 といっても、別に勉強したかったわけではなく、ネット中継もない時代、強い人の将棋を鑑賞するには、そうするしかなかっただけだが(だから今はやらなくなった)、これによって私は

 

 「教科書には載ってない(載せても解説しにくい)実戦的な手」

 

 というのを、多く指におぼえさせることができた。

 なので、中盤から終盤の入口にかけて、あれやこれやとアヤシイねばりを駆使。

 そうして闇試合に持ちこみ、どさくさ紛れに追い上げていくのは、得意中の得意なのだ。

 

 

1993年のNHK杯。石田和雄九段と、櫛田陽一五段の一戦。
本格派の石田が、筋の良い仕掛けで攻めこんだところ、△45角が「教科書に載ってない」類のアヤシイ反撃。
不安定な角で、良い手かどうかは不明だが、対処をあやまった石田が敗れる。
よほど悔しかったのだろう、感想戦で駒をバシバシとカラ打ちしながら、櫛田に「まだやるんですか? 先生サマ?」と、からんでいた石田の姿が印象的だった。

 

 

 さらには、若さゆえの、自陣に駒を打ちまくり、ねばりまくってひっくり返す、昭和の「根性エンジン」も搭載。

 この棋風(?)だと、多少の不利など、モノともしないわけである。

 そんな、相手の撃ち疲れを待つ、米長泥沼流ならぬ

 

 「スターリングラード流」

 

 と恐れられた私の粘着だが、一方のコウノイケ君の棋風もまた、かなりかたよっていた。

 序盤がテキトーなのは、おたがいさま。

 中盤での手練手管はこっちがとして、おそろしいのが終盤である。

 なんといっても、相手は詰将棋名手

 泣く子も黙る『詰パラ』定期購読者なのだ。

 こういう人の寄せの力は、筋に入れば、一種トンデモなかったりする。

 かくいう私も「勝ったな」と温泉気分だったところから、すごいトン死を何度かいただいた。

 とにかく、こっちはしっかり受けているはずなのに、とんでもないところからバンバン弾が飛んできて、あっと言う間に仕留められしまう。

 

 

1983年の王位リーグ。谷川浩司名人と大山康晴十五世名人の一戦。
▲52にいる角で、▲43角不成(!)としたのが、盤上この1手の神業的な絶妙手。
ここで▲43角成は△54歩、▲66銀打、△同と、▲同歩、△55玉となって、▲56歩までの「打ち歩詰」になってしまう。
そこで▲43角不成とすれば、▲56歩に△44玉と逃げられるため反則にならず、以下▲45歩から押していけば詰む。
つまりは、こういう筋をねらってくるわけです。網にかかったら、おしまい。

 

 その様はヴァシリザイツェフのごとしで、まさに一撃必殺。

 あまりにあざやかに詰まされると、感心が先に立って、案外くやしくなかったりするのが不思議なもの。

 長手順のトン死を食らって、

 

 「よう、こんな詰み筋読んでるなあ」

 

 あきれると、友はこれ以上なく得意そうに、

 

 「ボクはトン死勝ちしか、ねらってないからね」

 

 な将棋や! 

 つまり彼にとって、序盤の駒組や、中盤のねじり合いなど、たいして興味がなく、終盤戦だけを、

 

 「ランダムに発生する実戦型詰将棋」

 

 と、とらえているわけ。

 うーん、まるで若手時代、序中盤で不利になると、

 

 「早く終盤戦になればいい」

 

 そう、うそぶいていたという、「光速の寄せ谷川浩司九段のようではないか。

 こうして「読む将」と「詰め将」のわれわれが戦うと、クソねばりとトン死筋という、あまりにも相反するというか、

 

 「山岳パルチザン対スナイパー」

 

 という実にマニアックな戦いとなってしまい、これがまた、ギャラリー受けも、すこぶる悪かった。

 中盤は、駒がゴチャゴチャと入り組んで、セオリーもへったくれもないジャングル戦

 なのに終盤だけは、コウノイケ君の目がキラリと光れば、わけのわからない難解な詰み筋が光の速さで披露され、「え?」という間もなく、おしまい。

 つまりは、

 

 「メチャクチャ、カンどころがわかりにくい戦い」

 

 だったわけで、見ているほうも、やっているほうも、頭がおかしくなるのだ。

 もしかしたら、それもまた、あまり指さなかった理由のひとつかもしれないが、われわれはどちらかといえば、指してる最中よりも、終局後の、

 「感想戦

 こっちが長かったタイプで、要するに、

 

 「将棋をネタに、ワチャワチャとおしゃべりする」

 

 ことの方が、楽しかったのだろう。

 なんで、盤を前にしても「一局、指そうぜ」とはならない(その間しゃべれないから)、なんともおかしな、将棋青春時代であった。

 

 (ネット将棋で大爆発編に続く→こちら

 

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ナマケモノでも初段になりたい! 高校『詰将棋パラダイス』青春篇

2021年08月15日 | 将棋・雑談

 「……の詰将棋」。

 質問にそう答えたのは、高校時代の友人コウノイケ君であった。

 先日から、

 「ダラダラしながら初段になる」

 という、人生をナメ……効率よく上達するため、一応アマ初段クリアした、私自身の将棋歴を語っているところ(激辛だった道場編は→こちら)。

 その特徴は「ほとんど実戦を指さないタイプ」であったこと。

 それが、いかにして有段者になれたかというところだが、そんな、かたよったファンにも転機がおとずれ、はじめて

 「同世代の将棋ファンの友人」

 と出会うこととなったのだ。

 なら、そこから、一気に実戦指しまくりライフに突入かといえば、これがそうはならないから、おもしろいもの。

 というのも、その友というのが、

 「詰将棋マニア

 という存在だったからだ。

 コウノイケ君とは高1のとき、同じクラスで仲良くなったが、趣味が将棋と知り、

 

 「へー、オレもやねん。うれしいなあ。じゃあ、プロやったらだれのファン?」

 

 そうなにげなく問うてみると、

 

 「谷川浩司内藤國雄

 

 今で言えば、「豊島将之久保利明」と、答えるようなものであろうか。

 そっかー、やっぱ関西では、この2人が人気あるなあ。

 そう返そうとしたところ、友は続けて、

 

 「……の創った詰将棋のファンやねん」

 

 これには、アゴがカクンと、はずれそうになったもの。

 そ、そっちっスか?!

 そう、わが友は詰将棋専門誌(あるんですね、コレが)である『詰将棋パラダイス』、略称「詰パラ」を愛読。

 日夜、良質の詰将棋に挑んでいるという、実にマニアックな男だったのである。

 こんな珍しい人種に出会えるとは、私の将棋好きとしての「引き」の強さは、なかなかのもの。

 さらに彼がすごいのが、ただ解くだけでは飽き足らず、彼の尊敬する谷川浩司九段や、今なら藤井聡太王位棋聖のように「創作」にも手を染めていたことだ。
 
 私は将棋雑誌や棋書を読んで、プロの名局や絶妙手にウットリする「読む将」。

 彼は創って創られての、「論理芸術」を愛する「詰め将」。

 なので、あんまし「指そう」とはならなかった、ということらしい。

 彼とは実戦よりも、大山名人の盤外戦術や、マニアックな詰将棋の話ばかりで(変な高校生だよな、おたがい……)、まあそれはいいんだけど、困らされたのは「検算」だ。

 詰将棋というのは、正解手順以外の詰み筋、つまり正解が多数あると

 「不完全作

 となり、ボツになるという、ストイックなルールがある。

 完全作だと思っても、どこかにがあるのかもしれない。

 そういったものは、思いこみや盲点があったりして、自前で発見するのはなかなか難しい。

 となれば、それをたしかめるのは、他人のまっさらな目で見てもらうのが一番。

 小説やマンガなどを書いたときに大事なのは、まずだれかに読んでもらうことだといわれるが、それは詰将棋だって当てはまるのだ。

 では一体、その作業を、だれがやるのかと問うならば、そこに白羽の矢が立ったのが、おそろしいことにだった。

 詰将棋を検討するには、当然のことながら、将棋のルールを知っておかなければならない。

 また、正解をみちびき出すために、そこそこの棋力もないといけない。

 私は将棋ファンであり、棋力はたぶん2、3級程度だったと思うけど(コウノイケ君も同じくらい)、なにより彼の詰将棋という趣味の理解者でもある。

 最後のは、マニアックな趣味の持ち主にとっては、かなり大きなことだ。

 出会いに感謝。必然、「頼むわ」ということになる。

 が、しかしである。私は詰将棋となると、これがハッキリいって苦手なのだ。

 そりゃ、ネット中継の休憩時間に出るくらいのものなら、問題なく解けるし、がんばれば検算も簡単なものなら、ある程度は可能かもしれない。

 けど、ガチの人が、テーマを持って挑んでくるようなのなんて、そもそも考えるのが、めんどくさい。

 私が将棋を見る専門なのは、手を読むのが疲れるからなのだ。

 しかも、彼の「創作ノート」に記された作品には「25手詰」「31手詰」とか、おそろしいことが書かれている。

 私の棋力と根気では、当時なら出力は9手詰

 がんばって、13手詰くらいが関の山であろう。

 そのレベルでヒーヒーいうてる私に、はっきりいってこれは致死量である。

 彼の熱い想いには申し訳ないが、さすがに大変すぎるやんと逃げまくっていたんだけど、そこは友も、人生で初めて会った

 

 「詰将棋を理解し、受け入れてくれる男」

 

 逃がすわけにはいかんと、昼休みのたびに、ルパンと銭形警部のごとき追いかけ合いが、教室で行われていたのであった。

 この問題は後に大学生になったコウノイケ君が、アルバイトにはげんで、パソコンを買うことで解決することとなった。

 まだウィンドウズもインターネットもなく、PC-9801とかが幅を利かしていた時代のこと。

 その役割こそが、まさに「検算」してもらうためである。

 昨今、ネットゲームをしたり、SNSでつながりを求めるため、パソコンを買う人はたくさんいるにしろ、

 

 「自作の詰将棋検算専用」

 

 このためにパソコンを買った(しかも当時は値段も20万円はした)のは、少なくとも私の周囲には、彼だけだった。

 使う範囲せますぎである。なんちゅう、ストイックな動機や。

 当時はまだ、指し将棋に関しては弱かったコン君だが、「解答」のある詰将棋には無類のを発揮。

 なんでも、江戸時代の名人が作った長編作の余詰を、はじき出したりしたそうだ。

 すげえ、人間業じゃない。まあ、人間じゃないけど。

 頼れる相棒を得たコウノイケ君は、もう人に「検算」を依頼する必要もなくなって、こちらとしては、ホッとしたものであった。

 これぞまさに、人類の英知の勝利といえよう。

 

 (続く→こちら

 

 

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「ジメイ君」の絶妙手 村山慈明vs高崎一生 2007年 C級2組順位戦

2021年08月12日 | 将棋・好手 妙手

 「村山慈明は、なにをやってるねん!」

 というのは、ここ10年くらい、ずっと心に引っかかっていることである。

 前回は羽生善治九段が見せた、不思議な香使いを紹介したが(→こちら)、今回は奮起をうながしたい中堅棋士のおはなし。

 

 村山慈明七段といえば若手時代から、いや奨励会のころからすでに大器の誉れ高く、未来のA級タイトル候補のひとりであった。

 デビュー後も新人王戦では、決勝で中村亮介四段を破って優勝。

 勝率一位賞と、将棋大賞の新人賞も獲得など、期待に応える活躍を見せる。

 そのころの村山の熱局といえば、有名なのがこれだろう。

 2007年C級2組順位戦高崎一生四段との一戦。

 高崎の向かい飛車に、村山は左美濃

 振り飛車のさばきが成功して、高崎が指せそうに見えたが、先手もゆがんだ形からくずれず、決め手をあたえない。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 △69角以下の一手スキがかかっており、受けがなさそうに見えるが、ここで手筋が飛び出す。

 

 

 

 

 ▲69金と打つのが、しのぎのテクニック。

 金(成駒)を一段目に引きずり降ろして、威力を弱める一打。

 角打ちのスペースも埋めつぶして、これで少し手数が伸びる形。

 後手は△97歩成として、▲同玉、△93香

 ▲96銀と使わせてから(▲96歩は二歩△69成桂と取るが、▲91歩成、△同玉、▲94歩と止める。

 △79成桂、▲88香、△94香、▲同角、△78角▲87香打で、わけがわからない激戦は続く。

 

 

 

 そこから十数手進んで、この局面。

 

 

 

 先手は△87馬からの、簡単な詰めろだが、受ける手もむずかしい。

 桂馬があれば、▲79桂▲99桂の犠打が手筋だが、それもかなわないうえに、後手玉には詰みもない。

 となれば後手が勝ちかと思いきや、ここで村山が見事な一撃を決めるのだ。

 

 

 

 

 

 

 ▲84銀と出るのが、あざやかな帽子飛ばし。

 △87馬からの詰みを消しながら、▲92金からの一手スキになっているという、

 

 「詰めろのがれの詰めろ」

 

 △84同歩には、▲61飛成と取って勝ち。

 仲の良い渡辺明竜王からは、

 


 「この局面になれば、だれでも指すでしょう」


 

 という辛口なコメントもいただいたそうだが、いやいや激戦の最中、ここに指が行くのは、すごいのではないか。

 こんな将棋を見せられては、

 「こりゃ、期待できる若手が出てきたもんや」

 ホクホク顔になるところ。

 「ポスト羽生世代」

 このひとりに、村山入閣は決まりやなと注目していたのだが、ここで少々きびしいことをいえば、今の成績には、かなり物足りないものはある。

 NHK杯優勝に、朝日杯でも決勝進出(八代弥五段に敗れて準優勝)など大きなところで結果は残しているが、挑戦者決定戦2度敗れるなど、いまだタイトル戦登場はない。

 また順位戦ではB級1組まで上り、そのままA級は間近と思われたが、昇級どころか2年目で、まさかのB2降級の憂き目にあう。

 私の予定では今ごろA級の常連で、渡辺明名人や佐藤天彦九段らとタイトル戦で、バリバリやりあっているはずだったのだから(あと戸辺誠七段もなにをモタモタしてるのか……)、

 「ジメイ君、話がちがうよ!」

 将棋ファンとしては、そう言いたくもなるのである。

 村山がタイトル戦に出ていないのは、羽生世代と渡辺明にくわえて、深浦康市久保利明木村一基といったところが、壁となっていた時代が長かったせいだが、そこを突破できる力はある男のはず。

 人当たりの良さに加え、今では関西にもなじんで、応援したい棋士のひとりだ。

 好漢の、巻き返しに期待したい。

 

 

 (村山慈明と羽生善治の熱戦は→こちら

 

 (村山が喰らった「幻の妙手」は→こちら

 (村山のさらなる絶妙手は→こちら

 

 

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棋書や雑誌でブレイクスルーへの下地作り ボンクラ将棋上達法 ガチすぎ道場編 その3

2021年08月09日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

 子供時代通っていた「南波クラブ」(仮名)は、大人ガチすぎて、ちっとも勉強にならなかった。

 今でこそ

 「レディースセミナー

 「子供教室

 が充実し、全面禁煙など敷居が低くなった将棋道場だが(いいなあ)、昭和のころは、もう少しばかりアバウトな「オッチャンの世界」だった。

 そのことは、

 

 「指導対局なのに平手の本気で、ちっとも勝たせてくれない」

 

 というアオバさんのスタイルに如実に出ているが、他にもクセが強く「勝たせてくれない」大人は多かったもの。

 なので、今思い返すと、私は「駒落ち」というのを、ほとんど指したことがなく、まず初心者が入る「六枚落ち」や「四枚落ち」はおろか、「角落ち」「飛車落ち」も、たぶん一回も経験がない。

 唯一、やったことがあるのが「二枚落ち」で、それこそクラブのマスターはヒマなときに、それで指してくれたが、これがまた辛い

 こちらが定跡通り「二歩突っ切り」で挑むと、いきなり「△55歩止め」をくり出してくる。

 こういうとき、ふつうはまず、カニ囲いからの急戦や「銀多伝」など、定跡通りに指すもの。

 

 

先崎学九段が名著『駒落ちのはなし』で、
神様と命を賭けて二枚落ちを指せと言われたら、この戦型を選ぶ」
と書いた二歩突っ切り。
おそらく将棋の定跡の中で、もっとも論理的で、完成度が高いもの。

 

 

 

 下手が、ちゃんと勉強しているかをチェックして、そこから定跡をはずす手順を選ぶものだ。

 それを初手合いからガンガン、力戦に持っていく。

 

 

 

 二枚落ちの上手が見せるワザの定番「△55歩止め」。

 ▲同角なら、△54銀から△45銀と、一歩いただいて乱戦に持ちこむ。

 対処法を知っていれば、別にこれだけで負けることはないが、定跡通りに指すつもりだった下手は目の前が真っ暗になる。

 

 

 野球でいえば、初心者向けのバッティングセンターで、カーブスライダーチェンジアップが飛んでくるようなもの。

 三角ベースなのに、フォークボールで打ち取ろうとせんといてー、とつっこっこみたくなるが、やはりマスターもガチの将棋好きの「勝負師」。

 6級の子供相手でも、容赦はしないのである。大人の世界はキビシイのだ。

 そんなサンドバッグ生活が続いて、よう懲りずに通ってたなあと、あきれる向きはあるかもしれないが、それには理由があったのである。

 それが、道場の本棚に置いてあった、大量の棋書雑誌

 正直なところ、途中から実戦とかは、わりとどうでもよくなって、完全にが目当てで、通うようになっていたのだ。

 それは、ここまで書いてきた「勝たせてくれない」というよりも(それはとっくに慣れていた)、そもそも私は

 

 「勝負に勝ってうれしい」

 

 という感覚が希薄だったことが、わかってきたせいもある。

 負けると、それなりにくやしいけど、たまさか勝っても、あまりよろこびがない。 

 だから、自分が指すよりも、強い人のおもしろい将棋が見たくなった。

 『NHK将棋講座』『将棋マガジン』『将棋世界』『近代将棋』『将棋ジャーナル

 これら各誌のバックナンバー

 『ジャーナル』は、作家の団鬼六氏が主宰していたもので、かなり型破りであったし、またアマ棋界にうとかったため、『近将』も、どちらもあまり読まなかったけど(今思えばもったいない!)、他の3誌はなめるように読みまくった

 とくに、河口俊彦八段の『対局日誌』は、内容を暗記するほどに読みこんだもの。

 また、本の方も、

 

 原田康夫『将棋 初段への道』

 米長邦雄『米長の将棋』

 東公平『名人は幻を見た』『升田式石田流の時代』 

 湯川博士『奇襲大全』『なぜか将棋人生』

 

 などなど、読み物としておもしろいものも多くあり、これがまた、飽きなかった。

 中でも『初段への道』は自分でも買って、まだ子供時代の「羽生善治くん」が出ていたり(小学生名人になる前じゃないかな)、奨励会時代の中田宏樹三段(現八段)が見せた将棋が、内容的にすばらしくて感動したりと、ボロボロになるまで再読しまくった。

 この時点で、すでに実戦を指さない萌芽が見えていたというか、今風に言えば「読む将」になったわけだ。

 このとき読んだ解説観戦記が、今ここでネタとして役に立っているんだから、このころから私は、将棋に関してはファイターというより、学究タイプだったのだろう。

 そしてなにより、この特に勉強しようと思ってたわけでもない、ただの乱読で接していた「昭和の名局」の数々。

 これが時空を超えて、のちの

 

 「有段者へのブレイクスルー」

 

 につながることになるとは、ルマンドのカスをボロボロこぼしながら、中平邦彦名人 谷川浩司』を読んでいた愚昧な少年には、知るよしもないのであった。

 

 (高校詰将棋編に続く→こちら

 

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大人が子供をボコボコに負かしてはいけません ボンクラ将棋上達法 ガチすぎ道場編 その2

2021年08月07日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

 通っていた将棋道場「南波クラブ」(仮名)で、

 「勝たせてくれない大人」

 からボコボコに、のされる日々を送っていた、小学生時代の私。

 棋力が6級では、しょうがないかもしれないが、それにしても、みな容赦がない。

 さらに「大人は勝たせてくれない」に、タナベさんという人もいた。

 棋力は三段で、アオバさんほどではないが強豪である。

 この人というのが、ダンディーで寡黙なアオバさんとちがい、子供好きで、すこぶる愛想のいい方。

 強いうえに、ニコニコしたオジサンとなれば、今度こそ棋力向上に役立ってくれそうな先生だったが、これまた申し訳ないがハズレであった。

 やはり、タナベさんもまた「負けてくれない」のだ。

 明るい笑顔で、

 

 「坊や、オッチャンと将棋しよか」

 

 声をかけてくるのだが(もちろん平手だ)、これがまー、また全然勝てない。連戦連敗である。

 またタナベさんの悪いところは、最初はリードさせてくれるんである。

 中盤の駒がぶつかったところくらいでは、ゆるめておいて、明らかに、こちらが勝ちそうな終盤戦を作ってくれる。

 もちろんこれはワザとで、その後の伏線だ。

 ただでさえ6級の終盤力なんて、水鉄砲くらいの威力しかないのに、有段者となれば非勢の局面から、あれこれとねばる術を、それなりに心得ているもの。

 その「ごまかし」の魔術をぬってゴールするなど、絶望的に不可能であり、圧倒的リードは、数手の悪手でアッサリくつがえされる。

 投了し、ガッカリするこちらを見て、

 

 「どうやボンボン、オッチャンもこう見えて、なかなか強いやろ」

 

 エッヘンと胸をそらして、ケラケラ笑うのである。憎らしいやっちゃ。

 といっても、タナベさんは意地悪をしているのではなく、子供をからかって

 「楽しくじゃれている

 というつもりなのだが、やられたほうは絶対に愉快ではないわけで、どうも、そこがよくわかっていなかったらしい。

 私など、頭のネジが抜けてるから、遊ばれても

 

 「いつものやつかー。子供を伸ばすためには、絶対に勝たせた方がええねんけどなー。わかってへんなー」

 

 なんて、ボンヤリしてたけど、他の子は下手すると、それで泣いちゃうんだよなあ。

 圧倒的優勢の局面をひっくり返されて、唇をかんでくやしがっているところに、ニコニコ顔のタナベさんが、

 

 「ボン、こんなヘボに負けるようでは、まだまだ修行が足りんなあ。みそ汁で顔洗って、出直してこなあかんで、カッカッカ!」

 

 なんて軽くあしらった日には、まじめに将棋をやってる小学校低学年はワンワン泣きます。

 また、タナベさんは、その口惜しがる様子を「かわいい」と思って、

 

 「やーいやーい、よわむし、けむし。泣いてすむなら、警察いらんでえー」

 

 なんて歌った日には、もうエンジンみたいに大泣き

 当然、その子は二度と道場にあらわれないのだが、状況を理解していない「子供好き」のタナベさんは、

 

 「こないだ指したケンタ君、あれから来てないの? なんでやろ。また将棋、教えてあげたいのになー」

 

 さみしそうに、そう漏らすわけで、もうコチラとしては苦笑するしかない。

 だれのせいやと、思てますねん!

 でも、こちらも立場的に、

 

 「子供には負けてあげたほうがいいよ」

 

 とはいえないしなあ。お子様ランチはツライよ。

 ホントなあ、このときばかりは、大人はなんもわかってないよと、フランソワ・トリュフォーの気分になりましたね。

 ハッキリ言っちゃいますが、世のオジサン(おお、私もいつの間にかこっち側だ!)が思う

 

 「おもしろい」

 「冗談」

 「からかって遊んでる」

 

 これらは、まあまあの確率で、やられた方はイラッとしてます。

 セクハラとか、若者が飲み会を嫌がる場面とか、お笑い芸人のマチズモや、政治家の下品な失言とか、なんでもそう。

 本人は「冗談」「ノリ」でも、受け取る側との温度差が絶望的で、またそれが、まかり通ったのが「昭和」という時代でもあった。

 道場のおじさんたちは、みな基本的にはいい人だったんですけど、これはもう「悪気」の有無の問題でもなくね……。

 他人の取った金メダルを噛むとかですね、もう頭を抱えます。

 「ウケる」と思ったんだろうなあ……。

 「南波クラブ」に、私以外の子供がいなかったのは、きっとこんなところに理由もあったのだろう。

 おかげで、ちっとも同年代の将棋友達ができなかった。

 以前、石井健太郎六段がNHK杯に出場したとき、解説が師匠の所司和晴七段だったんだけど、そこでやはり、

 

 「石井君が道場に来たとき、大人がからかってメチャクチャに負かしたうえで、泣いてるところを笑うんですよ。

 もちろん、大人は【一緒に楽しく遊んでる】つもりなんですけど、これじゃダメだと、別室に読んで指導することにしました。そこでは、とりあえず、たくさん負けてあげるところからはじめました」

 

 みたいな内容のことを語っていて、観戦しながらタナベさんのことを思い出したものだ。

 いずこも同じだなあ。

 

 (続く→こちら

 

 

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大人は勝たせてくれない ボンクラ将棋上達法 激辛道場編

2021年08月05日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

 

 「ダラダラしながら初段になりたい!」

 

 という、スカタンきわまりない将棋ファンのため、「定跡書」「詰将棋」といったトレーニングと無縁なまま、茫洋と二段になった私が、アドバイスしてみることにした。

 わけだが、自分はかなり特殊というか、長い将棋ファン歴で、

 

 「ほとんど実戦を指さない」

 

 というタイプなので、その上達のプロセスを説明するのが、少々ややこしい。

 そこで、まず根本から話してみようということで、将棋自体をおぼえたのが、前回言ったように小学生のころだった。

 初めて買った『将棋マガジン』に載っていた、順位戦C級2組の表の最後尾に

 

 「四段 羽生善治」

 

 という表記があって、6回戦で小阪昇五段に敗れて、昇級戦線から脱落した将棋が紹介されていたから、1986年半ばくらいだったのだろう。

 

 

 一番下にデビュー1年目の羽生善治の名が。

 

 

 父親に、なんとなく町の道場に連れていかれたのだが、それが「南波クラブ」(仮名)というところ。

 今は知らねど、昭和のころの将棋道場というのは基本的に「オッチャンの社交場」であり、女子供にはすこぶる敷居が高かった。

 気はいいが、ガラッパチでブルーカラーのおじさんたちが、煙草の煙モウモウの場所で、軽口鼻歌まじりに指している場には、入ることすら、ちょっとした度胸がいるもの。

 当然、子供が入ったところで「指導する」という文化も、ノウハウもない。

 せっかく道場に行っても、気の知った仲間と指したいオジサンは、愛想のない私などにかまうわけもなく、ひとりぽつねんと取り残されるわけである。

 さすがに、それで席料は取れないということで、マスターがひとりの先生を用意してくれた。

 それがアオバさんという、30代後半くらいの男性。

 棋力はアマ五段

 作家の沢木耕太郎さんのような、ダンディーな雰囲気を漂わせており、この人がこれから指導してくれると。

 そんな強いうえに、物腰もやわらかな紳士に教えてもらえるとはと、期待は高まったが、残念なことに棋力向上の手助けにはならなかった

 理由は簡単で、この人が勝負に関してはマジの大マジで、対局がすべてガチだったから。

 まずガチなところが、手合いがすべて平手戦であったこと。

 当時、こちらの棋力が、アマ6級程度。

 それとアマ五段となれば、二枚落ちですら、まず勝てないほど差があり、六枚落ちとか、それくらいからはじめていいほどであろう。

 それがオール電化ならぬオール平手

 こちらが何連敗しようが、手直り(勝敗ごとにハンディのレベルを変えていくシステム)はなく、延々と平手。

 飛車落ちや角落ちのような、軟弱なハンディ戦など望むべくもなく、すべて互角の条件でのファイト。

 文字通りの「大人子供の戦い」である。

 こんなもん勝てるはずもないというか、ほとんどの勝負が仕掛けの時点でついてしまうほどだが、ガチレベル2として、さらにこんなものもついてきた。

 

 「戦型は全部、アオバさんの右四間飛車」

 

 将棋を多少かじった方ならわかると思うが、右四間というのは破壊力のある戦法である。

 プロレベルだとそう簡単ではないが、アマ級位者クラスなら△62飛△73桂△54銀の形から、△65歩

 とか仕掛けられれば、もうそれだけで防戦困難で、早指しの将棋なら、そのまま無抵抗で、つぶされてしまうことも多いだろう。

 私の場合も、まさにそれ。

 ただでさえ、アマ五段6級という、絶望的な体格差があるのに、そこに右四間でバリバリ攻められては、こちらもなにもできない。

 

 

 

 五段のこの攻めを受け切れる6級など、地球上には存在しません。

 

 

 しかも、居飛車でいこうが、振り飛車にかまえようが、かまわず△62飛から△65歩

 そのまま、タコなぐりにされて終了である。か。

 これでは指導対局もへったくれもなく、ただただ、なにもできずに負け続けることに。

 途中から、ちょっと数えてみたのだが、結局アオバさんとは最低50局

 下手すると、100局近く教えてもらったが、勝てたのはわずか2回

 その数少ない勝利も、アオバさんが、自陣の詰みをウッカリする「トン死」であり、まったくのマグレである。

 これもまた、ガチのポカであり、その証拠に2回とも、投了後のアオバさんはのような形相

 感想戦でもきびしい口調で、

 

 「なんてバカな! こんなひどい見落としがあるものか!」

 「油断した。でなければ、こんな錯覚などするはずがない!」

 

 頭をかかえてボヤきまくりで、メチャクチャに悔しがる

 あまつさえ、こちらをキッとにらむと、

 

 「こんな結末は、めったにあることじゃない。これを実力と過信したら、とんでもない落とし穴に落ちることになるぞ!」

 

 そんなん思てませーん(苦笑)! 

 どんだけマジなんや。こっちは素人の子供なんだよー。

 まあ、アオバさんは指導に関しては素人の「勝負師」だし、まったく悪意がないのは子供心にもわかった。

 とにかく、アオバさんは将棋にマジメで、その証拠に感想戦などは、すごく丁寧に(レベルが高すぎてついていけないことも多いけど)教えてくれる。

 ただ、実戦となるスイッチが入ってしまい、相手を見て「ゆるめる」みたいなことはできない人なのだ。

 高倉の健さんですね。「自分、不器用なんで」。

 だからまあ、別にイヤな思いはしないというか、途中からはもう半分おもしろがってたんだけど、これでは上達の一助にならないのは、ハッキリしている。

 

 「子供や彼女(妻)に、将棋のおもしろさを知ってほしいんですけど、どうすればいいですか?」

 

 男性将棋ファン永遠の願いには、羽生善治九段の言う通り、

 

 「簡単です。100回対局して、100回とも負けてあげてください(笑)」

 

 これしかないんだけど、なかなか、むずかしいもんであるなあ。

 

 (続く→こちら

 

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定跡の知識や詰将棋なしで、初段になりたい! ナマケモノが教える、ボンクラ将棋上達法

2021年08月04日 | 将棋・雑談

 「将棋ってさー、どうやったら強くなれんの?」

 

 というのは、将棋ファンが友人などから、たまに訊かれたりすることである。

 特に昨今は、ブームを受けて以前より多くなったと思われるが(ありがたいことです)、ではこの問いには、どう答えるのがいいのか。

 得意戦法を身につける、詰将棋を解く、プロの対局を観る、いやいや結局、大事なのは実戦だよ、などなど。

 まあ、それがふつうというか、間違いなく「正解」なのだが、たいていの場合「強くなりたい」の前には、こういう言葉がセットになるのだ。

 

 「努力しないで」

 「ゴロゴロ寝ながら」

 「マジ、超テキトーな感じで」

 「へーこいてプー」

 

 人生をなめとんのかと、足つきの六寸盤で、頭をカチ割ってやりたくなるが、まあこう言ってはなんだが、私だって将棋の部分を

 

 「スポーツ」

 「勉強」

 「女にモテる」

 

 などに変えれば、似たようなことは、しょっちゅう言ってるわけで、そら、

 

 「どうやったらテストの成績が(楽勝で)上がるのか」

 「テニスが(サボって)うまくなる方法、教えて」

 

 を訊いてるのに、

 

 「コツコツと積み上げることが大事。すぐには結果が出ないかもしれないけど、基礎を地道に反復練習すれば、いつかは伸びるから。長い目で見ていこう」

 

 なんてアドバイスされた日には、苦笑いしながら、

 「そういうん、ちゃうねん」

 坂口安吾の、

 

 「正しいことは、正しすぎるから私は嫌いだ」

 

 という言葉を思い出させられる。

 人生は、そんな理屈通りで動くような、甘いものじゃないんだぞと、説教したくなるくらいだ。

 やれ、通勤電車で詰将棋だ、休みの日は将棋ウォーズで指しまくれだと言ったって、「はあ……」でおしまいで、まあ言ってしまえば、それが「ふつう」なのである。

 ただ、そういう結論では、いかにも夢がない。

 私はここで、けっこう将棋のネタを書き散らかしているが、自分の腕自体は「将棋倶楽部24」で最高二段である。

 ずいぶんの話で、今は絶対そんな棋力はないけど、一時期そこまで行けたのは事実。

 将棋をはじめた人が、とりあえず目指すところといえば「アマ初段」だから、そこをクリアしている身としては、それなりのアドバイスもできるわけだ。

 しかも自分でも、かなりいい加減に、そこまでたどり着けたという実感があって、

 

 「ボーッと棋譜並べをして、3ヶ月だけネット将棋を指しまくったら、ブレイクスルーが起って有段者になれた」

 

 ついでにいえば、定跡も手順があやふやで、詰将棋もほとんど解いてない。

 必至問題や「次の一手」なども、すべてスルーするという、華麗なナマケモノ将棋ライフ。

 それでよう有段者になれたなと、あきれる向きもあるかもしれなが、逆に言えばそんなボンクラでもなれたと、そこに希望があるとも言える。

 これくらいなら、相当にハードルが低く、初心者の方にもやる気が見えるかもしれないが、これがそう単純な話に、まとめられない事情があって困りもの。

 というのも私の将棋歴というのが、かなりかたよったもので、

 「実戦をほとんど指さない」

 というタイプの将棋ファンだからだ。

 どれくらい指さないかを具体的に語ってみると、ルール覚えたのは小学生のころ。

 道場に通って、そこではそこそこ指したものの、たいして上達には役に立たず

 その後中学3年間は『将棋マガジン』と『将棋世界』を、毎月買うほどどっぷりハマりながらも、周囲に将棋ファンがいなくて、一局も指さず

 高校生のときにやっと将棋の、それもコアなファンに出会い友人になり、棋力も同じくらいだったけど、少々変わった事情があって、3年間のつきあいで、20局くらいしか対戦せず。

 その後、18歳から25歳くらいまで、またも一局も指さない空白期に突入。

 そこでようやっと「将棋倶楽部24」に出会い、3か月ほど指しまくったら二段になるどころか、「あと1勝三段」というところまでいった。

 その後はまた20年近く、ほとんど指さない期間が続くことに。

 つまり、ただでさえ、有段者になるまでの局数が少ないうえに、30年の将棋ファン歴で、指さない期間が27年もある。

 しかも、もっとも棋力がのびると言われる10代に、実戦と無縁だったのだから、おかしなもの。

 とはいえ、特殊だからこそ「ふつうのやり方」で伸びが止まっている人の、突破口になる、なにかが生まれるかもしれない。

 そこで今回から、少しばかり、そのあたりのことを振り返ってみたい。

 私と同じく、

 

 「ダラダラしながら、初段になりたいぜ!」

 

 という、頭の底が抜けた将棋ファンの方々の、参考になれば幸いである。

 

 

 (続く→こちら

 

 

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電子書籍、夏のセールで買い倒れ日記 その2

2021年08月01日 | 

 前回(→こちら)に続いて、電子書籍セール獲物自慢。

 河出書房の次は、中央公論社

 ざっと見てたら、なぜか小島剛一先生の『トルコのもう一つの顔』が爆売れ中。

 なんじゃらほいと調べてみたら、なんか、今すっかり売れっ子な、ひろゆきさんと論争してたらしい。

 私はケンカが苦手なので、この手のやりとりはスルーすることが多いが、これによって知る人ぞ知る名著が、たくさんの人に読まれるのは、うれしいかぎり。

 『トルコの』はトルコ語や、トルコにおける、少数民族の言語学的フィールドワークを題材にしたノンフィクション。

 瀬野反人ヘテロゲニア リンギスティコ』とか、あのノリのオモシロ本なので、買って損なし。

 あと、『旅行人』から出ている続編もそうだけど、「冒険小説」としても傑作なので、ぜひ一読を(内容については→こちら)。

 では、今回の自慢リストに行きましょう。

 


 ☆池内紀出ふるさと記

 

 ドイツ文学者である池内先生と言えば、

 

 フリードリヒ・フーケー『水妖記』

 ショーペンハウエル『読書について』

 E・T・ホフマン『黄金の壺』

 ハインリヒ・ハイネ『精霊物語』

 

 らとともに、私をドイツ文学科に進学させた戦犯……精神的恩人。

 出ている本はマストバイなので、『ドイツ街から街へ』『ひとり旅は楽し』『悪魔の話』『日本風景論』など、全部買う。

 『モーツァルトの息子』『遊園地の木馬』『ぼくのドイツ文学講義』あたりも電書にならんかな。

 

 


野崎昭弘詭弁論理学

 

 「世界は詭弁で動いている」


 と言いたくなるくらい、世の中にはアヤシゲな理屈がまかり通っている。

 王貞治さんの、

 

 「努力はかならず報われる。報われない努力は、それはまだ努力と呼べないのではないか」

 

 なんか、その典型。

 悪気はないんだろうけど、メチャクチャずるい理屈だよね、これって。

 将棋順位戦が、あまりに風通しが悪いという話になると、

 

 「結局は、自分が勝てばいい」

 

 とか言う人とか。

 いや、それどっちも、論点ずらしてるだけだから。

 専門誌である『将棋世界』に、堂々とこの意見が載っていたときには、心底ガッカリきたもの。てか、マジできたなあ。

 こういう、「欺瞞」「詭弁」を、いかにも「ドーダ」「オレ、今いいこと言った!」なノリでカマすのって、どうなのよ?

 こういうのに「ん?」と思えるよう、この本を読んでおくのが、よいでしょう。

 でも、世の中には「詭弁」を「論理的」と思っている人も多く、そういう人が上に立っていたりするから(「結果を出してから言え」とかいう人ですね)、ホント問題だ。

 


 


 ☆本村凌二馬の世界史

 

 ローマ帝国関係の本が、おもしろかったので購入。

 をフックに世界史を語る、という切り口が、すこぶる興味深い。

 


 ☆ジェロームジェロームボートの三人男

 

 コニー・ウィリス犬は勘定に入れません』の影響で。

 ちなみにコニー・ウィリスも、こないだのハヤカワセールで一通りそろえた。

 分厚い本は、電子書籍が圧倒的に便利だけど、果たして読むんだろうか。

 ハンヌライアニエミのフィンランドSF『量子怪盗』とか、買ってるけど、全然手が出る様子がないぞ。大丈夫か、自分?

 

 

 


 ☆宇月原晴明安徳天皇漂海記 

 

 日本の歴史ものは、戦国とか幕末とか苦手だけど、中世ものは好きかも。

 文体が格調高く、とにかく雰囲気が出ている。

 あまり歴史的に、描かれることのない、「文化系」将軍の源実朝をフィーチャーしてくれてるのも良い。

 

 


 ☆藤沢道郎物語 イタリアの歴史』『物語 イタリアの歴史Ⅱ

 

 中公新書「物語」シリーズ随一の名著。絶対、手元に置いておきたい2冊。

 あとは塩野七生海の都の物語』と、モンタネッリローマの歴史』『ルネッサンスの歴史』が、私のイタリア知識のベース。

 

 


 ☆鹿島茂パリの日本人』『パリの異邦人

 

 読みやすく、エスプリな気分も味わえて、フランス文化の勉強にもなる鹿島先生の本は、だれにでもすすめられる高品質。

 どれもおもしろいけど、最高なのは『パリ世紀末パノラマ館エッフェル塔からチョコレートまで』で紹介された、シャルルフーリエ先生の思想。

 

 「男女32人でリズムを合わせて、オーケストラのようなセックスをしよう!」

 

 とか、超知的なエロ妄想が、ぶっ飛んでます(その詳細は→こちら)。

 元気だなあ、あやかりたいもんだ。

 あと、先月は月替わりセールも充実していて、

 

 イブン・ジュバイル『イブンジュバイルの旅行記

 プラノ・カルピニ&ルブルック『中央アジア蒙古旅行記

 

 とかも買っちゃったよ。旅行記だと、なんでも買っちゃうなあ。

 充実した買い物だったけど、財布はすっからかん。

 しばらくは、をなめて暮らすことになるが、いっぱい本が買えたから、私は幸せなのだ。
 

 

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