稲垣美晴『フィンランド語は猫の言葉』で目指せ激芬家!

2025年02月26日 | 外国語

 前回の続き。
 
 私がフィンランド語という言語に、ある種のあこがれを感じているのは一冊ののせい。
 
 それが『フィンランド語は猫の言葉』。
 
 著者の稲垣美晴さんは本の中にもあるが、東京藝大在学中にフィンランドの画家であるアクセリガッレンカッレラの研究のためヘルシンキ大学に留学。
 
 その後は東海大学で北欧文学を教えたり、フィンランドの絵本などを翻訳など精力的に活動された人で、この『猫の言葉』はヘルシンキ大学時代の留学記にあたる。
 
 これがねえ、たぶん大学生くらいのときに読んだんだけど、ハマったのなんの。
 
 具体的な内容は以前に紹介したけど、もうこれはですねえ、やはりこの書を愛読していたという、ロシア語黒田龍之助先生による一言に尽きます。
 
 『世界の言語入門』という本の一節。
 
 


 高校を卒業して進路を決める頃、できることならフィンランド語の専門家になりたいと夢想していた。



 
 
 そうなのよ、この本を読むとみんなそう思うんだ。
 
 黒田先生はこうも書かれている。
 
 


 多くの人が目指さない国に留学して、一生懸命に言語を勉強する。その姿に強い憧れを持った。



 
 
 私が今でも自分のことを「チーム第二外国語」の一員だと自認しているのは、どうもこの『猫』のせいらしい。

 「激芬家」(「激しくフィンランドのことをする人」という意味)というパワーワードが心にヒットしたんですよ。
 
 もっとも、当時はフィンランド語などやろうにも、参考書もなければ辞書もなかった
 
 大学書林の『フィンランド語四週間』くらいで、しかも値段が4500円(!)。
 
 辞書なんてなくて、そういうときは「フィン辞典」を使うとかが定跡なんだけど、自分の英語力で使えるとは思えないし、そもそもどこで売ってるの?
 
 京都丸善とかにあったのかもしれないけど、探す気も起きないし、絶対にバカ高いに決まってるんや!
 
 ちなみに、今調べてみると白水社の『パスポート初級フィンランド語辞典』が定価4,950円(税込)。
 
 日本フィンランド協会の『日本語フィンランド語辞典』が27,500円(税込)
 
 大学書林の『日本語フィンランド語辞典』が定価34,000円(+税)。
 
 どれも高くて、おやつに食べていた、かっぱえびせん噴くわ!
 
 日本フィンランド協会のは1800ページもあるから、かなりオトク感はありそうだけど……。
 
 昔は第二外国語と言えば「経済的に無理」なケースも多かったなあ。 
 
 今はネットで調べればあれこれ出てくるし、各種アプリも充実。
 
 まさに「時は来た」という感じだが、あいさつに簡単な単語など学んだあと、どーんと現れたのがコイツだった。

 

 

 

 

 「talo(家)」という単純な単語が、こんなにも変化する。

 それどころか、こんなのもあったり。

 


 
 
 

 

 ちなみにこれ、「ライコネン」さんという人名の活用表。

 よく、ロシア語が人の名前変化すると言って恐れられているが(「ラスコーリニコフ」「ラスコーリニコワ」みたいな)、どんだけ変化すんねん!

 てことは、どーせ他にも名詞動詞形容詞数詞も、なんでもかんでも変化するに決まってるんや!

 トランスフォーマーか! フィンランド語の活用表。えげつなすぎる。致死量や。
 
 はあ(ため息)。なるほど、みはるちゃんも本の中で「フィンランド語むっず!」ってボヤくはずや。
 
 まあ、こういうのは千里の道も一歩から。

 ここに発動された「ウコンネミ作戦」により今日も今日とて、
 
 
 「ミナ・オレン、シナ・オレット、ハン・オン……」
 
 
 嗚呼、「激芬家」への道、果てしなく遠し。

 

 

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「激しくフィンランドのことをやる人」に憧れた日々

2025年02月25日 | 外国語

 フィンランド語を、ついに初めてみることになった。
 
 このところ私は、
 
 
 「世界のあらゆる語学をちょっとだけやる」
 
 
 ということにハマっている。
 
 ここまでフランス語ドイツ語(学生時代の復習)、スペイン語ポルトガル語
 
 アラビア語挫折したが、トルコ語イタリア語もクリアし、オランダ語も少しかじった。
 
 そして、ついには「ハイエンシェント」ことラテン語もやってと、チョコザップならぬ「チョコ語学」である。
 
 まあ学ぶと言っても、せいぜいが1か月か2か月ほどで、身に付くのも「中1レベルの文法と単語」くらいなものだが、こんなもんでも、
 
 


 Çoğu kertenkele adam solaktır.
 (リザードマンの多くは左利きです)
 
 Primogenitus larva gummi indutus apparuit.
 (長男はゴムのマスクをかぶって登場しました)

 Japanse soldaten zijn de sterkste ter wereld omdat ze misosoep drinken.
 (日本の兵隊さんが世界一強いのは、みそ汁を飲んでいるからです)


 
 
 くらいなら理解できるのだから、なかなかのものではないか。
 
 「飽きたらやめる」がルールなので、ラテン語からそろそろに移行しようと、ここでついに「あの言語」に手を出すときが来たようだ。
 
 それが、フィンランド語
 
 というと、フィンランド語はいいとして、なぜにて「ついに」などという大げさな副詞がつくのかと問うならば、これがいくつか理由がある。
 
 それはまず、フィンランド語が「インドヨーロッパ語族」ではないということ。
 
 われわれにとって、まずなじみのある外国語と言えば、これはもう英語なのである。
 
 続けて、大学に行った方ならフランス語ドイツ語といった第二外国語に苦しめられた記憶もあろうが、実はこれらは違う言語のように見えて元は同じ
 
 古くはインドサンスクリット語から、ペルシャ語とかラテン語とかロシア語とか。
 
 そういった諸々の一見関係なさそうな言語は、これすべて「インド・ヨーロッパ語族」という「大家族」に分類されるのだ。
 
 といっても、年月や地理的な分断で、流れ流れて全然別物にはなっているけど、語順とか、なんとなく似た単語が多かったり。
 
 変遷の仕方をたどっていくと共通するものがあったりと、細くともつながりがある。
 
 なので、それが多少は学習の助けになったりするのだが、これがドーンとフィンランド語は「ウラル語族フィンウゴル語派」。
 
 全然違ってて、それこそ北欧と言えばノルウェースウェーデンデンマークフィンランドと並ぶが、最後だけ他の3つとくらべて相当に異質
 
 


 ありがとう
 
 
 ノルウェー語「takk」
 
 スウェーデン語「tack」
 
 デンマーク語「tak」
 
 フィンランド語「kitos


 「
 
 
 ノルウェー語「hund」
 
 スウェーデン語「hund」
 
 デンマーク語「hund」
 
 フィンランド語「koira

 


 「
 
 
  ノルウェー語「bok」
 
 スウェーデン語「bok」
 
 デンマーク語「bog」
 
 フィンランド語「kirja



 
 
 全然ちがうやん!

 てゆうか、他の3つが似すぎというか、ほとんど三つ子なんだけど、それにしたって「四段オチ」かと疑いたくなるくらい変わってる。
 
 しかも、フィンランドではスウェーデン語公用語なのに、まったくちがう。どうなってんの?
 
 これにですねえ、私はちょっとビビってしまっていたのだ。
 
 というのも、イタリア語の前にトルコ語をやろうとしたのだけど、これに大苦戦したせい。
 
 言語というのはドイツ語オランダ語とか、スペイン語ポルトガル語のように、言語的だったり地理的だったりが「近い」と学習しやすい。
 
 それは日本人にとって、読むだけなら中国語がそんなに怖くないのとくらべて、欧米人アラビア人には漢字悪夢になるのと同じ。
 
 英語やドイツ語の知識や、経験をまるで生かせないフィンランド語やトルコ語に、いつの間にか苦手意識のようなものが宿ってしまっていたのだ。
 
 しかしだ、そんな困難を乗り越えるほどに、私は、いやおそらくは同世代から少し前くらいの「第二外国語」学習者はフィンランド語というものに、あこがれのようなものを抱いている。
 
 それは、ある一冊のの存在。
 
 タイトルは『フィンランド語は猫の言葉』。


 
 (続く

 

 

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ブリティッシュ作戦 近藤誠也vs中田宏樹 2020年 B級2組順位戦 その2

2025年02月22日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 2020年B級2組順位戦

 他力ながら昇級に望みをつないで、最終戦で中田宏樹八段と戦うのは近藤誠也六段

 勝ったうえで、順位上位横山泰明七段が負けてくれないと上がれない立場だが、まずはとにもかくにも自分の将棋だ。

 

 


 
 


 先手の近藤誠也が相矢倉脇システムからを作ると、中田宏樹はそれにをかけていく展開。

 ただ馬を助けるような手ではつまらないと、先手は一気呵成に飛びこんでいく。


 
 
 
 
 
 

 ▲46銀△52金▲同馬△同飛▲35歩
 
 この際、はくれてやってしまうのが、この形のポイント。
 
 駒損ではあるが、後手は王様の守備隊長である△32をはがされ、横腹がすこぶる寒いのである。
 
 そこですかさずをくり出し▲35歩
 
 
 「矢倉はに攻めた方が有利」
 
 
 と言われるが、まさにその格言通りの速攻だ。
 
 中田は△32飛とまわって3筋に勢力を足す。
 
 そこで近藤は急がず、一回▲15歩と端を詰めて間合いを図る。
 
 
 
 
 
 
 後手に有効な手がないことを見越して、マイナスになりそうな手を指させてから襲いかかろうという高等戦術

 かつては羽生善治九段が得意とした緩急のつけかただが、今ではすっかり「手筋」のひとつである。
 
 もちろん、のちの端攻めも見越してのことで、次の手が△84銀なのだから、飛車の応援のない棒銀よりも端歩の方が価値が高いのは一目瞭然だ。
 
 先手は▲37桂と攻め駒を足し、後手はその手を待ってから△35歩と取る。
 
 桂頭がうすいが、かまわず▲35同銀と取って、△36歩はその瞬間に▲24歩からバリバリ攻められて持たないと見たか、中田は△59角とこちらから反撃。


 
 
 
 

 これがイヤな形で、先手は桂取りを受けるのがむずかしい。
 
 ▲27飛▲38飛は、もう1枚のを打たれていじめられそうだし、▲38歩とはとても打つ気になれない。
 
 ▲24歩と行くのも、今度は守備に利いてくるため通るかどうか微妙なところ。
 
 対処を誤ると、いっぺんに切れ筋におちいりそうなところだが、次の手が力強かった。

 

 


 
 
 
 
 
 ▲36金と打つのが意表の1手。
 
 攻めに使いたいを、ここで自陣に投資するのはもったいないようだが、これが手厚い対応だった。
 
 今度は好機に▲58飛などとされると、後手のが危ない形。
 
 そこで△39角と先に飛車をいじめに行くが、▲29飛と引いて、最悪どちらかのとの交換が保証されたのは大きい。
 
 △48角成▲34歩を一発利かし、△同金に居酒屋の店員のごとく「よろこんで!」と▲59飛と取って、△同馬▲43角


 
 
 
 
 
 
 責められそうな飛車をキレイにさばいて、そのが敵陣にクリーンヒット
 
 △31飛▲14歩と突くのが、またリズムのよい攻め。

 

 

 

 

 細い攻めをこうしてつないでいくのが近藤は得意で、本人も

 


 「自分らしい一手」


 

 と満足の展開。ここからは先手のペースだろう。

 △同歩▲同香一歩補充して、△35金▲同金△14香▲34歩が「一歩千金」の好打。

 

 


 
 △42銀▲52角成
 
 
 「固い、攻めてる、切れない」 
 
 「後手玉だけ終盤戦」
 
 
 という、いわゆる「勝ちやすい」パターンに入った。

 

 

 勝負はいよいよ最終盤。

 中田もを使ってなんとかを遠ざけ、スキを見て△38飛と反撃。

 次に△69馬△37飛成が入れば後手も相当だが、次の手が教科書通りの決め手である。

 

 


 
 
 
 
 
 ▲24歩と突くのが、「筋中の」という形。
 
 こういう第一感の手が通るということは、すでに寄り形ということだ。
 
 △同歩▲23歩とタタいて、あとはむずかしくない攻めで充分勝てる。
 
 それにしても、あの受け一方のようなが、こうなると敵玉を押しつぶす鉄球として大活躍しているのがすばらしい。
 
 近藤が快勝で、これでキャンセル待ちの権利を手に入れる。
 
 その一方で自力だった横山敗れ、近藤はデビューからたった4期B1までかけ上がったのだった。
 
 


 (近藤誠也の「ガチ」についてはこちら

 (近藤と羽生の大熱戦はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)
 
 
 
 
 

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昇級まであと二百時間だ 近藤誠也vs中田宏樹 2020年 B級2組順位戦

2025年02月21日 | 将棋・名局

 近藤誠也が爆発した。

 2015年19歳四段になると、初出場の王将戦でいきなりリーグ入りを決める棋士人生ロケットスタート
 
 それどころか「A級以上の難関」との誉れ高い王将リーグで残留こそできなかったものの、豊島将之七段羽生善治三冠(王位・王座・棋聖)を破る金星
 
 特に羽生戦に関しては、これで羽生は20年かぶりくらいのリーグ陥落を喫することになったのだから、かなりインパクトの強い勝利だった。
 
 その後も王位リーグに入ったり、順位戦藤井聡太七段に頭ハネを食らわせるジャイアントキリングを披露しながらハイスピードでB級1組に到達。
 
 アベマトーナメントでも無類の強さを発揮し、同門でいつも指名していた渡辺明九段から、
 
 


 「うちのエース
 
 「誠也がいれば2勝、いやワンチャン3勝も計算できる」



 
 
 とまで絶賛されるほどの大活躍ぶりだったのだ。
 
 そんな男なので、ここからはA級タイトル待ったなしかと思いきや、そこでやや足が止まる。
 
 勝率は高く、竜王戦で本戦出場や2度目王将リーグ入りを果たし4勝するなど、しっかり結果も出しているが、彼ほどの男ならやはり「もっと」と貪欲な目で見てしまうのがファン心理というものだ。
 
 ともかくも、まずはA級にというところだったが、今年のB級1組順位戦では安定して強く、最終戦前に早々と昇級を決めて停滞を5年で止める。
 
 また今期は朝日杯でも勝ち上がり、決勝で井田明宏五段を破って、ついに棋戦初優勝を果たしたのだった。
 
 A級全棋士参加棋戦の優勝となれば、これで一流への足がかりは完全にできたというもの。
 
 大きいところではNHK杯ベスト4に残っていて、ここも取れば「藤井独裁」の時代に大きな風穴を開ける候補に一気に躍り出ることになれそうだが、今回はそんな上り調子な男の将棋を。


 
 
 2020年B級2組順位戦最終局。
 
 中田宏樹八段近藤誠也六段の一戦。
 
 この期のB2は5戦目を終えて丸山忠久九段全勝で首位を走り、それを順位上位の横山泰明七段村山慈明七段1敗で追走。
 
 1期抜けをねらう近藤は順位下位ながら1敗で追い、6戦目では村山と、8戦目では横山と当たっているため自力でこそないもののチャンスは充分であった。
 
 その通り村山との直接対決を制した近藤は、他の1敗勢が敗れたことで一気に浮上
 
 ところが、自力昇級の権利を手に入れて戦う横山戦で痛恨の1敗を喫し、またも圏外に転落
 
 残り2戦連勝し、横山2連敗しなければ逆転できないという崖っぷちに追いこまれたが、続いてラス前の鈴木大介九段戦にしっかり勝ったのはさすがというところ。

 ふつうはリーグ後半で直接対決を落とし、しかも順位が下位と会っては、「試合終了」としたものだが本人からすれば、

 


 「それが良かったのかは分からないが、残りの2戦は何も気にすることもなく伸び伸びと指せたように思う」


 

 このあたりの心理的な交錯が、順位戦のアヤだ。

 逆に圧倒的優位に立った横山は田村康介七段に敗れており「もう諦めていた」という近藤だが、かろうじて望みをつないだ。

 他力ながら目を残して中田戦に挑む最終戦は、先手番で相矢倉を選択。
 
 むかえたこの局面。
 
 


 
 
 
 脇システムから近藤がを作ったが、中田は金銀でそれにプレッシャーをかけていく。
 
 このままだと虎の子の馬を殺されそうだが、もちろんそれは先手の読み筋である。

 

 (続く

 

 

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ネパール旅行戦記 四川航空の無料トランジットホテル 乗り継ぎの手荷物どうする問題 

2025年02月18日 | 海外旅行

 四川航空の無料トランジットホテルは「ロンダルキアへの洞窟」並みに苦戦した。
 
 前回はホテルにたどり着く「模範解答」だけサックリお届けしたが、それはあくまで「ダイジェスト版」で実はチェックインできるまで、迷いに迷い大変であった。
 
 マジでそこまでのトライアルエラーがハンパではなく、実際にくわしくレポートしたら、ちょっとした「サーガ」になるほどなのだ。
 
 なので、解答編をお届けできてホッとしてるのだが、もうひとつだけ補足情報を。 
 
 四川航空のカトマンズ行き便の特徴に、行きではしつこいほど
 
 


 「成都で荷物を受け取ってください。カトマンズまで持って行ってはくれません」



 
 
 と念を押される。

 よくはわからないが、カトマンズまでダイレクトでは運んでくれないのだ。

 これにはネットでも「ありえない!」「不便すぎる!」と怒っている方もおられたが、まあ安いチケットとはこういうものである。

 ところが、ややこしいことにこれが、帰りの便では成都1泊しても、カトマンズから関空までダイレクトに送ってくれる。
 
 なんで? チェックイン時に「関空までダイレクト」って言われて、そのタグをバックパックにつけられたときは、これまたあせった
 
 
 「行きは成都絶対に荷物を受け取れって言われたけど、帰りはいいの?」
 
 
 というのを英語で質問するのが大変で、これまた大汗をかくことに。
 
 もし、荷物を受け取らなかったことによって、成都でのトランジットゴチャゴチャ言われないか?
 
 実際、乗り継ぎの滞在許可を取るとき、いかにも警察軍隊かという雰囲気のスタッフに、えらいこと高圧的な態度を取られたのだ。
 
 
 「なに? 荷物は持ってない? それで1泊するっておかしくないのか? であえい曲者め!」
 
 
 なんてことになって、
 
 
 スパイ容疑で邦人拘束
 
 
 なんてことにならないのか。もうビビりまくりである。
 
 しかも、むこうは「問題ない」ことを知ってるから、こっちの英語の下手さに加えて、
 

 「関空に直接運べるのに、その当たり前のことを、なんで質問してるのか?」


 そこをわかってもらうのも時間がかかった。

 いや、だから行きは「絶対に荷物を受け取れ」ってカツアゲされたんスよ!
 
 それが伝わらない上に、なぜ行きはそうなってるのかわからないから理由も説明できず大混乱

 四川航空、めんどいことせんといてよ! それか「帰りは荷物受け取らなくていいです」って、あらかじめ言うといて!
 
 まあ、問題なかったのはよかったけど、こっちは帰りも荷物は成都で受け取るつもりだったから、着替えとかはバックパックに入れたまま。
 
 おかげで、ホテルでパンツを履き替えられなかったのは痛恨であった。でなくてよかった。
   
 こんなてこずるのは、私が抜け作なのもあるのだろうが、中国がまだ「観光国」として不慣れなところもあるのではないか。
 
 成都天府空港インフォメーションセンターでは英語が通じないし(翻訳アプリで会話はできる)、「よくわからない」ことが多い。
 
 その証拠に、成都天府空港での乗り継ぎカウンターや滞在許可書を取る事務所とか、ホテルの送迎バスの中とかで、白人旅行者がみな一様に不安そうだったことがあげられる。
 
 ヨーロピアンたちは英語が得意な人も多いし、そのせいで情報量も豊富。
 
 また、事前にかなり現地のことを調べているので、基本的には旅先であわてたりパニックになったりしているのを見ないのだが、中国では本当にバタバタしていた。
 
 そこは日本人とちがって「文字が読めない」というディスアドバンテージがあるわけだが、とにかくバタバタ走り回ったり、迷子の子どもみたいにキョロキョロしたり、めずらしいなーと思ったものだった。
 
 その意味では、日本人の私の苦戦など存外にたいしたことはなかったのかもしれないが、かくのごとく、なかなかにの多い中華系航空会社
 
 安いし、飛行機自体もなんの問題もないけど、「はじめての海外」にはオススメできないかも。
 
 ただ、成都の中国人はみんな親切で、もう寄ってたかって助けてくれたので
 
 
 「人情で限界突破」
 
 
 という手もありそうで、「悲しそうな顔」とかが得意な人にはオススメかもしれない。

 


 (カトマンズ編に続く)
 

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端歩は心の余裕 羽生善治vs米長邦雄 1992年 第33期王座戦 挑戦者決定戦

2025年02月15日 | 将棋・好手 妙手

 「端歩は心の余裕です」

 

 という言葉をかつて残したのは、島朗九段であった。

 正確には、島がまだ奨励会にいたころ、幹事だった真部一男九段が言ったそうだが、似たような格言である、

 

 「手の無いときは端歩を突け」

 

 よりは、少しばかりポジティブな感じ。

 いそがしそうな局面で、悠然に手をかけるというのは、たしかに「余裕」がないと指せないかもしれず、

 

 中原の▲96歩

 「羽生の▲96歩

 

 のように、ただなんとなく端を突いただけに見える手が、実は絶妙手だったりするケースもあるのだ。

 このように、まさに端歩は「余裕」をカマすことによって、相手のペース乱す効力もあるわけだが、時には一撃で相手を倒すという、おそろしい場合もあるわけで……。

 


 

 1992年の第40期王座戦挑戦者決定戦

 羽生善治棋王と、米長邦雄九段の一戦。

 後手番になった羽生の矢倉中飛車から、力戦調の相居飛車に。

 

 

 

 

 図は米長が、▲46歩と合わせたところ。

 △同歩▲同銀で調子がいいし、かといって放っておくと、▲45歩を取られるし、▲45桂の跳躍もある。

 なら、△65歩△86歩で攻め合いに出るのが、居飛車党の呼吸かなと見ていると、次の手が意表であった。

 
 

 

 


 △14歩と、ここで端歩を突くのが好手だった。

 と言われても、イマイチなんのこっちゃだが、どうしてどうして。

 この手には、おそろしいねらいがあるのだ。

 といっても、それが実現するのが、なんとこの30手近く後。

 それでは私のような素人が、置いてけぼりになるのも無理はないわけである。

 △14歩に、米長は▲45歩と大きな位を取るが、そこで羽生も△95歩▲同歩△86歩▲同角△65桂と華麗な反撃を見せる。

 以下、羽生の猛攻を米長が受け止める展開になるが、急所の局面がここだった。

 

 

 

 △59歩成と、と金を作ったのを、王様自らで受け止める。

 いかにも危険に見えるが、後手の攻め駒も2枚しかなく細い

 下手すると簡単に切れてしまいそうな感じだが、次の手が絶妙だった。

 

 
 

 

 

 △22角と引くのが、一撃必殺の手。

 これだけ見ればハテナだが、ここで先の△14歩が、まさかの輝きを見せることがわかる。

 そう、次に△13角とのぞけば、それが遠く▲68にいる先手の王様をスナイプして、一瞬で受けがなくなるのだ!

 

 

 

 もちろん、はるか前に着いた端歩は、この手を見越してのことで、

 

 「いやあ、端が突いてあって、ラッキーでしたわ」

 

 というレベルの話ではない。

 すべてが読み筋なのだから、恐れ入るしかないではないか。

 米長は▲76銀とはらって、△13角▲67玉と、きわどくかわすが、そこで今度は反対側から△35歩と突く。

 

 

 

 ▲同桂△34銀と攻め駒を責めて、▲46金△86歩と突いて、▲同歩△58と、と捨てるのが軽い好手。

 ▲同玉△86飛とさばいて一気呵成

 

 

 さっきまで細く見えた攻めに、飛車が参加してきたうえに、質駒まで確保できて、これは切れない形だ。

 以下▲67玉のふんばりに、△57銀成▲同玉△76飛と大暴れして後手勝勢

 五番勝負でも、福崎文吾王座ストレートで下して二冠になるのだった。

 


(その他の将棋記事はこちらから)

 

 

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ネパール旅行戦記 四川航空の無料トランジットホテルを探せ!

2025年02月12日 | 海外旅行

 ネパールに行ってきた。
 
 というわけで、まずは四川航空無料トランジットホテルへの行き方をレクチャーしてみたい。
 
 というと、おいおいちょっと待て、なんでそんなものを取り上げるんだ。
 
 ネパールに行くんなら、カトマンズ観光情報とか、トレッキング体験記とか、そういうのを書かんかいという意見はあるかもしれないが、ぶっちゃけ、そのあたりに関してはどうでもいい
 
 これはマジな話、今回の旅はこの「無料トランジットホテル」こそが最大のクライマックスであり、この情報をお届けするためだけに、この旅は存在するとすら言っていいかもしれないのだ。
 
 と書くと、中華系航空会社1泊トランジットをした人以外の全人類はポカーンだが、ここで苦戦した人には、これ以上なく力強く

 

 「そうなんよなー」

 

 うなずいていただけることだろう。

 物語は関空発で中国成都経由、カトマンズ行きのチケットを四川航空で購入したところから始まる。
 
 成都で13時間ほど待つ、価格は11万円

 本当は直行便か、東南アジアor香港経由で行きたかったが、ベストシーズンの11月ということか高くて買えなかった。

 13時間待機は一見しんどそうだが、中華系航空会社(中国国際航空厦門航空)は安いうえに、乗り継ぎ時に無料トランジットホテルを取ってくれるのが売り。
 
 私もここに釣られたのだが、実はそこまでたどり着くのが「ロンダルキアへの洞窟」くらいムリゲーということを、このときは知らなかった。

 人によってはアッサリとクリアできるみたいだけど、成都天府空港(あるいは成都双龍空港)で途方にくれた人に最短距離でのクリア方法だけ教えると、

 


 日本から、ホテル電話番号を事前に調べておく」

 
 
 

 「親切中国人空港スタッフに頼んで電話してもらい、予約の確認と送迎バス乗り場を教えてもらう」

 
 ↓
 

 「あらかじめ『このバスは〇〇ホテルに行きますか。行くなら乗せてください』と中国語でメモしてもらい(あるいは翻訳アプリで出して)、それを来るバスごとに運転手に見せれば完璧



 

 ちなみにわれわれは、四川航空から「予約は取れました」と言われたものの
 
 
 写真の場所にあるカウンターで詳細を聞いてください」
 
 
 メールで教えられたところに行ったら、なにも指示されず、「go out」と、ただ空港のに出さされ茫然

 どこだれに、何回聞いても「go out」。
 
 なんの説明もなく問答無用で追い出され、ホテルへの行き方もわからず、成都の街のこともまったく知らない。
 
 着いたのが夜の8時ごろで外は暗いし、そもそも予約が取れてないかもと疑心暗鬼になったり。
 
 いまだになにが問題で、なにが正解だったのかも不明
 
 そこであれとれと試行錯誤の末、なんとかたどり着いたのが上記の模範解答になり、旅行中、ヒマな時間にYouTubeブログnoteなどで同じ目に合った人の情報を総合して「答え合わせ」をして確認したから、たぶんこれで大丈夫

 あと気をつけたいのは、キャッシュレス社会の中国では、あらかじめalipayなどを用意しておかないと、タクシーにも乗れないし食事もできない。

 クレジットカード使えないし、ホテル近辺の食堂では一応使えるけど、3割増しの料金なうえ、店によっては使えないところも多い。

 実際あるYouTubeでも、こちらは北京でホテルにたどり着けなかった人は私と同じく、
 
 
 「クレカあるからなんとかなるやろ」
 
 
 と高をくくっていたせいで、メシも食えず飲み物も飲めず、ヒドイ目にあっていた。

 食事の必要がある人は、あらかじめ空港内セブンイレブンでお菓子やカップ麺などを用意しておくのが吉。
 
 こちらはクレカが使える。これはメッチャ重要。外に出ると、どこでも使えないのだから。
 
 食料に関しては、たぶん電気ポットがホテルにあるからラーメン類は食べられるけど、冷蔵庫はないので、ドリンク類は注意。
 
 中国は「冷やすのは良くない」という食文化なので、これはしょうがない。

 そんな激ムズなミッションだったが(ヒントも正解もないというのがダルすぎ!)、ホテル自体は最高だった。
 
 部屋は広く清潔で、各種設備にアメニティも充実し、これがタダなんて言うことなし。
 
 それで気が抜けたわけでもないが、翌朝に空港への送迎バス(1時間に1本)に乗り遅れてビビる。
 
 あやうく飛行機に乗れないところだったが、これは寝坊とかではなく、とにかくが多かったこと。
 
 中国は人口が多い国なのは知っているが、そのせいかホテルも山ほど宿泊客がいて、エレベーターがいつまでたっても来ない
 
 たまさか来ても、人がギュウギュウで乗る余地もなく見送り
 
 そのせいで、わずか数分のタッチの差で乗れなかったのだ。
 
 幸い時間に余裕を持ってたから、なんとかなったけど、なれてないとこういうときに焦るのだ(私は中国に行ったことがなかった)。

 かくのごとく、なかなかに難ミッションだったホテルクエスト。
 
 まあ最悪、空港夜明かしすればよくて、そうした人もいるそうだけど、若いときならともかく、今はしんどいなあ。

 


 (成都の空港で手荷物どうする問題編に続く)

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「村山聖を来させる一手だった」と神谷広志は言った

2025年02月09日 | 将棋・雑談

 「敵に塩を送らない」行為をどうとらえるべきなのか。
 
 先日のNHK杯で、足のケガにより椅子対局を余儀なくされた渡辺明九段に、もし対戦相手の佐藤康光九段が、
 
 
 「椅子とか、マジでないわー」
 
 
 拒否したらどうなるのかなと妄想したところから、囲碁の少し似たケースの話に飛んだ。
 
 不運な交通事故大ケガをし、車椅子に乗ってタイトル防衛戦を戦う趙治勲棋聖に、
 
 


 「規定通りに畳で打ちたい」



 
 
 そう要求した挑戦者、小林光一名人のエピソードだ。
 
 人によっては
 
 
 「小林はヒドイ男だ」
 
 「やさしさが足りない」
 
 「そこまでして勝ちたいのか」

 
 
 などと思われるかもしれないが、将棋のプロ棋士である河口俊彦八段によると、
 
 


 勝負師らしくすっきりと割り切れている」
 
 「勝負事はこういうケースで、堂々と主張したほうがたいてい勝って、不満を飲みこんでガマンしたほうが負ける



 

 
 とのことで、特に「堂々と主張」うんぬんは、実際はどうか知らないが河口のに頻出する哲学である。

 その他、囲碁将棋の本や棋士のインタビューから見るに、その多くは小林名人正直なやり方にシンパシーを抱くようだ。
 
 そこで、それ以外にも似た話があったようなと記憶を探ってみると、同じ河口八段の本にありました。
 
 『一局の将棋一回の人生』という本の中にあったエピソードだが、ある日河口が連盟に来ると、控室から大きな声が聞こえた。
 
 その内容というのが、
 
 


 「オレはなんて甘いんだ。来させる一手だった!」



 
 
 来させるとはだれのことかと問うならば、これが若き日の村山聖九段
 
 村山といえば、大崎善生さんの著書『聖の青春』や映画化された作品でご存じの方も多いと思うが、小さいころから腎臓病を患い闘病生活を送りながらの棋士人生だった。
 
 村山は不戦敗を嫌っていたから、どんなに体調が悪くてもなんとか対局場に出かけたが、それでもときには、いかんともしがたい日もある。
 
 そんな村山がC級1組時代に、やはり若手時代の神谷広志八段と対戦することとなった。
 
 平常なら後輩、あるいは格下の棋士が遠征するわけで、このときは神谷の所属する関東での対局。
 
 ただそこは、村山の事情は皆が知っているので、事務局がおもんばかって神谷に「関西で対局してくれないか」と水を向けたわけだ。
 
 やはり事情を知る神谷は、なんということもなく承知して、ここまでならよくある「いい話」だが、その後しばらくして「しまった!」とが出たわけだ。
 
 では、なぜ神谷が一度はこころよく承諾した遠征を悔やんでいるのか。

 それは別に移動が大変で不利になるとかそういうことではなく、どうも仲間から「甘い」と思われるのではないかと、怖れてのことらしい。
 
 これが、われわれの感覚だと神谷の評価上がるように見える。
 
 相手の体調を気遣って、わざわざ新幹線に乗ってアウェーの地へおもむくなどがでかいじゃないか、と。
 
 ところが勝負の世界はそうではないらしい。
 
 もしここで神谷が負けでもすると、それは「組みやすし」と判断される恐れがある。

 周りのだれかが、声をかけるかもしれない。

 
 
 「神谷さん、村山くんの体調をおもんばかって、とってもやさしいんですね」
 
 
 でもそれは神谷にとって褒め言葉として響かない
 
 そのにある「本当の意味」が理解(妄想)できるから。
 
 神谷は、やさしい。
 
 じゃあ、そんな甘っちょろいヤツに、もうオレが負けることとかねーよな、と。
 
 これは決してただの妄想ではなく、たとえば若手棋士は仲間内のお金などのやり取りに大変シビアだという。
 
 以前、佐々木勇気八段が仲間と(千田翔太八段だったかな)と食事をしたときに、定食のフライかなにかおかずがあまった事があった。

 ふつうなら、だれかに「よかったら食べていいよ」とでもなるところだが、棋士たちは頑なにそれをしない

 同席していたスタッフが、じゃあサラダとかデザートとか他の軽めの一品と交換すればと提案したが、それも却下。

 同じメニューを選んでいるのに、「フライをあげる」「サラダやデザートと交換する」では、そこにある「パワーバランス」がくずれるから。

 彼らはしつこいほど、そこに等価交換というか、「対等であること」を重視する考えを持ちこむのだ。

 細かいところは、さすがにおぼえてないが、だいたいがこういう感じのおはなし。
 
 これは一見、「個性派」佐々木勇気の「おもしろエピソード」のようだが、実は将棋界ではよく聞く「あるある」だ。
 
 彼ら彼女らは「借り」を作ることを極端に嫌い、支払いも1円単位で勘定を割っていたりする。
 
 そのことによる「余裕」あるいは「引け目」のようなものが、勝負影響すると警戒してのことだ。
 
 われわれから見れば「考えすぎ」でも、彼ら彼女らにとっては切実な問題。
 
 まさに今回は情けをかけられた側の村山聖も仲間と飲んでいたとき急性アルコール中毒で倒れたことがあったが、救急車に乗せられながら、
 
 

 「キミに借りを作りたくない」


 
 
 同乗していた(まさに救急車を呼んだその人の)先崎学九段に飲み代の自分の分を払おうとしたそうだ。
 
 これにはさすがの先チャンもドン引きしたそうだが、それでも、
 
 

 「ライバルに借りをつくりたくないという気持ちはわかるが」

 
 
 その部分では理解を示している。
 
 また、借りと言えばこんな話もある。
 
 昭和のころ、家庭の事情でどうしてもお金が必要になり、理事になんとかと頼みこんで対局料を前借した棋士がいた。
 
 理事もそういうことならと、金を工面したそうだが、なんとその後その金を借りた棋士は経理担当の棋士に、まったく勝てなくなったのだ!
 
 できすぎた話だが、なんとなく想像はつく。
 
 将棋はメンタルのゲームだ。こういう気持ちの正負が土壇場でのエンジンのかかり具合に影響がないとは言えまい。
 
 そういうキツイ光景を山ほど見てきたであろう神谷の
 
 

 「来させる一手」


 
 
 ということなのだろうが、一回は引き受けながら、それを悔やむ「甘い」神谷広志は非常に人間くさく魅力的だと言ったら本人は怒るだろうか。
 
 なんか、すごくカワイイですやん。
 
 ちなみに、気になって今調べてみたら、神谷はC1で2回対戦して、「天才村山」相手にしっかりと2連勝
 
 嗚呼、神谷広志はやさしいうえに、カッコイイ男だったか!
 
 
 
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11月のネパールは快晴のベストシーズンで旅行に最高

2025年02月06日 | 海外旅行

 ネパールに行ってきた。
 
 ネパールといえば一見マイナーなようだが、ヒマラヤトレッキングを目当てに世界中から登山愛好家が集まるところ。
 
 それだけでなく、物価が安く、人心もおだやかで、治安も良好でメシもうまいと、旅行者にもすこぶる評判イイ
 
 そもそも首都カトマンズや、トレッキングの街ポカラはヒッピーやバックパッカーの聖地とも呼ばれる「沈没地」であり、その魅力は語りつくせないほど存在するのだ。
 
 かくいう私もヤングのころから行きたかったが、2000年代は政情が安定せず、なかなか良いタイミングがなかったのだ。
 
 そこで今回、
 
 
 バリ島(雨季に突入)
 
 ミャンマー(政情不安)
 
 ウズベキスタン(冬になった)
 
 ヨルダン(平和になったらイスラエルとセットで行きたい)
 

 
 といったライバルたちを退け、ついに念願かなうこととなったのだった。

 やることはなにはなくとも、とにかくトレッキング
 
 ネパールといえばトレッキングであり、当のネパール人も、
 
 
 「トレッキングしないでネパールに来るなんて意味不明やね」
 
 
 とまで言うほどだが、それにくわえてヒマラヤの絶景も楽しみ、ついでに湖リゾートのポカラでまったりしたい。
 
 完璧な計画だ。
 
 というと、私のような素人がトレッキングなんかできるんかいな、装備とかはどうするのかという疑問は生まれるかもしれないが、それは大丈夫
 
 ネパールは観光立国なので、登山に関しても設備は充実
 
 ポカラやカトマンズで防寒具登山靴バックパックからテント、ノースフェイスなど有名ブランドのバッタモンまですべて売ってるし、なんならレンタルもできる。
 
 トレッキングコースも13泊14日とか、夢のエベレストにアタックみたいなガチなものから、日帰りでハイキングみたいな初心者コースまで選択肢も豊富だ。
 
 ホテルや旅行代理店でツアーガイドも頼めるし、日本語ができるスタッフもいるとか、マジで着替えと歯ブラシだけ持って行っても山に登れるのだ。
 
 なので、登山と言えば高校の耐寒訓練で、地元のゆるい山道を歩いたくらいのド素人な私でも問題なし。
 
 思えばあのときは、
 
 


 「訓練と言えば行進曲やな」



 
 
 と言うことで、班のみんなで
 
 
 軍艦行進曲
 
 「加藤隼戦闘隊
 
 「月月火水木金金

 
 
 などを合唱し、第二次大戦のことを
 
 
 「大祖国戦争
 
 
 と呼称する思想的におもしろい学校だった、わが大阪府立S高校の先生たちの眉をしかめさせたり。
 
 はたまた、行軍中やってた「しりとり」の罰ゲームで、
 
 
 「走ってくる車に向かってファイティングポーズを取る」
 
 
 みたいなのをやったら、たまたまその車が窓がシャドーがかったベンツで、いきなりバックして追いかけられて尿ちびりそうになったり。

 今でもスピルバーグの『激突!』という映画を観ると、このときのことを思い出しますねえ。おーコワ。
 
 そんなステキな思い出が作れればと想いをはせながら出かけたネパールは、評判通り良いところでした。

 ネパール人は日本で働いていたという人も多くて、日本人に好意的

 

 「全然、日本人がきてくれなくて残念」

 

 そうなげく人も多かったので、御用とお急ぎのない方は次の休みにでも、ぜひ出かけてみてはいかがでしょうか。 

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「椅子対局」か「畳で正座」か 趙治勲vs小林光一 1986年 第10期棋聖戦 七番勝負

2025年02月03日 | 将棋・雑談

 久しぶりに椅子対局を見た。
 
 先日放送されたNHK杯3回戦の渡辺明九段佐藤康光九段の一戦は、ふだんの正座ではなくチェスのようにイステーブルで指されたのだった。
 
 渡辺がを痛めていたための配慮で、将棋の方はバーディー振り飛車から熱戦となったが、観戦しながらひとつ気になったことがあった。
 
 
 「これ、佐藤康光が《椅子とかダメですよ》って言ったら、どうなるんだろう」
 

 
 NHK杯の規定はどうか知らないが、こういう変更は、基本的には両者が合意が必要であろう。
 
 そりゃ、そこを「アカンよ」などと言うとスタッフも困るだろうし、A級順位戦をのような大勝負を戦いきれなかった渡辺の様子を見ると、おそらくは不戦敗ということになるだろう。

 視聴者もガッカリだし、差し替えの番組はどうするのとか「空気読んでよ」とはなるだろうけど、
 
 
 「自分はどんな相手にも全力を尽くしたいので、敵に塩を送る行為は御免こうむりたい」
 
 
 と言われれば、それはそれで一理あるのではないか。 
 
 まあ、現実にはそんなのは空気的にできないだろうし、佐藤康光はを立てるタイプではないし、そもそも今ならたぶん炎上待ったなしだ。
 
 さすがにそれはないよねー、となりそうなところだが、実は過去に「アカンよ」を果敢に言った棋士がいたのである。
 
 それは将棋ではなく、お隣の囲碁の世界だが、1986年の第10期棋聖戦でのこと。
 
 趙治勲棋聖小林光一名人(天元・十段)が挑戦したシリーズだったが、開幕前に大きなアクシデントがあった。
 
 なんと趙治勲が不運な交通事故に見舞われ、全治3か月の大ケガを負ってしまったのだ。
 
 ほとんど全身骨折し、まともに歩くことすらできない状態で、当然七番勝負は延期中止かと思いきや、趙治勲は打つと言って聞かない。

 正直、ケガのことを考えれば悔しくても休んだ方が良いと思うし、周囲もいろいろ気を使って大変だけど、タイトル保持者がそう言うなら仕方がない。
 
 結局、押し切られる形で開幕となったが、車椅子に乗ってはさすがに畳対局はできないので、両者椅子に座っての勝負となった。
 
 もちろん小林もこの変更をこころよく引き受けたが、あにはからんや。
 
 なんとこの第1局を勝ったのは趙治勲だった。
 
 「すげーなー」とビックリなエピソードだが、実は本題はここから。
 
 このあとの第2局を返してタイに戻したところで、小林がこう申し出たのだ。
 
 


 「ここからはで対局したい」



 
 
 まだが癒えておらず、両足に左手もギブスという状態で畳に座って対局など、とてもできるはずがないが、小林もそこはゆずらなかった。
 
 現に第1局は趙治勲が勝っているし(ちなみに第3局趙治勲勝利)、碁の内容もすばらしいものがある。
 
 なら、なぜ自分だけが妥協した状態で戦わなければならないのか。
 
 この強敵に勝つにはベストの状態でやるしかないし、要求が規定に違反しているわけでもないのだから。
 
 小林の言い分に外野の意見は色々あろうが、「勝負師」の観点から見ればは通っている。
 
 実際、囲碁も強かった将棋のプロ棋士である河口俊彦八段もその著作の中で(改行引用者)、
 
 


 これをもって、小林光一は意地悪な男だ、という人はいないだろう。勝負師らしくすっきりと割り切れている。

 何人といえども緩めたりせず、全力で倒すぞ、の心意気が感じられるではないか。



 

 
 実際は、あれこれ言う人は「いる」と思うけど、趙治勲自身は小林の闘志正直さにはを打たれたというから、戦いの場に身を置くものと、われわれの感覚は少し違うのかもしれない。
 
 もし自分が小林の立場だったら、やっぱり「言う」のが正解だとは思う。
 
 それはもちろん勝つためでもあるし、また万一負けたときに
 
 
 「言っておけばよかった……」
 
 「仮に通らないとしても、結果負けるとしても、モヤモヤをかかえたまま対局すべきではなかった……」

 
 
 と後悔するのがイヤだからだけど、それでも言えるかどうかといえば、むずかしいところはある。
 
 佐藤康光のように、「相手の要求を受け入れたうえで勝つ」がベストなのはわかってるけど、結果は自分だけでコントロールできないからなあ。
 
 ただ、これも河口の筆によると、
 
 


 「勝負事はこういうケースで、堂々と主張したほうがたいてい勝って、不満を飲みこんでガマンしたほうが負ける



 
 
 棋聖戦の方は小林が4勝2敗で奪取。 
 
 たしか藤井猛九段なんかも、ここまで大きな話じゃないけど、タイトル戦で気になることがあったとき、しっかり主張できたことが勝利につながったという話をしていたことがあった。
 
 見ている方にはいろいろ意見はあれど、たとえ何を言われても勝負の世界では小林流が「正解」なのだろう。
 
 でもやっぱ、言えるかどうかは、むずかしいよねえ。
 

コメント (2)
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