前回(→こちら)の続き。
第13期棋王戦5番勝負第2局で、谷川浩司九段が、高橋道雄棋王相手に勝利を目前にしている。
……と見えたのは大錯覚で、実は先手の谷川に勝ちがない局面になっているのだが、そのことに気づいていたのは、まだ誰もいなかった。
この局面、先手玉に受けはないが、よく見ると後手玉に詰みがありそうだ。
▲33銀と打ちこんで、豊富な持ち駒があるから、あとは自然に王手、王手と追いかけていけば、なんとでもなりそうなのだ。
だが、ここに錯覚があった。
▲33銀に△同金寄、▲同桂成。
そこで△同金と、ふつうに対応すれば▲52飛とおろして簡単だが(本譜もそこで高橋投了)、上の図から△同金と取らずに、ひょいと△13玉とかわすと、なんとこれが典型的な「王手なし」の形で詰まない。
▲33同桂成に△13玉とかわす
いかにも迫られている後手玉は、これが絶対に詰まない、当時なら「ゼ」、今なら「ゼット」と呼ばれる形になっているのだ。
▲31角は△同金なら▲23成桂と捨てて、▲24に香や金を打って迫れるが、△22に合駒をされて、▲同角成、△同金で次の手がない。
▲24に角や銀を打ってこじあけようにも、すべて△同銀で、やはり王手がかからない。
羽生善治や藤井聡太が頭をひねろうが、ソフトにかけようが、どうにも手のほどこしようがないのだ。
今でいえば「銀冠の小部屋」に似た手筋で、アマ有段者でも指すだろうが、なぜか皆発見できなかった。
このしのぎに、唯一気づいたのが、谷川浩司だった。
ハッキリと負けの局面に一直線に突き進んでしまったのは、谷川もまたこの局面を「詰みあり」と確信していたから。
ところが、▲33同桂成に高橋が、△同金とするところで考えていたとき、自らの致命的な見落としを発見したのだ。
このときのことを谷川は、
「本当はそこで投了しようかとも思ったんですが……」
少し考えたあと(盤側は、簡単な詰みなのに、なぜすぐ指さないのかいぶかしんだそうだ)「恥をしのんで」詰ましたが、のちに聞いてファンはホッとしたのではあるまいか。
ふつうなら、勝ちの場面で「投げようかと思った」と言われても、
「またまた、気取っちゃって」
「そんなこと言っても、絶対投げないっしょ。タイトル戦だし」
なんて茶々を入れたくなるところだが、ことこれが谷川浩司の話となると、ちょっとばかりリアルなのだ。
「格調が高い」というのも、ときに困りものなのである。
ここが人同士の戦いのアヤ。
高橋が△13玉に気づかなかったのは、谷川もまた気づいてないがゆえに「勝ちましたよ」といった雰囲気で指していたからだ、ということは想像に難くない。
でなければ先手が、こんな一直線の負けになる順など、選ぶはずがないからだ。
そして、もし谷川が局面の煮詰まる(高橋が投了のため気持ちをととのえる)、もっと前にミスに気づいていたら、高橋もそれを察して△13玉を発見できたことだろう。
詰みやポカに気づいた瞬間、相手も以心伝心で気がつくというのは、高度な世界での「将棋あるある」なのだ。
そこをウッカリという「天然」なところが、逆に相手に疑いを持たせなかった。
谷川は「読めていなかった」からこそ勝てたわけで、そのことを「恥ずかしい」とうなだれたが、ただこれもまた実は谷川の「実力」でもある。
かつて大山康晴名人は、こんな言葉を残した。
「棋士に必要なのは信用です」
ここでいう「信用」とは人間性ではなく棋力に対してのことで、
「周囲に強いと認識されていたら、それだけで勝負に有利」
今でいえば「羽生ブランド」(どんな手でも「羽生が指したのだから、いい手にちがいない」と周囲に思わせること)のことだといえば、わかりやすいか。
この一番でも、もし相手が周囲から「弱い」「たいしたことない」と思われていたら、高橋も
「投了しなければ、いつか間違えるだろう」
「詰ますつもりかもしれないけど、どうせ読み抜けがあるにちがいないから、ねばってやれ」
と思うだろうから、そこでもう一度読み直し、△13玉を発見して勝っただろう。
相手が谷川だったものだから、
「この人が、こんな自信満々に踏みこんでくるのだから、きっと負けにちがいない」
そう思いこんでしまったところに敗因があった。
それもこれも、「光速の寄せ」によって「信用」を積み上げてきた賜物であり「強い者」だけが得ることのできる勝ち方。
その意味での、これは高橋のトン死ではなく、谷川の「実力」ということなのだ。
このシリーズは3勝2敗で谷川が奪取するのだから、結果的に見ても大きな勝利だった。
このころから谷川は安定感がグッと増した印象があり、名人復位、竜王戦で羽生に完勝、そして四冠王と、着々とその地位を固めていくこととなるのだ。
(森内俊之編に続く→こちら)