「なんかもー、すごいことになってるやん!」
パソコンの前で、そんな悲鳴をあげそうになったのは、言うまでもなかろう王座戦第3局のことである。
永瀬拓矢王座が「名誉王座」を、そして藤井聡太七冠が「八冠王」をかけて戦う今期五番勝負は1勝1敗で第3局に突入したが、ここまで観て感じたことは、永瀬のガチ度だ。
藤井聡太といえば、デビュー当時の劇的な詰みや絶妙手など、瞬発力の目立った勝ち方を経て、タイトルを取ってからは「横綱相撲」のような戦い方が主となった。
序盤で作戦勝ちし、中盤でジリジリ差を広げ、終盤はその読みの精度で危なげなく逃げ切る。
評価値グラフの形から「藤井曲線」と呼ばれる、おなじみの必勝パターンだが、第1局、第2局ともに藤井からそれが見られないのだ。
おそらくは人生最大級の大勝負で、永瀬はまず最初の関門である序盤でリードさせない。
それどころか、むしろ自分の方が模様の良い局面を作りあげたりして、その研究の深さに驚嘆させられたものだ。
しかも第1局では、無敵を誇る藤井の先手番をブレークして先勝。
第1局の終盤戦。むずかしい戦いだが、藤井が▲92桂成と飛車を取ったのに、△14銀と上がるのが絶妙の受けで永瀬勝ち。
これまでの勝ちっぷりから「藤井有利」と思われていたところを、この将棋でちょっとこちらも、すわり直すことに。
いやいや、そんな決めつけるのは早いぞ、と。
第2局も激戦だったが、終盤で永瀬がチャンスを生かせず、藤井が貴重な後手番の勝利をものにしてタイに押し戻す。
激しい競り合いの中、▲41金と寄せに行ったのが永瀬の判断ミスで、△62銀、▲31金に△43玉と上部に泳ぎだされて、一気に勝ちにくくなった。
ここは▲44馬、△33金、▲54馬、△43銀に▲45馬と、ゆっくり指しながら後手の攻め駒にプレッシャーをかけて先手が有利だった。
いかにも永瀬好みの手順に見えたが、1分将棋で決断できなかったようだ。
ここでずるずる行かないのは、さすがの強さで、針はまたも藤井側に振れる。
そうして迎えた第3局は、もうご存じの通り衝撃の結末であった。
永瀬勝勢から、藤井が▲21飛と形づくりというか「思い出王手」をしたのに、平凡に△31歩と「金底の歩」を打てば勝ちだった。
これはごく自然な手というか、文字通り「オレでも指せるわ」という一着というか、むしろこれ以外の選択肢が思いつかないところ。
それを△41飛と打ったばかりに、▲65角と打たれて大事件。
これで△56の金をはずされると、先手玉にまったく寄り付きがなくなるのだ。
これ以降、永瀬は明らかに雰囲気がおかしくなり、すかさずカメラが両対局者のアップをとらえていたが、目が泳ぎ動揺を隠せない。
おそらく、背中や脇からは汗が噴出していたことだろう。
感想戦によれば、△31歩以下▲43銀、△同金、▲31飛成からの特攻をしのぐ手順を読み切れなかったようなのだが、それでも、いや、だとしたらなおさら△31歩に手が行きそうなものではないか。
とこれだけ見れば、「永瀬がやらかしたか」で終わりであり、特に今は評価値があるから、なおさらそう感じるところ。
ところがどっこい、感想戦を参照すると、それがそう簡単ではないのがわかるから、将棋というのは奥が深い。
終局後すぐにこの局面が口頭で検討され、△31歩には、とりあえず▲43銀と打つと。
永瀬が▲21飛に△41飛と合駒したのは、この手を警戒してのもの。
これが▲42銀打からの詰めろだが、△同金と取って、▲31飛成に△41歩などなら▲32銀とかで怖い思いをするが、△41飛とここで飛車を合駒すれば、これ以上攻めが続かず後手が勝ち。
だが、ここで△43同金に▲31飛成と取らずに、▲32銀とする最後の勝負手がある。
たとえば、△42金、▲31飛成、△41歩とふつうに受けると、そこで▲42竜から、▲34角と打てるから後手玉は詰み。
これがまた油断ならぬという、いやそれどころではない超難解な手で、実際、アベマの解説を担当していた深浦康市九段と村田顕弘六段も、
「これ、どうやって受けるの?」
終局後も、しのぎを発見するのに四苦八苦していたようなのだ。
謎は村田顕弘が解き明かし(すげえ!)、▲32銀には一発△39飛と王手するのが正解。
これが絶妙手で、意味としては3筋の守備に利かしながら、王手で「合駒請求」をしている。
角か香を持駒から削れる。ここがポイントだった。
▲59香なら、そこで△42金と引いて、▲31飛成に△41歩。
ここで▲42竜、△同歩、▲41金、△52玉に、▲34角と打てれば後手玉は詰むが、それを△同飛成と取る手を用意したのが△39飛の効果。
また、香があれば▲44香でこれも先手が勝つが、哀しいことにそれは今、駒台には乗っていないのだ。
ならばと香車を残して▲59角と合駒しても、今度はそこで△52玉と上がるのがギリギリのしのぎ。
持駒に角がないと、ここで後続がなく、先手の攻めは切れている。
▲31飛成とするしかないが、そこで△51金とすれば、香しか持ってない先手にはもう指す手はないのだ。
藤井はこれで負けと読んでいたが、永瀬はどうもこの変化が読み切れなかったようだ。
「受けの永瀬」なら数分でも時間があれば射程圏内だったろうが、▲21飛と打たれたところで1分将棋に突入するなど、結果論的に言えばツイてなかったとも言える。
てか、しれっと「読み切れなかった」とか言ってるけど、これメッチャむずかしいって!
こうして見ると、将棋の終盤戦は超難解で、とんでもなくおもしろいことが、よくわかる。
たしかに△41飛は永瀬の大ポカだが、それにはこういう激ムズ変化が水面下に流れてのものなのだ。
その意味では「永瀬、ダセーなー」みたいな気持ちにはなれない。
よく佐藤天彦九段をはじめ、棋士やアマ強豪などの「リアルガチ勢」が、評価値だけを見てファンが「やらかした」「溶かした」とか言うことに違和感を訴えているが、それはこういうこと。
そんな簡単な話じゃ、ないんだろうなあ。
と言っても、普通はこんなもんワシら素人は読めないから、そうなるのもしゃーないけどね。
これが、まさに「指運」というやつである。
いつも思うんだけど、これは本当によくできた言葉だ。
秒とプレッシャーに追われながら、読み切れないところでとっさに指がいく場所。
極限状態で選んだそれが、正解かハズレかは実力であり、同時にどこまで行っても「運」でしかないものだ。
強いものは当然、「正解」に行く確率が高いわけだが、それだって決して100%ではない。
将棋の大勝負は最終盤での一瞬のひらめきと、あと所詮は「たまたま」で決まる。
その意味では極論を言えば、あとに残る結果なんか決して絶対的なものでなく、半分「おまけ」みたいなものとも言えるのだ。
とはいえ、勝負の世界は「結果がすべて」でもある。
将棋に大逆転はつきものだが、それがよりにもよってこんなところで出てしまうあたり、なんかもうスゴすぎて言葉もないッス。
もしこれで、このまま「八冠王」が達成されたら、この大逆転劇はまさに、将棋界の歴史を大きく変えるかもしれない。
それこそ、昭和の将棋史を根こそぎ塗り替えた可能性すらあった、あの「高野山の決戦」に匹敵する歴史的事件になるかもしれないのと思うと、その興奮は深夜になっても収まらないのだった。
(またも大逆転で「八冠王」誕生となった第4局はこちら)