歴史は夜作られる 二上達也vs大山康晴 1960年 第10期九段戦 その2

2024年07月05日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 大山康晴九段(竜王)に、二上達也八段が挑戦した1960年の、第10期九段戦(今の竜王戦)。

 3勝3敗のフルセットに持ちこまれた最終局は、大山得意の振り飛車から、急戦を封じこめ優位を築くも、二上も鋭い反撃を決め逆転模様。

 控室の検討でも「二上優勢」との声が多数を占め、二上が王者の牙城をくずすのか、と盛り上がりを見せる。

 

 

 

 ▲63金の打ちこみが、俗筋ながら、きびしい攻め。

 次に▲53とや、を取って▲35角や、いいタイミングで▲36飛と走るねらいなどあって、後手が喰いつかれている。

 下から突き上げる若手が、初タイトルに大きく近づいたかと思われたが、ここから大山も本気を出してくる。

 

 

 

 

 △47銀と打ったのが、これまた大山流の一手。

 押され気味のところと言えば、なんとか主導権を奪い返そうと勝負手を放つなどしそうなところ。

 どっこい大山は、静かに先手の飛車を封じこめて、またも手を渡しておく。

 ピンチでも、こうしてブレないところが大山の強さで、こうしてジッとのチャンスを待つのだ。

 この辛抱に、とうとう二上が誤った

 ▲88玉△35角▲73金△同玉▲57桂がチャンスを逃した手。

 ▲57桂では▲77桂と活用し、△64金▲65歩△63金▲75角でハッキリ優勢だったのだ。

 

 

 

 

 一瞬のゆるみを見逃さず、またも大山が、そのねばり腰で差を詰める。

 少し進んでこの場面。

 

 

 

 

 先手が▲44歩と、飛車の利きを遮断したところ。

 ここからの2手が、本局の白眉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 △74金打が「受けの大山」本領発揮の手厚い手。

 今なら、永瀬拓矢九段のような「負けない将棋」だが、たしかにこれで後手玉が相当に固くなり、かなり負けにくい形だ。

 二上は▲66角と逃げるが、次の手がまたすごい。

 

 

 

 

 


 △73金引

 この金銀のマグネットパワーで、後手玉は鉄壁に。

 大山将棋の大きな特長に、

 

 「金や銀がよく動き、自然に玉周りに近づいて行く」

 

 というものがあって、私も初めて棋譜を並べたとき、素人ながら、この手には感じるものがあった。

 得意な展開に気をよくしたのか大山も、

 


 「ここではこちらがよくなったように思いました」


 

 この手は二上にも、大きな衝撃をもたらしたようで、

 


 その後、王将、棋聖と一度ずつ勝てたものの、部分的に過ぎない。今にして思えば十五世と私の勝負付けがすんだのは、たった一手の△7三金引にあった気がする。


 

 ただ、これで勝負が決まったというほどの差でもなかったのは、ここから二上もさらにを見せたから。

 この後も両者力の入ったねじり合いで、どっちが勝ちかわからない局面が続く。

 しかも、当時の九段戦は1日制で持ち時間8時間(!)というムチャな設定。

 対局は、深夜3時になっても指し続けられていたというのだから(すげえな……)、もはや好手悪手なんて言ってられないジャングル戦に突入だ。

 いつ果てるともない戦いに幕が下りたのは、この局面だったそうだ。

 

 

 

 △74玉空き王手に、▲86桂敗着だった。

 うまい切り返しに見えたが、△同角▲同玉△94桂から下段に押し戻されては勝負あった。

 ここでは▲87玉と危なくよろけるのが正解で、後手からハッキリした寄せが見つからず、まだまだ激戦は続いていたのだ。

 こうして二上達也は敗れた

 将棋の内容を見れば勝機も多く、決して大名人におとるところはないように感じられるが、

 


 「人生が変わった」


 

 とまで述懐するのは、それゆえにショックだったか。

 それとも棋譜だけでは伝わらない、大山のオーラのようなものを感じたのかもしれない。

 その後、二上は名人になれなかったどころか、大山相手に通算で45勝116敗

 タイトル戦ではなんと、シリーズ2勝18敗と、信じられないようなカモとして、あしらわれてしまう。

 それが、結果論的感想とはいえ、このたった一手に原因があろうとは……。
 
 これだけ聞くと、ずいぶんと二上のあきらめがよいようだが、二上の盟友である内藤國雄九段によると、
 
 

 二上さんがしみじみと語ってくれたことがある。
 
 「大山さんの次は自分の時代が必ずくる。加藤一二三さえ注意しとけばいいと思っていたからね……」

 
 
 文脈的に、これが「勝負付け」があったかはわかりにくいが、どっちにしても、二上は「必ず」大名人を乗り越えられると、自信を持っていたのだ。
 
 むしろコワイのは、加藤の方だと。
 
 だが現実は、2人とも、いやもっと言えばこの言葉を『将棋世界』のエッセイで紹介した内藤も、大山にはヒドイ目にあわされた。
 
 そして、その大元をあとあと掘っていくと、なんと最初のタイトル戦に行き着いたというのだ。

 もし二上がこの将棋を制して(内容的にその可能性は充分ありえた)、「人生が変わ」らなかったら、どうなっていただろう。

 歴史は順当に「二上名人」を生み、その後すんなりと「加藤名人」が誕生していたのだろうか。

 だとすれば、この一局は単にタイトルの行方だけでなく、その後の多くの棋士たちの「人生が変わ」った分岐点だったのかもしれない。

 


(大山が二上に披露した盤外戦術はこちら

(「受けの大山」は攻めも一級品

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

 

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「人生が変わった」大一番 二上達也vs大山康晴 1960年 第10期九段戦

2024年07月04日 | 将棋・名局

 「大げさに言えば、自分の人生が変わった」


 

 ある将棋を振り返って、こんな言葉を残したのは二上達也九段だった。

 将棋の世界には、

 

 「ここで、この人が順当に勝っていたら歴史は……」

 

 という瞬間があり、「高野山の決戦」で起こった、サッカクイケナイヨクミルヨロシ無しの大トン死に、大内延介▲71角

 谷川浩司羽生善治の運命が分かれた、第5期竜王戦第4局

 永世七冠」をかけ、「100年に1度の大勝負」と呼ばれた第21期竜王戦最終局

 などなど、コアなファンなら「あー」と頭をかかえるシーンも思い出されることであろう。

 最近では、ついに八冠王の牙城が崩れた叡王戦

 最終局の結果は正直、藤井にとっては勝っても負けても、長いキャリアの中ではそれほどの影響はないかもしれない。

 一方、初タイトルとなった伊藤にとっては、人生を左右する一番となったのは間違いないところだ。

 往年の名棋士であった、二上にもまたそういう将棋があったというわけで、今回はその一局を。

 

 


 舞台は1960年

 昭和でいえば35年に戦われた、第10期九段戦(今の竜王戦)第7局

 このとき大山康晴九段(というとノンタイトルのように聞こえるけど「竜王」です)に挑んだのが、若手時代の二上達也八段

 大山が36歳で、二上が28歳

 これがのちに多く戦われる2人の、タイトル戦における初対決となっているのだ。

 大山はと言えば、このころすでに九段にくわえて、名人王将もあわせ持つ三冠王(当時の全冠制覇)の絶対王者だったが、それを追う立場にいたのが二上だった。

 デビューからの二上の評価はと言えば、

 


 「大山を倒して名人になるのは二上だろう」


 

 と予想されていたほどの期待だった。

 このフレーズは後ろに、


 


 「だが意外に時代は短く、加藤一二三が次の名人になる」


 

 と続くのだが、これは加藤一二三が超別格の存在だったからであって、決して二上が、みくびられていたというわけではない。

 実際、無敵の名人だった大山から「奪取する」と思われていた二上の実力こそ、ここでは見るべきだが、その予測がすべて崩れ去ったのが、この九段戦の結果だったというのだ。

 3勝3敗でむかえた最終局。大山の振り飛車に、二上は棒銀で対抗。

 鈴木宏彦さんと藤井猛九段の共著『現代に生きる大山振り飛車』という本によると、大山は二上の持つスピード感に苦戦していたそうだが、ここでは先手の棒銀をあれこれといなし、序盤からペースを握っていく。

 

 

 

 

 飛車が働いておらず、敵陣のと、と金も少しばかり重く見え、居飛車の攻めはやや空振り気味。

 後手からは拠点や、と金タネになりそうなの存在も不気味。

 振り飛車がさばけているように見えるが、ここからの大山の指しまわしが、独特ともいえるものだった。

 

 

 

 

 ここで△35桂と打ったのが、おもしろい手。

 正直、もっさりしていて、あんまり良い手には見えないのだが、「大山将棋」というものについて語るのに、注目したい一着なのだ。

 ここでは△56歩として、次の△55桂をねらうのが有力で、たしかにそれが「本筋」という気もするが、解説の藤井猛九段いわく、

 


 「手の善悪は別にして、△35桂は大山好みの桂打ちでもあります。大山先生の桂使いは意外に重い感じで使う手が多い」



 重く使う、という発想が不思議な感じ。

 桂馬という駒は、その瞬発力で相手の虚を突くのが、もっとも使い出があるはずだが、それをあえてベタッと貼りつけるのが、まさに個性である。

 そういえば、「打倒大山」を果たして名人位を奪うことになった中原誠十六世名人は、「桂使いの中原」と呼ばれたが、

 


 「大山先生の金銀のスクラムは、ふつうに攻めても破れないから、そこを突破するために桂のトリッキーな動きを磨いたんだ」



 同じ大名人だが、駒ひとつ取っても、まったく反対の思想で働かせているというのが興味深い。

 ただ、藤井九段も「善悪は別にして」という通り、この桂自体は緩手だったようで、▲65歩から▲97角と鋭く活用し、先手も反撃を開始。

 

 

 

 

 先程とくらべて飛車角が軽く、また▲64拠点から駒が入れば好機に打ちこみもあり、ここではかなり先手が巻き返している。

 このあたり、「北海美剣士」と呼ばれた二上による、見事な太刀返しだが、それを受けての大山の手がまたすごい。

 

 

 

 

 △26歩と、じっとのばすのが、またも「大山流」の一手で、これも藤井九段いわく、

 


 「この忙しい局面でじっと飛車先の歩を伸ばすのはすごい。自分には絶対に指せない」 



 大山自身の解説では、

 


 「ここでは△26歩か、△94歩で、敵の攻めを急がせるよりない」


 

 難解な局面でを渡し、悪手疑問手を誘うのは、心理戦に長けた大山にとって得意中の得意という勝負術。

 ここでおもしろいのは、大山将棋の後継者ともいえる藤井猛九段は、こういう指しまわしを見せないこと。

 「自分には絶対に指せない」という通り、藤井は

 

 「ガジガジ流」

 「ハンマー猛」

 

 と呼ばれる、パンチの効いた直接手が特徴で、むしろ大山が重視せず、あいまいにしていた序盤作戦などを整理し、吸収していた。

 こういう△26歩のような手を得意としたのは、藤井のライバルである羽生善治九段

 その意味では、大山将棋の技術的な後継者は藤井だが、精神的なそれは羽生になるのかもしれない。

 ちなみに、藤井聡太七冠伊藤匠叡王をはじめ、現代の棋士はおそらく、すでに「言語化」された、これらの勝負術をすでに身につけていると思われ、発見技術はこうして受け継がれていくのだろう。

 

 (続く

 

 

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トルコ語と日本語の語順は同じだけど、英語のせいで大混乱の巻

2024年07月01日 | 海外旅行

 トルコ語苦戦している。

 ということで、前回は

 

 「英語とドイツ語」

 「フランス語とスペイン語」

 

 のような言語的姻戚関係がないため、土語単語がおぼえられないという話をした。

 トルコ語と日本語は語順が同じなど、なにかと共通点が多いはずだが、早くも暗礁に乗り上げてしまい無念である。

 そこに、さらなる難敵がおそいかかってきて、ますますパニックになるのは、まさにその「語順」。
 
 というと、おいおいさっきはトルコ語と日本語とは語順が同じだから学びやすいと言っていたではないか。
 
 そうつっこまれそうだが、そこが逆になのだ。
 
 たしかにトルコ語は日本語と似ていて、たとえば「私は水を飲む」だと、
 
 


 Ben su içiyorum.



 
 
 Benは「」で、suは「」。
 
 içiyorumは「飲む」だから、「私は水を飲む」で日本語同じ並び。
 
 英語だと「I drink water」で「私は飲む水を」とひっくり返るから、そりゃどう見たってトルコ語の方が自然なのだ。
 
 ところがどっこい、日本人は哀しいかな、なぜか第一外国語が強制的に英語である。
 
 なので「外国語学習」というと、どうしても「英語」がベースになってしまい、このせいで逆に
 
 
 「外国語が日本語と同じ語順」
 
 
 この本来なら親切設計なはずの文法が、むしろ違和感を感じるというパラドックスが生じるのだ。
 
 つまり、フラットな目で見れば、
 
 
 「私は水を飲む」
 ↓
 「Ben su içiyorum.」
 ↓
 「同じやん!」
 
 
 となるのだが、これが、
 
 
 「私は水を飲む」
  ↓
 「I drink water」
  ↓
 「Ben su içiyorum.」
  ↓
 「あれ? 英語と語順が違う。なんか変!」
 
 
 という「ねじれ現象」を引き起こしてしまうのだ。
 
 ましてや私は大学受験で英語をやり、大学ではドイツ語を専攻し、今ではフランス語とスペイン語をやるという「インドヨーロッパ語族」野郎なので、ますますそこに拍車がかかる。
 
 そう、私はここまでフランス語とスペイン語はわりとスムーズに勉強できたのだが、それは英語やドイツ語の知識が、同じヨーロッパ系言語として、そこそこ役に立っていたせいなのだ。
 
 スポーツで言えば、サッカーやってたヤツがラグビーとか。

 バスケやっててハンドボールとか、クリケットから野球とか。
 
 そういった

 

 「経験はないけど、にやったことが生きる」

 

 というジャンルで戦っていたから、そんなにストレスがなかった。
 
 ましてや、スペイン語とポルトガル語なんて「硬式テニス軟式テニス」くらいの差だしなあ。
 
 そこをドーンと

 

 「棒高跳び出身者がチェスボクシング

 

 みたいな異郷の地に連れていかれた感覚。
 
 そのせいで、見た目以上に、とっつきが悪くなってしまっているのだ。
 
 ただこれは、がそうなだけで、逆に言えばヨーロッパ系言語にとらわれない柔軟な人には、案外そんなことないのかもしれない。
 
 実際、やってみた感覚ではトルコ語と日本語は近いところもあるし、少なくとも言語距離が相当離れている英語よりは、客観的に見ればかなり接しやすいのは確か。
 
 なんで、むしろ
 
 
 「英語は苦手だったなあ」
 
 「ドイツ語とかフランス語、第二外国語でやったけど全然おぼえてないや」
 
 
 という「偏見」のないピュアな状態の方にとっては、トルコ語はものすごくオススメの言語なのかもしれません。

 

 

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