パリ オリンピックで「ふだん観ないスポーツ」にわかファンになる 女子ホッケー「さくらジャパン」編

2024年07月31日 | スポーツ

 パリ オリンピックで世界は、連日盛り上がりを見せている。

 そのフランスらしいトガッた開会式から、いきなり注目を集め、われらが大日本帝国選手団も、誤審があったり、有力選手が「五輪の魔物」につかまったりと、いろんな意味で波乱の幕開けとなっている。
 
 私も以前ほど熱心にスポーツを見なくなったが、これがオリンピックになると、一応そこそこ見たりもするミーハー魂。

 チェックするのは、まず、ふだん見ているテニス自転車ロードレース
 
 アンディーマレー引退試合になるかもしれない相手が、錦織圭ダニエル太郎とのダブルスで、これはなかなかアツかった。

 いい試合だったなあ。眠い目こすって見たぜ。

 5つマッチポイントを取り切れなかったのは痛いけど、ダニエルエバンスねばり気迫もすごかった。

 ムッチャくやしいが、アンディーの試合がもっと見られるぜ、と思わなしゃーないか。
 
 ロードレース女子も楽しみ。なかなか見れないものな。

 自転車なら、ちょうど読み返してる『弱虫ペダル』がマウンテンバイク編まで来たので、そっちも観てようか。

 なんて、TVerのチェックに余念がないが、こういう大会はふだん、あまり見ることのない競技と接する機会でもある。

 これはオリンピック観戦「あるある」というか、皆きっとそれぞれに、「柔道」や「水泳」「陸上」といった比較的メジャーというか「っぽい」もの以外の試合を見て、

 

 「へー、意外とおもしろいやん」

 

 なんて思って、でもその後も継続してみるかと言えば、それはそうでもなかったり(選手の皆さんスミマセン)というリストがある。

 友達同士で言い合うと、これが結構盛り上がるんだけど、私の場合はまずホッケー

 「さくらジャパン」の試合は、いつもはホッケー見ないし、自分でやったこともないけど、応援しちゃうのだ。

 ちなみに、男子は見ない(嗚呼、なんか今日の内容はいろんなところに失礼がありそうだ)。きょうだいとか親戚みたいな関係のアイスホッケーも、なぜか見ない。

 女子ホッケーだけ。

 でも、別にエロい目で見てるとかでもなく(衣装などにも、そういう要素はない)、わりと真摯に応援している。

 「なでしこ」とか「」など他の「ジャパン」ものとくらべて、あまり報われてない感があるところも、判官びいきでいいのかも。

 今大会こそブレイクやで、「さくらジャパン」!

 といって私が見た試合、中国に負けてしまったのだった。残念。

 

 

 

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スフィンクスの謎かけ 谷川浩司vs南芳一 1989年 第14期棋王戦 第1局

2024年07月28日 | 詰将棋・実戦詰将棋

 谷川浩司ブレイクするまでに、意外と時間がかかった印象があった。

 谷川といえばデビュー前から大器の誉れ高く、

 

 中学生棋士」

 「21歳名人獲得」

 

 ほとんど、最短距離で棋界の頂点へ駆け抜けた男。

 となれば、その歴史は「勝利の歴史」のように見えるが、実はこの名人獲得以降、次の頂点である「四冠王」までけっこう苦戦していた時期もあるというのは、リアルタイムで見ていてヤキモキしたもの。

 そう聞けば、

 

 「まあ、羽生さんがいたからねえ」

 

 という声が聞こえてきそうだが、それより以前に立ちはだかった男が2人いたのだ。

 一人は高橋道雄九段

 そして、もうひとりが南芳一九段

 中原誠米長邦雄といった先輩と同時に、この「花の55年組」のの重いライバルたちが、谷川の前進をはばむ。

 当初は高橋に苦しめられたが、その後はとタイトル戦で戦うことが増え、ここでも一筋縄ではいかない勝負を強いられてきたのだ。

 


 1989年の第14期棋王戦は、谷川浩司棋王南芳一王将挑戦

 関西同士のタイトル戦ということで話題を集めたが、これが第1局から熱戦になった。

 相矢倉になったが、後手の谷川がから仕掛けて、激しい戦いに。

 むかえた最終盤。 

 

 

 谷川が△67桂成を取って、先手玉にせまったところ。

 南の玉は受けがなく、なら後手玉を詰ます以外に手段がないわけで、南は▲31角王手する。

 △12玉▲13角成から、▲37にある桂馬の重しが頼もしくて詰むから、後手は△同金と取り、▲同竜△同玉に、▲61飛

 

 

  さあ、この局面をどう見るでしょう。

 一目、先手の持駒が豊富で詰みそうだが、果たしてそうだろうか。

 相手は「光速の寄せ」を売り物にし、詰将棋の名手である谷川浩司だ。

 そんな簡単に、詰みのある局面に誘導してくるはずなどもなく……。

 

 

 

 

 △41飛と打つのが、盤上この一手の限定合

 ここで△41金△41角は、▲32金△同玉▲43角の筋で詰まされてしまう。

 

 

 

 △同玉▲41飛成でカンタン。

 △22玉も、▲21角成△同玉▲41飛成で自然に追っていけば詰む

 この詰み筋が基本にあって、これだけなら我々もまあ理解できる。

 ポイントこの基本図になったとき、後手の駒がどこに利いていて、先手持駒になにがあるかが問題。

 この組み合わせによって、天国か地獄か大違いなのだ。

 △41飛なら▲32金から入ると、最後にがなくて詰まないから、今度は▲32銀から入る。

 △同玉▲43角△22玉とかわして、▲21角成△同飛(!)と取れるから詰まないのだ。

 

  ここで△21同飛と取れるのが、飛車合の効果。
 合駒が打だと、△同玉▲41飛成で簡単に詰んでしまう。

 

  「なるほどー」と感心することしきりの読みだが、話はここで終わりではない。

 不詰が見えた南は、▲41同飛成と取って、△同玉▲61飛と再度打ちおろす。

 

 

 

 これがまた悩ましい王手で、なにを合駒するのか。

 腕自慢の方は考えてみてください。今度もまた、これしかないという手で……。

 

 

 

 

 

 

 △51角と打つのが、ふたたび盤上この一手の絶妙手

 ふつうに△51金とハジくと、▲31金が送りの手筋で、△同玉▲51飛成

 以下、△41飛▲32銀△同玉▲43角で「基本図」と似ているが、やはり後手玉は捕まっている。

 

 

 △同玉▲41竜

 △同飛▲31金尻金仕留められる。

 これが△51金合

 ▲51飛成で、相手にを渡してしまうのがマズイのだ。

 この形は▲43角△22玉と逃げても、▲31銀△12玉▲22金と、やはりここでが使える。

 △同銀▲同銀成△同玉とバラして、▲21角成

 

 

  これも、さっきと似たような形だが、△同玉▲41竜

 △同飛(飛車)の位置がさっきと一路ちがうのと、△33がいなくなっているから、今度は▲42竜として一間竜の形でピッタリ詰む。 

 ▲61飛に今度△51飛も、やはり▲31金から、比較的簡単に詰まされる。

 ここはだけが安全な駒。

 ▲43角△同飛としたときに、先手の持駒にをあたえないことによって、▲22金からの王手や▲31金尻金を打たせないためだ。

 角合に本譜も▲31金からせまるが、△同玉▲51飛成

 

 

 ここでも、合駒を間違えば即終了だが、もはや神がかりの谷川はやはら誤らないのだ。

 

 

 △41飛が、みたびの限定合で詰みなし

 ここを△41金では▲32銀△同玉▲43角から△同玉▲41飛成

 △22玉▲21角成と「例のコース」で詰み

 飛車合のみ、▲32銀△同玉▲43角にやはり△同飛(!)と取って、先手の持ち駒に金がないから▲31金と打つ筋がなく負け

 

 

 ▲43角△同玉なら▲41飛成だが、△同飛で、を渡してないから▲31金が打てず指す手がない。

 

 

 手順ばかりで申し訳ないが、あまりにもすばらしい読みなので、ここで紹介したかったのだ。

 とにかく、この飛車飛車合駒は、すべてこれだけが正解という綱渡り。

 他の駒だと、一瞬でが飛ぶという、危険きわまりない場面だったのだ。

 似たような形で詰む詰まないが分かれているため、錯覚を起こしやすい筋もあろうに(こっちも検算していて、頭がこんがらがります)、それをすべてしのいでの勝利だから、このころの谷川の切れ味は異様だった。

 神業連発で初戦を制した谷川は、第2戦にも勝利しアッサリ防衛を決めるのかと思いきや、そこからなんと3連敗でタイトルを失う。

 このように当時の谷川は、こういうところで手間取ることが多く、その強さにもかかわらず、羽生善治の勢い飲まれそうになる遠因となったのであった。

 


 (伊藤看寿の傑作詰将棋「将棋図巧」第一番はこちら

 (伊藤宗看の超絶技巧『将棋無双』についてはこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)

 

 

 

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スペイン語(ポルトガル語・フランス語)ができるとイタリア語が理解できるって本当ですか?

2024年07月25日 | 海外旅行

 スペイン語フランス語をやってからイタリア語をやると、すごいに感じる

 というのは前回述べたことだが、これらのはあげていくとキリがないほど。 

 


 例えば数字
 
 フランス語だと
  


 un (アン)

 deux (ドゥ)
 
 trois (トロワ)
 
 quatre (キャトル)
 
 cinq (サンク)



 
 
 スペイン語だと
 


 uno (ウノ)
 
 dos (ドス)
 
 tres (トレス)
 
 cuatro (クアトロ)
 
 cinco (シンコ)



 
 
 イタリア語だと、
 


 uno (ウーノ)
 
 due (ドゥエ)
 
 tre (トレ)
 
 quattro (クワットロ)
 
 cinque (チンケ)


 
 
 
 似ているというか、初心者のスペルミスみたいな微妙な違い程度しかない。
 
 曜日もフランス語では、

 


 月曜日=lundi(ランディ)

 火曜日=mardi(マルディ)

 水曜日=mercredi(メルクレディ)


 木曜日=jeudi(ジュディ)


 金曜日=vendredi(ヴァンドルディ)


 土曜日=samedi(サムディ)


 日曜日=dimanche(ディマンシュ)


 


 スペイン語 


 月曜日=lunes(ルネス)

 火曜日=martes(マルテス)

 水曜日=miércoles(ミエルコレス)

 木曜日=jueves(フエベス)

 金曜日=viernes(ヴィエルネス)

 土曜日=sábado(サバド) 

 日曜日=domingo(ドミンゴ)



 

 イタリア語


 月曜日=lunedì(ルネディ)
 

 火曜日=martedì(マルテディ)

 水曜日=mercoledì (メルコレディ)


 木曜日=giovedì(ジョヴェディ)


 金曜日=venerdì (ヴェネルディ)


 土曜日=sabato(サーバト)

 日曜日=domenica(ドメーニカ)



 
 
 文章にしても、たとえば「猫がお肉を食べます」だと、
 
 


 フランス語=Le chat mange la viande.
 
 スペイン語=El gato come la carne
 
 イタリア語=Il gatto mangia la carne.

 ポルトガル語=O gato come carne.



 
 
 なんか言語ごとに「てれこ」になってる感じで、どんなに上手にかくれても「身内」であることはバレバレなのだ。
 
 これがねえ、ムチャクチャにハードルを低くしてくれる。
 
 もちろん、全部が同じなわけではないし、
 
 
 grend-mère

 「abuela

 「nonna

 

 のように予測不能なものもあるけと(それぞれ仏・西・伊で「おばあさん」)、それでもとっつきが全然違う。
 
 極端に言えば、「われわれ」(英語のwe)がどれも「n」の音ではじまる、みたいな程度でも、記憶へのフックが全然変わってくる。
 
 それこそ、トルコ語とくらべてみよう。
 
 


 1=bir (ビル)

 2=iki (イキ)

 3=üç (ユチュ)

 4=dört (ドルト)

 5=beş (ベシュ)



 月曜日: Pazartesi (パザルテシ)

 火曜日: Salı (サル)

 水曜日: Çarşamba (チャルシャンバ)

 木曜日: Perşembe (ペルシェンベ)

 金曜日: Cuma (ジュマ)

 土曜日: Cumartesi (ジュマルテシ)

 日曜日: Pazar (パザル)


 
 Kedi et yer. 「猫が肉を食べる」

 


 
 
 当然だけど、まるで別物
 
 こうなると、おぼえられないのよ。
 
 こうして私はロマンス語群どころか、インドヨーロッパ語族とも無縁フィンランド語ビビり、イタリア語への道を邁進するのだった。
 
 もうこうなったら、いっそラテン語もやったろかしらん。どこで使うねん。

 

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イタリア語をスペイン語(フランス語・ポルトガル語)のあとにやったら楽というお話

2024年07月24日 | 海外旅行

 イタリア語をはじめてみた。
 
 ここ数年、
 
 
 「世界のあらゆる語学をちょっとだけやる」
 
 
 ということにハマっている。
 
 ここまでフランス語ドイツ語(学生時代の復習)、スペイン語ポルトガル語ときて、その次がトルコ語

 1日に15分程度、基礎単語と文法をサラッとやる程度だけど、こんなんでも毎日やってればバカにならないもので、

 


 「C'est comme si on imprimait de l'argent.」
 (まるで、お札を刷っているようです)

 

 「Es gibt keinen jüngeren Bruder, der besser als der ältere ist.」
 (兄より優秀な弟などいません)

 

 「Si añades tres veces la rotación habitual, se convertirá en una fuerza de 12 millones.」
 (いつもの3倍の回転を加えれば1200万パワーです)


 

 くらいなら意味を取れるのだから、なかなかのものではないか。 

 「飽きたらやめる」が原則だから、トルコ語の次をそろそろどうすべきか

 あれこれ考えた末、勇躍イタリア上陸を目指すことにしたのだった。オペレーションネームは「コルレオーネ
 
 実を言うと、トルコ語をやったら次は稲垣美晴さんの大名著『フィンランド語は猫の言葉』リスペクトで北欧に飛ぶはずだったが、ここに予定変更。
 
 では、なぜイタリア語なのか、その理由はと問うならば、これが
 
 
 言語的距離に日和った」
 
 
 日本人にとって外国語といえば「英語」であり、日本語と英語は「言語間距離」が絶望的に離れていることで有名だ。
 
 日本人が英語を苦手とする理由のひとつであり、そのせいでピンとこないところもあるのだが、世界には
 
 
 「違う言語に分類されてるけど、内実は方言程度の違いしかない」
 
 「源流が同じなため、わからないなりに半分くらいは内容を推測できたりする」
 
 
 みたいな言葉がたくさんあるのだ。
 
 デンマーク語スウェーデン語とか、ブルガリア語マケドニア語とか。
 
 調べればいろいろ出てくるが、ここで取り上げるイタリア語もまた、ある言語群と共通点が多いのだ。
 
 それがスペイン語ポルトガル語フランス語
 
 これらは、もともとラテン語(正確にはその口語版)から派生した方言
 
 フランス語はケルト人の、スペイン語はアラビア人の影響などを受けて変化はしているが、きょうだいとか親戚に近い関係性なのだ。
 
 実際、フランス語の後にスペイン語をやったら、すごくに感じたし、そのフランス語は英語との共通語彙が多いから(というか英語がフランス語を借用している)、その点でも助かった。
 
 またポルトガル語とスペイン語は、標準語関西弁……よりははなれてるかなあ、でもせいぜいが九州弁との差くらいしかないのだった。
 
 トルコ語に苦戦したのは、まさにこの言語的血縁のようなものに無縁だったもんだから、「ゼロスタート」になってしまい、そこが大変だった。
 
 よく、
 
 
 「フランス語は簡単。英語と共通の語彙がたくさんあるから、単語をおぼえなくていい」
 
 「スペイン語はいいぞ。英語と共通の語彙も多いし、フランス語と近いから第二外国語で仏語をやった人は大チャンス!」
 
 
 なんて語学のYouTubeで語られていて、
 
 
 「でたよ、また【○○語って、実はこんなに簡単な言語なんですよ詐欺】か」
 
 
 なんてスカしていたものだが、その意味がトルコ語イタリア語を比べてみて、実によくわかった
 
 フランス語、スペイン語のあとにイタリア語やると、メッチャ入りが

 たとえば、あいさつの「buon giorno(ボンジョルノ)」はフランス語「bonjour(ボンジュール)」で似ている。

 「ありがとう」の「grazie(グラツィエ)」とスペイン語の「gracias(グラシアス)」など、間違ってもそれはそれで通じそうだ。 

 実際、スペイン語話者イタリア語話者は、おたがいの言葉でしゃべっても6割くらい理解できるという。

 日本語話者で、外国語を聴いて6割もわかるなどありえまい

 それくらいに近いというか、まあ元は同じ「ラテン語」なんだけど、それってずっこくない?

 「言語的距離」が、地球コーヤコーヤ星くらい離れている英語を学ばされる日本人からしたら、そんな憤りさえ、おぼえるほど。

 一昔前まで、

 

 「映画は映画館で観るのが本当の鑑賞法」

 

 という、うるさ型の映画ファンというのがいて、

 

 「ほう、『スターウォーズ』が好きなんですか。何回観ました? え? シリーズ全作品をブルーレイで? じゃあ、それはまだ、1回も観ていないということですね」

 

 なんて「カマシ」を入れてきたりきたものだが、これにならって私も、

 

 「ボクは4ヶ国語がしゃべれるよ。フランス語スペイン語イタリア語ポルトガル語がね」

 

 というヤカラには、

 

 「ほう、つまり1ヶ国語がしゃべれるわけですね」

 

 などとイヤな返しをしたいところだ。

 いや、実際この4ヶ国語しゃべれる人より、「英語しゃべれる日本人」の方がマジですごいと思います。

 それくらい、言語ってのは「近いは正義」なんだよなあということを実感。

 それゆえ、同じヨーロッパに分類されながら、英語やフランス語とまったくちがう言語であるフィンランド語にビビり、近場に日和ったわけだ。

 まあそれでも、やってみるとイタリア語もなかなかおもしろい

 てゆうか、リズムとかテンポとか、なんかオレ好みかもとか思いながら、「イオ、ソノ、トゥ、セイ」とか地味に唱える日々。

 

 (続く

 

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ゆっくり、急げ 飯塚祐紀vs武市三郎 2001年 第59期C級2組順位戦

2024年07月21日 | 将棋・好手 妙手

 「ここで1手、落ち着いた手を指せれば勝てましたね」

 

 というのは、駒落ちの指導対局で負けたときなどに、よく聞く言葉である。

 将棋で難しいと感じる場面と言えばよく出るのは、序盤なら定跡が覚えられないとか。

 終盤詰みが読めないなどあるが、中盤戦では地味ながら、こういうのもあるもの。

 

 「作戦勝ちから、うまくリードを奪ったものの、そこから具体的にどう勝ちにつなげるかが見えない」


 
 将棋というのは

 

 「優勢なところから勝ち切る

 

 というのが大変なゲームで、こういうときに手が見えず、焦ってつんのめって、いつのまにか逆転されるなんてのは、よくあること。

 

 「ここで1手、落ち着いた手を指していたら……」

 

 今回は、そういうときに参考になる将棋を紹介してみたい。

 


 2001年の第59期C級2組順位戦

 飯塚祐紀五段と、武市三郎六段の一戦。

 ここまで7勝2敗の飯塚は、自力昇級の権利を持っての大一番。

 ここ3年は、8勝2敗7勝3敗7勝3敗の好成績を残し、昇級候補のひとりであった飯塚だが、すでにC2生活は泥沼の9期目

 また昨年度は、同じく勝てばC1昇級という最終戦で、豊川孝弘五段に敗れてしまったこともあって、今度こその想いは強かったことだろう。

 戦型は後手番の武市が、急戦向い飛車に組むと、飯塚はガッチリと左美濃で迎え撃つ。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 

 おたがいにを作って桂香を拾い、筋も通って、このあたりは互角の駒さばき。

 ただ、後手は△43△32がはなれているのが痛く、先手持ちの形勢であろう。

 とはいえ、決めるにしては先手も歩切れが痛いところで、まだここから一山と思わせるところだが、次の手が落ち着いた好手だった。

 

 

 

 

 


 ▲86歩と、ここを突きあげるのが、すばらしい感覚。

 薄い後手の玉頭に、ジッとをかけながら、受けては△85桂から△33角という、王手竜取りの筋を消している。

 武市は△51香と「底香」を打って、ねばりにかかるが、1回▲21竜△29竜がキメのこまかい手順。

 この交換を入れて、相手の大駒を使いにくくしてから、やはりジッと▲35歩

 ▲21竜の効果で、これを△同角とは取れないのは、いかにもつらい。

 これで自陣に憂いはなくなり、△22歩の受けに、またも▲85歩

 

 

 

 この牛歩戦術で、武市はまいった。

 まさに真綿をギリギリと締めあげられる恐ろしさ。

 飯塚はトドメとばかりに▲87香と、さらに万力にをこめ、空気を求めて暴れようとする武市を冷静に押さえ、そのまま圧倒。

 

 

 

 

 ついに念願だった、C1昇級を決めたのだった。

 この▲86歩から▲85歩は、手の感触のよさもさることながら、人生のかかった勝負で、急がずこういう手を選べるところにシビれた。

 飯塚の地に足をつけた強さを、大いに感じるところで、こういう感覚は見習いたいものだ。

 


(大山康晴の「ゆるめる」好手はこちら

(渡辺明の落ち着いた勝ち方はこちら

(その他の将棋記事はこちら

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フランシス・フォード・コッポラ『カンバセーション…盗聴…』でフシアナ東京 その2

2024年07月18日 | 映画

 前回に続いて映画『カンバセーション盗聴…』の話。

 以下、映画のネタバレありまくりなので、未見の方はぶっ飛ばしてください。

 

 

 

 


 おもしろい映画だったが、最後にジーンハックマンの部屋にしかけられた盗聴器どこにあるのか謎が残った。

 2回目見たときも、結局これといたものは見つけられず、自分の洞察力のなさに少しガッカリ。

 まあ、論理的な解決なんてないんやろうなあ、

 

 「すべてがジーン・ハックマンの妄想である」

 

 という目くばせもないこともないし……。

 なんておさまっていたのだが、映画好きの友人イチジョウ君とその話をしていたとき、友が一言こう言ったのだった。

 


 「え? なに言うてるの? 盗聴器ってサキソフォンの中にあるんやろ、たぶん」


 

 これには思わず、叫びそうになったではないか。

 


 「フシアナトーキョー! フーゥ!!」


 

 「FUSHIANA TOKYO」というのは、TBSラジオの人気番組『アフター6ジャンクション』の視聴者参加型のコーナー。

 その趣旨とは番組ホームページによると、

 


▼SNSが発達した今の時代。隙のない発言や隙の無い作品が良しとされる、息苦しい風潮があります。しかし、そんな息苦しい時代の中で、本当に新しいものが生まれるでしょうか?

▼いい意味でFUSHIANAの目こそが、新しい時代を作るパワーを生み出すのではないでしょうか?(キャッチコピーは「時代に節穴をあけろ!)

▼例えば、あるスタッフは、「おかしの まちおか」というお店を、

 「おかしのまち・おか」

と読み、「おか」という店なんだと思いこんでいたそうです。また、とあるスタッフは

 「猿の惑星の最後に自由の女神が出てくる意味が分からない」

という見解も。しかし、こうしたFUSHIANAこそ、かえって創造的な発想を生むのではないでしょうか?

▼そんな、あなたのFUSHIANAエピソードを募集します。


 

 
 まさに「FUSHIANA」であった。

 あーそっかー、サキソフォンかー。

 言われてみれば、当たり前である。

 理屈でいえば、家じゅうのすべて破壊して見つからないなら、最後に残ったモノの中が答えというのは必然

 で、それがサックス。

 なぜサックスを壊して調べなかったのかといえば、それが盗聴怖れ、人を遠ざける孤独な人生を送っていたジーン・ハックマンにとって、唯一拠りどころだったから。

 たとえ、そこに解答があっても、「友人」を破壊するなんて、できるわけがないではないか!

 なるほど、腑に落ちた。そういうことか。

 私の愛するシャーロックホームズにいさんですやん。
 
 

 「不可能なことを全部排除して、最後に残ったもんが、どんなにおかしなものでも、それが事実なんや」

 
 
 有名な、このセリフですな。

 あー、ようできてるうえに論理的で、しかも余韻を残す。

 すげーな。コッポラちゃん天才やん。

 なんて感心しまくっていると、イチジョウ君はあきれたように、

 


 「いや、わりと簡単な答えや思うけど……。ちゅうか、キミって推理小説大好きやのに、逆にようわからんままスルーできたな」


 

 たしかに私は、子供のころから重度のミスヲタである。

 だが、自慢ではないが推理はまったく育ってないタイプで、

 

 「犯人当てができないから、解決篇まで、あまさずドキドキできる」

 

 という(?)なタイプなのだ。

 いやあ、とはいえこれは恥ずかしい。

 たしかに、言われてみれば一目瞭然やなあ。

 ただひとつワケを説明させてもらえば、1回目観賞時にあのラストを見て、

 

 「ボロボロになった家で、一人サックスを吹くっていうのはになるなあ」

 

 そう感心したものだから、

 

 「ジーン・ハックマンがサキソフォンを壊さなかったのは、論理的にはおかしいんだけど、あのラストの絵を撮るために、スタッフがあえて矛盾を残しつつも決行した」

 

 と読み取ったわけで、「ストーリーの都合上」そうしたと思いこんでいたのだ(しかし、ムダにたくさん「解釈」だけはしてるな、オレ)。

 さすがコッポラは映像屋や。話の整合性を犠牲にしても、「絵的美しい」を選択する、と。

 現実はそんな、ひねったものではなく、もっと素直に

 

 「サックスの中に盗聴器」

 

 でOKやと。邪推癖が、ここではアダになったようである。

 なんて、完全無欠にただの言い訳だが、われながらなかなか鮮やかな節穴である。

 昔、友人が『時をかける少女』を見て、


 
 「え? あの映画ってタイムトラベルをあつかってたん?」

 

 ビックリしているのを見たときは(なんの映画や思てたんやろ)、もう腹をかかえて笑ったものだが、人を呪わば節穴二つ

 なんでも、自分に返ってくるもんですねえ。

 トホホと情けない声をあげていると、イチジョウ君もその姿があまりに情けなかったのか、

 

 「気にすんな。オレも『シックスセンス』で、なんで最後にあの人があんなことしてるんやろって、わからんかったもんや」

 

 そうフォローしてくれて、それもまた、なかなかな節穴である。

 おたがいの思い出に浸りながら、われわれは「キミの節穴に乾杯」と『カサブランカ』のボギーのごとく杯を重ね合ったのだった。

 

 

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フランシス・フォード・コッポラ『カンバセーション…盗聴…』でフシアナ東京

2024年07月17日 | 映画

 フシアナトーキョー! フーゥ!!」

 

 奇声をあげて、思わず踊りだしたくなったのは、

 

 カンバセーション盗聴…』

 

 という映画の、2度目を見終えたときのことであった。

 『カンバセーション…盗聴…』(以下『盗聴』)はフランシスフォードコッポラ監督、ジーンハックマン主演のサスペンス映画。

 コッポラといえば言うまでもなく

 

 『ゴッドファーザー』

 『地獄の黙示録』

 

 で歴史に名を残す大監督だが、両作の合間に撮影されたこの『盗聴』も、地味ながらなかなかの佳作に仕上がっている。

 今回は話の都合上、オチにふれないといけないので、ストーリーを全部語っちゃいますが、主人公ジーン・ハックマン演ずるのは盗聴プロという設定。

 

 


 浮気調査から産業スパイまで、なんでもござれのスゴ腕で業界内での評価も高いが、本人は自分が盗聴屋のくせに(だから?)他人から盗聴されることを異様に警戒し、プライバシーにふれられることを嫌う

 その様は偏執的ともいえるほど気むずかしく、

 

 「あなたのことを知りたい」

 

 と求める恋人切り捨て、唯一の趣味は部屋で大音量のジャズを流し、あたかも、そのバンドに参加しているかのようにサックスを吹くこと。

 いわば、友達のいない人が、家で「一人カラオケ」をするようなもので、コミュ障というか、仕事以外は精神的なひきこもりともいえる、複雑な人間なのだった。

 そんなジーンがある日、大企業の重役から依頼を受ける。

 なんてことないカップルのデートを盗み聴きするのだが、そこに不穏な言葉が飛びこんでくる。

 どうも、2人がだれかにをねらわれているとか、そういう内容のようなのだ。

 確証こそないが、どうしても気になるジーンは録音テープの提出を拒否する。

 彼は過去に自分の盗聴がきっかけとなって、殺人事件を引き起こしてしまったことが、あったから。

 ジーン自体に罪はないが、良心の呵責からは逃れられず、大きなトラウマになっているのだ。

 ここからジーンは、明らかにトラブルに巻きこまれたようで、

 


 「黙ってテープを渡して、これ以上首をつっこむな」


 

 そう脅されたり、またテープにこだわるあまり、相棒ケンカしてしまったり。

 ジーンの仕事ぶりに嫉妬する同業者から、いたずらの盗聴を仕掛けられ激怒したりと、だんだんと精神の安定を失っていく。

 ついにはにかけられ依頼主にテープを奪われてしまうが、真相をどうしてもたしかめたくなったジーンは、盗聴内容をヒントに「現場」となりそうなホテルに潜入することを決意。

 そこからはさらに謎がを呼び、すべてがジーンの妄想なのかといったサイコサスペンス的解釈も残しながら、ヒッチコックをイメージしたようなシーンもあってと、盛りだくさんな内容。

 いやー、どうなるねんやろー、とハラハラドキドキしながら、ラストではすべての謎が明かされるわけだが、そのことにショックを受けたジーンに追い打ちをかけるよう、自宅の電話が鳴る。

 その声は静かに、

 


 「事件のことはなにもしゃべるな。盗聴してるからな」


 

 の危険のみならず、自らがもっとも怖れていたプライバシーにまで踏みこまれ、ジーンは半狂乱に。

 盗聴器を探し出すべく、家じゅうのものをひっくり返し、テレビも電話もすべて解体

 装飾品を破壊し、壁紙をすべてはがし、床板も全部めくりあげる。

 それでも見つけられなかった彼は、ひとり呆然サキソフォンを吹き続けるのだった……。

 

 ……てのが大まかなストーリー。

 1回目に見たときは、何にも考えずに

 

 「はー、おもしろかったなー」

 

 と満足してたんだけど、先日2回目の鑑賞をしたとき、ひとつだけ気をつけてみようと、思っていたことがあったのだ。

 で、結局ラストで盗聴器どこに仕掛けられてたの?

 最初はどっちでもいいというか、ジーン・ハックマンが自宅の盗聴器を発見できなかったことは、相手側のウソというかハッタリではないにしても(電話の相手に録音された盗聴の内容を流されていた)

 

 「彼ほどのプロが見つけられないほど巧妙にしかけられており、その底知れぬ絶望感を表現している」

 

 くらいに思っていたのだが、今回もう一回見直してみると、割とこの映画は論理的に作ってるような気もするので、もしかしたら、

 

 「盗聴器、ココだよ」

 

 というヒントを作中でさりげなく、示唆しているのではないか、と読んだわけだ。

 さすがは私。こういうところにアンテナが反応するとは、まさに映画玄人である。

 で、再見の際ラストを目を皿のようにして見ていたのだが、やはりこれといった答えも見いだせず

 まあ、そこは謎というか、あえて結末を明示しない「開いた物語」みたいなもんかもなあ。

 と、おさまっていたのだが、これがとんだ! であったのだから、映画というのは奥深いものである。


 (続く

 

 

 

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飛行士たちの話 羽生善治vs南芳一 1991年 第16期棋王戦 第4局

2024年07月14日 | 将棋・好手 妙手

 「絶妙手を生む駒はが多い」

 

 というのは、なにかで読んだ記憶がある一文である。

 歴史に残る妙手と言えば、

 

 升田の△35銀

 「中原の▲57銀

 「谷川の△77桂

 「藤井聡太の(多すぎて絞れないので略)」

 

 などがパッと思い浮かぶが、実はその多くにが絡んでいるとかいないとか。

 具体的なデータまではわからないが、「天野宗歩遠見の角」や、また数多の絶妙手を生み出してきた升田幸三九段が、を好んだことからついたイメージかもしれない。

 

 

 天野宗歩による「遠見の角」。
 好手かどうかは微妙だが、宗歩はうまい手順で▲63角成と成りこむことに成功する。

  

 

 たしかに射程距離が長く、ななめのラインというのはちょっと錯覚を起こしやすいため、うまく使えば相手の意表をつく手は出現しやすいのかも。

 そこで今回は、そんな「角の妙手」が乱舞する将棋を見ていただこう。

 


 1991年の第16期棋王戦は、南芳一棋王羽生善治前竜王(昔は名人か竜王を失冠して無冠になった棋士を「前名人」「前竜王」と呼ぶマヌケな習慣があった)が挑戦。

 羽生の2連勝スタートから、南も意地を見せ1番返し、むかえた第4局

 相矢倉から、南が△24歩と自分の玉頭の歩を突く工夫を見せ、そこから激しい戦いに。

 タイトル戦にふさわしい、力のこもった将棋になったが、終盤もまたエキサイティングだった。

 

 

 


 双方が、相手玉にせまりくる形となったこの場面。
 
 先手玉はかなりの危険にさらされているが、ここは羽生がねらっていたところであった。

 この前から、漠然とではあるが「こうなったらいいなあ」と、頭の中で描いていた局面が、本当に実現してしまったからだ。

 

 

 

 


 ▲67角と打つのが、攻防の絶妙手。

 先手玉は裸だが、大駒3枚が見事な配置で遠くから援護しており、これですぐの寄りはない。

 2枚角の使い方が、羽生の好きなチェスのビショップのようで、おもしろい形だ。

 飛車が逃げると、▲31銀△同玉▲23角成で必至だから、南は△66金と、しぶとくからみつく。

 これには▲76角△同金▲72飛△32歩

 

 

 

 

 ここで▲76飛成を取り払ってしまえば良さそうだが、その瞬間△55角王手飛車を食らって、これは先手が勝てない。

 プレッシャーをかけられているが、手はあるもので、羽生はまたもひねり出す。

 

 

 

 

 

 

 ▲44角が、絶妙手の第2弾

 △55角の王手飛車を防ぎながら、△同銀なら▲34桂から詰む。

 本人も

 


 「読みの裏付けはないけれども盤上この一手という確固たる自信」


 

 は感じたようで、このギリギリの戦いで、よくいいところにが行くものである。

 南は△41銀と辛抱し、足が止まったら負けの羽生も▲42銀と追撃していく。

 まだ形勢は難解だが、妙手2発で流れは先手であろう。 

 

 

 


 少し進んだこの局面で、羽生は勝ちを確信していた。

 △42歩と受けても、かまわず▲同飛成とつっこんで、△同銀はやはり▲34桂詰むから無効。

 後手に受けがないように見えるが、ここでは南に大きなチャンスがめぐってきていたのだ。

 なんと、羽生が必勝の確信で打ったはずの▲43金は、とんでもなく危ない手だった。

 たしかにこれは、次に▲32飛成からの一手スキだが、ここで△55角王手飛車を放ち、▲77歩△28角成と取っておく手があった。

 

 

 これなら詰ましに行ったとき、▲24飛と飛び出す筋がなくなるから、後手玉への詰めろが消えて、先手が負けになるのだ。

 金打ちでは▲38飛と、詰めろで王手飛車を回避しておけば、難解ながらも先手に分がある戦いだった。

 

 

 「簡単に詰み」と思いこんでいた羽生が、まさかの精査を欠いた形だが、将棋の終盤戦は本当に怖い

 羽生にとって幸運だったのは、指している間はそのポカに気づいていなかったこと。

 本人も言うように、ポカがあったときや詰みを探しているとき、自分が気づくと、以心伝心で相手もそれを察知する。

 これは高度な世界の「将棋あるある」なのである。

 なので、ここでしれっと胸を張れたのは、結果的には良かったわけで、南は相手のウッカリを見破れず△33金と指して、以下敗れた。

 最後は幸運も手伝って、羽生が棋王位を獲得。

 ▲67角▲44角に、幻でもあったが△55角など角の乱舞が目立った派手な将棋。

 羽生のポカもあったりと、にぎやかで楽しい一局であった。

 


(羽生による遠見の角はこちら

(大内延介の遠見の角はこちら

(その他の将棋記事はこちら

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島崎遥香(ぱるる)のフランス語は塩対応で、スペイン語はアミーゴ!

2024年07月11日 | 海外旅行

 「これからキミたちに、スペイン語をやってもらいます」

 

 デスゲームの開幕のよう、ボイスチェンジャーを通した声でそう言ってみたいのは、不肖この私である。

 ここまでスペイン語は

 

 ローマ字読みでカンタン

 ・発音も楽勝

 ・数字も法則性がハッキリしてて使いやすい

 

 などなど様々な「できる」プレゼンをしてきたが、まだまだ、おすすめポイントは存在する。

 外国語学習のやはり大きなのひとつである動詞や、冠詞の格変化だが、これもスペイン語だとおぼえやすい。
 
 たとえばフランス語で「話す」は「parler」(パルレ)というが、その活用というのが、
 
 
 Je parle(私は話す)

 Tu parles(君は話す)

 Il/Elle parle
(彼/彼女は話す)


 Nous parlons
(私たちは話す)


 Vous parlez
(あなた/あなたたちは話す)


Ils/Elles parlent(彼ら/彼女らは話す)


 となるのだが、みなさんはどう発音しますか?
 
 「ジェ パルレ」かなあ、あとは「チュ パルレス」「イル パルレ」。

 「ノウス パルロンズ」「ヴォウス パルレズ」「イルス パルレント」かな?
 
 そうなるのは自然だが、正解というのが、
 
 
 Je parle (ジュ パルル)

 Tu parles(チュ パルル


 Il/Elle parle(イルエル パルル


 Nous parlons(ヌ パルロン


 Vous parlez(ヴ パルレ


 Ils/Elles parlent(イルエル パルル


 ぱるる多すぎや! 昔のAKBか!
 
 てゆうか、zとかsとかntとかどこ行ってん! 書いてるんやから、ちゃんと発音せえ!
 
 その一方で、われらがスペイン語にいさんは、
 
 
 yo hablo

 tú hablas 

 él
/ella/usted habla 

 nosotros
/nosotras hablamos 

 vosotros
/vosotras habláis 

 ellos
/ellas/ustedes hablan
 
 
 同じロマンス語群だから似てるんだけど、読みが全然違う
 
 上から
 
 
 ヨ アブロ

 「チュ アブラス

 「エル アブラ

 「ノソートロス アブラーモス

 「ヴォソートロス アブライス

 「エジョス アブラン
 

 
 嗚呼、やっぱりローマ字読み
 
 もちろん発音しないとか、が「」になるとか例外はあるけど、これはシンプルな規則だし、山ほど出てくるから、すぐに慣れます。
 
 それよりも、とにかく全部
 
 
 「そのまま読めばいい」
 
 
 というのが強く、「parler」と「hablar」と同じような活用なのに、圧倒的に後者の方がおぼえやすいのだ。
 
 まあ、これは私がフランス語をやってて、ロマンス語群になれていたこともあるかもしれないけど、それでもやっぱり、スペイン語のほうが圧倒的にに残る。
 
 個人的にはIls parlent苦手で……。

 どうしてもntが引っかかってしまうのだ。
 
 もちろん、なれればどうってことないんだけど、
 
 
 「あれ? ntついてるのって、発音せんでええんやんね。じゃあエル・パルル」
 
 
 とか、ほんの0.1秒程度とは言え、頭によぎることがあると本当にノイズなのだ。
 
 その意味でもホント、スペイン語は簡単というか、「親しみやすい」のかもしれない。
 
 とにかくハードル低いという意味で、仲良くなりやすいというか。
 
 いわば、男にとってフランス語が「女友達」だとすれば、スペイン語は「男友達」。
 
 いくら仲良くても、異性相手だと多少は身なりや言葉に気を使うけど、同性同士だとざっくばらんというか。
 
 ちょっとぐらいでも「そんなん、全然オッケーやでー」と、ゆるしてくれそうな距離感。
 
 そのアミーゴ! な感じが、理屈以上にスペイン語を勉強しやすい理由なのかもしれない。
 
 少なくとも私は、一番ストレスなく勉強できたのはスペイン語です。
 
 これ本当。ぜひお試しあれ。

 

 (イタリア語編に続く)

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君よ知るやローマ字読みの数字(ただしスペイン語)

2024年07月10日 | 海外旅行

 「小僧ども、スペイン語をやれ!」
 
 

 「やり直し語学」にハマっている私が、北方謙三試みの地平線』のごとく、いいきったのは前回のお話。

 
 
 ローマ字読みでいいから楽勝
 
 ・発音日本語共通してるからへーこいてぷー。

 ・数字もややこしくなくてありがたい
 
 
 ということだが、今回スペイン語をやってみて、もうひとつ気づいたことがある。
 
 それは読みと発音が簡単だと、単語や活用がおぼえやすい
 
 英語の場合とかだと、
 
 
 wrong(ロング)」
 
 「knee(ニー)」
 
 
 みたいに、スペルなのはお約束として、他にも例を挙げるとフランス語数字とか。
 
 
 un (アン)

 deux (ドゥ)

 trois
(トロワ)


 quatre
(キャトル)


 cinq
(サンク)


 six
(シス)


 sept (セット)

 huit
(ユイット)


 neuf
(ヌフ)


 dix
(ディス)


 むずかしいわけではないが、少しずつ違和感もある。
 
 「un」は「ウン」やないんや。
 
 「ドゥークス」「トロイス」「セップト」って読んでまいそう。
 
 「eu」で「」かあ。「six」やったら、もうそれは「シックス」でええやん!
 
 なんて微妙に引っかかり、そのかすかなブレで、すっと入ってきにくい。
 
 これがスペイン語だと、
 
 
 uno (ウノ)

 dos (ドス)

 tres
(トレス)


 cuatro
(クアトロ)


 cinco
(シンコ)


 seis
(セイス)


 siete
(シエテ)


 ocho
(オチョ)


 nueve
(ヌエベ)


 diez
(ディエス)


 出たぜ、必殺ローマ字読み
 
 もちろん「cho」で「チョ」とか「z」が「」とかあるけど、これも発音が日本語っぽいから、そんな違和感なくおぼえられます。
 
 この「トゲ」みたいなものがあるかないかが、実は記憶に直結するのは発見だった。
 
 とにかく、「読み」「発音」に意識をうばわれないと、それだけで「おぼえること」に特化できるし、目や耳にも残りやすい。

 スペイン語が英語やフランス語とくらべて簡単(に感じる)のは、

 

 「ノイズが少ないから暗記もスムーズ」

 

 なことは大きいかもしれない。

 またスペイン語の数字で言えば、11から15までは

 

 once(11)

 doce(12)

 trece(13)

 catorce(14)

 quince(15)

 

 これは暗記が必要だが、それ以降の数字はy(英語のand)で数字をつなぐだけと、いたってシンプル。

 

diecinuevodiez y nuevo19

veintiunoveinte y uno21

 

 これがドイツ語だと、法則自体は同じだけど、

 

 neunundneunzigneun und neunzig 9099) 

 

 みたいに1の位と10の位がになってややこしい。

 フランス語いたっては、

 

 soixante-dix601070

 quatre-vingts×2080

 quatre-vingt-dix×201090

 

 とか気の狂ったような表記をするのだ。

 なんでも昔、10進法20進法か、そんなのを使ってた名残らしいけど、これはホンマにめんどくさい。

 もっとも、これには日本語

 

 「1個を《ひとつ》ってなに?」

 「20日を《はつか》とか頭イカれてるのか?」

 

 なんて反撃されるわけですが。

 実際、私も日本人なのに「ようか」と「はつか」が苦手です。

 その点、スペイン語数字発音も、スペルも、表記の仕方もすべてがクリアに入ってくる。

 これはもう、やらない手はないでヤンスね!

 

 (続く

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スペイン語を学ぶ者、汝の名は日本語話者なり

2024年07月09日 | 海外旅行

 「キミィ、スペイン語をやりたまえ!」
 

 
 「やり直し語学」にハマッている私が、マス大山のごとく、そういいきったのは前回のお話。

 ここに発動された「ドルネシア作戦」によれば、その理由は

 

 「ローマ字読みでいいから楽勝ッス

 

 ということで、スタートの取っつきやすさがいいから。 
 
 それだけでなく、スペイン語は発音なのが良い。
 
 口に出してみて、それが相手に通じるかどうかは、外国語を学ぶ上でなかなかに大きなハードル。
 
 英語では母音12個くらいあって、組み合わせによっては20個を超えるという。
 
 中国語四声とか、フランス語鼻母音とか、アラビア語の「h」とか、オランダ語の「g」とか、日本語に無い敵が出てくると、とたんに大苦戦になるのだ。
 
 その点、スペイン語は母音が日本語と共通しており、しかも日本語の特徴である
 
 
 「子音母音
 
 
 の構造で母音しっかりと発音するところも似ているから、カンどころをつかみやすい。
 
 しかも、アクセントにもクセがないのも、ありがたい。
 
 たとえば英語の「fantastic」は日本語読みで「ファンタスティック」と平板に発音しても通じない。
 
 ファン「」スティックと、ここにアクセントがないとネイティブにはなんのこっちゃらしいのだが、その点スペイン語は、

 

 「ふぁんたすてぃこぉ」

 

 なーんも考えず、能天気に発音して全然OK
 
 
 「あみーごぉ」
 
 「りすとらんてぇ」
 
 「ちょこらーてぇ」
 
 
 とかとか、いわゆる「日本語英語」のノリで「日本語スペイン語」でよい。
 
 マジ、これで通じます。
 
 語学の大きな壁である「発音」が、めっちゃサクサク。
 
 そして、スペルのまま読めるということは、ライティングもまたスムーズということ。
 
 英語やフランス語でメッセージを書くとなると、「though」のアルファベットの順番がわからなかったり(ヒドイ単語だよな)。

 「ghoti」の読み方とか、北村薫先生もネタにされていた
 
 


 「受験を終えると、《パハップス》の綴りがaかerかわからなくなった」(正解は「perhaps」)



 
 
 とかとか、いちいち調べないといけない。
 
 その一方でスペイン語なら、
 
 
 「ぶえのす・でぃあす」
 
 「¿で・どんで・えれす?」
 
 「むい、びえん!」
 
 
 これ全部、ローマ字で書けば正解なのだから痛快ではないですか(「Buenos días」「¿De dónde eres?」「muy bien」)。
  
 しかも、アクセントもそんなに気にしなくていい。スゲーぜ、スペイン語!
 
 そんなわけで、私のような抜け作日本語話者には、本当にありがたいスペイン語。
 
 これはもう、やらなきゃハドソン(古いな)

 

 (続く
 

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日本人には「スペイン語」が一番合っているというお話

2024年07月08日 | 海外旅行

 スペイン語をやるのがよいぞよ」
 
 
 卑弥呼さまのご信託のごとく、そうハッキリと断言したのは不肖このであった。
 
 2年程前、なぜか語学熱が学生時代以来に再燃し、あれこれと外国語を学んでいる私。
 
 といっても、1日15分程度だけど、大西泰斗先生のNHKラジオ英会話を聴いたり、デュオリンゴドロップと言ったアプリに、各種YouTubeを見たりしてコツコツ学ぶ日々。

 ここまで、英語フランス語ドイツ語(これは学生時代の復習)、スペイン語ポルトガル語と進んで現在トルコ語に進出しているところ。
 
 もちろんこの程度の勉強量で「マスターした」というレベルにはならないが、それでも基本単語文法を、だいたいくらいでも押さえておけば、旅行したり簡単な会話をしたりするくらいには使えるもの。
 
 具体的には「旅の会話集」みたいな本とかサイトを見て、意味が理解できたりフレーズが口について出てくればそれで充分。
 
 


 I'm going to shave one eyebrow and live in the mountains. 
 (片方の眉を剃って山にこもります)


 Eu usei uma máscara de ferro até os 17 anos.
  (17歳まで鉄の仮面を被っていました。)


 È un buon allenamento fare lo suburi con una katana.
 (日本刀で素振りをすると良いでしょう)


 

 くらいなら意味を取れるのだから、なかなかなものではないか。
 
 つまるところ、海外までの道を聞いたり、現地語メニュー看板を読めるだけでも役に立つのだから、こんなんでもバカにならないのだ。
 
 こんなことをやっていると、中には興味を持ってくれる人もいて、
 
 
 「そーなんやー、じゃあオレもちょっと、外国語やってみようかなあ」
 
 
 こうなると続くのは、
 
 
 「で、どの国の言葉がオススメ?」
 
 
 これがですねえ、マジで断言できます。
 
 
 「日本人は、とりあえずスペイン語やっとけ」
 
 
 もちろん「仕事の役に立つ」「周囲へのカマシになる」という意味なら「英語一択」である。
 
 ここに関してはインターネットの普及で、われわれ「チーム第2外国語」もいかんともしがたいが、それ以外の外国語をやってみたいなら、私がやった中ではスペイン語が一番オススメ。
 
 理由としては、まず読み方ラク
 
 スペイン語の(イタリア語、ドイツ語も)大きな特徴はスペルを「ローマ字読み」で読めること。
 
 これが英単語となると、
 
 


 house
 
 Island
  
 knife
 
 doubt
 
 Wednesday 



 
 
 見事に初見殺しが並ぶことに。
 
 一応、専門的に掘っていけば、発音の法則性のようなものはあるらしいけど、基本的には「そういうもん」として丸憶えしないといけない。
 
 これが、案外とストレスなんですね。
 
 その点、スペイン語は
 
 


 Gato「ガト」 (猫)
 
 Grande「グランデ」(大きい)
 
 Nuevo「ヌエヴォ」(新しい)
 
 Bonito「ボニート」(かわいい)
 
 Escuela「エスクエラ」(学校)



 
 
 そのまま読めばいい。
 
 これなら私のような軽石頭でもカンタンに読める。なんて楽な。

 そういえば、大学生のころ第二外国語を選択するとき、圧倒的に支持されていたのがスペイン語中国語だった。

 なんでもある大学には

 

 フランス語を取るバカ、中国語(orスペイン語)を落とすバカ」

 

 という言葉があったというのだから、いかに日本人向けかわかろうというもの。 

 もちろん、深く掘っていくと「過去形」におぼえることが多いとか色々出ては来るけど、とにかくスタートダッシュが断然早い。

 そんな入口からウェルカムなスペイン語は、私の体感でも、とってもオススメなのです。 

 

 (続く

 

 

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歴史は夜作られる 二上達也vs大山康晴 1960年 第10期九段戦 その2

2024年07月05日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 大山康晴九段(竜王)に、二上達也八段が挑戦した1960年の、第10期九段戦(今の竜王戦)。

 3勝3敗のフルセットに持ちこまれた最終局は、大山得意の振り飛車から、急戦を封じこめ優位を築くも、二上も鋭い反撃を決め逆転模様。

 控室の検討でも「二上優勢」との声が多数を占め、二上が王者の牙城をくずすのか、と盛り上がりを見せる。

 

 

 

 ▲63金の打ちこみが、俗筋ながら、きびしい攻め。

 次に▲53とや、を取って▲35角や、いいタイミングで▲36飛と走るねらいなどあって、後手が喰いつかれている。

 下から突き上げる若手が、初タイトルに大きく近づいたかと思われたが、ここから大山も本気を出してくる。

 

 

 

 

 △47銀と打ったのが、これまた大山流の一手。

 押され気味のところと言えば、なんとか主導権を奪い返そうと勝負手を放つなどしそうなところ。

 どっこい大山は、静かに先手の飛車を封じこめて、またも手を渡しておく。

 ピンチでも、こうしてブレないところが大山の強さで、こうしてジッとのチャンスを待つのだ。

 この辛抱に、とうとう二上が誤った

 ▲88玉△35角▲73金△同玉▲57桂がチャンスを逃した手。

 ▲57桂では▲77桂とこっちを活用し、△64金▲65歩△63金▲75角として、持駒に残したまま戦えば、ハッキリ優勢だったのだ。

 

 

 

 

 一瞬のゆるみを見逃さず、またも大山が、そのねばり腰で差を詰める。

 少し進んでこの場面。

 

 

 

 

 先手が▲44歩と、飛車の利きを遮断したところ。

 ここからの2手が、本局の白眉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 △74金打が「受けの大山」本領発揮の手厚い手。

 今なら、永瀬拓矢九段のような「負けない将棋」だが、たしかにこれで後手玉が相当に固くなり、かなり負けにくい形だ。

 二上は▲66角と逃げるが、次の手がまたすごい。

 

 

 

 

 


 △73金引

 この金銀のマグネットパワーで、後手玉は鉄壁に。

 大山将棋の大きな特長に、

 

 「金や銀がよく動き、自然に玉周りに近づいて行く」

 

 というものがあって、私も初めて棋譜を並べたとき、素人ながら、この手には感じるものがあった。

 得意な展開に、気をよくしたのか大山も、

 


 「ここではこちらがよくなったように思いました」


 

 この手は二上にも、大きな衝撃をもたらしたようで、

 


 その後、王将、棋聖と一度ずつ勝てたものの、部分的に過ぎない。

 今にして思えば十五世と私の勝負付けがすんだのは、たった一手の△7三金引にあった気がする。


 

 ただ、これで勝負が決まったというほどの差でもなかったのは、ここから二上もさらにを見せたから。

 この後も両者力の入ったねじり合いで、どっちが勝ちかわからない局面が続く。

 しかも、当時の九段戦は1日制で持ち時間8時間(!)というムチャな設定。

 対局は、深夜3時になっても指し続けられていたというのだから(すげえな……)、もはや好手悪手なんて言ってられないジャングル戦に突入だ。

 いつ果てるともなく戦いは続いたが、最後の最後で先手に致命的なミスが出て、激戦は大山が制した。

 こうして二上達也は敗れた

 将棋の内容を見れば勝機も多く、決して大名人におとるところはないように感じられるが、

 


 「人生が変わった」


 

 とまで述懐するのは、それゆえにショックだったか。

 それとも棋譜だけでは伝わらない、大山のオーラのようなものを感じたのかもしれない。

 その後、二上は名人になれなかったどころか、大山相手に通算で45勝116敗

 タイトル戦ではなんと、シリーズ2勝18敗と、信じられないようなカモとして、あしらわれてしまう。

 それが、結果論的感想とはいえ、このたった一手に原因があろうとは……。
 
 これだけ聞くと、ずいぶんと二上のあきらめがよいようだが、二上の盟友である内藤國雄九段によると、
 
 

 二上さんがしみじみと語ってくれたことがある。
 
 「大山さんの次は自分の時代が必ずくる。加藤一二三さえ注意しとけばいいと思っていたからね……」

 
 
 文脈的に、これが「勝負付け」があったかはわかりにくいが、どっちにしても、二上は「必ず」大名人を乗り越えられると、自信を持っていたのだ。
 
 むしろコワイのは、加藤の方だと。
 
 だが現実は、2人とも、いやもっと言えばこの言葉を『将棋世界』のエッセイで紹介した内藤も、大山にはヒドイ目にあわされた。
 
 そして、その大元をあとあと掘っていくと、なんと最初のタイトル戦に行き着いたというのだ。

 もし二上がこの将棋を制して(内容的にその可能性は充分ありえた)、「人生が変わ」らなかったら、どうなっていただろう。

 歴史は順当に「二上名人」を生み、その後すんなりと「加藤名人」が誕生していたのだろうか。

 だとすれば、この一局は単にタイトルの行方だけでなく、その後の多くの棋士たちの「人生が変わ」った分岐点だったのかもしれない。

 


(大山が二上に披露した盤外戦術はこちら

(「受けの大山」は攻めも一級品

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

 

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「人生が変わった」大一番 二上達也vs大山康晴 1960年 第10期九段戦

2024年07月04日 | 将棋・名局

 「大げさに言えば、自分の人生が変わった」


 

 ある将棋を振り返って、こんな言葉を残したのは二上達也九段だった。

 将棋の世界には、

 

 「ここで、この人が順当に勝っていたら歴史は……」

 

 という瞬間があり、「高野山の決戦」で起こった、サッカクイケナイヨクミルヨロシ無しの大トン死に、大内延介▲71角

 谷川浩司羽生善治の運命が分かれた、第5期竜王戦第4局

 永世七冠」をかけ、「100年に1度の大勝負」と呼ばれた第21期竜王戦最終局

 などなど、コアなファンなら「あー」と頭をかかえるシーンも思い出されることであろう。

 最近では、ついに八冠王の牙城が崩れた叡王戦

 最終局の結果は正直、藤井にとっては勝っても負けても、長いキャリアの中ではそれほどの影響はないかもしれない。

 一方、初タイトルとなった伊藤にとっては、人生を左右する一番となったのは間違いないところだ。

 往年の名棋士であった、二上にもまたそういう将棋があったというわけで、今回はその一局を。

 

 


 舞台は1960年

 昭和でいえば35年に戦われた、第10期九段戦(今の竜王戦)第7局

 このとき大山康晴九段(というとノンタイトルのように聞こえるけど「竜王」です)に挑んだのが、若手時代の二上達也八段

 大山が36歳で、二上が28歳

 これがのちに多く戦われる2人の、タイトル戦における初対決となっているのだ。

 大山はと言えば、このころすでに九段にくわえて、名人王将もあわせ持つ三冠王(当時の全冠制覇)の絶対王者だったが、それを追う立場にいたのが二上だった。

 デビューからの二上の評価はと言えば、

 


 「大山を倒して名人になるのは二上だろう」


 

 と予想されていたほどの期待だった。

 このフレーズは後ろに、


 


 「だが意外に時代は短く、加藤一二三が次の名人になる」


 

 と続くのだが、これは加藤一二三が超別格の存在だったからであって、決して二上が、みくびられていたというわけではない。

 実際、無敵の名人だった大山から「奪取する」と思われていた二上の実力こそ、ここでは見るべきだが、その予測がすべて崩れ去ったのが、この九段戦の結果だったというのだ。

 3勝3敗でむかえた最終局。大山の振り飛車に、二上は棒銀で対抗。

 鈴木宏彦さんと藤井猛九段の共著『現代に生きる大山振り飛車』という本によると、大山は二上の持つスピード感に苦戦していたそうだが、ここでは先手の棒銀をあれこれといなし、序盤からペースを握っていく。

 

 

 

 

 飛車が働いておらず、敵陣のと、と金も少しばかり重く見え、居飛車の攻めはやや空振り気味。

 後手からは拠点や、と金タネになりそうなの存在も不気味。

 振り飛車がさばけているように見えるが、ここからの大山の指しまわしが、独特ともいえるものだった。

 

 

 

 

 ここで△35桂と打ったのが、おもしろい手。

 正直、もっさりしていて、あんまり良い手には見えないのだが、「大山将棋」というものについて語るのに、注目したい一着なのだ。

 ここでは△56歩として、次の△55桂をねらうのが有力で、たしかにそれが「本筋」という気もするが、解説の藤井猛九段いわく、

 


 「手の善悪は別にして、△35桂は大山好みの桂打ちでもあります。大山先生の桂使いは意外に重い感じで使う手が多い」



 重く使う、という発想が不思議な感じ。

 桂馬という駒は、その瞬発力で相手の虚を突くのが、もっとも使い出があるはずだが、それをあえてベタッと貼りつけるのが、まさに個性である。

 そういえば、「打倒大山」を果たして名人位を奪うことになった中原誠十六世名人は、「桂使いの中原」と呼ばれたが、

 


 「大山先生の金銀のスクラムは、ふつうに攻めても破れないから、そこを突破するために桂のトリッキーな動きを磨いたんだ」



 同じ大名人だが、駒ひとつ取っても、まったく反対の思想で働かせているというのが興味深い。

 ただ、藤井九段も「善悪は別にして」という通り、この桂自体は緩手だったようで、▲65歩から▲97角と鋭く活用し、先手も反撃を開始。

 

 

 

 

 先程とくらべて飛車角が軽く、また▲64拠点から駒が入れば好機に打ちこみもあり、ここではかなり先手が巻き返している。

 このあたり、「北海美剣士」と呼ばれた二上による、見事な太刀返しだが、それを受けての大山の手がまたすごい。

 

 

 

 

 △26歩と、じっとのばすのが、またも「大山流」の一手で、これも藤井九段いわく、

 


 「この忙しい局面でじっと飛車先の歩を伸ばすのはすごい。自分には絶対に指せない」 



 大山自身の解説では、

 


 「ここでは△26歩か、△94歩で、敵の攻めを急がせるよりない」


 

 難解な局面でを渡し、悪手疑問手を誘うのは、心理戦に長けた大山にとって得意中の得意という勝負術。

 ここでおもしろいのは、大山将棋の後継者ともいえる藤井猛九段は、こういう指しまわしを見せないこと。

 「自分には絶対に指せない」という通り、藤井は

 

 「ガジガジ流」

 「ハンマー猛」

 

 と呼ばれる、パンチの効いた直接手が特徴で、むしろ大山が重視せず、あいまいにしていた序盤作戦などを整理し、吸収していた。

 こういう△26歩のような手を得意としたのは、藤井のライバルである羽生善治九段

 その意味では、大山将棋の技術的な後継者は藤井だが、精神的なそれは羽生になるのかもしれない。

 ちなみに、藤井聡太七冠伊藤匠叡王をはじめ、現代の棋士はおそらく、すでに「言語化」された、これらの勝負術を修行中から身につけていると思われ、発見技術はこうして受け継がれていくのだろう。

 

 (続く

 

 

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トルコ語と日本語の語順は同じだけど、英語のせいで大混乱の巻

2024年07月01日 | 海外旅行

 トルコ語苦戦している。

 ということで、前回は

 

 「英語とドイツ語」

 「フランス語とスペイン語」

 

 のような言語的姻戚関係がないため、土語単語がおぼえられないという話をした。

 トルコ語と日本語は語順が同じなど、なにかと共通点が多いはずだが、早くも暗礁に乗り上げてしまい無念である。

 そこに、さらなる難敵がおそいかかってきて、ますますパニックになるのは、まさにその「語順」。
 
 というと、おいおいさっきはトルコ語と日本語とは語順が同じだから学びやすいと言っていたではないか。
 
 そうつっこまれそうだが、そこが逆になのだ。
 
 たしかにトルコ語は日本語と似ていて、たとえば「私は水を飲む」だと、
 
 


 Ben su içiyorum.



 
 
 Benは「」で、suは「」。
 
 içiyorumは「飲む」だから、「私は水を飲む」で日本語同じ並び。
 
 英語だと「I drink water」で「私は飲む水を」とひっくり返るから、そりゃどう見たってトルコ語の方が自然なのだ。
 
 ところがどっこい、日本人は哀しいかな、なぜか第一外国語が強制的に英語である。
 
 なので「外国語学習」というと、どうしても「英語」がベースになってしまい、このせいで逆に
 
 
 「外国語が日本語と同じ語順」
 
 
 この本来なら親切設計なはずの文法が、むしろ違和感を感じるというパラドックスが生じるのだ。
 
 つまり、フラットな目で見れば、
 
 
 「私は水を飲む」
 ↓
 「Ben su içiyorum.」
 ↓
 「同じやん!」
 
 
 となるのだが、これが、
 
 
 「私は水を飲む」
  ↓
 「I drink water」
  ↓
 「Ben su içiyorum.」
  ↓
 「あれ? 英語と語順が違う。なんか変!」
 
 
 という「ねじれ現象」を引き起こしてしまうのだ。
 
 ましてや私は大学受験で英語をやり、大学ではドイツ語を専攻し、今ではフランス語とスペイン語をやるという「インドヨーロッパ語族」野郎なので、ますますそこに拍車がかかる。
 
 そう、私はここまでフランス語とスペイン語はわりとスムーズに勉強できたのだが、それは英語やドイツ語の知識が、同じヨーロッパ系言語として、そこそこ役に立っていたせいなのだ。
 
 スポーツで言えば、サッカーやってたヤツがラグビーとか。

 バスケやっててハンドボールとか、クリケットから野球とか。
 
 そういった

 

 「経験はないけど、にやったことが生きる」

 

 というジャンルで戦っていたから、そんなにストレスがなかった。
 
 ましてや、スペイン語とポルトガル語なんて「硬式テニス軟式テニス」くらいの差だしなあ。
 
 そこをドーンと

 

 「棒高跳び出身者がチェスボクシング

 

 みたいな異郷の地に連れていかれた感覚。
 
 そのせいで、見た目以上に、とっつきが悪くなってしまっているのだ。
 
 ただこれは、がそうなだけで、逆に言えばヨーロッパ系言語にとらわれない柔軟な人には、案外そんなことないのかもしれない。
 
 実際、やってみた感覚ではトルコ語と日本語は近いところもあるし、少なくとも言語距離が相当離れている英語よりは、客観的に見ればかなり接しやすいのは確か。
 
 なんで、むしろ
 
 
 「英語は苦手だったなあ」
 
 「ドイツ語とかフランス語、第二外国語でやったけど全然おぼえてないや」
 
 
 という「偏見」のないピュアな状態の方にとっては、トルコ語はものすごくオススメの言語なのかもしれません。

 

 

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