「UFO党」「日本愛酢党」羽柴誠三秀吉などなど、ステキすぎる泡沫候補の数々を紹介する本書。
一読大爆笑は必至なのだが、中でもインパクトがあったのが山口節生先生。
総裁が、付録のDVDにも収めたこのお人。まずなにがすごいといって、その出馬頻度。
なんと16年間で24回出馬。
総裁は「おそらくギネスものだろう」としてから、
「オレが大好きな理由がわかるだろ」。
なんだか、ケンカの強い兄貴を自慢する弟のようでほほえましいではないか。
そんな山口先生、インディーズ候補の常として支持者が少ない。
どうしても、知名度から人脈や資金について大手に大幅に劣ることとなるのだが、バックアップしてくれるのは、それこそ総裁のような一部マニアのみなのだ。
そのことが顕著に表れたのが、大宮ソニックホールで行われた山口先生の集会。
キャパ2500人という大ホールである。その情報をキャッチした総裁は、
「あのマイナーな山口先生がそんな大きなところで!」
すぐさま駆けつけたのだが、なんとその大ホールに訪れたお客は総裁一人だけだったのである。
あとの2499は空席。閑古鳥。まさに太平洋ひとりぼっち。
本屋などで、作家やマンガ家がサイン会をやったら、客が数人しかいなくてドッチラケで大困りなんてことがあるらしいが、数人どころか一人である。
咳をしなくてもひとり。ものの見事な、さらしものである。総裁が来なかったら、どうしてたんだろ。
ところがである。山口先生は壇上に登ったのであった。
たったひとり、自分の話を聞きに来てくれた総裁のために。彼は演説をはじめようとしている。
これはすごいことである。人間「呑みにいかない?」という誘いを「いや、今日はちょっと」とか断られただけで、「なんだ、オレってもしかして嫌われてるのかな」とか、ヘコんだりもするものである。
そこに、この山口先生の心の大きさは素晴らしいではないか。さすがは、総裁が認めた人である。その山口先生の開口一番が、
「ボクはPUFFYになりたい」
ここでまず、スココーンとコケそうになる。
なんだそれは。それならまず、奥田民生に連絡取れよといいたくなるが、まあそれくらいの人気者になりたいということであろう。
そこからは真面目に、政治の話になる。たったひとりの客相手に、熱弁を振るう山口先生。
まさに「逆ひとりでできるもん」状態といえようが、氏は日本を憂い、本気で未来のことを考えているのだ。
2500人収容の大ホールの中、マンツーマンで語る山口先生。この模様はDVDにも収録されてて、ホントに1対1(正確には撮影スタッフなどもいますが)のガチンコ勝負。
語ること約3時間。すごい。ほとんど、アンディー・ウォーホールの実験映像であった。
ちなみに、山口先生はことあるごとにPUFFYの話を語っていたそうである。ただ単にファンなのではないかという気がしないでもないが、「パフィーで日本を語る」というのもよいではないか。
そんな孤軍奮闘状態の山口先生であるが、応援演説をしてくれる味方というのもいるのである。それが川上俊夫先生だ。
不勉強にも私は知らなかったが、なんでも政見放送で
「ホー、ホー、ホータル来い♪」
という歌を披露した人だという。
だというと言われても、読者諸兄も困るであろうが、さすがはインディーズ仲間だ。またその川上先生の政策というのが
「イギリスの民営化」。
イギリスの民営化。なんだそれは。意味不明だ。
郵政ではなく、イギリスの民営化。
負けました。なにに負けたのかわからないが、素晴らしいインパクトだ。なぜその年の流行語大賞にならなかったのか、首をひねるばかりである。
かように、個性的な候補者たちにスポットをあてたこの本は爆笑必至。
他にも
「ニートが選挙に出馬」
「わたしはマッカーサーから日本の権利を譲り受けた」
「『クイズミリオネア』で得た100万円を元手に立候補」
などなどパワフルな人が、たくさん紹介されている。
昨今、若者の政治ばなれが嘆かれているそうだが、この本を読めば、
「え? 選挙ってこんなおもしろいの?」
と蒙が啓かれるのではないだろうか。もちろん出馬もOKだ。
前回(→こちら)に続いて、大川豊の『日本インディーズ列伝』を読む。
国のお祭りである選挙の華といえば、やはり「泡沫候補」と呼ばれる人達であろう。
みなさまも選挙の時、「こいつ誰やねん」「こんなん絶対通るわけあらへんがな」と思うような候補がいて、驚くことがあるのではないか。
具体的には、たま出版の編集長が、UFOへの愛情
のため立ち上げた「UFO党」。
「バカケチナマケは酢を飲まない」をスローガンに、酢で日本を立て直そうとした「日本愛酢党」。
さらには、いわずもがなの「自由連合」といった、普段は表舞台に出てこない「インディーズ」な候補者にスポットを当てたものだ。
まず巻頭のカラーページは、泡沫候補のスター羽柴誠三秀吉さんだ。
鎧カブト、という奇抜な出で立ちでのぞんだ選挙ポスターはインパクト充分で、ご存じの方も多いだろう。
よく選挙のポスターは、近所の悪ガキによってイタズラ書きをされたりするが、私はこの羽柴誠三秀吉氏のポスターに、そのような狼藉が行われているのを見たことがない。
その迫力とインパクトに気勢をそがれるのか、その「ポスター自体がすでにイタズラ書き」ととらえられているせいなのかはわからないが、なんしか、「味のある」人である。
その羽柴氏の地元青森には、氏の持つビルがありそれが紹介されているのだが、これがすごいのである。
まず入ると、そこにはいきなりミサイルが装備されている。
あまりにあっさり書いてあるので「へー、さすが天下の大富豪、すげえなあ」と思わず読み飛ばしそうになったが、おい待て、なんでミサイルがあるんだ。セコムも裸足で逃げ出す「過剰防衛」である。
まあ普通に考えたら、個人のビルにミサイルが装備されているなどありえないわけで、さすがにただのレプリカらしいのだが、なんと偵察衛星でこのレプリカを見たアメリカ軍が、
「日本に我々の知らないミサイル基地がある!」
とひっくり返り、その依頼で自衛隊が査察に来たそうである。えらい話やなあ。
だが、羽柴氏はそんな騒動などなんのその。トラクターを改造して戦車を作るわ(3000万円かかったらしい)、空母とイージス艦建造計画を構想中だわ、豪快に暴走。
もちろん、ビルにはお約束の「金の茶室」などもあり、また「スナック・チャングム」などという飲み屋など経営するあたり、当時はやっていた「韓流」を採用するなど、流行にも敏感でありさすがは大富豪である。
機を見るにつけ敏。でも、豊臣秀吉って「朝鮮出兵」のことがあって、韓国では極悪人あつかいなんですが……。
そのあたりも、おおらかな羽柴先生。やはり天下国家を語るには、これくらい図太くないといけないのだろう。
(続く【→こちら】)
そこで「総裁のすごさはそのフトコロの深さだ」と書いたが、それがもっとも表れているのがかの有名な(有名なのか?)「ハウス加賀屋オーディション事件」であろう。
ことの発端は、総裁が主催する大川興業の新人オーディション。
大川興業のオーディションには、その芸風からか「UFOが呼べる人」といった電波……もとい個性的な人が多くやってくる。その中にいたのが、当時17歳の加賀屋少年であった。
パッと見たときから「危ない奴かもしれない」と思っていた総裁だが、そのカンは見事に当たっていた。
なんと加賀屋少年は刃渡り20センチのナイフを持ってオーディションにやってきたのだ。
そんなデンジャラスな加賀屋君、自己PRの一発ギャグがすべると、やにわにそのナイフを取り出して、
「おもしろくないですか?」。
脅迫だろそれ。思わず腰が引けるところである。
私なら間違いなく
「ヘイ、今のギャグすごいね、ユーがいればダウンタウンからリットン調査団まで、今いる芸人は全員失業だよセニョール!」
などと言いながら、ダッシュで逃げ出すところだ。
そんな「下手したら人生終了」な状況で、総裁はまったく動じない。その場でスタッフに相談。
「一回くらい刺されてもいいか」。
ということになり、その場で加賀屋少年の合格が決まった。
「ここで突き放してしまってはいけない」
と思ったからだそうだが、それにしてもナイフを突きつけられているのに「刺されてもいいか」というのがすごい。
こうしてめでたく大川興業入りした加賀屋少年だが、その奇行はなかなかのものであったらしい。
ある日稽古の途中、加賀屋君に5000円札を渡して、「メンバーたちの人数分牛丼を買ってきてくれ」とお使いに行かせた。
ところが、なかなか帰ってこない。一体どうしたのだとみながいぶかっていると、1時間後戻ってはきたのだが、なぜか牛丼を持って泣いている。ドア越しにも聞こえるくらいの号泣だという。
総裁が、なにがあったのかと問うならば加賀屋君は「総裁申しわけありません」。なにが申し訳ないのかと言えば、
「食べちゃいました」。
空腹のあまり、つまみ食いでもしたのかもしれんと「何を食べたのだ」と聞くと、
「5000円です」。
5000円を食べた。5000円分の弁当を食べたのかといえば、そうではなく本当に5000円札を食べたのだ。
なぜ食べる。新渡戸稲造が食欲をそそったのか? 謎だ。謎だが、加賀屋君は「すいません、食べちゃいました」と泣きくずれている。
総裁はそんな、男泣きになく加賀屋君の肩に手を置いて、
「どうだ、うまかったか」
うむ、食べたといわれれば、まずは聞きたくなるのは味であろうって、聞くとこそこじゃないだろという話だが、普通ならドン引きのシチュエーションで総裁のフトコロの深さは並ではない。
ちなみに答は「はい、おいしかったです」とのこと。
この話のかくれたキモは、牛丼はちゃんと買ってきていたということであろう。ちゃんと仕事はできているのである。
総裁も「ちゃんと牛丼はある。何も問題はない」といっている。それからみんなで笑いながら牛丼を食べ「大川興業をやっていてよかった」と心から思ったという。いい話だなあ。
そんな奇人加賀屋君だが、やはりその不安定ぶりから想像できるように、心を大きく病んでいた過去があった。
ある日総裁は、加賀屋君のセカンドバッグに大量の「薬」が入っているのを目撃する。以下、本からその時のやりとりを抜粋すると、
「総裁に実は告白しなければいけないことがあります。自分、実はまだ仮退院の状態でして」
「どういうことだ」と問う総裁に、
「はい、精神的に落ち着いていないというか情緒不安定なゆかいな人達のいるハウスというところにおりまして」
ゆかいな人達のいるハウス。なにかこう、いろんな意味でギリギリだが、総裁は平気な顔で、
「そうかおもしろいじゃないか。ゆかいな人か」
これに加賀屋君も、
「はい。今まで総裁をケムに巻くようなことをしてすいませんでした。隠せれば隠し通そうと思ったのですが」
そう告白し、
「総裁の前では冷静な人間を演じていましたので」
もはや、つっこむのも野暮というものであろう。総裁も、
「そうか気がつかなかったな。これからもケムに巻いたままでいいからがんばれ」
私はこのやりとりを読んで、呼吸困難になるくらい笑った。総裁のフトコロはブラックホールなのか。
私の友人知人にも変な人はいるし、実際昔ミニコミを作っていたころ
「わたしは宇宙から来たメケメケ星人と戦っている」
という人とか
「世界のすべての事件はNASAとフリーメーソンの陰謀」
とか語っている人とかにインタビューしたこととかあるけど、総裁ほど鋭くは肉薄できなかったなあ。これが器のちがいか。
なんだか総裁のおもしろエピソードを語っていたら本の紹介をするのを忘れてしまった。それは次回(→こちら)に。
選挙の世界でいわゆる「泡沫候補」と呼ばれる、一風変わった候補者たちを取材してまとめた本だが、これがめっぽうおもしろい。
大川総裁といえば、お笑いパフォーマンス集団大川興業の創始者。知らない人でも「エガちゃん」こと江頭2:50の名前なら知っているであろう。
なにをかくそう彼を発掘したのが、大川総裁である。
というとなんだかただのイロモノ集団のようだが、総裁はまだ北朝鮮が「地上の楽園」と呼ばれていたときから
「おいおい、地上の楽園って、映像見たら太ってる奴が2人しかいないじゃないか!」
という今なら自明の理のツッコミを昔からいれていた、観察力のスルドイお人。
ライブなどでも、そういったカルトな政治ネタを披露しており、その鋭い視点はファンのみならず業界にも評価が高い。
総裁の魅力は、シャープな言論を笑いに昇華するセンスとともに、その爆裂的な行動力であろう。
本書のような泡沫候補の演説にはかけつけ、東海村の原発事故ではガイガーカウンターが悲鳴を上げている中取材し、サリン事件の前からオウムに注目し部下(江頭さん含む。総裁曰く「カプセル怪獣」)を入門させ実地取材させる。
実際エガちゃんが取材を終え脱退したら、次の日からアパートを象のマスクつけた信者に取り囲まれ、
「江頭さーん、なんでやめちゃったんですかー」
一日中シュプレヒコールされたという。
いや、それ怖いって! っていうか、サリン事件のこと考えると、全然シャレになってないんである。
よくやるなあ。「事件は現場で起こってるんだ」という織田裕二も裸足で逃げ出す「現場主義」なのである。
そんな総裁が、満を持して出した選挙本。もう、前書きからいいのである。
総裁自身大川興業を「奇人変人大集合ですよ」という。まさに「人生の駆けこみ寺」と呼ばれる存在。
そんな総裁には、様々に人生を悩み、苦しみ、迷走している人が、メールや手紙などで相談してくるという。曰く「自殺したい」「爆弾を作りたい」「人を殺したい」。
前書きによると総裁は、そういった人たちに常にこういうという。
「人を殺したいのなら、『人を殺したい』と訴えて選挙に出なさい。政見放送は検閲がないから好きなことを堂々とテレビで言えるぞ」
すごいアドバイスだ。天下のNHKで人殺し宣言。たしかにインターネットなら「無差別殺人します」と書きこめば逮捕だが、政見放送ならOKだ。たぶん。
さらに総裁は言う、
「とにかくやる前にオレを殺しに来い。」
オレを殺しに来い。おいちょっと待て。相手は「人を殺したい」といってるのだ。マジで殺しにきたらどうするんだ、冗談もいきすぎると……思っていると総裁はさらに、
「冗談で言ってるんじゃない。○○のファミレスで待っている。そこに殺人計画書でも持って来い」。
総裁のすごいところは、本当に待っていたこと。
結局その少年は現れなかったらしいが、明朝「ありがとうございました」というメールがきたそうである。どこからか、ファミレスに来ている総裁の姿を確認したのだそうだ。ナイフを持って。
すごいなあ。「人を殺したい」なんて思うなんて、よっぽどの精神状態だろう。そんなの普通は「頭、おかしいんじゃないの」でお終いであろう。
そこを「オレを殺しに来い」。カーッコイイ!
そんな総裁は本の中で「日本を、世界から笑われる国でなく、笑わせる国にする」が政策であると説いている。
その成果は出ている。オウム事件以前から「カルト宗教」に注目していた総裁は江頭さんに「空中浮遊」をさせたりしていたが、それに対してある女性が、
「エガちゃんを見て爆笑しました。心に悩みがあったけど、超能力ってギャグですね。宗教にハマらなくてすみました」
たしかに「笑い」で救われている人はいるのだ。私もそのひとり。総裁は言う。
「だからオレ達みたいなバカがいてもいいだろ」
うーん、キメたなあ。シブイぜ総裁!
(続く→こちら)
ATPツアーファイナルズ2014準決勝、ノバク・ジョコビッチ対錦織圭戦はファイナルセットに突入した。
ファーストセットのノバクの出来を考えれば夢のような展開だ。
まさかの追撃に私は目が回りそうだった。おいおいマジか。こんなことになっていのかしらん。
この流れだと、勝っちゃうぞ。大逆転だ。ノバクは明らかにおかしくなっている。このままいけば、このまま……。
結果から見れば、この第1ゲームがすべてであった。押せ押せだったはずの錦織圭だが、2度あったチャンスを自らのミスで逃してしまうと、あとは一気だった。
スコアからすれば0ー1。まだはじまったばかりだ。だが、試合はここで終わっていたのだ。
最初の大チャンスを取りきれなかった錦織は、その動揺を整理できないまま試合を進めてしまい、崩れていった。
まさに自滅以外の何物でもなかった。その証拠にジョコビッチは試合が終わるまで、いやさもっといえばセカンドセット以降はずっと、かろうじてエースを数本決めた以外はなにもしなかった。
これは誇張でもなく、また負けた腹いせに相手をおとしめているわけでもない。
本当にジョコビッチは中盤から後半にかけて、ただただ走って、ラケットに球を当てていただけなのだ。それ以上の創造的なプレーはまったくといっていいほどなかった。
すべては錦織圭の一人相撲であった。ファイナルセットの間、錦織はただひたすらに、落胆から言うことを聞かなくなった心身を制御しようと自らにムチを打っていた。
その孤独な奮闘ぶりは見ていて痛々しいほど伝わってきたが、一度コントロールを失ったものは、もはや元には戻ることはない。
ファイナルセットはまさかの0-6。マッチポイントで犯したダブルフォルトが、そのすべてを物語っていた。
勝てた試合だった。どんな素人が見たところで、第1ゲームがすべてであったことは明白だ。もしあそこをブレークできていたら、きっと0-6というスコアはそのまま反転して錦織が圧勝していただろう。
それが証拠に、勝った後のジョコビッチによろこびの咆哮もガッツポーズもなかった。勝者のお約束の、テレビカメラのレンズへのサインにも、威勢のいいメッセージの代わりに、小さくぬりつぶした丸を描いただけだった。
よほど釈然としなかったのだろう。このひとつを取っても、ジョコビッチが勝った気になっていないのがよくわかる。
こうして錦織圭の2014年は終了した。最後の最後に自ら崩れたのは意外だったが、それに関しては今はこれ以上は言うまい。
最初にも書いたが、彼がこの舞台に立っているだけでも、充分すぎるほどに快挙なのだ。だから、あれこれ言う前に、とりあえずは今年の快進撃を祝いたい。
錦織君、トップ10入り、USオープン準優勝、そしてツアーファイナル準決勝進出おめでとう。
すごい、よくやった、たいしたもんだ。もはや言葉もない。彼がこれまでやってきたことは、私ごときがここで「すごい」を1万回も連発したことろで、ほんのかすかでもその本当のところは伝えられないだろう。
この試合はたしかに惜しかった。勝てた試合だった。なまじいいテニスを披露しただけに、よけいにくやしい思いもつのる。
だが考えてみれば、松岡さんもおっしゃっていたが、世界のトップ8が集まる最終戦で、相手が絶好調のジョコビッチで、それで「負けて悔しい」と言える我々はなんと幸せなことだろう。
彼のテニスなら、あせらずとも来年以降、またでかいことをやってくれるに違いない。
お楽しみはこれからだ。古い映画のセリフで和田誠さんの本のタイトルでもあるこのフレーズが、これほど似合う選手はなかなかいないではないか。
だから今は、とにかくお疲れさま。
そしてありがとう。
思いつく言葉は、ただただそれだけです。
「みんなが見てるから、ボロ負けだけはやめて!」
そう祈りながらの観戦となった、ATPツアーファイナルズ2014準決勝、ノバク・ジョコビッチ対錦織圭戦。
そんな弱気なと言われそうだが、予選での成績を見るとけっこう現実的な心配である。
対マリン・チリッチ(USオープン2014優勝)6-1・6-1
対スタン・バブリンカ(オーストラリアン・オープン2014優勝)6-3・6-0、
対トーマシュ・ベルディヒ(ウィンブルドン2010準優勝、デビスカップ2連覇中)6-2・6-2。
なんかもう、このスコアを見ただけでカツアゲにでもあった気分である。尿でもちびるくらいに、強すぎるノバク・ジョコビッチ。
こんなヤツと試合なんてしたないで! 私だったら泣いて土下座してゆるしてもらうところだ。いやマジで。
その恐怖をさらにあおりまくったのが、ファーストセットのジョコビッチのテニス。
解説の松岡修造さんも再三話していたが、この試合のジョコビッチはUSオープン準決勝のお返しをする気マンマンであった。
これは単に大きな大会のセミファイナルというだけではない。来年以降もトップレベルで戦う選手になった錦織圭に対して、きちんとした「格付け」を知らしめる戦いでもあるのだ。
つまるところ、勝負の世界で長く君臨するにはロジャー・フェデラーがアンディー・ロディックやレイトン・ヒューイットにやったようにすること。
つまりは「2番手を徹底的にたたく」を実践し彼らに、「アイツには勝てない」と劣等感と恐怖心を植えつけること。それが大事なのだ。
ノバクからすればこの試合は、単に勝つだけではだめで、内容的にも圧倒し、
「ニューヨークでのオマエは、しょせん勢いだけで勝ったにすぎないんだぞ」
そう錦織に思い知らせる必要があったのだ。
前半戦のノバクは、まさにその通りのテニスをした。自慢のフットワークと安定したストロークでしっかりと地を固め、チャンスと見れば得意のバックハンドを鋭く突き刺す。
それに焦って相手が攻めてくれば、得意のディフェンスではじきかえし、ミスを誘う。まさに「これぞジョコッビチのテニスやなあ」と、ため息しか出ないような完璧さ。
正直、このセットでは錦織君は自分のテニスを10%程度の出力でしかさせてもらえなかった。スコアは1-6。誰が見ても、ジョコビッチが書いたシナリオ通りにすべてが動いているように見えた。
はっきりいうが、これが錦織君の試合でなかったら、私は明日に備えてとっとと布団をかぶって、お休みなさいしていただろう。それくらい絶望的な差がこのセットにはあったのだ。
ところがだ。この試合がおかしなことになるのだから、まったく世の中はわからない。セカンドセットにはいると、どういうきっかけか錦織君が突如覚醒。それまでほとんど封じこめられていたストロークで押しはじめる。
逆に乱れはじめたのがジョコビッチの方。あからさまに勢いの出だした錦織君に対して、こちらは急激にメロメロになる。
パーフェクトだったはずのストローク戦でミスが頻出し、ファーストサービスも入らなくなる。メンタル面でも大きく揺れているようだ。その顔には大きくこう書かれていた。「そんなはずじゃない」と。
この乱れの正体はといえば、それはやはりUSオープン準決勝の記憶であろう。決して調子の悪くなかったジョコビッチは錦織に敗れたとき、大いなる脅威を感じたはずだ。
「ケイは強くなっている」
だからこそ、彼はこの試合を勝たなければならなかった。圧勝をねらっていた。すべては、
「あの準決勝は、ただのまぐれなんだぞ」
そう錦織圭に認めさせるためだ。
あの勝利が本当にまぐれなのかどうかはどうでもいい。ジョコビッチからすれば、ナンバーワンのテニスを見せつけることによって「まぐれだと本人に思いこませる」ことができればいいのだ。
それによってジオンは、じゃなかったジョコビッチはあと10年とは言わないが、今の地位から蹴り飛ばされるのを数年遅らせることが出来るかもしれない。
追い上げてくる後輩が、あのとき得た自信を木っ端微塵に打ち砕き、「ただの勘違い」に格下げさせるのだ。そのことこそが目的だった。
ところがどうだ。セカンドセット以降の錦織圭は解き放たれたようにのびのびとプレーし、逆に王者を圧倒。これを見た人々は、皆がこう思ったはずである。
「おお、やっぱり全米での錦織はフロックじゃなかった」
そうして、こうも思ったはずである。
「今のケイは、ジョコビッチにすら勝てる選手なのだと」。
あれはまぐれじゃなかったと、錦織本人も世界中のファンも再認識してしまった。テニスの内容やスコアよりも、そのことこそがノバクをあれほど震えさせたのではあるまいか。
もはや隠し通せないほどに動揺してしまったジョコビッチは、ほとんどなんの抵抗も出来ないままセットを落とす。
これで1-1のタイ。よっしゃと声を出すよりも、とりあえずはホッとした。ストレートでボロ負けという目はなくなったからだ。
運命の最終セットでも、錦織圭の勢いは止まらない。まともなショットを打てなくなったジョコビッチ相手に押しまくり、最初のゲームで15-40のダブル・ブレークポイントを握る。
(続く【→こちら】)
ロンドンの、いやさ世界中の注目を集めた日本人選手の快進撃だったが、ナンバーワンであるノバク・ジョコビッチに1-6・6-4・0-6で敗れたのだった。
結果は残念だったが、この大会に関してはこれまで散々言われていたように、「出られるだけで、とんでもない栄誉」だ。
だから、負けたことに関しては、どうこういうことはない。
ましてや、ラウンドロビンでアンディー・マレー、ダビド・フェレールというトップ選手を負かしての堂々のベスト4進出なのだ。それ以上のことは、一体なにを望みうるというのか。
いわば懸賞でハワイ豪華旅行が当たって、それだけでもすごいのに、さらになにげなく入った現地のカジノでガッポガッポと思いもしない荒稼ぎをしたようなもの。
そこで「帰りの便がファーストクラスじゃない」とか言い出したらキリがないというか、そこまで言ったらドあつかましいというものであろう。
USオープン決勝前夜に書かれたというテニスマガジンの記事と同じだ。
「明日の試合後にかける言葉は決まっている。勝っても負けても、『おめでとう』だ」。
だから私も、負けたけど同じ言葉をかけたい。
錦織君、ベスト4おめでとう。
……とまあ、結論だけ書いてしまうとこれでお終いであって、今日はもうとっとと店じまいをしてしまってもいいのだが、なんだかそれもちょっとそっけない。
人によっては「甘い」と感じるかもしれないので、ここはもう少しばかり試合内容と今後の展望を掘り下げてみたい。
この試合の開始前、私が思っていたことはひとつであった。
それは勝ってほしいとか、自分らしいテニスをとか、そういうこともあったけど、それよりなにより第一に、
「頼むから、ボロ負けだけはしてくれるなよ」。
情けないこと言うなよと失笑されてしまいそうだが、まあ偽らざる本音としては、そうである。勝ち負け以前に、一応は試合の形にはなってほしいな、と。
もちろん私とて錦織圭の実力を低く見積もっているわけではない。
いや、それどころか、フェレール戦のようなテニスを見せられれば、王者ノバク・ジョコビッチに一泡も二泡も吹かせてやれるチャンスは充分あると見ていた。
だが、それでも不安なのは、この試合が地上波でも放送されること。そのこと自体はもう万々歳なのだが、逆に言えば広く見られることによるリスクもある。
もしこの試合でヘタをこけば、彼の評価が急激に下がり、場合によってはせっかく盛り上がりかけているテニス熱にも大きく水を差されることになるやもしれない。
そりゃ最初に書いたように、ある程度テニスにくわしい人なら、今年錦織圭がなしとげた数々の偉業や、この大会に出場することの、ましてや準決勝に出られることの意義は理解しているだろう。
だが最近、特にUSオープン決勝進出からテニスに興味を持ってくれたという人なら、なかなかそうは思わないかもしれない。
いくら説明されて、理屈ですごいとわかってても、現に目の前でケチョンケチョンにやられるところを見せられたら、
「なんか期待はずれ」
なんてテンションだだ下がりになるやもしれぬ。
なればこそ錦織君はここを、もちろんのこと勝てば文句なしだが仮に結果はどうあれ、ともかくも「せっかく見たのに、しょぼ!」という事にだけはならないでほしいと、切実に願ったわけである。
その危険性は大いにあった。なんといっても相手は世界ナンバーワンで、今年のウィンブルドンで2度目の優勝を果たしたノバク・ジョコビッチ。
しかも、今期のノバクは秋から絶好調で北京と、パリのBNPパリバ・マスターズを制してのロンドン入り。
しかもラウンドロビンの内容がえげつなく、全米優勝のマリン・チリッチを6-1・6-1、全豪優勝のバブリンカ6-3・6-0、ウィンブルドン準優勝の実績があり、デビスカップ2連覇中のトーマシュ・ベルディヒを6-2・6-2。
おまえは化け物か!
もう、むっちゃくちゃに調子がいいのである。
おまけに、USオープン準決勝での敗北は王者である彼のプライドをいたく傷つけたに違いない。ここを最高の復讐戦と、舌なめずりしてねらっているはず。モチベーションも最高潮だ。
こんなん相手にもしやダブルベーグル(0-6・0-6)なんて食らったら目も当てられないわけで、私はもう公開処刑だけは勘弁してと、なかば目をおおいながら観戦することになったのである。
ところが……。
(続く【→こちら】)
ATPツアーファイナルズ2014で、日本の錦織圭がダビド・フェレールを破った。
これで準決勝に進出する可能性は相当に高い。えらいことになった。とんでもない快挙だ。すごい、おそるべし錦織圭の才能!
そう手放しでよろこんでいいはずなのだが、どういうわけか、マッチポイントが決まった瞬間から、私は少しばかり脱力してしまっている。
先日も書いたが、正直なところ私は今の錦織君の躍進と成長についていけていない。
ランキングで20位以内に定着して、デ杯でベスト8に入ったくらいまでかなあ。それなりに等速度でウォッチできたのは。
マイケル・チャンがコーチになったくらいからか、なんか速度感覚が変わってきたのは。
きびしいトレーニングでみるみるたくましくなって、2014年に入ってからはオーストラリアン・オープンでベスト16入りして、ナダル戦も敗れたとはいえ内容的には熱戦だった。
クレーシーズンでは大爆発して、マドリードではあのナダルをクレーコートであわや圧勝かというところまで追いつめた。
ランキングもトップ10に入って、ここくらいからかなあ、彼の活躍に現実感がなくなってきたのは。
とどめがUSオープンの決勝進出。これも前に書いたけど、アレはホント、ちっとも現実の出来事とは思えなかった。
なんの冗談かと、何度も何度もほほをつねったよ。いや、これは私だけじゃなくて、日本中のテニスファンがそうだったと思う。
なんか、あの瞬間やなあ、錦織圭が現実から伝説になったのは。
それまで錦織君は、変な言い方だが「テニスファンのもの」だった。
イチローや香川真司といった誰でも知ってる名前じゃなくて、テニスがなぜかマイナースポーツである日本では、知る人ぞ知るだけどすごいんだぜと。
みんなは試合を見たことはないだろうけど、いつかきっとでかいことを成し遂げて、テニスのおもしろさとすばらしさを皆に教えてくれる。
彼ならきっと、テニスをメジャースポーツにしてくれるという期待と夢があった。玄人のテニス好きが、ひそかにではあるが大きく誇りに思っている。そういう存在だった。
でも、あの全米決勝進出以来、きっと彼はそんな枠にはおさまらなくなってしまったのだ。
あの大会でラオニッチに勝ったときは、まだ彼は「我々のもの」だった。だが、バブリンカに勝ったところでは、すでに彼はもう「日本人全員のもの」になっていたんだ。
たぶん、そのパラダイムシフトにまだ慣れていないのだ。「朝目が覚めたら有名になっていた」という言葉があるが、まさにそんな感じ。
あの夏の日以来、彼はテニスファンという一部のではなく、日本人の共通項になった。きっとそのことに「ついて行けてない」のだ。
なんだか、それまでも新幹線くらいの速さで「すごいスピードや」と感嘆していたのが、名古屋あたりから急に第1宇宙速度を超えたみたいな。
ギュン! って衝撃を感じて、そろそろ静岡かと思ってたら、外見たら衛星軌道を回ってたみたいな。え? なんで宇宙にいてるの? 地球はいずこ? みたいな。
そんな不思議な感じなんだ。
だからなんか、この錦織君の快挙にもうまい言葉が出てこない。
すごいことなんである。快挙だ、奇跡だ、いや違う、奇跡なんかじゃない。これはまごうことなき錦織圭の実力だ。そのことはよくわかる。
でも、やっぱりうまく言葉にできない。
なんせ、静岡かと思ったら、宇宙だもんなあ。しかも、そこで終わりではなくて、さらにどんどん速度を上げて飛んでいく。
光の速さで。このまま果てまで突き抜けるんじゃないのかしらん。
なので、なんだかまとまりもないまま、ただ手なりでキーボードを打っているところです。今回はオチがないなあ。
そういえば、勝利を決めた後、勝者のお約束であるカメラのレンズにサインした言葉が良かったネ。
錦織君はたぶん「kei nishikori」と書いたその下に、こう加えたのだ。
「いえい!」
ひらがなでだ。日本のテニス界を大変動させ、今や世界をも揺るがす大仕事をやってのけた後なのに、なんともかわいらしいではないか。
流行るかもな。だから私も、とりあえずは宇宙にいることをオタオタせずに、ミーハー気分でVサインでもして、呑気によろこんでおくのが正解なのかもしれない。
いえい
ATPツアーファイナルズ2014ラウンドロビン第3戦、日本の錦織圭がダビド・フェレール相手に第1セットを落とす。
セットポイントをミスで落とすなど、嫌な雰囲気ではあったが、なんのなんの、見せ場はここからであった。錦織圭は気持ちを落とすことなく反撃を開始する。
フィジカルに不安があるといわれていたのは、もはやどこの国のレバニラ炒めかという過去の話。リードをゆるしても崩れないし、むしろ接戦になればなるほど力を発揮し出す印象だ。
その意味では、本当に彼はたくましくなった。それはもちろん、日々のトレーニングもあるだろうが、それよりもなによりも、今自分は昇り調子である、いつものテニスをすれば誰にだって勝てるチャンスはあると信じている。
いや、もしかしたら不遜にも、このオレ様が負けるわけがないぜ! と、内心うそぶいているかもしれない。そういった「勝ってる者のオーラ」が、今の彼にはまばゆいばかりに存在している。
そのことをまざまざと見せつけたのが、第2セット以降の錦織圭だ。セットの変わりばな、いきなりのラッシュで相手のサービスゲームを破ると、そこからは初戦、2戦目と課題であったサービスが爆発。
ワンブレークをしっかり守ってタイに戻すと、最終セットは一気だった。
本人も試合後に語っていたように、「最高の出来」のテニスを披露できた。途中、あのタフネスが売りのフェレールがイライラでラケットをたたきつけ、警告を受けるというシーンもあった。
圧巻だったのが、第3セット4-1、第6ゲームのゲームポイント。
フェレールが2ブレークダウンにもかかわらず最後のプライドをかけて、ねばりまくったこのゲーム。
何度もブレークポイントを握られ、そのたびにかろうじて逃げるという展開が続く。
これを落としてもまだリードしているとはいえ、嫌な流れであることは間違いない。デュース、デュースの連続の末、ようやっとアドバンテージを握る錦織。
ほぼマッチポイントに等しいこのポイントで、錦織君はフォアの逆クロスから叩くのではなく、なんとアングルに見事なドロップショットを放ち、エースを奪ったのだ。
これが、まさに「天才」錦織圭の真骨頂とも言えるスーパーショットであった。私も見ていて、「どわあ!」と思わず声に出してのけぞったものだ。
ものすごい角度から飛んで、ネットの上をまるで定規ではかったかのようにスーッと伸びていき、そして絶妙の位置にポトリと落ちる。
なんちゅうずば抜けたテクニックなのか。神業だ。もし録画している人がいたら、何度でもすり切れるくらいに見返してほしい。それくらいの驚異的一撃だった。
解説の松岡修造さんも感に堪えたように、
「あんなの、打てない……」。
そうだよなあ、打てないよなあ。
ここで勝負は決まった。最後はおまけのようなフェレールのサービスゲームをあっさりブレークして、とうとう勝ってしまった。
これで錦織はラウンドロビンを2勝1敗。マレーがフェデラーに圧勝しない限りはベスト4進出ということになる。
見事すぎる勝利であった。
だが、私はこれに、なんとコメントをすればいいのか。いまだ困惑を隠せないでいるのが正直な気持ちだ。
(続く【→こちら】)
などと、この私がいきなり大上段にかまえたりすると、ふだんならば「阿呆が、なんかほたえとるで」と失笑されるところであるが、今日だけは別だ。
あの試合を観戦した方ならば、こんな大げさな物言いも、ある程度はゆるしていただけるのではなかろうか。
そう、ATPツアーファイナルズ2014。ロジャー•フェデラーに敗れ(その模様は→こちら)1勝1敗でむかえたラウンドロビン第3戦で、日本の錦織圭がスペインのダビド・フェレールを4-6・6-4・6-1のスコアで破り、ベスト4に残ることが濃厚になったのだ。
日本時間の夜11時ごろ開始だったこの試合。私は夜戦にそなえて、帰宅後2時間ほど仮眠を取っていたのだが、起きてテレビをつけて、まず吃驚した。
なんと対戦する予定であったミロシュ・ラオニッチが棄権していたのだから。
一瞬、あれ? 不戦勝で決まり? と思ったが、さすが年間最後の試合はそう甘くはない。予備の選手としてスタンバっていた世界ランキング10位のダビド・フェレールが代打として登場してきた。
これに関しては有利不利とか、ラオニッチ対策が無駄になった影響はとか、そういった微妙なところは本人とスタッフにしかわかりようもないが、ここで出てきたのがダビドというのが判断の難しいところ。
最高ランキングが3位でフレンチ・オープン準優勝の経験もある。デビスカップではナダルとのダブルエースでもって、何度も頂点に立っている選手。
しかもこの男はおそらく現代テニス界ナンバーワンともいえるファイティングスピリットと、ブレない強靱な精神力を持っている。
出られるアテのない大会でいきなりコートに放り出されても、それであわてたり、ゲームにフィットするのに時間がかかったりと、そういったことは、まず期待できそうにないだろう。
間違いなく強敵である。
だが反面、錦織からすれば対戦経験が豊富で、ロンドンオリンピックなど大舞台で勝った経験もある。
スピードとねばりは驚異だが、ラオニッチのような一発を持っている選手に、それこそ今年のウィンブルドン4回戦のような「なすすべもなく持って行かれる」展開にはなりにくい。
ミもフタもなく言えば、この交代劇が吉と出るか凶と出るかはやってみないとわからない。逆に言えば、このアクシデントをどう処理できるか。そういったところも、錦織圭は試されているともいえた。
試合の方は予想通りの激しい打ち合いとなった。
ともにグラウンドストロークを中心とし、安定感とフットワークが突出しているところなど、共通点の多い二人。
フェレールはほぼ消化試合だが、賞金と獲得できるポイントがデタラメに高く設定されている試合でもあり、そもそもが勝ち負けに関係ないからといって流していくような考えなど期待できないのがダビド・フェレールという選手。
やはり、さすがというモチベーションの高さで、闘志むき出しで襲いかかってくる。コートを広く使ったストロークの応酬に、こちらも自然、気合いが入る。
多彩なアングルショットに、時折見せる鮮やかなネットプレー、大事なポイントで飛び出す手品みたいなドロップショット。
錦織のテクニック、フェレールの粘り腰。秘術をつくしたラリー戦。
おお、なんか、めっちゃええ試合やんけ!
本人の運命のみならず、日本のテニス界の未来をもかけたといっていいこの一番に、錦織圭は見事なテニスを見せる。
最初にサービスゲームをブレークしたときには、「こら、マジでひょっとするのか?」と色めきだったが、すぐにブレークバックされて、いったんイスにすわりなおす。
あはは、さすがはダビドや。そう簡単には勝たせてくれへんわ。
一回落ち着いたところで、第1セットは錦織に終盤少し乱れが出てフェレールが取る。
内容的には互角かそれ以上だったが、セットポイントでのスマッシュミスなど、らしくない落とし方が気になった。解説の松岡さんも言っていたが、ちょっと不安な流れであった。
ところがである。こういった接戦になると強みを発揮するのが、今の錦織圭だ。
(続く【→こちら】)
初戦でアンディー・マレーを見事に破ったところから(その模様は→こちら)、この試合も「もしや」の期待は高まったが、結果はむなしく、元世界王者のロジャー・フェデラー相手にストレート負けを喫したのである。
喫したのではあるが、私自身あまりこの結果を残念には感じていない。
それは内容的にも完敗だったことや、1敗したとはいえ、まだ準決勝進出の目が充分すぎるほど残っていること、はたまたただの負け惜しみ。
などなどが理由であるが、もう一つ
「ロジャー・フェデラーのいいテニスが見られたから」
こういう想いも、ないことはないのだ。
ロジャー・フェデラー。この名前を聞くと、テニスファンはどうしてこんなにも胸を熱くしてしまうのだろう。
グランドスラム大会で優勝すること17回(全豪4、全仏1、ウィンブルドン7、全米5)、シングルス通算82勝、世界ランキング1位最長保持、オリンピックのシングルスは銀、ダブルスで金を獲得。
そのあまりの強さと完璧なプレーぶりで「史上最強のオールラウンダー」の名をほしいままにし、紳士的言動や立ち振る舞いでも文句のつけようのないテニス界の貴族。
今では往年のような圧倒的強さこそ鳴りをひそめたが、それでもなお今でも彼がコートに姿をあらわすと、私は、いや世界のテニス好きが胸をときめかせ、歓声を送り、その優雅なショットの数々にうっとりとため息をつくのだ。
そんな男と日本人選手である錦織圭が同じコートで試合をしている。しかも、世界の選ばれし8人だけが立つことのできるツアーのファイナルでだ。
そこでフェデラー相手に負けたとして、それでどうと言われても、そんな「くやしい」とか、あんましならないよなあ、と。
だってロジャーだぜ。この最強者決定戦のツアーファイナルズでも6回も優勝した生ける伝説なんだもんなあ。
なんて言うと、「おいおい、なんちゅう弱気な」「戦う前から、気持ちで負けてんじゃん」と笑われそうだが、その意見はまったく正しい。
かつてスイスインドア決勝でフェデラーに敗れた錦織圭に、コーチであるマイケル・チャン(当時はまだコーチ就任前)は、こんなアドバイスしたそうだ。
「ロジャーに対する敬意を捨てろ」
似たような話は他の世界でもよく聞く。
将棋界では棋聖戦で、羽生善治棋聖相手に初のタイトル挑戦を決めた中村太地六段(最近ではNHKの『NEWS WEB』でもおなじみ)に、師匠である米長邦雄永世棋聖は、
「羽生を尊敬するな」
そう伝えたそうだ。
そう、勝負の世界では相手を見上げていては勝てない。自分こそが強いと思いこみ、「このオレ様が負けるわけがないぜ」と飲んでかからなければならないのが鉄則だ。
たとえば、1974年ウィンブルドン決勝では、若き日のジミー・コナーズが39歳のケン・ローズウォールを完膚無きまでたたきのめした。
数々の栄光を打ち立ててきた伝説のプレーヤーであるローズウォールに対して、ジミーはまるでケガした子犬を蹴り飛ばして遊ぶ残酷な少年のような、容赦のないテニスを披露した。
私も噂に聞いてyoutubeで鑑賞したが、ジミーのショットはそれこそ一打一打ごとに、「泣いて謝れ!」とでもほえているかのような、異様な迫力があった。
のちにテレビで『新世紀エヴァンゲリオン』を見たとき、第拾八話でダミープラグを起動させた初号機が3号機をボッコボコにするシーンがあるが、あれみたいだったのだ。
エグイ男である。凄惨な試合ではあったが、そんな彼だからこそ、ツアー通算125勝という、おそらくは永遠に破られることがないであろう、空前にして絶後の記録を打ち立てることができたのだろう。
だから、錦織君に関しては相手が元王者だろうがなんだろうが、コートに立ったら少年のころのあこがれなどゴミ箱に放りこんで、鼻っ柱に強烈なのを一発お見舞いしてやれ。川に落として上から棒で叩いてやれ。もう二度とはむかう気力がなくなるくらいに、尻子玉をぬいてやったらええんやで!
……というのは、それが選手もファンも正しい姿勢なのはわかっているんである。
でもなあ、それがなかなかそうもいかないのよ。圭君はともかく、やはりあの「王者」だったころのロジャー・フェデラーを見ていた者からすると、そんな、
「キャン! いわしたったらええねん」
という気にはならないのだよなあ。いかんよなあ。
ま、チャンピオンというのはそういう「格」もふくめての実力なのだろうが、その意味でも33歳のフェデラーはまだまだたいしたものだ。
毎年のように、やれ時代は終わったの引退だのと言われながらも、それでも今年もウィンブルドンでは決勝まで行き、現在も世界ランキング2位をキープ。この大会の結果次第では、またも年間1位に返り咲く目もある。
おとろえは隠せないとはいえ、まだまだこれだけの数字を残せる元王者は、やはり別格なのだ。
だから私は、錦織圭がここで完敗しても、さほどくやしい気持ちにはならず、どうしても乙女のようにほほを染めながら、
「嗚呼、ロジャー様、なんてカッケーんや……」
そうつぶやいてしまうのである。
まったく本意ならねど。
(フェレール戦に続く【→こちら】)
年間の成績優秀者8人しか出場できない「ATPツアーファイナルズ」で、見事アンディー・マレーを破った錦織圭。
この歴史的大勝利(というフレーズを、もう何度彼に使ったことだろう)もさることながら、そのことを極めてクールに受け取っている錦織君もすごい。
彼にとって、トップ選手に勝つことは、もうそれだけで満足していいレベルにはないのだ。
だがもちろん、見ているこっちはそんなあっさりしたもんじゃない。
正直なところ、いまだ錦織圭の飛躍について行けていない私は、勝った! 勝った! と真夜中に大騒ぎ。
日本人がこの最終戦に出てるなんて、しかもそこでマレーに勝つなんて、こんなことがあっていいのだろうかと唖然茫然。
どこまで行ってしまうんだろうなあ、この男は。すごいことしやがるぜ。
私はオリンピックのメダルやノーベル賞とかのニュースを見ても、あんまし「日本人の誇り」みたいな気分にはならないタイプなんだけど、圭君に関しては例外かもなあ。
なんかもう、泣きそうになってきたよ。
私は以前も書いたが、錦織君に関しては、ある時期からさほどまなじりを決して見ることはなくなってきた。
トップ100に入って、ソニー・エリクソン・オープンで優勝して、松岡さんの日本人最高ランキング46位を更新。
団体戦のデビスカップでも単複大車輪で戦い、悲願のワールドグループ入りの原動力に。グランドスラム大会でシードがつくようになったのは、3年ほど前のことだったか。
テニスファンは
「すごいぞ、圭ならもしかしたらトップ10プレーヤーに、いやもしかしたらグランドスラム大会の決勝の舞台にすら立てるかもしれない」
色めき立ったが、この辺りで私は、彼に関してはそれ以上の活躍を求める気にはなれなかったものだ。
といっても、別に
「錦織なんて、もうそれ以上、上に行くは無理だよ」
なんて斜に構えていたわけでも、
「期待してかなえられなかったら悲しいから、最初からハードルを下げておこう」
などと予防線を張っていたわけでもない。
というよりも、あまりにも彼のやったことがすごすぎて、行ききり過ぎて、逆に冷静にさせられてしまうというか。
今まで20年近く男子テニスを応援してきた身には、しみじみ実感する。テニスを知らない人にはピンと来なくても、上記の錦織君の戦績というのは、歴史的に見ても、これはもう信じられないくらいの大快挙の連続だ。
野球やサッカー、水泳や体操など、多くの競技で日本人が活躍する中、男子テニスだけは戦前の黄金時代以降は、あやうく100年にも届こうかというくらいの、長い長い低迷期があった。
多くの日本男子にとって、世界ランキング100以内に入ることは厚い厚い壁で、グランドスラム大会も上位進出どころか、予選を突破できたら大戦果。
その苦しさは、今年のウィンブルドンで予選を突破した杉田祐一選手(インターハイ優勝、全日本選手権V2の実績)が、実に18回目のグランドスラム予選トライの末たどり着いたものといえば、世界レベルのテニスの厳しさがわかろうというもの。
そこを18歳のデビュー以来、次々とその壁をクリア。
それどころか、その後も勢いはとどまることを知らず、デビスカップでは2連覇中のチェコにこそ敗れたもののベスト8。
苦手といわれたクレーコートでの優勝、ついにはトップ10入りを決めたかと思えば、なんとUSオープン準優勝という冗談みたいなことをやってのけてしまう。
いや、これはなかばマジで、決勝戦のセンターコートに現れた彼の姿を見て、
「え? これってギャグ?」
って思いましたもん。
グランドスラム大会の最終日に日本人選手が残っている。長らくフェデラーやナダル、ジョコビッチといった選ばれし者しか立つことが許されなかった舞台に。
なんなんだこの光景は。もしかして一応中学2年生の河川唯ちゃんが昼休みに見ていた長い長い白昼夢か、はたまた壮大なドッキリか。
マヌケなことに、いまだ、あれが現実の出来事だと実感できていないのだ。
そうして、ついには最終戦にまで選ばれることに。こんなん見せられたら、テレビとかネットなんかによくある、
「ケガが多いよ、喝!」
「テレビ放映すると、負けるんだよな」
「全米の決勝は全然たいしたことなかったな」
なんてことは、あんまし言う気にはなれないんだ。
だって、もうすでに錦織圭はどえらいことをやってのけてるんだよ。しかも、我々が想像したり期待したことの100倍くらいに、ありえないことを。
そこまで登りつめたのに、それ以上のことができなかったからって「ふがいない」とは、あんまし思えない。
変な例えだけど、家の庭から油田が出てきたのに、
「なんで温泉もわいてこないんだ。喝だよ!」
「サウジアラビアと比べたらたいしたことない、しっかりしろよ」
なんてこと、人はたぶん言わないじゃん。それみたいなものというか。
だから、錦織圭の活躍に関してはデ杯ベスト8くらいで
「ごちそうさまでした、ありがとうございます、充分満足させていただきました」
とお腹いっぱい状態。
あとは、負けてもいいわけじゃないけど、結果が出せなくても一喜一憂しない。もし勝てたら、あとは得するだけの「ボーナスゲーム」ととらえて応援することにした。
ところがどっこい。この錦織圭という男は、私のような「並の幸せ」(といっても充分たいしたもんなんだゼ)でおさまっている器の小さい男とは才能も心持ちも違った。
テニス人生のマックスとも思われた全米決勝後も、燃えつきることなくマレーシアとジャパンオープンで優勝し、そうしてついには最終戦でもマレーに完勝。
まいりました。シャッポを脱ぎます。錦織君、あなたは私が思ってるよりも全然突き抜けてます。どこまで行くのか、想像もつかない。
「ボーナスゲーム」どころか、私の想定したゴールが下手すると「前振り」くらいのものなのか。なんか、そうなっても今さら驚きもしないよ。
いやホント、これから世代交代が進んで、今のテニスを2,3年維持できたら、本当にグランドスラム優勝をねらえるかもだ。
ほんの数年前は、まだそういうのは「リップサービス」ではあったが、もう錦織圭はすでにして我々の想定などはるかに越えた次元で戦っている。
本田や香川、羽生結弦や内村航平もすごいけど、錦織圭だって負けてないんだぜ!
もう一度言うが、本当にどこまで行ってしまうのか、この男は。
もし彼がこの勢いで最終戦の優勝を果たしたとしても、それほど驚かないくらいの準備はしておいたほうがいいかもしれない。
そんな夢物語的妄想すらふくらましてくれる。それが今の錦織圭がいる場所なのだ。
(続く【→こちら】)
11月9日にロンドンで開幕したATPツアーファイナルズに今年は錦織圭が登場。
この大会は年間の成績優秀者上位8名が選抜され戦うという、まさに格闘技のような
「ゴチャゴチャ言わんと、一番強いヤツをここで決めたらええやんけ!」
そういった位置づけ。格的にはウィンブルドンや今年錦織が準優勝したUSオープンのような、グランドスラムとも並ぶ超ビッグな大会なのだ。
そう説明すれば、この舞台に立てることだけでも、どれだけすごいことかわかろうというものだが、そのオープニングマッチで、錦織君がまたもや世界をおどろかせることになる。
かつてウィンブルドンとUSオープンを制し、ロンドンオリンピックの金メダリストであるアンディー・マレーを、なんと6-4・6-4のストレートで打ち破ってしまったのだ。
この試合、錦織君は出だし明らかに固くなっていた。
得意のストローク戦で精度を欠き、サービスゲームでもダブルフォルトを量産。
相手も地元のプレッシャーからいつもの動きではなく、カサにかかってこられるような展開にこそならなかったものの、テニスの質的には低調であった。
これには見ていてハラハラした。こんな超絶ビッグイベントで、オープニングマッチで、しかも相手が地元の英雄で、今まで勝ったこともない格上のマレー。
ともなれば、いつものプレーを披露しろというのが「そもそもがムチャぶり」なのだろうが、それにしたって、いつもの安定感ある彼のテニスとはかけはなれていた。
正直、せっかくテレビで放映してくれたのに、これは勝負にならないんじゃないかと心配したが、USオープン決勝と違って自分のテニスができないまでも、そこでペースを完全に渡してしまわなかったのは大きな成長だったか。
当初20%台という目をおおうようなファーストサーブの入りにもかかわらず、そこで大きなリードを奪われなかったのは、ねばりもあったし、運も良かった。
5-4から一瞬のスキをついてファーストセットを奪うと、セカンドは完全に復調し、得意のリターンと鋭いバックハンドでペースを握る。
4-1とリードしながらもブレークバックされたときには、まだまだ手こずりそうかとも危惧したが、そこからも錦織は落ち着いていた。
それどころか、むしろ反撃ムードのはずのマレーが明らかに気持ちが落ちており、第10ゲームのサービスをコントロールできず、あっさりと錦織圭の軍門に下ることとなった。
6-4・6-4。終わってみればあっけなかった。錦織圭の歴史的大勝利は、結果だけ見ればスコア的にも試合時間的にも、拍子抜けするくらいのものだった。
それは試合後の錦織君の表情を見ていると、さらにそう思えてくる。
松岡修造さんの「おめでとう」の言葉に、「あ、どうも」くらいのライトな感じ。
ここですごいのは、錦織圭にとって、もはやトッププロに勝つことや、大舞台で結果を残す事というのは、さほど騒ぐほどのことではないという事実。
この生きるレジェンドたちの饗宴に立つ彼自身、自分もまたその伝説の一人であると、もう自覚してしまっている。
その証拠に、現在のランキングはマレーは6位だが、錦織圭は世界5位。そう、過去の実績はともかくとしても、今現在コートに立っている現状は、
「錦織圭の方が格上」
信じられないがそうなのだ。
だが、「んなアホな」と頬をつねっている我々をよそに、錦織圭だけはそのことを信じている。いや、というよりも、もはや彼にとっては当たり前。
マレーを倒すことは、決して「ジャイアントキリング」ではなく、錦織圭の今には「日常」であり、次への「過程」でもある。
もちろん、マレーレベルの選手を倒すことが当然などと慢心しているわけではないが、
「ひとつ金星をあげれば仕事は終了」
というチャレンジャーの段階をすでに彼は越えている。力を出し切ればトップと同格のテニスができる。勝つチャンスもある。
自分でもそのことに自覚と、おそらくは「責任」も感じている。だから、このとんでもない大仕事のあとでも、すまして次の準備に入っているだ。
地に足が着いているなあ。そう、もうすでに彼は、押しも押されぬトッププロなのだ。
世界5位で、USオープンのファイナリストで、最終戦でも白星を挙げられる。
彼自身が言うところの「大統領みたいな待遇」を受けて戦うことのできる、世界テニス界最高峰の選ばれし8人の内の1人なのである。
(続く【→こちら】)