歴史は夜作られる 二上達也vs大山康晴 1960年 第10期九段戦 その2

2024年07月05日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 大山康晴九段(竜王)に、二上達也八段が挑戦した1960年の、第10期九段戦(今の竜王戦)。

 3勝3敗のフルセットに持ちこまれた最終局は、大山得意の振り飛車から、急戦を封じこめ優位を築くも、二上も鋭い反撃を決め逆転模様。

 控室の検討でも「二上優勢」との声が多数を占め、二上が王者の牙城をくずすのか、と盛り上がりを見せる。

 

 

 

 ▲63金の打ちこみが、俗筋ながら、きびしい攻め。

 次に▲53とや、を取って▲35角や、いいタイミングで▲36飛と走るねらいなどあって、後手が喰いつかれている。

 下から突き上げる若手が、初タイトルに大きく近づいたかと思われたが、ここから大山も本気を出してくる。

 

 

 

 

 △47銀と打ったのが、これまた大山流の一手。

 押され気味のところと言えば、なんとか主導権を奪い返そうと勝負手を放つなどしそうなところ。

 どっこい大山は、静かに先手の飛車を封じこめて、またも手を渡しておく。

 ピンチでも、こうしてブレないところが大山の強さで、こうしてジッとのチャンスを待つのだ。

 この辛抱に、とうとう二上が誤った

 ▲88玉△35角▲73金△同玉▲57桂がチャンスを逃した手。

 ▲57桂では▲77桂と活用し、△64金▲65歩△63金▲75角でハッキリ優勢だったのだ。

 

 

 

 

 一瞬のゆるみを見逃さず、またも大山が、そのねばり腰で差を詰める。

 少し進んでこの場面。

 

 

 

 

 先手が▲44歩と、飛車の利きを遮断したところ。

 ここからの2手が、本局の白眉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 △74金打が「受けの大山」本領発揮の手厚い手。

 今なら、永瀬拓矢九段のような「負けない将棋」だが、たしかにこれで後手玉が相当に固くなり、かなり負けにくい形だ。

 二上は▲66角と逃げるが、次の手がまたすごい。

 

 

 

 

 


 △73金引

 この金銀のマグネットパワーで、後手玉は鉄壁に。

 大山将棋の大きな特長に、

 

 「金や銀がよく動き、自然に玉周りに近づいて行く」

 

 というものがあって、私も初めて棋譜を並べたとき、素人ながら、この手には感じるものがあった。

 得意な展開に気をよくしたのか大山も、

 


 「ここではこちらがよくなったように思いました」


 

 この手は二上にも、大きな衝撃をもたらしたようで、

 


 その後、王将、棋聖と一度ずつ勝てたものの、部分的に過ぎない。今にして思えば十五世と私の勝負付けがすんだのは、たった一手の△7三金引にあった気がする。


 

 ただ、これで勝負が決まったというほどの差でもなかったのは、ここから二上もさらにを見せたから。

 この後も両者力の入ったねじり合いで、どっちが勝ちかわからない局面が続く。

 しかも、当時の九段戦は1日制で持ち時間8時間(!)というムチャな設定。

 対局は、深夜3時になっても指し続けられていたというのだから(すげえな……)、もはや好手悪手なんて言ってられないジャングル戦に突入だ。

 いつ果てるともない戦いに幕が下りたのは、この局面だったそうだ。

 

 

 

 △74玉空き王手に、▲86桂敗着だった。

 うまい切り返しに見えたが、△同角▲同玉△94桂から下段に押し戻されては勝負あった。

 ここでは▲87玉と危なくよろけるのが正解で、後手からハッキリした寄せが見つからず、まだまだ激戦は続いていたのだ。

 こうして二上達也は敗れた

 将棋の内容を見れば勝機も多く、決して大名人におとるところはないように感じられるが、

 


 「人生が変わった」


 

 とまで述懐するのは、それゆえにショックだったか。

 それとも棋譜だけでは伝わらない、大山のオーラのようなものを感じたのかもしれない。

 その後、二上は名人になれなかったどころか、大山相手に通算で45勝116敗

 タイトル戦ではなんと、シリーズ2勝18敗と、信じられないようなカモとして、あしらわれてしまう。

 それが、結果論的感想とはいえ、このたった一手に原因があろうとは……。
 
 これだけ聞くと、ずいぶんと二上のあきらめがよいようだが、二上の盟友である内藤國雄九段によると、
 
 

 二上さんがしみじみと語ってくれたことがある。
 
 「大山さんの次は自分の時代が必ずくる。加藤一二三さえ注意しとけばいいと思っていたからね……」

 
 
 文脈的に、これが「勝負付け」があったかはわかりにくいが、どっちにしても、二上は「必ず」大名人を乗り越えられると、自信を持っていたのだ。
 
 むしろコワイのは、加藤の方だと。
 
 だが現実は、2人とも、いやもっと言えばこの言葉を『将棋世界』のエッセイで紹介した内藤も、大山にはヒドイ目にあわされた。
 
 そして、その大元をあとあと掘っていくと、なんと最初のタイトル戦に行き着いたというのだ。

 もし二上がこの将棋を制して(内容的にその可能性は充分ありえた)、「人生が変わ」らなかったら、どうなっていただろう。

 歴史は順当に「二上名人」を生み、その後すんなりと「加藤名人」が誕生していたのだろうか。

 だとすれば、この一局は単にタイトルの行方だけでなく、その後の多くの棋士たちの「人生が変わ」った分岐点だったのかもしれない。

 


(大山が二上に披露した盤外戦術はこちら

(「受けの大山」は攻めも一級品

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

 

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「人生が変わった」大一番 二上達也vs大山康晴 1960年 第10期九段戦

2024年07月04日 | 将棋・名局

 「大げさに言えば、自分の人生が変わった」


 

 ある将棋を振り返って、こんな言葉を残したのは二上達也九段だった。

 将棋の世界には、

 

 「ここで、この人が順当に勝っていたら歴史は……」

 

 という瞬間があり、「高野山の決戦」で起こった、サッカクイケナイヨクミルヨロシ無しの大トン死に、大内延介▲71角

 谷川浩司羽生善治の運命が分かれた、第5期竜王戦第4局

 永世七冠」をかけ、「100年に1度の大勝負」と呼ばれた第21期竜王戦最終局

 などなど、コアなファンなら「あー」と頭をかかえるシーンも思い出されることであろう。

 最近では、ついに八冠王の牙城が崩れた叡王戦

 最終局の結果は正直、藤井にとっては勝っても負けても、長いキャリアの中ではそれほどの影響はないかもしれない。

 一方、初タイトルとなった伊藤にとっては、人生を左右する一番となったのは間違いないところだ。

 往年の名棋士であった、二上にもまたそういう将棋があったというわけで、今回はその一局を。

 

 


 舞台は1960年

 昭和でいえば35年に戦われた、第10期九段戦(今の竜王戦)第7局

 このとき大山康晴九段(というとノンタイトルのように聞こえるけど「竜王」です)に挑んだのが、若手時代の二上達也八段

 大山が36歳で、二上が28歳

 これがのちに多く戦われる2人の、タイトル戦における初対決となっているのだ。

 大山はと言えば、このころすでに九段にくわえて、名人王将もあわせ持つ三冠王(当時の全冠制覇)の絶対王者だったが、それを追う立場にいたのが二上だった。

 デビューからの二上の評価はと言えば、

 


 「大山を倒して名人になるのは二上だろう」


 

 と予想されていたほどの期待だった。

 このフレーズは後ろに、


 


 「だが意外に時代は短く、加藤一二三が次の名人になる」


 

 と続くのだが、これは加藤一二三が超別格の存在だったからであって、決して二上が、みくびられていたというわけではない。

 実際、無敵の名人だった大山から「奪取する」と思われていた二上の実力こそ、ここでは見るべきだが、その予測がすべて崩れ去ったのが、この九段戦の結果だったというのだ。

 3勝3敗でむかえた最終局。大山の振り飛車に、二上は棒銀で対抗。

 鈴木宏彦さんと藤井猛九段の共著『現代に生きる大山振り飛車』という本によると、大山は二上の持つスピード感に苦戦していたそうだが、ここでは先手の棒銀をあれこれといなし、序盤からペースを握っていく。

 

 

 

 

 飛車が働いておらず、敵陣のと、と金も少しばかり重く見え、居飛車の攻めはやや空振り気味。

 後手からは拠点や、と金タネになりそうなの存在も不気味。

 振り飛車がさばけているように見えるが、ここからの大山の指しまわしが、独特ともいえるものだった。

 

 

 

 

 ここで△35桂と打ったのが、おもしろい手。

 正直、もっさりしていて、あんまり良い手には見えないのだが、「大山将棋」というものについて語るのに、注目したい一着なのだ。

 ここでは△56歩として、次の△55桂をねらうのが有力で、たしかにそれが「本筋」という気もするが、解説の藤井猛九段いわく、

 


 「手の善悪は別にして、△35桂は大山好みの桂打ちでもあります。大山先生の桂使いは意外に重い感じで使う手が多い」



 重く使う、という発想が不思議な感じ。

 桂馬という駒は、その瞬発力で相手の虚を突くのが、もっとも使い出があるはずだが、それをあえてベタッと貼りつけるのが、まさに個性である。

 そういえば、「打倒大山」を果たして名人位を奪うことになった中原誠十六世名人は、「桂使いの中原」と呼ばれたが、

 


 「大山先生の金銀のスクラムは、ふつうに攻めても破れないから、そこを突破するために桂のトリッキーな動きを磨いたんだ」



 同じ大名人だが、駒ひとつ取っても、まったく反対の思想で働かせているというのが興味深い。

 ただ、藤井九段も「善悪は別にして」という通り、この桂自体は緩手だったようで、▲65歩から▲97角と鋭く活用し、先手も反撃を開始。

 

 

 

 

 先程とくらべて飛車角が軽く、また▲64拠点から駒が入れば好機に打ちこみもあり、ここではかなり先手が巻き返している。

 このあたり、「北海美剣士」と呼ばれた二上による、見事な太刀返しだが、それを受けての大山の手がまたすごい。

 

 

 

 

 △26歩と、じっとのばすのが、またも「大山流」の一手で、これも藤井九段いわく、

 


 「この忙しい局面でじっと飛車先の歩を伸ばすのはすごい。自分には絶対に指せない」 



 大山自身の解説では、

 


 「ここでは△26歩か、△94歩で、敵の攻めを急がせるよりない」


 

 難解な局面でを渡し、悪手疑問手を誘うのは、心理戦に長けた大山にとって得意中の得意という勝負術。

 ここでおもしろいのは、大山将棋の後継者ともいえる藤井猛九段は、こういう指しまわしを見せないこと。

 「自分には絶対に指せない」という通り、藤井は

 

 「ガジガジ流」

 「ハンマー猛」

 

 と呼ばれる、パンチの効いた直接手が特徴で、むしろ大山が重視せず、あいまいにしていた序盤作戦などを整理し、吸収していた。

 こういう△26歩のような手を得意としたのは、藤井のライバルである羽生善治九段

 その意味では、大山将棋の技術的な後継者は藤井だが、精神的なそれは羽生になるのかもしれない。

 ちなみに、藤井聡太七冠伊藤匠叡王をはじめ、現代の棋士はおそらく、すでに「言語化」された、これらの勝負術をすでに身につけていると思われ、発見技術はこうして受け継がれていくのだろう。

 

 (続く

 

 

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野月浩貴の「中座飛車」「横歩取り△85飛車戦法」発見伝

2024年05月16日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 平成の将棋界で猛威を振るった

 

 「中座飛車」

 「横歩取り△85飛車戦法」

 

 この第1号局を見事勝利で飾った中座真四段

 

 

 なら、この将棋がきっかけで、この戦法が広まったのかと言えば、これがそういうわけではない。

 のちの取材でわかったことだが、中座はこの将棋や研究を通じて、この85飛型に自信が持てなくなり、もう指さないつもりだったというのだ。

 もしここで話が終わっていれば、この戦法はこれにて終了

 将棋史に名を残すことはなく、おそらく平成の将棋界は、また今と少しばかり違ったものになっていたことだろう。

 もちろん、それでも「丸山名人」や「渡辺竜王」は生まれていたかもしれないが(両者とも△85飛車戦法の使い手だった)、少なくとも将棋界全体の後手番勝率は、今よりも確実に落ちていたはず。

 2008年にプロ将棋史上唯一

 

 「後手番が先手番に勝ち越し

 

 という大事件があったが、中座流の存在抜きに、この出来事を語ることはできないのだから。

 さらにおもしろいのは、中座がこの△85飛車型を指してみた意図は、なんと「守備で使う」ためだったこと。

 もともとは横歩取りから△84飛と引いて、△41玉△51金△62銀と組む形を中座は愛用していた。

 

 

 

 

  中原誠十六世名人が愛用した、いわゆる「中原囲い」だが、この形はの頭を▲36歩から▲35歩と、ねらわれやすい。

 こうなると、▲34飛横歩を取らせたがモロに響くということで、△84飛と引いたものを、もう一回△85飛と浮いて▲35歩牽制するようになるのだが、

 

 「じゃあ、もう最初から△85飛と引いとけばいんじゃね?」

 

 これが「中座飛車」のスタートであったという。

 

 後手番で攻められる、主導権を取れる」

 

 という戦法のスタートが「ディフェンスのアイデア」だったというのだから、もう、わけがわからない。

 つまり中座は「△85飛は守備的位置」と考え、そこにあるが完全には埋まらないとこの戦法を断念したわけだが、ここにまた別のアイデアをもった棋士が登場する。

 それが野月浩貴八段

 この将棋ので対局していた野月は、中座のアイデアを見て声をかけた。

 


 「おもしろい戦法ですね」


 

 このとき、すでにピンときていたのだろう。

 これが「守備の手」であることは感想戦などで聞いたのだろうが、それを知るよしもなく横目でながめていたときに、おそらく、

 

 「こっから攻めたら、イケんじゃね?」

 

 そのアイデアが、浮かんでいたのだ。

 そういえば、野月の棋風は自他ともに認める「攻め将棋」。

 創始者本人が気づいていなかった「鉱脈」を察知した野月は、これをオフェンシブな形に訳し直して大ブレイクさせることに。

 

 

 

 

 横利きを最大限に生かして△25歩と先手の飛車を押さえ、▲28飛と重くさせてから、△73桂と活用。

 ▲15歩△75歩と仕掛けて、飛車角桂一方的に攻めまくる。

 

 

 

 このときに、△85の位置が攻撃に絶好であると。

 逆に先手は攻める形がなく、このことを見抜いた野月のセンスには、すばらしいものがある。

 これが見事に当たって、野月は「先駆者特権」ともいえる形で早指し新鋭戦に優勝。

 さらにはA級順位戦降級がかかった一番に、井上慶太八段が採用したことによって「本物だ」との評価が一気に高まった。

 ここが運命の妙で、「中座飛車」の創始者は中座真四段だったが、彼は本当の意味でのこの戦法のすごさには気づいていなかった。

 そこを拾い上げたのは野月浩貴四段だが、彼一人だと、おそらく△85飛とするアイデアは思いつかなかった。

 両者のひらめきが、たまたま交錯したことが、この戦法の、そして将棋界の歴史そのものを左右した。

 そういえば、あの「藤井システム」も、

 


 「もし第1号局に負けてたら、もう藤井システムは使ってないですよ。え? もったいない? ふつうはそうでしょ。負けたら、もう使わないですよ」


 

 藤井猛九段本人が、そうおっしゃっていた。

 どんなすばらしい戦法でも、それを計られるのは「結果」という物差しのみ。

 そして、将棋の世界の結果など「99」の形勢が、一手で吹っ飛ぶ可能性もある危うすぎるのもにすぎない。

 中座真は他者との「化学反応」。藤井猛はたった1局の「結果」

 「革命」が起こるのは、そしてそれが伝播するのは、ほとんどが本人たちも意図しない「偶然」に頼られる。

 「藤井システム」も「△85飛車戦法」も存在しない平成の将棋界なんて想像もできないが、それは「結構確率」であり得た話なのだ。

 

 (中座真三段が四段になった三段リーグ編に続く)

 


 (井上慶太がA級残留を決めた中座流の名局はこちら

 (丸山忠久名人の横歩取りによる劇的な防衛劇はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)

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「横歩取り△85飛車戦法」が生まれた日 中座真vs松本佳介 1997年 第56期C級2組順位戦

2024年05月15日 | 将棋・名局

 中座飛車はもしかしたら、将棋界に存在しなかったのかもしれない」

 

 「中座真八段引退」のニュースを聞いて、その危うい事実を、あらためて思い出すこととなった。

 将棋界にはそのときどきで、「歴史を変えた」といえるような新手新戦法が存在する。

 昭和の新手メーカーといえば升田幸三九段で、

 

 「角換わり升田定跡」

 「升田式石田流」

 

 など現代に脈々とつながる新機軸の数々は、枚挙にいとまがない。

 平成だとやはり、はずせないのが「藤井システム」。

 この衝撃功績は、リアルタイムで体感した者にとって語っても語りつくせないほどだ。

 

 

 

 

 そしてもうひとつ、平成の将棋界をゆるがし、おそらくは多くの棋士たちの運命を変えたであろう新戦法が、もうひとつある。

 それこそが「中座飛車」あるいは「中座流△85飛車戦法」と呼ばれるもの。

 特に「丸山忠久名人」と「渡辺明竜王」誕生は、この戦法を抜きにしては語れないほどなのだ。

 

 

 

 

 この高飛車にかまえる形から、バリバリ暴れていくのがこの戦法の売り。

 後手番でも主導権が取れるということで、大流行を超えた居飛車党のマスト戦法になったほど。

 ただおもしろいことに、創始者である中座真八段は、この「中座飛車」の基本形のような形をあまり指していない印象がある。

 それには第1号局からの流れがあるので、まずはそこを見ていただきたい。

 


 1997年C級2組順位戦

 中座真四段と松本佳介四段の一戦。

 初手から、▲76歩、△34歩、▲26歩、△84歩、▲25歩、△85歩、▲78金、△32金、▲24歩、△同歩、▲同飛。

 △86歩、▲同歩、△同飛、▲34飛△33角、▲36飛、△22銀、▲87歩

 

 

 

 

 なんてことない、本当になんてことない横歩取りの序盤である。

 ほとんど何も考えるところもなく、ここでふつうに△84飛と引けば、これまで通りの日常が続くはずだった。

 だが、次の手で歴史が大きく変わるのだ。

 

 

 

 

 

 △85飛と、ここに引くのが「大爆発」の起こった瞬間だった。

 これまでの常識だと、こういう高い位置の飛車は不安定で、やってはいけない手と教科書に載っていたもの。

 実際、この手を見た棋士たちも一様に、

 


 「指がすべって、△84に引くはずの飛車を間違えたのかと思った」


 

 もちろん半分冗談だが、実のところもう半分はわりと本気で、そう感じたほどなのだ。

 それくらいに違和感のある飛車の位置。

 文字通りの「高飛車」な態度(「高飛車」の語源は本当にこれです)を取られたら、これをとがめたくなるというのは人情。

 この△85飛に、松本は大長考に沈み、▲38金△41玉の交換を入れてから、▲22角成△同銀▲96角と一気の踏みこみを見せる。

 

 

 

 

 挑発(実際はそんなことないのだが)に乗ったとばかりの怒りの角打ちで、そこから△65飛▲66歩△64飛▲65歩△同飛▲77桂

 △64飛▲65歩△24飛▲63角成

 

 

 

 手を尽くしてを作るも、後手も△52金と当てて、そこから▲25歩△同飛▲26歩、と一回、飛車の成り込みを防ぐ。

 後手はかまわず△63金を取り、▲25歩飛車を取り返し、△72角と攻防の自陣角を放って大乱戦に。

 

 

 

 

 おもしろい将棋になったが、結果は後手が勝ち、新構想は見事に成功

 その後この▲96角と打つ形も、数局の例外をのぞいて、まったく指されていない
 
 つまり、ここで△85飛と引くのは一見不安定なようで、実は成立することが証明された。

 となれば、この棋譜の影響でこの「中座流」が一気に棋界を席巻したのかと問うならば、それがそうでもなかったのが、おもしろいところだ。

 

 (続く

 

 

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「さばきのアーティスト」は「ねばりもアーティスト」 久保利明vs森内俊之 2011年 第69期A級順位戦

2024年03月12日 | 将棋・名局

 久保利明のねばり強さは、一種異常である。
 
 久保と言えば、軽快な振り飛車から「さばきのアーティスト」と呼ばれるが、もうひとつの大きな武器に終盤でも折れない心にある。
 
 必敗の局面でも、土下座のような手で耐え、そのうちにひっくり返してしまうという腕力はまさに


 
 「ねばりもアーティスト」


 
 今回はそういう将棋を見ていただきたい。
 
 


 2011年、第69期A級順位戦の最終局。
 
 久保利明棋王王将森内俊之九段の一戦。
 
 この期の森内は好調で、ここまで2敗をキープ。
 
 この最終戦を勝てば、同じ2敗で並ぶ渡辺明竜王プレーオフ以上が決まる。
 
 一方の久保は4勝4敗という五分の星だが、ここで敗れたうえに、上位3敗丸山忠久九段藤井猛九段の両者ともに勝たれてしまうと落ちてしまう。
 
 どちらも負けられない大一番は久保のゴキゲン中飛車で幕を開け、迎えたこの局面。
 
 
 
 
 
 双方、大駒をさばき合っての中盤戦だが、を作った居飛車がやや指せるように見える。
 
 後手が、どう巻き返していくか注目だったが、ここで久保が渋い手を見せる。
 
 
 
 
 
 
 △61歩と先受けするのが、振り飛車の極意。
 
 後手陣はがはなれているところが、やや薄いが、この底歩で相当に固くなった印象だ。
 
 森内も合わせるように▲68金と締まっておくが、そこで△92玉と寄るのが、また雰囲気の出た手。
 
 
 
 
 
 
 
 この「米長玉」で戦場から一路はなれたことにより、終盤戦で金銀1枚半くらい違う印象だ。
 
 ならばと森内は「端玉には端歩」で▲96歩と突きあげるのが、また腰の据わった手。
 
 
 
 
 
 いかにも順位戦らしい間合いのはかり方で、思わず
 
 「うーん、玄人の手やなあ」 
 
 うなりたくなるが、さすがに次▲95歩とされると圧がすごいので、久保は△85金と局面を動かしに行き、ここからは終盤戦へと一気になだれこんだ。
 
 
 
 
 
 
 むかえた最終盤、森内が▲71角と打ったところ。
 
 次に▲82金までの簡単な詰めろだが、▲76にあるの利きが絶大で、後手に受ける手がない。
 
 △82金▲同角成
 
 △72金▲82金から詰み。
 
 テレビの前で私も、こりゃ投了しかないかとさじを投げ、控室の検討でも「森内勝ち」で一致。
 
 このころ、渡辺はすでに敗れており、森内の挑戦権獲得は決定的で、スタッフやカメラマンもインタビューの準備をして待機していたそうだが……。
 
 
 
 
 
 
 △68飛▲78桂△87金が、「そうはさせじ」のすごい手。
 
 といっても、これだけ見ても意味は分からない。
 
 △68飛はまあ、形づくりというか、秒に追われての「思い出王手」みたいなものだろうけど、この△87金って何?
 
 なんだか、将棋ソフトのやる「水平効果」のムダな王手みたいだけど、これを人間がやるということは、なにか意味があるということか。
 
 くらいは私でも予想はつくけど、とはいえその後の手順などまったく見えない。
 
 どないすんねんと森内は▲87同玉だが、△67飛成と王手して、▲77金△76竜(!)とを取る。
 
 ▲同金△72金と埋めて、なんとこれで後手玉にかかっていたはずの必至がほどけているではないか!
 
 
 
 
 
 これにはテレビの前で私も「すげー!」とひっくり返ったが、森内もおどろいたことだろう。
 
 解説の棋士が、
 
 


 「角を打って、森内さんは投げてくれると思ったでしょうけど、そこにこんなことされたらパニックですよ!」



 
 
 頭をかかえていたが、さもあろう。
 
 森内と言えば決して浮ついたところのないタイプだが、それでもヒーローインタビューの文言を考えているところに、こんなねばりを食らったら、私だった「マジか」と声も出ますよ。
 
 しかし、土壇場でこういう手を食らっても、落ち着いていられるということにかけて、森内俊之という男の右に出る者はいない。
 
 ▲61飛と打って、△82香のさらなる抵抗に、じっと▲65金右としたのが冷静な手。

 

 
 取られそうなを活用しながら、中央を厚くするという大人の対応。
 
 この状況で、ようこんな手させるなとあきれるが、こういうところがトップクラスの凄味だ。
 
 こうして手を渡されてみると、大きな駒損をかかえている久保が劣勢なのは明確だった。
 
 △67銀不成と活用し、▲77金△68銀不成と懸命にしがみつくが、▲64歩と打たれて、いよいよ受けがない。
 
 だが、執念の久保は△77銀成と一回取り、▲同桂に、△71金▲同飛成△72飛(!)。 
 
 
 
 
 
 ▲同竜△同銀▲76飛の攻防手に△73飛(!)。

 


 
 連続の自陣飛車で頑強に抵抗する。
 
 しかも、この△73飛は遠く▲13もねらっているという手で油断ならない。
 
 さすがの森内もウンザリしたかもしれないが、ここで馬取りを放置して▲74銀と打つのが決め手。
 
 △13飛と辺境のを取らせてから、▲71金と打って今度こそ決まった。
 
 いかがであろうか、この久保のねばり。
 
 敗れたとはいえ、その「アーティスト」ぶりを十二分に発揮し、見ているこちらは大興奮であった。
 
 この結果、森内は羽生善治名人への挑戦権を獲得。
 
 久保は藤井が敗れたことにより、からくも降級を逃れたのであった。
 
 


(他の久保による強靭なねばりこちら

(久保と言えば、やっぱり「さばき」でこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)
 

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スターリンのオルガン 岡崎洋vs大野八一雄 1997年 第55期C級2組順位戦

2024年01月30日 | 将棋・名局

 将棋界で、もっともやりきれない「やらかし」は順位戦でのそれであろう。

 人間がやる以上どうしてもミスは出るもので、それ自体はしょうがないけど、時と場所によっては、取り返しのつかない陰惨さを醸し出すこともある。

 それが順位戦の世界。

 このあたりのアヤを語るときよく出るのは、タイトル戦に敗れたものには、

 

 「残念だったね、また来年がんばろう」

 「切り替えよう、この経験は次に生きるよ」

 

 なんて、はげましの声をかけられるが、順位戦で昇級の一番を逃したり、降級した棋士には、だれも声をかけようもないという。

 今回はそういう、なんともやりきれない深夜のドラマを見ていただきたい。

 


 1997年、第55期C級2組順位戦の最終戦。

 大野八一雄六段と、岡崎洋四段の一戦。

 この期の岡崎はここまで8勝1敗の好成績で、この一局に勝てばC1昇級が決まるという大一番。

 相矢倉から、後手の岡崎が角の打ち場所に工夫を見せるが、それがよくなかったようで、大野がペースを握る。

 

 

 

 ▲65歩と突くのが、いかにも好感覚で、それはその後の手順を観れば一目瞭然。

 岡崎は△38馬とし、▲17飛△73桂と活用。

 △65桂を取れれば、△44歩を殺せるのだが、その直前に▲66角と打つのが、強烈すぎる一手となった。

 

 

 

 ▲45の銀▲25の桂が目一杯利いて、この単純な王手を受ける形がない。

 とりあえず△33桂とするが、▲同桂成△同金直▲25桂のおかわりが、よくある攻め筋。

 

 

 

 

 歩があれば△44歩で受かるが、無い袖は振れない。

 やむを得ず、△25同銀と喰いちぎり、▲同歩△65桂一歩を手に入れるが、そこで▲35歩が急所中のド急所

 

 

 

 

 待望の△44歩にも、▲34歩と取りこまれて銀が殺せず、どこまでいっても、後手の手が1手ずつ遅れているのが、おわかりであろう。

 △34同金右▲同銀と取って、△同金▲45銀

 

 

 

 後手も必死にダムを作るが、▲66から流れてくる洪水は止まる気配もない。

 せめて△33玉と、上部脱出に望みをかけるが、▲34銀と取って、△同玉▲39金を殺されては、すでに勝負あった。

 

 

 

 岡崎も手を尽くして受けているはずが、▲66にあるから発射されるのスリングショットがおもしろいように着弾し、矢倉の城壁は跡形もない。

 昇級の一番を、序盤から大差に持っていかれた岡崎だが、投げるに投げられず、ひたすらに指し続ける。

 手順だけ見れば、ただ「投げない」というだけで、棋譜としての価値はなく、人によっては「未練がましい」と思われるかもしれないが、その言葉を投げつけるものはだれもない。

 順位戦で昇級をかけ、必敗の将棋をねばっている者に、

 

 「早く投げろよ」

 

 なんて、たとえ将棋の神様でさえも言えるはずなどないのだ。

 その後も岡崎は、万にひとつも逆転しない将棋を179手まで指し続けた。

 

 

 

 この残骸のような投了図を見れば、岡崎の無念さが伝わってくる。

 岡崎は翌年、8勝2敗で昇級を果たすことになる。

 


(村田智弘がC1昇級を逃した将棋はこちら

(井上慶太がC1昇級を逃した将棋はこちら

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「1分将棋の神様」も木から落ちる 加藤一二三vs島朗 1991年 第50期B級1組順位戦

2024年01月24日 | 将棋・名局

 「わたしの将棋は逆転負けが多いんですよ」

 

 インタビューなどでよくそう言うのは、「ひふみん」こと加藤一二三九段である。

 将棋は終盤のドラマが多く、「逆転のゲーム」と呼ばれるほどだが、時間の使い方が独特で、常に秒読みに追われて戦っていた加藤九段は、どうしてもそのリスクが高くなってしまう。

 もっとも、加藤一二三といえば「1分将棋の神様」の異名を持つ人なので(クリスチャンの加藤はこのネーミングを気に入っていないそうだが)、そのピンチを見事に全クリしてしまい、

 

 「やはり、加藤一二三は天才だ」

 

 と感嘆さしめるが(昔の観戦記にはこのフレーズがよく出てきます)、さすが「神武以来の天才」も100%というわけにはいかず、ときには木から落ちてしまうこともあるのだ。


 1991年の、第50期B級1組順位戦

 加藤一二三九段島朗七段の一戦。

 相矢倉から後手の島が、相手の駒を呼びこむ強気な指し方で加藤を迎え撃つ。

 中央で駒がぶつかり合って、むかえたこの局面。

 


 
 

 後手玉はかなり危ないが、まだ一撃で決まることはない。

 一方、先手玉は次に、△67成桂と寄られると受けがむずかしいし、なにかのときに千日手に逃げられそうな恐れもあるが、ここで手筋がある。

 

 

 

 

 

 一回、▲49歩と打診するのが、ぜひ覚えておきたい感覚。

 △同飛成は、手順に△67成桂とする筋が消えて、先手陣がかなり楽になる。

 そうはさせじと、島は△58飛成とひっくり返って、なんとか△67成桂を実現させようとするが、さらに▲59歩の追い打ちが好手。

 やはり、△同竜とは取れないから、△69竜ともぐって、三度△67成桂をねらうが、ここが先手にとっての分岐点であった。

 

 

 

 

 後手の攻めが緩和されたこの一瞬で、寄せに出るか、それとももう少し受けにまわるか。

 手堅くいくなら、▲79金打と先手で固めて、△59竜▲11金と取っておく。

 次に、▲75香から、押しつぶしにかかるわけだ。

 これだと安全ではあるが、を一枚手放してしまっているのが問題点。

 後手玉を寄せるときに、戦力がやや頼りないかもしれず、ここは迷いどころ。

 時間のない中での決断は、読み切れないとなれば、自らの棋風にしたがうことが多いのではないか。

 「負けない将棋」の永瀬拓矢九段なら、ガッチリ▲79金打としそうだし、終盤の切れ味で勝負する斎藤慎太郎八段なら、かまわず踏みこんでいきそう。

 加藤一二三は、踏みこむほうを選んだ。▲52と

 だがこれは危険な手だった。

 正解は▲79金打で、ここで今度は島にチャンスボールが来た。

 △86歩と突くのが、「筋中の筋」。

 

 

 

 ▲同歩は、△87歩が一発効くから▲同銀だが、先手陣はこれで相当に薄くなった。

 すかさず△68成桂

 かなりせまられているが、▲同金と取って、△同竜に▲78金としかりつける。

 この合駒を先手で打てるのが、加藤の自慢だ。

 ななめ駒があれば、ここで△79角や銀で簡単に詰みだが、駒台にあるのはあいにくの

 △69竜とゆるんだところに、▲11金

 

 

 

 

 今度こそ、▲75香や▲51馬がきびしいが、ここで島がねらっていた強烈な一打がある。

 

 

 

 

 

 △77歩が、またも指におぼえさせておきたい、筋中の筋という軽打。

 ここでは△86飛、▲同歩、△87歩という攻め方もあるが、▲77玉と逃げたとき、飛車を渡してしまっているため、寄らないとヒドイことになる。

 で攻められるときは、それを通すに越したことはない。

 この「焦点の歩」に先手も取る形がなく、▲同桂△89金で詰むし、▲同金は重く△79金で、ほとんど受けなし。

 ▲同玉△89竜と取られて、次に△86飛と切る筋があり、▲同歩は△85桂から詰むから、これまた受ける形がない。

 消去法で▲同銀だが、すかさず△87飛成(!)と飛びこんで、先手陣は危なすぎるどころか、詰んでいてもおかしくない。

 ▲同玉の一手に、△89竜と底をさらって、▲88銀△86歩とタタく。

 ▲77玉△87金と打ちこんで、▲同銀は簡単に詰みだから、▲同金△同歩成に▲同銀、△67金、▲同玉に△87竜

 

 

 

 
 
 クライマックスは、この場面だった。

 攻め方、受け方、双方が最善を尽くしての追跡劇は、この次の手で決着がついたのだ。

 先手は王手に合駒するしかないが、みなさまも考えてみてください。

 飛車のどれが最善か……。

 加藤は▲77桂と打ったが、これが敗着になった。

 ここは▲77金が正解で、これなら先手が勝ちだったのだ。

 ▲77桂には△75桂と打って、▲同歩に△76銀

 ▲58玉に△78竜と入る筋がある。

 

 

 合駒がなら、この手はなかった。

 以下、▲68桂の合駒に△67銀不成と追って、▲47玉△36金と出る手がピッタリ。

 

 

 

 これまで、僻地でまったく働いていなかった△25△17が、ここへきてまさか千金の輝きを見せようとは。

 これぞまさに、「勝ち将棋、鬼のごとし」で、▲36同玉△26馬以下、簡単な詰みになる。

 この将棋のさらにおもしろいところは、終局後のやり取り。

 投了してすぐ、加藤は「トン死したな」とつぶやき、島は「?」となったそうだ。

 こういう最終盤の、詰むや詰まざるやで気になるのは、対局者がどこで読み切っていたかということ。

 追う方は詰みを確信していたのか、それとも、あやふやなまま追っていたのか。

 それとも、詰みはないとわかっていながら「間違えてくれ」と祈りながら指していたか。

 逃げるほうも、鼻歌を歌いながらの逃避行だったか、それとも詰みはわかっていて、万一の僥倖にかけて罠をはっていたか。

 この場合、島は「詰みあり」と確信していたのだろう。

 だとしたら、もし▲77金とされていたら、その瞬間に真っ青になったことになる。

 一方の加藤は「詰みなし」と見切っており、その判断は正しかったが、最後の最後で指が、悪い方へ行ってしまった。

 時間もないし、運が悪かったとしか言いようがないが、なら時間を残しておけばいいのにというのは、加藤一二三には野暮なアドバイスというものだろうなあ。

 


(「さわやか流」米長邦雄の実戦詰将棋はこちら

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コーヤン流 居飛車穴熊白糸バラシ 中田功vs先崎学 1992年 第51期C級2組順位戦

2024年01月18日 | 将棋・名局

 中田功といえば穴熊退治である。
 
 振り飛車天敵といえば、これはもう居飛車穴熊にとどめをさすわけで、特に時間の短い将棋や切れ負けのルールでは、無類の強さ(勝ちやすさ)を発揮する。
 
 これを対抗するには「藤井システム」や、今だと耀龍四間飛車振り飛車ミレニアムなどもあるが、中田功のあざやかな太刀筋も大いに参考になるところ。

 まずは角筋を生かしてから殺到する「コーヤン流」(島朗九段命名の「中田功XP」という呼び名もある)。 


 
 中田功流の対穴熊戦。破壊力は抜群だが、玉が少々うすいのがタマにキズ。
 

 
 また、こういった速効型でなく、ふつうに組んでさばいていく指し方もすばらしいものがある。

 前回までは急戦に対するさばきをみていただいたが、今回はその切れ味鋭い穴熊退治を見ていただきたい。
 


 
 1992年の第51期C級2組順位戦
 
 中田功五段と先崎学五段の一戦。
 
 ここまで先崎は4勝1敗で中田は3勝2敗という直接対決で、中盤戦の大一番。
 
 特に先崎よりも順位がなうえに、この後に深浦康市四段真田圭一四段という強敵との対戦を残す中田には絶対に負けられない戦いだ。
 
 将棋は中田おなじみの三間飛車に、先崎はこれまたおなじみの居飛車穴熊

 

 

 


 後手がきれいな「真部流」に組んで、ここから戦いが始まる。
 
 △55歩▲24歩△同歩▲55歩△56歩
 
 
 
 

 

 イビアナ相手に、この5筋タレ歩はよく出る筋。
 
 駒が片寄っているのをついて、堂々と5筋にと金を作り、それで穴熊の硬い装甲をけずっていければ理想的な展開だ。
 
 先手は▲54歩と手筋の突き出しに、後手もこれまた


 
 争点に飛車を回る」


 
 という振り飛車の鉄則で△52飛
 
 そこから▲37桂△54飛▲58歩△35歩▲同角△45歩▲22歩△55角


 
 
 

 

 コーヤン流の穴熊さばきといえば、この△55角は必修の手。
 
 ▲22歩と、先手の飛車先が重くなったところで飛び出すのが呼吸か。
 
 かまわず▲21歩成△37角成と飛びこんで、▲24飛△同飛▲同角と飛車交換になったところで、△55馬
 


 
 


 を取らずにを手厚く使うのが、これまた見習いたい手。
 
 後手は△95歩と突いていないので、お得意の端攻めこそないが、
 
 
 「後手三間の一手遅れてる感じが好み」
 
 
 という中田功だから、そのあたりは織りこみ済みなのであろう。
 
 先手が▲31飛と打ちこんだところ、△57歩成を一回入れて、▲同歩△85桂とこっちも利かして、▲68銀△29飛
 
 ▲33角成△同馬▲同飛成に、再度△55角と飛車取りで好所に据え、先手は▲44角と打ち返す。
 
 


 
 
 さあ、ここである。
 
 派手な大駒の振り替わりがあったが、駒の損得もなく形勢は互角だろう。
 
 並なら△44同角▲同竜△55角で、それでも悪くなさそうだが、中田は果敢に踏みこんでいった。

 

 


 
 
 
 
 
 △88角成▲同角△95桂▲78金右△69銀
 
 を切り飛ばして、端歩を突いていないのを生かし桂馬を急所に設置して、さらにのフックでからんでいく。
 
 駒損ではあるが、攻め駒がことごとく急所に配置されており、穴熊としても相当にイヤな形。
 
 潜在的に△87桂不成で吊るされる形がプレッシャーであり、一撃で終わってしまう可能性もあるのだから。
 
 先崎は▲86角攻防に利かす。中田は△19飛成で駒を補充。そこで▲56桂
 
 
 
 
 きびしい反撃で、△73銀と逃げるようだと、▲55角飛車取りから、▲63竜△同銀▲73角成△同玉▲64銀みたいな殺到をねらっている。
 
 そうなると「ゼット」に近い穴熊ペースで、一気に持っていかれてしまう。
 
 とはいえ、後手も穴熊を沈めるのに、香一本ではまだ戦力不足のようにも見えたが、次の手が必殺の一撃だった。

 

 


 
 
 
 
 
 △77香が、固くて深いはずの穴熊の肺腑をえぐるキリの一突き。
 
 取る駒が5個もある「焦点の歩」ならぬ香打ちだが、なんとどれを選んでも先手玉は仕留められているというのだから2度ビックリ。
 
 ▲同金△同桂成▲同銀(角引)は△87桂不成で詰み。
 
 
 
 


 
 ▲77同金△同桂成▲同角上と▲88に空気穴を開けて取っても△87桂不成▲88玉△79桂成から崩壊。
  
 ▲77同角引△78銀成▲同金△77桂成▲同角△69角で寄り。


 


 
 
 どう応じても、どこかで△87が飛び込んでくる筋があって、どうにも受ける形がないのだ。
 
 本譜は▲同銀としたが、△78銀成▲同金△77桂成▲同角上△79金まで後手勝ち。

 


 
 ▲同金でも▲88金でも、やはり△87桂不成の筋をからめて行けば簡単に寄る。
 
 まさに一瞬の出来事で、先崎に何か見落としがあったようだが、それ以上に中田功の駒さばきをほめるべきだろう。
 
 思い出すのは昭和の少年マンガ『包丁人味平』のこのシーン。

 


 
 


 
 


 まさに穴熊の宝分け「白糸バラシ」一丁上がり。
 


(コーヤン流穴熊くずしはこちら

(森内俊之による居飛車穴熊への圧勝劇はこちら

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コーヤン流三間飛車の快勝譜 中田功vs勝又清和 2009年 C級1組順位戦

2024年01月12日 | 将棋・名局

 中田功のさばきと来たら、まったく官能的なのである。

 振り飛車のさばきといえば、まず最初に出てくるのは「さばきのアーティスト」こと久保利明九段だが、将棋界にはまだまだ腕に覚えのある達人というのはいるもの。

 中でも玄人の職人といえば「コーヤン」こと中田功八段にとどめを刺す。

 中田八段の得意とする「コーヤン流三間飛車」は、その独自性ありすぎなため、だれもマネできないと言われているが、そのさばきのエッセンスは見ているだけで楽しい。

 前回はNKH杯戦で見せた、見事な指しまわしを紹介したが、今回もマネしたくなる振り飛車を。

 


 2009年C級1組順位戦。中田功七段と勝又清和六段の一戦。

 中田の三間飛車に、勝又は急戦で挑む。

 5筋と4筋から仕掛けて、先手の勝又が▲24歩と突いたところ。

 

 

 


 定番の突き捨てで、△同歩と取るのがふつうだが、振り飛車党なら手抜いてさばく手順も考えたい。

 なら△44角もあるかなというところだが、マイスター中田功はもっと軽快に行く。

 

 

 

 

 


 △44飛といくのが、振り飛車の感覚。

 子供のころ、中飛車が向かい合った形から△55歩▲同歩△同飛と行って、▲同角△同角飛車香両取りという手順に感動した記憶があるが、その原体験がある人は、すぐさま飛車を振るべきであろう。

 ▲44同角△同角から暴れまくられそうだから、勝又は渋く▲56歩と打つ。

 ▲23歩成△48飛成から△55角という、大さばきを警戒した手だが、これなら振り飛車がやれそうだ。

 すかさず△57歩と「手裏剣」を飛ばして、▲59金△58銀と露骨に打ちこんでいく。

 ▲同金△同歩成▲同金△75歩

 

 

 


 玉頭に手をつけて、陣形の差も大きく振り飛車がさばけている形。

 とにかく、先手の▲24歩を間に合わせてないところがねらい通りで、飛車が動けば角交換も確定だから、いかようにも、さばきまくれそうなのだ。

 少し進んで、この局面。

 

 

 

 先手は△33角ラインがうっとうしいので、▲25桂と使って、なんとかそれをどかそうとする。

 角を逃げると飛車タダなので、いよいよここで△48飛成から△55角の大刀さばきが発動するのかと思いきや、「マイスター」の腕はそのさらにを行くのである。

 

 

 

 

 

 

 △46飛と浮くのが、摩訶不思議な手。

 だが、指されてみると「おお!」という。

 ▲同角とは取れないし、次に△56飛と土台のをはらわれると、▲55がブラになるうえに飛車が一気に玉頭をおびやかしてくる。

 先手は▲33桂不成と、懸案だったをようやく除去するが、かまわず△56飛がきびしい。

 

 

 完全に後ろを取った形で、角取り△76歩玉頭攻めや、△58歩成もあって攻めは選り取り見取り。

 ▲66銀と投入して、なんとかねばろうとするも、急所の△76歩を利かして、▲86玉と追いこんでから△55飛とさわやかに飛車を捨ててしまう。

 ▲63銀成△同銀▲55銀△88角できれいに寄り。

 ▲22飛△72金と締まって、ここで勝又は投了。 

 

 

 先手玉は詰めろで、△55角成とする筋もあり、受けても一手一手である。

 最後は木村美濃を完成させて勝つという手順の妙がシブい。

 攻防ともに、最低限の駒だけで仕上げている感じが、いかにも達人のという感じがする。

 コーヤン流というと穴熊退治のイメージが強いが、やはりさばきは急戦のときこそ威力を発揮する。

 いやあ、見事なもんですわ。

 


(中田功の芸術的な三間飛車はこちら

(小倉久史の「下町流三間飛車」はこちら

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「コーヤン流」の極意 中田功vs勝又清和 2006年 NHK杯戦

2024年01月06日 | 将棋・名局

 中田功のさばきと来たら、まったく官能的なのである。

 振り飛車のさばきといえば、まず最初に出てくるのは「さばきのアーティスト」こと久保利明九段だが、将棋界にはまだまだ腕に覚えのある達人というのはいるもの。

 中でも玄人の職人といえば「コーヤン」こと中田功八段にとどめを刺す。

 中田八段の得意とする「コーヤン流三間飛車」は、その独自性が過ぎるため、だれもマネできないと言われているが、そのさばきのエッセンスは見ているだけで楽しい。

 


 2006年NHK杯戦。中田功七段と勝又清和五段の一戦。

 ふだんは三間飛車のイメージがあるコーヤンだが、この日はゴキゲン中飛車を選択。

 勝又が▲36銀とくり出す急戦にすると、中田功も敵の銀2枚をあえて前線に引きつけて、強く反撃していく。

 力戦模様でゴチャゴチャやりあって、むかえたこの局面。

 

 

 

 先手の勝又が▲66桂と打ったところ。

 ▲54成銀ヒモをつけながら、▲74桂という美濃囲いの弱点であるコビンにねらいをさだめている。

 パッと見、ちょっと嫌な感じに見えるが、ここからコーヤンが、さわやかに相手をかわしていくのを見ていただきたい。

 

 

 

 

 

 △84角と出るのが、いかにも好感触のさばき。

 遊んでいたを好所に使いながら、逆に▲66に照準を合わせる。

 ▲74桂が一瞬怖いが、△92玉とでも逃げておいて、の突きこしも大きく、すぐにはつぶれない。

 先手もここで決まらないなら、桂を跳ねてしまうと成銀がブラになるし、のちのち△73歩とかで取り切られたりするとヒドイことになる。

 そこで▲64歩とここから手をつけていくが、後手はシンプルに△66角と切って、▲同金△54飛と取ってサッパリと指す。

 

 

 

 これで収まれば駒得の後手が指せそうだが、ここで先手にはねらいがあった。

 ▲63歩成として、△同銀▲41角が痛烈な一撃。

 

 

 

 教科書のような金銀両取りがかかって、一目先手必勝である。

 だがもちろん、これで投了などプロの将棋ではありえない。

 一連の手順は中田功の読み筋通りで、むしろ先手がハマリ形なのだ。

 私がこの将棋をおぼえているのは、ここで

 

 「なるほど、△32の金を取らせてさばくのが、プロの振り飛車か」

 

 なんて感心していたから。

 △52になにか受けて、▲32角成とソッポに行かせてから、△39角とか△84角とか反撃する。

 この呼吸が、振り飛車という戦法の醍醐味ではないか。

 じゃあ△52に打つのはか、ちょっと迷うかもなあ。

 てゆうかこういう金を取らせてさばく手を思いつくオレ様って、マジでセンスあるよなあ。強いわー。アーティストやん。

 なんて一人悦に入っていたのだが、スルドイ人はもうおわかりであろう。

 そう、そんな回りくどいことをしなくても、この両取りは最初から受かっているのだ。

 ヒントは先手玉の位置が……。

 

 

 

 

 

 △23角のレーザービームが、目もあざやかな切り返し。

 王手だから▲56歩と受けるしかないが、これで△32ヒモがついたから、両取りが受かっているどころか、△52銀打で打ったばかりのが死んでいる。

 私の言うように金をタダで取らせるより、こっちの方が、断然いいに決まっているではないか。

 以下、勝又は▲32角成と取って、△同角▲55銀とがんばるが、手持ち遊んでいる△32のを交換するようでは気持ちも萎える。

 △34飛▲35歩△46銀と捨てて、▲同銀△39角で一丁あがり。

 

 

 

 こんなきれいに、決まるもんなんですねえ。

 最後は△32にいたまで△14角と活用させて、先手陣を攻略。

 

 

 すべての駒が見事にさばけて、中田の快勝となった。

 自分が見えなかったから、よけいにそう思うのかもしれないけど、△23角とはカッコイイ手があったもんですねえ。

 


 (中田功の三間飛車編に続く)

 

 

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強行突破作戦 羽生善治vs郷田真隆 1995年 王将リーグ

2023年10月07日 | 将棋・名局

 王座戦第3局衝撃の結末だった。

 永瀬拓矢王座が「名誉王座」を、藤井聡太七冠が「八冠王」をかけて戦う今期王座戦五番勝負は2勝1敗と藤井が大記録に王手をかけた。

 その第3局永瀬勝勢から、まさかの後に、さらにまさかがズラリと並ぶような大逆転劇で藤井が勝利

 よくスポーツなどで優勝したり、なにか記録を達成するには、何回か

 

 「もうダメだ」

 「終わった」

 

 という危機をくぐり抜けないといけないと言われるが、それがよくわかるドラマ。

 かつて、羽生善治九段が「七冠王」を達成したときも、そのときは「順当」に見えたものも、あらためて精査してみると、

 

 「あれ? この記録、もしかしたらここで終わってた可能性もあった?」

 

 なんてドキッとする大逆転が絡んでいたりする。

 


 

 1995年王将リーグは、羽生善治六冠が「七冠王」にむけて挑戦者になれるかが注目だった。

 日本列島をゆるがす「フィーバー」のさなか、まず初戦の村山聖八段には勝利するものの、続く森内俊之八段には投了寸前まで追いつめられる大苦戦

 そこは森内のありえない大ポカに助けられ、かろうじて全勝をキープしたが、試練はまだまだ続く。

 3回戦の丸山忠久六段はものにするも、続く郷田真隆六段戦でも苦しい将棋を余儀なくされるのだ。

 

 

 

 

 図は相矢倉から、先手の羽生が▲16桂と設置したところ。

 次に▲24歩と突けば、飛角桂香1筋2筋に次々と突き刺さり後手陣は崩壊

 ピンチのようだが、ここで郷田は力強い手で羽生の構想を破綻に導くのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 △14歩と突くのが、「オラ、来いや!」という強気な手。

 え? こんなん▲24歩と突かれたら、どうやって受けますのんと慌ててしまうが、郷田は平然とその次の手を指した。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲24歩には△15歩と、さらに突いて行くのが、またスゴイ手。

 玉頭に火がついているのに、それをかまわずに、もう一回「やってこい」。

 どんだけケンカ腰やねんと、あきれそうになるが、これが郷田流の剛直な受けで、▲23歩成△同金▲24歩としても、△13金とかわしてダメージはあたえられない。

 

 

 

 

 さすがの羽生も、これには腰を抜かしたろうが、ここに来てはすでに郷田の手の平の上。

 歩があれば、▲14歩△12金▲23歩成△同金▲24歩の「ダンスの歩」で崩壊だが、無い袖は振りようがない。

 次の手が▲46歩とゆるむのだから、ここは明らかに郷田が読み勝っていた。

 てか、この端歩2手。メチャクチャにカッコええな!

 そら金井恒太六段をはじめ、多くの棋士があこがれるわけである。

 先手は必死に攻めを継続するが、パンチはことごとく急所を外しており、一方の後手は涼しげな顔で受けていれば自然に優位に立てる。

 

 

 

 

 △32桂と打ってから、△24金と先手の頼みの綱である玉頭の拠点を外して完封ペース。

 いやそれどころか、ノーヒットノーラン級の押さえこみの完了だ。

 2回戦の森内戦に続いて、またも必敗になった羽生だが「七冠王」を目前にして、ここで負けるわけにはいかない。

 なんとか突破口を開こうと、から手をつけていくが、ここで郷田が誤った。

 

 

 

 

 ▲16香△15歩と打ったのが疑問で、ここは屈服するようでも△12歩と下から打てば先手は困っていた。

 ここまで、守備のラインを上げながら優位を築いてきただけに、ここでも押し出すような手を選んだのは流れだろうが、これがわずかながらのスキだった。

 すかさず▲24角と切り飛ばして、△同桂▲15香△12歩▲26歩と打つのが功着想。

 

 

 

 

 △同歩なら、▲25歩△同桂▲26飛とさばいて、先手の駒が相当に軽い感じ。

 

 

 

 

 こうなると、押さえこみの土台になっていた桂2枚が上ずらされて、ヒドイ形だ。

 郷田の見せた、わずかなほころびをついて、羽生は一気に勝負形に持ちこむことに成功。

 手も足も出なかったはずの局面から、ミリ単位のスキをついて駆け抜けたところは、羽生の強さもさることながら「勢い」というものの恐ろしさも感じさせる。

 そこからも「喰いつくぞ!」「させるか!」という力くらべのような戦いが続いたが、最後に抜け出したのは羽生だった。

 

 

 

 

 先手の攻め駒が少ない中、▲39香と打ってとうとう逆転

 △27角成にはよろこんで▲同飛と取って、ついに押さえこまれていた飛車がさばけた。

 △同成桂▲71角と打って、もう先手の攻めは切れない。

 以下、羽生が好打を連発して勝利をおさめた。

 とまあ、前回に続いて今回も王将リーグ戦を見ていただいたが、いかに羽生が危ない将棋を戦っていたか、おわかりであろうか。

 もしこの2つをそのまま負けていたら、羽生は挑戦者になれず「七冠王」はなかった。

 仮に1勝1敗だったとしても、5勝2敗中原誠永世十段とのプレーオフに持ちこまれていたはずだったのだ。

 このときの羽生なら、無冠の中原相手には勝てそうかと思いきや、このリーグで羽生は中原の空中戦完敗を喫しており、そんな単純な話ではない。

 こうして見ると、リアルタイムで見ていたときはその勢いとスピード感で、

 

 「羽生七冠は必然

 

 のように感じられたが、それはどこまでも、あとから数えての「結果論」でしかないのだ。

 そしてそれは、「藤井八冠王」もまた。

 


★(郷田の見せた絶妙手はこちら

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大巨人のさばき 大山康晴vs中原誠 1972年 第11期十段戦 第4局

2023年09月11日 | 将棋・名局

 「さばく」という感覚は振り飛車の醍醐味である。

 振り飛車という戦法は、いにしえの時代には長く、

 

 「相手が攻めてくるのをただ待っているだけの、消極的な戦法である」

 

 というネガティブなイメージを持たれていたが、指していて楽しいことはアマチュアに人気があることから、よくわかるところ。

 なべても、押さえこまれそうになったところ、あれこれと手をつくして包囲網を突破したときのスカッと感は病みつきになるほどだ。

 そこで今回は、そんな「さばき」の極意を見ていただきたい。

 主人公になるのは、振り飛車党だが案外と「さばき」のイメージがないあのお方で……。


 1972年の第11期十段戦(今の竜王戦)。

 中原誠十段(名人・棋聖)と大山康晴王将の七番勝負。

 大名人と、次代の大名人になるこの2人だが、このシリーズの大山は49歳で中原は25歳

 ちょうど立場が入れ替わりはじめたころで、少し前の名人戦で中原が勝利したことが大きく、そのころは大山三冠中原二冠だったのが、今では中原三冠大山一冠に。

 大山としてはなんとかして押し戻したいところだが、ここまで中原が開幕から3連勝と一方的にリードを奪う。

 このまま引き下がっては、本当に世代交代をゆるしてしまうことになるが、この将棋の大山は強かった。

 大山の中飛車に、中原は中央に厚みを築いて対抗。

 むかえたこの局面。

 

 

 


 後手の中原が△99角成と成りこんだところ。

 後手からは次に△89馬を取るとか、△77歩成など様々な手があり、先手は急がされているが、ここからの手順が「さばき」の極意。

 

 

 

 

 

 


 ▲55歩と突くのが、軽い好手。

 △同馬と取られて、急所に馬を引かせて、しかも王手になるのだが、そこで▲37角とぶつけるのが好感触。

 

 

 

 △同馬▲同金と取るのが、この際の形。

 ふつうは▲同桂だが、この場面ではうすく、△46歩のタタキ(▲同金△57角)も気になる。

 ▲37同金に中原は△77歩成とするが、▲48飛が▲37金型を生かして幸便な転換。

 

 

 次に▲44歩が気持ちよすぎるので、後手は△46歩と止めるが、そこで一発▲73歩が手筋の好打。

 

 

 

 

 △同飛▲44歩と突いて、△同金に▲62角と流れるような手順で飛車金両取り

 飛車には一応ヒモがついてるから、△33銀と守るも、▲73角成△同桂▲77桂と取って、きれいなさばけ形。

 

 

 

 

 「さばき」の定義はむずかしいが、イメージとしてはとっちらかった部屋をササッと整理してしまう「片づけ名人」みたいな感じ。

 突破されそうだった7筋に憂いはないどころか、左桂も使えて、他の駒はすべて右辺でコンパクトにまとまっており、並べるだけでさわやかな気分になれる。

 以下、中原も△64角と攻防に据えるが、そこで▲55歩がまた軽打。

 

 

 

 △同金と重くさせてから▲51飛と打ちこんで好調子だ。

 そこから中原も懸命の追い上げを見せるが、終盤で▲82竜としたのが落ち着いた好手。

 

 

 

 

 ここで中原は△48金と攻め合ったが、△52金と取って△39角をねらうほうがアヤがあった。以下、先手が押し切ることに。

 会心のさばきで1勝を返した大山だったが、第5局には敗れ挑戦失敗

 その後、最後に残った王将位も失い、「巨人」大山は無冠に転落してしまうのである。

 


(大山の愛弟子コーヤンこと中田功の芸術的さばきはこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

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「最強」と呼ばれた男 高橋道雄vs鈴木大介 2007年 第65期B級1組順位戦

2023年08月21日 | 将棋・名局

 「高橋道雄が最強なのでは」

 

 という説が、かつての将棋界ではまことしやかに、ささやかれたものだ。

 私が将棋をおぼえたのは、ちょうど「羽生善治四段」がデビューしたころで、当時の将棋界では「群雄割拠」という言葉がよく聞かれた。

 中原誠米長邦雄2強時代に、21歳名人になった谷川浩司が新世代代表として割って入るも、まだ絶対王者というほどではなく、その間に「花の55年組」が華々しい活躍を見せる。

 タイトルホルダーを見ても、

 

 中原誠名人・王座

 米長邦雄十段

 桐山清澄棋聖

 谷川浩司棋王

 高橋道雄王位

 中村修王将

 

 バラバラで、しかもすぐ福崎文吾が米長から十段をうばい、南芳一が桐山から棋聖を、塚田泰明が中原から王座を奪取するなど、なんとも目まぐるしい話。

 2018年豊島将之九段棋聖を獲得したとき話題になったような、

 

 「七大タイトルを7人が分け合う」

 

 という状況になったのも、たしかこのころである。

 ちなみに2018年は、

 

 羽生善治竜王

 佐藤天彦名人

 高見泰地叡王

 菅井竜也王位

 中村太地王座

 渡辺明棋王

 久保利明王将

 豊島将之棋聖

 

 という面々でタイトルをひとつづつ分け合って(このときは「叡王」があるから八大タイトル)「戦国時代突入」と騒がれたものだが、たった5、6年で今はこれが一人に集中してしまっているのだから、おそろしいものである。

 そういった「だれが一番強い」と訊かれると百人百様の意見があった昭和も終わるころ、あれこれ議論していると、結局たどり着きがちだったのが冒頭のそれだ。

 

 「一番強いのは高橋

 

 名人のタイトルを取った中原や谷川を押しのけて、そんな評価を得ていたのは、それはもう高橋将棋の腰の重さゆえのこと。

 神にあたえられた才能という点では、谷川浩司の方が上かもしれないが(なんたってキャッチフレーズが「地道高道」だ)、高橋の勝ちっぷりは、それを押さえつけるだけの独特の重厚感があった。

 中でも谷川浩司から棋王をうばって二冠を達成したときや、十段戦で福崎文吾に4タテを食らわせたシリーズなどバケモノめいた強さで、なにやら歩兵が戦車に、なすすべもなく踏みつぶされていく様を見せられているようだった。

 そんな高橋将棋の特長が、もっとも出ていると感じるのがこの将棋。

 

 2007年、第65期B級1組順位戦

 高橋道雄九段鈴木大介八段と対戦。

 この一戦は鈴木が勝てばA級復帰が決まるという大一番だったが、ここで高橋は持ち味を十二分に出しまくった将棋を披露するのだ。

 後手番鈴木のゴキゲン中飛車に、高橋は急戦で対応。

 図は△75角成と後手がを作ったところ。

 

 

 


 持駒の飛車が大きいが、玉頭がやや薄く、でねらわれており気持ち悪いところ。

 なにかうまく自陣の整備ができればいいが、ここからの指しまわしが全盛期の高橋道雄を思わせるものだった。

 

 

 

 

 ▲66金としっかり打ちつけるのが、「地道高道」と呼ばれた力強い受け。

 △31馬と逃げたところで、▲56金右を払う。

 

 

 

 

 この2枚金の結束が手厚いうえに、とんでもなく固い

 中央の厚みがすばらしく、これで後手からせまる手が、まったくないのだ。

 鈴木大介は△51角と引いて転換を目指すが、▲68金と締まって、△64歩にじっと▲75歩と打つのがまた落ち着いた一手。

 

 

 

 

 後手も△41銀、△52銀△63銀と自陣を補強するが、先手も▲76金▲66歩▲57金▲67金寄として、こっちのほうが明らかに強靭になっている。

 

 

 

 

 後手は△31が動けないため、先手陣にせまる手がないのだが、その間に高橋は悠々との要塞を築き上げる。

 有効手のない後手は△32馬とするが、ここで満を持して▲35歩と仕掛け、△同歩▲45歩△同歩▲同桂とさばいて全軍躍動の理想形。

 

 

 

 先手は無敵の陣形に加えて、すべての駒がきれいにさばけ飛車も手持ちで気分はもう必勝であろう。

 その後も攻めるだけ攻めて、最後に▲69歩と「金底岩より固し」な手でとどめ。

 

 

 

 ただでさえ難攻不落な「玉落ち」の形なのに底歩まで投入。

 これぞ激辛流というか、負けない将棋というか友達をなくす手というか、鈴木大介からすればさぞ、

 

 「オレに恨みでもあるんか(泣)」

 

 と言いたかったことだろう。

 見れば見るほど血も涙もない陣形の差であり、A級昇級をこんな将棋でつぶされたら、やってられませんわな。

 

 


  (高橋道雄が名人にあと一歩までせまった戦いはこちら

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入玉模様でつかまえて 行方尚史vs佐藤康光 2001年 棋聖戦

2023年08月15日 | 将棋・名局

 入玉形の寄せ方はむずかしい。

 

 「中段玉寄せにくし」

 「玉は下段に落とせ」

 

 という格言があるように、上部脱出をもくろむ敵玉というのは、捕まえるのに苦労するもの。

 われわれのような素人だと、駒落ち指導対局で寄せをぐずっているうちにヌルヌル逃げられてくやしい思いをすることが多いだろうが、今回はそんなに憎き中段玉の仕留め方を紹介したい。

 入玉ハンター役は、前回中原誠永世十段にまんまと入られてしまったあの男に務めてもらおう。

 

 2001年の棋聖戦。

 佐藤康光九段行方尚史六段の一戦。

 角換わり腰掛け銀から先手の行方が先行し、佐藤は受けながら手に乗って上部脱出を目指す。

 むかえたこの局面。

 

 

 


 二枚飛車の追及をのらくらとかわして、後手は安全地帯に逃げこんでいる。

 △37と金がメチャクチャに強力な駒なうえに、△47にももう一枚できそうで、とても寄せられるようには見えない。

 実際、佐藤康光もここでは入玉確定と見て、「この玉は寄らない」と安心していた。たしかに、攻めのとっかかりすらなく、トライを阻止できるようには思えない。

 だが、行方の卓越した終盤力は、そのムチャぶりを見事にクリアしてしまうのである。

 

 

 

 

 

 まず▲38歩と打つのが、寄せのテクニック第一弾。

 この局面でイバっているのは△37と金だが、それを前に引きずりだして守備力を弱めようという手筋だ。

 と金など成駒は、「53のと金に負けなし」というように、できるだけ後ろにいる方が働くものなのだ。

 ただ、先手も歩切れになるし、本譜の△同と、と取られても継続手が見えないが(歩があれば▲39歩とさらに追及できる)、行方はそこであわてず▲21竜桂馬を補充。

 △47歩成でますます後手の大行進が止まらなさそうだが、そこで▲39桂がこれまた手筋の一手。

 

 

 

 

 △58と、なら▲47金▲27金で押し返して先手が勝つ。

 後手は△同と、と取るが、これでと金の守備力がガタ落ちし、さらには▲28に駒を打ってブロックする形も見えてきた。

 行方はさらに▲48銀と、もう一枚のと金にアタックをかける。

 

 

 

 

 すごい形だが、先手は敵陣に2枚のがスタンバっているから、とにかく入られるのを阻止さえできれば、どれだけ犠牲を払っても勝てるのだ。

 逆に言えば、佐藤康光はここまでくれば死に物狂いでトライするよりなく、△48と、は▲同金△58と、は▲37金で寄せられるから△46銀打と頑強に対抗。

 行方は一転、▲33竜と落ち着いて、ふたたびを補充。

 △58と、に▲28桂と王手し、△27玉▲39銀と取って上部を押さえる。

 

 

 

 

 △38歩と圧をかけたところで、▲24竜と取って行方の構想が見えてきた。

 △同銀▲17金で詰みだから、△37玉とよろけてこの局面。

 

 

 


 次に△39歩成とボロっと取られては、今度こそ入玉確定だから、この瞬間に仕留めないと先手負け。

 なので、ここでいい手を披露しないといけないのだが、そこが入玉形のおそろしさで、駒がゴチャゴチャして、効きがわかりにくいため手が見えにくい。

 プロですら「目がチカチカする」とボヤきそうな場面だが、行方尚史はすべて読み切っていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲26竜と捨てるのが、さすがの切れ味。

 △47玉と逃げるのは▲35竜引と取って、△同銀▲37金

 

 

 

 △同金▲36銀からピッタリ詰み。

 

 

 △同玉しかないが、そこで▲38銀を取って、これで後手は完全に押し戻された形。

 

 

 後手も△27金とへばりつくが、▲25金△同玉▲27銀という「送りの手筋」のような形で寄り。

 まさに作ったような妙手で、さすが詰将棋の名手である行方尚史。

 あんな場所から追い落とされた佐藤康光も、これには呆然としたのではないだろうか。

 


 (豊島将之による入玉阻止の名手順はこちら

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一号線を北上せよ 中原誠vs行方尚史 2003年 王位戦

2023年08月09日 | 将棋・名局

 入玉模様の将棋は得意か不得意が、わかれるものである。

 この話題となればやはり、はずせないのがこの人。中原誠十六世名人

 特に名人戦では、入玉に苦手意識を持つ谷川浩司九段を、独特の上部脱出戦術で苦しめるなど、その感覚は際立っていた。

 前回は佐藤康光九段が見せた「5点攻めを見ていただいたが、今回は中原流入玉術の最高傑作ともいえる将棋を紹介したい。


 
 2003年王位戦

 中原誠永世十段行方尚史六段の一戦。

 中原先手で相掛かり。双方玉を固め合って、この局面。

 

 

 

 堂々たる堅陣で「自然流」と「居飛車本格派」の若手らしい格調高い駒組だが、ここからの中原がすごいのだ。

 ふつうの感覚ではありえない、中原「不自然流」の一手とは。

 

 

 

 

 

 ▲97玉と上がるのが、「入玉の中原」の本領を発揮した驚愕の一着。

 金銀の連結が美しく、惚れ惚れするような理想形を築きながら、それを自らご破算にする玉あがり。

 なんじゃこりゃ、こんな手見たことないよ。

 だが、おかしなようで、これが存外にとがめる手がないらしく、行方は△45歩とやはり格調高く陣形を整備するが、▲86歩と突いてここから圧迫していく。

 以下、着々と上部を厚くして、今度は▲95歩とここから手をつける。

 

 

 

 後手から△95歩と端攻めするならわかるが、こちらからこじ開けていく発想がすごい。

 △同歩▲94歩とたらして、△同香なら▲61角で決まる。

 このままでは押さえこみ必至と後手は△84歩からもがくが、ゆうゆう▲95香と取って、△85歩▲同銀

 △56歩も筋の良い攻めだが、▲84歩と押さえられて上部を制圧完了

 

 

 以下、△39角▲38飛△57角成と食いつくも、あっさり▲同金△同歩成▲76銀と軽くかわして、それ以上の攻めはない。

 そこからは▲83歩成▲93歩成と、どんどん成駒を作って、先手陣は盤石。

 投了図では見事な銀冠の「姿焼き」が完成している。

 

 

 『将棋世界』のインタビュー形式の連載「我が棋士人生」で紹介されていた将棋だが、中原は最初から入玉をねらっていたようで、

 

 「行方君にも、こういう将棋を見せておかないとね」

 

 といったようなことを語って、楽しそうに笑っておられた。

 最初の図を見れば、こんなもんどう見ても

 「居飛車本格派のがっぷり四つ」

 としか思えないが、まさかそこから、こんな将棋になるとは思いもつかない。

 対戦していた行方も、さぞおどろいたことだろう。

 将棋の勝ち方には、色々あるものであるなあ。

 

 


 (中原が名人戦で谷川浩司に見せた入玉術はこちらこちら

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