前回の続き。
「おまえらが、センス見せようとしてるところが腹立つ」
友人イチオカ君のメッセージは、ヤングのころ、お笑い芸人のぜんじろうさんを街で見かけたとき、
「おい、ラッキーぜんじろう!」
「ABCお笑いグランプリ最優秀新人賞、おめでとう!」
「相方の太平かなめは、どないしてん! 捨てたか?」
と呼びかけたことを示していた。
まず友人センヨウ君が、あえて「昔の芸名」で、しかも本人が「黒歴史」認定している名で呼ぶとは、そこには当然、
「そんなマニアックなことを知っている、俺様のお笑い教養の高さ」
を誇っているわけだ。
ハッキリ言ってイタいが、まだまだ話は終わらず、私も追随して、「ABCお笑いグランプリ」を持ち出す。
これもまた、センヨウ君から受け取ったバトンで、当時の感覚ではぜんじろうさんといえば、人気番組だった「テレビのツボ」にふれるべきである。
カラんでいくなら、当然そこで
「おまえがやってるテレツボ、全然おもんないわー」
などと行けばいいのだろうが、そんな中学生レベルのものが、ゆるされるわけない(?)のは自明の理。
あえて、もう5年以上前(当時)の栄冠であるABCのタイトルを持ち出すあたり、そこはかとない「はずしてねらう」感がかもしだされている。
今でいえば、オズワルドや空気階段のふたりに話しかけるとき、М-1やキング オブ コントのことはいっさい無視して、
「ラフターナイト優勝」
にしか、ふれないようなものであろう。
やはり、自分は
「玄人のお笑いファン」
「メジャーになる前からチェック済みの情報強者」
なことを見せつけたい願望が、アリアリである。
しまいには、エサカ君の「太平かなめ」発言。
太平かなめとは、ぜんじろうさんのコンビ時代の相方さんで、それこそABCの優勝は「かなめ・ぜんじろう」で獲得したものなのである。
言うまでもなく、私の「ABC」に対する受け言葉。
昔、岡田斗司夫さんが声優の岩男潤子さんと仕事をしたとき、アニメのことそっちのけで、岩男さんが過去に所属していたアイドルグループで、おそらくは黒歴史であろう、セイントフォー時代のことしか質問しなかったようなもの。
当然ながら、すごい嫌がられたそうだけど、そりゃそうであろう。
キーワードは「あえて」であり、
「あえて、ラッキーぜんじろう呼ばわり」
「あえて、今の輝きでなく、昔のローカルな栄光を呼び覚ます」
「あえて、セイントフォー」
有名人にからんでいくときというのは、少なからず
「イラッとさせたい」
という熱い想いがあると思うが、このときのわれわれは、完全に「大喜利のノリ」で、それをやっていた。
「こんなお笑いファンはイヤだ。どんなお笑いファン?」
それを、芸人かぶれの酔った学生が、
「見てくれ、オレたちの教養とワードセンス」
「おまえなんかよ、俺らの方が全然オモロイ」
みたいな顔しながらカマしてくるんだから、まったく地獄以外のなにものでもない。
なんかまあ、淡々と書いているようで、今の私は恥ずかしさで転げまわりそうです。踊りでも踊ったろかしらん。
もちろんのこと、こんな「かぶれ」の若者など、本人は「オモロイ」つもりだが、受ける方からすれば、しょせんは使い古された「あるある」にすぎない。
実際、吉本新喜劇でも活躍された小藪一豊さんも、
「【小藪さん、ビリジアンの時代から応援してます】とか、昔やってたコンビ名出して、濃いファンですアピールしてくるヤツ、マジでうっとうしいわ」
なんて怒っており、
「もうそれ、ボクですわ、すんませーん!」
なんて裸足で逃げ出したくなるのである。ビリジアンのテニスのネタ、好きでしたよ!(←そういうとこだよ)
いや、これねえ、おチャラけて書いてるようですけど、こっちはホンマに痛い、ツライ。
有名人にカラんだのもさることながら、さっきから再三言っているよう、そのワードセンスとかが、またアレだ。
「俺たちお笑いのプロ」
「芸人なんかより、全然センスある」
とか思われたいのが、全体からにじみ出ており、そこを的確に刺してきたイチオカ君の性格の悪……感度の高さは、さすがである。
昨今、ネットを通じた芸能人へのウザがらみや、誹謗中傷が問題になっているが、私はできるだけそういうものを減らしたいと考えている。
それはもちろん芸能人の人権を守り、日本人の持つ倫理観や民度の高さを復活させたいから、とかではなく、のちのちシャワーあびてるときや、布団の中とかで、
「ギャ! また思い出してもうた!」
「若かったんやー、阿呆やったんやー、もうゆるしてー」
と悶絶する「負の遺産」を心の中に残さないようにするためである。
いや、マジでハズいッス。
なので、やめましょう、こういうことは。人生の先輩の、ありがたいお言葉。