「ついに禁断の言語を始めてしまったか……」
スマホの語学アプリを検索しながら、そうひとりごちたのは、冬の近づく寒い夜のことだった。
このところ私は、
「世界のあらゆる語学をちょっとだけやる」
ということにハマっており、ここまでフランス語とドイツ語(学生時代の復習)、スペイン語、ポルトガル語。
そして、トルコ語、イタリア語もクリアし、オランダ語も少しかじってというチョコザップならぬ「チョコ語学」である。
まあ、やってもせいぜいが1か月か2か月ほどで、身に付くのも「中2レベルの文法と単語」くらいなものだが、こんなもんでも、
Mi hermana no puede ser tan linda.
(俺の妹がこんなに可愛いわけがない)
Ihre Augenbrauen sind tatsächlich Takuan.
(彼女の眉毛は実はたくあんです)
Je vais te faire 'Mick Mick'!
(みっくみくにしてやんよ)
くらいなら理解できるのだから、なかなかのものではないか。
「飽きたらやめる」がルールなので、オランダ語からそろそろ次に移行しようと、言語関係の本をあさっていたら、こんなものがでてきた。
それが、Twitterで有名な「ラテン語さん」のベストセラー『世界はラテン語でできている』。
これが、おもしろくて「次はラテン語や!」となったのだ。
といっても、語学学習や世界史に興味のない方には「どこの言葉?」となるかもしれないが、それは正しい反応である。
なんといってもラテン語とは、古代ローマ帝国の公用語。
いわゆる『テルマエ・ロマエ』の世界だが、そのあとは中世ヨーロッパの教会や、インテリの間での共通語として流通。
16世紀くらいから、ヨーロッパでは各地でその土地の言語が確立していった(フランス語とかドイツ語とか)ため、ゆるやかに衰退し今で死語(というと、いろいろ怒られそうだけど)になっている。
日本で言う「古文」「漢文」だと考えるとわかりやすいが、そういう歴史ある格調高い言葉なのである。
ただ格調は高いが、これがどこかで役に立つのかと言えば、なかなかむずかしいところはある。
どこの国でも使用されてなくて、かろうじて今使われているのがバチカン市国だが、かの地の思い出と言えばイタリア旅行の際に寄ったときのこと。
なんか、日曜日の昼かなんかに窓から顔を見せて祈りを唱えるらしく、それ目当てで出かけたのだが、その感想はと問うならば、
「なんか、知らんおじいちゃんが出てきた……」
知性のかけらもないリアクションだが、まあカトリックでなければ、だいたいこんなもんである。
こんな縁もゆかりもないもん、だれがやるねんだが、私がやるのだ。
われながら頭がおかしいが、一応これがそんな変な話でもないというのが、またおもしろいところではある。
というのも、私が今やってる
「言語的距離の近い言葉をやる」
という意味では、かなり正しい選択ではある。
ここまでフランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語という「ロマンス語群」はもともとすべて、
「ラテン語の方言」
なので、いわば「親玉」。
『ドラゴンクエスト』や『ファイナル・ファンタジー』のファンが『ダンジョンズ&ドラゴンズ』をプレーするようなもの。
その意味では「流れ」としては、むしろ必然ともいえるのだ。
「歴史を学ぶ」姿勢は大事であろうと、我がことながら「変なヤツ」と思わなくもないが、ともかくもラテン語学習開始。
いい加減なのものだが、そのゆるさが案外と「続く」コツでもあり、この「ファランクス作戦」もとりあえずやってみる所存だ。