ブリティッシュ作戦 近藤誠也vs中田宏樹 2020年 B級2組順位戦 その2

2025年02月22日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 2020年B級2組順位戦

 他力ながら昇級に望みをつないで、最終戦で中田宏樹八段と戦うのは近藤誠也六段

 勝ったうえで、順位上位横山泰明七段が負けてくれないと上がれない立場だが、まずはとにもかくにも自分の将棋だ。

 

 


 
 


 先手の近藤誠也が相矢倉脇システムからを作ると、中田宏樹はそれにをかけていく展開。

 ただ馬を助けるような手ではつまらないと、先手は一気呵成に飛びこんでいく。


 
 
 
 
 
 

 ▲46銀△52金▲同馬△同飛▲35歩
 
 この際、はくれてやってしまうのが、この形のポイント。
 
 駒損ではあるが、後手は王様の守備隊長である△32をはがされ、横腹がすこぶる寒いのである。
 
 そこですかさずをくり出し▲35歩
 
 
 「矢倉はに攻めた方が有利」
 
 
 と言われるが、まさにその格言通りの速攻だ。
 
 中田は△32飛とまわって3筋に勢力を足す。
 
 そこで近藤は急がず、一回▲15歩と端を詰めて間合いを図る。
 
 
 
 
 
 
 後手に有効な手がないことを見越して、マイナスになりそうな手を指させてから襲いかかろうという高等戦術

 かつては羽生善治九段が得意とした緩急のつけかただが、今ではすっかり「手筋」のひとつである。
 
 もちろん、のちの端攻めも見越してのことで、次の手が△84銀なのだから、飛車の応援のない棒銀よりも端歩の方が価値が高いのは一目瞭然だ。
 
 先手は▲37桂と攻め駒を足し、後手はその手を待ってから△35歩と取る。
 
 桂頭がうすいが、かまわず▲35同銀と取って、△36歩はその瞬間に▲24歩からバリバリ攻められて持たないと見たか、中田は△59角とこちらから反撃。


 
 
 
 

 これがイヤな形で、先手は桂取りを受けるのがむずかしい。
 
 ▲27飛▲38飛は、もう1枚のを打たれていじめられそうだし、▲38歩とはとても打つ気になれない。
 
 ▲24歩と行くのも、今度は守備に利いてくるため通るかどうか微妙なところ。
 
 対処を誤ると、いっぺんに切れ筋におちいりそうなところだが、次の手が力強かった。

 

 


 
 
 
 
 
 ▲36金と打つのが意表の1手。
 
 攻めに使いたいを、ここで自陣に投資するのはもったいないようだが、これが手厚い対応だった。
 
 今度は好機に▲58飛などとされると、後手のが危ない形。
 
 そこで△39角と先に飛車をいじめに行くが、▲29飛と引いて、最悪どちらかのとの交換が保証されたのは大きい。
 
 △48角成▲34歩を一発利かし、△同金に居酒屋の店員のごとく「よろこんで!」と▲59飛と取って、△同馬▲43角


 
 
 
 
 
 
 責められそうな飛車をキレイにさばいて、そのが敵陣にクリーンヒット
 
 △31飛▲14歩と突くのが、またリズムのよい攻め。

 

 

 

 

 細い攻めをこうしてつないでいくのが近藤は得意で、本人も

 


 「自分らしい一手」


 

 と満足の展開。ここからは先手のペースだろう。

 △同歩▲同香一歩補充して、△35金▲同金△14香▲34歩が「一歩千金」の好打。

 

 


 
 △42銀▲52角成
 
 
 「固い、攻めてる、切れない」 
 
 「後手玉だけ終盤戦」
 
 
 という、いわゆる「勝ちやすい」パターンに入った。

 

 

 勝負はいよいよ最終盤。

 中田もを使ってなんとかを遠ざけ、スキを見て△38飛と反撃。

 次に△69馬△37飛成が入れば後手も相当だが、次の手が教科書通りの決め手である。

 

 


 
 
 
 
 
 ▲24歩と突くのが、「筋中の」という形。
 
 こういう第一感の手が通るということは、すでに寄り形ということだ。
 
 △同歩▲23歩とタタいて、あとはむずかしくない攻めで充分勝てる。
 
 それにしても、あの受け一方のようなが、こうなると敵玉を押しつぶす鉄球として大活躍しているのがすばらしい。
 
 近藤が快勝で、これでキャンセル待ちの権利を手に入れる。
 
 その一方で自力だった横山敗れ、近藤はデビューからたった4期B1までかけ上がったのだった。
 
 


 (近藤誠也の「ガチ」についてはこちら

 (近藤と羽生の大熱戦はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)
 
 
 
 
 

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昇級まであと二百時間だ 近藤誠也vs中田宏樹 2020年 B級2組順位戦

2025年02月21日 | 将棋・名局

 近藤誠也が爆発した。

 2015年19歳四段になると、初出場の王将戦でいきなりリーグ入りを決める棋士人生ロケットスタート
 
 それどころか「A級以上の難関」との誉れ高い王将リーグで残留こそできなかったものの、豊島将之七段羽生善治三冠(王位・王座・棋聖)を破る金星
 
 特に羽生戦に関しては、これで羽生は20年かぶりくらいのリーグ陥落を喫することになったのだから、かなりインパクトの強い勝利だった。
 
 その後も王位リーグに入ったり、順位戦藤井聡太七段に頭ハネを食らわせるジャイアントキリングを披露しながらハイスピードでB級1組に到達。
 
 アベマトーナメントでも無類の強さを発揮し、同門でいつも指名していた渡辺明九段から、
 
 


 「うちのエース
 
 「誠也がいれば2勝、いやワンチャン3勝も計算できる」



 
 
 とまで絶賛されるほどの大活躍ぶりだったのだ。
 
 そんな男なので、ここからはA級タイトル待ったなしかと思いきや、そこでやや足が止まる。
 
 勝率は高く、竜王戦で本戦出場や2度目王将リーグ入りを果たし4勝するなど、しっかり結果も出しているが、彼ほどの男ならやはり「もっと」と貪欲な目で見てしまうのがファン心理というものだ。
 
 ともかくも、まずはA級にというところだったが、今年のB級1組順位戦では安定して強く、最終戦前に早々と昇級を決めて停滞を5年で止める。
 
 また今期は朝日杯でも勝ち上がり、決勝で井田明宏五段を破って、ついに棋戦初優勝を果たしたのだった。
 
 A級全棋士参加棋戦の優勝となれば、これで一流への足がかりは完全にできたというもの。
 
 大きいところではNHK杯ベスト4に残っていて、ここも取れば「藤井独裁」の時代に大きな風穴を開ける候補に一気に躍り出ることになれそうだが、今回はそんな上り調子な男の将棋を。


 
 
 2020年B級2組順位戦最終局。
 
 中田宏樹八段近藤誠也六段の一戦。
 
 この期のB2は5戦目を終えて丸山忠久九段全勝で首位を走り、それを順位上位の横山泰明七段村山慈明七段1敗で追走。
 
 1期抜けをねらう近藤は順位下位ながら1敗で追い、6戦目では村山と、8戦目では横山と当たっているため自力でこそないもののチャンスは充分であった。
 
 その通り村山との直接対決を制した近藤は、他の1敗勢が敗れたことで一気に浮上
 
 ところが、自力昇級の権利を手に入れて戦う横山戦で痛恨の1敗を喫し、またも圏外に転落
 
 残り2戦連勝し、横山2連敗しなければ逆転できないという崖っぷちに追いこまれたが、続いてラス前の鈴木大介九段戦にしっかり勝ったのはさすがというところ。

 ふつうはリーグ後半で直接対決を落とし、しかも順位が下位と会っては、「試合終了」としたものだが本人からすれば、

 


 「それが良かったのかは分からないが、残りの2戦は何も気にすることもなく伸び伸びと指せたように思う」


 

 このあたりの心理的な交錯が、順位戦のアヤだ。

 逆に圧倒的優位に立った横山は田村康介七段に敗れており「もう諦めていた」という近藤だが、かろうじて望みをつないだ。

 他力ながら目を残して中田戦に挑む最終戦は、先手番で相矢倉を選択。
 
 むかえたこの局面。
 
 


 
 
 
 脇システムから近藤がを作ったが、中田は金銀でそれにプレッシャーをかけていく。
 
 このままだと虎の子の馬を殺されそうだが、もちろんそれは先手の読み筋である。

 

 (続く

 

 

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光速5センチメートル 谷川浩司vs高橋道雄 1987年 第28期王位戦 第4局

2024年12月14日 | 将棋・名局

 谷川浩司はブレイクするまでに、意外と時間がかかった印象があった。

 谷川といえばデビュー前から大器の誉れ高く、

 

 中学生棋士」

 「21歳名人獲得」

 

 ほとんど最短距離で棋界の頂点へ駆け抜けた男。

 となれば、その歴史は「勝利の歴史」のように見えるが、実はこの名人獲得以降、の頂点である「四冠王」までけっこう苦戦していた時期もある。

 これにはリアルタイムで見ていて、ヤキモキしたもの。

 そう聞けば

 

 「まあ、羽生さんがいたからねえ」

 

 という声が聞こえてきそうだが、それより以前に立ちはだかった男が2人いたのだ。

 一人は同じ関西南芳一九段

 そして、もうひとりが高橋道雄九段

 中原誠米長邦雄といった先輩と同時に、この「花の55年組」の腰の重いライバルが、谷川の前進をはばんでいたのだ。

 ちなみにウィキペディアには単に「55年組」としかないけど、古い将棋雑誌とか読めばわかるけど「花の」がつくのが正解。
 
 もっとも、その後「羽生世代」の台頭からタイトルを取れなくなっていったので、なんとなく呼びにくくなったのでしょうが。

 それはともかく、高橋が谷川の進撃をはばんでいた時期があった。

 特に高橋は谷川が名人位を失い無冠に転落した後、やっとこさ手に入れた二冠目棋王を奪い取ったうえに、内容的にも遜色ない将棋を見せつけ、

 

 「最強なのは高橋道雄」

 

 という評価を確固たるものとしていた。

 しかも高橋は王位のタイトルも持っていたため、高橋道雄王位棋王谷川浩司九段と差をつけられることに。

 棋史に残ることが確定のスーパーエリート

 

 「選ばれし者」

 「神の子」

 

 としてそのを振りまきまくっていた谷川にとって、追ってくる立場だった高橋にコテンパンにのされたことは、大いにプライドも傷つけられたことだろう。

 このあたり私も見ていて、

 

 「谷川は大丈夫やろか。これはもう、下手したら高橋と南に全部持っていかれるで」

 

 なんて心配したものだが、さすが谷川もそこでシュンとしているだけではなく、徐々に巻き返しを図っており、その勢力争いは混沌としてくるのだ。

 


 

 1987年の第28期王位戦は、高橋道雄王位・棋王に谷川浩司九段が挑戦することとなった。

 前期は高橋相手に苦戦することが多かった谷川だが、このシーズンは復調の気配を見せており、またこのシリーズも、

 

 「全局、ちがう戦型で戦う」

 

 と宣言。

 第2局ではめずらしい振り飛車穴熊を披露するなど、精神面での余裕も感じさせたころであった。

 谷川の2勝1敗でむかえた第4局は、相矢倉から後手の谷川が右四間にかまえ、急戦調の将棋に。

 飛車角を軽く使って襲いかかる谷川に対して、高橋は受けに回る。

 むかえたこの局面。

 

 

 

  後手が△13角とのぞいて、先手が▲57金角出を防いだところ。

 一見、先手が押しこまれているようだが、こういうところをガッチリ受け止め、ビクともしないのが高橋の強いところ。

 △36が攻めに利いているのかどうか微妙で、下手すると取られてしまう可能性すらあるが、ここから谷川が「前進流」と呼ばれた勢いの良さをみせるのである。

 

 

 

 

 △27銀成▲同飛△35角が谷川らしい強気の踏みこみ。

 飛車を取られるから、先手は▲35同角と取り返すことができない。

 ▲37銀と受けるのが形だが、そこで△36歩と打てるのが自慢。

 

 

 ▲同銀△26飛で、やはりきれいに突破されてしまう。

 まずは谷川らしい華麗なワザが決まったが、そこは高橋も負けていない。

 

 

 

 

 

 

 

 △35角にあわてず、じっと▲88玉と上がるのが「地道高道」らしい、しぶとい手。

 先制パンチをもらっても、そこで安易に折れない精神力は見習いたいところで、谷川も過去に「これで決まった」と思われたところから押し出せず、逆転負けを食らったケースもあったのだ。

 以下、△26飛▲同飛△同角で駒損だが、▲37銀と追い返し、△71角▲61飛王手角取りの反撃。

 これには△51飛の合駒がピッタリなのだが、そこで▲65飛成と成り返っておいて、飛車を守りに使わせたのが大きく、まだこれからだと。

 谷川は△38角と打って、さらなる駒得の拡大を図るが、高橋も▲63銀と反撃。

 

 

 

 これが、「玉飛接近すべからず」で、なかなかにきびしい。

 放っておくと、▲52銀成△同飛▲61竜と入って、△51飛▲52金でつぶれる。

 かといって▲52銀成△同玉は危なすぎて、考える気もしないところだが、なんと谷川は平然と△29角成

 いやいや、そんなのんびりして自陣は大丈夫なのと、谷川ファンなら目をおおいたくなるところだが、ここからスターが魅せます。

 高橋は勇躍▲52銀成と取って、△同玉▲63金とヒジ打ちをかます。

 

 

 

 


 △41玉しかなさそうだが、それには▲62金から大駒を取り返して、自玉は矢倉の堅陣が残っているから先手が盛り返している。

 こんな場面を見せられたら、やはりファンとしては「だから、ゆーたやん!」と声を上げたくなりそうだが、なんのことはない。

 すべては谷川浩司の手のひらの上だったのである。

  

 

 

 

 △61玉と、危ない方に落ちるのが、盤上この1手の絶妙手

 この局面、飛車角金銀香のどれかがあれば詰みだし、桂馬があっても▲53桂で寄るのだが、あいにく先手は弾切れ

 手持ちの一歩で▲62歩でも詰みなのだが、あいにくの二歩

 なんとここで、すでに先手の攻めは切れている

 あと一歩、指一本でも伸びれば後手玉はおしまいなのに、それがかなわない。

 まさにミリ単位で相手の切っ先を見切った、完璧な受け止め方。

 もちろん、この局面だけを見れば、△61玉を指せる人はいるだろう。

 だがそれよりなにより、このずっとの、おそらくは△27銀成と飛びこんだあのあたりから、

 

 「これで受け切り」

 

 と読み切っているわけで、それがすさまじいではないか。

 なんという見事な玉さばき。まさに神業。まるで大山康晴名人のような、見事なしのぎではないか。

 まさかの真剣白刃取りを前に、高橋は懸命に寄せを考えるが、ここではすでに将棋は終わっている。

 

 

 

 

 高橋も劣勢の中、なんとか手をつなぐが、いかんせん戦力が足りないうえに、敵玉近くの筋にが立たないところも泣きどころだ。

 次の手が決め手になった。

 

 

 

 

 

 △94銀と打つのが落ち着いた受け。

 ここで△57歩成は、その瞬間に▲63銀成とされて逆転する。

 将棋の終盤は、本当に怖い

 谷川がそんなヘマをやらかすはずがなく、冷静な手で望みを絶った。今度▲63銀成には△83銀と取る手がピッタリ。

 銀を打たれて、ここで高橋が投了

 攻守に会心の指しまわしを見せた谷川は、第5局も制して(その将棋は→こちら王位奪取

 その後の棋王戦でも、フルセットの末にリベンジを果たし初の二冠に。

 最優秀棋士賞も獲得し、ついに「最強」の座を高橋道雄から奪い返すことに成功したのだった。

 


(「谷川強すぎ」時代の絶妙手がこれ

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王とサーカス 大山康晴vs米長邦雄 1992年 第50期A級順位戦 その2

2024年11月24日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 1992年、第50期A級順位戦の8回戦、米長邦雄九段大山康晴十五世名人の一戦は、古豪同士の期待にたがわぬ熱戦となる。

 両者とも4勝3敗

 6勝1敗で、首位を走る谷川浩司三冠(竜王・王位・棋聖)に追いつくには、ここで負けるわけにはいかないのだ。

 

 

 

 図は大山が△63桂と打ったところ。

 ここまで、後手が一直線に攻めて良くするチャンスが何度もありながら、あえてそれをスルーして戦う大山の指し方がおもしろい。

 「受けの大山」にとって、オフェンシブな戦いで有利になるよりも、多少まわりくどくに見えても、得意の「押さえこみ」に持って行った方が戦いやすいという実戦的判断だ。 

 ここまでは大山がうまく指しているが、「泥沼流」米長邦雄も負けてはいない。。

 ペースこそ握られたが、

 

 「序盤は少し不利なくらいのほうが力が出る」

 

 そう自分でも言うように、ここからが腕の見せ所で、まずは▲65桂と跳んで暴れていく。

 そこからこの桂馬で飛車を奪い、勝負形に持ちこむことに成功。

 攻め合いから▲73歩とタタいたのが、見習いたい好打。

 

 

 

 △同金▲71銀で一気に危なくなるから、怖くても△同玉だが、▲74歩と再度のビンタから、△同銀▲81銀と打ってド迫力の追いこみ。

 △82金と逃げたところで、▲29飛と引くのが、これまたぜひとも参考にしたい活用。

 

 

 

 苦しい戦いだが、ねばり強い人というのは

 

 「盤上にある駒を使う」

 

 これが、実にうまい。

 遊んでいる駒など、常にどこかで働かせてやろうと、手ぐすねをひいているのだ。見習いたいッス。 

 大山は△77香から寄せに入る。

 米長は一手空いたスキを見て、▲43飛から反撃。

 

 

 

 

 先手のラッシュもすさまじいが、後手の対応も的確で、一歩足りない感じ。

 持駒がしかなくては、これ以上寄りつきがないが、「泥沼流」はまだ終わらないのである。

 

 

 

 

 ▲77馬と取るのが、またしても遊んでいた馬を、ここで働かせる執念の勝負手。

 △同歩成▲同玉と取った形が、先手玉に詰みはなく、後手玉は▲93香からの詰めろになっている。

 すわ、逆転か! と色めき立つところだが、大山は最後まで冷静だった。

 ▲77同玉に、一回△33角王手飛車に打つのが決め手。

 

 

 

 ▲同竜竜の筋をそらせてから、△76歩▲66玉△33桂と取り返して勝ちが決まった。

 

 

 

 角桂香の持駒で、後手玉に詰みはない

 また、さりげに△76歩を利かせているのも細かいところで、△78にあるをしっかりと助けている。

 この土壇場でも、すばらしい落ち着きで、まったく強いものである。

 因縁の対決に勝利した大山は、最終戦でも谷川浩司竜王を破り、まさかのプレーオフ進出。

 大名人だった真の底力を大いに発揮し、まさに「伝説」ともいえるフィナーレを飾るのだった。

 


 (大山から「伝説の▲67金」が出たのは、この期の順位戦)

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)
 

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「最初のチャンスは見送る」 大山康晴vs米長邦雄 1992年 第50期A級順位戦

2024年11月23日 | 将棋・名局

 「持ち味出とるなあ!」

 

 とワクワクするような将棋がある。

 スポーツなどの試合もそうだが、プロレベルになると自分のストロングポイントを発揮するのと同じくらいに、

 

 「相手の得意なスタイルを消しにかかる」

 

 という戦い方も重要視される。

 なので、トップクラスの戦いや絶対に負けられない大一番などでは、ときおり相手の「ワザ」を警戒しすぎて地味な展開になったりしがち。

 だが、無責任な観戦者はやはり、双方の長所をドカンとぶつけ合う熱戦が楽しいわけなのである。

 


 1992年、第50期A級順位戦の8回戦。

 米長邦雄九段大山康晴十五世名人の一戦。

 両者とも4勝3敗で、谷川浩司三冠(竜王・王位・棋聖)が6勝1敗でトップを走る中、挑戦権争いをするには、絶対負けられない一番。

 この期の大山は、一度は克服したはずのガンが再発し、まともに将棋を指せるのかも心配されたが、開幕2連敗のあと4勝1敗と持ち直していく。

 これで当初心配された降級(即引退)どころか、まさかの挑戦者の目も出てきたというのだから、69歳(!)とは思えぬ棋才と精神力である。

 将棋のほうは大山の四間飛車に、米長は玉頭位取りを選択。

 細かいゆさぶりから、角交換になって、むかえたこの局面。

 

 

 

  先手は7筋、後手は6筋が主張点だが、この次の手がいかにも「大山流」だった。

 

 

 

 

 

 

 △49角とボンヤリ打つのが、思わず「ぽいわー」と感嘆したくなる一手。

 ▲37桂と跳ねたところで、筋のいい方なら△66歩と突く手が見えるだろう。

 ▲同銀△同飛と切って、▲同金△48角が、の両取り。

 

 

 

 ▲67銀とでも金取りを受ければ、△37角成と好所にができる。

 飛車銀桂2枚替えなうえに、馬で先手の飛車をいじめる継続手もあり、これで後手が指せそうに見える。

 もちろん、プロなら0.01秒で見える筋だが、わかっていて、あえてそれをスルーするのが大山将棋。

 有名な大山語録に、

 


 「最初のチャンスは見送る」


 

 というのがあり、その真意に様々な解釈はあろうが、この△49角こそがその見本のような手であろう。

 米長は▲77桂と活用し、△38角成▲46角と攻防に打つ。

 そこで、じっと△39馬とするのが、またしても「ぽいなあ」と声が出る大山流の一着だ。

 

 

 

 

 次のねらいは今度こそ△66歩だが、なにやら手順がまわりくどいのは、おそらく大山がハナから、ここをいじくることなど考えていないからだろう。

 それだったら△49角と打つところで決行した方が話が早いわけで、攻めのするどい棋士なら素直にそう指しリードを奪って、なんの問題もない。

 だが、大山将棋はそうではない。

 △66歩で自分が指せることもわかっているうえで、

 

 「△66歩と行くぞ」

 「そうされたら困るんでしょ? さあ、攻めていらっしゃい」

 

 あえて相手に手番を渡し、無理に動いてきたところを、とがめて勝つのを好む。

 そのため、△66歩以下のような「シンプルに攻めて良し」という手順は、わかっていても選ばないのだ。

 以下、▲64歩△45歩と突いて、▲同桂△同銀▲55角△64金▲11角成△63桂と打つのが、

 

 「桂は控えて打て」

 

 の格言通りの味のいい手。

 

 

 

 

 ストレートに良くするよりも、こうして相手に無理をさせながらジワジワと、いつの間にか局面のイニシアチブを握っていく。

 これこそが、大山康晴の将棋である。

 ここまでは、大山の独擅場ともいえる展開だが、今度は米長が力を発揮し出す。

 そう、なんといっても米長邦雄といえば「泥沼流」と呼ばれた男。

 序盤でペースを握られたところから、

 

 「腕相撲しようぜ!」

 

 とばかりに、グイグイとパワーで押し戻していくのは得意中の得意なのだ。

 

 (続く

 

 

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「ガジガジ流」の大さばき 藤井猛vs佐藤康光 2010年 第68期A級順位戦 その2

2024年11月17日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 2010年、第68期A級順位戦佐藤康光九段藤井猛九段の一戦は、1勝6敗2勝5敗と、星が伸びない者同士が落とし合う「の大一番」となった。

 藤井が角交換四間飛車から穴熊に組むと、佐藤はを打って飛車先の突破を図る。

 これに藤井はなんと、▲96歩▲95歩と、悠々端歩を伸ばすという意表の対応に出た。

 

 

 なんじゃいや、これはという話だが、これが実は見事な対応で、△85歩、▲同歩、△87歩、▲78飛、△85飛には▲96角と、ここに打つ筋を用意している。

 

 

 

 指されてみれば、なるほどで、△84飛には▲44銀、△同銀、▲76飛、△同歩に▲66角とバリバリ攻める。

 

 


 これは穴熊が生きる形だし、

 

 「ガジガジ流」

 「ハンマー猛」

 

 と呼ばれる藤井の力が出る展開だろう。

 佐藤は△43角と退却を余儀なくされるが、▲26角と打って▲44銀をねらう。

 △24歩から△25歩と追われても、今度は▲36歩から▲37角とスイッチバックして、このあたりは振り飛車絶好調

 

 


 6筋銀交換になり、佐藤も負けじと飛車を使って押し戻していくが、次の手が強烈だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲82銀と打つのが、佐藤の見落としていた痛打

 △同飛は当然▲64角

 桂取りを受けようにも、△72歩二歩だし、まさか△72銀と打つわけにはいかない。

 佐藤は△54金とかわし、▲73角成△42飛と涙の辛抱を見せる。

 

 

 

 ボロっとを取られながらを作られ、しかも手番も渡す。

 あまりにも痛々しい手順だが、負ければお終いの佐藤は耐えるしかない。

 だが、次からの構想が最後のとどめとなった。

 

 

 

 

 

 

 ▲57金と上がるのが、盤面を広く見た筋に明るい手。

 △45金▲38飛とまわるのが、気持ち良すぎる手順。

 

 

 後手のかすかな主張は、先手の飛車が働いていないことだった。

 なら、それを活用するのがいいわけで、▲57金開門しつつ、場合によっては▲46金のような活用も見せる。

 後手はせめてを使おうと△45金だが、▲38飛と列車砲を転換して一丁あがり。

 「重い振り飛車」を得意とする藤井だが、ここは軽やかなスライドを見せた。

 以下、上部からガリガリ食い破って、藤井勝ち

 佐藤はまさかの降級

 藤井はこの星が大きくものを言い、最終戦では森内俊之九段に敗れるも、競争相手の井上慶太八段が敗れたため、辛くも残留を決めたのだった。

 


 (藤井と佐藤の王座挑戦をかけた大熱戦はこちら

 (佐藤の振り飛車退治と藤井システムへの影響はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから) 

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角交換四間飛車の名局 藤井猛vs佐藤康光 2010年 第68期A級順位戦

2024年11月16日 | 将棋・名局

 藤井猛の振り飛車は絶品である。

 平成の将棋界は、久保利明九段鈴木大介九段、そして藤井猛九段の3人が、

 

 振り飛車御三家

 

 として、A級順位戦やタイトル戦などで大活躍していた。

 その影響力はすさまじく、特に藤井システムなどはプロのみならず、アマチュアの世界でも大流行したが、久保、鈴木もまた大人気

 若手時代は振り飛車党だった中村太地八段によると、自分は「タテの攻め」が得意だったので、特に三段リーグでは藤井システムばかり指していたそう。

 中村の修業時代は、奨励会員若手棋士振り飛車党が多く、太地流の分類では、長岡裕也五段が「藤井派」と「久保派」のハイブリッド。

 戸辺誠七段はプライベートでも仲の良い「鈴木派」だけど、久保将棋っぽいところもある。

 高崎一生七段はイメージは「鈴木派」だけど、一緒に研究会をやっていたせいか実は「藤井派」。

 その他、「藤井システム」使いとして、藤倉勇樹千葉幸生横山泰明佐藤和俊佐々木慎といった面々がいて、藤井猛九段の記録係の座を必死になって取り合いしていたそう。

 居玉で戦う藤井システムは意外と勝ちにくく、藤井猛本人も、

 


 「しっかり囲うノーマルな振り飛車で、基礎を固めてからシステムを指す方がいい」


 

 アドバイスを送ることもあるが、やはりファンとしては、システムは大変でも、

 

 「藤井猛九段みたいな将棋を指したい!」

 

 と願うもので、そこで今回はシステムではないが絶品藤井将棋をお送りしたい。

 


 

 2010年、第68期A級順位戦の8回戦。

 佐藤康光九段と、藤井猛九段の一戦。

 この期の両者は不調で、藤井は6回戦まで1勝5敗

 佐藤にいたっては、なんと開幕から6連敗という、散々な有様だった。

 7回戦では、おたがいひとつ星を返してホッと一息だが、試練は続き、この直接対決で負けたほうは相当に苦しいというか、佐藤は即陥落が決まる。

 ただ、当時の感じでは、この大ピンチでも

 

 「佐藤は大丈夫」

 

 という空気感が濃厚ではあった。

 別に藤井をナメていたわけではなく、佐藤のような「名人」になったものは、そう簡単に落ちないはずという信頼感があったこと。

 また、2期前にも開幕6連敗のピンチから、奇跡の3連勝残留したという実績もあり、佐藤の「」や勝負強さに対する疑問など、浮かびようもなかったわけだ。

 ところが、この一局は藤井が冴えわたっていた。

 藤井がシステムの代案として、ひそかに磨きをかけてきた角交換四間飛車を選ぶと、そのまま一目散に穴熊にもぐる。

 を持ち合っている将棋では、駒のかたよる穴熊は打ちこみに注意が必要だが、藤井は巧みにバランスを取る。

 

 


 むかえた、この局面。

 後手が△76角と、を取ったところ。

 次のねらいは、一回△75歩ヒモをつけてから、△85歩、▲同歩、△87歩で飛車先を突破しようというもの。

 先手からすれば、それを防ぐか、またはもっとスピードのある攻めを見せたいが、後手陣もバランスが良くて、なかなか手持ちのも使う場所がない。

 穴熊は、こういうときが作りにくいんだよなーと、悩ましいところに見えたが、ここからの藤井の構想がすばらしかった。

 

 

 

 

 

 ▲96歩と突くのが、意表の一手。

 といわれても、サッパリ意味など分からないが、おどろくのはまだ早い。

 後手が△75歩としたところで、さらに▲95歩(!)

 

 

 

 なんと、佐藤が「攻めるぞ」とかまえているところに、「どうぞ、どうぞ」と、堂々端歩

 藤井システムといえば、▲15歩と端歩を突き越すのが基本だが、こっちは反対の端の位を取る。

 なんとも面妖な手順だが、なんとこれですでに先手が指しやすくなっているのだから、藤井猛の序盤戦術はまったく神がかり的なのである。

 

 (続く

  

 

 

 

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必殺の0,1秒 羽生善治vs佐藤康光 1995年 第8期竜王戦 第6局 その2

2024年10月29日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 1995年の第8期竜王戦

 羽生善治竜王佐藤康光七段の七番勝負、第6局は両者ゆずらぬ大熱戦になった。

 

 

 

 羽生優勢から、一瞬のスキを突いて佐藤が一気の追い上げを見せる。

 図の△95桂が強烈な一撃。

 ▲同歩とは取り切れないし、後手からはが入れば、自動的に先手玉の詰めろになる仕掛け。 

 そして、その銀は盤上に2枚落ちている。

 佐藤のパンチが急所に入り、さすがの羽生も朦朧としたそうだが、ここでまた、すごい勝負手を振り絞ってくる。

 

 

 

 

 


 秒読みの嵐の中、▲33歩△同桂▲41銀と打ったのが目を疑う手。

 先手玉はを渡すとお陀仏なのに、その銀を攻めに使うと。

 とんでもない度胸であるが、羽生によるとここでは、

 


 「慌てて指した手で、その後は負けだと覚悟しました」


 

 苦肉の策だった。しかも、この銀は△87桂成からバラした後、△81飛が王手で抜かれてしまうのだ。

 ここでは▲33歩△同桂行方尚史五段が指摘の、▲25桂が有力で、△同桂▲33歩なら難解ながら後手玉は寄っていた。

 

 

 うーむ、さすがはナメちゃん、するどい!

 これを逃し、なら先手負けかといえば、そうではないのが勝負の不思議で、1分将棋でこの銀打は不思議な魔力を発揮するのである。

 佐藤は△87桂成として、▲同飛成△同竜▲同玉△81飛王手銀取りをかける。

 

 


 
 自然な応手で自陣の憂いを消し、佐藤はここで優勢を確信した。

 それ自体は間違っていなかったが、△81飛と打つところでは、△31金打△42金打と守るほうが勝っていたという。

 飛車手持ちにしたままの方が、先手玉を寄せるのに役立つし、これで強引にを入手してしまえば詰めろになって、先手も受けがむずかしい。

 とはいえ1分将棋では、△81飛と打ちたくなるのも人情で、しかも、それで後手優勢なのだから、佐藤康光も責められるいわれは、ないわけだ。

 ただ、あくまで結果的にではあるが、この銀打ちは小さいながらも、逆転のタネになった可能性はある。

 自陣に使わせた飛車は、その後あまり働かなかったからであるが、これはさすがの羽生も、そこまでねらっていたわけではないのだが。

 △81飛▲83歩△41飛で、手番が来た羽生は▲33銀成として、△同金▲52飛と王手。

 △32金打とガッチリ受けるが、この次の手が、またも羽生の渾身の勝負手だった。

 

 

 

 

 


 ▲56歩と、このタイミングで受けに回るのが、「羽生マジック」と呼ばれるゆさぶり。

 ふつうなら、先手は手番をもらった一瞬に、なんとかラッシュをかけて、後手玉を仕留めてしまいたいところのはずだ。

 当然、佐藤もそこに絞って、自陣のしのぎ形からのカウンターを、懸命に読んでいたことだろう。

 そこに、この驚愕の手渡し

 しかも、ここで△63角とされると、負けが決定しそうな場面でもあるのだ。

 それを「やってこい」と。

 どういう神経をしてるのか。これにはさすがの行方も、

 


 「見た瞬間に、僕の頭も切れちゃいました」


 

 それくらいに、信じられない一手なのだ。

 竜王位のかかった、この修羅場中の修羅場で、しかも相手の好手が見えながら手を渡せるとは……。

 佐藤の前に、フワッとチャンスボールが上がった。

 あとはそれを、スマッシュすれば決まりである。

 だが、ここで佐藤が最後の最後に間違えた。

 △63歩と取ったのが、自然なようで敗着になる。

 ここではやはり、△63角とすれば、後手が勝っていたのだ。

 羽生は△63角には▲同馬と取って、△同歩▲25桂とせまるつもりだったそうだが、△42金打と受け手、▲33桂成△同金直で後手が勝ちそう。

 

 

 

 

 本譜は△63歩以下、▲44馬△51歩▲62飛成△52金と、自陣に駒を埋め後手が手堅そうだが、こうなると攻め駒も減っている形になり、先手にプレッシャーがなくなる。

 以下、▲71竜△27角成に、▲25桂で、とうとう先手が勝ち筋に。

 

 

 

 

 

 △41飛車も、隠遁して働いてなく、こうなると▲41銀が「毒まんじゅう」の働きになって、それなりに意義があったことになる。

 勝つときというのは、こういうものだ。

 この将棋は▲41銀△81飛△63歩など最終盤は精度を欠いたように見え、実際、観戦していた田村康介四段も、

 


 「この棋譜だけを単に評価するなら、「駄局」の部類に入ると思います」


 

 

 しかし、それに続けて、

 


 「ただ、1分将棋で65手も指したことを考えると、もはやこれは最高級レベルと言うしかない」


 

 

 『将棋世界』で、この将棋を「羽生と佐藤康光の名局」のひとつとして取り上げた、勝又清和七段も、

 


 「延々と続く1分将棋で、この応酬を披露できるのがすごい」


 

 やはり△95桂に対する、▲33歩から▲41銀の流れに感嘆している。

 この一局を振り返って羽生は、

 


 「いや、今回はエネルギーを使いました。こんなに使ったのは珍しいというか、はじめて、ですね」


 

 佐藤は負けが確定した場面について、

 


 「つらかった。つらかったけど、自分の指した将棋ですから。島さんの言う『自分の指す将棋に責任を持つ』そんな心境で指してました」


 

 観戦者によると、対局場の女性スタッフが、モニター越しに食い入るよう、この対局を見据えていたという。

 将棋の内容に関して、そこまで深くは理解できてないはずの人が、わけもわからないまま惹きこまれていく。

 そのことが、どんな詳細な解説よりも、この一局の、すさまじさを表わしている。

 激闘を制した羽生は、これで竜王防衛

 ライバルに一発食らわせ、羽生時代を、ますます盤石のものにしていくのであった。

 


(佐藤康光のクソねばりからの大逆転はこちら

(佐藤康光の怒涛の追い上げはこちら

(その他の将棋記事はこちら


 

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眼下の敵 羽生善治vs佐藤康光 1995年 第8期竜王戦 第6局

2024年10月28日 | 将棋・名局

 「1分将棋の熱闘」こそが、将棋の醍醐味である。

 将棋の持ち時間は、長いほうが当然精度が上がるわけだが、見ていておもしろいのは、やはり秒読みの戦い。

 手がどんどん動くから見ていてダレないし、なにより時間がないことによる読み手順ブレにこそ、勝負のドラマが隠されている。

 かつて先崎学九段はそのエッセイで、

 


 「見ていておもしろいのは、悪手だらけの戦いに最後、一手だけキラリと光る絶妙手がある将棋」



  

 そう書かれていたが、これは本当で、今回はそのような一局を紹介したい。

 現在、藤井聡太七冠佐々木勇気八段竜王戦でバチバチやりあっているが、まだ「若き獅子たち」だったレジェンドたちの戦いも、なかなか熱いでござんすよ。

 


 1995年の第8期竜王戦

 羽生善治竜王と、佐藤康光七段の七番勝負。

 このころこの2人はまだ20代ながら、1993年から3年連続で、竜王戦七番勝負を戦っていた。

 最初の激突では、佐藤が4勝2敗で初タイトルを奪取するが、翌年は羽生がリターンマッチを制して奪い返す。

 そのまた翌年、怒りの佐藤康光はまたも、本戦トーナメントをかけあがって挑戦者になり、ライバル対決の盛り上がりは最高潮に。

 羽生の3勝2敗リードでむかえた第6局

 後手の佐藤が急戦矢倉に組み、5筋での総交換になって、むかえたこの局面。

 

 

 

 後手が仕掛けて駒をさばいたが、3筋にキズもあって、先手からもなにか反撃がありそう。

 ただ歩切れなので、どこから手をつけるか悩ましいところだが、実は後手陣に意外なが、もうひとつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲84銀と打つのが、羽生らしい好手。

 一見俗筋で、指すのにやや気がさすところだが、こういう

 

 「やりにくい」

 「指したらバカにされそう」

 

 という手を平然と選べるところに、羽生の強みがある。

 この銀打も、通常ならねらいが単調で、もし後手から△65歩▲同歩の突き捨てが入っていたら、△65桂▲73銀成△54銀みたいな手順で、アッサリ受け流されてしまう。

 だが、ここで案外と、いい返し技や受けがなく、佐藤もやられてみて、はじめてそのきびしさに気づいたよう。

 それまでの構想に難があったかと悔い、49の苦しい長考で△72銀と引くが、▲82角で先手の駒得が確定。

 「不利なときには戦線拡大」とばかりに、放置して△55歩と動くが、先手も冷静に▲73銀不成と取る。

 騎虎の勢いで△56歩と取りこむしかないが、▲72銀不成△57歩成▲同金△同飛成▲34桂急所に蹴りが入って先手優勢に。

 

 

 

  の安定度が違ううえに、先手からは▲35飛▲64角成を補充する手もあるなど、自然に手が続きそう。

 このままいけば、羽生快勝の流れだったが、佐藤の懸命の反撃に、一回自陣に手を入れたのが、手堅く見えて緩手だった。

 この小ミスで、形勢は急接近

 終盤戦、△45角と絶好の攻防手が飛び出したところでは、もうどっちが勝っても、おかしくない。

 

 

 


 次に△89竜とされれば、▲63質駒になっていることもあって、先手玉は危険きわまりない。

 といって、受ける形も見当たらず、観戦記によると、残り5分を切った羽生は、ここで明らかに動揺していたそう。

 いつもポーカーフェイスが売りの羽生にはめずらしいことだが、勝ち将棋をここまで追い上げられては、そうなるのも当然だろう。

 だが、ここからの羽生の対応が、すごかった。

 △45角の痛打にかまわず、なんと▲44銀と踏みこむ。
 
 △89竜をまともに喰らって、大丈夫なのかと目を覆いたくなるが、▲97玉でまだ詰みはない。

 こちらはすでに1分将棋の佐藤は、59秒まで考えて△95桂

 

 

 

 これがまた強烈な一撃で、▲同歩△同歩▲86玉△94金とシバられ生きた心地がしない。

 


 「頭がおかしくなっちゃいました」


 

 と述懐するよう、この桂打ちでグロッキーになった羽生だが、ボヤく間もなく、なにかワザを返さなければならない。

 先手陣は▲82飛車がいるため、△87桂成とされてもギリギリ詰まないが、を渡すと△87でバラして△78銀で仕留められる。

 しかもその銀は、盤上に2枚落ちている。

 つまり羽生は、を渡さず、また▲82飛車の利きもキープしたまま、後手玉を寄せなければならないが、果たしてそんな手はあるのか。

 この超難解な局面での秒読みはシビれるが、ここで羽生が指したのがまた、ド肝を抜かれる勝負手だった。

 

 (続く

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暁の決闘 佐々木勇気vs藤井聡太 2018年 第1回アベマトーナメント決勝3番勝負 第1局

2024年10月22日 | 将棋・名局


 佐々木勇気が、タイトル戦初勝利をあげた。

 今期の竜王戦七番勝負第2局で、藤井聡太竜王(名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖)に快勝し、1勝1敗タイに持ちこんだのだ。

 佐々木勇気と藤井聡太と言えば、なにかと因縁があり、
 
 
 「デビューから30連勝を阻止」
 
 
 をはじめとして、アベマトーナメント決勝や、NHK杯決勝で2年連続当たるなど、インパクトのあるところで戦っている。
 
 その後は、きびしい言い方をすれば、かなりがついてしまった両者だが、個人的に、
 
 
 「あれ? ちょっと勇気、藤井くんに勝つの大変?」
 
 
 と感じたのが、この勝負からであった。
 
 
 
  


 

 2018年、第1回アベマトーナメント決勝3番勝負。
 
 勝ち上がってきたのは藤井聡太七段と、佐々木勇気六段の2人だった。
 
 双方とも優勝候補で、一番期待していたカードともいえるが、この決勝戦も1勝1敗最終局に突入。
 
 「ニュースター」藤井聡太に期待がかかるのはしょうがないが、それゆえに佐々木勇気も負けるわけにはいかない戦いだ。
 
 将棋は佐々木先手で、雁木模様に。
 

 
 
 
 
 雁木はこの当時、かなり有力視されていた戦型だが、仕掛けるのが難しいということで、千日手になりやすいと言われていた。
 
 実際、この駒組ではが使いにくく、どちらも攻めにくい。
 
 先手は▲26角から▲45歩が見えるが、角が動いたときに△86歩から飛車先の歩を斬られるのはシャクだ。
 
 かといって、千日手にするわけにもいかないが、ここで佐々木が独特の打開策を見せる。
 

 

 


 
 
 

 

 ▲77金が力強い手。
 
 われわれの時代は、▲7757に行くのは悪形とされていた。
 
 こういう「足して偶数」のマスは桂馬の通り道で、それがモロに当たってねらわれやすいから。
 
 だから、矢倉でも美濃でも銀冠でも、基本的な囲いはすべてそこを避けるのだが(▲67▲78▲49▲58などに置く)、現代将棋はそんなもん気にしまへんと。
 
 それよりも、△86歩を防ぎつつ、かつ金銀の厚みを主張するということで、以下こういう形に。
 
 
 
 
 


 先手の攻撃陣も整ってきて、これ以上じっとはしていられないと、後手は△75歩から仕掛けていく。
 
 そこから玉頭でもみ合って、この局面。
 
 
 
 

 

 後手の猛攻で、先手陣は相当に乱されている。
 
 特に金銀▲85の上ずってスキが多く、また7筋が素通しなのも怖い。
 
 パッと見△72香とか打ちたいけど、藤井聡太のねらいは、そんな単調なものではなかった。
 

 


 
 
 

 △86歩と打つのが、不思議な感触の手。
 
 玉頭に拠点を作り、▲同金なら△53角の射程圏内に入って神経を使う。
 
 とはいえ先手も取るしかなく、またそれで不安定だった▲76ヒモがつくので、悪いことだけでもない。
 
 そこで後手はどう指すか。
 
 今度、を打つのは▲76がタダ取りできないし、角筋を生かそうと△65銀みたいな手でうまくいくとは思えない。
 
 どうやるのかなーと見ていると、後手の手はまったく違うところに伸びるのだった。
 
 

 


 
 
 


 △24香が、△86歩からの継続手。
 
 これで田楽刺しが決まって、しかもコンビニおでんとちがい、具が飛車の豪華版。
 
 先手が一杯食ったようだが、ここでスルドイ方は

 

 
 「あれ? これがあるから、しのげるんでね?」


 

 そう思われたかもしれない。
 
 その通り。この田楽刺しは見事なように見えて、完璧ではなかった。
 
 佐々木は▲25歩と打って、△同桂の利きをブラインドに入れてから、▲69飛とかわす。

 後手は△37桂成と、ふたたびを通すが、▲同角と手順にも逃げて、投げ槍を空振りさせた。
 
 だが、それも藤井聡太の読み筋で、ここで△74桂がきびしい。
 
 
 
 
 

 先の△86歩は、この手をねらってのものだったのだ。
 
 一見、▲同金で効果がないようだが、一転視線を右辺にやって、巧みに桂馬を入手すると、それを急所に打ちつける。
 
 局面だけ見れば、さほど働いていない△33が、△74ワープしたようなもので、うまく攻めるもんであるなあ。
 
 ▲96金に、△75銀と浴びせ倒して、▲67銀△77歩

 
 


 
 カサにかかったパンチの連打で、先手玉はいつ仕留められてもおかしくない。
 
 後手は△27香成と、こっちのもソツなく活用。
 
 ただ、佐々木も決死のねばりを見せ、徳俵でふんばり土俵を割らない。
 
 そうして、クライマックスがここだった。
 
 
 
 
 

 △77歩のビンタが強烈だが、ここをどう応じるか。
 
 ▲同桂か、を逃げるか。
 
 時間に追われた佐々木は、とっさに▲77同桂と取ったが、これが敗着になった。
 
 ここは▲88玉が、最後の勝負手だった。

 


 
 これも先手玉は危険極まりなく、△87飛成とかで寄ってるかもしれないが、どっちにしても、これしかなかった。
 
 終局後、佐々木勇気の第一声が、たしか、
 
 


 「▲88玉でしたか」



 
 
 だった記憶があるから、やはりポイントはそこだったのだ。
 
 もっとも、1手5秒の超早指し戦で、この形は選べないのもわかるところだが。
 
 ▲77同桂△97歩成とシンプルに成られ、▲同歩△同角成で突破されている。
 
 ▲88歩に、△87歩▲76銀左△87金と強引にカチこんで、以下後手が勝ち。
 
 佐々木勇気も力をふりしぼったが、最後は藤井聡太がそれを上回った。
 
 このときの結果がインパクトあって、
 
 
 「あれ? これちょっと、勇気の分が悪くね?」
 
 
 いわゆる「格付け」的なものが、少々見えてしまったような感じだったのだ。
 
 その予想は当たってしまい、その後公式戦でもアベマの大会でも連敗を重ね、昨年のNHK杯決勝まで、
 
 
 「藤井聡太に、なかなか勝てない」
 
 
 という周囲の声とともに、佐々木勇気は苦難の道を歩むことになるのだが、ここへきてNHK杯優勝に竜王戦挑戦と、大器がようやく爆発のきっかけをつかんだ。

 

 

 

 

 

 「少年」のイメージも強い勇気だが、年齢もいつの間にか30歳

 「負けても経験」「これからいくらでもチャンスがある」とは言いにくくなっている。

 伊藤匠叡王に続いて「佐々木勇気竜王」まで誕生すれば、ニューヒーローということで将棋界も、さらに盛り上がるはず。

 ここから一気に3連勝するくらいの勢いで、第3局以降もノッていってほしいものだ。
 
 

 (佐々木勇気と藤井聡太の大熱戦はこちら

 (その他の将棋記事はこちら

 

 

 
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緻密流と見せかけて野蛮 佐藤康光vs羽生善治 1993年 第6期竜王戦 第4局

2024年10月15日 | 将棋・名局

 佐藤康光の将棋は野蛮である。

 というと今のファンからは

 

 「そんなの知ってるよォ」

 

 なんて笑われるかもしれないが、佐藤をデビュー時から知っている身としては、そのイメージはけっこう意外なものだった。

 もともと、見た目も言動も優等生的で、ニックネームも「緻密流」。

 さらにプライベートではバイオリンが特技とくれば、これはもうまごうことなき正統派の「エリート」。

 今で言えば、キャラクターも将棋も伊藤匠叡王のような感じだったのだ。

 とはいえ、仲の良い先崎学九段はよく

 

 「緻密って、そうかなあ。彼の将棋はもっと大ざっぱで乱暴ですよ」


 

 いぶかしんでいたし、また亡くなった村山聖九段が、なぜか佐藤康光をあまり認めていなかったのは佐藤自身も認める有名な話。

 その理由として、若くして亡くなった村山への追悼文に佐藤が、

 


 「彼は即興の将棋は嫌っていた。私の将棋は多少、そういう面を持っている」


 

 との分析を表していた。

 「即興」というのも、これまたピンとこなかったが、「感性重視のアイデア」と取れば、今の姿と、つながるところはあるやもしれない。

 そんな佐藤康光が「野獣」としての本性をあらわしてくるのは早かった。

 強くそれを感じ取れたのは、タイトル獲得となった1993年の第6期竜王戦

 当時、「七冠ロード」を走り、飛ぶ鳥落とす爆発力で棋界を席巻していた羽生善治五冠(竜王・棋聖・王位・王座・棋王)を相手に、すさまじいパワーを見せつけるのだ。

 見事な将棋で先手番ブレークした第5局もすごかったが(→こちら)、そのひとつ前の第4局もまた、剛腕が炸裂しまくっていた。


 羽生竜王の2勝1敗リードでむかえた本局は、ガッチリ組み合う相矢倉に。

 佐藤の棒銀を、羽生は△22銀型で受け流そうとし、むかえたこの局面。

 

 


 

 

 後手の羽生△65と打ったところ。

 先手はこの局面、一瞬は金得だが、銀取りに対応する手がむずかしいところ。

 どう指すか注目だが、ここから佐藤康光が本領を発揮する。

 

 

 

 


 ▲33飛成△同金▲34歩が佐藤流のハードパンチ。

 銀取りに▲77と逃げると、△76歩と追撃され、▲同銀には△44角王手飛車で「オワ」。

 「両取り逃げるべからず」のように、受ける手がないときは受けなければいいのである。

 そこで飛車を切ってドン。

 ▲34歩のタタキに△32金と逃げていては、▲33桂とかガンガン攻められてあっという間に押しつぶされるから、△同銀と取って、▲同銀△同金

 そこで▲43角が痛烈な王手金取りで、△32歩▲22歩と一回王手して、△同玉▲34角成

 

 

 次に▲44馬から▲34桂と打たれると、ほとんど詰みだが、次の手が、おぼえておきたいカウンター。

 

 

 

 △79銀が、この形の手筋。

 王様のどちらで取っても、飛車打ち王手馬取り▲34が抜ける。

 ▲79同玉△39飛▲88玉△34飛成で急場を脱したが、そこで▲35歩とタタいて、なかなか振りほどけない。

 

 

  

 とにかく先手は持駒が豊富だし、の守備力は強いが「玉飛接近すべからず」で、むしろ攻撃の目標にされているのがツライ。

 △同竜▲43銀とからまれたところで、後手は待望の△66歩

 次に△67歩成とできれば勝つチャンスもあるが、この一瞬が甘いと佐藤は▲34金

 羽生は△33銀と必死の防戦だが、▲42銀打と組みついて、とうとう受けるスペースがなくなってきた。

 △42同銀▲同銀不成△同飛▲35金を取る。

 

 

 


 カナメのをはずして、後手玉は風前の灯火。

 次に▲34桂からの一手スキで、△33歩のような力のない受けでは、▲34歩などわかりやすく攻められて一手一手

 後手はなんとか一手しのいで、△67歩成を実現させたいが、ここで羽生が魅せるのだ。

 

 

 

 

 

 


 △34銀と打つのがハッとする勝負手
 
 ▲同金詰めろがほどけるから、その瞬間△67歩成で危険きわまりない。

 ビール瓶でなぐりかかるような気狂いじみた猛攻を、後手もなんとかワザでしのごうとするが、佐藤は奇手を食らっても落ち着いていた。

 一回▲61飛と先着して、△41銀とさせてから▲34金と取る。

 後手は待望の△67歩成だが、そこで▲同飛成と取れるのが、▲61飛と打った自慢だ。

  

 

 

  これが冷静な組み立てで、盤面右側しか目がいかなそうな場面で、実に落ち着いたものである。

 これで先手玉が格段に安全になって、以下は佐藤勝ち

 「野蛮」と「緻密」を見事に融合させた指しまわしで、ここから3連勝とダッシュ。

 宿敵である羽生から、初タイトルとなる竜王を獲得するのだ。

 


(佐藤康光のスゴイ詰みはこちら

(佐藤康光のとにかく剛腕はこちら

(その他の将棋記事はこちら

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はてしない物語 佐々木勇気vs藤井聡太 2016年 岡崎将棋まつり その3

2024年10月06日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 2016年岡崎将棋まつりで、佐々木勇気五段と、まだ奨励会員藤井聡太三段が熱戦をくり広げる。

 双方が秘術のかぎりをつくす終盤戦は、席上対局とは思えぬ熱量とレベルの高さだ。

 

 

 

 佐々木勇気が「詰めろ逃れの詰めろ」で局面を引き寄せれば、藤井聡太もタダ捨てする絶妙手でお返し。

 最後は藤井勝ちになったようにも見えたが、まだむずかしい。

 そこで藤井は▲85桂とせまる。
 
 後手から△85桂を消しながら、▲43角成からの詰めろの攻防手。

 というか、ことここへ来ては両者とも攻防の一手を常にくり出さないと、あっという間に負ける流れになっている。
 
 ▲85桂は次に▲43角成とし、△71玉に、▲44馬王手飛車をかける。

 △53歩▲82銀△同玉▲55馬飛車をはずして王手して、これで詰む

 


 またも佐々木が試される番。

 絶体絶命のピンチで、将棋では王手をかけて合駒を強要し、相手の持駒をけずるのを「合駒請求」と呼ぶが、ここはそれを超えた「必殺技請求」ともいえる場面。

 「妙手以外は負け」という高すぎるハードルを突きつけられているが、それを飛び越えるのが佐々木勇気という男だ。

 

 

 ここで、△59飛成という手があった。
 
 ▲55馬と取る手を消しながら、△99竜▲98合駒△86金

 

 

 

 ▲同歩△78と
 
 ▲同玉△76金▲同角成△同と▲同玉△75金まで、△27飛車がすばらしく働いて詰み
 
 本日2度目の「詰めろ逃れの詰めろ」。

 なんちゅう勝負強さやと、あきれる思いだが、本人からすれば、なんのこれしきか。

 

 「オレをだれやと思てるねん、佐々木勇気やぞ」と。

 

 それにしても、さっきから、ただただ、まばゆいばかりのやり取りである。
 
 『対局日誌』など将棋本の名著を数多く送り出している河口俊彦八段によると、
 
 


 「手順しか書いてない観戦記は三流」



 
 
 らしいのだが、それでいえば、私のやっていることは妄想手順とソフトの示す詰み筋を並べているだけにすぎない。
 
 だが、河口老師は同時に、
 
 


 「棋士は指した将棋がすべてである」

 「棋譜を見れば、その棋士の考えや、迷い、決断、憤怒や気のゆるみなど、すべてが表現されている」

 「それを勝手に想像しながら楽しむのが、将棋の醍醐味なのだ」



 
 
 その点から見ると、この将棋は棋譜からは、たしかに佐々木勇気と藤井聡太の息吹が感じられる。
 
 双方、負けてなるものかという闘志
 
 また、終盤では「自分こそが読み勝ってるぞ」と言わんばかりに、両者が手練手管のかぎりをつくす。
 
 
 「おまえはそう読むだろう、ならオレはその裏を行ってやる」
 
 「と、あなたはそう思うのですね。ならボクは、その裏を取ります」
 
 「それは想定内。ならオレは、その裏の裏を取る」
 
 「おっと、読み筋通りだ。ボクはその裏の裏の裏をもう一度……」

 
 
 果てしなく背後の取り合いが続く。
 
 私のつたない解説など邪魔と思っている方も、この棋譜の終盤だけでも並べみてほしい。

 手の深い意味はわからなくとも、2人の持つ才気のほとばしりと、負けてたまるかという意地が、その手から伝わるはずだから。
  
 激しくも美しいドッグファイトだったが、先に弾が尽きたのは藤井の方だったよう。
 
 ▲43角成と王手して、△71玉

 後手玉に詰みはなく、先手陣は受けても一手一手で、これ以上に手数は伸びない。
 
 ▲53角と再度王手しながら、またも攻防に利かし、△81玉▲73桂成と、ここで下駄を預ける。

 

 


 
 
 「さあ、詰ましてみろ!」
 

 ということで、とうとう、この熱局もクライマックスだ。
 
 詰むや詰まざるや。佐々木は△99竜から仕上げに入る。
 
 ▲86玉△76金▲同馬△同と▲同玉
 

 

 

 

 ここで手拍子に△96竜と取ると、▲65玉から詰まず、入玉されて下手すると冷や汗どころか大逆転
 
 将棋の終盤戦はおそろしいというか、「詰ましてみろ」と居直ったと見せかけて、最後にこんなを仕掛けている藤井聡太のしたたかさには、恐れすら感じるところ。
 
 ふだんの言動は優等生の見本のような彼だが、盤上ではとんでもない性格の悪さなのだ。

 かつて、棋聖王位のタイトル経験もあるA級棋士森雞二九段は対局中に控室にやってきて、

 

 


 「間違えろ! 悪手を指せ! なんでもいいから、早く1分将棋になるんだ!」


 

 

 対戦相手が映るモニターに、さけびまくっていたというが(昭和の将棋やなあ)、なんのことはない。

 この一見おとなしい「天才少年」も、声に出さないだけで、指し手で同じことをしているのだ。

 ここは△75金が正確で、▲同角成△同歩▲85玉に、そこで△96竜が順番。

 

 


 

 

 ▲同玉△84桂▲86玉△76金▲85玉△96角▲84玉△93銀まで。
 
 
 
 
 

 これはこれで、結構むずかしい詰みにも見えるが、「佐々木勇気やぞ」だから、間違えないのだ。
 
 投了図を見ればわかるが、ほとんどすべての駒が大車輪の働きをして、この位置にいる。
 
 もう、私のつたない感想など、もういいでしょう。
 
 2人の若者に、拍手、ただ拍手すばらしい一局でした。
 
 
 


(佐々木勇気の加古川清流戦、優勝の将棋はこちら

(その他の将棋記事はこちらから)

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死はジュネーヴから来た名手 佐々木勇気vs藤井聡太 2016年 岡崎将棋まつり その2

2024年10月05日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 2016年岡崎将棋まつりで、佐々木勇気五段と、まだ奨励会員藤井聡太三段が熱戦を戦う。

 席上対局とはいえ、将棋界の将来を担う2人とあっては、お祭り気分ではいられないだろう。

 

 

 

 

 図は▲35銀と、藤井が詰めろをかけてきたところに、佐々木勇気が△96歩▲同銀△76角成と「詰めろ逃れの詰めろ」で切り返したところ。

 最終盤でこんな「必殺技」が決まれば、ふつうは後手の勝ちとしたものだが、もちろん藤井三段はそんなことで、あきらめるタマではない。

 この美技が、あくまで「つかみ」というあつかいなのだから、この将棋はシビれる。

 まずは▲34銀打と王手し、△22玉▲23金△76△32の地点を守っていて詰まないから、▲23歩成とする。
 
 △同金▲同銀成△同玉に、▲24歩▲41角であぶなすぎるから、取らずに△31玉と落ちる。
 
 ▲32と△同馬で、を引き上げさせたが、これで先手玉の一手スキ解除されているかは、正直よくわからない。
 
 そこで、▲43歩
 
 
 
 
 
 
 馬筋を止めて、自陣の脅威を緩和しつつの攻めだが、これが詰めろになっているかは、これまたきわどいところ。
 
 なってなければ、ここで後手一手スキをかければ勝ち
 
 難解だが、後手は仮にここで一手パスしても、▲42歩成には△同馬王手になる。

 

 

 これが、逆王手の切り返しみたいな形になるため、どうも詰まないようだ。
 
 ただ、先手玉にどう詰めろをかけるのかは、これまた激ムズ

 しかも詰将棋の名手相手に(藤井は将棋よりもに詰将棋で「天才少年あらわる」と紹介された)、ここで自陣を放置するのは、それもそれで怖すぎる

 そこで、佐々木はとりあえず、△27飛とおろす。

 

 


 
 この手自体は詰めろではなさそうだが、攻防に利かして、きびしそう。
 
 手番先手なので、チャンスが来たようだが、やはり急がされていることには変わりない。
 
 ここで詰めろ級の手がないと△95香くらいで負けそう。

 といっても▲42歩成は、相変わらず△同馬逆王手でシビれる。

 △27飛車守備力もあって、いよいよ手がないかと思いきや、ここで必殺手が飛んでくるのだから、才能のあるヤツというのは、たまったものではない。

 私はこの将棋を昔見て、2手だけおぼえていた。

 ひとつは佐々木の△76角成

 で、もうひとつが藤井のの手。
 
 こういう将棋にはコツがあるのだ。

 つまり、アレをしながら、盤上にあるコレとかソレとかを、全部ナニしてしまえばいいのである。

 

 

 


 
 
 
 
 ▲22金が、今度は先手から絶妙手のお返し。
 
 △同馬なら、王手がなくなるから、▲42歩成から先手勝ち

 


 

 ▲22金△同飛成なら先手陣が安全になるうえに、そこで▲23歩とタタく手がある。

 

 

 △同馬には▲42歩成
 
 △同竜▲同銀成△同馬▲42歩成で、やはり勝ち。
 
 なので△22同玉しかないが、やはり▲23歩の張り手で、後手玉はにわかに危ない
 
 
 
 
 
 
 このは、でもでも取れない。
 
 △31玉しかないが▲22金から、強引にバラしていく。

 △同馬▲同歩成△41玉▲32角の攻防手。
 
 
 
 
  

 完全に攻守所を変えた感じだ。
 
 そう、こういう終盤戦でねらいたいのは、王手をして手番をキープしたまま、相手の要駒(この場合は後手の)を取ってしまい、攻めながら自陣を安全にしていくこと。

 が消えたうえに、今度は先手がの後ろ足で自陣を守っており、さっきとはだいぶ景色が変わった感じだ。

 ただ、佐々木としても、かろうじて後手玉に詰みがないのは助かった。
 
 △52玉▲42歩成に、△61玉で、まだ激戦続行

 

 

 

 

 さて、局面はどうなっているのか。
  
 先手玉はの利きや、後手にナナメ駒がないなどもあって、△86金▲同歩△78となどの筋で追っても詰みはない
 
 なら、ここで後手玉に詰めろがかかれば勝ちだが、下手なせまり方では、△85桂▲同銀△同飛で、飛車8筋に利かす手が、また「詰めろ逃れの詰めろ」になるかもしれない。
 
 そこで藤井は▲85桂と、「敵の打ちたいところに打て」で置いておく。

 

 


 

 

 △85桂を消しながら、▲43角成からの詰めろ
 
 △53金とか、ただ詰めろを受けるだけの手は、▲73銀から一手一手。
 
 今度こそ、今度こそ決まったようだが、佐々木勇気はあきらめない。
 
 たとえ席上対局とはいえ、「未来名人」候補としてキラキラしている後輩に、「どうぞお通り」などゆるせるはずもないのだ。

 

 (続く
 

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「詰めろ逃れの詰めろ」を逃れろ! 佐々木勇気vs藤井聡太 2016年 岡崎将棋まつり

2024年10月04日 | 将棋・名局

 佐々木勇気八段が、竜王戦挑戦者になった。
 
 ということで、今回はタイトル保持者として待ち受ける藤井聡太竜王(名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖)との将棋を紹介してみたい。
 
 この2人はNHK杯決勝や、アベマトーナメントなど目立つところで何度も戦っているが、中でももっとも熱い戦いは実はにある。
 
 それが、まだ藤井七冠が奨励会員時代非公式戦
 
 たぶん『将棋世界』で立ち読みかなんかして、佐々木の放った角成の好手と、と藤井タダ捨てする妙手が、印象に残っていたのだ。
 
 それを取り上げたいんだけど、解説してくれてる資料が見つからず、検討するのもめんどいなー。
 
 と放置していたのだが、佐々木勇気がついに爆発したとなれば、これはもう、一丁腕まくりするしかないのである。
 
 ということで、今回はもうすぐ開幕の竜王戦のオードブルに、こんなのをどうぞ。
 
 


 

 2016年岡崎将棋まつりの席上対局。
 
 佐々木勇気五段と、藤井聡太三段の一戦。
 
 藤井が先手で、オーソドックスな相矢倉から、激しい攻め合いになり、難解な終盤戦に突入する。


 
 

 

 
 現在、後手玉は▲34銀打詰めろになっている。
 
 佐々木からすれば、ここで先手玉を詰ますか、王手をかけながら、うまく詰めろをほどくなど、ワザを見せなければならない。
 
 ここから2人の若獅子が、手練れのパイロット同士が見せる空中戦ような、激烈な攻防戦をくり広げる。

 とりあえず、佐々木は△77とを取って王手するが、それにどう対処するべきか……。

 


 
 
 
 


 
 △77と▲97玉と逃げるのが、きわどい手。
 
 ▲同金△38飛王手▲35が抜ける。

 ▲同玉△37飛王手銀取りで、後手のねらいにハマりそうだが、これには▲47桂(!)の中合いがありそう。
 


 
 

 

 △同飛成▲88玉で、王手銀取りを解除するという仕組み。

 これで先手いけそうかな。オレって手が見えるなーと悦に入ってたら、そこから△77金▲同金△38竜と再度、王手銀取りをかける手とかもあって、むずかしそうか。

 まあ、これは私の妄想手順で、成立してるかは知らんけど、こういう派手な手がいろいろと埋まってそうな局面でもある。

 ただここは秒読みで、リスクが大きいと見たか逃げることを選択。

 このに逃げる形も、をボロッと取られながらの敗走でつらそうに見えるが、なにげに終盤の手筋でもある。

 △88銀△79角の効かない端玉は意外と捕まえづらいときがあり、若いころの中村修九段が得意としていたもの。
 
 どう見ても寄っている場面で、ヒョイとかわした手でまったく詰まないとか、手品のようなしのぎを得意としていた。

 今では「銀冠小部屋」など教科書にも載ってるが、その元祖は「受ける青春」だったのだ。
 
 さあ、今度は佐々木が選択する番。
 
 後手玉は相変わらず一手スキだが、先手玉に詰みはなく、▲35を抜く筋も回避されてしまった。
 
 並の手では、ここで後手の負けが決まるが、でも佐々木勇気が「並み」だなんて、だれが言った?

 

 

 

 

 △96歩と、まずは一回おうかがいを立てる。

 先手玉にせまるなら、まずはここからということで、これはとりあえずに追われれば、我々でも指すだろう。

 しかしだ、佐々木勇気ほどの男が、ここで「とりあえず王手」みたいなことはやらない。

 このには、おそろしいねらいが秘められており、▲同玉と取ると、すかさず△95香と走ってくる。

 ▲同玉、△85飛▲同玉△76角成▲84玉△82飛▲83合駒
 
 そこで、△75馬▲73玉△64馬ピッタリ詰むのだ。

 


 

 一瞬で、それを察知した藤井は▲96同銀と取る。

 浮き駒だったヒモをつけながら、玉もヘルメットをかぶって、一見効果がわかりにくいが、そこで△76角成が佐々木のねらっていた絶妙の攻防手。

 

 

 


 この△76角成は放っておくと、△85桂▲同銀△86金▲同歩△87飛以下の詰めろ
 
 また▲34銀打△22玉▲23金△31玉▲32金△同馬と取れるようにした攻防兼備。

 

 

 いわゆる「詰めろ逃れの詰めろ」なのだ。
 
 決まったかに見えたが、そこは相手が天下の藤井聡太ということ。

 並ではないという意味では、こっちも負けていないのだった。

 
 
 (続く
 
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歴史は夜作られる 二上達也vs大山康晴 1960年 第10期九段戦 その2

2024年07月05日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 大山康晴九段(竜王)に、二上達也八段が挑戦した1960年の、第10期九段戦(今の竜王戦)。

 3勝3敗のフルセットに持ちこまれた最終局は、大山得意の振り飛車から、急戦を封じこめ優位を築くも、二上も鋭い反撃を決め逆転模様。

 控室の検討でも「二上優勢」との声が多数を占め、二上が王者の牙城をくずすのか、と盛り上がりを見せる。

 

 

 

 ▲63金の打ちこみが、俗筋ながら、きびしい攻め。

 次に▲53とや、を取って▲35角や、いいタイミングで▲36飛と走るねらいなどあって、後手が喰いつかれている。

 下から突き上げる若手が、初タイトルに大きく近づいたかと思われたが、ここから大山も本気を出してくる。

 

 

 

 

 △47銀と打ったのが、これまた大山流の一手。

 押され気味のところと言えば、なんとか主導権を奪い返そうと勝負手を放つなどしそうなところ。

 どっこい大山は、静かに先手の飛車を封じこめて、またも手を渡しておく。

 ピンチでも、こうしてブレないところが大山の強さで、こうしてジッとのチャンスを待つのだ。

 この辛抱に、とうとう二上が誤った

 ▲88玉△35角▲73金△同玉▲57桂がチャンスを逃した手。

 ▲57桂では▲77桂とこっちを活用し、△64金▲65歩△63金▲75角として、持駒に残したまま戦えば、ハッキリ優勢だったのだ。

 

 

 

 

 一瞬のゆるみを見逃さず、またも大山が、そのねばり腰で差を詰める。

 少し進んでこの場面。

 

 

 

 

 先手が▲44歩と、飛車の利きを遮断したところ。

 ここからの2手が、本局の白眉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 △74金打が「受けの大山」本領発揮の手厚い手。

 今なら、永瀬拓矢九段のような「負けない将棋」だが、たしかにこれで後手玉が相当に固くなり、かなり負けにくい形だ。

 二上は▲66角と逃げるが、次の手がまたすごい。

 

 

 

 

 


 △73金引

 この金銀のマグネットパワーで、後手玉は鉄壁に。

 大山将棋の大きな特長に、

 

 「金や銀がよく動き、自然に玉周りに近づいて行く」

 

 というものがあって、私も初めて棋譜を並べたとき、素人ながら、この手には感じるものがあった。

 得意な展開に、気をよくしたのか大山も、

 


 「ここではこちらがよくなったように思いました」


 

 この手は二上にも、大きな衝撃をもたらしたようで、

 


 その後、王将、棋聖と一度ずつ勝てたものの、部分的に過ぎない。

 今にして思えば十五世と私の勝負付けがすんだのは、たった一手の△7三金引にあった気がする。


 

 ただ、これで勝負が決まったというほどの差でもなかったのは、ここから二上もさらにを見せたから。

 この後も両者力の入ったねじり合いで、どっちが勝ちかわからない局面が続く。

 しかも、当時の九段戦は1日制で持ち時間8時間(!)というムチャな設定。

 対局は、深夜3時になっても指し続けられていたというのだから(すげえな……)、もはや好手悪手なんて言ってられないジャングル戦に突入だ。

 いつ果てるともなく戦いは続いたが、最後の最後で先手に致命的なミスが出て、激戦は大山が制した。

 こうして二上達也は敗れた

 将棋の内容を見れば勝機も多く、決して大名人におとるところはないように感じられるが、

 


 「人生が変わった」


 

 とまで述懐するのは、それゆえにショックだったか。

 それとも棋譜だけでは伝わらない、大山のオーラのようなものを感じたのかもしれない。

 その後、二上は名人になれなかったどころか、大山相手に通算で45勝116敗

 タイトル戦ではなんと、シリーズ2勝18敗と、信じられないようなカモとして、あしらわれてしまう。

 それが、結果論的感想とはいえ、このたった一手に原因があろうとは……。
 
 これだけ聞くと、ずいぶんと二上のあきらめがよいようだが、二上の盟友である内藤國雄九段によると、
 
 

 二上さんがしみじみと語ってくれたことがある。
 
 「大山さんの次は自分の時代が必ずくる。加藤一二三さえ注意しとけばいいと思っていたからね……」

 
 
 文脈的に、これが「勝負付け」があったかはわかりにくいが、どっちにしても、二上は「必ず」大名人を乗り越えられると、自信を持っていたのだ。
 
 むしろコワイのは、加藤の方だと。
 
 だが現実は、2人とも、いやもっと言えばこの言葉を『将棋世界』のエッセイで紹介した内藤も、大山にはヒドイ目にあわされた。
 
 そして、その大元をあとあと掘っていくと、なんと最初のタイトル戦に行き着いたというのだ。

 もし二上がこの将棋を制して(内容的にその可能性は充分ありえた)、「人生が変わ」らなかったら、どうなっていただろう。

 歴史は順当に「二上名人」を生み、その後すんなりと「加藤名人」が誕生していたのだろうか。

 だとすれば、この一局は単にタイトルの行方だけでなく、その後の多くの棋士たちの「人生が変わ」った分岐点だったのかもしれない。

 


(大山が二上に披露した盤外戦術はこちら

(「受けの大山」は攻めも一級品

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

 

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