激闘! 升田式石田流シリーズ 大山康晴vs升田幸三 1971年 第30期名人戦第6局

2019年10月30日 | 将棋・名局

 つまり、升田幸三は偉大なのである。

 前回は、画期的すぎる新構想だった「駅馬車定跡」を採り上げたが(→こちら)、今回は升田幸三といえば、やはりこれであろう「升田式石田流」について。

 

 1971年、第30期名人戦は、大山康晴名人升田幸三九段が挑戦。

 この七番勝負は当時を知るファンに「石田流シリーズ」として記憶され、なんと全7局中、5局が「升田式石田流」になるという熱いものだった。

 今の将棋になじんでいると、わかりにくいが、当時の感覚では、角道をとめずに三間飛車にする「早石田」は素人のハメ手あつかいで、「邪道」な戦法だったという。

 いわば、豊島将之名人相手に、リベンジを誓う佐藤天彦九段が「筋違い角」や「鬼殺し」を名人戦で披露するようなもので、棋界もファンも、大いに盛り上がったそうだ。

 もちろん、升田からすれば、ただの奇襲ではなく、一見ハメ手のようなこの戦法の優秀性に気づき、ひそかに磨きあげての登板だったが、それが見事に決まって3勝2敗とリードを奪う。

 名人復帰に王手をかけた第6局で、またも「升田式石田流」を起用。

 初手から▲76歩、△34歩、▲75歩、△84歩、▲78飛、△85歩、▲48玉が「升田式早石田」の出だし。

 

 

 △88角成、▲同銀、△45角には▲76角が、この形の基本ともいうべき切り返し。

 

 

 △27角成に、▲43角成で、の位置が良く先手有利

 ▲48玉△86歩、▲同歩、△同飛▲74歩と突いて、△同歩なら角交換して、▲95角で王手飛車。

 

 

 一回、△62銀としてから△86歩なら、▲同歩、△同飛に▲88飛とぶつけて、乱戦ねらいで戦えると。

 

 

 

 この切り返しは現代でも、ゴキゲン中飛車や、角交換振り飛車などに生きている形。

 これがトッププロ同士の戦いでも使えると発見した升田は、やはりすごいもので、「升田幸三賞」に名を残すのも当然と言えるだろう。

 むかえた、この局面。

 

 

 鈴木大介九段によると、

 

 「早石田は歩がないせいで、手詰まりになりやすい」

 

 まさに、そんな流れになったようで、振り飛車苦戦かと思わせたが、次の手が升田好みの一手だ。

 

 

 

 ▲67角とは、またすごい自陣角である。

 ねらいは▲55歩から、▲34角一歩を補充することで、そうすれば▲86歩など動いていくメドが立ち、局面を打開できる。

 

 

 大山も負けじと、自陣角を打ち返して、せまいところでもがく先手の飛車角を圧迫していく。

 中盤のもみあいで、この局面。

 

 △66歩が強烈で、先手がツブレ形に見える。

 見事な飛車角両取りで、▲58角などと逃げても、△67歩成、▲同金、△76角、▲同金に△68飛成と突破されて、後手がハッキリ優勢。

 升田が大ピンチに見えるが、ここで見事なしのぎがあった。

 

 

 

 ▲65歩(!)、△67歩成、▲同金(!)。

 なんと、タダであげてしまうのが絶妙手

 たしかに、これで相手の飛車は取り返せそうだから、さほど損はしてないとはいえ、ボロっと大駒を取られて、じっと▲同金と取り返す落ち着きがすごい。

 この3手は私だと、100万年考えても思いつかなさそうな手順で、はじめて並べたときは震えたものだ。

 升田幸三、あんたスゲエな!

 そのあとも、△72銀▲64歩△76角、▲同金、△67角で、▲76の金がねらわれても、▲63歩成(!)、△同銀、▲83角と打つのが華麗な切り返し。

 

 

 △72銀に▲65角成で、きわどく受かっているとか、

 

 「常にスレスレの線を行く」

 

 という升田将棋の本領が、これでもかと発揮されている。シビれますなあ。

 あざやかな手作りで、名人復位まであと一歩と迫った升田だが、終盤で犯した小さなミスが致命傷となり、逆転をゆるしてしまう。

 

 

 

 ここで升田は▲42馬と切っていったが、これが敗着となった。

 ここでは、先に▲63歩とタタき、△同香としてから▲42馬が正解だった。

 △同玉に、再度▲64歩と打って、△同香に▲55金と、遊んでいた金を中央にさばいていけば、「升田名人」への道一直線だった。

 

 

 

 本譜は▲42馬、△同玉に、単に▲55金とするが、これが香取りになっていないのが、▲63歩を決めておかなかった

 

 

 

 先手の攻めは細く、以下大山に受け切られて、大チャンスを逃してしまう。

 最終局も迷いに迷った末、升田はやはり早石田に命運を託すが、ここでも敗れ、これが升田にとって、最後の名人戦となったのであった。

 
 
 
 (羽生善治七冠ロードの妙手編に続く→こちら
 
 
 

 

 

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藤井聡太七段に名手「谷川浩司賞」を

2019年10月27日 | 将棋・雑談

 つまり、升田幸三は偉大ということなのである。

 ということで、前回まで地味ながら革命的な序盤戦術や、壮大なスケールで展開する「駅馬車定跡」など升田幸三の天才性を紹介したが(→こちら)、今回はちょっと余談。

 将棋ファンなら記憶に新しいところだろうが、昨年度の升田幸三賞では藤井聡太七段が受賞したことが話題になった。

 ただそれは、単純に「おめでとう」というだけでなく、賛否で意見が分かれるものだったのだ。
 
 
今期の竜王戦。藤井聡太七段と石田直裕五段の一戦。
図から△77同飛成と取ったのが、唖然とするような寄せ。
▲同桂は△76桂が詰めろで寄り。
本譜▲同金も、△85桂、▲76金、△78歩、▲同玉、△77歩から、あっという間に先手玉を攻略してしまった。
 
 
 

 たしかに受賞した「△77同飛成」がすばらしい手であることは疑いないが、それが「升田幸三賞」というのは、ちょっと違和感があるのではないかと。

 個人的な見解では将棋ブームの今、藤井聡太七段になんらかのをあたえることは「興行」としては正しいとは思うけど、それが「升田幸三賞」というのはかなり微妙な気はする。

 「新手」「新戦法」「画期的構想」にあたえられるべき賞に「絶妙手」って、どうなんだろうと。

 そもそもこれは以前、おそらくはその年がネタ切れだったのだろう、谷川浩司九段の「ふつうの絶妙手」(というのも変な表現だが)をねじこんだことから起こった混乱。

 

 

 2003年度のA級順位戦。谷川浩司王位と島朗八段の一戦。
 図から△77銀成(!)のタダ捨てが絶妙手。
 ▲同銀は△89飛成。▲同金は△38馬、▲同金、△88飛成で突破される。
 本譜は▲同桂だが、△38馬、▲同金、△89飛、▲79銀打、△88飛行成、▲同金、△79飛成で見事に決まった。

 

 

 だから、賞の定義を広く採っている人や、藤井聡太七段のファンからすれば、

 「前例があるやん」

 となるわけだが、でもこれってサッカーでたとえれば、

 「トータル・フットボール

 「ゾーンプレス

 といった戦術にあたえられるべき賞に、

 「メッシやクリスティアーノ・ロナウドのスーパーゴール

 を持ってきたようなもので、根本的にその思想が違うわけだ。

 野球でいえば「セイバーメトリクス」と「イチローの芸術的センター前ヒット」のような、「のすごさ」と「のすごさ」の差異とでもいうのか。

 だから、そこを「違うんでない?」と感じた将棋ファンも多かったんですね。

 「どっちでもいいじゃん」という人もいるだろうけど、議論としては結構、ここ大事なところなんです。 

 しかも、受賞した谷川九段に、

 

 「あれはわたしの妙手のベスト3にも入りません」

 

 と言われた日には、なにをかいわんや。

 たぶん谷川さんも、ピンときてなかったんだろうなあ、と。「自分は創造派でなく修正派」とも言ってるし。

 このモヤモヤを解消するのは簡単で、「升田幸三賞」と並んで、そのシーズン一番の妙手にあたえる「名手賞」を作ればいいのだ。

 名前はもちろん「谷川浩司賞」。

 谷川さんが現役のうちは嫌がるかもしれないから(自分が受賞するかもしれませんしね)、暫定で「光速賞」とか、まあなんでもいい。

 「名手賞」のアイデア自体はだれでも思いつくから、やってないのはなにか事情があるのかもしれないけど、あってもおかしくはないとは思う。

 これだと、

 「あれが升田幸三賞?」

 というめんどくささもなくなるし、藤井聡太七段なら毎年のように受賞して話題をふりまいてくれそうだし、私もここであつかうネタがひとつ増えそうだし(笑)、いいことだらけのような気がするのだが、いかがなものでしょうか。

 あと余談の余談で、升田幸三賞の選考過程を読むと、「ソフトの手を排除」という傾向があって、これもよくわからない。

 これからの時代、ソフトの影響なしに新機軸を語るのは難しいだろうし、別にソフトが新手を出したら、それにあたえてなんの問題があるのだろう。

 「そんなことをしたら、ソフトの受賞ばかりになってしまう」

 とか危惧してるんだろうか。

 だったら、そんなもん人間ががんばれよ! としか思わないよ。

 まあ、たしかにソフトの受賞に抵抗があるのもわかるし、そもそも升田幸三賞自体、
 
 
 「本当に最初に指したのは誰か」問題。
 
 「思いついた人と体系化に貢献した(結果を出した)人のどっちを重視するか」問題。
 
  
 とか、色々ややこしいところもあるんだけど(研究会三段リーグアマ大会で出た新手をだれかが公式戦で採用したとき、出所が特定しにくかったりするのだ)、ともかくも、すぐれた構想で、公式戦でも普通に指されてる形を「除外から考える」のは不自然だと思うけどなあ。

 ということで、個人的には升田幸三賞に「トマホーク」か「エルモ囲い」。

 谷川浩司賞に「藤井聡太七段の△77同飛成」がいいなというのが、本日の結論です。 

 

 ■おまけ

 山岸浩史さんが『将棋世界』に連載していた「盤上のトリビア」によると、谷川浩司九段の自薦ベスト3は、

 1位 「光って見えた」という対羽生戦の「△77桂」(→こちら

 2位 同じく対羽生戦の「△68銀」(→こちら

 3位 対戦相手も「神業的」と認める、対佐藤康光戦の「△95飛」(→こちら

 

 

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古いテニス雑誌を読んでみた 『スマッシュ』2011年2月号 ニコライ・ダビデンコ特集

2019年10月24日 | テニス
 古いテニス雑誌を読んでみた。
 
 私はテニスファンなので、よくテニスの雑誌を買うのだが、最近古いバックナンバーを購入して読むのにハマっている。
 
 ブックオフなんかで1冊100円で投げ売りされているのなどを開いてみると、「あー、なつかしい」とか「おー、こんな選手おったなー」などやたらと楽しく、ついつい時間が経つのも忘れてしまうのだ。
 
 今回読んでみたのは『スマッシュ』の2011年2月号。表紙はラファエルナダル
 
 今号は大きな大会などは取り上げてないが、内容は充実しており例えば、ニコライダビデンコのインタビュー。
 
 
 「地味界の星」
 
 「もっと評価されていいと、だれか言ってあげて」
 
 「あれ? ニコライいたの?」
 
 
 などなど、その存在感無さをイジられるどころか、あまりに地味ゆえ5年間トップ5をキープしながら、スポンサーがひとつもつかなかったお人。
 
 そんな実力のわりにしてる感のある男が、2009年度のツアーファイナル優勝して一気に名をあげた。
 
 その素晴らしい結果もさることながら、大会で披露したユーモアあふれるインタビューが好意的に取り上げられ、人気面でもブレイク。
 
 ここに堂々の登場だ。
 
 ニコライによると、それまではインタビューで技術的なことをまじめに答えていたのだが、
 
 

 「マスコミは面白いネタを欲しがっている(笑)」

 

 
 このことに気づいて、リラックスして話すとそれがウケたのだという。
 
 たとえば、ファイナルのタイトルを取ったことに対しては、
 
 

 「何も変わったことはないよ。ただ100万ドル手に入ったけどね」

 

 ラファエル・ナダルやアンディーマレーがニコライを全豪 にあげていることに対しては、
 
 

 「彼らが僕について話すなんて驚きだ」

 

 自虐ネタというか、ご自分のキャラをよくわかってらっしゃる。他にも、
 
 

 「朝飯を食べるのに部屋から出られないから、有名になりたくないよ」

  「(金の話が多いのではと聞かれて)ロシア人はいつも金の話をするんだ」

 

 などなど、クールなニコライ節。決勝で戦ったフアンマルティンデルポトロに、
 
 

 「プレステ3の選手みたいだ」 

 

 なんて賛辞(たぶん)されると、
 
 

 「もっと速くなって、プレステ4みたいになろうと思ってる」

 

 なんて独特なニコライジョークも披露。
 
 これを、あのおとなしそうな彼が語ってると想像すると、妙におかしい。
 
 ニコライは日本にきたことがないんだけど、ロシアだとビザを取るのが大変だからなんだって。
 
 2か月くらい待たされるから、スケジュールに入れられないとか。
 
 どの大会に出るか、ビザの取りやすさで決まることもあるとか。そうなんだあ。
 
 あと、私の勝手な印象で、ニコライ・ダビデンコといえば
 
 
 「全豪で準優勝してそう」
 
 
 そんなイメージがあったんだけど、あらためて調べてみたらベスト8が最高だった。
 
 というか、グランドスラムで一度も決勝行ってないんですね。
 
 実力だけなら2、3回出ててもおかしくなかったのに。2005年ローランギャロス準決勝マリアノプエルタに負けたのが痛恨だったか。
 
 インタビューによると、そのユーモラスな素顔から2010年度はダンロップとかアシックスとかからオファーが来たんそうな。
 
 すごいじゃん。よかったね、ニコライ!
 
 その他のニュースとしては
 
 
 「スペシャルインタビュー ラファエル・ナダル」
 
 「デビスカップ、ジョコビッチとトロイツキの活躍でセルビアが優勝」
 
 「錦織圭カムバックの軌跡」
 
 
 などもあったが、長くなってしまったので、またの機会としたい。
 
 
 
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「升田幸三賞」を升田幸三に 加藤治郎名誉九段が命名「駅馬車定跡」の衝撃

2019年10月21日 | 将棋・名局

 つまり、升田幸三は偉大ということなのである。

 前回は先崎学九段の紹介した、升田幸三九段の画期的な序盤について語ったが(→こちら)、升田新手の魅力といえば、やはりスケールの大きな新構想にある。

 中でも有名なのが、この形だろう。



 1948年、戦後まもなくの塚田正夫名人との一戦。

 




 

 朝日新聞社が主催した、塚田と升田の5番勝負第4局

 相掛かりからの腰掛銀で、先後同型から先手が、▲26飛と浮いたところ。

 なんということもない局面に見えるが、ここから升田幸三のスーパーイリュージョンが発動する。

 「新手一生」の男が、ここから見せた手順は、そのまま将棋史に残る「定跡」となる。

 塚田名人は、すでに升田の構想力の前に、ハマっていたのだ。

 

 




 


 △88角成、▲同銀、△22銀からが、伝説のはじまり。

 なんていうと、たいそうなこと言ってるわりには、ただ角を交換しただけじゃん。

 しかも、1手損してるし。

 そう笑われそうだが、このどうってことない角交換が、まさに升田流の壮大な新手のファンファーレ。

 順を追って説明すると、先後とも大模様を張った陣形は、争点が少ない。

 棒銀や端攻めのような、わかりやすい攻め筋がないため、局面を打開しにくいのだ。

 そこで目をつけるべきは、中央から玉頭の勢力図。

 ねらいとしては、▲88(△22)で壁になっている銀を▲77▲66とくり出して、▲55の地点に「ガッチャン銀」風に勢力を足していく。

 そうすれば厚みで押しつぶせるし、▲64に駒を打ちこんだり、7筋の歩を突き捨てたりと、攻めのバリエーションが、広がっていくというわけだ。

 その通り、先手の塚田は▲77銀と前進。

 後手の升田は△33銀と追従する。

 と、ここで

 「あれ? 同じ形で銀を出たら、間に合わないんじゃね?」

 首をひねった、アナタはスルドイ。

 その通り、このまま同じように、▲66(△44)とクライミングしていけば、先に摺鉢山ならぬ、▲55の天王山にたどり着くのは先手なのだ。

 △88角成と、手損で角交換したのが、たたっているではないか。

 果たして塚田は▲66歩とぶつけ、升田も△44歩

 当然の▲65歩に、またも同じく△45歩

 

 

 

 まるで、相手をからかうような、マネ将棋である。

 やはりスピードでは、後手が勝てないのは明白だが、それがまさに升田がねらっていた局面。

 そう、この局面。先手が▲66銀とくり出せば、競争は勝ちと思われたが、それがだった。

 ▲66銀には、なんと△44角が、飛車銀両取りで「オワ」。

 

 

 なにげない▲26飛の手待ちを、見事にとがめたことになるのだ。

 まさかの展開に塚田は泣く泣く▲28飛ともどすが、後手は△44銀と進めて、なんとここで、速度が逆転してしまった!



 

 後手番の上に、さらに自分から角交換して1手損しては、同じ手順をなぞっていけば、絶対にスピードで負けるはず。

 ところがそれを、一瞬の見切りで体を入れ替える。

 まるで、『キン肉マン』に出てきた超人ニンジャが得意とした、順逆自在の術のようではないか!

 

 

 

 

 先手は遅ればせながら、▲66銀とするが、一度入れ替わったポジションは、もう戻らない。

 スコットとアムンゼンの悲劇のようだが、すでには立てられているのだ。

 大攻勢の前に、ここで1回△88歩と入れておくのが、ぜひおぼえておきたい手筋の下ごしらえで、▲同金しかないが、そうしてから満を持しての△64歩

 ▲同歩に△同金と、ついに中央の競り合いに、まで参加してきた。

 先手は▲78金と戻して、ねばる体制をととのえるしかないが(△88歩のすばらしい効果)、△65歩と打って、▲77銀に、△55金と出る手の気持ちよさよ!

 

 


 これが見事なスクラムトライで、先手はどうしようもない。

 以下、塚田も▲49歩と根性を見せるが、△46歩、▲48金、△66歩、▲68歩、△65桂とメッタ打ちにして升田快勝

 

 

 見よ、この駒の勢いを。

 いかがであろうか。△88角成から、△65桂までの、流れるような手順。

 まさかあんな、手渡しのような角交換の裏に、こんな遠大、かつ精密に計算されたものが、ひそんでいるとは思えないではないか。

 この将棋はそのまま、升田の創作した数多い「定跡」のひとつになるのだが、さらにそれを彩るのが、そのネーミング。

 その名も「駅馬車定跡」。

 元ネタはもちろん、ジョン・フォードの名作西部劇『駅馬車』から。

 ▲55の地点をめぐる升田と塚田の競争を、主人公たちの乗る馬車とインディアンが苛烈な競り合いをする、物語後半のクライマックスシーンとなぞらえての命名だ。

 命名者は「タレ歩」「ダンスの歩」「箱入娘」など、今にも残る将棋用語を数々考えだした加藤治郎名誉九段

 このネーミングが、いかにもシブい。

 別にこれが「升田流相掛かり定跡」とか「角交換ななめ銀戦法」なんかでも、その価値が下がることなどない。

 とはいえ、やはりこの「駅馬車定跡」という、雰囲気にピッタリの名前をあたえられたことで、ますます升田幸三の「伝説」感が強まったことは間違いないだろう。
  
 加藤先生のセンスが、光りまくっている。さすがですわ。

 

 (升田式石田流編に続く→こちら


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橋口譲二『ベルリン物語』 沢木耕太郎もあこがれた伝説の「西ベルリン」の姿

2019年10月18日 | 
 本日は橋口譲二ベルリン物語』という本を紹介したい。
 
 写真家である著者が、まだ壁崩壊前の西ベルリンに滞在し、そこに住む、主に若者たちを描いたノンフィクション
 
 西ベルリンというのは、東西冷戦が終わった今となってはもとより、当時でも、いまひとつどういうものか、よくわからない存在ではあった。
 
 「敵国」東ドイツの領土の中にある飛び地。地図の中に、ポツンと落ちたケチャップのシミのような
 
 周囲をぐるりとに囲まれた都市。「ベルリン」と称しているが、西ドイツはおろか、どこの国にも存在しない「占領地」。
 
 そしてそんな足場の固まっていない「空白地」だからこそ、同じような危うさを持った若者が集まってくる。
 
 求めるものは「自由」だ。
 
 西ベルリンという街に「自由」があるかどうかはわからないが、少なくとも「自由を求める人」が他のヨーロッパの街よりも多かったことはたしかだろう。
 
 そこを「魅力」と感じるか、
 
 
 「すさんでいる」
 
 「負け犬や、逃亡者の吹きだまりだ」
 
 
 そう取るかによって、西ベルリンという街に対するスタンスが決定されるのかもしれない。
 
 たとえば、作家の沢木耕太郎さんは、仕事でヨーロッパを移動中、西ベルリンを通過したとき、
 
 
 「一度、じっくり滞在してみたいと思うほど心惹かれた」
 
 
 というようなことを書いておられたし、おそらく橋口氏も同じように感じられたのだろう。
 
 この本に登場する人物に、まともな社会人というのは少数派だ。
 
 麻薬専門の刑事のルーカスや、出稼ぎのトルコ人労働者など、「まともな人」もいるが、その大半はパンクスアル中スクワッター(空家を不法占拠して住む若者)。
 
 同性愛者売春婦フィクサー(ヘロイン中毒者)などなど、まっとうな社会から圧倒的に「ドロップアウト」した(させられた)者たちばかり。
 
 彼らは尿のにおいのする住処でビールを飲み、小銭をたかり、余裕があるときはデモコンサートに出かけ、
 
 
 「退屈」
 
 「ひとりは最悪だ」
 
 
 となげき、「オレはここにいるぞ!」と証明するために髪をモヒカンにする。
 
 ある女の子は、こんなことすら口にする。
 
 
 「(ヒトラーの時代は)たしかに、まちがった時代だったと思う。だけど、たとえまちがっていても、なんにもない現在の時代よりはマシだと思うわ。生きる目標があったもの」
 
 
 橋口氏はそんな荒んだ、一見どうしようもなく見える若者たちの話に、静かに耳をかたむける。
 
 でもそれは、安易な同情や、「現代社会の」みたいな切り口ではなく、相手の心の奥底に踏みこむ「取材」でもない
 
 だから、するどい言葉を投げかけて、ゆさぶりをかけるようなこともしないし、
 
 
 「もっとがんばれ」
 
 「ここから抜け出すために努力しろ」
 
 
 みたいな、一見正しげで、だからこそ、まったく意味をなさないような説教もしない。
 
 ただ彼ら彼女らの話を聞き、写真を撮り、ゆかいな出会いがあれば共に笑い、苦しい現実には言葉を探してまどい、答の出ない問いを反芻しながら、またベルリンの街を歩く。
 
 それは氏がクールだからではないし、取材者の距離を保っているわけでもなければ、もちろん薄情なわけでもない
 
 若者を撮るが、彼らを理解できているわけでもなければ、肯定しているわけでもない。
 
 
 「悩みながら生きる若者たちの姿」
 
 「たとえ苦しくても、自由とはすばらしい」
 
 
 みたいな、口当たり良くわかりやすい結論に落としこむつもりもない
 
 橋口さんはたぶん「わからない」のだ。
 
 西ベルリンという都市も、若者たちの悩みの本質も、その解決策も、自分がそこからなにを感じ取り、どうあつかうべきかも。
 
 すべてが、わからない。
 
 これは別に、橋口さんが愚かだと言っているのではない。そもそも、人がなにかを「理解」することなど不可能なのだ。
 
 橋口さんは、その「わからない」ことを隠そうとしない。むしろ、「わからない」ことに向き合い、言葉を探している。
 
 道を見失っている人を否定も肯定もせず、自分のせまい価値観だけに落としこまず、見つめる。
 
 理解できたと思ったとたんに、するりと「答え」が逃げていく失望も受け入れる。
  
 「わからない」という苦しさと無力感を「わかろうとする」意志のため受け入れる。
 
 その、もどかしくすらある姿勢に、私は惹かれたのだと思う。
 
 実際、この本に出てくる人物のもつ悩みのほとんどが、最後まで解決しない。それどころか、むしろより深いところに足を取られている人すらいる。
 
 それでも、読了後の印象が、どこかさわやかにも感じられるのは、きっと著者のスタンスによるところが大きいだろう。
 
 あとがきで橋口さんはこう書く。
 
 
 「自由の中で生きたいと願い、自由の中で窒息していく。むごくて、やさしい街。それがベルリンだと思う」。
 
 いささか感傷的だが、つまりはそういうことなのだろう。
 
 「自由に生きられるほど強くはないけど、自由にしか生きられない人」
 
 に生まれることは、きっとしんどいことなのだ。
 
 そんな人たちに「まっとうな人」ができることは少ないのだろうけど、きっとその選択肢のひとつに、
 
 「そっと耳をかたむける
 
 があることを、この物語は教えてくれるのだ。 
 
 
 
 
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「升田幸三賞」を升田幸三に 序盤戦「7手の革命」編

2019年10月15日 | 将棋・名局

 つまり、升田幸三は偉大ということなのである。

 前回は、羽生善治九段の芸術的な寄せを紹介したが(→こちら)今回は序盤戦術について。

 将棋の世界には、強さとともに「創造性」にも長けた人、というのが存在する。

 私の世代なら、「藤井システム」の藤井猛九段や、「康光流」新戦法を次々くりだす佐藤康光九段

 今なら菅井竜也七段の振り飛車における工夫の数々や、横歩取りの後手番を苦しめる佐々木勇気七段の「勇気流」など、画期的新手や新戦法は、将棋界を盛り上げるに必須の要素だ。

 そんな将棋における、クリエイティビティといえば、やはり「升田幸三賞」にその名を残す、升田幸三九段を語らねばなるまい。

 私が将棋をおぼえたころは、とっくに引退されていたが、「新手一生」をモットーとし、常に独自性と芸術性を追求する姿勢は今でも語り草。

 なんといってもあの羽生善治九段が、



 「一番、指してみたい過去の棋士は?」



 との問いに、

 


 「升田先生の序盤戦術を味わってみたい」




 そうおっしゃっていると知れば、今のファンの方にも、多少はそのすごさが伝わるのではないか。

 角換わり腰掛銀の「升田定跡」やアマチュアにも人気の「升田式石田流」。

 などなど、ヒゲの大先生が、後世に残したアイデアは数あるが、私がまず「升田先生スゲー」と感心させられたのが、ある序盤のなにげないやりとり。

 若手時代の先崎学九段が、雑誌のエッセイで書いておられたのだが、まずはこの図を見ていただきたい。

 



 初手から、▲76歩、△34歩、▲26歩、△54歩、▲25歩、△32金まで進んだところ。

 升田が若手棋士だった戦前から昭和初期の将棋は、だいたい、こういう出だしだった。

 今なら「力戦の中飛車っスか?」となるところだが、当時はこれが相居飛車定跡型

 後手は△55歩と早めに位を取って、厚みと模様で勝負していた。

 

 「▲55の位は天王山」

 

 という、今ではなかば死語と化した言葉が、まだ現役バリバリだったことがよくわかるオープニングだ。

 先手が▲24歩と飛車先交換すれば、後手は△52飛といったん中飛車にする。

 

 

 玉は△41に寄って「矢倉中飛車」っぽく戦う。

 当時の棋譜を見ると、この形は相当少ないから、5筋の位を取らせるのは得策ではないと思われていたのだろう。

 なので位を取らせないよう先手は▲56歩と突くが、それはそれで、じっくりと駒組をして一局の将棋。

 

 

 以下、自然に駒組をして、大半がこういう形になっているようだ。

 

 

 

 素人目には、これで先手が悪いようにも見えないが、升田はここを不満と見た。

 いや、そもそも皆が▲56歩と、なにも考えずに突くところでアンテナが光ったのだろう。

 まだ、王様を囲ってもいない状況で、当然のこと優劣などつきそうもない局面に見えるが、なんと升田はここからわずか7手で、先手有利の形を作り出す。

 手順は簡単でも、その中身は濃い。

 ヒントは、角交換に突いてはいけないといえば……。




 

 

 ▲24歩、△同歩、▲同飛、△23歩、▲22角成、△同銀、▲28飛で、先手作戦勝ち。

 答えだけ見れば、なんということはない。

 先手は飛車先を交換し、行きがけの駄賃にも交換した。

 それだけのことだ。

 ところがこの局面、特に居飛車党の上級者なら、選べるなら先手を持ちたい人がほとんどだろう。



 「飛車先交換3つの利」

 「角交換には5筋を突くな」



 の格言通り、先手だけが一方的にポイントをあげている。

 特に後手は△54歩を突いたため、いつでも▲53角▲71角からの作りを見せられる形。

 また△41△42などをどこに移動しても、早い戦いになると、▲53のスペースにやらを打たれたり、開いているコビンも攻められやすい。

 そのうえ△54の腰掛銀にできないなど、形を早く決めすぎて、駒組を制約されてしまっているのだ。

 一方、先手は自分だけ一歩を獲得したうえに、▲36歩から▲37銀(桂)、▲46歩から▲47銀▲56歩から▲57銀

 など、好きな形を選べ、囲いも矢倉雁木左美濃と、その幅広さが段違い。

 ロジカルで、戦略的な作戦を得意とする、渡辺明三冠あたりが見たら、



 「これ、こっち(後手)にまったく主張するところないんで、全然やる気しないですよ」



 ドライな口調で、一刀両断しそうな局面。

 先チャンもこの局面について、

 


 後は銀を腰かけ銀にして、普通に指せば、必ず作戦勝ちになる。


 

 プロ的には、それくらいに先手に利がある局面なのだ。

 このなにげない7手1組は、今ならアマ有段者でも指せるが、



 「相居飛車では、後手は5筋を突いて持久戦」



 というのが当たり前だった時代に、たったひとり升田だけがその不備に気づいていたところに価値があるのだ。

 ▲24歩、△同歩、▲同飛△23歩になにもせず▲28飛だと、後手も△55歩と角道をとめて互角の戦い。

 



 また、先に▲22角成として、△同銀▲24歩と突くと、△同歩、▲同飛に△33角と、飛車と香の両取りに打たれて「あ!」ということになる。

 


 つまりは、この△23歩一瞬▲22角成と行くのは(ここで△24歩と飛車を取るのは▲21馬で、駒得と馬が大きく必勝)、唯一無二の正解手順。

 

 

 そして、これこそは先チャンも言う通り、すべてが

 


 「意味があり、必然で、完璧なのだ」




 世界でただひとり、この組み合わせを発見した升田幸三は、「常識」にとらわれたままの同時代のライバルを尻目に、常に「先取点」を取った状態から戦うことができたのだ。


 (駅馬車定跡編に続く→こちら

 

 

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『怪盗ルビイ』のミステリマニアな小泉今日子がステキすぎる

2019年10月12日 | 映画
 「昭和のアイドル映画」
 
 というジャンルで最強なのは、『怪盗ルビイ』である。
 
 映画の楽しみはストーリーやアクションとともに、ヒロインの魅力というのも大きい。
 
 『カサブランカ』におけるイングリッドバーグマンの可憐さや、『アパートの鍵貸します』のシャーリーマクレーンのファニーな顔。
 
 他にも『ローラーガールズ・ダイアリー』のドリューバリモア姐さんにホッケーのステッキで尻を叩かれたいとか。
 
 『裏窓』のグレースケリーに、足が折れて動けないことをいいことに、靴にそそいだトマトジュースを無理矢理飲まされたいとか
 
 あと『ヒット・ガール』のクロエグレースモレッツ広瀬すずちゃんでも可)に「おまえはゴミ人間だ」とののしられながら、高速アクションでボコボコにのされたいとか、そういったヒロインの活躍が作品を大いに盛り上げてくれるのだ。
 
 そんなわけで(どんなわけだ)、魅力的なヒロインというのは、すぐれた映画には欠かせないファクターなのだが、その中でも「アイドル映画」というジャンルになると、「ヒロインも大事」ではなく、むしろヒロインこそが大事。
 
 というか、それがすべてで、極端な話、アイドルがかわいく撮れていたら、あとはへっぽこぴーな内容でも充分に成立しているのだ。
 
 何度もリメイクされている『時をかける少女』や『セーラー服と機関銃』なんかがその代表だが、個人的な1位をあげればこれが『怪盗ルビイ』。
 
 私はミステリファンなので、原作であるヘンリースレッサーの『快盗ルビイマーチンスン』を手に取った方が先だが、短編の名手で大好きなスレッサーを、『麻雀放浪記』の和田誠さん(先日亡くなられたそうで吃驚しました、ご冥福をお祈りします)が監督するとなれば、これはもう見るしかあるまい。
 
 となったのだが、これが鑑賞後、思わず声をあげてしまったものだ。
 
 
 「いや、これはなんか、小泉今日子メッチャかわいいやん!」
 
 
 私は昔から、アイドルという存在にさほど興味がない。
 
 もちろん、単純に見てかわいい、というのはわかるけど、どうもそれだけでなく、その後ろにある「」(吉田豪さんの『元アイドル!』の世界的な)みたいなものが苦手なのだ。
 
 なにかこう、「」のギャップがすごすぎて、ひいてしまうというか。
 
 だから、昭和のキョンキョンだナンノだおニャン子だというのは、名前と顔くらいは知ってても、歌やドラマ、映画などはほとんど知らない。
 
 当時の数少ない「推し」といえば、『月刊コンプティーク』に連載を持っていた小川範子さんくらいで、このチョイスを見ても私がいかにメジャーロードのアイドルから離れていたか、わかろうというものだ。
 
 だが、そんなアイドル音痴をして、ただただ「かわいい……」と絶句させたのだから、この映画のキョンキョンの破壊力はすごい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 丸顔で、ジーンズが似合う。ぱっつん前髪はあざとくて好きじゃないけど、この映画のキョンキョンだけは例外
 
 セクシーなシーンとかもまったくないけど、それがまた上品でよい。髪型のバリエーションも豊富で、もう全部かわいい。
 
 今の自分は新垣結衣さんが好きなんだけど、そことくらべてもホントいい勝負だ。どちらを選ぶべきか、優劣はつけがたい。
 
 いやあ、すばらしい映画だぞ『怪盗ルビイ』。内容自体は、まあ、たわいないっちゃあたわいないんだけど(原作もライトなノリだしね)、
 
 
 「アイドル映画は、アイドルがかわいく撮れてることが命」
 
 
 なわけだから、その意味ではまさに、ライムスター宇多丸さん流に言えば100点満点で5億点の出来だ。
 
 ちなみに、引越のシーンでちょこっと映るキョンキョンの愛読書は、
 
 
 ヘンリー・スレッサー『うまい犯罪、しゃれた殺人』

  ロバート・ブロック『血は冷たく流れる』

  コーネル・ウールリッチ『夜の闇の中へ』

  レイモンド・チャンドラー『湖中の女』

  山田宏一『美女と犯罪―映画的なあまりに映画的な』

  小鷹信光編『ブラック・マスク 異色作品集』
 
 
 『ブラックマスク』ってアータ! 
 
 それ以外もハヤカワミステリ文庫ポケミスも山ほど持ってて、シェリイスミス『午後の死』とか、レイモンドポストゲートの『十二人の評決』とか。
 
 レスリーチャータリス『聖者ニューヨークに現る』とか、クレイグライス居合わせた女』とか、もっかい読みたいから貸してくれないもんか。
 
 こんだけかわいくて、こんなディープなミスヲタなんて、素晴らしすぎる。もう結婚して!
 
 
 
 
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天才の終盤力 羽生善治vs三浦弘行 2013年 第72期A級順位戦

2019年10月09日 | 将棋・好手 妙手
 将棋の絶妙手は美しい。
 
 前回は初タイトル獲得を記念して、木村一基王位の受けを紹介したが(→こちら)、今回は羽生善治九段の妙技を。
 
 
 2013年、第72期A級順位戦の3回戦。
 
 羽生善治三冠三浦弘行九段との一戦は、角換わり腰掛銀から難解な終盤戦に突入した。
 
 
 
 
 後手の羽生が△69銀とかけて、三浦が▲79金と引いたところ。
 
 後手は飛車両取りがかかっているうえに、打ったばかりの△69銀も取られそうな形。
 
 歩切れだし、の働きもイマイチで、△27も浮いている。
 
 後手が相当にあせらされている局面に見えるが、ここで羽生はすべてを読み切っていたというのだから、恐れ入るしかない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 △86飛が「光速の寄せ」の異名をとる谷川浩司九段のような、あざやかな一撃。
 
 ▲同銀と取られて、まったく意味のないタダ捨てのようだが、△47馬として、これで先手玉は寄っている。
 
 
 
 
 といわれても、やはりマヌケに「はぁ……」とでも言うしかないが、1手ずつの意味を丁寧に考えていけば、なんとなく見えてくる。
 
 △86飛で後手が得たものは、1枚のと、▲77▲86に移動したこと。
 
 これで、▲88への先手の利きがひとつ減り、後手から見て、取ったが立つ筋といえば6筋7筋
 
 どちらに使うのが、きびしいかを考えると見えてくる。
 
 そう、後手はこれで△78歩と打つ攻めが、可能になるのだ。
 
 
 
 
 すぐだと▲69金と取られるから、その前に△47馬と、遊んでいる馬を活用しながら△69を守る。
 
 こんな最終盤で、なんの当たりにもなってない状態で手を渡すなど怖すぎるが、先手が▲63角成とでもすると、すかさず△78歩とたたかれて(上の図)、▲69金△同馬で寄り形。
 
 ▲68金上としても△79歩成で、次に△78銀成とされると、△88△89の地点を受けられず、先手玉は必至
 
 パッと見ただけでは、にわかには信じがたいが、これで先手にまったくといっていいほど受ける形がないのだ。
 
 とにかく、どうやって駒やら利きを足そうとも、△78歩の一撃ですべてが崩壊するのだから、三浦も唖然としたことだろう。
 
 まともな手では、どうしようもないと見た先手は、▲77飛と非常手段で抵抗するが、やはり後手は△78歩
 
 
 
 
 
 ▲同金△同銀成で、▲同飛△69馬で寄り。
 
 ▲68金上とかわすしかないが、△79歩成▲同飛△58馬と抱き着かれて、どうしても先手は攻めを振りほどけない。
 
 
 
 
 
 △87にぶら下がった歩が、まるで絞首台のロープのように、冷たく先手玉を見下ろしている。
 
 後手はカナ駒さえ入れば△88に打ってお終いだから(△86飛の効果)、力ずくで、それをもぎ取ってしまえばいいのだ。
 
 先手は▲88歩ともがくも、△55桂の追撃で、まったく手数がのびない。
 
 以下、▲58金△67桂成▲69飛△78金まで羽生勝ち。
 
 
 
 
 
 盤に並べてみるとよりわかるが、先手はどこまで行っても▲88の地点が受からず、どう駒を繰り替えても同じような筋で、結局受けなしに追いこまれてしまうのだ。
 
 羽生善治といえば、やはり終盤力が大きな武器だが、この一局は中でも、そのすさまじさを表した名局といえるのではないか。
 
 △86飛のあざやかさもさることながら、△47馬と、ただ銀にヒモをつけただけの、1手パスのような手で攻めがつながっているという発想が、ちょっとケタはずれだ。
 
 攻めが切れているようで、実のところ△87タレ歩△78歩のたたき、そしてタダ取りされそうな△69に、ゆるそうな△47馬
 
 すべてが絶妙の位置に配置されており、どう組み合わせても、先手の玉は逃げられない。
 
 今、並べ返しても、どこまでもため息しか出ない美しい終盤だ。
 
 
 (升田幸三の序盤戦術編に続く→こちら
 
 
 
 
 
 
 
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ちょっとめんどくさいぞ サウジアラビアの観光ビザ

2019年10月06日 | 海外旅行

 サウジアラビアが観光ビザを発給するという。

 旅行が趣味でいろんな国の観光情報などを集めていると、結構いろいろと、

 「行きたくても行けない国」

 というのが出てくるもの。

 シリアやイエメンのような、「いつか行きたいなー」とボーっとしてたら戦争や内戦でそれどころじゃなくなったり(早く平和が戻ってほしいです)、昔のビルマやラオスのように国境が閉まっていて

 「今開いてる」

 「もう閉まった」

 旅行者が一喜一憂させられたり、旧ソ連や北朝鮮のように「制約ありまくりのツアーならゆるす」で個人旅行は無理とか。

 あとはサウジアラビアやトルクメニスタンなど「観光客お断り」な国だが、このたびサウジが観光業に力を入れるべくビザを出すことを決意したそうで、中東やイスラム圏のファンにはうれしい情報であろう。

 となると気になるのが、イスラムの戒律などの制約である。

 サウジのみならず厳格なイスラム国家は、われわれ「異教徒」への要求が多く、そこがめんどくさいことがある。

 私はトルコやチュニジアのような、比較的ゆるめのイスラム国しか行ってないが、これが宗教色の強いイランとかだと、少しばかり話が変わってくるのだ。

 女性はスカーフで髪を隠さなくてはならないとか、アルコールは一切ダメとか、宗教警察がうるさいとか、イスファハンやペルセポリスなど、その観光的魅力にもかかわらず、息苦しく感じる人もいたようだ。

 そこでサウジはどうかと、バックパッカー専門誌『旅行人』の編集長であった蔵前仁一さんのツイートを見てみると、ビザ発給のため「やってはいけないこと」があって、


●5秒以上見知らぬ人を凝視する事

●名前を呼ぶ事

●女性と子どもに対する悪戯
(男性が現地の女性に話しかける事もダメ)

●大音量の音楽の再生

●不謹慎な衣服はダメ

●公共の場で短パンまたは白い下着を着ること

●猥褻と見なされる行為や容姿はダメ

●人を撮影することはダメ

 

 思わず、

 「ひとーぉつ! 5びょういじょうみしらぬひとをぎょうしすることぉ!」「することぉ!!」

 「ふたーァつ! なまえをよぶことぉ」「ふたーァつ! なまえをよぶことぉ!!」

 なんて体育会系居酒屋か、お笑いコンビ「いつもここから」のノリで復唱してしまいそうだが、予想通り、なにかとめんどくさそう。

 「人を凝視」は、まあ失礼になりやすいかもしれないけど、「それでビザを出さん」とはなかなかキビシイ。私もド近眼なので気をつけたいところだ。

 「撮影」も女性を撮ったらダメってことなのだろうか。

 まあ、旧ソ連とか入国等にうるさい国で、うかつにカメラを出したり絵を描いたりすると「スパイ容疑」なんてことにもなりかねないのは、『この世界の片隅に』にもある描写。

 なんで名前を呼んだらダメなんだろう。『ゲド戦記』に出てくる「真の名前」みたいな話だろうか。

 それとも宗教的タブーか。でも、イスラムの人って「インシャラー」とか、結構ライトに神様の名前は呼ぶんだけどね。

 かくして、未知の国サウジアラビアの謎は深まるばかりである。

 旅行好きとしては、やはりここは「行って確認」といきたいところだが、旅仲間になってくれそうな人がなかなかいなさそう。
 
 「今度の連休、ハワイ行こうぜ」とか台湾とかシンガポールなら「いいね」と言ってくれそうだけど、
 
 「今度の連休、サウジアラビア行こうぜ」
 
 これで来てくれる人が、まったくイメージできない。
 
 おそらくは、「なんでサウジやねん!」というツッコミが飛びまくりであろう、嗚呼私に『アラビアのロレンス』への道は遠いのだった。

 

 
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